前回の続編と云うか?忘れさられたヒットチューンを今回も紹介しようと思うのだが、この曲に関しては前回より全米でのチャートアクションは派手であったし、スピナーズ、ニーナ・シモンなど大物がカバーしていることを鑑みると、“日本で忘れ去られた洋楽ヒット”と理解していただいた方がすんなりくるだろう。
今回の主人公、ファイヴ・ステアステップスはシカゴ出身のファミリー・グループで、かのジャクソン5の形態の先鞭をつけたグループとも云える。
デビューもカーティス・メイフィールドのウィンディー・シティー・レコードと、なかなかの船出だったが、キャリアを俄然光あるものに変えたのは、名門ブッダ・レコーズ移籍後で、ビートルズのカバー曲「ディア・プルーデンス」のB面として、本作「ウー・チャイルド」をリリース。ラジオDJ達のハードローテもありビルボード・Hot100で最高位8位にまで駆け上ったのだった。
昨今の世界的な情勢不安もあり、筆者の現場での選曲も、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」、カーティス・メーフィールドの「バック・トゥ・ザ・ワールド」からの選曲が増えているが、本作もベトナム戦争激しき頃のチューン。困難な世相、未来を託す子供達への平和のメッセージとしてついつい数多く選曲してしまう名曲なのだ。(se)
投稿者: adanendo
黄昏ミュージックvol.65 イッツ・レイニング/ダーツ
先日、通称『サルパラナイト』が熊本からその主、吉村実幸氏をお迎えし賑々しく行われた。昔、南青山にあった伝説の音楽酒場『サル・パラダイス』は吉村氏の音楽マニア体質に合わすように他のクラブとは一線を画すDJたちが集った。中でも印象深いのが当時専業ミュージシャンの松竹谷清氏(ex.トマトス)。今回は残念ながら招待できなかったが、清氏は皆が忘れていた小ヒットを発掘するのが非常に上手であった。そんなことを思い浮かべながら浮上したのが今回の上記楽曲だ。
少々強引だが、イギリスのシャ・ナ・ナと云えるドゥーワップやオールドR&Bをリメイクする70年代に活躍したバンドがダーツであった。
本作、『イッツ・レイニング』は、かの『スタンド・バイ・ミー』を彷彿させるミッドテンポなリズムプロダトで、メロディックなコーラスワークが売り物の秀作。メンバーのほとんどを白人が占める所以の効用か?ナチュラルにブルー・アイド・ソウル感がにじみ出ているところが正当でないがゆえの不思議な魅力を感じるのは筆者だけだろうか?(se)
黄昏ミュージックvol.64 ウェイフェイング・ストレンジャー/ジェリー・リード
連載も回を重ねるうちに“黄昏”と云う主題から離れ、生がけの現場日記となりつつあるが、今回は正に、「黄昏ミュージック」にふさわしい、憂い深き人生の書(詩ではなく敢えてそう記す)を前面に押し出した、ゴスペル前夜のアメリカの宗教曲『ウェイフェイング・ストレンジャー』を取り上げる。
この曲はアメリカの国民的楽曲であるため、多くのシンガー、バンドが演奏しているが(ジョニー・キャッシュ版も筆者は非常に好きだ)ギター神、チェット・アトキンスに見出され世に出た名手ジェリー・リード版を“推し”とさせてもらう。
とにかくこの楽曲は尺以上に展開が目まぐるしい。長い美しき音色のアコースティック・ギターのゆったりとしたイントロダクションに始まり、雄雄しきヴォーカルが思い入れたっぷり憂いを詠う。やがてバンドサウンドに移行すると、リズムセクションが構築するサンバ風ジャズにハモンドオルガンが輪郭を包み込み、最終局面では、プレ・ジョージ・ベンソン奏法ともいえるギター&スキャットで余韻を深く残しフェイドアウトしてゆく。
これが3分半の間に一切の強引さを感じさせず展開するのだから、いかに彼が天才ミュージシャンであったかを再確認させてくれる作品でもあるのだ。
俳優としても一定の成功を収めた彼は約束の地テネシー州ナッシュヴィルで2008年9月1日に静かに息を引き取った。(se)
2022/5/13.14.15.28「ONE LOVE スペシャルウィークエンド+1」@渋谷/希望開催に向けて。
人生の多くは二十代で学ぶ。それ以降のたいていは、その焼き回しにすぎない。
1981年、私はクーリーズクリークというもぐり酒場でインチキなバーテンをやっていた。
まだ二十代。
その年の五月にボブマーリーが亡くなった。クーリーに駆けつけた仲間たちと、その日朝までボブの曲で踊った。
それほど熱狂的なレゲエファンでなかった私も、ラスタカラーのハチマキを締めて、気がついたらタイシタ美女とノーウーマンノークライをチークしていた。
おかげで彼女と結婚することになったけれど半年で離婚してしまった。
ひどいダメ男だった。
先日あるパーティーで久しぶりに彼女に会ったら、ちっとも変わっていなくて驚いた。あの日から四十年も経っているというのに。
私はもうすぐ七十歳だ。あの日朝まで踊った仲間たちの半数はもうこの世にいない。
長いこと私はボブマーリーを聴いていなかった。
今年の五月には久しぶりにボブマーリーを聴いてみよう。
あの日朝まで踊った仲間たちに会いにいこう。
ジャミンはもう踊れないかも。
海の向こうで戦争が始まった。
おろかな人間。
川内一作
イベント詳細↓↓↓↓↓↓
2022/5/13.14.15
2022/5/13.28
2022/5/28(土)ONE LOVEスペシャルウィークエンド+1 VOL.2 「ワンラブ・ライブ~what’s going on.どないなっとんねん~」Live:ゴトウゆうぞう
2022/5/28(土)「ワンラブ・ライブ~what’s going on.どないなっとんねん~」
Live:ゴトウゆうぞう
スペシャルゲスト:林家きく姫
DJ:佐藤こうき
ミュージックチャージ:無料(ご飲食代金のみかかります)
ゴトウゆうぞう/プロフィール
ミュージシャン、エンターティナー、サウンドプロデューサー&博愛主義者!!
