酔談vol.4 ゲスト:岩根愛氏 ホスト:河内一作

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
  酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回のゲストは、女流カメラマンとして確かなキャリアを誇り、更に近年では、ハワイ日系移民の古い集合写真と回転スリットカメラ、サーカットとの劇的な出会いから、ライフワークである“盆ダンス”を介し、福島~ハワイの太い人の繋がりからなる地下水脈をアートワークとして体現する岩根愛氏(以下敬称略)をお招きし、「酔談」第4回目として、泉岳寺「アダン」特別室にて緊急開宴!
 数日前に岩根愛、企画、出演のNHK:BSの番組『双葉盆唄ハワイへ行く ~福島 震災から6年~』放映の知らせを本人から受け、同番組視聴後、いてもたってもいられなくなった一作。週末には、渡布哇(ハワイ)が既に決まっている岩根愛に急遽連絡を入れ、多忙を縫ってのこの宴とあいなった。
 話題は勿論、盆ダンスを軸とした、お互いの約束の地、ハワイ日系人文化の深層部へ早々に向かった。

◇◆◇◆◇


河内一作(以下一作):実は6月くらいにこの酔談のゲストで愛ちゃんを呼ぼうと考えていたんだけど、先日、メールをもらって、NHK:BSの番組(『双葉盆唄ハワイへ行く ~福島 震災から6年~』)が進行していて、放映も間近だと知って。そして、またまたハワイへ旅立つんだもんね?

岩根愛(以下:愛):ええ、今週末から。

一作:なので、急遽本日来ていただいたという訳。

愛:さっき丁度、一作さんもよく知っているニック(加藤)さんとメールしていました(笑)

一作:番組や、一連の盆ダンスプロジェクトにもニックは関わっているの?

愛:番組には関わってはいないですけど、今回、最初にヒロに入るんで、ニックさんちに泊めてもらうんです。

一作:そうなんだね。
で、番組見ました。
おれ自宅にテレビがないから(笑)ダビングしてもらって見ました。非常にいい番組だった。
いつから始動したの?

愛:撮影は2015年から開始したんだけど、その時は、まだ最終のメディアが何になるか?はまったく先行き不透明で、

一作:それは誰が主導して?

愛:今回の制作会社のテレコムスタッフの岡部憲治社長、この方も新宿の飲み屋繋がりなんですけど(笑)、
以前より、飲み話でわたしのパノラマ写真のプロジェクトに興味を持ってくださっていました。

一作:へ~、そうなんだ(笑)


河内一作

愛:そんな関係なんでいつも夜しか会わないのに(笑)ある日、表参道を歩いていたらばったり会って、「たまには、お茶でもしますか?」て感じで雑談したんですけど、まだ、サーカット(回転スリットカメラ)も修理している時期で具体的な動きはまったくしていなかった。

一作:あの、一連のパノラマ写真、おれも好きだよ。いい写真だ。

愛:ありがとうございます。
そのとき、「この写真を題材に番組にしませんか?」と岡部さんが言ってくれて。
その後、カメラがやっと使えるようになってパノラマ写真を撮り出して、テレコムのプロデューサーの堀内史子さんがいろいろ企画をプレゼンしてくれたのですが、なかなか企画が通らなかった。そこに変化が起きたのが、わたし自身が福島県の人達との関わりを深くする中、2016年に双葉町の太鼓のチームの人達がマウイに遠征することからなんです。

一作:って、ことは双葉町の伝統芸能とハワイの盆ダンスの関連性に関する情報は、愛ちゃんは既に持っていたってこと?

愛:うぅ~むぅ、……、分かり難いですね。話を一旦戻しましょう(笑)
時系列に沿って話しますね。
わたしが盆ダンス(ハワイの盆踊り)にはまってハワイに通っていたのは一作さんもご存知ですよね?

一作:うん、知っていた。

愛:2011年の震災の後、春にマウイ太鼓という福島の盆唄を継いでいる人達が主人公のドキュメンタリー映画『100年の鼓動 〜ハワイに渡った福島太鼓〜』をたまたま見たんです。盆ダンスでフクシマオンドを生演奏で踊るシーンを見て、「そういえば、フクシマオンドの故郷って一体どこなんだろう?」と考えるようになりました。
皆もそうだったと思うのですけど、震災があった時、「一体、わたしはなにをすればいいのだろうか?」と凄く悩んだ訳です。只現状を撮りに行くという気持ちはわたしには全然起きなかった。
ずっと盆ダンスを追いかけていた盆ダンサーのわたしとしては(笑)ハワイに伝わったフクシマオンドを知ったとき、「この文脈の中からなら、わたしにもなにかやれることがあるかもしれない」と思って、その年の夏にマウイ太鼓に会いに行ったんです。

一作:そうか、そのころからもう動いていたんだね。

愛:そうです。
マウイの日系人って気持ちが熱い人達が多くて、震災すぐのその夏に、マウイ島の有志が「アロハ・イニシアチブ」という被災者支援のプログラムを立ち上げ、お金を集めて、東北から100人以上の人達を招き、3ヶ月間も、「ここで休んで下さい」という活動を行っていたんです。
ですから、マウイに着いたら、福島や東北の方々が沢山いた。その中には双葉郡から来た中高生も30人程含まれていて、現地の方々が、「マウイの盆踊りも経験してみない?」なんて感じで盆ダンスの会場に招かれていた。最初は隅っこで小さくなって佇んでいたんですが、フクシマオンドの演奏が始まった途端に、口々に、「これ知ってる!」と言い出し、輪の中に入り踊り出したんです。

一作:へ~、いい話だね。

愛:フクシマオンドの原曲は「相馬盆唄」で、双葉の子は皆知っているんです。
その光景、その瞬間が、わたしの中に未だ強烈に残っていて、盆唄というものがこの世代にまで浸透している福島という土壌が、東京育ちの自分にはある種羨ましいものだった。ハワイの盆ダンスって30曲以上の振り付けを皆が完璧に踊れてもの凄く盛り上がるのですが、100年以上前から伝わった盆唄がこんな形で伝えられていることも素晴らしいと思いました。
フクシマオンド、岩国音頭、あと沖縄音楽は生演奏なんです。

一作:大体が、東北と、中国地方、沖縄が移民の人達の出身地として多いから、

愛:そうなんですよね。
現在、マウイは彼等マウイ太鼓しか盆踊りの太鼓はやってなくて、フクシマオンドの生演奏が定番となっています。

一作:ヒロは、比較的、瀬戸内からの人達が多いよね。

愛:ええ、でもヒロも曲はフクシマオンドが多いですね。岩国音頭は、初盆の方のリクエストで歌う、ということもあるようです。
あまり大きな声では言えませんが、フクシマオンドはかつて“べっちょ踊り”と呼ばれていて、ヒロではかけ声にまだ残っています(笑)世界中でべっちょと唄っている人達はヒロにしかいないでしょうね(笑)

一作:べっちょってどういう意味?

愛:べっちょは女性器を意味します。

一作:福島弁になる訳?

愛:そうですね。
わたし、この話大好きで(笑)そこらじゅうで話しまくるんですけど、それを聞いている福島の人達に、いつも、「あんた、意味分かってるの!?」って心配される(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

愛:要は、盆踊りって、夏の男女の出会いの場でもあったし、昔はそういうナスティー(淫らな)なかけ声も多かった、

一作:沖縄で云うところの“毛遊び(もあしび)”だ。

愛:へ~、毛遊びもそういうことなんですか?

一作:うん。
祭で皆集まって、その辺(外)でラブしちゃうみたいな。

愛:成る程。
東北ですと、真夏の農閑期に皆が集まる。
やはりなんと言っても子孫繁栄って重要なことですから、そのための男女の出会いの場を作る。
でも、実は、ハワイでその辺の話をすると凄く嫌がられるんです。
オアフとマウイではべっちょは完全な禁句になっていて、残念ながら自身のルーツの黒歴史として認識されています。それはアニミズムとクリスチャン歴のせめぎあいの中での、現在の合衆国の州としてのハワイの意識なんでしょうね。
そんな形で淘汰されてゆく中で、ハワイ島のヒロ・ボンダンス・クラブの人達だけがべっちょをいうかけ声を伝承している。

一作:べっちょなんだから、それとは本来関係ないよな。


岩根愛氏

愛:ハワイの盆ダンスには、真珠湾攻撃を機に始まった戦争を経て苦労した先祖のことを敬うという、宗教仏教行事として神聖な側面もあって、まあ、夜這的なものが排除されたんでしょうね。

一作:クリスチャンとのせめぎあいって、フラでもそうだけど、一時、フラ禁止になったりもしたよね。正にそれはアメリカ文化の押しつけで、あの時期、古典フラは消滅の危機さえあった。そして、継承が途絶えるギリギリで始めたのがハワイ島のメリー・モナーク・フェスティバル。

愛:そうですね。
ハワイアンの唄も性的なものが結構ありますよね。

一作:あるある。
実際の聖地にもそういう場所があるし。

愛:本来アニミズムに則した文化には付きものですものね。
ただ、ハワイは、現在、アメリカなのでキリスト教文化の方が社会的に圧倒的に優位なので、その辺を無くしてゆく傾向にある。

一作:でも、愛ちゃんが傾倒する、盆ダンスと日系移民の人達がそこでクローズアップされ再度注目されるという、ハワイの持つ土壌がまずは面白いよね。

愛:そうなんです。
日本、フィリピン、ポルトガル、中国、韓国など、さまざまな国からやってきた移民のそれぞれの文化を尊重するところがハワイの最大の魅力ではないでしょうか。

一作:うん。同感。
おれはいろいろ旅をした後、最後の最後に行ったのがハワイだったんだ。
行く前は、「なんか軽~~いイメージの島だな…」なんて感じで、まるで興味がなかったんだけど、実際に行ってみると、今、愛ちゃんが話してくれた部分が非常に心地よかった。
『ファミリー・ツリー』なんて映画を見るとその印象が蘇るよ。あの作品でのジョージ・クルーニーは素晴らしいし、なんといっても音楽が最高。いきなりレイモンド・カーネがかかったり。あれだけローカルなハワイアンミュージックがガッツリ並ぶって、サントラでは珍しいよね。
ジョージ・クルーニーの役柄は王族の子孫で、先祖から引き継いだカウアイにある土地を売却する方向にあらかた決まっていた、……、だけど、最後は先祖の土地はやはり売らないと。まあ、そんな話なんだけど、これが結構ね……(苦笑)

愛:うん、……。

一作:前回に引き続き、また映画の話になっちゃったけど(苦笑)おれの中で、あの盆ダンスの番組は凄いヒットで、「やっぱり、岩根愛やるじゃん」って(笑)

愛:ハハハハハ(笑)
ありがとうございます。

◇◆◇◆◇

 伝統文化の衰退に関し、その主な要因が、アニミズムとキリスト教のせめぎあいという、正に文化人類学を彷彿させるハワイの壮大な歴史にまで話題が及んだところで、一作が懐かしそうな遠い目で、初めてのハワイロケ旅情へと時間軸を巻き戻す。

◇◆◇◆◇

一作:重複するけど、おれはハワイに関しては正直なめていたんだけど、フラの繋がりからいろんなことを学ぶことになった。
かっこ良く言ってしまえば、精神世界のこととか(笑)、要は、目覚めていく訳です。LSD抜きの「ドンファンの教え」みたいにね。
ワイキキは別として、ハワイの島々にはそういう旅の切っ掛けがそこかしこにある。そしてそこには、必ずネイティブな人達、そして、日系移民の人達が絡んでくる。そんな、旅って本当楽しいよね。
まあ、その入り口が、さっき愛ちゃんから名前が出たニックなんだけどね(笑)

愛:うん、そこがわたしと一作さんの共通点(笑)
わたしのハワイはニックさんと出会ったことから始まった。今、やっていること全部がそこからと言っても過言ではないです。

ラジオアダン:お話の腰を折って恐縮ですが、ニック加藤さんのご職業等お教え願えないでしょうか?

愛:そうですね、初めてその名を聞く人達には全然分からないもんね。
ではそれは、一作さんに説明してもらいましょう(笑)

一作:えっ、おれ!?(笑)
おれが初めてハワイに行った当時は、彼はロスからハワイに移転してきたばかりだったけど、既にコーディネイターをしていた。

ラジオアダン:日系の方?

愛:いや、日本の方です。
長野県出身でアメリカの大学に行って、

一作:卒業後もアメリカに残ってロス経由でハワイということだね。
おれが会ったのは80年代、まだ「CAY」をやっていた頃。
そのCAYに、絶頂時のピーター・ムーン・バンドを招聘するために、雑誌「SWITCH」をメディアとして巻き込んだ。ここで、編集者の稲田(英昭)くんが登場する訳だ(笑)「特集で“ハワイ”をやろう!」なんて感じで、ピーター・ムーンをフューチャーしたページも作って、それを書いたのが亡くなったライターの駒沢敏器くん。

愛:あぁ、駒沢さんだったんだぁ……。

一作:うん、そう。駒ちゃんと、おれと、稲田くんと、カメラマンがチョクさん(松本直行)
この時のおれの役割は、……、ライター業務は駒ちゃんだったから、……、只のいいだしっぺ。
あの頃はなんていってもスポンサーがそれなりに付いたから。

愛:あの頃のSWITCHだったらそうでしょうね。

一作:うん。
「SWITCHと抱き合わせでやるから」って、旧知がいる某ブランドのプレスルームに話を持って行った。
そこが冠を取ってくれることが決まって、その予算で皆でハワイに行った。それが、おれの初めてのハワイ(笑)

愛:何年くらいのことですか?

一作:87年じゃなかったかな~?
この時、おれだけ暇だからさ(笑)「先に行ってるよ」って先乗りしたの。
空港に着いた時、「さてどこに行こう?」なんて思って、高速の方に上がって行ったらバス停があって、そこでボォ~としてたら“Waikiki”って書いたバスが来て、それに乗ったの(笑)
宿も決まってないから、「どこで降りようかな~」なんて思案していたら、愛ちゃんは分かるだろうけど、アラモアナが過ぎてさ、橋渡って、ラニカイホテルがあって、その先にタヒチアンスタイルのチキが立っている「ワイキキアン」という名のコテージが目に入ったの。

愛:今は無いでしょ?

一作:うん、無い。
実はそこはあの時代でも唯一のポリネシアンスタイルのコテージだったと後で知るんだけど、バスも丁度そこの前に止まった。「うぁ~、おれここに泊りたい!」って衝動的に降りたんだ、ガハハハハ(爆笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)

一作:フロントに行って「1週間泊る」と告げて、その後、追っかけてくるクルーのための3部屋もキープした。
2階建てがラグーンまであって、夜にはたいまつに火が着いて。安くて。
今、そんな宿ないから(笑)

愛:ない、ない(笑)
そんな感じでゆったり泊れるところはなかなかないですよね。

一作:そこも今は無く、以前行った時は駐車場になっていた……。
それにしても、着いてからの1週間は楽しかったな。
コテージの一番奥に「タヒチアンラナイ」という名のいい感じのポリネシアンスタイルのバーがあって、種明かししちゃうと、おれがその後作った店の原点でもある。青山で「タヒチ」という店をプロデュースした時は内装に関しては相当パクってる(笑)

ラジオアダン:「タヒチ」はそのバーのトリビュートだったんですね

一作:違うよ、そんな良いものじゃなくて、パクリ、パクリ。ガハハハハ(爆笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
タヒチアンラナイ。

一作:うん、ラナイって庭って意味。いいバーだったな~。
そこで、アンティ・ジェノア・ケアヴェのライブを見たり、金曜の夜になると、婆さん達がフラのセッションをするのを見たり。そのフラが良かったの。お決まりのフラじゃなくて、車座になった中からひとりずつ出て踊るんだけど、それがかっこいいのよ(笑)
おれが呼び出してニックと初めて会ったのもそのバーだよ。
クルーが到着して、稲田くんもピーターとのコーディネートを事前に細々としてくれていて。
ピーターはあの頃、「サンディ・マノア」の後だけど、一番良かった時期じゃないかな?ギャビー(・パヒヌイ)も亡くなって、一番、ハワイ音楽が下火になった時期に、コンテンポラリーとトラディショナルを融合させて頑張っていたのがピーターだった。
その取材では、駒ちゃんが、「クジラの話を書く」ってことで、最終的にはマウイまで行って、

愛:駒沢さんとはわたしもSWITCHでブルースの旅をしてます。

一作:へ~、そうなの!?

愛:一緒に仕事をしたのは、結局、その1回だけになってしまいましたが……。

一作:それ聞きたいな、話して話して。

愛:アメリカ南部の旅を一緒にしたんですけど、ジューク・ジョイントを巡る旅。

一作:駒ちゃんは真面目だからさ。
大雑把に言っちゃえばロバート・ジョンソンの道程みたいなもの?

愛:ええ、そうですね。映画とのタイアップでしたね。
そういえば、新世界にも駒沢さんはご出演されてましたよね?

一作:うん。駒ちゃんにもなんかやってもらいたくて電話して。その時の彼の興味は沖縄だったんで、「丁度いいじゃん」って感じでトークショウを3~4回程やってもらったのかな?

愛:そうだったんですね。
わたしが初めてハワイに行ったのは2006年、11年前ですね。
その時はサザン・オールスターズをオアフで撮る仕事で、

一作:愛ちゃん、どメジャーな仕事してるね~。

愛:その頃はね(笑)
でも、切っ掛けはこだま(和文)さんですよ。こだまさんのジャケット撮影からビクターの仕事が始まって。その切っ掛けがクイック・ジャパンだったし、だから簡単に云えば、「サブカルから音楽の方に入っていった」ってことで、わたしの20~30代はずっと仕事をしていて、その間にドライ&ヘヴィーのヨーロッパツアーに押し掛け同様に同行したり、いい音楽を追いかけて走り回るような生活でした。

一作:若かったし、可愛いし、いいキャラしてるから業界で凄く人気あったでしょ?

