1992年の全米ヒット『ウッド・アイ・ライ・トゥー・ユー』を覚えている御仁はまだこの極東の国にいるのだろうか?
フィラデルフィア出身の黒人チャールズ・ペティグリューとオークランド出身の白人エディ・チャコンによるソウル・ボーカル・デュオ“チャールズ&エディ”の楽曲で、テレンス・トレント・ダービーやレニー・クラヴィッツなどが脚光を浴びていた時代に即した人種を飛び越えたR&Bテイストのヒットチューンだった。
残念ながら20001年にチャールズは早逝してしまい、このデュオは既に幻となってしまったが、昨年、相方エディ・チャコンがDIY感覚の打ち込みを背景にした素晴らしい新作『プレジャー・ジョイ・アンド・ハッピネス』をリリースした。
昨今のチカーノソウルの掘り起こしとも併走するような、彼が元々持ち合わせていたであろう、カーティス・メーフィールドに代表される70年代のニューソウル・ゲノム満載の作品群を、フランク・オーシャン、ソランジュ・ノウルズとのコラボレーションでも知られるジョン・キャロル・カービーがチープギリギリの境界線で支えるサウンドプロダクトは見事だ。必聴!(se)
投稿者: adanendo
黄昏ミュージックvol.51 Komm, süsser Tod(コム・シュッサー・トートゥ)甘き死よ、来たれ/ARIANNE
1995年のテレビアニメ版から多くのファンに呪縛をかけていた、あの『新世紀エヴァンゲリオン』が、本年3月公開の新劇場版の『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』で足掛け26年の、謎、伏線を一応回収し大営団を迎えた。
斬新な世界観はもとより、バッハの『無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007前奏曲』、パッヘルベルの『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調』等、現在聴くとそのシーンが思い出される程、深く古典的楽曲が記憶に刻み付いている。
監督自身のバックボーンとなる世代的和製楽曲も“大ネタ”が故に画面と同化し大きな存在感を表出していた。
『今日の日はさようなら』、『翼をください』、『ふりむかないで』、『恋の季節』等がその一群だ。
そんな中でも突出した楽曲が、旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』での、鷺巣詩郎氏のペンによるオリジナル挿入歌『Komm, süsser Tod 甘き死よ、来たれ』。
よくザ・ビートルズの『ヘイ・ジュード』と比べられるが、これはあくまでもフォーマットのことで、アンサンブルはロックマナーとしてこちらの方が遥かに進化した重厚なサウンドとなっている。
監督自身による英語詞に合わせ、ネイティブである南アフリカ出身のシンガーソングライターARIANNEをメインボーカルに抜擢。周りを固めるのは、我国のロック第二世代とも呼べる手練れ達(島村英二:ドラムス、岡沢章:ベース、中西康晴:ピアノ&ハモンドオルガン、斉藤ノブ:パーカッション、芳野藤丸:ギター)。正にサードインパクト発動による甘き死を迎える瞬間と同期する神楽曲となった。
リフレインされる「無へと還ろう(It all returns to nothing)」。
しかし、旧劇場版のこのメッセージと反し、全てのエヴァンゲリオンはネオンジェネシスを呼び込むことに合意し、宇部新川駅から“有”なる世界へ走り出すことを選ぶ。(se)
黄昏ミュージックvol.50 ライフ・オブ・ゴールド/カヤック
記憶という生まれ持ったシステムに自分の事ながら驚愕することが多々ある。
どこにしまって置いたのか?ありえない固有名詞を急に思い出すのだ。それが筆者にとってのオランダのバンド「カヤック」。
プロブレシッブ・ロックをある程度かじった人達はその名前をご存知かと思うが、従来のロックマナーに従い、英米のみに触れてきた人は全く視界に入らないバンドだったに違いない。