徳島生まれ、京都産業大学軽音楽部卒、京都市左京区在住。1970年代中頃、関西BLUESムーブメントにあこがれ上洛!!1979年に、ヤマハ「8.8ロックデイ」ロックコンテストにて、優秀バンド賞に輝きデビュウ。以来、様々な楽器、スタイルで、塩次伸二、クンチョー、河内家菊水丸、憂歌団、上田正樹、上々台颱、初代・桜川唯丸、ネーネーズ、知名定男、ディアマンテス、大島保克、大工哲弘、照屋林助、登川誠仁、西岡恭蔵、三波春夫、都はるみ……等々等々、大量のレコーディング、ツアー、セッションに参加。(だいたい出会った(演った)順。
現在、日本最古のライヴ・ハウス「拾得」で、毎月10日、マンスリー・ライヴ「ゴトウゆうぞうshow(※)」を中心に、あっちゃコッチャで独自にBand活動、ソロ活動をやっております。
※ 8人編成の大バンドです。2006年~ロング・ラン公演中。
☆ 毎月(不定期)KBS京都ラジオPM5:15~5:45
「レコード室からこんにちは」選曲(セレクター)&DJ担当
☆2000年より、沖縄音楽の第一人者、知名定男氏の「チナ・サダオ楽団」、「楽天ワールド太鼓」に在籍中。また、1985年より、ズっと、日本最大、最長を誇るBLUES&SOUL音楽の一大イベント
「JAPAN BLUES & SOUL CARNIVAL」の司会進行担当、なんと27周年!!
日本唯一のBLUES司会者と言われているのだ!! 近年は、ミュージシャンとしても出演。オープニング・アクトと、ラストセッションで「ジョニー・ウィンター氏」とも共演!!
林家きく姫/プロフィール
1970年5月8日生まれ。1987年、林家木久蔵、現木久扇に入門(当時16歳)2001年真打昇進。芸歴、今年で芸歴34年2000年から始まった東京都提供番組「東京サイト」は、今年、21年を迎える。お肉とお酒と人と喋るのが大好き。
ご予約:
TEL:03-5465-7577
希望オフィシャルインスタグラム:https://www.instagram.com/ergon_and_argos/?hl=ja
2022/5/13(金)ONE LOVEスペシャルウィークエンド+1 VOL.1 「ワンラブ・ライブ~陽はまた昇る~」Live:奈良大介
2022/5/13(金)「ワンラブ・ライブ~陽はまた昇る~」
Live:奈良大介
DJ:Sohmei Endoh
ミュージックチャージ:無料(ご飲食代金のみかかります)
奈良大介/プロフィール
1967年3月19日生。うお座。B型。
14歳の時、お年玉でフォークギターを買う。が、すぐに挫折。
音楽に興味を失いつつも、高校2年からバンドを始める。
20代前半にレゲェ、ボブマーリーの音楽と出会い、ずっぽりハマる。
この頃から、レゲェの根幹にあるラスタファリズムを考えの中心におく。
当然ナイヤビンギと出会い、太鼓に興味をもつと同時にDJEMBEに会う。
丁度、N.Yに滞在し、アフロアメリカンの人達の暮らしやアートに興味を持ち、アフリカ文化にずっぽりハマる。この頃から絵を表現の一端とする。
1996年~セネガル出身のマムドゥ・カンデ氏に師事。
1997年、PERC・A・HOLIC結成。打楽器集団として、都内各所、関西などで活動を続けるが2001年解散。
1999年、アフリカ、ギニア共和国へ渡り、ラミン・ロペス氏に師事する。
帰国後、東京ナンガデフ、MANDEN-FOLIなどのグループで活動する。
JAH K.S.K & JOMORE STARS、やっほーバンド、PJアコースティックスタイル、サヨコオトナラ、朝崎郁恵(奄美島唄)、マブリ、DOUNIYAH等で活動中。
また、ギターも再び弾き始め、思いを伝えるため、唄も歌い始める。
音楽の持つ不思議な力と、言葉の魔力を信じて、現在、ソロ活も進行中。
必要とあらば、何処へでも飛んで行きます。
また、全国で、DJEMBEのワークショップも開催。
黄昏ミュージックvol.63 狂い咲きフライデイナイト/タモリ
3月に早くも希望寄席の2回目が行われ、前回以上にソフト面はもとよりハード面も充実し、実に楽しい宴となった。
前回に引き続き、筆者は音響と客入れ客出しDJを担当したが、江戸前落語家のそれなりのクオリティーの楽曲と云うとかなり限られてくるので、この夜の音をかけるモチベーションとして、前回と被らない音源だったのが、浅草ジンタの『笑点のテーマ』。演者二人が長年レギューラーを張る林家木久扇一門と云うことも加味してのセレクション。このパンキッシュでスカがかった解釈は高速テンポと相まって実に痛快なのである。
そしてこちらも噺家のもではないが、今回の主題、お笑いタレントの大御所、タモリの4枚目のアルバムから『狂い咲きフライデイナイト』を使わせてもらった。
同曲はシングル盤にもなりB面の『スタンダード・ウィスキー・ボンボン』共にサザンオールスターズの桑田佳祐作詞作曲で発売当時は話題的には大きな反響があった楽曲だ。
曲の構造としては、後発ながら小ヒットした『アミダばばあの唄/明石家さんま』と同傾向の歌謡ジャズブルースといったところで、桑田作品の一翼を担う“あれ”だ。
この曲を選んだ最大の理由は、他の芸人の追従を許さないタモリの音楽の高い理解度。そして、自身の番組『今夜は最高!』同様にJフュージョン界の手練を揃えた安定したバンドの演奏に尽きる (se)
3月31日(木)~6月7日(火) 沢田としき作品展VOL.2 〜LOVE AND RESPECT ALL LIFE〜
沢田としき作品展VOL.2
3月31日(木)~6月7日(火)
11時~23時
※土・日は17:00までにご覧ください。
※会期中イベントなどで貸し切りの場合がありますのでご確認ください▶︎▶︎▶︎▶︎希望オフィシャルインスタグラム
※水曜休廊
沢田としき(TOSHIKI SAWADA)/
1959年青森県生まれ。
阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。青林堂「ガロ」で漫画作品を発表。長友啓典、黒田征太郎主宰のデザイン会社K2を経て独立。雑誌広告、イラストレーション、コミックス、絵本、芝居や映画のチラシ・ポスター、ステージ美術、ライブペインティングなど幅広く活躍し、各地で展覧会を開催。
1990年、初の画集「Pink&Blue」(ビクターエンタテイメント)を出版。1996年、絵本「アフリカの音」(講談社)で日本絵本賞、「てではなそうきらきら」(小学館)で第8回日本絵本賞読者賞を受賞。2007年、「ピリカ、おかあさんへの旅」(福音館書店)で児童福祉文化賞受賞。「ほろづき」「土のふえ」「ちきゅうのうえで」「つきよのくじら」「エンザロ村のかまど」「みさき」など絵本作品のほかに、挿画を手がけた児童書も多い。また、「ぐるり」(ビレッジプレス)、「すばる」(集英社)、「おおきなポケット」(福音館書店)で表紙画を担当。月刊「PLAYBOY」(集英社インターナショナル)連載の「ピーター・バラカンブロードキャスターの音楽日記」でも挿絵を担当した。