愛:人気あったかは自分では分からないですが、音楽の現場にいるのが凄く好きだったし、時代的にもの作りに対してしっかり考えてから立ち向かうクリエーター達と一緒に冒険が出来る時代でしたから凄く楽しかったですね。極論を言えば、当時はジャケット撮影が一番好きな仕事でした。

◇◆◇◆◇

 盆ダンス、福島、ハワイ日系移民という、岩根愛が独自の道程で見つけた太い地下水脈の流れは、今後も更に勢いを増すようだ。
 写真制作は勿論、既に、劇場映画として着々とプロジェクトが進行しており、一作、愛共に愛して止まない映画監督、中江裕司氏がメガホンを取る。

◇◆◇◆◇

一作:このプロジェクトはまだ進めて行くのかな?

愛:ええ、最終的には映画化を目指していて、あの番組は云うなれば、前篇に当たる感じでしょうか。

一作:完全なドキュメント映画として制作してゆくの?

愛:そうなんですけど、ハワイの日系人の歴史を、「面白く伝えたいな~」って思っていて、実際に監督とは、「そのために、音楽映画の方向へ振ろうか?」なんて話にもなっています。

一作:中江監督だったよね?
それは、愛ちゃんからのオファーで実現したの?

愛:ええ。
最初から、「監督は中江さんでやりたいです」って言ってました。

一作:中江監督とは旧知?

愛:中江さんは「白百合クラブ 東京へ行く」という、

一作:あれも素晴らしい作品だよね!

愛:あれのスティールはわたしがやっていたんですよ。

一作:そうだったんだ。

愛:それが初対面で、お仕事もやらせてもらって、

一作:じゃ~、「ナビィの恋」の頃はまだ知り合っていなかったんだ。

愛:ええ。

一作:「ナビィの恋」って17~8年前だよね。ちょうど、三田に旧アダンをオープンさせた頃で、昔のテアトル東京に見に行って感動して、帰りにはサウンドトラックまで購入して、開けたばかりで全然お客が来ない店で毎日聴いていた(笑)
素晴らしいじゃん、あの、マイケル、……、……、

愛:マイケル・ナイマン。
中江監督って音楽も勿論なんだけど、“うた”、口偏に貝と書く“唄”を凄く大切にする方なので、「そういう監督に撮ってもらいたい」と常々思っていたんです。

一作:中江監督はおいくになられたの?

愛:中江さんは今、50代後半じゃないかな?

一作:若いんだよね、「ナビィの恋」が18年くらい前だものね。
その後も一杯いい作品を撮っている。

愛:「白百合クラブ 東京へ行く」の公開時に、本も作ることになって、出演者の人達の取材で石垣島へ行くんですけど、それが一緒に組んでやった仕事の最初。

ラジオアダン:スティールの時は全編ではなかったんですか?

愛:ええ、東京だけのお仕事でした。
今、思えば白百合の仕事で、南の島でおじぃ、おばぁと踊ることに味をしめたかもしれない(笑)

一作:そうか~、あれはどのくらい前だっけ。

愛:あれは~、……、2000年代頭(2003年)ですよね。
わたしバリバリ20代でしたから(笑)

一作:若いのによくそんな仕事やってるよね~、偉い(笑)
昔からちゃんと仕事してたんだな~。

愛:20代が一番仕事していたかもしれない(笑)
メディアで一番仕事をしていたのは20代後半から30代前半じゃないかな?

一作:凄いね。
おれなんてクーリーズクリークが始まる27歳より前は何者でもなかったよ。
皆だれがなにになるかも分からない時期に、岩根愛はもうしっかり見定めた方向で仕事をしていたんだから、偉いわ。

愛:いやいや(苦笑)
フリーランスになったのが21歳でしたから。

ラジオアダン:めちゃはや!!

愛:その頃、女の子カメラマンブームがあったんです(笑)

ラジオアダン:ああ、ありましたね、HIROMIXさんとか、

愛:ええ。
なんか、「若い女に写真を撮らせたら面白いんじゃないの」なんて風潮があって、その時代の生き残りなんですよ、わたし(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
そう、実は若いんだよね(笑)
その割に、随分年齢が上の、こだまくんや、南(流石)さんもよく知っていたり、

愛:こだまさんは、前述しましたが、「クイック・ジャパン」(太田出版)で知り合いました。社カメ的に沢山仕事をさせていただいている時に、こだまさんは連載をされていたので。作品も気に入って頂いて、ジャケットもやることになったんです。

ラジオアダン:ひょっとしたらですが、先日こだまさんがこの酔談に来られた時に話された、「野坂×こだま対談」の写真を撮っていたりしませんか?

愛:うん、あれわたしです。

ラジオアダン:やっぱり、そうでしたか。

一作:それは凄いね。あれ、写真は愛ちゃんだったんだ。
そうだよ、こだまくんとの対談で野坂昭如さんの話になって、先週の週末に「バー黄昏」で「マリリン・モンロー・ノーリターン」をかけるという流れになったんだよ(笑)

愛:????

ラジオアダン:週末だけ渋谷の系列店「おふく」にDJブースを組んで、「バー黄昏」って名義で音遊びをしているんですが、先週、急に一作さんが、「野坂昭如さんかけてよ」と言い出して、「マリリン・モンロー・ノーリターン」かけたって、ただそれだけの話です(笑)

一作:深い時間になると毎回完全に懐メロ大会になっちゃうんだけどね(笑)

愛:ハハハハハ(笑)
そういうことでしたか(笑)

ラジオアダン:愛さんは今年の4/1(土)は東京にいないですかね?

愛:(黒岩)奈美さんの命日ですよね。残念ながらいないんですよ。
※黒岩奈美/毎年、一作プロデュースの「新世界」では、岩根愛オーガナイズで「ナミフェス」と謳い、4/1周辺に、ゴールデン街の名物ママであり2人の共通の友人黒岩奈美さんを音楽追悼していた。

一作:まあ、今度さ、愛ちゃんが落ち着いたらこじんまりと飲み会でもいいからやろうよ。

愛:ええ。

一作:なんでこんなウェブ連載を始めたかというと、新世界のおつかれさんとおれ自身の反省会をやりたかったんだ。
だから、新世界に関わってもらった人達を主に呼んでいる。
まあ、そんなだから、“無理に題材も作らずに”な感じなんだけど、今回は素晴らしい番組を一昨日見たばかりなんでテーマ性が出ている特別版だね(笑)

◇◆◇◆◇

 岩根愛の進行中のプロジェクトは、全てに於いて、“出会ってしまった”のだと思う。
 古いパノラマ写真、旧き名器サーカット、フクシマオンド、盆ダンス。
 バラバラだったパーツはやがて結実し像を描くのだが、その集約の魔力はハワイ特有のものだと一作は言う。
 曰く、“求めていればそこへ行く”
 そして、本日の「酔談」のクライマックスを迎える。
 なんと、岩根愛がその結実した像を持参してくれたのだ。

◇◆◇◆◇

愛:わたしは基本、イメージすれば叶うと思っている伏があって(笑)今やっていることも、パノラマカメラと出会って、修理出来て、今撮っている。福島とハワイの盆唄の交流も同じように思うんです。

一作:あのカメラは凄いよね。

愛:一番最初は、あのカメラで撮った古い写真をハワイで見つけたことから始まったんです。
ちょうど今持って来ています。一作さんには以前見せませんでしたっけ?

一作:勿論見たよ。
この形状の作品による写真集はまだ出してないんだっけ?

愛:いろいろ考えていますが、これ、なかなか本にはおさまらないですよね。

一作:おれ、今日これを見たかったんだよ!

愛:この写真は、今わたしが使っているサーカットというカメラで撮影された日系移民の吉村さんという方の葬儀での集合写真です。当時の日系の方々はお葬式では必ずこういう写真を撮っていたみたいです。
そもそもカウアイ島で泊った宿が、以前、写真館を営まれたいたお家だったのですが、買い取ったオーナーはそのことを知らなかった。ですから、こういう写真がそこかしこにあって、「写真家のきみならこれがなにか分かるでしょ?」と逆に質問されて(笑)当然、わたしもこんな写真は見たことがなくて。第一、どう見てもトリミングして伸ばした写真じゃない。その疑問を抱えたまま、色々調べ出した中でサーカットに辿り着いて、今、この写真を撮ったカメラで自分が撮っている訳です。

一作:これ1950年に撮った写真だよ!
映っているのは移民の最初の人達だね。おじさん達が1世でこの若い人達が2世だろうね。
この写真は凄く旨い塩辛みたいなものだよ!

愛:????

一作:それだけでどれだけ飲めるか!?のように、どれだけ語れるか!?
ガハハハハ(爆笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
当時の方々は、葬儀の時に人が集まることを非常に大切にしていた。そして、それを記憶するため、あと、故郷に送るために写真を撮っていたんでしょうね。

ラジオアダン:今のお話を聞く限り、直ったはいいけど、カメラの操作自体もそうとう手探りの状態から始めた訳ですよね?

愛:ええ、超手探りです(笑)
でも、ネットで検索したら、オハイオ州で同じカメラで撮っている人がいて、メールで情報交換するようになって、非常に親切な方で、現像の仕方からフィルムの詰め方から細々と教えてくれて、リチャード・マグロスキーさん。

一作:ハハハハハ(笑)

愛:彼のおかげで今、わたしやれているんです(笑)
アメリカにはやはり何人かいるんですよ、このカメラで撮っている人が。

一作:番組や映画に因んでの写真展なんて計画は現状あるのかな?

愛:やりたいですね。
実は2枚今持って来てるんですけど、見ますか?

一作:おお、勿論見せてよ!
長いね、おれと愛ちゃん2人で持とうか。
おお、凄いね。パホア?

愛:ええ、ハワイが1枚、福島が1枚です。
ハワイの写真は、去年のラバ(溶岩流)に2/3が埋もれてしまった、パホアの墓地です。

一作:お墓が溶岩で埋まっちゃってるんだ。

愛:そうそう。

一作:パホアはいい町だよ。ヒッピータウンだよね?

愛:そう、ヒッピータウン。パホア近辺は溶岩が流れてきた歴史が繰り返しあるのですが、これは2015年、パホアの町付近まで溶岩が流れてきた時に、ギリギリで止まったところが墓地だった。

一作:2015年か、おれが2回目に行ったときがカラパナが無くなったときだよ。

愛:へ~、そうだったんですか。

一作:稲田くんとブラックサンドビーチ(カラパナ)でランチして、その翌年には無くなっていた。遥か海岸まで溶岩が流れ出して、固まって。あれを見ると地球のエネルギーって凄いと思う。

愛:ハワイの地形は、ペレがどこに流れてゆくかでどんどん更新されてゆくから。

一作:写真がまず素晴らしいね。

愛:ハワイの日系人の忘れられた墓地を巡る連作の中のものです。
こっちの福島の写真は、帰還困難区域を撮っていて、これは番組にも出て来た双葉の横山さん宅のすぐ裏の交差点、2014年の写真です。

一作:今ここに5時間しか入れないんだな~…。

 

愛:この忘れられた日系移民のお墓と福島の帰還困難区域の写真、2つのシリーズを合わせて写真展をやろうと進めています。

一作:素晴らしいじゃん、もうこれ見せてもらったから対談終わろうか?(笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:いやいや、まだ尺が足りない……(苦笑)

愛:来年、映画を公開する時に展覧会を合わせてやれるように今から準備しようと思っています。来年で、わたしがハワイに行き出して12年だし、

一作:まだ12年??短期間に随分深いところに入っちゃったね(笑)
ハワイって凄くって、……、まあ、インドなども凄いんだけど、それとは違う凄さは、「求めていればそこへ行く」みたいなところあるでしょ。

愛:そうそう、会える気になれば会える。
あと、テレパシーが通じる(笑)

一作:また戻してしまうようで申し訳ないけど、ニックと最初の出会いにも同様の部分を感じてしまう。
例のバーで彼と初めて飲んだ時は、フラなんておれは興味がなかったし知識もまるでなかった。そしたらニックが、「フラは本当に素晴らしいものだから、ハワイ島のヒロの祭典を君は見るべきだ」と強い押しで促すんだ。
で、行ったのが、メリー・モナーク・フェスティバル。
その後、数年してまた行くんだけど、この時点でもまだ日本人は全くいなかった。フラ古典、“カヒコ”って云うんだけど、おれは、「これは凄いものだ」と確信したんだ。
帰国後、稲田くんにその話をして、最終的にはSWITCHでフラの話を書くことまで発展していった。その後、サンディーが登場して、彼女が10年かかってクムフラ(フラマスター)になるまでの道ゆきを共有することになった。
だから、ハワイって、求めていればそういうところまで連れて行ってくれるところかもね。
でもそこに行くには、昔の関所みたいな手形が必要。要は試験に通らないと行けないんだろうな、多分(笑)

◇◆◇◆◇

 ここで、突然だが、
 「カボシャール」。
 フランス製の高級フレグランスの名。直訳すると“強情っ張り”の意。
 いくら毎回後半は話が飛ぶ傾向にある「酔談」といえども、ハワイから急にパリに飛ぶはずはない。
 カボシャール、本日最後の話題の軸となるこの形容動詞は、新宿ゴールデン街にあった2人が親しくしていた黒岩奈美さんが営んでいたバーの名である。
 実は、2010年に急死した彼女を、オリジナル新世界を一作が運営中は毎春追悼するイベントを2人が旗を振りとして行っていた。

◇◆◇◆◇

一作:新世界での「なみフェス」は、愛ちゃんに大いに尽力してもらって、あと編集者の吉田(幸弘)くんにも。
ところで、吉田くんって浅草に住んでない?

愛:ええ、そうそう。

一作:おれ、浅草の並木の薮で、日本酒とざる蕎麦でいい気分になって歩いていたらバッタリ彼と会って、最初、都築響一さんと間違えちゃって、あの2人なんか似てない?(笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
こだまさんのライブにご両人とも来ていたりするから、なおさら混乱したんじゃないですか(笑)

一作:それもあったかもしれないね(笑)
で、ああいう故人を追悼するようなイベントをやるといろんなことを言う人がいる。
「あんなことをやっては、無くなった人に対して失礼だ」とか、「故人でビジネスするのか!?」とかね。金儲けになる訳ないじゃんね~?

愛:ええ、一作さん的には赤字でしょ?男気出して(佐々木)彩子さん(ex.渋さ知らズ)を屋久島から招いてくれて、

一作:まあ、それはいいんだけど、おれは思うんだよ、ああいうものはやらないよりやったほうがいいって。
やることによって彼女を偲ぶ人が1年に1回何人か集まればそれで十分でしょ。
極論を言えば、墓に行くようなものだからね(笑)奈美ちゃんの墓は高知か?海の見えるいいとこかもしれないけど(笑)いかんせん簡単にはいけないもの。
小野(志郎)ちゃんを偲ぶ「小野フェス」もやっていたんだけど、あれだって年1であって当然。3/11に黙祷するみたいなものだから。
チャージも小額に押さえてさ、そのくらいは奈美ちゃんを思い出すお布施と思ってもらって、利益が出れば勿論故人に還元してね。
亡くなって直ぐの新宿「スモーキンブギ」での集まりも実際そうでしょ?
※小野志郎/音響エンジニア。トランス、野外フェスを日本に根付かせた伝説のPA、オーガナイザー。

愛:ええ、集まったお金は全部遺族の方に渡しましたね。

一作:そういう運営側の内幕を分からない人達はいろいろ言うけど、別に言わせとけばいい。

愛:思えば、一作さんのお名前は以前から知っていたんですが、初めてご挨拶したのは、そのスモーキンブギの時だったと思います。

一作:そうだっけ。
あれは、どんな経緯で運営側にまわったの?

愛:みんなに愛されている奈美さんなので、ゴールデン街の周りのお店の人達が仕切っていました。その中に入ってお手伝いさせていただいたという感じですね。

一作:ところで、若いみそらで、なぜそんなに当時、ゴールデン街が好きだったの?

愛:わたしの場合は、最初に連れて行ってもらったのは写真の師匠で、業界では有名なママさん、久美さんの店に行っていたんです。
そんなある日、久美さんのところが一杯で、「入れないから向かいの店で待っててよ」なんて誘導されて行ったのが向かいの奈美さんのカボシャール(笑)

ラジオアダン:あの~、……、ぼくと経緯まったく一緒なんですが(苦笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
久美さんのお店も、勿論、素敵なお店なんですけど、常連客が業界の大御所だらけで、若かったわたしには奈美さんのお店のほうが俄然居心地がいい(笑)

ラジオアダン:そこまでも一緒です(笑)

一作:おれは年齢的には意外だと思われるけど、ゴールデン街はカボシャールしか行ったことがないんだよ。実際の話避けていた。
例の演劇関係の人達の酒場での論争が嫌でさ(笑)
愛ちゃんは新宿自体が近かったの?

愛:距離よりも、とにかく2000円持って行けば奈美ちゃんが飲ませてくれるんで(笑)
音楽センスもいいじゃないですか、あの人。
自宅で仕込んで来た美味しいおつまみもカウンターに並んでいて(笑)

一作:ひょっとして吉田くんとも、

愛:奈美ちゃんのところですよ。

一作:ガハハハハ(なぜか爆笑)
それ、いいね!(笑)
久美さんのとこってなんて店名なの?

