「連載対談/『酔談』Second Season vol.3」ゲスト:s-ken氏、上出優之利氏 ホスト:河内一作

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
。酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて、今回は近年のアーティストとしてのビックカンバック以来、新作リリース、パーマネントバンドの再始動、回想録上梓、はたまた伝説のイベント「東京ソイソース」の一夜限りの大復活。更にそれにともなう、いとうせいこう氏との新たなイベント「東京ニューソース」の立ち上げと、正にハードワーキングマンを地でゆく音楽プロデューサーs-ken氏(以下敬称略)と、今やライフワークとも云えるs-kenを被写体にした街歩きフォトセッションで氏と多くの時間を共有している敏腕写真家、上出優之利氏(以下敬称略)のお二人をお招きし、年末ならではの豪華版として決行!
 s-ken、一作ともに既にレジェンド枠としてそれぞれの業界で名を知られているが、依然、好奇心衰えを知らず。のっけからその創造の根元が両者から表出する。
 どうやらこの対談、一筋縄ではゆきそうもない。読者の皆様も心してかかるようお願いする。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):先週はいとうせいこうさんとの共同プロデュース「東京ニューソース」おつかれさまでした。
それにしても近年、新譜、回想録、地上波のドキュメンタリー番組、パーマネントバンドの再始動。そして、新たなイベントの立ち上げと、もの凄く活発な活動が続いていますが、s-kenに執ってプロデューサーと一人のアーティストとの違いってやはりあるんですか?

s-ken:ぼくですか?まぁ〜、……、

一作:ぼくが初めて(s-ken&ホット・)ボンボンズを見たのがCayの頃の30年前で、それからs-kenがプロデューサー業に移行しずっと空いて、この間の新譜のリリースパーティーでのビルボード東京ライブだから。

s-ken:成る程。
ぼくの場合、中学、高校時代はステージでドラムをやったりしながら、なにしろ唄っていたことは唄っていたんです。
その後、音楽を一回あきらめて、再開する時に思ったのが、「曲を作ることは素敵なことだな」と。そこから作ることに移行していったんです。

一作:うん。

s-ken:ただ、作る方に移行した時代にシンガーソングライターブームがやってきた。
日本では、そのブームの前のグループサウンズは、ビートルズに影響を受けているのに曲は自分達で作っていなかった。

ラジオアダン:タイガースは職業作曲家のすぎやまこういちさんが主要曲を作り、

s-ken:うん。
あと、村井邦彦さんや浜口庫之助さんとかね。
その後に曲を自分で作って唄うという潮流がくる。

一作:うん。

s-ken:だからぼくの流れから言うと、唄うことは当然後追いになる。
学生時代は時々歌っていたけれど、キャリアとしては曲を作るために歌っていたって感じ。

一作:そうか。

s-ken:そこからかなり飛んで、東京ロッカーズ辺りでは、ご承知のようにシンガーというより、……、アジテーターと云うかね。
ですから自分が、「音楽をやっている」って気分をはっきり持てたのは、実は作品的には3枚目のホット・ボンボンズの頃からなんです。

一作:へぇ〜、意外だね。

s-ken:ただ、東京ロッカーズの時に、アジテーター的自分がステージに立って、それを見て熱狂している人達を垣間見ると、「おれのステージングもまんざらでもないな」と(笑)


s-ken氏

ラジオアダン:今回、アーティストs-ken復活の記念碑的作品『テキーラ・ザ・リッパー』のリリースにあたり、キャッチコピーは一作さんのご友人である吉本ばななさんがお書きになり、地上波ドキュメンタリーのナレーションも長年のご友人である佐野史郎さんが担当されたり、肝のキャスティングに実は裏で一作さんが、フィクサー?(笑)、のように動いていたように私には見えたのですが。

s-ken:影のプロデューサーだよね、ハハハハハ(爆笑)

一作:ハハハハハ(爆笑)
いや、おれはただ友達にちょっと頼んだだけで(笑)

s-ken:あのキャッチコピーは、アルバムに関していろんな人達が文章を寄せてくれて、「その中から選ぼうか」ってことだったんだけど、結局はばななさんの文章に落ち着いった感じなんです。
(一作に向かって)ありがとうございます!
お礼を言うの忘れてた(笑)

一作:ハハハハハ(笑)いやいや。

s-ken:佐野史郎さんもあのドキュメンタリーのシナリオに独自の解釈を加えていたとスタッフから聞きました。

ラジオアダン:ええ、「佐野さんの高度な音楽知識が遺憾なく発揮された」と制作の方が言ってましたね。

s-ken:日本の番組制作会社だと音楽の基礎知識がないから。
例えば“ストリート”という言葉が出てくると、今時の街角ストリートライブしか思い浮かばないらしいんですよ。

一作:うん。
だから、さっきs-kenが来る前に、進行役のエンドウくんと話していたんだけど、ストリート、ストリートと簡単に言うけど、それぞれ質が全然違うじゃないですか。

s-ken:ぼくは歌舞伎もストリートだと思っているから。

一作:その通りです。
近年、ストリートという言葉が凄く安っぽくなっちゃって。
だから、ストリートだって、A、B、C、D、Eとピンキリじゃない。「だったらピンのストリートでいけよ!」ということ。
それをEくらいの奴が、「おれはストリートで生きいてる!」みたいに格好付けて言うことに嫌悪感がある。

s-ken:うんうん。
ぼくの場合、若い時に地球を一周し帰って来て思ったことは、「アップ・トゥ・デイトの情報だけで生きることをやめよう」ということなんです。
英米だけじゃなく、時代も超越し、古今東西の全てのいいもの取り入れようと。
例えばジャズにしても、ぼくが、「一番いいな」と思うのはその発生の瞬間なんです。
録音が悪くざわついたブギなんか聴くと、パンクロックがニューヨークのバワリーから生まれたのと同じ匂いを感じる。ぼくがいた当時のバワリーはスラムですから。
女乞食がそこら中にいて、ゴーストップで勝手に他人の車の窓を拭いて25セントもらう。あと、ぼくの写真展にも出品したけど、野良犬もまだいたんです。
だから、パックロックは初めは、“ニューヨークストリートロック”と言う人もいたんです。
アップタウンを超えて川向うのサウス・ブロンクスはもっとスラムで、そこからヒッピ・ホップが出てくる。だから、ファッションの根っこみたいなものは実はそんなところから出てきているともいえる。
ソーホーは後にトレンディーの代名詞になる地域だけど、元々は倉庫街。古いロフトが一杯あったところで、そこでゲイのプロデューサーとゲイのDJで作り上げた伝説のクラブ『パラダイス・ガレージ』でガラージが生まれ、その後ハウスへ引き継がれてゆく。
だから、「ファッションはそういうところからやってくるんだ」って認識はいつも後追いとして出てくるんです。
そんな訳で、今日のカメラマンの上出くんと一緒にやっているフォトセッションも必然的に山谷などに行くことになる。

ラジオアダン:一作さんも一番忘れかけていた頃の、浅草、山谷に一時住んでいましたね?

一作:うん。

s-ken:話は戻るけど、ぼくが言うストリートとはそういうことを言っているんです。

一作:究極的にはs-kenのかっこよさってのはそこなんじゃないかなぁ?あの(本棚のs-kenの著作を指差し)回想録を読んでも、ニューヨークからの帰国後すぐに風呂無しの部屋に住んでみたりさ、なんかああいうのっていいよなぁ〜。おれ、今そうしたいもの(笑)
昔、浅草の千束、吉原近くの一泊1500円の旅館をしばらく借りて住んでいたんですよ。

s-ken:そんな時期もあったんですね(笑)
なんか、ぼくが今一番熱中してることに、話題が急激に近づいてきました(笑)


河内一作

◇◆◇◆◇
 
 なに??早くも意味深な言葉がs-kenから発せられた。
 二人独自のストリートの基準から飛び火した“s-kenが今一番熱中してること”??
 未だ杯も重ねぬまま今回の酔談は早々に深層部へ突入!?!?
◇◆◇◆◇

一作:今までの話と、s-kenがこれから始めることがどう結び付くのかな?

s-ken:今、「東京の本を作ろう」という企画が浮上しているんですけど。
過去の著作は、「昔は面白しろかった」というものは沢山あっても、「現在はこうで、未来はこうなるだろう」という視点で書いたものがあまり見当たらない。
ぼくは80年代の終わりの頃、『異人都市TOKYO』(1988年上梓のs-kenの著作)という本を書いたんですけど、今、浅草に行くと雷門は外人だらけで、すぐ近くの山谷に行くとバックパッカーの街になっていて、その界隈が確実に何かが変わってきている。