今回取り上げる彼らのサードアルバム『ロイヤル・ベッド・バウンサー』に収録された『ライフ・オブ・ゴールド』は非常にメロディックな美しい楽曲で、最初期のフレディー・マーキュリーのピアノ曲に相通ずるものを感じたりもする。
ニューロックからグラムロックに移行し、その衰退とともに複雑な変拍子に象徴される10分超えが当たり前なプロブレシッブ・ロックが最盛期を迎えるが、その反動からか?よりメロディックでポップな方向性を探るグループもその一群から萌芽し出した。筆者は勝手にカヤックをその中に放り込みこの時期(1975年前後)頻繁に聴いていた。
今回、データー処理仕事の真っ最中にその名が目に飛び込んできて、数十年も聞いていなかったこの『ライフ・オブ・ゴールド』が頭の中で響き出した。そうしたら、周辺の楽曲も一斉に記憶に蘇り、とうとう人生二度目の『ロイヤル・ベッド・バウンサー』購入という行動に出てしまった訳だ。果たして何時になったら本格的な断捨離モードに突入できるのだろうか?(苦笑/se)
黄昏ミュージックvol.49 タウン・ウィズアウト・ピティ(『非情の町』)/ジーン・ピットニー
“ムード歌謡”の歴史を紐解いて行く中で、希有なアレンジメントを施した楽曲に巡り合ったという話を前回記したが、要約すれば、そのジャンルの王道のようなシンガーが、90’sのロンドンを先取りしたという希少性にフォーカスした訳だ。
さて、今回は続編と云うか、“ロック”以前のポピュラーソングを探って行く中で、たまたま出てきたムード歌謡的楽曲に擦れてみたいと思う。
これに関して前回同様、自然発生的に出来上がったものだし、主人公のジーン・ピットニー自体が東の果ての異種交配音楽を知っているはずもなく、“ムード歌謡”というジャンルでゴリ押しするより、“外連味たっぷりな楽曲”という曖昧な言い回しで濁してた方がかえって曲の本質を付いているのかもしれない。
ジーン・ピットニーが日本にその名を知られたのは、多分、飯田久彦がカバーし1962年に大ヒットした、『ルイジアナ・ママ』の作者としてだろう(因みに日本語詞を書いたのは、漣健児こと後のシンコーミュージック・エンタテイメント元会長の草野昌一氏)
本国では残念ながら同曲はヒットに至らず、続く今回取り上げる、『タウン・ウィズアウト・ピティ』から彼の快進撃は始まる。この楽曲は1961年のゴットフリート・ラインハルト監督作品『非常の町』タイトルソングとしても知られ、1988年のジョン・ウォーターズ監督作品『ヘアスプレー』でも再度脚光を浴びるように、非常に映像的作品でもある。故にその辺り抜かりないブライアン・セッツァーが在籍したネオロカビリーバンド、ストレイ・キャッツも良質なカバーを残している。
夜の帳が下りる頃、街にかすかに溢れるその艶っぽい歌声。正に大人の夜の音楽だ(se)
黄昏ミュージックvol.48 南国の夜/黒木憲
当然であるが、大滝詠一さんはやはり凄い人で、ミュージシャンだけに留まらず、我が国の大衆音楽の研究家としても多くのラジオ番組を残している。中でも世界随一と言ってもいいユニークな異種交配音楽“ムード歌謡”に関する造詣はリスナーの探究心にも火を付ける程興味深いもので、このジャンル門外漢の筆者にも新たな知の扉を開いて頂いた。
大瀧氏のロジックをお借りするならその萌芽には大作曲家、服部良一のブルース、ジャズへの傾倒、そして、もう一方の雄、古賀政男のギターミュージック、中でもスペインの大御所ギタリスト、アンドレス・セゴビアやアルゼンチンのアントニオ・シノポリ等ラテン音楽への傾倒が見逃せない。この芽を大きな大輪として咲かせたのがフランク永井、松尾和子、和田弘とマヒナスターズ等を配する作曲家、吉田正で、マヒナスターズでも明らかなようにハワイアンの大流行、そして来日し一大ブームを巻き起こしたトリオ・ロス・パンチョスのファルセットボイスを生かした美しいハーモニー、レキントンギターの絶妙なアンサンブルとここでも舶来品が一大トリガーとなったようだ。
そんな道程を辿る中で発見した傑作が今回紹介する「南国の夜」。日野てる子、石原裕次郎、渚ゆう子、西田佐知子と多くの歌手にカバーされ、我が国ではマイナーチューン・ハワイアンの名作として認知されているようだが、実際は映画「トロピカル・ホリデイ」の挿入歌で、ニューオリンズ出身の女優ドロシー・ラムーアの歌唱がオリジナル、作曲はメキシコ人のアグスティン・ララ。やはりここでもラテンの無意識な導入が行こなわれている。