愛:そのまま「クミズ・バー」ですね。

一作:そう。
おれほんとゴールデン街はカボシャールしか行ってないもんな。
(カメラマンに向かって)そういえば「KINARI」(メンズファッション誌)にエッセイ書いた時に、取材で、夕方、マイケル(・アリアス)と飲んでカボシャールの前で写真撮ってもらったね。もう違う人に経営が変わっていたけど。

愛:カボシャールは一時期は毎日行ってましたね。
アシスタントの頃はそうそう行けないけど、フリーになって、時間とお金がある程度は自由になってからは。なにせ2000円ですから(笑)
あと、誰かを連れて行くと、必ず皆喜ぶんですよ。奈美ちゃんと話すと皆いい気分になる。

一作:ああそう。
でもそれ遅い時間でしょ?

愛:ええ、主に。

一作:やっぱり。
奈美ちゃんのところは遅い時間に行かないとダメだな。
例えば、勝どきあたりで夕方4時くらいから飲んで、その後、何件かはしごして、それでカボシャール行ってもまだ8~9時。
その時間だと、彼女は全然喋らない。すげ~恥ずかしがってモジモジしてるんだよ(笑)その辺で大体、性格を掴んで、いつだったか?敢えて遅い時間に行ったら大騒ぎでさ~(笑)
あと、おれの店のカウンターで飲み出しちゃって、「もう今日は店行かない」なんてのもあったな(笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
あんな人なかなかいないよね(笑)

一作:いろんな話がさ、全部拾えるんだよね。
KINARIでも奈美ちゃんの店を称して“寺山修司からニューウェーブまで語れる店”って書いたもの。

愛:ところで、新世界のなみフェスの切っ掛けはどんなだったんですか?

一作:(進行に向かって)どうだっけ?

ラジオアダン:かいつまんで言えば、愛さん達がやってくれたお別れ会がしめやかながらも非常に楽しかったんで、「あんなことを年に1回出来たらいいね」となって、まずは、奈美さんと親しかったライターの森(一起)さんに相談したんです。そこでオーガナイザーとしてお名前が出て来たのが、吉田さんと愛さん。

一作:そうか、そこで愛ちゃん登場か。

愛:わたし自身、あのスモーキンブギのお別れ会がイベントを仕切るという初体験でした。奈美さんには本当の娘のように可愛がってもらっていましたから。
かけ出しの頃は、奈美さんの店で営業していたようなものでした(苦笑)実際、初連載の仕事が決まったのもあそこでの出来事(笑)
そういえば、なみフェスの時に、こだまさん、一作さん、(相原)誠さんの3ショットを撮ったんですよね。
※相原誠/ドラマー、飲食店経営者。ダウンタウン・ブギウギ・バンドのドラマーの“誠”といえば知らない者は新宿にはいない。

一作:あれ、なみフェスの時だっけ?

ラジオアダン:しかも、誠さんがたまたまジャマイカ国旗のTシャツ着てるんですよね(笑)

一作、愛:ガハハハハ(爆笑)


ⒸAI IWANE

一作:笑うね!
あの2人初対面の割にはすぐに仲良くなっていたよね。
奈美ちゃんはミュートビート好きだったんだよね?

愛:大好き、大好き!私がこだまさんのジャケットを撮ったときもとっても喜んでくれました。それもあって、前日に同じ新世界でライブがあったのにこだまさんは来てくれたんですよね。
ありがたいことです。

一作:面白いことやっていたね、新世界は(笑)

愛:今、奈美ちゃんちみたいなお店はないのかしら。

一作:ない(きっぱり)
言うなら、土曜日の「バー黄昏」しかないでしょ(笑)

愛:じゃ、今度そこに顔出しますね。
場所は?

一作:知らなかったっけ?
前の「アダン食堂」。

愛:行ったことないんですよ。

一作:本当は「家庭料理 おふく」ってお店なんだけど、土曜日限定でDJ入ってバー営業してるの。かなりいいよ(笑)

愛:土曜日?

一作:うん。そこにこないと(笑)
そこはめちゃくちゃでいいよ(笑)

愛:じゃ~、帰って来たら今度はそちらにお邪魔しますね(笑)

一作:うん、土産話待ってるから。
今日は忙しいのに来てくれてありがとう、気をつけて行って来てくださいね。

◇◆◇◆◇

 再会を約束し幕を降ろした、福島〜ハワイの地下水脈を巡る一大酒宴。
 次回、会う時は岩根愛はハワイからの帰国後。  
 更に、チューンアップされたそのセンスと情熱によって、新たに立ち現れる像は写真芸術として高度に昇華されているのだろう。
 さて、その作品群を至近距離で今度拝見出来るのは、……?渋谷の土曜限定「バー黄昏」?
 そんな先のことは誰も分からない。
 なぜなら、人生の殆どの出来事なんて酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

◇◆◇◆◇

テキスト、進行:エンドウソウメイ
写真:鈴木完


●今回のゲスト


Photo by HARUKI
岩根愛/プロフィール
写真家。1991年単身渡米、カリフォルニア州北部のオルタナティブスクール、ペトリアハイスクールに留学。自然と共に、オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。1996年よりフリーランスとして、雑誌媒体、音楽関連等の仕事をしながら、フィリピンのモンテンルパ刑務所(2010)、ロシアのニクーリンサーカス(2011)、台北榮民の家(2012)など、世界の特殊なコミュニティでの取材を続けている。2006年以降は、ハワイにおける日系文化に注視しながら、2013年より福島県三春町を拠点に、福島移民を通じたハワイと福島のつながりを追いながら制作している。

www.mojowork.com

@Ai_Iwane

★岩根愛著作、ハワイ島、ハマクア浄土院の盆ダンスを題材にした絵本『ハワイ島のボンダンス』福音館書店より絶賛発売中!

河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

Vol.3 日々トリップ 番外編 川内一作

   友人からトマトが届いた。
   メールには春トマト送るとある。
 春キャベツは普通だけど春トマトはあまり聞かない。トマトは夏のものだろうと思ったが食べると甘くて酸味もあって美味。お礼の電話をしたら、オレが作ったのだと自慢して、この季節にトマトもなんだから春をつけただけだと笑った。
 桜が咲いた。
 春キャベツ、春トマト、春メバルときたら桜雨、桜魚、桜鯛。桜魚は桜の咲くこの季節に獲れる小鮎らしい、これもあまり聞かない。桜鯛もこの時期の鯛であるが、それが旬というわけではない。鯛は出生さえちゃんとしていれば年中うまい魚だが、やはり寒い冬の時期が一番だと思う。桜の頃には子をはらむから栄養をとられるけれど、それはそれ、鯛の子と竹の子の炊いたのやら待ち遠しい。瀬戸内で生まれて育った自分にとって鯛はやはり瀬戸内のものに限る。京都あたりのちょっとした料理屋で扱っているのは明石鯛か鳴門鯛。明石の鯛はクチから背にかけてぷりっと丸みを帯びていて美しい。桜の季節には気持ちカラダがピンクに染まっているように見えるのは思い込みだろうか。東京近辺だと三浦半島の長井や佐島あたりの鯛も悪くない。以前長崎で鯛を食べたが東シナ海のものであろうか大味だった。長崎で食べた鱧も大味でダメだったがあれは調理の仕方かもしれない。東シナ海であがる鱧なら韓国ハモと同類だろう。京都でよく行く鯖寿司がうまい店も祇園祭りの時期には鱧寿司になってしまうが、その店のお母(か)んが言うには近頃の韓国ハモは脂がのっていてうまいらしい。確かにその店の鱧寿司はキレイで美味。そうは言っても自分にとって鱧はやっぱり淡路鱧。梅雨の時期に淡路で食べる鱧スキは絶品である。鱧スキであるから鱧しゃぶとは違う。鱧のアラでとった出汁をやや甘い濃厚な味に仕上げて、鱧の内臓と、骨切りした生身と、淡路の玉ネギを放り込んで野趣たっぷりにぐつぐつといただく。シメの雑炊がまたいい。そうやって生命力の強い鱧に喰らいつくのである。京都の料理屋でしゃぶしゃぶ風にポン酢で食べるのは気の抜けたビールを飲むようなものでちっともうまいとは思わない。
 東京人は鯛も鱧もそれほどありがたがらないが、あれはうまい鯛と鱧を食べていないからだ。逆に瀬戸内で育った自分は上京するまでマグロなど食べたことはなかったのでマグロのことはよく分からない。

 桜が咲くと人間もネコも騒ぎ立てる。
 真夜中に起き出して知覧の茶を入れ家ネコと戯れる。外はまだ少し肌寒いけれど一週間前よりも空気はゆるんでいて、桜は満開に近い。人間が寝静まると、ぴしっぴしっと色んなモノが目覚める音がする。
 昔、この季節に久しぶりに山口の生家に帰ったことがある。長い旅の後でバンコクから博多便で帰国した。博多からは電車を乗り継いで生家のある由宇へたどり着いた。お金を使い果たしていたせいもあるが、山陽本線に揺られて瀬戸内海を眺めながらいろんな思いがめぐった。自分はその時四十前で、いつまでもフーテンをしているわけにもいかず、かと言って東京に戻っても窒息しそうで恐ろしかった。
 由宇はすっかり春だった。
 子供の頃は高度成長期で由宇もにぎやかだった。花見にはどの家庭も立派な弁当を作って銭壷山(ぜにつぼやま)に登った。
 山の斜面の段々に山桜が狂ったように咲きほこって、黒澤明の「夢」の第二話、「桃畑」を見たとき
 わァーこれだよ、と思った。

 由宇から周防大島を経由して、情(なさけ)島へ渡り漁師の家に一泊した。翌日、小舟で釣りに出た。この辺の漁師は竿は使わない。投げ釣りといって手釣りで、エサは白いビニールを小さく三角に切ってイカに似せた疑似餌である。釣り糸を人差し指に引っかけて波の揺れにまかせているとククッと指先に反応がくる。こんなもので釣れるのかと思ったが、見事にカタチのいい桜鯛がかかる。漁場を熟知している漁師のおかげで、十本以上もあがった。大漁である。由宇に持ち帰って近所に配ったら、まァ、とおふくろはびっくりして桜鯛のお礼だと言って茶色い封筒をくれた。十万円も入っていた。口には出さないが、「そろそろ東京でしっかりしんさい」という気持ちの十万円であると理解して翌日東京へ帰った。
 ずっと後に手紙の中に十万円を挟んでおふくろに送ったら、「こんな大金(おおがね)送らんでもええのに」と言って喜んだが、おおがねという言い回しが面白くて笑った。
 おふくろは大正生まれにしては百七十センチに近い大女で今年九十五歳になるが、まだゴハンを三杯おかわりするらしい。

 

ⒸSOHMEI ENDOH

黄昏ミュージックvol.6 フォー・ザ・ラブ・オブ・ライフ/デヴィッド・シルヴィアン

 アニメーションのサントラが続くが、浦沢直樹原作の大巨編コミック「MONSTER」のテレビアニメ版(2004年4月~2005年9月)上半期エンディングテーマ曲「フォー・ザ・ラブ・オブ・ライフデヴィッド・シルヴィアン」を今回の黄昏ミュージックとした。
 アルバム的には鬼才音楽家、蓜島邦明の作品で埋め尽くされるも、デヴィッド・シルヴィアンのソロ作品としては未収録なため、本アニメーション作品に興味がなくてもこの盤で聴くしか他に方法がない。(因に現在は廃盤であり、ユーズドとしてかなり高額の値付けで流通されている)
 出自であるデビット・ボウイのベルリン3部作を彷彿させる退廃の香り充満したその甘い誘いのヴォイスは、ストーリーの中心となる旧東側の幼児洗脳教育への誘導のごとくリスナーを黄昏時の荒れた原野へ連れ去り、そして幻惑する(se)

酔談Vol.3 ゲスト:こだま和文氏 飛び入りゲスト:園田ゆみ氏 ホスト:河内一作


 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
 酔っているがゆえの無軌道さ、大胆さ、無責任さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回のゲストは、日本レゲエミュージックのパイオニアであり、一作プロデュースの先鋭的ライブシアター「音楽実験室 新世界」(2010〜2016)の不動のヘッドライナーとして6年間務め上げたダブ・マエストロこだま和文氏(以下敬称略)をお招きし、「酔談」第3回目として、なぜか?3月3日雛祭りに、泉岳寺「アダン」特別室にて開催!
 お互い、週ごとに飛び込む訃報に関しての情報交換から始まる重い幕開けであったが、嗜好がことの他合致する2人。話はいつしかお互いが大好きなあの名作映画の話へ。

◇◆◇◆◇

河内一作(以下:一作):これ(レコーダー)は放っといていいから(笑)
毎回、ただ、だらだらと飲んでるだけだから(笑)

こだま和文(以下:こだま):成る程。この企画はそういうことなんですね(笑)

一作:別段、音楽の話をする必要もないし、そうだな〜…、今日は、どこかで“食”の話はしたいかな?なんて感じで。

こだま:はい、了解しました。

一作:ここでの料理はいつもおれがチョイスするんだけど、こだまファンのペコ嬢がキッチンにいるから、今日はペコにチョイスしてもらおうか(笑)

こだま:へ〜、そうなの?うれしいですね(笑)

流石、一作さん、ここもいい空間ですね、新しい「アダン」。

一作:ありがとう。
渋谷の店の方が、こだまくん的には利便性がいいと思ったんだけど、1回は見てもらいたかったんで、今回はここにしたんだ。

こだま:うぅ〜ん、立派なお店だ。


河内一作

一作:そうそう、おれも書いたんだけど、s-kenの新譜(2017年3月21日リリース『テキーラ・ザ・リッパー』)のレコメンド文、こだまくんも書いていたね。
s-kenから聞いたんだけど、なんでも、「手書きで送られてきて驚いた」って言っていたよ(笑)

こだま:えっ?あれツールがファックスオンリーじゃなかったっけ?

一作:いや、違うでしょ、おれは彼(進行役)を通じてメールで入稿したよ。

こだま:おれの勘違いかな?
s-kenのオフィス、ワールドアパートのメアドにアクセスしたんだけど、なんか繋がらないんだよな。資料を見たら、あとはファックス番号しか記載されてないから、それなら、「手書きの方が早いわ」ってことですよ。
そんな経緯だから、デザイン的に手書きを狙っているのかとおれは思っていたんだけど。

一作:ハハハハハ(笑)

こだま:おれ、あれはキッチリ書いたよ!

一作:あのレコメンド文に関しては、実はおれにも逸話があってさ(笑)
レコメンドって普通は長く書かないものだよね?

こだま:そうですね。

一作:それは分かっていたんだけど、一応、エンドウくん(進行役)に「文字数はどのくらい?」って訊いたら、「無制限でいいんじゃないですか」って、

ラジオアダン:いや、ワールドアパートから、「無制限で」とのことでお聞きしたんで。間違えではないですよ(苦笑)

一作:ほんとに?(苦笑)
おれ、なんか一杯書いちゃった(笑)
そうしたら、「半分にしてください」って(笑)

こだま:ハハハハハ(笑)
まだ、盤の本番はきてないよね。

ラジオアダン:3月21日リリース。超久々のs-kenさんのアルバムです。

こだま:うん。レコメンドでもそこを一番誉めたもの。
今の音楽業界の状況の中で作ることが素晴らしいと思った。
今、なかなか作れないもの。内容もいいしね。
「s-kenやったな!」って思って。


こだま和文氏

一作:うん、かっこいい上がりだったよね。
おれは朝起きて掃除する時に必ず聴いているよ(笑)

こだま:凄いよ、周りにろくな話がない時で、凄く光るよね。
坂本龍一さんが癌を患って頑張って闘っているみたいだけど、おれ訃報続きですよ。
松永(孝義)から始まって、……、朝本(浩文)、俊ちゃん(中西俊夫)でしょ、で、鈴木清順監督。
俊ちゃんの訃報も気が抜けるというか、ガクっとくるんだけど、変な言い方になっちゃうけど、だんだん慣れてきちゃうと云うかさ〜。
怖いよね、訃報に慣れちゃうんだから。
誤解を恐れずに言えば、今や、「通夜も葬式も正式なお誘いがなければ行かなくてもいいか?」って感じなんです。
礼儀、義理とかから鑑みれば、誘われないから行かないなんてのは良くないのは重々分かっているんだけど、生前の付き合いにそぐわない葬式や通夜での振る舞いって、実際、違和感があって、……、一番正直な気持ちとしては、「言葉が出ない」ってことをただ言いたいだけなんだけどさ。

一作:うん、言葉は出ない。黙っているしかないってことって確かにある。

こだま:そう。
続くとなおさらなんです。

一作:こだまくんも知っている、ある人に対してコメントを出さないおれに、「薄情だよ」との声があるのも知っているんだけど、おれの感覚として、言葉を発すると嘘になりそうな気がして、……、まあ、それで黙っているんだけどね。

こだま:うん。
ただ、全く逆に思いつくことを次々とツイートしてしまうこともあって……。
朝本の時がそれで、……、自分との距離かな?見舞いにも行っているし。
それにしてもここまで続くと、……、その故人に対してではなく、訃報そのものに対する自分の気持ちをつい呟いてしまったりするんです。
過去、自分が訃報に突き当たった時に発した言葉を考えると、その故人とどれだけ親しかったか、だとかさ、自分にとって都合のいい想いが多い。
乱暴に言えば、自慢話になっちゃう。「おれは凄く、彼と仲良かったんだぜ!」みたいな。
……、それはそれでいいのかもしれないけど、続くとね、「なんだかな〜」と虚しくなってきて、段々言葉が減る訳だ(苦笑)

一作:うん、よく分かるよ。

こだま:自慢話になってしまうことを決して否定しているんじゃなくて、昔ながらのいい通夜って、仏を前にして、その人のことを皆で語り合って酒を酌み交わす訳で、

一作:新世界で出していたフライヤーに、「命日カレンダー」ってタイトルでおれはエッセイを連載していたんだけど、

こだま:うん、やってた、やってた。

一作:あれって、今、こだまくんが言ったことを書きたかったんだと思うんだ。
通常の、通夜感覚的に、「あいつはこんなやつだったよな〜」なんてのを話にしたかったんだけど、その対象が非常に自分と遠い、映画スターやミュージシャンになっていった……。
近い人ってなかなか書くのは難しいからね。

こだま:うん、難しい。
虚しさは常に付き纏って、近くて遠い、つまり、一緒に仕事をして、一時期、凄く濃密な関係を築けた人でも、その人がある分野を代表するような著名な方だと、なかなかその後も近しい関係を維持することは難しいものです。

ラジオアダン:以前、インタビュー書籍で語った池田満寿夫さんとの関係等がそれなんでしょうか?