一作:そうそう。

s-ken:あの辺は、10年くらい前からそういう街になっていて、で、「どういう本にしようか?」ということになったんだけど。
ニューヨーク時代のバワリーの、「CBGB」で会った奴らは、南のフロリダ、アイルランド、UK、東京と、もう世界各国からやって来た人間でごった返していた。CBGBはニューヨーカー不在なんです。あそこはストレンジャー達によって盛り上がり、一方、サウス・ブロンクスはカリブ移民達で盛り上がっていった。
普通、ヒップ・ホップは、「アメリカの音楽だ」と思うんだろうけど、あれもストレンジャー達、特にカリビアン、あとラティーナ達の力によるものなんです。
だいいち、パイオニアであるDJのクール・ハークがジャマイカにルーツに持ち、グランドマスター・フラッシュもバルバドスという本当にカリブのちっちゃい島をルーツとしている。

一作:そこで『カリートの道』で出てくる(笑)

s-ken:そうですそうです(笑)
『カリートの道』はイーストハーレムを舞台にしてますね。
そう考えると、山谷っていうのは、

一作:あそこはね、多分これから、バンコックのカオサンみたいになってくね。

s-ken:うぅ〜ん。

一作:ぼくがタイに行ってた頃、カオサンはなかったんです。それが今あれだけになっていて。おれは今の方が昔よりいいと思う。昔は日雇いの人達が一杯で。
ぼくが泊まり歩いていた頃は、そんなおじさんが道路に布団ひいて寝ているんだから。

s-ken:その辺りの発想の切っ掛けは、今年の2月に上出くんとフォトセッションに行った時なんだけど。東京ソイソースのライブ当日、エゴラッピンの森(雅樹)くんに、「s-kenさん山谷で写真撮っていたでしょ?」って言われて、「撮っていたよ」と返したら、「ぼく山谷に住んでいるんです」って言うんです(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

s-ken:よく訊いたら、山谷でバーを始めたらしい。

一作:それいい、面白い。

s-ken:(上出に向かって)ぼく等が「山谷酒場」に行ったじゃないですか、あの上。

上出優之利(以下上出):えっ?あの上ですか!?

s-ken:うん。
で、最近、映画館も出来たんだよ。ちっちゃい映画館。

一作:へぇ〜。

s-ken:そんなことも続いて、「あそこはもしかしたら、10年後にはあのバワリーになるんじゃないだろうか」と思ったんです。

一作:いやぁ〜、もっと早いと思いますよ。5年くらいでしょ。

s-ken:あっ、そうですか。

◇◆◇◆◇
 なんと、s-kenの現在の興味の対象は、浅草、山谷などのメタモルフォーゼ真っ最中の都市の姿だった。
 最新の大作である自身の回想録を上梓したばかりだというのに、既に80‘sの自作名著『異人都市TOKYO』を越えるべく、都市の変容を主題にした著作を水面下で構想中とは驚きだ。
 そして、そのまだ見ぬ名著の骨格を担うキーワードは、“リバーサイド文化”!
◇◆◇◆◇

s-ken:今ぼくは、東京近郊のリバーサイド文化というのをもっと大きく取り上げたいと思っているんです。
まず、隅田川があって、観音様を中心にいろんな街がある。かっぱ橋道具街、田原町仏具街、ドヤ街山谷のすぐ隣にはセックスの殿堂、吉原ソープ街。蔵前玩具問屋街、浅草橋衣料問屋街があり、秋葉原電気街、御徒町宝石街、上野バイク街も実は案外近い。

一作:うん、近い近い。神田も近いしね。

s-ken:で、ずっと上に上がって行くと荒川に合流する。

一作:都電があって、

s-ken:そうそう。
荒川を沿いには北千住、そして、更に荒川をさかのぼってリバーサイドに赤羽、十条、尾久。

一作:こういう話、普通ミュージシャンはしないよね(笑)

一同:ハハハハハ(爆笑)

s-ken:(特に気にするでもなく)これが実にいいんです。北千住、赤羽、今一番エキサイトするスポットだとおれは思ってる。

一作:ぼくもたまにその辺行きますよ。大好きです。
店を作る時に、自分より上の世代の人達って、割と海外からネタを引っ張ってきて作るんだけど、ぼくの場合、実は下町から引っ張ってくることが多い。

s-ken:成る程、それは面白い。
一作さんね、でもこういう話になると、皆、昔の話しかしないんです。「永井荷風はこれこれこうで」なんて感じで。そうじゃなくて、もっとダイナミックに、「これから東京はどう変わってゆくか?」という視点も入れたいと。
そういう意味ではニューヨークなどはもうマンハッタンは高すぎて誰も住めないところまで来ています。若者がニューカルチャーを発信できない。

一作:成る程ね。

s-ken:安かったからこそバワリーで文化が生まれたという部分もあるし、安かったからサウス・ブロンクスでヒップ・ホップが生まれたという言い方も出来る。
そう考えてゆくと、下北沢は表面的には最もホットな街かもしれないけど、学生街って匂いがしてきて昔のようなヤバさがない。そうなるとやはり隅田川から荒川に抜けるリバーサイドに着眼せざるを得ない。
それと、東京ではないけれど印象深かったのが、上出くんとのフォトセッションで歩いた大岡川沿い。日ノ出町、伊勢佐木町、福富町、全部、大岡川沿い、黄金町から。リバーサイドにギャラリーとラブホテルが乱立し始めていて、日ノ出町の近くにはゲイ専用のエロ映画館なんてものもある。

一作:野毛の方だね。

s-ken:東京では墨田川沿いが動き始めていて、一番動いているのが、北千住、赤羽、十条。あと大山。その辺のリバーサイド文化が、今、非常に面白い。
そんなことをここ最近考えている中で、会った瞬間に、ストリートの話から浅草で一泊1500円の部屋に住んでいた話などされると、「一作さん同士じゃない!」なんて感じになるよ(笑)

一作:ハハハハハ(爆笑)
で、1500円のところに住めなくなって、とうとう一泊800円のところに移った(笑)

一同:ハハハハハ(爆笑)

s-ken:流石に今はその値段設定はないですね。

一作:そうですか、ないですか(笑)

s-ken:それと今は生活保護を受けている人達が増えてしまって、その人達が安いところを独占しちゃうから千円台では泊れなくなってしまったんです。

一作:浅草も海外からの観光客が急激に増えたから、昔のラブホテルがバックパッカー用に使われているみたいですね。改装したのではなく、そのまま使ってるらしい。家族で泊ることもあるとか。

s-ken:それが彼等には受けるんじゃないですかね。

一作:そうそう、逆にね。
でも窓もない(笑)

s-ken:ラブホテルなんて英語自体がなし(笑)

一作:ハハハハハ(爆笑)
だから、「家族4人でダブルベットに寝るのかなぁ〜?」なんて思っちゃって(笑)

s-ken:まあ、欧米の奴らは通り一辺倒の宿は嫌で、そういうの探すことが多々あるから。

一作:うん。
浅草から千住と大きく変わってきているし、ああいう海外からの人達は俗に云う都心よりあの辺の方が安くていいんだろうな。
おれもたまにひとりでぶらっとあの辺に行くけど、やっぱりミステリアスですね。
千住から南千住の裏の方。結構歩くとコリアンタウンがあって、焼き肉屋街があって、更にずっと行くと曳舟になる。“ぬけられません”って。

s-ken:そうそう。
いわゆる川向うのリバーサイド、滝田ゆうの旧鳩の街。東向島が、『濹東綺譚』の旧玉ノ井。

一作:深川七郎さんの今川焼屋はどこだっけ?あの辺じゃなかったっけ?
おれ本当のこと言うとああいうことやりたいの。
注:今川焼屋『夢屋』。昭和46年曳舟駅近くで『楢山節考』等で著名な小説家、深川七郎が開業。

一同:ハハハハハ(爆笑)

一作:本当は、こんな店なんてどうでもいいです。
自分で深沢さんみたいにやりたいの。考えてるのは“おやき”。おやき屋を自分でやりたい。

ラジオアダン:おやきって一体なんなんですか?