音楽活動では、大塚まさじ「屋上のバンド」でサックスを、WALKTALK(砂川正和・柳田知子)でジェンベを演奏。西岡恭蔵、大塚まさじ、砂川正和、高坂一潮、渋谷毅、いとうたかお、亀渕友香ほか、洋楽のCDジャケットイラストも多く手がけた。
また、「KOBE*HEART」(神戸)、「神話の里フェスティバル」(高千穂)、「風の祭り」(いわき)でアートディレクターを、「風のがっこう」(常呂町)で美術教授を担当。国立病院・広島西医療センターで「ホスピタルアート」、アフリカ・ケニア「シャンダ・ドリーム・ライブラリー」アートワーク壁画を制作。
2010年4月27日、急性骨髄性白血病のため永眠。享年51歳。
「連載対談/『酔談』Second Season vol.4」ゲスト:ブルース・オズボーン氏 佳子・オズボーン氏 ホスト:河内一作
“酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
酔っているがゆえの無軌道さ、大胆さ、無責任さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
セカンドシーズンも軽快に3度の宴が開かれていた真っ最中に1世紀にあるかないかの世界規模のパンデミックというとんでもない事態に突入し、一作の生業である“飲食業”がその温床だと決め付けられ片翼だけの営業を長らく強いられてきた。
そんな中、“酔って語らうこと”のみをテーマにした当連載を行うことは対外的にも問題であり長らく休止としてきたが、ここにきてある程度、“ウィズコロナ”な生活も現実のものとなったこともあり、今回の再開に踏み切ったのである。
時期を同じくしてピークアウトを加速するかのようにアダングループの店舗を飾るビジュアルも素晴らしい写真群に一新された。そう、今回のゲストは、その作品の作者であり、アメリカ人ながら、かの“親子写真シリーズ”で国民的写真家にまで登りつめたブルース・オズボーン氏と、氏を二人三脚で支えるプロデューサー、佳子・オズボーン氏を迎え賑々しく再開の宴を泉岳寺「アダン」特別室にて開催!
実に約2年ぶりの酔談、慣らし運転も含め、まずは3者の出会いからオーソドックスにその幕は開いた。
(以下敬称略)
◇◆◇◆◇
河内一作(以下:一作):門井くん(カメラマン)がいないと思ったらまだ5時になってないんだね(笑)
ブルース・オズボーン(以下:ブルース):まだハッピーアワー??(笑)
一作:(進行にむかって)門井くんはやっぱり緊張してくるのかな?
ラジオアダン:そりゃ〜、同業の大先輩で著名なブルースさんがゲストですから、緊張もするのでは?
一作:ハハハハハ(笑)
佳子・オズボーン (以下:佳子)ハハハハハ(笑)
私たちの方が緊張していますよ(笑)
一作:今ブルースが着ている自作写真をプリントしたTシャツは売り物なの?
ブルース: United ArrowsのブランドCalifornia と surfers と BRUCE OSBORNのコラボでできたTシャツです。ネットでも買えますよ。
< HYPERLINK “https://shop.surfers.jp/” https://shop.surfers.jp/>
一作:俺の友人のアパレル社長もブルースの最新作でコラボしたいって言っていたな。
佳子:嬉しいですね。
ラジオアダン:では、そろそろ本題ということで。
やはり、一作さんとブルースさんは、霞町の最初の「クーリーズクリーク」で出会ったということなのでしょうか?
ブルース:それで合ってると思いますけど、私は80年に日本に住むようになりましたが、クーリーはいつから始まりましたか?
一作:ボブ・マーリーが亡くなる少し前にオープンした。
ラジオアダン:と言うことは、81年の春ですかね?
一作:そうなるのか?前年にジョン・レノンが亡くなったんだよな。
佳子:亡くなった人の年でいろいろ記憶してるの?(笑)
クーリーで発表する目的で制作したブルースの映像作品に「1982年 春」というのがあるんです。その映像の撮影は80か81年に始まっていたはずなので、その頃はすでに一作さんには会ってたんでしょうね。
ラジオアダン:では、上映会の前からブルースさんは頻繁にクーリーへ顔をお出しになっていたということですかね?
一作:その辺の記憶が曖昧なんだな〜。ブルースは誰かに連れて来られたりしたの?
佳子:ソニーの人だったかな?
ブルース:ソニーから複数のクリエーターにビデオカメラが支給され、皆それぞれに映像作品を撮るという企画があったんです。
一作:あっ、分かった!ビデオ・ギグの時だ!
ブルース:そうそう、毎週違う作家が交代で自作映像を上映するイベントです。
一作:そうそう、毎週水曜日にソニープレゼンツの「ウェンズデイ・ビデオ・ギグ」って企画があって。女性の方が担当してくれて、……、
ブルース:多分、石井(宏枝)さんだね。
その前からクーリーには行っていたんだけど、“関わり”ができたのは、ビデオ・ギグがきっかけだったはず。
一作:あの頃のソニーだから仕様はまだ、……、……、
ブルース:ベーター。
一作:そうベーター。懐かしいね(笑)
佳子:機材もまだ大きかった時代ですね(笑)
ブルース・オズボーン
一作: ブルースの作品は、この前一緒に見たキンズトーンズが出ているやつだよね?
ブルース:そうです。いたるところに移動型の鳥居を持ち込んで撮影をしたんです。
キンズトーンズはレコードジャケットの写真を撮る仕事で知り合いになって、その後ビデオ撮影の企画を話したら快く引き受けてくれたんです。
ラジオアダン:すいません、私はまだその作品を未見なのですが、移動型の鳥居とはいったいどんなものなのでしょうか?
ブルース:映画の大道具さんに頼んで大きな鳥居を組み立て式に作ってもらったんです。その鳥居を車に積んで、ビルの屋上とか原宿の歩行者天国とか、あとビーチとか夢の島とかいろんなところに運び込んで、そこの風景や人を撮影するんです。
ラジオアダン:へ〜!凄いアイディアですね!
その映像作品は今でも見れるのですか?
ブルース:私のオフィシャルサイトから視聴可能です。
<https://bruceosborn.com/video/>
ラジオアダン:本日パソコン持参ですので対談が終わり次第見てみます。
一作:あのビーチはどこだったの?
ブルース:鎌倉です。
一作:でも住まいはまだ東京、浅草時代だよね?