こだま:うん。そうかもしれないね。ああいう想いもある。

一作:清順さんもそんな感じだったのかな?

こだま:うん、……、そんな感じもするね。

一作:映画「ピストル・オペラ」の音楽をやった時って、清順さんとしっかり緻密に打ち合わせして進めて行ったんだよね?

こだま:しっかりじゃないね(あっさりと)
二人の間に音楽プロデューサーという人間が映画の場合入るから。

一作:ああ、成る程。

こだま:最終的な段階、映像もこっちの音楽も大体見えてきた時にお会いして、まあ、聴いてもらって。膝を付き合わせてと云うか、そんなミーティングが1回あって、

一作:ってことは、音楽プロデューサーがこだま和文の音楽が好きだった訳だ。

こだま:いや、それも違って、正直なことを言えば、……、主演が江角(マキコ)さんだったよね、彼女がエゴラッピンが好きで……、それで、エゴのよっちゃん(中納良恵)の既にヒットしていた曲、「サイコアナルシス」を使いたいっていう音楽プロデューサー側の思案から始まったプロジェクトだったみたい。
だから、音楽プロデューサーや監督との間で、音を作る側が感じることなんてありふれた話で、坂本龍一さんも似たようなニュアンスのコメントをしていたけど、要は、なかなか音楽の作り手がイメージした通りには映画の中では運ばないということ。極端な話、100曲書いたとしても90曲はいらないみたいな、そんなことにもなりかねない。
おれ自身、映画は2作しかやってないけど、「ちょっと懲りた」ってのがあって(苦笑)
あと、当たり前に聞こえるかもしれないけど、相当好きな映画でやらないとダメです。だけどその出会いがまた難しい。

一作:成る程。
でも、日活ニューアクションの頃のニュアンスなんて、こだまくんとばっちし合わない?

こだま:そりゃ〜そうなんだけど……、……、
もっと正直なことを言えばさ〜、前述したように自分の好きな映画でやりたいんだけど、その自分の好きな映画って、極めて音楽の使用頻度が少ない、ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:そう思うと、お二人が共通して好きな「ゴットファーザー」なんて作品は奇跡とも云える映像と音の幸福な出会いですよね。

こだま:あれはもう映画として凄いから。
つい最近、ハリウットの業界人から集めたデーターでのフェイバリット映画の1位って何だと思う?

一作:「ゴットファーザー」?

こだま:そう。

一作:よく出来てるもの。
あれは3作全部で見るとより一層、「成る程!」って思うよね。

こだま:うん、それに関してもシリーズとしてのフェイバリットだったはず。
あれもシリーズが進む中でいろいろあったみたいですね。キャスティングの段階で制作サイドがマーロン・ブランドを敬遠したり、ロバート・デ・ニーロがパート2しか出演しなかったのもいろんな事情があったみたいで。
まあ、基本、お金の問題なんだろうな。
1作目ってのは予算があまりなくても、「作りたい!」という強い熱意を持って挑んでくれる人達が多数いる。で、いざ、“当たった”となると悲しいかな金銭的問題が浮上する。
お金と言うとつまらん話になっちゃうけど、要はああいう凝縮した映画1本に付き合うことの大変さに対する対価ということですよ。

一作:パート3でロバート・デュバル、

こだま:弁護士ね

一作:うん。いなくなるものね。

こだま:あの人、凄く大事な役なのに(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
うん。

こだま:それこそ1作、1作の大変さだと思う。「また、あれをやるのか……」という(笑)

◇◆◇◆◇

 こだま、一作とも駆けつけ一杯のビールの勢いで、重い訃報から映画作品と役者の微妙な関係に一旦帰着したところで、ふっと思い出した。
 こだま和文はリアルな役者、そして演劇の現場を知っているのだ。
 普段、本人はそのキャリアには触れないが、著書「空をあおいで」中、秀逸な一篇の随筆として役者稼業のリアルな心情を確かに残している。
 不肖、わたしがそんな軌道に2人を誘導した先に、これまで誰も聞いたことがない2人に執っての演劇との初期衝動が語られる。

◇◆◇◆◇

ラジオアダン:映画といえば、以前、林海象監督作品(『二十世紀少年読本』)にこだまさんは出演されていましたね。

こだま:あれはエキストラみたいなものだから。

ラジオアダン:では、本格的にこだまさんが役者をやったといえば、宮沢章夫さんのお芝居(『砂の楽園』)ということになりますか?

こだま:やった。おれ自身が、「よくやったな〜」と今でも思うもの(苦笑)

一作:芝居やったんだ?

こだま:1ヶ月拘束ですよ。20以上の舞台があったんじゃないかな?

一作:へぇ〜、よくやったね。

こだま:おれ自身がそう思う(笑)

一作:こだまくんのMCでの、「寒男は〜」みたいな感じで台詞をしゃべった訳?

こだま:……、うん、まあ、そういうことですよ。
役柄があってさ。

一作:ミュートやっていた若い頃?

こだま:いや、終わった後。
でも、おれ、演劇は子供時分からやっていたから。

一作:へぇ〜、そうのな?
それ知らないな〜、インタビュー本にもその話入ってないよね。

こだま:実は幼稚園で舞台デビューしてるんだよね。
ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
子役だ!(笑)

こだま:うん、学芸会みたいなものだけどね(笑)

ラジオアダン:ぼくは、インタビューでお訊きした子供賛美歌隊での合唱が、舞台に立った最初だと思ってました。

こだま:実は演劇なんだよ(笑)
「一寸法師」ね。

一作:一寸法師の役?

こだま:うん。
衣装をちゃんと着て、

一作:よく幼稚園時代のことを細かく覚えているよね。

こだま:写真が残っているから。

一作:成る程。
で、やる気満々でやってたの?

こだま:そこまでは覚えてないな。
中学くらいからはよく覚えているよ、演劇部だったから。

一作:えぇ、そうだっけ?吹奏楽部じゃなかった?

こだま:倶楽部みたいなもんで、吹奏楽部とはまた別個に入ってたの。
文化祭的な時期に、「『父帰る』をやろう!」なんてなって集中的にやる感じ。
なんか、思えば、おれ出たがりだったんだね(笑)
こどもの頃は、おれもっとひょうきんだったから(笑)

一作:ひょうきん!?
ガハハハハ(爆笑)
なんか分かる分かる(笑)

こだま:ひょうきんだったの、もの凄く。

一作:こだまくんのステージしか知らない人は分からないかもしれないけど、おれ達はなんとなく分かるよ。一寸法師の台詞は覚えてるの?(笑)

こだま:それはないな(笑)
あれはなんか、踊りみたいなことだったと思うんだ。カエルとお姫様がいてさ〜、

一作:一種のミュージカル?

こだま:なんかそんな風な。
台詞らしい台詞はなかったんじゃないかな〜?
写真を頼りに思い出そうとするんだけど、流石にもう無理。
1回ツイッターにその写真を上げたけど、すぐ消した(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
急に恥ずかしくなって?

こだま:うん、なんか……、

一作:おれの場合は中学1年の時に、学芸会で「大黒様」をやったりしたかな。
あと、2年の時に、「無心」っていう、……、山口県って妙に文化度数が高かったんだ。
「無心」は天狗と石工(いしく)がいて、石工が無心で石を打っているんだけど、今でいうところの彫刻家みたいなものかな?
そこへ天狗が現れてちゃちゃを入れ始める。ちゃちゃは相当長く続くんだけど、石工は一心不乱に石を打ち続けて、最終的に天狗は根負けしてどこかへいってしまうという話なんだ。

こだま:いい話だね。

一作:その中で、おれは天狗の役をやったの、ガハハハハ(爆笑)

こだま:ガハハハハ(爆笑)
石工じゃなくて天狗なんだ(笑)
でも、重要な役柄だね。

一作:そうそう。でも学芸会だからね(笑)

◆◇◆◇

 ここで一作が仕込んだタイムボンブが炸裂する。
 近年、こだま和文が常打ち箱にしていた、西麻布「オリジナル新世界」のコアスタッフ、園田ゆみ氏(以下敬称略)が昼間の照明業務を終えて急遽登場!
 女性の登場で場が華やぐと共に、話題も、ゆみが常時観覧するこだまツイッターに頻度高く登場する自作料理の話へと流れ込む。

◇◆◇◆◇

こだま:あら〜、ゆみちゃん!!

園田ゆみ(以下ゆみ):ハハハハハ(笑)

一作:ゆみちゃんも話に参加させよう(笑)

ゆみ:わたしはお二人のお話を聞いて飲んでいるだけでいいですよ(笑)
こだまさんのツイッターはよく拝見させていただいています。

一作:自作の料理の写真を上げたりしているんだよね?

こだま:うん、そう。

一作:飲みながら作ったりもするの?

こだま:ええ。

一作:あれはいいよね、楽しい。

こだま:「今晩は何を食べようかな?」くらいの時からキッチンで飲むのがいいんだよ(笑)
決めてかかるときも勿論あるんだけど、まずは冷蔵庫の中の野菜を見るんだな。その中で、一番最初に食べないといけないものを判断する訳。でかいキャベツがあったりさ(笑)

一作:凄く分かるよ(笑)

こだま:大根があったりさ、それを優先するしかないんだよな。
じゃがいもなんてのは放っとけるけど、「小松菜とほうれん草がダブってるな」
みたいな(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
そうそう、じゃがいもは放っとける(笑)賞味期限が長いからね。

こだま:大根も冷蔵庫に入れときゃまあまあ保つんだけど、葉物系だよな、問題は。
「レタスと白菜両方」、……、……、
まあいいや、そんなこと(引っ張った割に超あっさりと)
そんなこと考えながらまずは飲んじゃうんです。
特に出汁を取る時なんて、味見するじゃん、それでもう十分飲めちゃう(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
酒飲みだね〜(笑)
出汁ってなんの出汁?

こだま:昆布と鰹。あと、昆布と煮干し。これを使い分けるんだけど、

一作:煮干しって、“いりこ”のこと?

こだま:うん、いりこ。使い出したのは最近なんです。
多分、讃岐うどんや尾道ラーメンが切っ掛けだったと思う。

一作:おれは出身が瀬戸内だから、シェアは鰹よりいりこのほうが広い訳。
今でも、買うときはなるべく瀬戸内のものを選ぶ。

こだま:鰹節とはまるで違うものだよね。

一作:うん、デリケートなんだよね、いりこは。

こだま:うん、すっきりしてる。
鰹節は一種の薫製感があるんだけど、……、まあそれがよさでもある。
いりこは、「生臭いんじゃないだろうか?」と思っていたけど、全然すっきりしている。
あれ、ポトフとか相性いいよ。

一作:ちょっと空煎りして使うといい。そうすると、さらに生臭さが抜ける。

こだま:手間としたら、前の晩から水に浸けとかないといけないんだよな〜、昆布と一緒によ。

一作:麦茶を入れとく容器があるじゃん、あれに水を注いで昆布といりこを入れて冷蔵庫に入れておくんだ。そうすると手間をあんまり感じないじゃん。
ところで、福井県ではどんな出汁が多かったの?

こだま:昆布と鰹。

一作:他は?

こだま:他はない。

一作:飛魚は?

こだま:九州の?

一作:うん、あれ、今人気あるよね。

こだま:おれはいりこで十分だな。
九州の人達や、あと島根も飛魚は使うね。

一作:そうか、飛魚は福井までは届かなかったんだね。

こだま:うん、なかった。あれは島根くらいまででしょ。

一作:結構、前から、こだまくんとは食い物の話は合うんだよね(笑)

こだま:うん、おれも一作さんもザックリ言えば、同じ西日本だしね。

一作:おれは料理屋やってるから味にうるさいのはあたりまえのことだけど。
こだまくんは味のことよく知ってる。

こだま:いやいや。
ガハハハハ(爆笑)

一作:福井は地理的に京都の文化も当然入ってきているもんね。
そういえば、こだまくんの本の取材で福井に行った時に入った福井駅最寄りの蕎麦屋がよかった。
おれ、2日続けて行ったんだけど、最初は蕎麦を食って、翌日、中華そばを食ったんだけど、この中華そばが旨かった。
ラーメンじゃないよ(ゆみに向かって)、中華そば。
なんていう店だったかな?もう一回行きたいんだけど。

こだま:いい旅だったんですね。


左:園田ゆみ氏

◇◆◇◆◇

 味に一家言ある2人の味覚議談の果てが、なんと、こだま和文の故郷福井。その福井から上京したこだま青年を、「まるで空想のパリのようだ」と感嘆させたのが、吉祥寺の街だった。
 遡ることその2年前、図ったかのように、一作もその街を青春と云う名のもとに徘徊していた。
 そして、その後、武蔵野文化圏を離れた2人の磁場は、原宿〜霞町に移行。
 そこでの、日本レゲエ創世記のメモリーを経て、遂に本日最大のこだま格言が飛び出す。

◇◆◇◆◇

ゆみ:先日のクアトロのこだまさんのライブに行ったんですけど、

こだま:ありがとう

一作:おれも行ってたよ。

ゆみ:そうみたいですね、お会いしたかったんですけど……。
わたし、98年に上京してきたんですけど、その時のわくわくした気持ちをあのライブで思い出しました。

一作:いいね〜、一杯喋ってもいいからね(笑)

ゆみ:えっ???
ハハハハハ(爆笑)
いきなり来てすいません。
お酒があるところならどこまでも(笑)

一作:おれは、上京すぐの街というと吉祥寺。
あの頃の吉祥寺はよかったよな〜。

こだま:うん。
サンロードに易者さんがいたんだよ。
今のマクドナルドの少し内側、昔、三浦屋があった、……、
おれ、この易者のこと今度ツイートしようかな?

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

こだま:いや、細かい人はね、そういうのちゃんと拾ってくれたりするんだから。
懐かしいな〜、映画のワンシーンみたいな映像が今でも浮かぶよ。
易者なんだけど、一見、大学教授みたいなさ。髪が白髪で長くて、眼鏡をかけていて、髭もちょっとはやしていて、三揃えのスーツを着こなして。
和装の易者じゃなく洋装の易者。その人のことは時々思い出すね。
当時もう、6〜70歳くらいで。

一作:あの頃って、「新宿から流れて吉祥寺」な感じってあったじゃん。変な奴が一杯いたよね。
それは三鷹台に住んでいた時の話?

こだま:そう。

ラジオアダン:お二人は、吉祥寺から原宿、霞町と共通の拠点移動をしているみたいですが、時期的には約2年程のラグがある感じでしたっけ?

一作:そうだね、2年違うね。

こだま:でも吉祥寺はそこそこ被ってません?
どこかでかすっていたんだろうね。

一作:絶対にかすってるね(笑)

こだま:おれにとって、河内一作って人は幻の人なの(笑)
昔から、オーバーヒートの石井(志津男)さんからその名前を聞いたりしていたんだけど、とにかく謎の人物だった。
皆から聞くんだよ、「一作がさ〜」って(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
石井さんはあの頃、クリーズクリークの近所で事務所をやっていたから。
おれ、三木(哲志)くんと一緒に「ロッカーズ」の映像を借りに行ったもの。
三木くんはおれより石井さんとは古かったはずだよ。

こだま:あの頃はあの頃でレゲエのセクションと云うか、……、いろいろあったんだよ。

一作:あの頃、レゲエシーンにはそれなりに楽しませてもらったけど、やっぱりラスタ帽だけは被りたくなかったね。

こだま:今、一作さんが言ったことも含めて、皆思い入れがあるもんだから。しかし、周りを見ればそんなに知られたジャンルとはいえないし。
そうすると、「レゲエに関してはおれだ!」とか「レゲエはこれが本物だ!」とかって奴が出て来るんだ。

一作:ガハハハハ(笑)
いたいた、一杯(笑)

こだま:その熱い想いはシーンを活気づかせるにはいいことだったのかもしれないけど、「おれはおれでやるぜ」ていうのが石井さんで、他にもザイオン系やらいろいろあったんだよ。
結局、パンクでもニューウェーブでもそういうことってあるでしょ?「だれそれはだめで、だれそれはいい」なんてのが。
つまり小さな村社会ってのはね、目立ってくると叩くんだ。

一作:それダメだよな。

こだま:つまらん。あれ、やっかみなんだよ。
写真や絵の世界でもそのつまらんやっかみが今も続いている。

ラジオアダン:先日、s-kenさんに“東京ソイソース”について伺ったんですが、あの80年代後半の完成形とも云えるミュートビートの芝浦インクのライブでも、「ボブやれ〜〜〜!!」なんてヤジが飛んでいたそうですね。

一作:おれは大好きだったけどね、ミュート。

こだま:レゲエの中で嫌われながら。みんなつるみがあるからね。
じゃ〜、今度はヒップホップのシーンに少し顔を出すと、こっちはこっちでつるみがある。
「それをやめようぜ」というのがソイソースだったんだよ。

ラジオアダン:至極納得です。

こだま:otoちゃんがECDを誘ったり、いとうせいこうさんを呼んだり、ランキン(・タクシー)も出るわ、あれはもの凄くいい環境を作ったんだね。
あれがあの時代の最後のクリエイションだったんだな。

一作:うん、88年あたりで終わりだよね。

こだま:トマトス、s-ken&ホット・ボンボンズ、じゃがたら、ミュートビートだもの。今、自分が客で見てみたいよ。
まあ、その中でもいろいろあったけどな(笑)

一作:とはいえ、こだまくんは、結構、皆と良好なんじゃないの?