一作:長野のおやき。
高菜とか入っていて炭火を起こして焼いて、

ラジオアダン:テイクアウトで売る感じですか?

一作:うん、窓口があって売る感じ。
そこの親父やりたいの(笑)

一同:ハハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 一作の見果てぬ夢(?)で、ワンクールから早々にヒートアップしたトークセッションが一旦緩やに帰着。ここから急激に二人共通のリスペクトの対象である著述家、詩人に話題は移行する。
 その人物とは、あの“金子光晴”。
◆◇◆◇

一作:s-kenの回想録を読んでいて、〜ニューヨークから帰って来た途端、女房が、「離婚してください」と言った〜、って一文、

一同:ハハハハハ(爆笑)

一作:あれ、超うけたんだけど。

s-ken:ハハハハハ(爆笑)

一作:あれは正に金子光晴。

s-ken:そう?

一作:光晴がほら、女房を置いて旅して帰ってきたらもう女房はいなかった。

s-ken:ぼくの場合、しかたないから大塚にアパートを借りて、チンチン電車で三ノ輪で降りて、山谷で一杯やってるところが一作さんには面白いのかな?(笑)

一作:そうそう、「しょうがねぇ〜なぁ〜」みたいな感じのところがさぁ(笑)
おれもアジアを旅して帰った時に、彼女から、「出てってくれ!」って言われて、

s-ken:ハハハハハ(爆笑)

一作:しょうがないから、「はい、すいません」ってあやまって。
そうなんです、ぼくが思うに金子光晴こそ完全にストリートなんです。

s-ken:あれね、20代の時のぼくはなぜあんなにも金子光晴に惹かれたのかなぁ。
あの人の著作で、弟子の聞き書きのエロ話もなかなか面白い。あと、なんといっても『どくろ杯』。

一作:s-kenの場合、あの海外のシチュエーションで金子光晴を読んでいるところが凄いよね。

s-ken:今でもよく覚えているけど、ロサンジェルスに行く前に河村要助さんが餞別としてロス・マクドナルドの『一瞬の敵 』って本を贈ってくれて、正にロサンジェルスの街が出てくる話。それと金子光晴の本を持って行った訳です(笑)
で、読んでいると金子光晴ってもっと読みたくなる。しょうがないから、寄稿していたライトミュージック編集部に連絡して更にどんどん送ってもらっていた。

一作:文庫は中公文庫ね、光晴は。

s-ken:はぁ〜、そうですか。
ぼくは金子光晴を72年くらいから読み出すんだけど、ご本人は数年で亡くなってしまうんです。正にぼくがロサンジェルスにいる時ですね。

ラジオアダン:s-kenさんが作っている音楽とかなり隔たりはありますが、高田渡さんも金子光晴さんに傾倒されていました。

s-ken:高田渡さんの『系譜』ってアルバムは大好きですよ。
あの人は自分であまり詩は書かないけれど見立ての能力が非常に高い。

一作:うん。山之口貘にしても。

s-ken:ぼくはあの曲(『生活の柄』)をニューオリンズ的に解釈し中山うりに唄わせました。「ドクター・ジョン的に解釈したらどうなるのかな?」なんて思って(笑)

一作:へぇ〜、それは凄い。

s-ken:ベースはミュートビートの亡くなった松永(孝義)くんに弾いてもらった。

一作:彼は素晴らしいミュージシャンでしたね。
ぼくの店のアダンって名前も山之口貘の詩から引用したんです。

s-ken:そうだったんですね。
ぼくも何冊か詩集を持っていますよ。山之口貘もいい。

一作:いい、素晴らしい。
『生活の柄』こそストリートです。

s-ken:そうです、ある種の放浪性ってものが。だからボブ・ディランにしても、マーティン・スコセッシが撮った映画(『ノー・ディレクション・ホーム』)で如実に現れているけど、実はあの映画の主な物語は幼い時から始まって、『ライク・ア・ローリング・ストーン』を作る前後3年くらいが一番スポットが当たっているんです。
要は、気の弱い青年が変身してゆく話。
「ぼくの本当の故郷はここではない、もっと違うところへ行かなければ」という、

ラジオアダン:これは役得なんですが、わたし、s-kenさん宅で、『ノー・ディレクション・ホーム』をs-kenさんの解説付きで見させて頂いたことがあるんです。

一作:それ凄いじゃん。それおれにもやってよ(笑)

上出:活弁みたいな(笑)

ラジオアダン:副音声というか(笑)

s-ken:自身の新作を作る時、勿論、『ライク・ア・ローリング・ストーン』が収録されている『追憶のハイウェイ61』は好きだったんですけど、敢えてそれ以前の作品も聴いてみたんです。そしたらそれはそれでいいんです。
まあ、流石に一番最初の『朝日があたる家』なんてやってるのは今イチでしたが(苦笑)

ラジオアダン:先日、s-kenさんの親友、じゃがたらのOtoさんとお話する機会があって、「なんでボブ・ディランに影響を受けて、あんな曲しか日本のフォークシンガー達は作れないの?」と手厳しく批判されてましたが、s-kenさんも以前同様のお話をされていましたね。

s-ken:ボブ・ディランを好きな人は日本でも一杯いる訳だけど、彼等は『ライク・ア・ローリング・ストーン』という曲を象徴としてないんじゃないかな?あの曲がヒットチャートの1位になって、「あっ、そうか」と。「ラブソングじゃなくてもいいんだ!」って勇気が出たと思うんです。
一作さんも親しい写真家のブルーズ・オズボーンが以前言っていたけど、「日本人はプレスリーのかっこよさをラスベガスでフリンジ付きのジャンプスーツで唄っていた頃に象徴付けるけど、彼が一番かっこよかったのは間違いなく1958年なんだよ」って言っていた。
ですから、日本のフォークシンガーの多くはボブ・ディランの『風に吹かれて』が好きなんじゃないでしょうか?

一作:成る程。
その辺は音楽だけの話じゃないね。

s-ken:だからこそ高田渡さんの素晴らしいところは、ボブ・ディランに執ってのジャック・ケルアックとして山之口貘を見い出したことです。
ボブ・ディランが生まれついて持っていた、「おれってこんな男じゃない、もっとこんな男にもなれるんだよ」という気持ちは評伝的な本にも書いてあるけど、ミネソタ大学に入学し即休学してグリニッチ・ヴィレッジに出る。3ヶ月経ったところで一旦戻るんだけど、故郷の友人達の証言は異口同音に、「全くの別人になって戻って来た」と言っている。
ロバート・ジョンソンが、「悪魔に魂を売った」なんて嘯いたらしいけど、それと似た感じじゃないですかね?そこで、ボブ・ディランってものが出来上がったんだと思う。

一作:いい話だね。

◇◆◇◆◇
 ミュージシャンが多くキャスティングされるこの酔談だが、一作がここまで突っ込んで音楽話をすることは稀だ。
 やはり国内随一とも云えるその音楽読解力で、100タイトル以上の良質な音源をプロデュースしてきたs-ken。決して相手を飽きさせない。
 さて、ここからは箸休めとも云える一作ならではの軽妙なトークが炸裂するが、裏には仕事をするに於いて非常に大切な心持ちが隠されている。そう、それは、“楽しむこと”である。
◆◇◆◇

s-ken:新譜を出して、「s-kenさんって歌唄うんですね」なんて言われて、「知らない間にじじいになっちゃったんだな」なんて思う時が昨今あるけど、一作さんはそんなことないですか?

一作:あるよ、まったくあるよ。

一同:ハハハハハ(爆笑)

一作:まったくあるよ。同じ!
だからボンボンズを30数年前に見て、それから旅に出て現場から完全に離れて、それでまた始めて。でも張り付いたのは1年くらいで、その後現場をやってなくて。
そんな感じで来ちゃったから、言われるね。
ここ(泉岳寺『アダン』)はいろんなお客さんが来るけど、もうねぼくのことを知ってる人があんまりいない(苦笑)

s-ken:ハハハハ(笑)

一作:でもね、それはいいことなのよ。経営者としては。

ラジオアダン:では、プロデューサーs-kenとしてもいいことなんですね?

一作:いいこと(キッパリ)

一同:ハハハハハ(爆笑)

一作:だけど、「s-kenさんってミュージシャンだったの?」とか、「一作、バーテンだったの?」なんて直接聞いたらちょっとむっとする。

一同:ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:最近、渋谷の店で週一土曜に現場をやられていますが、なんか一作さんが非常に楽しいそうなのが印象的です。

s-ken:それはいいね。

一作:めちゃ楽しい(笑)

上出:現場回帰ですか?