ブルース:そうです。泰ちゃん(横山泰介/日本を代表するサーフィン写真家)がアシスタントをしてくれていた時代(笑)
ラジオアダン:ええ??あの泰介さんがブルースさんのアシスタントをしていたのですか?
佳子:実は、ブルースが来日して最初のアシスタントが泰ちゃんなんです。
ラジオアダン:言われてみれば気が合いそうですね。
一作:でも、湘南に行けばアシスタントの泰ちゃんの方が有名(笑)
ブルース:泰ちゃんはサーファーとしては既に有名人だったからね(笑)
ラジオアダン:今、一作さんが話されましたが、前からお訊きしたかったのですが、来日後、なぜ直ぐに東京で最もディープな浅草という地を住まいにされたのですか?
ブルース:偶然の成り行きかな! 友達もいっぱいできて楽しかった。5年くらい住んだよ。
ラジオアダン:アメリカの方が浅草を選んだセンスに私は驚愕なのですが、なぜゆえ?
ブルース:いや、浅草のことはそんなに知らなかったんです。ただ「スタジオが欲しい!」という欲求を最優先した結果、浅草に行き着いたっていう感じかな(苦笑)
佳子:ブルースとわたしが日本に引っ越して来る時に、
ラジオアダン:えっ?来日前に既にお二人は知り合いだったのですか?
佳子:ええ。
私が留学中のアメリカで知り合って、その後、私だけ日本に帰国し、2年後にブルースが来日する。一旦アメリカに戻って結婚してから、日本にしばらく住んで仕事をしようということになったんです。日本に住まいを探すにあたって、「カメラマンでスタジオがないなんて、馬を持っていないカウボーイと一緒だ!」って頑固に言い張って(笑)スタジオのスペースを探すしかなかったんです!
佳子・オズボーン
(ここで、本来のオンタイム。カメラマンの門井氏が登場。準備中に前出のビデオ作品『1982年 春』を軽く皆で視聴)
佳子:(キングトーンズ出演場面で)この場面は私たちが住んでいたマンションの屋上にキングトーンズに来ていただいて撮影したんです。
ブルース:安斎(肇)がまだSMSレコードデザイン室にいた頃で、彼が担当していたキンズトーンズの撮影を私に依頼してくれたことが出会うきっかけでした。
一作:安斎さんは「新世界」でライブやってなかったっけ?
ラジオアダン:やってます、やってます。私の記憶ですと、アーティスト集団が自作の楽器で演奏するOBANDOSと、クレイジーケンバンドのギタリスト小野瀬雅生さん等と組んだパンクバンドの二形態を覚えてます。特に後者での安斎さんのパフォーマンスは常軌を逸していて「負傷しないか!?」と、ヒヤヒヤしながら立ち会ったのを覚えています。
一作:そのバンド、平間(至/写真家)くんがベースじゃなかったっけ?
ラジオアダン:いやそれはまた別で、平間さんはディープパープルの完コピバンド、チープパープルでの新世界出演ですね(笑)
ブルース:ハハハハハ(笑)
実は私も、安斎と朝倉(世界一)とユニットを組んでいたことがあるんです。
佳子:安斎のAと朝倉のA、そしてオズボーンのOで、“ A・A・O(エイ・エイ・オー)”というユニット名で展覧会を開いたりしてました。
一作:ところで、浅草はどの辺りに住んでいたの?
ブルース:鷲神社の裏です。
一作:そんな所に住んでたんだ。
あの頃の浅草はガラガラな時期でしょ?
佳子:そうですね。今風なおしゃれな街とはかけ離れてましたね。
ブルースがロスの出身で、私も田舎出身だから、近所と至近距離で生活する習慣がなかったんです。 来日当初は、ホームパーティーを開いて大騒ぎしては、お隣さんから苦情がきて、たびたび謝りに行ったりしてました(笑)
一作:ガハハハハ(爆笑)
そこはスタジオと住まいを兼ねていたの?
ブルース:そうです。
佳子:当時、私は照明デザインの仕事をしていたんです。その関連会社の方が、「うちのビルの4階と5階が空いているから使っていいよ」と言ってくれたんです。4階をスタジオにして5階が住居というブルースにとっては望み通りの場所が浅草に見つかったのが浅草に住むことになった理由です。
ラジオアダン:そういえば一作さんも在千束時代があったとか?
一作:仕事を全部やめて、放浪してた頃ね(苦笑)
ブルース:それはいつ頃のことですか?
一作:そんなに昔じゃないよ。
30年くらい前になるのかな?「Cay」を立ち上げた後だから。
ブルース:丁度すれ違いになっていたんですね。
一作:千束の双葉旅館っていう一泊3000円の所に暫く住んでいた(笑)
千束も奥の方だから観光客もいないし、あの辺の飲み屋をはしごするのが楽しかったな〜。
佳子:うまくタイミングが合っていたらご近所だったんですね(笑)
偶然のなり行きのように浅草に住むようになったんですけど、今考えると、ブルースにとっては日本に住み始める場所としては凄くラッキーだったんだと思います。
ブルース:麻布や六本木に住んでいる友人には、「浅草??あんな所、東京じゃないよ!」なんてよく言われていたけどね(笑)
一作:いやいや、それはおかしい。東京そのものでしょ。
ブルース:浅草在住で超個性的なクリエーター、バー「スティング」を経営していた片山(喜康)さんと、同じく浅草のことならなんでも知っていた「番所」のオーナー、山田(昇)さんと知り合いになって、浅草界隈を楽しんでました。
ラジオアダン:どちらもバーなんですか?
ブルース:「スティング」はバー。「番所」は 居酒屋 かな?
ラジオアダン:場所柄、お店で芸人さん等と遭遇したりしませんでしたか?
ブルース:その二人が芸人さんを沢山知っていたので、メディアには出ないような芸人さんにも沢山会って撮影する機会がありました。
佳子:早野凡平さんの写真を撮ったり。早野さんの師匠だったパン猪狩さん、百面相の波多野栄一さんやトロンボーンの……、
ブルース:ボン サイトさん。
佳子:今となっては非常に貴重な芸風の芸人さんに沢山会う機会があって映像や写真の撮影をさせていただきました。
一作:凄いよね!ロスからいきなり浅草で、そんなディープな芸人と遭遇するなんて。
ブルース:そんなことがきっかけで、当時「ブルータス」の(都築)響一さんが浅草芸人の特集を企画して一緒に仕事をしたり、
一作:響一さんとはその頃からもう知り合いだったんだ。
ブルース:うん。日本に来てかなり早い時期から知り合いでした。
「ブルータス」の仕事の窓口は、響一さんか森永(博志)さんのどちらかが多かったですね。
河内一作
◇◆◇◆◇
来日後、稀有な出会いが複数重になり約束の地、浅草へ。そしてその地の文化の最深部にまで導かれたブルース夫妻。
さて、今回、「アダン」で展示されているロサンゼルスの写真作品は70年代後半のものということだが、来日前のブルースは既に日本について一定の知識はあったのだろうか?そして佳子との出会いは?