こだま:おれはクラゲみたいな人間だから(笑)

一作:ガハハハハ(笑)

こだま:最近のキーワードは“比べない”だから。
「なにごとも比べない」というのが最近の信条。

一作:正にそう。

こだま:なにごとも比べない
比べることがダメ。いいものは、「いいね〜」って。
いいじゃない、ねぇ、ゆみちゃん。
そういう時だけふる(笑)

ゆみ:はい(笑)

一作:最近、岡本太郎の本を読んでいて、こだまくんが今言ったことと同じように綴られたものを受け止めている。凄くいい信条だと思うよ。

こだま:ここまで一応生きてきて、今一番思っていることが“比べない”ってことだから。

一作:うん、それ凄く分かる。

こだま:大体、やっかみやだったり、……、
ただ、まあ、それがモチベーションになる時期もあるんだけどな。

一作:だれがどうしたこうしたは、もう本当にいいのよ。
おれなんて過去にやらかした恥ずかしいことなんて一杯あるよ(苦笑)
それもね、もういいのよ。「自分の世界だけで行こう」という気持ちが今凄くあるね。
正直に言えば新世界もやらかした方に入るんじゃないかな?一人でいるときなんていろいろ思い出して、「恥ずかしい……」ってなるもの。

ゆみ:へ〜……。

一作:だけどね、それもまたいいんだよ。
ねぇ、ゆみちゃん(笑)
こういう時だけふる(笑)

ゆみ:はい。
ハハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇

 それにしても、これほどウマがあう2人が、2010年のオリジナル新世界オープンまでサシで会話を交わしたことがなかったなんて、神様のプログラムなんてものも随分と当てにならないものだ。
 そんな、神のエラーをよそに出会った約束の地、新世界での凝縮した6年間の黄金の日々。
 今夜も、やはり話はそこに辿り着く。

◇◆◇◆◇

ゆみ:こだまさんの新世界でのターンテーブルライブは本当にお芝居を見ているように感じられて。
元々、働いていたお店がシャンソンのお店だったので、

ラジオアダン:青山「青い部屋」ですよね。

こだま:戸川(昌子)さんの?

ゆみ:はい。
こだまさんの新世界でのライブって、シャンソンのように、「1曲の中にストーリーがある」って感じで、凄くお芝居を感じて感動してしまったんです。

一作:バンドが再始動して、ターンテーブルライブは今はあんまりやってないの?

こだま:うん。

一作:あれはあれでいいんだけどな〜、こだま劇場な感じで。

こだま:自由だからね。責任も全て自分だけど。
あれこそ新世界があってのものだったかもしれないね。

一作:かっこよかったよ。
「NAMAHAGE」とか最高だった!

こだま:新世界だから出来たことなんだよ。

一作:3/11の後にさ、紙袋をエレファントマンみたいにこだまくんが被ってさ、……、かっこよかったな〜。それで、「NAMAHAGE」をやる訳でしょ。

こだま:ガハハハハ(爆笑)

一作:あの手の、敢えてチープなパフォーマンスって、80年代のニューウェーブ絡みでは一杯あったよね。あれはあれでおれは好きだったな。

こだま:そうです。
俊ちゃんのウォーターメロンだって自作の紙のお面付けて(笑)

一作:専業でなく、アートと音楽の融合なら、「素人でも出来ちゃうかも??」って世界だよね。

こだま:やっぱ新世界は、張り合いがあったな(しみじみ)

一作:だからおれからしたら、「形は違えども、そういう場を作らなくちゃいけない」と常に思ってはいるんだけどね。

こだま:そういうおれを、一作さんは今でもこうやって誘ってくれる訳だから。
そういう空間に対する感性を持ったクリエーターが最近は少ないよね。
過去で言えば、ピテカン(トロプス・エレクトス)、インク(スティック)もおれにとっては非常にエポックな箱だったけど、あの時期はバブルの後押しがあったから。新世界は全然違うじゃん。一作さんは本当、「ギリギリで、どうなるか分からないけどコアにやろう」という気持ちがひしひしと伝わってきたから。
でも、70年代の人達は、皆それをやって来たんだよね。それを2000年代に入っても一作さんはやったんだよ。

一作:やらかしちゃったね(苦笑)
でも、80年代のクーリーでライブをやったアーティストが今では有名になっていて、新世界に出演した時に、「新世界って席も少ないし、座れないし」なんて言うんだけど、おれはそんなクレームは一切受付なかったの。
だって、「あのクーリーの時の俺たちって、そんなことでライブやってなかったじゃん」ってことだよね。
歳をとろうが、「せめて2時間くらい立ち見で我慢しろよ」みたいな。
そんなおれの考える新世界の価値を最初に誉めてくれたのがこだまくん。
凄く嬉しかった。

こだま:だっていいもの。

一作:ここの場所には、「“るつぼ”というものが当たり前にあるんだよ」ってことを皆に理解してもらいたかったんだ。

◆◇◆◇

 新世界でのこだま和文のレアアクトの事柄に一つ一つ触れて行けば、朝になってしまう。
 その断片を急ぎ足で過ぎるには、ある程度の酒量も必要となる。そして、そんな行為に陥った2人の言動がやや右や左に揺れ出す。この後の話の飛び具合はかなり酔いがまわっている証拠だ。
 だが、その話の雲行きの怪しさが、忘却の彼方に置き去りにされていた事象へ行き着くトリガーともなる。
 キーワードは、“バイトリーダー”。
 ???

◇◆◇◆◇

一作:ゆみちゃん、きみは今の新宿ゴールデン街とか詳しいと思うけど、やっぱり今でもゴールデン街で働く人達って文学とか好きなの?

ゆみ:どうなんでしょうか?
わたし自身はゴールデン街でのひょんなご縁で、田中小実昌さんを知るようになったりとか、

一作:あの人は歩いていてバスが来ると無作為に乗ってしまうらしいね。でも、おれその気持ちよく分かるよ。

ゆみ:小実昌さんってテレビに出るくらい有名な方なんですよね?
でも、わたしの生まれ育った宮崎県は映る局が限られていて全然存じ上げなかったんです。

一作、こだま:ガハハハハ(爆笑)

ゆみ:知ってからは、随筆ですが、1冊だけ読みました。

こだま:東大出身だよね?

一作:東大、東大。
全然行かなくて除籍になっちゃうんだけどね(笑)

こだま:おれがはじめてゴールデン街に行ったのは、映画「集団左遷」の音楽を担当していた時。なにかっていうと行く店があって、映画人のたまり場的な店。
その前は新宿だと、しょんべん横丁の方が行く頻度が俄然高かった。しょんべん横丁といえば、マイルス(・デイビス)の命日に、梅津和時さんとたまたま出くわして。
そのことは、未だに梅津さんは語ったりしてくれているんだよね(笑)
まあ、それはそれでいいんだけど、

一作:そう?その話面白いよ。もっとしてよ。

こだま:それだけだよ(あっさりと)

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

こだま:マイルスが死んだ日。以上(きっぱり)

ラジオアダン:梅津さんとこだまさんって、結構深い縁がありませんか?
生向委(生活向上委員会)で、こだまさんの親しかった篠田(昌已)さんの兄貴分的存在で、s-kenさんの「ギャング・バスターズ」でもホーン隊にご一緒に名を連ねたりして。

こだま:うん、でも最近は息子の方が近しいかもね。
彼(梅津旭)はジャマイカ一丁目バンド(現JAMA-ICHI)ってレゲエバンドのドラマーだから。

ラジオアダン:ええ、知ってます。非常にいいドラマーです。

こだま:うん、そうなんだよ。
飲み屋もやっているんだよな。

一作:えっ、どこでやってるの?

こだま:阿佐ヶ谷。

一作:なんか阿佐ヶ谷とか一緒に行きたいね!(笑)

こだま:あさがぁ〜やぁ〜〜〜!(相当アバンギャルドなイントネーションで)
ガハハハハ(爆笑)

一作:じゃ〜、次回は阿佐ヶ谷でこの対談のVol.2やる!?
ガハハハハ(爆笑)

こだま:そうやって、すぐ一作さんは飲みの方向へおれを持って行く。
ガハハハハ(爆笑)

一作:阿佐ヶ谷はどっちかっていえばこだまくんのテリトリーでしょ?(笑)

こだま:梅津旭くんの店は「ドローバー」っていう店だね。
あの辺はあの辺でまた苦い思い出がある……、

一作:ハハハハハ(笑)
あと、ゆみちゃんワールドでゴールデン街ツアーもいいね。

こだま:ゆみちゃんは、お酒を飲む店にすぅ〜っと入って行けるセンスがあるよね。

ゆみ:どうなんでしょうか?
でも、“オーナーさんが物書き”というのには縁があるかもしれないですね。戸川さんしかり、一作さんしかり。

一作:思えばそうか。

ゆみ:あっ、そうだ、
今度こだまさんにお会いしたら訊こうと思っていたんですけど、ツイッターで、「以前、工藤冬里さんといっしょにバイトをしていました」って呟きましたよね?

こだま:うん書いた。あるよ、やったこと。

ゆみ:バイトリーダーが工藤冬里さんだったとか。

こだま:そうなんだよ(笑)

ゆみ:実は、去年の年末にリニュアルした新世界で工藤さんのイベントをやったんです。

こだま:おお、そうか(笑)
ゆみちゃんはバー?

ゆみ:その時は照明やら受付やらで。

こだま:工藤冬里、面白いでしょ?
おれ昔、彼のこと、「かっこいいな〜」って思ってたんだよ。

ゆみ:今、器を作られているんで、舞台の前に陶芸作品を置いて、最後にはそれを売っていました(笑)

こだま:そうそう。愛媛の窯元なんだよ。

一作:ガハハハハ(爆笑)
今は愛媛にいるんだ。

こだま:元々はジャズピアニストなんだけど、というか、オルタナティブピアニストと云った方がいいのかな?おれ、彼のこと大好きでさ。彼も篠田くんの関係で更に知り合ったと思う。
おれが松山でライブをやった時もわざわざ来てくれてね。

ゆみ:で、バイトはどんな内容だったんですか?(笑)

こだま:おお、おれとピアニカ前田とな、

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

一作:それいつの話よ?

こだま:随分昔ですよ(笑)
関越自動車道が出来た時。

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

こだま:年代を知りたければ、“関越自動車道が出来た時”で検索してください(きっぱり)
バイトの内容は、関越の、……、つまり路肩の掃除ですよ。

一作:へぇ〜、

こだま:車に乗って移動する訳ですよ。
そのバイトリーダーが工藤冬里だったの!

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

こだま:おれを誘ったのが前田だったの!(笑)

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

こだま:だから、おれにとってはその時からずっと工藤冬里くんは偉い人なの!(笑)

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

一作:永遠の上司?(笑)

こだま:上司、上司!!

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

一作:それは凄いね!(笑)

こだま:工藤くんは変わった人だったろう?(ゆみに向かって)

ゆみ:ハハハハハ(笑)

こだま:全然しゃべらないで、
こんな(日本固有の幽霊のポーズをとる)感じの人だろ(笑)
でも、すげぇ〜チャーミングな男なんだよ。
話しかけづらくて、話してもあんまり言葉は出てこないんだけどさ(笑)

一作、ゆみ:ガハハハハ(爆笑)

◆◇◆◇

 正に想定外な、レジェンドミュージシャン2人の過去が暴かれ一気に場はスパークしたが、盛り上げれば沈むのが自然の摂理。    
 この後、深酒に達しつつある2人の口調は徐々にまったりと。
 そして、楽しかった今宵の宴も徐々にフェードアウトへ向かう。

◇◆◇◆◇

一作:今、割と葉山にいることが多いんだけど、ミュートビートとこだまくんの音源は全部店に置いてあるから、聴きたい時に聴けないんだ。だから、最近はユーチューブで聴くことが多い。

こだま:どのくらいの感じで行き来してるの?

一作:大体、半分ずつかな?

こだま:いいペースだね。

一作:(急に)いいね、いいね、かっこいいね(BGMでかかった、西内徹バンドでのこだま和文のソロパート部分を聴きながら)
いいな〜、ミュージシャンは皆に、「かっこいい」って言われて(笑)
店をどこまで作っても、「かっこいい」なんて言われたことないよ(笑)

こだま、ゆみ:ハハハハハ(笑)

こだま:「いい店ですね」ってのは、その場合、「かっこいい」の同義語でしょ。
「あそこのオーナーがいいんだよね」って、皆言ってるよ(笑)

一作:今回、ゆみちゃんを飛び入りで呼んでよかったね。

ゆみ:ハハハハハ(笑)

こだま:ゆみちゃんはまだ若いから、これからいろんなことがあるんだろうね。

一作:ねっ。
あるある、一杯ある。

こだま:ゆみちゃんは、久しぶりに会っても可愛らしくて本当にいいよな。

ラジオアダン:そういえば、(松竹谷)清さんの還暦ライブの正式なリリースはこだまさんにもまだ届いてないんですか?

こだま:知らない。渋谷でやるってとこで止まっている。
(後日、6月9日(金) 渋谷 O-nestに決定!)
(突然)今、一作さんは何の曲を聴きたい?

ラジオアダン:多分これだと思いますよ(PCで『恋のバカボンド/s-ken:トランペットこだま和文』を即かける)
「恋のバガボンド/s-ken」ユーチューブで試聴可能です

一作:いいね!これ最高!

ゆみ:s-kenさん?

こだま:うん、s-ken(笑)

一作:この曲も、朝、掃除の時に聴く曲(笑)

こだま:ハハハハハ(笑)
いいね(聴き込みながら)

ゆみ:s-kenさんのヴォーカルって魅力的ですよね。

こだま:うん、そうだよ。

ゆみ:わたしはこだまさんの唄も大好きですけど(笑)

こだま:嬉しいね(笑)もう少し励みますよ。

一作:このトランペット最高だよね。(聴き込みながら)
かっこいいんだよ、本当に。

こだま:ここのペットの部分は、実はおれが作ったフレーズなんだよ。
♪お〜い〜で〜 恋のバ〜カボンド〜♪(曲に合わせてはもる)
いいね〜(笑)

一作:今日も結構話したね。
今度はおれが国立に訪ねて行くからさ。

こだま:はい、待ってます。

一作:その時は、たまには吉祥寺で飲もうか?

ゆみ:えっ、それわたしも行っていいですか?

一作:いいよ。

こだま:来てよ、ゆみちゃん(笑)
今度、ゆみちゃんがいる新宿の店にもふらっと行くよ。

ゆみ:こだまさんがお店に来たらめちゃくちゃ緊張しちゃいますよ(笑)
毎週月曜日は新宿にいます。昭和歌謡のお店(新宿『夜間飛行』)です。

こだま:へ〜、そうなの?
そこはお客さんも唄えるの?

ゆみ:残念ながらお客さんは唄えないんですけど、ママがセレクトした歌謡曲と、昭和の映像、それこそ「時間ですよ」とかが流れていたり。

こだま:へ〜。

一作:(突然)今週の「バー黄昏」(一作プロデュースの渋谷の週末限定DJバー)のDJはだれ?(進行役に向かって)

ラジオアダン:インターFMのナビゲーター、ジョージ・カックルさんです。
そうそう、ジョージさん、実は、元新宿「開拓地」のスタッフだったんですよ。

こだま:えぇぇ〜〜〜〜!!おれ、大昔、ライブやったような気がする。
瀬川(洋/ex.ザ・ダイナマイツ)さんとやってるかもしれない。
開拓地!?!?ヤバいね!

ラジオアダン:こだまさんは(川上)シゲさん(ex.カルメン・マキ&オズ他)に連れられて、

こだま:うん。
へ〜、ホント??そんな人がかけてるんだ。
開拓地、ウッディーな店だよ、ウッディーなログハウスみたいな(笑)

一作:流石にその店は知らないな〜。
名前からして凄いね(笑)
で、こだまくんの今度のライブはいつなの?

こだま:近々では、5月14日の立川「A.A.company」での、KODAMA AND THE DUB STION BANDのワンマンですね。
※詳細/

一作:飲みの場ばかりじゃなくて、今度はライブ会場に会いに行くね。
最後に告知も出来たし、酔談の第2弾もやるというところで、今日はお開きにしようか?