一作:うん。
昔のミュージシャンの取っ払いの支払いみたいに、売り上げをポケットに入れて帰る感じ(笑)
渋谷でやる時、おれレジ打てねぇ〜から、店を閉めてその日の売り上げ持って、DJやってくれるエンドウくん(進行役)に、「電車もうないなら呑みに行こう!」って言って(笑)

s-ken:ハハハハハ(笑)
渋谷の店で、以前、おれの誕生日を兼ねたボンボンズ新年会をやらしていただいたじゃないですか、実はそんなのあれが始めてで。
今から一ヶ月くらい前かな?スケジュール調整役のマツモトキノコと、バンマスの窪田晴男、ベースの佐野篤が、「折り入って相談があるんですけど」なんてまじめくさっておれのところへ来たんです。おれとしては悪い予感が働いて、「皆忙しいので、s-kenのサポートは今後なしということで」なんで言われるのかな?なんて思っていたら、「s-kenの誕生日周辺は比較的スケジュールが合わせやすいので、これから毎年ライブイベントとして誕生会をやりましょう」って言うんだよ。
流石に第一回目はもう間に合わないから、「再来年からだね」って返したら
「0回ってことでシークレット的にやりましょうよ!」なんてひつこく言うから、年明けにはれまめ(代官山『晴れたら空に豆まいて』)でやることになったの。一作さんにゲストバーテンダーをお願いしようかな!?(笑)

一同:ハハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 s-kenからのリクエスト、ゲストバーテンダーを拒むという意思表示か!?暫し席を外した一作がなかなか席に戻らない。
 s-kenは意に介さず、上出、進行役両者と流れのままに会話のチャッチボールを楽しんでいる。
 さて一作はいずこへ??
◇◆◇◆◇

一作:(同フロアーの事務所で、なにやら探しものをしたらしき後に)ちょっとね、見せたい本があったんだけど、……、……、あっ、ここにあった!(本棚で探し物を発見した模様)
これだ!ここにあったよ!(『太陽』 1997年 4月号 特集・金子光晴 アジア漂流を手に取る)

s-ken:えぇぇ??ああぁ、金子光晴ね!(笑)
注:読者の方には暫し二人にしか分からない会話が続きますが、下の写真を見ながら両者の脳内を想像し妄想を膨らませてください。

一作:このアジアの旅をして帰ると女房がいなかった訳。ハハハハハ(爆笑)

s-ken:ハハハハハ(爆笑)
前述したように、金子光晴のエロ話が秀逸な聞き書き本を彼(進行役)に見せたことがあるけど、

ラジオアダン:あの本は装幀も素晴らしいですね。

s-ken:うん。
あの本も実は、冒頭、浅草の話からスタートするんです。

一作:(『太陽』をペラペラめくりs-kenに見せながら)これが『どくろ杯』でしょ。

s-ken:うん。

一作:上海。この後、マレーに入って、この本凄くいいのよ。

s-ken:やっぱり、かなり影響を受けている(しみじみと)
受けてますよ、20代の時のぼくは金子光晴に。

一作:だって、おしゃれじゃない、この辺!

s-ken:そうなんだよ。

一作:これ、これはエロいやつね。

s-ken:うん。

一作:こういうやつでしょ。

s-ken:うん。
上手いんだよ、絵が。

一作:だって芸大出だから。

s-ken:うんうん。
これ凄く上手いね、これは始めて見た。

一作:ここはバトパハって街なの。ぼくもここへ行った訳ですよ。金子光晴の『マレー蘭印紀行』を読みながらここへ行くの。

s-ken:うぅ〜ん、……、じゃ〜、あの聞き書き本、何冊か手に入れたから、今度、一作さんに進呈しますよ。
話は戻るけど、あの本の冒頭は浅草から始まるんだけど、出身は三重県の方ですよね?

一作:うん。

s-ken:でも、育ったところは浅草界隈。

一作:そうです。

s−ken:子供時分は、浅草十二階辺りで毎日ふらふらしてるんだけど、小学校か中学校辺りで既に女を買いに行く(笑)
そしたら、女郎に、「もっと大人になってからきなさい」なんて言われて、あめ玉か何かもらって帰ってくる(笑)

一作:ハハハハハ(爆笑)

s-ken:で、意を決して中学三年くらいに再度行く訳です(笑)
そんな話から始まる。

一作:そうそう。
その辺のずっと後だけど、光晴に色川武大が影響されて、

s-ken:阿佐田哲也(別のペンネーム)は、新宿近くに『小茶』って店があって、場所が変わっても結構好きな食べ物があって通っていたんですけど、その店で一人でよく呑んでました。

一作:へぇ〜。

s-ken:かっこよかったよ。『麻雀放浪記』の人ね。

一作:もう、大好き。
そういう意味では、金子光晴の『マレー蘭印紀行』を読んで沢木耕太郎も、

s-ken:えっ、そうなの?

一作:そうですよ。それで『深夜特急』を書いた。
今の若い人達は『深夜特急』から入るけど、本来はこれ(『太陽』を指して)から入る訳で。

s-ken:いまでもどこか頭の片隅に金子光晴の影響をぼくは引きずっているように思う。

一作:でしょ。
だから『深夜特急』のアジア篇マレーシアの項で沢木耕太郎が木陰で、光晴の、『マレー蘭印紀行』を読む下りが出てくる。マラッカ海峡を見ながら公園で読むシーン。
亡くなった立松和平さんも『熱帯雨林』って本で光晴を引用している。
つまり、『地球の歩き方』がなかった頃の旅のバイブルは光晴だった。

s-ken:金子光晴と同時代の人達や先輩は、ぼくに執ってのニューヨークと同じような感じでパリって街を捉えていた。(アーネスト・)ヘミングウェイにしろ(パブロ・)ピカソにしろ、藤田嗣治、

一作:そうそう。

s-ken:それから、……、久生十蘭もそうだろ。あと、岡本太郎。
だから皆、ある種の都市性ってものを。ボブ・ディランの本にも出てくるけど、やはり“変身できる”ということが都市の凄さなんだと思う。

一作:うん。

s-ken:「パリに行くとおれは変身できるんだぞ!」というね。
都市っていうのはそれが一番の魅力で、それがない都市なんて都市とはいえない。
ボブ・ディランがグリニッジ・ヴィレッジに行ってこう言ってるんです。
「おれがあの頃のグリニッジ・ヴィレッジで他人の目を見ると、『お前の知らないことをおれは知っているぜ』って目をした人達が沢山いた」と。更に、「おれも歳をとったらそうなりたい」とも言っているんです。いいよね。そういう変身する力。
ジャック・ケルアックの『路上』を読んで旅立って、まあ、一番影響を受けたのはウディ・ガスリーなんだけど。
ぼくの場合は、「バワリーでs-kenになったんじゃないかな?」なんて思うんだけど(苦笑)

一作:かっこいいね(笑)

s-ken:今でもよく覚えているのが、『どくろ杯』の中で、どうしてた旅に出たかってところで。実は女絡みで、

一作:そうそう(笑)

s-ken:そうなんでしょ、女絡みでやむにやまれず出るという状態。ハハハハハ(笑)

一作:うん。ハハハハハ(笑)
でね、シンガポールまで女と一緒に行くんだけど、シンガポールで帰してそのまんまパリまで行っちゃう。そのパリで書いたのが『ねむれ巴里』っていうね。

s-ken:そうそう『ねむれ巴里』。

一作:それで一旦帰ってくる。
でもね、ぼく、光晴は、『どくろ杯』を入れたら、四部作という意識だったと思うんです。
『どくろ杯』、『マレー蘭印紀行』、『ねむれ巴里』、『西ひがし』。
この『西ひがし』ってのが素晴らしい文章。

s-ken:ええ。『西ひがし』も全部読んでます。

一作:素晴らしいですよね?

s-ken:素晴らしい(キッパリ)

一作:それでパリから帰ってくるんだけど、待ってると思っていた女房の三千代は学生と駆け落ちして、

s-ken:ハハハハハ(笑)
女房も凄いね!(笑)