さて、『霧にむせぶ夜』の大ヒットをもつ歌手、黒木憲ヴァージョン(作詞は和製ハワイアンのパイオニア大橋節夫)だが、こちらはジャズファンクなアレンジに大きく振り切っており、ビブラフォン、フルート、そして、かなり不協の領域に踏み込んだ強いテンションのピアノに、外連味たっぷりな黒木の艶っぽいボイスが重なり、これはもうアシットジャズと云ってもいい出来栄え。
常套句としてよく使われる“早すぎた○○”なんてフレーズがあるが、これこそ正に早すぎた「アシッド・ムード歌謡」なのだ(se)
※音源の入手はまず不可能なので、現実的にはYouTubeでのご視聴をお勧めする。
黄昏ミュージックvol.47 ターザン・ボーイ/バルティモラ
1985年リリースなので実に35年ぶりにその楽曲名及び全容が筆者に執って判明したヒットチューンが先日あった。
ヒットチューンと云うのだから非常に有名な曲なのだが、筆者の中で長年謎に包まれた理由として“ワン・ヒット・ワンダー”(一発屋)という濃い霧に包まれていたのがその原因だった。
イタロディスコの萌芽とも云える楽曲なのだが、本国イタリアではパッとせず、まずはフランスで火が付き、ユーロ圏に飛び火。そして、英語楽曲の狙いどうりイギリスで大ブレークを果たした。その後、アメリカでも大きなセールスを重ね、1年後の1986年に日本をも席巻した。
まあ、ザックリ聴けば、一連の“お手軽ディスコ”に括られてしまう代物だし、ボーカルのジミー・マックシェーンはパーフォーマンスの際は口パクらしく、実際のレコーディング音源は作曲者でキーボード担当のマウリツィオ・バッシの歌唱という説もあるほどのキワモノ感満載のグループ、バルティモラの最初で最後の世界規模のヒットチューンでは、その印象的なタイトルと結びついたリフレイン以外、忘却の彼方に消え去ってしまっても仕方ない。
だが、筆者の脳裏に長年こびりついた早すぎたミレニアル・フープは、楽曲に生命力を与えるには十分で、アメリカではリステリンのテレビCM、映画「ニンジャ・タートルズ3」のサウンドトラックと2度の再生をしているし、実は日本でも、2007年あたりの香取慎吾出演「アサヒ本生ドラフト」のCMで再生したらしいが、長くノーTV生活を送っている筆者には知るよしもなかった。
よく整理できたコンポーズと優れたアレンジは、1995年にエイズで亡くなった主要メンバー、ジミー・マックシェーンの意思を継ぐかのようにゲイ・コミュニティ向け飲料「ゲイフューエル」公式ソングとして今なお力強く生き続けている。(se)
黄昏ミュージックvol.46 ロス・カナリアス/ルディ・デ・アンダ
筆者がいきなり他人から「好きな音楽は?」とザックリ訊かれれば、ソウル、レゲエ、ラテン、ジャズ、アフロ、ヒップホップなんてものを連呼しその場を濁すと思うのだが、この正にザックリ好きなジャンルに、テクノやらネオアコ、ヴィンテージポップスなどをプラスアルファしたレーベルがニューヨーク、ブルックリンに現存している。ビッククラウン・レコードがそれだ。
勿論、このレーベルのチェックは継続しているのだが、レーベルの顔たる、ボビー・オローサを以前紹介してしまったので、今回は同様の音楽エキスを内包し、更に、レアグルーブ、ファンクとアーシーな方向に振った、オハイオ州ラブランドに拠点を置くコールマイン・レコードから選りすぐりの1曲を紹介しようと思う。
「ロス・カナリアス/ルディ・デ・アンダ」。
ヴィンテージポップス・フレーバー満載のこの曲だが、前述した2レーベルのバックボーンに流れる、ローライダー文化にぴったり寄り添っていたチカーノソウル色も色濃く反映されており、その萌芽期を感じさせるために、敢えてひずましたり、濁らせたりするローファイ感覚の楽器音はクルアンビンにも共通する時代の匂い。
コールマイン・レコードを掘り下げる旅はまだまだ続く(se)
2020.11.20fri -2021.1月下旬「地球最古の生命体 〜ブリッスルコーンパインとギアナ高地〜」佐藤秀明写真展