こだま:そうですね。
本日はごちそうさまでした。

◇◆◇◆◇

 再会を約束して幕が降りたダブマエストロとの酒宴。
 今後も限りなく続くであろう2人の会話と言う名の交信。
 「応答願います」。
 こだま和文がMCの常套句として使うこの言葉は、一作の随筆にもよく登場する一節だ。
 「応答願います」。
 次回、このどちらからかのコールにレスポンスする場所は、吉祥寺?阿佐ヶ谷?新宿?それともどこかの地方都市?はたまたアセンション後の新世界?
 だが、そんな先のことは誰も分からない。
 なぜなら、人生の殆どの出来事なんて酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

テキスト、進行:エンドウソウメイ
写真:門井朋

●今回のゲスト

PhotoⒸ門井朋
こだま和文/プロフィール
1982年9月、ライブでダブを演奏する日本初のダブバンド「MUTE BEAT」結成。通算7枚のアルバムを発表。1990年からソロ活動を始める。ファースト・ソロアルバム「QUIET REGGAE」から2003年発表の「A SILENT PRAYER」まで、映画音楽やベスト盤を含め通算8枚のアルバムを発表。2005年にはKODAMA AND THE DUB STATION BANDとして「IN THE STUDIO」、2006年には「MORE」を発表している。プロデューサーとしての活動では、FISHMANSの1stアルバム「チャッピー・ドント・クライ」等で知られる。また、DJ KRUSH、UA、EGO-WRAPPIN’、LEE PERRY、RICO RODRIGUES等、国内外のアーティストとの共演、共作曲も多い。
近年、DJ YABBY、KURANAKA a.k.a 1945、DJ GINZI等と共にサウンドシステム型のライブ活動を続けているが、2015年 12月、KODAMA AND THE DUB STATION BANDを再始動。メンバーは、こだま和文(tp.vo )、AKIHIRO(gr)、コウチ(bs)、森俊也 (dr)、HAKASE-SUN (key)。
また水彩画、版画など、絵を描くアーティストでもある。
著書に「スティル エコー」(1993)、「ノート・その日その日」(1996)、「空をあおいで」(2010)。ロングインタビュー書籍「いつの日かダブトランペッターと呼ばれるようになった」(2014) がある。


PhotoⒸこだま和文
園田ゆみ/プロフィール
青山「青い部屋」を皮切りに、東京のコア・ライブシーンの多くの箱のスタッフを歴任し、河内一作プロデュース「音楽実験室 新世界」でも、カウンターチーフ、ブッキングマネージャーを務める。現在もライブシーンに身を置き、昨今は、主にライティング業務に携わる。また、「ゆみたん」名義でのDJ、「迷い道くね子」名義でのアーティスト活動など、神出鬼没な夜の街の妖精度は更に深まるばかりである。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

黄昏ミュージックvol.5 Komm, susser Tod(甘き死よ、来たれ)/ARIANNE

 1997年公開の、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」の、正に、人類及び地球の終わりの始まりを告げる、黄昏タイム、人類補完計画発動時に象徴的楽曲として流れ込むのがドイツ語タイトルを持つ「Komm, susser Tod(甘き死よ、来たれ)」。タイトルと反し全て英語で唄われている。歌唱は、イギリス生まれ南ア育ちの女性シンガー、アリアンヌ・クレオパトラ・シュライバー(本作はARIANNE名義)。
 B級バラードと聞き違える程にどうでもいいピアノ伴奏のバラードが、聴き進むにつれレモン・ジェリーを彷彿させる壮大なテンション高いシンホニック・ポップスへと展開され、リフレインされる~It all returns to nothing~(『無に還ろう』)とのマントラはオレンジ色のLCLの深海に溶け込む。(se)

酔談Vol.2 ゲスト:徳永京子氏 ホスト:河内一作



 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
 酔っているがゆえの無軌道さ、大胆さ、無責任さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回2回目のゲストは、今や演劇評論のトップランナーであり、一作プロデュースのライブシアター「音楽実験室 新世界」(2010〜2016)の略全ての演劇イベントをプロデュースした才女、徳永京子さん(以下敬称略)、
 ……、な、の、だ、が、……、実はその旨、徳永京子には事前に知らされておらず、抜き打ちテストならぬ抜き打ち対談という様相。
 不意を突かれ、当初あまり気乗りしない様子の徳永京子だったが、「アダン」の極上自家製サングリアの進みと共に徐々に舌は滑らかに。
 まずは、皆が知りたい演劇界のリアルな現実の話から緞帳は上がった。

◇◆◇◆◇

河内一作(以下:一作):今、校正原稿持って来ているんだけど。初回は編集者の松木(直也)が、食育のことに力を入れていて、その辺を中心に話したんだけど、


 
徳永京子(以下:徳永):ええ。じゃ〜、この原稿は略終わっていて、

一作:うん、で、徳永さんは女性なんで、写真はちゃんと撮らないと失礼なんで、この後、カメラマンが来るから。

徳永:ええっ!?今日、対談やるの!?マジで!?!?
なんの用意もしてないですよ。

一作:ハハハハハ(笑)
それでいいんだよ(笑)いいじゃん、「新世界おつかれさん!」で飲む感じでいいから(笑)

徳永:ハハハハハ(笑)

一作:おれ達が飯食うなんて1年に何回もないんだからさ〜、

徳永:ええ、まあぁ……。

一作:今日、徳永さんのスタッフが来れなかったから、かえって、「対談にはいいなか?」って。
徳永さんとはいつからの付き合いだっけ?

徳永:新世界がオープンするときに、湯山玲子さんのご紹介で始めてお会いしました。
 
一作:そうか、仲介してくれたのは玲子さんだったね。
新世界に関してはやはり、“元『自由劇場』だった”ということが、お芝居の人達に執ってはひとつのモチンベーションとなったんだろうか?

徳永:それは確実にあったでしょうね。

一作:昨年の3月に店を閉めて、早々に徳永さんは食事にでもご招待して、新世界での労をねぎらいたかったんだけど、もう1年が過ぎようとしている……。

徳永:一作さん、丁度、閉店のタイミングで骨折されて入院していたこともあって、そのまんまになっちゃいましたね。もうすぐ1年か〜……。

一作:徳永さんプロデュースの新世界での公演の最後はいつだったの?

徳永:「官能教育」の再演シリーズを、2015年の、8、9、11月と3本やったのが最後でした。まだ、いくつか新世界でやりたいことはあったのですが、仕込みきれなかった……。

一作:芝居は準備が大変だよね。
ところでさ、鈴木杏さんが出たんだよね?

徳永:ええ出ました。

一作:えっ!いつ!?

徳永:倉橋由美子さん翻訳作品のリーディングシリーズを「夜の入り口」というタイトルでやっていたときの1本で、「星の王子さま」の王子役で出ていただきました。

一作:おれ、実は彼女のことまるで知らなかったんだけど、映画「軽蔑」をたまたま見て、「素晴らしいな〜」って。それでさ、……、……、会いたかったの(可愛らしく)

徳永:ハハハハハ(笑)

一作:劇中に憂歌団の「胸が痛い」がかかるじゃん。あの男の子、えっと、……、

徳永:高良健吾さん。

一作:うん。
彼がそのまま電車に乗らないで一旦降りてさ、電車の中で杏ちゃんが佇んでいて、そこにあの木村充揮のダミ声が被ってくる。あのシーン、最高だよな。
「胸が痛い」っていったら、おれと、今、この対談の進行している彼と、ミュージシャンのこだま和文くんと吉祥寺で取材して、その後に西荻窪で飲んだときに、ながれでこだまくんの行きつけのカラオケスナックに行ったんだけど、実はおれ、カラオケ苦手で早々に帰ろうと思っていたんだ。そしたら彼が「胸が痛い」を歌って(笑)「おお、いい曲きたじゃん!」って(笑)

ラジオアダン:恐縮です(笑)あのとき、こだまさんの評価も意外に高く、「お前、選曲いいよ!」ってお褒めの言葉をもらいました(笑)

徳永:へ〜、で、一作さんは歌ったの?

一作:……、……、

ラジオアダン:歌いましたよ。こだまさんとデュエットで「木綿のハンカチーフ」。しかも、歌詞の男女パートを二人でしっかり分けて。ガハハハハ(爆笑)

徳永、一作:ガハハハハ(爆笑)

一作:最低だよ(笑)
あの曲と歌手は好きだけどね。

徳永:太田裕美さん。

一作:うん。
彼女は絶対的な声をしてるじゃん。究極的には歌手は上手いとかを越えて、すぐに“誰”と分からなくちゃダメ。

徳永:うん、確かに。


河内一作

一作:話は戻るけど、芝居は音楽以上にリハーサルが多いし、束縛時間も長いから大変だよね。
でも、昔からやっているアングラ方面のあの人達ってどうやって食ってるのかね〜、いつも謎なんだけど(笑)

徳永:ミュージシャンの方達にも謎な人、結構いませんか?(笑)

一作:まあそうだけど、ミュージシャンはミニライブなんてことで効率よかったり、弾き語りってことでひとりで完了出来たりもするじゃない。芝居よりは身軽だよね。

徳永:確かに、基本、音楽のライブは1日が多いと思いますが、お芝居は1週間とかざらですからね。

一作:それプラス稽古だものね。
そうそう、昨年の暮に、元状況劇場オールスターズ的な芝居「骨風」を見に行ったの。佐野史郎くんが主演の芝居。

徳永:そうでしたか。
その役者の収入とも関連しますが、昔と違って、ここ10年くらいは助成金というシステムが割と整ってきましたから、申請書さえ通れば、国だったり文化団体からある程度お金が出るようになりました。
だからと言って、全ての作演出家、役者さん達が食べてゆけるようになった訳ではないですが、公演費用くらいは賄える場合も多くなってきました。
ですので、以前のように団費やチケットノルマ云々に振り回されずに、演出、演技に邁進出来る環境は徐々にですが整ってきてますね。

ラジオアダン:門外漢から見て、役者さん達の成功と呼べる最終形は、テレビ、映画に出続けることのようにぼくは勝手に思っているのですが、実際のところはどうなのでしょうか?

徳永:最終形と云っても人によって随分違うものですよね。
でも、食べるという一点についてだけを考えるなら、テレビが一番手っ取り早いのはその通りだと思います。

一作:そのテレビに出るってことは簡単なことなの?

徳永:簡単じゃないです。

一作:例えば、「食うためにテレビなんて出たくない!」なんて人は今でもいるの?

徳永:ええ、出たくない人もいますよ。
テレビを最終形と思っている役者さんがまずいますよね。あと、テレビには出ているけどそれが最終形だとは思っていない役者さんもいる訳です。
私の私感ですが、一番多くの役者さんが思っているのは、「テレビだろうが、映画だろうが、舞台だろうが、その時その時の自分が好きなジャンルで、好きな人達と仕事をする環境を構築したい」というのがおそらく最終形だと思うんです。

一作:知人ということもあるけど、それプラスバンド活動もする佐野くんなんて、正に今言った感じに近いよね。

徳永:はい、わたしもそう思います。

一作:彼はよくそういう時間を作れるよな〜。
「骨風」だって、なんやかんやで1ヶ月は拘束されている訳でしょ。
あの芝居だと、(井浦)新くんみたいな売れっ子もよくスケジュール調整出来たね。

徳永:ホントですよね。
でも、役者さんサイドから聞くのは、「ミュージシャンの人達ってどうやって食べているのかね〜」ですから(笑)
ライブ1本で高額なギャラが発生する人は数える程しかいないでしょ?

一作:ただ、ミュージシャンは仕込みが早いから。上手い人だとワンテイクで完了だから。下手な奴程ダラダラやってる(笑)

徳永:こう言ったら分かりやすいのかな?
お芝居をやる人達は、皆で時間を掛けて準備をするのが好きな人達だと。

一作:成る程。
昔のアングラ系の人達は、当日のもぎりから場内オペレーションまで全部やるもんな。

徳永:はいはい(笑)

ラジオアダン:ミュージシャンの人達の中でも、お芝居にすっと馴染んでゆく人もいますよね。

徳永:そうですね。
実際に、ミュージシャンから俳優になる方も凄く多いですし。
そういう人って、演じる前に既に雰囲気、世界観が出来上がっているんです。
自分で、「こういう風にしたい」というのがはっきりしていて、それとキャラクターが上手く合致すると、演技以上の魅力が表出する。
石橋凌さん、白龍さん。あと、ユースケ・サンタマリアさん等が上手なのは勿論ですが、それに値する方達なんでしょうね。


徳永京子氏

一作:徳永さん自身は芝居経験者だったの?

徳永:いや、全然。
見る専門です。

ラジオアダン:非常に初歩的な質問で恐縮ですが、ぼくは、幼少期に映画とお芝居を同時期に初めて見たのですが、お芝居の“生さ”に付いて行けなかったんです。で、その後、「映画は好きだけど芝居はちょっと……」という時代が長々続いてしまって……、

一作:おれもそう思った。
最初に好きになるのは映画だよ。

徳永:私も同じです。まずが映画の方が身近じゃないですか。
舞台って、やっぱり、……、よっぽどの幸運で最初の出会い頭に面白い作品に当たらない限りなかなか入り込めないと思います。
変な言い方ですが、見るコツを掴むまでに時間を要したりであるとか、あと、とにかくいい出会いが必要ですね。「生すぎる」とおっしゃいましたが、それは私にも非常に理解出来ます。

ラジオアダン:えっ?徳永さんでもそれを感じた時期があった!?

徳永:勿論、勿論。
かっこ悪いし、気持ち悪いし、わざとらしいし、汗臭いし。
ハハハハハ(爆笑)

一作:おれはその辺のアングラ感は大好きだけどね(笑)
それより、唐十郎や寺山修司の芝居ってなぜあんなに早口で台詞をしゃべるのかな?

徳永:あれは台詞が一杯あるからだと思います。
特にアングラは、唐さんも寺山さんも詩人でもあったので、言葉が抽象的なんですよね。
抽象的なものをゆっくり言うと単なる詩の朗読になってしまうので、

一作:そりゃ〜スピードが大事になるね。

徳永:そうなんです。
あと、お二人共凄く言葉が湧き出る方達で、思考もバンバン飛んで、書きたいことも沢山ある。

一作:飛びまくりだよ(笑)

徳永:それを敢えて整理しないで書いていったと。
それを芝居として成立させるにはスピードがないと、お客様の間に、「?」が続いてしまって、芝居として受け入れられないんです。
内容が破綻していても詩情を優先するためにスピードを使って、お客様の中に疑問を感じさせないリズムであったりだとか、詩が詩として植え付けられる時間を考えると、それはゆっくりではなく、ある早さと物量を持ってぶつけるという時期があの頃だったんだと思います。

一作:台詞全てが分からなくてもいいんだよね。
実際、あれ分かる?

徳永:いくつかを、自分の耳に残るフレーズとして持って帰れればそれでオッケーだと私は思っています。
今も勿論あるんですが、アングラが60〜70年代に隆盛を誇り、90年あたりから少しずつ演劇の流行が変わっていって、今はホント、囁き声のようなごく普通のトーンの演劇の方が比率として多いです。

一作:へ〜。
おれは最近、数見てないからな。

ラジオアダン:ぼくはさっきも言ったように、生さが苦手で芝居門外漢だった。新世界で突然、芝居の照明をやるはめになり(苦笑)徳永セレクションから芝居に対するイメージが変わりました。アニメやライトノベルスの要素を多分に含んでいたり、第一、皆さん音楽センスが非常にいい。

一作:ごめんね、おれあんまり見れなくて……。

徳永:そうですよ、鈴木杏ちゃんの時も、新世界のスタッフの方に、「一作さんに連絡してね」って頼んだんですから(笑)

一作:あっ、そう。
すいませんでした(笑)

ラジオアダン:思えば、毛皮族の江本純子さん演出作品の時の照明はぼくでした。今思えば恐ろしいことだ(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
でも、本来そんなもんじゃん。ああいうちっちゃいところは人手が足りないからさ。

徳永:毛皮族こそ、自分達で早い時間からバァ〜と入って、その場で小道具とか作って。衣装もご自分達で集めてアクトが始まる。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、ホント、プロデュースサイドに執ってケアの必要のない方々です。
「1〜10まで全部自分達でやるのが当たり前なんだ」ということを苦労としてではなく、志しと云えばいいのでしょうか?そういう認識で行っている。
新世界でお願いしたときも、そういう部分が、「かっこいいな〜」と思いながら
惚れ惚れ見ていました。
あと、先ほど触れられた、アニメ、ライトノベルズ的感覚の導入や、音楽に対する感度の良さというのは、新世界でお願いした20代の演出家の方達に対する感想だと思うのですれけど、あの方達はおっしゃるように、ライトノベルズに強く影響を受けているのですが、それ以外、例えば古典と云われる作品にも同等の価値を置いているんです。
ネットネイティブ世代って、ドストエフスキーもライトノベルズも同じ時間軸の中で吸収してゆく世代で、当然作品にもそれが大きく反映される。

一作:その分岐ってどの世代から顕著に現れるの?

徳永:新世界でやった頃が27〜8歳の人達ですから、天然代と云われる2010年以降に表現活動を始められた方々ですね。
天然代の方々は、古い新しいという切り方じゃないのが特徴です。
ネットでフリー素材が手に入り、YouTubeでいろんな物が見れる。情報も掘ろうと思えば略無尽蔵に掘れるので、古いものも新しいものも自分のアンテナに引っかかったものは全部均等な価値観で吸収します。云うなれば、時間差も地域差もないままにカルチャーを取り入れて、演劇という場を出口としてアウトプットしているのが天然代のクリエーターの特徴だと思います。
彼等世代は役者さん達も普通に可愛かったり、イケメンだったり、おしゃれだったり、めちゃ清潔感があったり(笑)

一作:それはおれも彼等に感じるけど、昔も表現は泥臭かったかもしれないけど、それなりにおしゃれだったと思うけどな(笑)

徳永:ハハハハハ(笑)
演劇って、「ダサい、ダサい」と言われがちですけど、実はその時代その時代の一番かっこいい部分を持った人達が一定数いるというのは間違いない。

ラジオアダン:過去の時代の一番かっこいい部分を持った方々が、今の邦画やテレビドラマを支えていると言っても過言ではないですよね。

徳永:そうですね。
舞台の人達がテレビや映画の脇を固めて、あるクオリティーを担保するというのは、純粋なテレビ俳優が存在しなかった60年代の新劇の役者さん達に代表されるように既にありましたが、その後の、舞台や映画の経験がなくテレビだけでスターになるということが起こり得る時代になっても、その脇の構図は変化しなかった。
でも、テレビしか経験がないという新たなキャリアの人達からしたら、「楽しそうに自由自在にお芝居をやっている人達って皆、舞台出身の人達だ。一体、舞台には何があるんだろう?」とうい自問自答が80〜90年代に始まる。
分かりやすい例で云うならば、小泉今日子さんが、今は年に1〜2回は舞台に出ますけど、その切っ掛けとなったのはテレビドラマをやっていて、「この人の演技いいな〜」とか、「頼れる役者さんだな〜」とか、「なんでも出来るな〜」と硬軟どっちも使い分けられる役者さんが舞台出身の、古田新太さんであったり、生瀬勝久さんとか八嶋智人さんとか、そういう役者さんたちに触れていって、「どうやら舞台には何かある」という確かな感触を持ったからだと思うんです。
ですから、表層部分では変化はないのですが、その深層では相当変化していて、そんな先駆者に引っ張られ、テレビスターがビジネスとしては効率の悪い舞台を表現の場に選ぶことが多くなってきているんです。
そんな流れの中、事務所サイドも、「1ヶ月も稽古で拘束なんて有り得ない!」なんて感じだったのが、昨今は、「どうやら舞台を経験した方が役者生命が伸びるらしい」という認識に少しずつ変わってきています。

ラジオアダン:今のお話ですと、演出家が舞台の現場にテレビスターを引っ張り込むことより、役者同士のシンパシーで活躍の場に変化が起きることの方が多いということですか?