一作:うん(笑)
もっと凄いのが、駆け落ちの現場に光晴が行って、「帰ってきてくれ」って頼み込むところ(笑)
これかっこよくない!?(笑)なさけなさがよくない!?(笑)これはなかなかできないよ。

s-ken:重ねて、ヘミングウェイもヘンリー・ミラーも(笑)
ヘンリー・ミラーも似たようなもんですよ(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
なさけない部分がね(笑)

s−ken:うん。
金がなくって、「今日食べるものがない」なんて話ばかりなんだから(笑)
そういえば先日こだま(和文)くんが東京ニューソースを見に来てくれた時、「帽子に紐が付いているんですね」とおれのかみさんのゾネが聞いたら、「自転車なんか乗ってしみったれた生活をしていますから」なんて返したと言っていた(笑)

一同:ハハハハハ(爆笑)

一作:だからね、こだま和文のかっこいいところはそこなの!

s-ken:そういうこと!(笑)

一作:“ダメ”を上手く演出する訳よ!

s-ken:ミリ単位で酔っぱらいのダンディズムが身についているね(笑)

一作:そうそうそう。ハハハハハ(爆笑)
あのなさけなさを見せられると、「なんか力になりたいな」なんて思っちゃうよね(笑)

s-ken:そこは高田渡さんに似てるよね(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

s-ken:(古今亭)志ん生の真似して寝ちゃうとかね(笑)

一同:ハハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 終盤はひたすら金子光晴論に終始した今回の酔談。レジェンド二人ならではの絶妙な気配“なさけなきかっこよさ”という男の美学に話が落ち着いたところで、本棚の奥にしまってある『どくろ杯』を再度読み返したくなったのは筆者ばかりではないだろう。
 さて、都市論、音楽論、文学論と広い守備範囲で行き来した今宵の宴もなごり惜しいがエンディングを迎える。
◇◆◇◆◇

一作:年末とか多少時間はありますか?

s-ken:まあありますよ。
今のぼくの使命はね、山谷のことを書く、

一作:それは絶対にやった方がいい。

s-ken:それから、曲を作らないといけない。

一作:山谷に関しては絶対的なリアリティーあるからs-kenがやるに相応しい。

s-ken:今、正に躍動しつつあるという意味でもね。

一作:ぼくの場合、前からs-kenの音楽を聴いたり回想録を読んだりしていたんだけど、今日、こうやっていろいろ話してみて確信したことがある。
s-kenって、“江戸前の鮪の赤身”みたいな人ですね(笑)

s-ken:????

一作:鮪って動いていないと死んじゃう訳。要は泳いでいないと死んじゃう。

s−ken:なんだか上手く話がまとまったね(笑)

一作:ハハハハハ(爆笑)
今日はご多忙の中来てくれてありがとうございました。年末もう一回、浅草、山谷辺りで呑みましょう。

s-ken、上出:今日はごちそうさまでした。

◇◆◇◆◇
 まだまだ続く今世でのレジェンド二人のフレンドリーシップ。
 ストリートという無尽蔵の金鉱から掘り起こす話題は、今後も尽きることはないだろう。
 それより、師走の大詰め、二人は本当にリバーサイドで再会するのだろうか?それとも多忙の中の口約束で終わるのだろうか?
 そんな二択なんて誰も分かりはしない。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:上出優之利

●今回のゲスト

s-ken/プロフィール

1947年、東京大森生まれ。71年、作曲者としてポーランドの音楽祭に参加、世界を放浪後、音楽雑誌「ライトミュージック」編集スタッフとして働き75年海外特派員として渡米。ニューヨークに滞在中、CBGBなどのニューヨーク・パンクロックシーンに刺激を受けて、帰国後、伝説のパンクムーヴメント、「TOKYO ROCKERS」を牽引。デビュー・アルバム『魔都』(81年)、セカンド・アルバム『ギャングバスターズ』(83年)を経て、パンク、ファンク、ブガルー、レゲエをなどをハイブリッドさせたs-ken&hot bombomsを結成、80年代のクラブーンを代表するエポックなイベントTOKYO SOY SOURCEに参加しつつ4枚のアルバムを発表。 91年以降は音楽プロデューサーとして活動、現在プロデュース作品は109タイトルに及ぶ。主な著書に『異人都市TOKYO』、『ジャバ』など。 2017年26年ぶりにs-ken名義のフルアルバム「Tequila the Ripper 」を、2018年には回想録「都市から都市、そしてまたアクロバット」、プロデュース作品集『s-ken presents Apart. Records collection 1999-2017』を発表、海外特派員時代に自ら撮影した写真展“1977 NYC EXPLOSION”も東京、大阪、京都などで開催し、s-ken&hot bombomsのライヴも復活させている。


上出優之利/プロフィール
大阪府出身。1980年代よりDJ / ミュージシャンとして30年間活動。 中森明菜、荻野目洋子等のプロデュースやアレンジを行う。その後写真家に転向、写真集「モノクロのブルース」で2017年土門拳文化賞奨励賞を受賞、パリの書店 「Le Plac’Art Photo」では初版が1週間で売り切れた。都会のストリートを中心に、対象物の持つエネルギーをダイナミックに描写する撮影スタイルが特徴。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

黄昏ミュージックvol.34 道/折坂悠太

 折坂悠太の名前を始めて知ったのは、2015年“のろしレコード”立ち上げの報がメディアに流れた時だったと記憶している。
 その後、地道なライブ活動や、大型野外フェスへの出演等により徐々にオーディエンスの心を捉えていった訳だが、近年の大手芸能プロダクションとのマネージメント契約。更にはCXドラマの王道“月9”での主題歌登用と正にお茶の間にまでその魅力が届くようになった状況を実感するにつけ、筆者には驚きにも似た感情がわき起こる。
 さて、今回、黄昏ミュージックとして取り上げる『道』は、キャリア最初期、2016年、初のフルアルバム『たむけ』に収録された楽曲だが、既にその後の快進撃を予見させる秀逸な出来となっている。
 折坂のみが持つ希有な音楽性、叙情を湛えた新たな民謡の構築。その独自のメロディーと完全な調和をもたらすレトロとも云える日本近代文学的言語選択。このシンプルに聴こえるが実に絶妙のバランスに配置された様式はこの時期、略完成していた。
 そして、豊かな倍音を豊富に含むオンリーワンの歌唱は一度触れたら離れられない強い習慣性をも持つものだと、後に多くの人々が知ることになるのだった(se)

黄昏ミュージックvol.33 ハリウッド・イン・ハーレム/ピリ・トーマス

 巨大音楽シティーニューヨークで、アフリカ系アメリカ人と並びストリート文化を高度に成長させた存在として“ニューヨリカン”ニューヨーク近郊で育ったプエルトリコ系アメリカ人の存在がある。
 彼等は、ブラックミュージック同様、サルサだけに限らずダンスミュージック全般に及ぶ広域な音楽的影響力を有しており、そのアイディンティティー形成には、ギル・スコットヘロン、ジェームズ・M・マクファーソン同等の、詩人、文学者が存在がある。
 まずは数奇な運命を歩んだ作家作マイキー・ピニエロの名前が筆頭に上がられる。そして、彼を主人公にした映画『ピニエロ』の音楽を担当した希代の音楽家キップ・ハンラハンのもう一人のアイドルでありニューヨリカンのリビングレジェンドが今回の音源の主人公、詩人作家のピリ・トーマス。
 彼のポエットリーディングをフューチャーした『エヴリ・チャイルド・イズ・ボーン・ア・ポエット』はキップのレーベル、アメリカン・クラーヴェからの全くの新作としてリリースされ、コンポーザーとしてのキップのハイクオリティーはもとより、ロビー・アミーン、ミルトン・カルドナ、ジェリー・ゴンザレス、フェルナンド・ソーンダース達手練が作り上げる優雅でありながらも強靭なリズムアンサンブルを配した本作はポエットリーディング音源として他の追従を許さない秀作なのである。
 尚、今回黄昏ミュージックとして選んだ『ハリウッド・イン・ハーレム』は、ピリ名義ではあるが完全にキップをフューチャーしたインストルメンタル曲であり、認識をややこしくしていることを最後にお詫びしておく(se)

黄昏ミュージックvol.32 ブレスト・レリーフ/フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンション

 ちょっとした訳があり、80’s最重要バンド“じゃがたら”の楽曲を聴き直している。
 複数の音楽的側面を持つ異種交配バンドであることは重々承知だが、こうしてゆっくり聴き返してみると、『よりみち』が群を抜いて面白い作りとなっている。中でも注目すべき箇所はイントロと本編の大いなる落差。
 本編は萌芽したばかりの和製ヒップホップと従来のファンクミュージックの橋渡し的ニュアンスを持つ楽曲なのだが、そのイントロとの連動が非常に説明し難いもので、誤解を恐れずに云えば実に“唐突”なのである。
 イントロだけを抜き出せば~憂いあるホーン和声がなだらかに上昇する。ボサ調のギターのつま弾きがその昇華を遠目にサポートする静寂な世界~。
 この手の響きは、じゃがたらと音楽的ディテェールがリンクする渋さ知らズも有するもので、その理由としては、メインの管楽器プレイヤーの出自、生活向上委員会に突き当たる。さらに言えばサン・ラ周辺のビックバンド系フリージャズにも多く聴かれるニュアンスだ。
 さて、そんなことを雑念しながら、不意に同様の響きを有す楽曲を思い出した。
 異種交配の正に覇者、フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インヴェンションの72年のジャズに特化したアルバム『グランド・ワズー』の終曲『ブレスト・レリーフ』。
 水面を揺蕩うかのような緩やかな四分の三拍子に、美しい和声のメインテーマが波紋のように広がる。ソロパートも実に抑え気味で無駄な主張は一切なくただ波紋を重層に重ねるのみ。
 そして、その波紋がおさまった水面には夜の帳の落ちた空にも似た深い藍が立ち現れる。(se)

横山泰介展 Taisuke Yokoyama Exhibition

サーファー達に執っての正にリビングレジェンド、横山泰介氏の写真展が今秋いよいよ奥渋『おふく』南洋ギャラリーにて開催!!

●OPENING PARTY
2019年10月3日(木) 18:00~22:00
※詳細→https://adan-radio.com/tasogare_bar/2019_10_3/


横山泰介/プロフィール
1948年東京生まれ、鎌倉市在住。
70年代、学生時代に撮った稲村ヶ崎の写真がきっかけとなり写真家となる。
以降、ライフスタイルでもあるサーフィンをテーマに、主にポートレートを撮り続け、2003年には写真集『surfers』を発表。また、サーファーのみならず、ミュージシャンやアーティスト、ハリウッドスターまで、これまで多くの著名人を写真に収めてきた。
そして2017年には写真集『surfers Ⅱ』を発表している。

黄昏ミュージックvol.31 パラダイス/サン・ラ

 ブラックミュージックの一つの要素として“宇宙”という大気圏外へ想いをはせた音群がある。
 目立つところを上げれば、多くのヒットチューンを生み出したどメジャーバンド、アース、ウィンド&ファイヤー。そして、アース程の一般的な知名度はないが、彼等以上に後のシーンへ多くの座標軸を示した、ジョージ・クリントンを中核としたPファンク軍団。そんな彼等に影響されたチルドレンは枚挙にいとまがないが、実は随分以前からストレンジとしての宇宙というものはブラックミュージックの中に存在していた。
 その代表例が40年代からキャリアを刻んだ今回の主人公、故サン・ラである。
 自ら、「土星から来た異星人だ」と語り、彼のアーケストラの面々との宗教性を帯びた集団生活の中から、ジャズ、ブルース、ラテン、ファンク、ディスコ、電子音楽等多様な音楽を生み出した。
 そんな空間が湾曲した膨大な音群の中で、密かに光る楽曲が、今回の『パラダイス』に垣間みる独自のエキゾチック感。
 エキゾチックミュージックの開祖と呼ばれるマーティン・デニーのデビューアルバムとシンクロするが如く1957年リリースされたビックバンドアルバム『サウンド・オブ・ジョイ』の中で密かに咲くピアノ曲と云う名の名花。これぞ、不快指数極限の東京シティーに涼をもたらす最良の黄昏サウンドだ。(se)

黄昏ミュージックvol.30 ウェル・バック・ホーム/ザ・ジャズ・クルセイダーズ

 DJなる作業をしていると必然的に客出しという業務と向き合うことになる。
 時間帯は区々であるが、家路に付かせることがそのタスクであることに違いはない。
 まあ、ドボルザークの「新世界」よりから『家路』なんて究極のベタ業もあるにはあるが、筆者が頻度高く使用する曲が今回取り上げるザ・クルセイダーズの前身、ザ・ジャズ・クルセイダーズの70年のヒット・インストチューン『ウェル・バック・ホーム』だ(まあ、これもベタと云えばベタではあるが:苦笑)
 多くのアーティストにカバーされる名曲であるが、歌ものの決定版は、グラディス・ナイトが作詞を手がけた71年のモータウン版、ジュニア・ウォーカー&ジ・オール・スターズ名義に尽きるのではないか?(因に本作もモータウン配下のチサレコーズからリリース)
 作曲は当時はバンドのサックスプレイヤーであり、その後ベーシストとして、ジャクソン5の『アイ・ウォント・ユー・バック』やマーヴィン・ゲイの『レッツ・ゲット・イット・オン』等歴史的レコーディングを残したウィルトン・フェルダー。
 名ベーシストの作品らしく、緩やかに大きくうねるベースラインとそれを支える強靭なリズムが、アーシーでねばる純R&B的旋律を気持ち良く泳がせ、心弾む余韻を楽しみながら帰路につける正に客出しのための楽曲。
 タイトルが示す通り、当然、夕方から夜の帳が降りるその時間を感じさせるものでもあり、黄昏要素満載でな作品でもある。(se)

黄昏ミュージックvol.29 とん平のヘイ・ユウ・ブルース/左とん平

 訳あって、ヒップホップ前夜のスポークンワードやポエトリーリーディングなどの音源を探すことになった。
 アメリカの音楽で云えば、ラスト・ポエッツやギル・スコット・ヘロンの類のことだ。
 そんな括りでで和物を探すと必ず向き合うことになる作品が、俳優、左とん平の『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』。
 73年にリリースされたこの問題作は、プロデューサーとしてミッキー・カーティスが名を連ねているが、多分、大枠のコンセプトを氏が固め、実作業はアレンジャーの深町純の手腕によるところが大きいと思う。
 なぜかと言うと、こちらも名作プレJヒップホップであり本作のB面『東京っていい街だな』の作曲家が望月良道ではなく村岡健だからだ。
 ここでの不動のキャストはアレンジャーの深町純と作詞の郷伍郎。
 そんなことから時代に流されない珠玉のサウンドプロダクトは深町純の仕事と断言していい。
 でだ、
 この楽曲の一番の破壊力である詩を制作した郷伍郎だが、実は筆者は生前軽くすれ違っている。
 既にかなり高齢だったが、氏はクラブ界隈に頻繁に顔を出していて、筆者がレギュラーDJを勉めていた新宿のクラブ『C』にもよく来店していた。
 当時は、日本のオリジナル・プロテスト・フォークソング『フランシーヌの場合/新谷のり子』の作者としてだけの認識だったが、昭和のクリエーター特有の、得も言えぬ「俺に近づくな!」オーラに、それに関しての詳細を訊くにいたらなかった。
 後年、『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』が氏の作品と知り、理不尽な搾取を受ける下層階級を“すりこぎ”に例えるそのセンスに改めて感銘をうけることとなった。
 〜すり減っちまって 短くなったすりこぎをだれが拾うもんか すりこぎは働けば働く程すり減るんだよ すり減ってみそをつけて死んじまうんだ おれをすり減らしている奴がいるはずだ おれをすりこぎにしちまった奴 そいつはだれだ だれだ〜
 郷伍郎、早すぎた天才リリックメーカーである。(se)

南洋ギャラリー in おふく 期間:6月17日(月)~8月末日まで※日曜休み

いつも「おふく」をありがとうございます。
ベトナムから美しい花絵の食器が届きました。
めまぐるしい東京の毎日、ほっとしにぜひお立ち寄りください。
(あわせてタイ山岳民族のビンテージキルトも展示しています)

〇期間:6月17日(月)~8月末日まで※日曜休み
〇時間:12:00~17:00
※尚、18時からは従来通り家庭料理「おふく」として営業します。

○レセプションパーティー
6月29日(土) 15:00~22:00

○会場:家庭料理「おふく」
東京都渋谷区神山町7-8 TEL:03-5465-7577

協力:ピースストアー フロム バンコク、スロープギャラリー、アダン、イエローデビジョン

「連載対談/『酔談』Second Season vol.2」ゲスト:大西ユカリ氏 飛び入りゲスト:新宮虎児氏(クレイジーケンバンド、SKA-9) ホスト:河内一作 

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 セカンドシーズン2回目となる今回のゲストは、一作がプロデュースした「音楽実験室 新世界」(2010~2016年)の永遠のヘッドライナーであり、昭和歌謡とブラックミュージックを独自の大阪ローカルカルチャーとして融合させ全国区にまで持ち上げたあのディーバ、大西ユカリ氏(以下敬称略)。
 東京でのライブ公演を翌日に控えた多忙の中での今回の対談とあり、一珍しく一作も下調べとしてオフィシャルサイトとウィキペディアには目を通してきたとのこと。  
 そんな情報収集の中衝撃の事実が!?!?
 “大西ユカリ、クレイジーケンバンドの新宮虎児と結婚!!”
 「これは事実なのか?」。
 胸中、半信半疑の中、久々の再会となる酔談は始まるが、単刀直入にそこを触れる訳にもいかず、真相を探る敏腕刑事の初動捜査になぞらえた、ごくごく当たり前な近況報告からまずはスタートした。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):久しぶりだね?