◇◆◇◆◇
一作:(進行にむかって)実は俺も知らないんだけど、紋切り型を承知で一旦二人の出会いから仕切り直そうよ。
ラジオアダン:了解です。そうしましょう。
まず、佳子さんのお産まれは日本でいいのでしょうか?
佳子:そうです。
ラジオアダン:では、アメリカに留学されていた?
佳子:そうです。ロスへ。
一作:帰国子女だ。
ラジオアダン:当時はまだ日本人留学生は少なかったんじゃないですか?
佳子:そうですね、1ドル360円の時代で、今みたいには大勢はいませんでしたね。
目的としては、勿論、語学。あとはステンドグラスを学んでいて、
一作:佳子ちゃんはオノ・ヨーコさんの親戚じゃなかったっけ?
そんな話を昔聞いた気が、
佳子:違う違う(笑)
一作:ごめん、それは違う人か??(笑)
ラジオアダン:では一作さんの人違いということで、進めていいですね?(笑)
一作:はい、どうぞどうぞ(妙にすんなりと)
ラジオアダン: ブルースさんとどんな経緯でお知り合いになったのですか?
ブルース:当時、私が通っていた、ロサンゼルス・アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの友人で、福井(正允)という日本人留学生がいました。学校では、プロの写真家になってからの方がまだ楽なくらいに、写真を撮る宿題が毎週沢山あったんです。その宿題の一つとして、「若い男女のペア写真を撮る」というテーマがあって、正允からモデルに頼まれたことがきっかけですね。会った時は佳子自身が留学期間と決めていた2年が既に過ぎようとしていた時期。
ラジオアダン:いきなり現在のライフワーク「親子写真」を予見するような撮影現場での出会いだったんですね。
ブルース、佳子:ハハハハハ(笑)
ブルース:本当は1週間後には日本に帰る予定だったけど、実際は3ヶ月延長しちゃったね。
佳子:そうだったね。
でも、「帰国するって親と約束したから、やっぱり帰るね」ということでやむなく帰国しちゃったんです。
ブルース:ロスに残された私は、学校卒業後に日本へ行き佳子と再会することは心に決めていましたが、実際はというと、なぜかロスからロンドンに向かって出発。その後、フランス、ドイツ、スイス、ギリシャとヨーロッパ各国を車で周り、そのあとはバックパックでインドを経由し日本へ到着。佳子と会ったのは実に2年ぶりでした。
佳子:東京での再会後、私の実家がある甲府に行って。
その頃、仕事の関係もあって私は東京〜甲府の二重生活を送っていたんです。
ラジオアダン:例の照明のお仕事?
佳子:ええ、でも工房は甲府にあったんです。
実家はブドウの農園をして、その昔にはワインも作っていたので、大きな酒蔵があったんです。工房は以前酒蔵だった建物。そこで照明のデザインやステンドグラスを制作してました
一作:ハハハハハ(笑)
甲州ワインだね。
佳子:ワインが、今みたいにおしゃれなイメージになるずっと前のこと。
ブルース:ぶどう酒(笑)
一作:ハハハハハ(笑)
でも、あれはあれで美味いんだけどな。
ブルース:一升瓶でね(笑)
一作:そう。
それにしても今、甲州ワインは高いね。
佳子: 甲府出身の私でも甲州ワインにはなかなか手が出せない。
一作:高いけれどいいものはある。
佳子:私たちが浅草にいた頃は、実家から一升瓶に入ったマンズワインを送ってもらって飲んでたけど、甲州ワインも凄く進化しましたね。
ラジオアダン:甲州ワインもですが、お二人ともロス時代に美味しいカリフォルニアワインを沢山知っていたんでは?
佳子:ブルースは、ロサンゼルス・アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの前に、サンフランシスコの近くにあるストックトンという町にあるパシフィック大学に通っていたんです。近くにナパやローダイというワイナリーあって、
ブルース:今のワイナリーはテイスティングするだけでもお金がかかるけど、私がパシフィック大学に通っていた頃は無料でテイスティングができたんです。だから友人と車でワイナリーに行ってはワイナリーのはしごをしてた(笑)今では考えられない!
ラジオアダン:ワイナリーを倒産させる気ですか!?ハハハハハ(笑)
一作:ハハハハハ(笑)
昔は、「カリフォルニアワイン??」なんて言っていた時代もあったけど、今はヨーロッパを凌駕しているクオリティーのものも沢山ある。
ブルース:大きな山火事があったりして焼けてしまったワイナリーもあるね。 最近は南半球のワインが価格も含めて気に入ってますね。
ラジオアダン:ブルースさんは、そのストックトンの大学時代、そして、その後のアートスクール時代の佳子さんと出会う前から既に日本についての興味が他のアメリカの方たちより強かったのでしょうか?
ブルース:特に強い興味があった訳ではないですね。
アートスクールで親しくなった日本人の友人が二人いて、彼らが唯一の日本文化の情報網でした。今はアメリカ人の私が日本に住み、その友人二人はアメリカに住んでいる。面白いですね(笑)日本への興味が芽生えたのは佳子と会ったことかな?(笑)
ラジオアダン:きっかけはフォーリンラブですね(笑)了解しました(笑)
そうはいっても日本映画くらいは見ていたんじゃないですか?
ブルース:寅さん(『男はつらいよ』シリーズ)が好きでした。
一作:その辺の感覚が今のブルース作品にも大いに反映されているよね。
佳子:今でもブルースは寅さんが大好き。
日本に来て最初に住むことになったのが、寅さんの実家があった柴又のような下町の浅草だったり。たまたまとは云えご縁を感じますね。
一作:俺も寅さん大好きだから、フーテンを踏襲した生き方を未だにしています(笑)
ラジオアダン:小津、黒沢作品よりも山田作品が好きだった訳ですね。
ブルース:山田作品は海外の人たちも分かりやすいじゃないですか。あと伊丹十三監督の作品も好きでした。
一作:小津は日本のオリジナルだと思うけど、黒沢はハリウッド映画へのオマージュな部分が拭えないかな〜。
小津の人気は海外で特に高いね。
佳子:海外の人にとって小津さんの作品は「禅」に通じるような感じがあるのかな?