徳永:わたしの耳に入る事象としてはそのパターンの方が多いですね。

一作:そりゃ〜、そうだと思うよ。

徳永:瑛太さんや妻夫木聡さん等は本当に舞台俳優としても素晴らしいのですが、それは、彼等が非常にクレバーで、テレビや映画でいろいろな経験を積みながら、「役者として“楽しい”というカタルシスをより得られるには舞台を経た方がいいみたいだ」ということを、どこかのタイミングで自主的にビジョンとして持ったからだと思うんです。
あと、唐さん達と同世代ですが、例えば、蜷川幸雄さんは、嵐の松本潤さんに“アイドルの身体に潜む不良性”?世の中と相容れない不器用さを見い出し、同時にさっき出た、寺山さんや唐さんの理論的には破綻していても詩情的には成立する台詞も言える俳優として見い出したりもしました。
そんな独自の演出によって、寺山作品や唐作品がシアターコクーンでかけられる状況まで生まれてきた。

ラジオアダン:嵐のファン達がアングラのエキスに触れるというのは面白い現象ですね。

徳永:ええ。とはいっても、最初の5〜6年のジャニーズファンは、「なにこれ?」って感じでちんぷんかんぷんだった。でも、彼女達は非常に勤勉な人達で、戯曲を読んだり、寺山さんや蜷川さんについて調べたり、インタビューを一生懸命読んだりして、松本潤さんが今何をしようとしているのか?蜷川さんとどんなコミュニケーションを取っているのか?ということを積極的に理解しようとしたんです。
ただただ、「分からない」で終わらせないで、「分からないけど、何かある」というところまで、自力で辿り着いていったんですね。

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 膨大の数の観劇と取材に基づいた、徳永京子のみが知る、演劇人の行動原理、表現原則、そして、テレビドラマ時代突入後の舞台逆流入の深層心理等、部外者には通常覗くことのできないインサイドを垣間見た後、こんな疑問がわたしの脳裏を横切った、「この人のどん欲とも云えるこのドラマツルギーへの欲求は一体どこからきているのだろうか?」
 この後、話題のシフトチェンジと共に、フィールドも“板”から2005年に消滅した“ブラウン管”へと移行する。

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ラジオアダン:ちょっと雑なもの言いで恐縮ですが、現代日本人のドラマ的なる初期衝動があるとしたら、テレビドラマが最も多いのではないでしょうか?

一作:おれは山口県の凄く田舎の町で育って、高校が寮生活だったからあまりテレビの影響下にはなかったな。
とはいっても、早熟だったから、中学のときはグループサウンズが出る「ヤング720」を見てから学校に行くような子だったね。

徳永:私は木下恵介アワーの「親父太鼓」とかをまずは好きになって、その後は平岩弓枝ドラマシリーズ(笑)

ラジオアダン:脚本家の佐々木守さんの作品は見なかったですか?

徳永:見ました、見ました。「奥様は18歳」とか。

一作:おれ、知らないわ。

徳永:作詞家もされていましたね。

一作:それって、徳永さんが幾つぐらいのときの話なの?

徳永:小学生です。
一作さんはもう高校生だったかも知れないですね。

一作:寮生活で見れなかったのかもね。

ラジオアダン:国民的アイドル女優が、中山千夏さんから岡崎友紀さんに変わる頃の話ですね。

一作:おれの兄貴というのが共産党員で赤旗を配っているような人だったんだけど、おれが寮から帰郷したときに、「チケットやるからこの映画を見てこい!」ってことで見たのが、テレビドラマで人気を博し劇場版も作られた「若者たち」。(ザ・)ブロードサイド・フォーの主題歌で有名なやつね。
あれって、「ひとつ屋根の下」の原型、完全にオマージュなんだ。
江口洋介が田中邦衛で、小雪(酒井法子)が佐藤オリエ、おれ大好きだったな〜、佐藤オリエ(笑)
だから「若者たち」の三男、山本圭をオマージュ的に「ひとつ屋根の下」にも出演させていたでしょ。

徳永:へ〜、ある種のトリビュートだったんだ。

一作:どちらも同じフジテレビだから、系譜の中でちゃんと受け継がれていたんだよ。
大きな声では当時は言えなかったけど、木下恵介アワーは、「つまんないな〜」っておれは思っていた(笑)

徳永:えっ……、わたし「おやじ太鼓」大好きでした(笑)
あおい輝彦と、竹脇無我と、

ラジオアダン:進藤英太郎。

徳永:「寺内貫太郎一家」の原型みたいな、

ラジオアダン:言われてみれば。

徳永:♪誰が捨てたか大太鼓♪って、あおい輝彦の歌で(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
中学?

徳永:いや全然、小学生(笑)

ラジオアダン:親父ものって言ったら森繁が出ていた、

一作:「七人の孫」でしょ。

ラジオアダン:「2丁目3番地」等もぼくは好きでした。

徳永:「3丁目4番地」もありましたね。

一作:詳しいね〜、
一体、どんな子供だったの?

徳永:あの〜、……、フフフフゥ〜(含み笑い)…、明るくて、素直な子でした(笑)

一作:素直だったの?

徳永:ええ、素直だけが取り柄でした(笑)

一作:運動はダメだったでしょ?

徳永:ええ、ダメでした。
なんで分かるんだろう?(笑)

一作:分かるよ。
本ばっかり読んでいたとか?

徳永:そんなに読んでないですよ。
ぼぉ〜っとしたりして(笑)

ラジオアダン:今聞く限りでは、ドラマばかり見ていた少女なのでは?(笑)

徳永:木下恵介アワー、再放送して欲しぃ〜(笑)
あの系列は、その後、少し昼ドラに移行したんですよね。
それまでの昼ドラは、帯クルクルみたいな〜(笑)ちょっと、奥様が欲求不満を解消するようなエッチなドラマを午後1時代にやっていたんですけど、木下恵介アワー的ものが移行することで、島かおり、大和田獏の「二十一歳の父」等というそれまでになかった作品群を生んだんです。

ラジオアダン:いい話ですね〜(笑)
その辺の大人向けのドラマも勿論ですが、もっと幼少の頃に、例えば、「コメットさん」とか、そのへんの実写もの、

徳永:「仮面の忍者 赤影」!
「河童の三平」。

ラジオアダン:「忍者ハットリくん」も実写でありましたね。

徳永:あと「怪獣ブースカ」(笑)

ラジオアダン:そっちもやっぱり見ていたんですね(笑)
青影と言えば!?

徳永:「だいじょ~ぶ」!!!!
ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)
流石ですね(笑)

徳永:あと、わたし、生まれて初めて見た映画が、小学校の校庭で野外上映した「エノケンの孫悟空」なんです。
で、映画館で見た最初が「大魔神」、

ラジオアダン:大映の田舎臭い、

徳永:暗くて、綺麗な女の人が人身御供になるという(笑)

一作:……。(呆れ気味な表情)

徳永:(一作に向かって)村の守り神である巨大な埴輪が、いい人達を悪い人達が迫害してゆくと、怖い形相に顔が変化して暴れるという。

一作:おれ子供の頃、「顔が埴輪に似ている」って言われていた(興味なさそうに淡々と)

徳永:ハハハハハ(爆笑)
そんなこと、な、い、よ(過度に優しく)
でもなんといっても「河童の三平」。

一作:全然知らないよ。

徳永:主人公が約束を破って、家の中の開かずの間に入ってしまったばかりに、罰として母親が黄泉の国に連れ去られて行くんですが、そのおかあさんを探すために地底奥深く潜って行って、いろんな怪物、妖怪に会って行くってストーリーです。聞くだけで怖いでしょ?

一作:……。(無反応)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)

徳永:だって自分のおかあさんが、

一作:(遮って)君たちは年代が略一緒でしょ?

ラジオアダン:そうみたいですね。

一作:おれ「河童の三平」ってまったく知らないもの(打ち切るようにきっぱり)

徳永:(まるで効き目なく)水木しげる作品。

ラジオアダン:(まるで効き目なく)怖い水木作品と言えば「悪魔くん」。

徳永:「悪魔くん」!!!
悪魔くんの主題歌は中山千夏、……、???、……、
あっ、違う、あれは永井豪先生の「ドロロンえん魔くん」だ。

ラジオアダン:作詞:中山千夏、作曲:小林亜星(笑)

一作:どうでもいい話だな〜(苦笑)

徳永:私はいつも20歳以上歳下の人達といることが多いので、こんな話が出来て嬉しいんですよ。

一作:そんな風に、演劇界に若い人材が多くなってきているということは、芝居の間口が広くなったんだろうね。
昔みたいなストイックで恐ろしい世界じゃなくなって(笑)

徳永:そうです、そうです。
明るい感じ。

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 さて、その明るくなった演劇への分岐といったら、一体どの時期からだったのだろうか?そしてそのトリガーとなった人物、時代的バックボーンとはどのようなものだったのか?

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ラジオアダン:演劇門外漢のぼくが劇場に行かずとも、「演劇界も随分変わってきたんだな〜」と実感させられたのは大人計画で、実は一時、黎明期の同じメディア(BSラジオ)で別々の番組をやっていたときがあって、「センス的にとてもかなわない」と完全に白旗でした。

徳永:松尾スズキさんとわたしは同い年なんです。
わたしは東京、横浜で育っているので、当初、松尾さんの抱える地方出身者のコンプレックスみたいなものがよく理解出来なかった。
松尾さんに惹かれるようになった理由として、松尾さんがまず演劇のアウトサイダーだったということがあります。もともとイラストレーターをされていて、宮沢章夫さんが放送作家をしていたところを経由して演劇に入って来られたので、そこで一つ断層があると思います。
同じ頃、ケラ(リーノ・サンドロヴィッチ)さんも演劇に入って来るんですけど、ケラさんは完全にお芝居と離れたインディーズのバンド、有頂天と、ナゴム・レーベルをやっていて、モンティ・パイソン、宮沢章夫さん経由での移行でした。松尾さん、ケラさん共に62年生まれなんです。
そこら辺から演劇に付き纏っていた、「社会主義、労働主義ばんざ〜い!」だったり(笑)アングラ+政治だったりの演劇とまったく違う風が吹いてくるんですね。

一作:そうだろうね。
アングラの最終世代とその辺とでは十年違うんだな。

徳永:特にケラさんが作られていたインディーズロックシーンの持つカオスは、今や演劇に止まらず、社会全体にシンクロしているし、していない訳がない。
松尾さんの乾いた笑いもそれまでの演劇にはなかったもので、ケラさんのシニカルな笑いも、勿論、以前にはなかったですね。

ラジオアダン:80年代後半、関西の劇団☆新感線等が東京でも人気を博しましたが、

徳永:新感線は完全にザッツ・エンターテイメントだったので、松尾さんのコンプレックスだとか、ケラさんの東京ローカリズムみたいなものとはちょっと別のものですね。

一作:そこは確実に違うよね。東京と地方という意味も含めて。
アングラでも唐は東京ローカルだよ。
寺山修司と唐十郎の違いは、究極的には青森か東京下町かの違いと云っても過言ではない。

徳永:東京ローカリズムと言ったときの定義は時代によって変わりますよね。
ザックリ言ってしまえば、地方を構成するものはあまり変わらない。でも、東京ローカリズムを構成するものは時代で凄く変わってゆくので、60年代のそれと80、90年代のそれとはまったく違う。

一作:東京は基本寄せ集めだしね。

徳永:だから青森に執ってずっと寺山修司はカルトのアイコンで、

一作:完璧な、東京〜青森の距離感で世界観を作っちゃった訳だね。

ラジオアダン:今の寺山に関する定説はすぅ〜っと落ちますが、以前から一作さんがよく言っていた、80年代の“東京ミュージックの権化”とマスコミが書き立てたミュート・ビートを、「彼等こそローカリティー溢れる音楽だ」とよく早い段階から識別出来ましたね。

徳永:凄い!看破したんだ。

一作:おれはさ、「この暗さは」、

徳永:青森?

一作:いやいや、こだまくんは福井県出身だから。
あの旋律と音は、冬の日本海を見て育った人間しか書けないでしょ。
あれは思いっきり言っちゃえばレゲエじゃないよね(笑)

徳永:どっちかと云えばブルースですよね。非常にブルージーです。
サウンドプロダクトはレゲエですけど、ソウルとしては完全にブルースだと思います。

ラジオアダン:ええ、そのような発言を過去ご本人もしています。

一作:だから、あの音は冬の日本海の夕日なんだよ(笑)

◇◆◇◆◇

 アングラとミュート・ビートの構造を看破したところで、一作が意外な方向へ話題を振った。
 “徳永京子=演劇”を完全に覆す、「徳永京子の考える映画オールタイムベスト3」。
 ?????
 さて、簡単のようでいて、候補作品があまりに多いがゆえに悩むこの問いに、果たして彼女はどんな応えを一作に返すのだろうか?

◇◆◇◆◇

一作:芝居に関しては嫌って程、日常的に訊かれるだろうから、こんな酒の場だし、敢えて映画作品での徳永さんのオールタイムベスト10なんてのを教えてよ。

徳永:「マイ・ベスト1は?」と言われれば実はすぐに答えられます。

一作:えっ、なになに?

徳永:ロバート・アルトマン監督の「M★A★S★H マッシュ」です。

一作:渋いね〜、古いね〜(笑)

徳永:じゃ〜、一作さんのベスト1はなんですか?

一作:一杯あるよな〜、勿論、「M★A★S★H マッシュ」も好きだし、今村昌平の一連、(ジム・)ジャームッシュも勿論好きだけど、……、これ一発と言えばやっぱり「ゴッドファーザー」。

徳永:ああぁ〜。
わたしの2位は「ブエノスアイレス」かな?

一作:ウォン・カーウァイのゲイの映画ね。
その辺もありならおれも言うよ(笑)

徳永:じゃ〜、一作さんの2位は?

一作:ダウン・バイ……うむぅ……、やっぱり「ブロークン・フラワーズ」だな(笑)
ビル・マーレイが昔の女に会いに行く話。あのなさけなさがいいんだよね。
あとあれもよかったな、やはりビル・マーレイが出ているコッポラの娘の、……、えっと、

徳永:「ロスト・イン・トランスレーション」(笑)

一作:その、「M★A★S★H マッシュ」の魅力を聞かせてよ。

徳永:「M★A★S★H マッシュ」は最初、テレ東でよくやっているようなリバイバル的な扱いとして見たんです。
モンティー・パイソンに通じるような、大の大人がふざけているのですが、実は真面目にやってる人達の方が悪いと云うか、……、自分が手術に失敗したのに若いアシスタントのせいにして、「お前が殺したんだ!」というトラウマを植え付ける人達が社会的上位に位置する。でも、一方の適当にやっている感じの人達の方が真実に対して忠実であるということを知らされた作品です。
朝鮮戦争の最前線の話なのに、エロくてばかばかしい騒動があって、その人達をまとめている中佐が一番ほわぁ〜とした人。なにがあっても動じず、右から左へ流して行く。そういう敢えて正面切って事象と向き合わない大人の所作を教えてもらったのかな〜?

一作:うん、成る程。
じゃ〜、「ブエノスアイレス」は?

徳永:「ブエノスアイレス」は、男性同士のカップルの、風邪をひいて熱がある方がパートナーにわがままを言われ、毛布を被りながら共同キッチンでチャーハンを作るシーンが凄く好きなんです。強いた方は本当にチャーハンが食べたい訳ではなく、「こんなわがままを言ったら嫌われるかもしれない……」という綱渡りをしているんですね。やがてチャーハンが出来上がり食すのですが、本当は食べたい訳ではないという心情がリアルに演じきれているんです。恋愛独特のこの種のパラドックスは、「同性愛でも異性愛でもまったく違いはないんだ」と皮膚感覚で教えてもらった作品です。
それに通じる、……、これがわたしのベスト3かもしれないのですが、小津安二郎監督の「お茶漬の味」。
ここでの重要な部分は、奥さんが言わなくちゃいけないところでは絶対に言わないで、言わなきゃいいのにというタイミングでは言わなきゃいいとこをずっと言っている。簡潔に言うと、主人公は社会的にしっかりした夫婦なんだけど、その実大人に成りきれていない女性として妻は描かれているんです。
その象徴的なシーンが、円が350円の時代に旦那さんが海外出張に行くことになります。当時の海外出張は命がけで行く頃ですから、当然、社を挙げて旗を振っての見送りです。そんな大事なときなのに、奥さんは家で当の旦那と喧嘩をして目も合わすことなく送り出すことになってしまう。本当に言わなきゃいけないことを言えない、そんな奥さんを見て、「いいな〜、小津おもしれ〜な」って(笑)
代表作の「東京物語」は、分かっている人が分かっていることをやっている感じがするんです。
両親も原節子も分かっている人達で、あとは分かっていない人達が次男夫婦だったりと明確な一線がそこにある。
「お茶漬の味」は大人なんだけど子供の部分が描かれている、そこに、後付けなんですが、近代の香りがするんです。

一作:徳永さん自身に、そういうところが日常的にあったりするの?