大西ユカリ(以下大西):ええ、一作さんもお変わりなく。

一作:まだ、新世界(大阪府大阪市浪速区恵美須東)にいるの?

大西:新世界から実は引っ越したんです。

一作:えぇ!?引っ越したの!?

大西:5年前かな。

一作:あそこは随分長いこといたでしょ?

大西:長かった(笑)10年くらいいました。

一作:で、どこに行ったの?

大西:桜川っていうところ。

一作:ああ、桜川ね。
(唐突に)桜川唯丸師匠。ハハハハハ(自虐的笑)

大西:桜川唯丸師匠??(笑)
ほんまや。ハハハハハ(爆笑)

一作:で、今日はどこへ泊るの。
※大西ユカリは翌日の高円寺「JIROKICHI」ライブのため上京中。

大西:今日は高円寺。ライブハウスの横にホテルがあるんです。だから駅前なんです。
中央線界隈って下手に移動すると夜大変なんで、楽屋代わりにもなるし。
ここのところ、高円寺の時は高円寺に泊って。
一作さんに、西麻布の新世界に呼んで頂いていた頃は、六本木とか品川に泊っていましたね。
品川、めちゃようなりましたね。エレベーターやらエスカレーターやらやたら増えて。

一作:そうだね。ここ(泉岳寺)も新しいJRの駅が出来るんだよ。正にこの前に。
品川、田町、の間ね。

大西:へぇ~、そうなんですね。


大西ユカリ氏

大西:久しぶりにお会いしますが、一作さんは全然変わらんね。

一作:いやいや(苦笑)
まあ、新世界の荷が下りたってのがでかいんじゃないかな?(笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)ほんまですか!?(笑)
あれやめて2年?3年?もっと??

一作:3年でしょ。

大西:もう3年になりますか。

一作:ほっとした感じ(笑)
ちょっとやっぱりね、……、経営的にキツかったんですよ(苦笑)

大西:うん。

一作:6年くらいやっていたんだけど、毎月毎月金の心配しなくちゃいけなかったから(苦笑)もう、あれが限界だったな。

ラジオアダン:新世界を始めるにあたって、一作さんの中に、「純関西のアーティストを定期的にフルバンドで呼びたい」って希望があったと思うのですけど。その筆頭が大西ユカリさんで、

大西:あと、(ゴトウ)ゆうぞうさんと。

一作:うん、確かにそれはあったね。

大西:自分も途中へこたれてしまってね、もっと意地張ってやんのもありやったちゃうかな?とも思うんだけど、どうしても、……、面白かったんですけどね。いろんなミュージシャン呼んでね。

一作:凄く面白かったね。
ずっとやりたかったんだけどね(苦笑)。

ラジオアダン:大西さんと西麻布新世界で素晴らしいコラボをしていたガールズ・ファンクバンドのズグナシも残念ながら先日解散しましたね。

大西:そうですね……、でもみんな3人共、それぞれにがんばってはるから、

ラジオアダン:ズグナシのみなさんは実力がありますから。

大西:ええ、その通りです。
そう思えばみなさんやってはりますね。たをやめ(オルケスタ)とか、手つどうてもらっていた子らはみんな。キャリアが10年20年ってなって。

一作:そうか、大阪の新世界にいってもあの辺にユカリちゃんはもうおらんのね……。

大西:そうですね。
もう、劇場もなくなったし。

一作:通天閣はあるけど劇場は閉鎖された状態?

大西:ええ。今はお土産屋ストリート。江崎グリコ。ハハハハハ(笑)
もうえらいことになっている。

一作:江崎グリコがプロデュースで仕切っているってこと?

大西:そう。もうばぁ~っとお土産物が。大阪なんとかみたいな、グリコのおっちゃんが大阪土産みたいな感じで(笑)

一作:そうか、……、企業がスポンサーについて、あそこは貴重な箱だったんだけどね……。

大西:まぁ~確かにね、……、よかったですけどね。……、でも、やっぱりなりたたへんかったんじゃないですか?……、もっとライブハウス的なことをやらはったらよかった思うねん、立地もええし。
やっぱり、昔の建物やからなにが悲しいって、非常口がないから入場制限せなあかんのですよね。
下に向くほど広いやない、ああいう塔っていうのは、耐震上ね。
ほな、下広いんです、基本。でも、入り口ふたつくらい(苦笑)
非常口の消防法で、「何人までしか入れてはあかん」とか出てくるんですね。
そうすると、「劇場型にする」とかなんかする言っても、そこに穴掘る訳にはいかへんから、やっぱり人を少なくしてやるしかない。

一作:ユカリちゃんの場合、あそこでやるときは主催として箱貸しでやっていた訳?

大西:あそこはややこしかったんです。
通天閣観光株式会社いうのと、松竹芸能と吉本興業。その三つが。
照明は松竹で、なんか段取り部隊は吉本みたいね。で、建物自体は通天閣観光っていう、ものすご複雑でした。
それが、前にいてはった阿部(登)ちゃんとか生きてた時分は、まだ通天閣の会社の専務とか生きてはったんです、初代のおっちゃんらが。
「大西さんやるんやったらその日の電気代くれたらええで」っていうてくれてはったの、当時は(笑)

一作:そうなんだ(笑)

大西:当時はね(笑)
でも、その皆さんが亡くなり、阿部ちゃんもいいへんくなり、経営も変わり時代も変わり、

ラジオアダン:阿部さんは、日本語レゲエの名曲『何も考えない』の作詞をされた方ですよね?

大西:そうです。
ああいう、インバウンド(訪日外国人観光客)が始まる時代とともにですね、そのなんか、みな撤退というか、なんか凄かったです。
蓋開けたらもの凄い金額わたし払とったりしました。

一作:途中から箱貸しみたいになったんだね。

大西:そうです。
それがよう分からなかったんですよね、なんでなのか。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
ごめんごめん、笑っちゃだめだよね。大変だよな、それ。

大西:ねぇ~(笑)
それでも、「やらなあかん」と思ってやっていたんですけど。でも、運良く契約期間がきて、「もう出てください」みたいな。「あと3ヶ月で出らなあきませんよ」って言われた時が丁度。
契約書交わしとったんですよね。で、きっちりと。法的にはこちらからも向うからも言い合いすることは一切ないような。


河内一作

◇◆◇◆◇
 当たり障りのない近況報告を延々やりとりしていても到底真相へは至らないと察知した一作、一旦ここはそんな邪心は横へ置き、自身お気に入りの大西ユカリ最新アルバム『BLACK BOX』の制作裏話へと急速に舵を切る。
◇◆◇◆◇

一作:去年のアルバム、おれ凄く好きなんだけど、あそこに行き着いた流れはどんな感じだったの?