静けさっていうか、
一作:うん。
俺は寅さんも禅に通じるんだけどな〜(笑)だから今年のアダングループの年賀状も寅さん。
「寅さん語録」という書籍があって、そこから俺が抜粋して彼(進行)がイラストを描くという流れ(笑)
これから毎年それで行こうかと。
ラジオアダン:そうは言っても、結局、師走に一年を総括した別のイメージを一作さんは投げかけてくるんですよね。実際毎年そうだし(笑)
ブルース、佳子:ハハハハハ(笑)
ラジオアダン:一作さんとブルースさんはお歳はいくつ違うんでしたっけ?
一作:どうだっけ?俺は52年だから、
ブルース:私は50年だから先輩だ(笑)
一作:あんまり変わんないよ。一緒一緒。
ブルース:一作さんの方が微妙に日本語が上手かもね(笑)
一同:ガハハハハ(爆笑)
一作:よく言うよ!そりゃ〜そうでしょ!
ブルースにそう言われるとは思わなかった(笑)
一同:ガハハハハ(爆笑)
ラジオアダン:年齢をお訊きしたのは、この対談でよくヒッピーカルチャーとパンクムーブメントの対比の話になるのですが、今回の「アダン」のブルースさんの写真展示にもパンクムーブメントの影響が如実に感じるのです。
ブルース:パンクムーブメントの持つパワーに圧倒されたのは、世界一周の旅から一旦アメリカへ帰った時。山梨にはパンクはなかったからね(笑)
何かが動き出したって感じで、カルチャーショックでしたね。
一作:その頃は、西麻布でもパンクは萌芽程度で、東京全体なら無いに等しいよ。渋谷の「ナイロン100%」だってその後でしょ。
ブルース:当然、パンク、ニューウェーブ以前のことだと思いますが、一作さんが初めて見たライブは誰だったんですか?
一作:ベンチャーズ。
ラジオアダン:と言うことは、実家の方で見てるんですね。
一作:広島市民会館。
今のブルースの質問って外タレ限定のことでしょ?
ブルース:いや、国内アーティストも含めて。
一作:そうか、…、それでもやっぱりベンチャーズだな。
ブルースは誰だったの?
ブルース:中学の頃に友人のバンドは聴いていたけど、プロのミュージシャンを聴きに行ったのは高校生の時が初めてかな?ザ・バーズだった。
一作:やっぱりロサンゼルスの高校生は凄いね!
ラジオアダン:本場は違いますね!!
一同:ガハハハハ(爆笑)
ブルース:「ミスター・タンブリンマン」の大ヒットの後で、まだオリジナルメンバーでしたね。
ラジオアダン:と云うことは、当時のブルースさんは、ボブ・ディラン以降のフォークロックやヒッピーカルチャーがお好きだった訳ですね。
ブルース:あの時代は当然そうですね。
大学もサンフランシスコの近くでしたし。
ラジオアダン:一方、一作さんは自分の好みとはまったく別にヒッピーカルチャーを浴びてしまった?
一作:そうそう。
俺の場合、西海岸にいたブルースと違って東京へ来てからの話だから。
田舎時代は同じ剣道部の先輩が東京の美術系の大学に行った後に、「あの人アメリカでヒッピーやっとるらしいな」なんて云う温度感だから(笑)
ブルース、佳子:ハハハハハ(笑)
ブルース:一作さんは最初からパンクミュージックは面白かった?聴きやすかった?
一作:パンクは好きだったね。
ブルース:日本のパンクバンドで好きなバンドはありましたか?
一作:当時は日本のバンドをパンクとは思えなかったかな?ロンドンパンクではザ・クラッシュが好きだった。
ブルースはニューヨークのパンクシーンには興味はなかったの?例えばパンクシーンのルーツとも云えるルー・リード等にはどんなイメージを持っていたのかな?
ブルース:ルー・リードとは、付き合いにくそうかな。(笑)
一作、佳子:ガハハハハ(爆笑)
一作:そうか。おれはルー・リード好きなんだけどな〜。
ブルース: アンディ・ウォーホールの映画作品等に出ている人の弟で、ビクター・ヴォロノフという友人がいるんです。当然、ルー・リードのインサイド情報も入ってくる訳。ビクターの実家はロスにあったので、ルー・リードが遊びに来てピアノの弾き語りをしてくれたりした懐かしい思い出が彼には沢山あるらしいんですが、その彼が、「ルー・リードはあんまり友達が出来ないタイプみたいだよ」と言っていたんです。だから、「付き合いにくそう」っていうのはまず間違いないと想像しました(笑)
一作、佳子:ハハハハ(笑)
ブルース:とはいえ、最初のウォーホールのアートワークのアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」は購入したし間違いなくパンクでかっこいいし、正に名盤。
ラジオアダン:その頃ロサンジェルスに住んでいたアーティストはニューヨーク志向の人が多かったと聞いていますが?
ブルース:私の行っていたアートカレッジには、世界中からいろんな人種が集まっていましたけど、卒業後はニューヨークに行った人が確かに多かったです。が、私が目指したのは、ロスの更に西、“ゴー・ウェスト”(笑)。
ロンドン、フランス、そして最後は日本と、みんなとはちょっと向かう先が違ってました。
一作:ゴー・ウェストか(笑)
ブルース:日本のその頃のパンク、ニュー ウェーブシーンですと、フリクション、あとPhewが好きでしたね。同じパス・レコードの、グンジョーガクレヨン、突然段ボールも知ってますよ。
ラジオアダン:日本のバンドも詳しいですね!
ブルース: 彼らの撮影もしましたから(笑)
ラジオアダン:その辺りのバンドとお仕事をされていたのでしたら、一作さんも親しいs-kenさんともその時点でもう知り合っていますね。
ブルース:そうですね。
s-kenは前述した、浅草のバー「スティング」のオーナーだった片山さんに紹介してもらいました。
◇◆◇◆◇
ミュージシャン、音楽プロデューサー、そして編集者でもあるs-ken。この人物との出会いは、その後、ライフワークとなる素晴らしい作品群を生むトリガーとなる。
ことの起こりは、日本人が少し呆れた時に発する慣用句「親の顔が見てみたい」!?
◇◆◇◆◇
ラジオアダン:s-kenさんから以前聞いたのですが、ライフワークとも呼べる「親子写真シリーズ」は、s-ken責任編集のムック本「PINHEAD」(ピンヘッド)での掲載が記念すべき第1回目だったとか。
ブルース:そうでしたね。s-ken編集の「PINHEAD」。
ラジオアダン:お二人が出会った片山さんのバー「スティング」はポール・ニューマン主演の映画「スティング」から命名されたんですよね?