徳永:もう卒業しましたけど、ありましたよ(笑)
流石に今はないですけど、昔はそういう人だったので(笑)木暮実千代にめちゃ感情移入して、「この奥さんバカだぁ〜〜〜!」と思いながらも、うぉ〜うぉ〜泣いて見ていましたね(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇

 楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
 多義の話題を縦横無尽に駆け抜けてきた今回の対談もそろそろ終焉の時間を向かえようとしている。
 残り少ない終宴までの時間を鑑みながら、一作が、今回の対談で初めて“バレた?”出自である“ドラマ少女”のままに、東京の街を優美に散策する徳永京子の今後の企てを訊き出したく躍起になる。
 今、演劇界は?そして徳永京子は?その自身が発する自由度高い磁場で何を企んでいるのだろうか?

◇◆◇◆◇

一作:そろそろ最後だし、最新の徳永さんの活動を教えてよ。

徳永:3月に「パルテノン多摩」という劇場で「演劇人の文化祭」というイベントをプロデュースしました。
『徳永京子プロデュース 演劇人の文化祭』
内容は、演劇の作演出家の人達が描いた絵やイラスト。撮った写真を展示するのと、プラス、バンドとしてライブをやってもらうのですが、その企画を立てた理由が、昔の演劇人って、「おれには演劇しかない!」という人が多かったというカウンターからきているんです。音楽とか、ファッションとか興味がない人が多かった。

一作:昔ってどのくらいの昔?

徳永:60〜70年でしょうか?

一作:でも、状況(劇場)とかには(四谷)シモンさんがいたりして、

徳永:ええ人形をやってらっしゃいましたよね。

一作:佐野くんだってバンドやってるし。

徳永:当時は、その方達の方が珍しいんです。
90年代くらいまでは、演劇をやる人って、なかなか上手に世渡り出来なくて、書く人がいないから脚本書いて、演出する人がいないから演出して、

一作:ちょっと待って。
やっぱり世渡りが下手な人が演劇に行くって傾向はあったの?

徳永:ええ、多かったですよ。
それが、2000年代くらいから、音楽も大好きで楽器の演奏もする、歌も上手に唄える。映画も大好き、漫画も大好きで自分で撮ったり描いたりもする。そんな人達が敢えて演劇を選んでいることが多くなってきたから、今回のイベントを発想出来たし、行える訳です。
私自身も、90年代までは演劇をやっている人達と、音楽の話をあまり出来なかった。チャートインするメジャーな曲しか知らない人が多かったから。
でも、2000年以降の人達は、例えば、ままごとという劇団の人達は□□□とのコラボで、□□□の三浦康嗣さんとワンフレーズずつをやりとりしながら戯曲を書いたりしています。演出家がアクトの場でライブとしてリズムマシーンを打ち込むとか、官能教育にも出て頂いたロロという劇団の三浦直之さんに至っては、ラップグループのEMC(エンジョイ・ミュージック・クラブ)にフューチャリングヴォーカルとして参加したりもしています。

一作:それってさ、“脱新宿土着”みたいな部分もあるんじゃないかな?

徳永:そうかもしれない。

一作:ゴールデン街で飲んで、口論の末に喧嘩になっちゃうみたいな世界からの決別。
おれ自身もあの世界は嫌いだったしね。

徳永:新世界でのわたしの活動は、パルテノン多摩への橋渡しになったと云うか、大谷能生さんにリーディングの初演出をしてもらったり、山本達久さんにもがっちり稽古場から入ってもらったり。重複してしまいますが、音楽とか他のジャンルをやっていて演劇をやっている人が増えてきて、そういう方々はフラットに小説家さんやミュージシャンと会話が出来るので、今後増々コラボの敷居が低くなっていくと思います。

一作:成る程。
では、演劇界の未来は明るいということで、次回は若手女性スタッフを交えてまた飲みましょう。

徳永:はい、彼女達も一作さんに会いたがっているので喜びますよ。

一作:オッケー、いつでも連絡ちょうだい、おれ合わせるから(笑)

◇◆◇◆◇

 徳永京子というマトリックスが、以前は世間から“乖離”と等しき関係にあった演劇界に居心地よい風通しを生む新たな距離感を作っている。
 それは彼女の持つ批評家としての“硬”が高いクオリティーを呼び込み、反たるパーソナル、過剰な可愛らしさ、柔らかさがハンドルの遊びとも似た“軟”を生み、過去、誰も思いもつかないコラボレーションを引き出す特別の磁場となっている。
 次回、一作との酔談は、チーム徳永とも云える「Produce lab 89」の美女達を従えての歴史的大仕事の打ち上げとなりそうだ。今から、美女達への下心満載の一作のえびす顔が目に浮かぶが、そんな先のことは誰にも分からない。
 なぜなら、人生の殆どの出来事なんて、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様を頼りに暇つぶしにチョイスしているだけだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」


テキスト、進行:エンドウソウメイ
  写真:片岡一史

●今回のゲスト

Photo Ⓒ平松理加子
徳永京子/プロフィール
演劇ジャーナリスト。朝日新聞の劇評、公演パンフレットや雑誌、web媒体などにインタビュー、寄稿文、作品解説などを執筆。「シアターガイド」(モーニングデスク)にて『1テーマ2ジェネレーション』、を連載中。ローソンチケットの演劇サイト『演劇最強論-ing』を企画・監修・執筆。著書に、さいたまゴールド・シアターのインタビュー集『我らに光を』(河出書房新社)、日本の近年の演劇を多角度から考察した『演劇最強論』(飛鳥新社。藤原ちから氏と共著)。東京芸術劇場運営委員および企画選考委員。パルテノン多摩企画アドバイザー。せんがわ劇場企画運営アドバイザー。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

黄昏ミュージックvol.4 トウキョウ・タイムス/クロマニョン Feat. 三宅洋平

 2009年リリースのクロマニヨンが、ソイル・アンド・ピンプ・セッションズ・ホーン隊、パーカッショニストのIZPON、そして彼等の出自のルーツとも呼べる大御所ヴィブラホーン奏者ロイ・エアーズ等をフューチャリング・ゲストに迎えての飛躍作が「4u」。そのまたしてもアルバム最終曲に(黄昏というワードで切って行くと最終曲を選ぶ確立が非常に高くなる 苦笑)三宅洋平の自らの青春の終わりを宣言するかのような内容のリリックが印象的な「トウキョウ タイムス」が格別の“黄昏感”を有しこの時代のビートニクとして存在する。
〜物憂い午後にDJは独り開店前のブースにたった 橙色の太陽が窓から覗き始める頃 針先から伸びる陰影は深さを増して歩を進める 東京タイムス 1000万の思惑を映した陽が沈む 夜の帳が降りる頃に詩人は明滅する街へと消え行く 愛憎入り雑じる顔を背け続けたその円の中心へと〜
 クロマニヨンの強靭なリディムに支えられ、東京という虚無的メガシティーの帳へと、そのざらついた声紋とミュートペットが絶妙に交差しながらリスナーを導く。その後、彼の指標は政治というさらなるバビロンへ移行することになる。(se)

Vol.2 日々トリップ 番外編 川内一作

 メバルが近所の魚屋の店頭に並んでいた。氷の上に四尾づつ三列に整列していて、赤味がかった茶色のカラダをみんな左向きに横たえて呼吸しているかのように口が開いている。
 「お、春メバルだね」
 「だいぶ大きくなってきたよ」
 といつも演歌を聴いている魚屋の爺さん。
東京でメバルは珍しい、というより見かけてもタイテイは大味なものが多くて、大きからず小さからず形のいいメバルになかなか出会わない。しかしその日のメバルは丁度いい大きさで、煮つけにして食べたいと思ったがあいにく外食の約束があった。それにまだ二月である。桜が咲くまで待つかと思った。
 演歌爺さんの魚屋は品ぞろえが自分好みでいい。もちろん東京のことだから種類は豊富ではないが瀬戸内出身の自分にとって、瀬戸内産の小魚などが入荷していてありがたい。
 松山のカサゴやメバル、ときどき鰆も、下津井の蛸やカレイ、明石の鯛や穴子やはもなど、自分はうっとり眺めて
 「瀬戸内ブランドに弱いからね」
 と食べきれないくせについあれもこれもと買ってしまうと、魚屋の爺さんは「十九の春」を田端義夫風に鼻で歌いながら、嬉しそうに鯛の子の炊いたのやらをオマケに入れてくれるのだ。
 山口のイナカ町から上京してもう四十五年になる。瀬戸内ブランドに弱いといってもそれほど熱心に瀬戸内の小魚を食べているわけではない。外食がほとんどで、たまさか演歌爺さんの魚屋にあがったとき、タイミングが合えば買ってきて見よう見まねで煮つけてみても、子供の頃におふくろが煮つけたメバルの味には程遠い。郷愁の味なんだよと言われれば確かにそうなのだが、それだけではないように思う。鮮度の問題だろうか、いや今は朝イチであがった魚は空輸されその日の午後には東京に到着しているし、冷蔵技術も昔よりはるかに進歩している。しかし技術に頼って無理やり生かしたモノはストレスが溜まる。特に小魚は足が早くて味が落ちる。ああいうモノはやっぱりゆるい環境の中でいただくものかもしれぬ。

 小学生の頃イナカの家には電気冷蔵庫はなかった。夕飯どきになるとその日揚がった瀬戸内の小魚を入れた手押し車をガラガラと押して漁師の婆さんが行商に来る。しこいわし、メバル、キス、ベラやシャコ、婆さんの手押し車の引き出しは大漁である。婆さんはその場で注文された魚をあっという間に刺身や煮つけ用に仕事をする。ごはんだけを炊いていれば刺身で一杯目を食べている間に煮つけが出来上がる寸法であるから、どの家も婆さんが手押し車でやってくるとごはんを炊き始めるのである。
 春メバルよう太って・・
 桜が咲いて始業式の頃にイナカの家の食卓にいつもメバルの煮つけがあった。末っ子の自分は小骨の多いメバルに四苦八苦していると、あっという間に平らげた次兄に「なんじゃよう食わんのか」と横取りされた。兄弟喧嘩の種はいつも食べ物のことからだった。
 桜の季節、夜更けにうとうとしていると手押し車の婆さんの見事な手さばきと、「まァ、よう太っちょるねえ」と言ったおふくろの瀬戸内なまりと、次兄にいつも横取りされて喧嘩になった記憶ばかりが夢のように出てくるのだ。

 河上君のうちのメバルの煮物は非常にうまいと云ふ。それを食べさせてやるから寄っていけと云った。山口県も岩国の大島方面は、春四月のメバルが特に味がいいさうだ。山口から萩の方へ行くと、大味で駄目だ。河上君のお国自慢の云い草だが、私と三好君は、うまいメバルの煮物を食べに岩国へ寄ることにした。

 河上君とは河上徹太郎、三好君とは三好達治、私は井伏鱒二。余談だが明治生まれの巨人達の宴にも岩国の春メバルが登場する。
 自分の生家はその岩国から海沿いを山陽本線で二〇分ばかり下った由宇という何もない瀬戸内らしいだらけた町にある。

   筑摩書房 井伏鱒二「たらちね」から

ⒸSOHMEI ENDOH

Vol.1 日々トリップ 番外編 川内一作

 某若者向けのファッション誌にだらだらとつまらぬハナシを書いていたことがある。七〇年代から八〇年代頃のおっさんのタワゴト。若者には退屈だろうと思っていたら意外と読者は多かったらしい。その第二話の中から少し抜粋してみた。
こんなハナシ

 銀座の並木座で初めて「八月の濡れた砂」を見たのは十九だったかハタチだったか。当時、並木座の客席には柱が立っていて、あの主題歌がかかるラスト・シーンを柱をよけて身をのり出して見ていた記憶がある。その並木座もずいぶん前に閉館になった。ともかく「八月の濡れた砂」はシアワセなのか不シアワセなのか分からないあの時代に、こぼれていった若者のバイブルだった。
 八〇年代に入って自分は代官山の小さなバーで働いていたことがある。代官山はまだ東横沿線のローカルな町だった。同潤会アパートがひっそり建っていて、敷地の中で花見もできたし、代官山食堂では婆さんにアレコレ言われながら昼メシを食った。火鉢にアルミのヤカンがかかっていて、古い木枠の窓から射しこむ木漏れ日のなかでほうじ茶をすすった。食堂の前は銀杏の巨木が広場をおおっていて夏でもひんやりとしていた。広場の反対側に銭湯があり、いつもランニングシャツの爺さんが薪を割っていた。爺さんや婆さんがいる町の風景は素敵だ。やがて爺さんも婆さんも死んで同潤会アパートは取り壊された。
 代官山のそのバーは演劇や音楽関係の人たちで賑わっていた。

「ゴールデン街はちょっと濃すぎて」
 そう言って新宿がベースのアングラ芝居の女優Mはときどきやってくる。Mは和風のキリッとした美人。アングラの人達はたいがい大酒のみでMも例外ではなくゆきつくところまで行く。いつもマティーニを注文する。よく冷えたジンにドライベルモットにオリーブ、表面にレモンの皮。シンプルな組み合わせのマティーニをお代わりするたびに、Mはベルモットを少なくしてくれと注文する。
五杯目にはベルモットは一滴。
 六杯目あたりから目がすわり「オリーブも、レモンピールもいらない、ジンをストレートで」と注文して、ベルモットの栓を開けてジンの前へ置けと命令する。そしてやおら片手を鼻のところでヒラヒラさせ、ベルモットの匂いをかいでジンをすする。

「これって、スーパー・ドライ・マティーニだ」
 Mは上機嫌で七杯、八杯とベルモットのビンをすこしづつジンから遠ざけてまた片手をヒラヒラさせる。十杯目となるとベルモットはすでにバーバックに収まっているが口は開けたままにしておく。Mはすわったままの目つきでずい分遠くに収まっているベルモットのビンを眺め片手をヒラヒラ、鼻をヒクつかせジンをすするのだ。

「ねえハチヌレ聴こうよ」

 泥酔してボロ雑巾のようになったMがそう言ってバックの中から取り出したのが「八月の濡れた砂」のシングル盤だった。
それ以来、そのバーでは「八月の濡れた砂」を「ハチヌレ」と呼び、マティーニなんだかジンのストレートなんだかわからない代物を十杯以上飲んだら「ねえハチヌレ聴こうよ」とMが言い、いつもフルボリウムで「ハチヌレ」をかけるのだった。その時、銀座の並木座で「ハチヌレ」を見てすでに十年以上も経っていて、久しぶりに「ハチヌレ」聴いて、あのグルグルしていた時代のことなどを思い出して自分は戸惑った。しかし芝居をやっているMのなかでは「ハチヌレ」のあのキュッとなるような痛みは永久に存在し続けているのだ。

 このハナシのバーテンは自分で、飲んだくれのMは当時状況劇場の女優だった。八〇年を前後して自分はアングラの聖地花園神社へよく通った。カスミ町の自由劇場へも通ったが、場所柄自由劇場はちょっとおしゃれだった。やがて自由劇場の跡地で自分が「音楽実験室 新世界」を主宰するなどとは当時夢にも思わなかった。状況劇場は新宿のド真ん中、何が起こるかわからないトキメキがあった。履いている靴をビニール袋に入れテントのゴザの上でぐだぐだになりながらも血沸き肉躍ったあのとき自分はまだ二〇代だった。

 去年の一二月に「骨風」という芝居を高田馬場の小劇場で見た。篠原勝之、十貫寺梅軒、佐野史郎、四谷シモン、そしてM。ほとんどかつて状況で見た怪優たちが出演していた。自分は三〇数年ぶりにアングラにどっぷり浸かって実に痛快な時間を過ごした。それにしてもこの人達いつまでも元気。エネルギー全開、ぶわァーとホコリの舞うステージ、こうでなくっちゃと思いながらもゼンソク持ちの自分は発作が出ないか心配になった。見る側もイノチガケなのだ。
 アングラ芝居の定番、出演者が入り口でもぎりやら案内やらをやってくれる。もうそこから芝居は始まったいるのだ。開演一〇分前に到着した自分は案内をしているMにいきなり出会った。「やァやァ」とハグをしてしまったがMは知らないおっさんにハグされているがまァいいかといった顔をしていた。それもそのはず自分は時々テレビでMを見ているがMが自分と会ったのは実に三〇数年ぶりのこと、このおっさん誰?といった顔をしていたけれどすぐに気が付いたみたい。年が明けてMから年賀状が届いた。今年は飲みましょうとあった。うーん、オレはもうマティーニは飲めないぞ。
 今年になって初ライブは渋谷オンエアーの「渋さ知らズオーケストラ」だった。渋さ、最高。
 つまり年末年始、アングラで締めアングラで始まった。アングラ大明神がついているから今年はいいことありそうだ。


ⒸSOHMEI ENDOH

黄昏ミュージックvol.3 アルバトロス/フリートウッド・マック

 ピーター・グリーン、ジェレミー・スペンサー、ダニー・カーワンと当時のブリティッシュ・ブルース・ロックシーンの名手と謳われたトリプルギターを配した初期マック最強布陣での早すぎたチルアウトチューンが「アルバトロス」だ。
 全編強度高いディーブなブルースで埋め尽くされたアルバムの最後の最後に、エキゾチックとも云える浮遊するギターインストで一気にリスナーを緩和へと導く。
 さてこのコーナー、“黄昏”という一点のみのニュアンスでセレクションをしている訳だが、どうやら、以前に自身が“和み”とカテゴライズしていた音群とだぶることがここに着て気付いた。
 さて、その違いとは?……、そうだな、……、湿度?……、“刹那成分”とでもここでは言って収めておこうか、……(se)