「地球最古の生命体 〜ブリッスルコーンパインとギアナ高地〜」 佐藤秀明写真展
2020.11.20 fri -2020.1月下旬
月~木 11:00-20:00(L.O.19:00)
金 11:00-23:00(L.O.22:00)
土 16:00-23:00(L.O.22:00)
※日曜日休み
バータイム(18時~)以前にギャラリーへ来場された方にはコーヒーサービスがございます。
※COVID-19の感染状況に伴い営業時間および会期が変更になる場合がございます。来場の際は下記URLをご確認の上お越しください。
https://adan-radio.com/kibou/
黄昏ミュージックvol.45 真夏の出来事/平山三紀
ザックリ日本の歌謡曲の源流と云えば、古賀政男と服部良一に行き着くのが普通なのだが、こと舶来語である“ヒットメーカー”と云う称号にふさわしいのは誰だ?と訊かれれば、私は迷わず筒美京平と答える。
その昭和のヒットメーカーが先頃天に召された。
年表を紐解くと初めてその楽曲に触れたのはどうやら幼少時のアニメソング『おれは怪物くんだ』(1968年)と云うことになるらしいが、流石にその時点では筒美京平という作曲家の名前はわたしの脳裏に擦り込まれずにいた。
さらに辿って行くと、同年のメガヒット、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』、そしてブーム最盛期のGS、オックスの『スワンの涙』と云うことを知る。
70年代になるとその洋楽フレーバー溢れる国産ポップスがいよいよヒットチャートを席巻する。
『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)、『さらば恋人』(堺正章)、『17才』(南沙織)、『芽ばえ』(麻丘めぐみ)他多数。
そんな中から衝撃のハスキーヴォイスをひっさげ、楽曲との最上の互換性で登場したのが平山三紀だ。
デビュー曲『ビューティフル・ヨコハマ』で既にその存在を不動のものにしていた平山であったが、続く『真夏の出来事』が大ヒット。ここでお茶の間まで届くヴィーバとなったのだった。
過去のどこか演歌臭漂う和製ポップスとは一線を画すその音楽世界は筆者を一撃でノックアウト。未だ忘れえぬ名曲として記憶にとどめている。
平山と声紋はまるで違うが、当時国民的アイドルであった岡崎友紀との相性も特出していた。
『天使はこうして生まれるの』、『黄色い船』、『私は忘れない』などのヒット曲、さらに彼女主演のソフトコメディードラマ『ママはライバル』の主題歌もそのドラマの軽みを支えるに十分な楽曲だった。
長年お疲れ様でした。そして安らかに。(se)
黄昏ミュージックvol.44 落ち葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド
こんなに秋の訪れを待ち望んだ夏もそうそうない。
猛暑とマスクはどうみてもミスマッチなのだ。
そんなやっと訪れた秋に、季節感全開の楽曲を今回はピックアップした。
今や、ガレージロック・リバイバル・ムーブメントの代表格ザ・ストロークスのギタリスト、アルバート・ハモンドJr.の父親と言った方が通りがいいのだろうか?空前のメガヒット「カリフォルニアの青い空」で知られるイギリス人シンガーソングライター、アルバート・ハモンドの秀曲「落ち葉のコンチェルト」。
この時代の洋楽シングルはなかなか香ばしい日本タイトルが付けられていて、それはそれで捨てがたいので、例外として今回は全て邦題で通させてもらうが、実は原題は、某宗教法人のキャッチフレーズとほぼ同意で、街角の所々で見られる例の“あれ”なのだ。
しかし、日本語の持つ磁力なのか、京都嵐山辺りが色付くその場で流れたら強い互換性が生まれる代物なのである。
なんだか、ハモンド氏をちゃかすようにも受け取られかねない逸話で埋まってしまったので、氏のソングライターとしての輝かしい業績を記して本項は終ろう。
「ザ・エアー・ザッツ・アイ・ブレース/ホリーズ」、「ウェン・アイ・ニード・ユー/レオ・セイヤー」、「アイ・ニーズ・トゥ・ビー・イン・ラブ/カーペンターズ」他多数(se)