ブルース:いやあれはモハメド・アリの言葉から流用したはずですよ。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」(Float like a butterfly, sting like a bee.)から“sting” 。
ラジオアダン:常連のブルースさんがおっしゃるんですからそちらの説が正解みたいですね。
佳子: 「PINHEAD」全編のメインテーマは “パンク”だったんです。その中で巻頭のページをブルースが担当することになって、パンク代表として仲野(茂)くんが被写体だったんです。「パンクロッカーをポートレート風に撮ってもあまり面白くないな〜」とブルースはいろいろ思案していました。
ちょうど同じ頃、私たち夫婦が親になるタイミングと重なっていたんです。だから二人にとってのパーソナルなテーマが「親子」。
私が、「日本語に、『親の顔が見てみたい』という言葉があるんだけど」と言うとブルースが即座に 「そうだ! 茂を親といっしょに撮ろう!」と反応して、第1号の親子写真撮影が決定。
ラジオアダン:それが有名な仲野茂さんとお母さまの写真!?
ブルース:そうです。
先週も茂とママの写真を撮りました。二人の写真は5回目になりますね。
23歳の時が最初の撮影で今彼は62歳ですから40年の付き合いになります。
佳子: 「パンクの青年とお母さん」という構想は、s-kenにとっても予想外。非常に喜んでくれました。
一作:俺も親子写真のセッションしたかったんだけど、残念ながら子がいないからな〜。
ブルース:「PINHEAD」で撮影した中には、スクーターズの女性サクソフォーン・プレイヤー、ルーシーもいました。 いろんなことを試しながら、親子写真は今もシリーズとして継続しています。
前述した、クーリーでの映像作品「1982年 春」もその頃の作品ですね。
ラジオアダン: 話が飛躍しますが、上皇后美智子様は以前からブルースさんの親子写真シリーズを影ながら応援してくださっているとか?
佳子:そうなんです。新宿のオリンパスギャラリーで親子の写真展覧会をした時にも、会場に来てくださったんです。自宅に来てくださったこともあるんです。
一作: ブルースと佳子ちゃんと当時の美智子皇后陛下の3ショット写真をブルースが撮ったという。
ブルース:美智子様が私たちの自宅に来てくださった時は、家の前には沢山の警護の車両が並んで驚きました。
一作:えっ、あそこがそんな感じだったんだ。
佳子:美智子様のお名前は伏せたうえで、「今日は大切なお客様がいらっしゃるので、駐車場を少しの間空けていてください」 って、同じマンションの人たちにも前もってお願いしたりしました。
一作: 嬉しそうに言ったんでしょ?(笑)
佳子:そんなことないよ(笑)
ブルース:ちょっとこんな感じで(口角をあげる仕草/笑)
一作:(ブルースにむかって)でしょ!?(笑)
佳子: 前もっての打ち合わせもありました。
ラジオアダン:へ〜、大変ですね。
佳子: どうしたら失礼にならずに喜んでいただけるおもてなしができるかと二人で真剣に話しました。結論としては、「 いつも国民の声に耳を傾けてくださるお立場の美智子様への一番のおもてなしは、私たちがお話を伺う側になること 」ということでした。疎開時代の貴重なお話や、読書によって夢が育くまれた少女時代のお話等を伺うことができました。バレンタインデーの少し前だったので、こっそりチョコレートのお土産も用意しました。
ブルース:3人で撮った記念写真が家宝として残ってます。
一作:少し話は変わるけど、ブルースは21世紀美術館で展覧会をやったよね。 この前、金沢に行ってきたんだけど、あの街を歩いていると、宮澤正明さんの個展のポスターを見たり、意外と知り合いがなんやかんやとやってるんだよね。すごく、文化的な街だと改めて思った。
佳子:私たちも金沢では、地元の人たちから大事な日本の文化について色々教えて頂いたり美味しいものをいっぱいご馳走になったりと、素晴らしいおもてなしをしていただきました。浅草とは全然違うけど新しいものと古いものが素晴らしくバランスがとれている街ですね。
一作: 短期間の滞在だったけど、金沢の若者がカルチャーを求めていることがひしひし感じられて、「やれることで応援しよう」と思って。
例えば今、「アダン」に展示してもらっている「once upon a time in Los Angeles」の続編を金沢でもやるとかね。またいろいろ協力してよ。
ブルース:面白いことは大好きだから、勿論です。
佳子:楽しみ。
◇◆◇◆◇
酔いも回り会話の速度に拍車がかかる3者。
記憶のレイヤーを幾重にも重ね宴もやがて終焉を迎える。
一作、ブルース共に、既に世に問う作品を数多くものにしてきた二人だが、飽くなき者の性、最後の最後に新たな創作のフェーズに話が及ぶ。
◇◆◇◆◇
一作:漠然とした質問かもしれないけど、今後どんな活動を思い描いているのかな?
ブルース:当然、次に出会う興味あることを写真として表現していくことになるんだけど。親子写真シリーズは勿論、継続するとして、
一作:あのシリーズは今や絶対的なものだから。
ブルース:うん。
そうだな〜、……、一作さんの渋谷のお店「バー希望」で展示している(2月3日〜3月29日)ビーチコミングの作品ももっと掘り下げてゆきたいですね。
一作:ああ、ビーチに流れ着いたビーサンとかを主題にしたものね。
俺はブルースに、「あんまり精神世界の方向にいって欲しくない」って気持ちがあるんだよな。
ブルース: ここまで来たから、好きなことだけを楽しく撮ってゆきたい。
一作:ブルースの作品は人物を撮ったものが俺は好き。
俺は写真家ではないけれど、例えば、旅をして山や海の写真を撮って、「それを見せられてもても……」って思ってしまう自分がいるんだよ。「俺が撮ったって一緒やん」って(苦笑)
ブルースは写真の素晴らしい才能があるんだから人間を撮って欲しいんだよね。
佳子: その一瞬でないと見られない風景もあるし、なかなか行けないところに行って撮影した貴重な記録だったりが、私にとっての風景写真の魅力かな。
一作:勿論勿論、それは当然認めていますよ。
門井:ただの記録に止まっていては面白くないですよね。
一作:うん。
写真って今じゃん。その時をどう切り取るかということじゃん。絵ならいくらでも描けるけど、写真はその時その現場に作者がいたかどうかだから。
佳子:うん。
風景も人物も、カメラマンがそこで出会ったものしか記録として残らないというのは事実ですね。
一作:そこで大事なのはブルースが持っているような良質な切り口。ひつこいようだけど、どう切り取る(切り撮る)かでしょ?
佳子:ブルースがよく口にするのが 、“エンターテイメント” という言葉。写真を撮る時は勿論、その後どの写真を一枚選ぶかという時にも、自分自身と被写体の間に火花のように散った感性、“エンターテイメント” を凄く大切にしていると思います。
一作:うん。その要素も瞬間に迷いが生じたら薄いものになるよね。
ブルース:写真を撮る以前に大事なことは、まず、 “ギブ・アンド・テイク” の精神が大切なんだと思います。
一作:相手、被写体に与える訳?
ブルース:うん。
やはり、自分の心をオープンにしないと相手も開いてくれない。開いてくれないと撮れない。
一作:そうだ!
ブルース: 撮るためには、“取る(take)”ばかりではダメです。「まずは、“ギブ(give)”しないといけない」と自分に言い聞かせるようにしています。
ラジオアダン:素晴らしい考え方ですね!
一作:決まったね!!(笑)
一同:ガハハハハ(爆笑)
ブルース:普通、撮影という事柄は被写体がオン・ステージだと考えることが多いと思うのですが、私はカメラマンも同様にオン・ステージではないかと思っています。
まず自分というものを相手に伝えないと相手はリラックスできないじゃないですか。写真を撮る時は現場の皆を良い方向にリードしたい。私は本来シャイな性格ですが、撮影の時は、ある種のムードメイカーの役割かな。
一作:そうか、そこに持ってゆかないと撮れないということか。
ラジオアダン: 幼少期のブルースさんはシャイな子供だったんですか?
ブルース:……、(考え込む)
佳子:でも、結構おちゃめな子供だったって聞いてます。活発で、周りの人をあたふたさせてたって、
一同:ガハハハハ(爆笑)
佳子: 両親や周りの人に大切にされて育ったようで、ポジティブな性格。
私もブルースのそういうポジティブさには助けられています。
ラジオアダン:それだから、明るいムードメイカーにも難なくなれた訳ですね。
ブルース:それが、カメラがないとダメなんです。ミュージシャンにとっての楽器みたいなものですね。
ラジオアダン:そう云えば、一作さんも実はシャイな方ですよね?
一作:だから酒を飲むんじゃん!
一同:ガハハハハ(爆笑)
一作:酔っぱらわないと女性と口もきけない。
酔っぱらうとすぐ口説きに入る(笑)
一同:ガハハハハ(爆笑)
一作:「アダン」でのブルース常設展は半永久的に続けたいので長生きするためにお酒も控えるようにしま〜す(笑)
ブルース:「アダン」で展示できることは非常に嬉しいです。
佳子:一作さん、長生きしてくださいね(笑)
一作:今日は忙しい中ありがとうね。
ブルース、佳子:ごちそうさまでした!
◇◆◇◆◇
“ギブ・アンド・テイク”
わがままが当たり前なアーティストという職業の人物から発せられる言葉とは到底思えぬフェアな精神。
それを根元として流れ出、結実した像は、地球への慈愛としての、“Nature calls”に変容し、ウィンウィンな一瞬は、“once upon a time”に変異しやがて“永遠”となる。
再開した夢の酒宴、酔談。
今後もこの場所に訪れるゲストたちをブルース・オズボーンから生まれ出た“昔々〜once upon a time〜”が迎えてくれることだろう。
彼らがその作品から感じるものは“ギブ、それともテイク?
そんな先のことは誰も分からない。
なぜなら、人生の殆どの出来事なんて酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけだから。
とぅ・びー・こんてぃにゅーど
◇◆◇◆◇
@泉岳寺「アダン」
テキスト、進行:エンドウソウメイ
写真:門井朋
●今回のゲスト
ブルース・オズボーン/プロフィール
http://www.bruceosborn.com
1980年の写真展「LA Fantasies」をきっかけに、日本での活動を本格的開始。
コマーシャル写真家として数々の仕事を手がける一方、2003年に7月第4日曜日を「親子の日」にと提唱。「親子の日」のオリジネーターとしてソーシャルな事業にも関わる。インターネット初期の頃から双方向のTV番組のディレクターを担当するなど、写真家以外の活動も多く行ってきた。
「親子の日」の10周年記念に制作した映画「OYAKO」はベルリン国際映画祭(ifab)でベストドキュメンタリー賞を受賞。また写真を通じたソーシャルアクションが認められて「親子の日」 東久邇宮文化褒賞を授与。
葉山に移住後はビーチで見つけたプラゴミなどをモチーフにしたシリーズの撮影をスタート。タイトルはNature Calls!
【写真集、著書】
「親子」(デルボ出版)、「Oyako」(INKS INC. BOOKS)、「KAZOKU」(角川書店)、「ごめんなさい」(日本標準)、「反バンビ症候群」(ヒヨコ舎)、「異人都市東京」(シンコーミュージック)、「都市の遊び方」(新潮社)、「親馬鹿力」(岩崎書店)、「この国の環境」(清水弘文堂書店)、「OYAKO」(Sora Books)
佳子・オズボーン/プロフィール
ブルース・オズボーンのパートナーとして、またオズボーンの仕事のパートナーとして今まで数多くの展覧会やイベントなどを企画製作してきたプロデューサー。
2003年に発足した「親子の日」の代表者でもあり、オズボーンと共に「親子の日」のオリジネーター。 株式会社オゾンの代表取締役。今回発表した絵本「さんパピプペぽ」は、次女の由良・オズボーンとの初のコラボ作品。
http://www.intheozone.net
河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。
黄昏ミュージックvol.62 ヤクモ・ソウ/ウィル・ヴァン・ホーン
この楽曲が著名になったのは、はやり、2005年のジム・ジャームッシュ監督作品『ブロークン・フラワーズ』が切っ掛けだと思うが、ワールドミュージック全般を広く聴いてきた人達にとってはエチオ・ジャズのパイオニア、ムラトゥ・アスタトゥケはとっくの昔に著名人であり元祖クルアンビンとも云える哀愁の旋律を持つ『ヤクモ・ソウ』も既に名曲の扱いは受けてきた。
それが証拠に過去にもカヴァーが多く存在し、中でもフランスのバンド、セレナイツ・バンドのそれはジャズマナーを守った上質な出来栄えである。それと反し、まさにクルアンビン世代を象徴するヴァージョンが今回紹介するスティールギター奏者ウィル・ヴァン・ホーンのヴァージョンだ。
リバービーなギター単音はまるで和製ハワイアン箱バンのようにいなたさとかっこよさのギリギリを絶妙に彷徨い、ドラム、ベース以外の空間を一人で埋める際の和音の広がりもこれまた魅力。因みに彼はファミリーと云っていい程にクルアンビン近距離のミュージシャンである(se)