大西:あれはね、……、わたし一回、阿部ちゃんが死んで、解体と云うか事務所のうなって一人でやってたじゃないですか。
ほいで、だんだんやっぱりいろいろがんばってるとお金絡みの話とか一杯くるんですよ。「いややなぁ~…」思てねお金の話。で、もういっぺん中西っていう当時一緒に組んでた、今、木村充揮さんの事務所なんですけど、『ダンディライオン』というですね。阿部ちゃんの一派のとこに、「もういっぺん話しなあかんなぁ~」思とったんですよ。ほんなら、今の社長も、「ユカリちゃん、いろいろあったけど、もういっぺん組んでアルバム作らんか?」言ってくれて、ほな、面白そうやしいうので。
「ユカリちゃんをやるなら」いうことでテイチクレコードが手を上げてくれたんです。で、テイチクで1枚(『EXPLOSION』)オリジナルを作った後、「さあ、次どうしよか?」ってなった時にうちの社長が、「せっかくブラックミュージックとかやってきたのに1枚もそういうカバー的なものやってない。歌謡曲とか昭和歌謡云われてるけどそのルーツにはソウルとかゴスペルとかがある訳やから、そんなのいっぺん作ったらどうや」みたいな話になって。

一作:へぇ~。

大西:よう考えたら、「20代の頃とか歌うてたけど形にしてないなぁ〜」なんて曲がわんさか出てきて、もう、「どないしよう??……」みたいな感じやね(笑)

一作:かっこいいよね。最初の入り方がいい、1曲目(『ユー・ノウ・アイム・ノー・グッド/エイミー・ワインハウス』)。

大西:ハハハハハ(爆笑)1曲目!?(笑)
あれもね。ほんとはもっともっとブラックにこだわりたかったんですけど、1曲目、2曲目がなぜか若手の人らの曲で。
で、「みんなが知ってる曲も入れとき」ってことで、ほんまはね、「どうかな?」思ったんです、「もうええかな?『テネシーワルツ』とか『キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング』」とかね。ああいうのはもう一瞬、「ええかな」思ったんですけど、やっぱ入れといたら入れといたで、うち母親とかがね知ってる曲やから、江利チエミが唄ってたんで。「知ってるし」いうんでなんか結果的にはよかったですね。

一作:その辺入れて全然いいんじゃない。

大西:面白かったです。
ゴスペルありぃ~の、その、ソウルありぃ~の、今時のねR&B、なかなか。でも、必死でしたけど(笑)

一作:抑えて歌ってたでしょ?

大西:抑えるっていうか、あんまり録音期間がなかったですよ、実は。歌入れあれ2日くらいしかなかった。一日3~4曲録ってましたから。もう、あんまり時間もなくタイトで。で、予算もどんどんね、ああいうバジェットの世界的にね、バジェットがもう何十万枚売れるような人か千枚必死で売る人か、今もうどっちかなんですよ、音楽界。
自分なんかどっちか云うたらインディーズ寄りの。やっぱり年々厳しくなりますね。
でも抑えた割には、「ようあんなん出来たな」ゆうくらい、あの、リズム隊変わらんかったんで、根幹が揺るがなかったですね。
だから、内容的にはよかったちゃうかな

一作:いや、凄くいいよ。

大西:ゲストミュージシャンもなかなかの面子で凄かったですね。今、もう無理ですよね、甲本ヒロトさんとか、山崎まさよしさんとか、あと、大阪モノレールの中田亮さん。いろんな方に客演してもらって、……、もう、ようせんわ、あんなの。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
ヒロトさんとの曲(『星空のふたり/マリリン・マックー&ビリー・デイビス・ジュニア』)、素晴らしいよね。 

大西:うん。もう世界を、ガッ!ともっていかはるんで。彼とデュエットした曲を7インチきったんですけど、即完でしたね。びっくりしますね、流石ヒロトさん、ビニールジャンキーなんで(笑)ファンもビニールジャンキーが多いんですね。

ラジオアダン:以前インタビューさせていただいた時にお訊きしたんですが、メジャーな存在になる前は真島昌利さんとお二人でレコード屋のはしごとかしょっちゅうされていたとか。

大西:今でもそう(笑)
ライブとか見にアメリカとか行かはるでしょ。トランクはひとつはからっぽで行かはるんです。で、全部レコード積めて帰ってくる(笑)

ラジオアダン:ご自分の楽曲表現はシンプルですが実は音楽に関して非常に博識な方なんですよね。

大西:めちゃくちゃ詳しいです。
あと、今回のアルバムでプロデュースで入ってくれた三宅伸治さんも。三宅さんとヒロトさんは仲いいんですけど、三宅さんも凄いですよね、やっぱ(忌野)清志郎チルドレンですからね。レコードが好きじゃなくて音楽が好きなんですね。
で、「どうせ聴くんやったら、この曲ステレオもあるけどモノラルでも聴きたい」って、そういう人たちなんで。ジャンル問わずですね。伸ちゃんに関しては清志郎さんといたからR&Bとかソウルはむちゃくちゃ詳しいです、ほんまに。何訊いても知ってます。だからレコーディングの時も心強かったです。

一作:本当に凄くいい作品だよ。

大西:いい思い出になったかなぁ~と。
ガチガチにソウルな人たちに言わすと、「ユカリちゃん、もういいやんか」って、
「ヒット曲はもうええがな」と。「もっときついとこいかんかい!」みたいなね(笑)

ラジオアダン:俗に云うレアグルーブやフリーソウル系をカバーしろということですかね?

大西:そうですね。レア盤とか、もっとスウィートソウルとか。「もっとシャウトしろ!」とか。

一作:そうかな?あんまりこってりしてなくてさっくりしていておれはいいと思うけどな。

大西:あんまりついていかれんかったらいかんなぁ~と思て、基準をうちの家族とか友達とかがとりあえずついていけるレベル。
曲とか誰がどんな感じでやっていたバージョンとかね、そんなんもぉ~マニアはおもろいですけど普通の人はあんまりおもろい話ちゃうからね(笑)

一作:あと、土地柄もあるじゃない。

大西:そうですね。
実は1曲目、夫に偽名で弾いてもらっているんです。

◇◆◇◆◇
 敏腕刑事、河内一作の初動捜査が功を奏した!
 なんとこちらが更なる探りを入れる前に、大西自らが早々に自白してくれたのだ。
 さあ、ここからフェーズは一気に変わり急速に核心へ近づく。
◇◆◇◆◇

一作:この対談の前に、実は珍しくウキペディアやホームページでユカリちゃんのことを予習してきたんだけど(笑)
略歴に書いてあった結婚ってやっぱり本当だったんだね!
で、いくつの人?

大西:虎ちゃん(新宮虎児氏:以下敬称略)、今日来れるようなら案内して上げてもいいですか?

一作:あっ、そうなの!?!?勿論!!
「早くきいや」って(笑)

大西:ねぇ(笑)
虎ちゃんはいっこ上です。56。わたしが今年55になりました。

ラジオアダン:新宮さんはクレイジーケンバンドのツインギターのお一人ですよね?

大西:ええ。

ラジオアダン:新世界にもご出演していただいたもうひとりのギター小野瀬雅生さんは因においくつなんですか?

大西:小野瀬さんは57歳くらいかな?

ラジオアダン:で、横山剣さんはおいくつなんでしたっけ?

大西:横山さんは58か9。
1960年生まれ。

一作:それじゃ~、おれが親しい、横浜不良ロック系の人間とも繋がっているだろうね。
TENSAW(テンソウ)ってバンドでベースをやっていたミチアキ(鈴木享明)はいくつになったんだろう?
※本年で63歳
ユカリちゃんはTENSAWって知らないかな?結構いいバンドだったんだけど。

大西:TENSAW?

一作:うん。横浜ベースで活動していて。
ミチアキは今は日ノ出町で「センセーション」(The CLUB SENSATION)って
ライブハウスをやってる。

大西:あぁ~そうですか。多分、虎ちゃんは知ってるんじゃないかな?

一作:知ってるでしょ。横浜狭いから(笑)
清志郎さんのサポートもやっていた。
ところで、虎ちゃんは横浜の人なの?

大西:生まれは、“アマ”(尼崎)なんです、アマと云うか西宮なんです。

一作:アマなの?(笑)

大西:実はちっこい時は。3歳くらいまで。

一作:アマ、おれ憧れるんだけど(笑)

大西:アマいったら怒られるのかな?(笑)ニシキタ??
正しくは西宮北口ですから。
虎ちゃんは西の生まれで、ご親戚とかも西にあっちこっちいらっしゃるんだけど、3歳か4歳で横浜、川崎の方に来たみたいですね。
※実際は品川。

一作:じゃ~ほとんど本牧の人でいいんだね?

大西:ええ、本牧のCHIBOW(チーボー)さんとか親しいですね。「ブギー・カフェ」のね。CHIBOW(チーボー)さんとは一緒にバンドもやってます。

一作:ああ、そう。じゃ~ミチアキは確実に知ってるね。

大西:ええ、よう知っていそうですね。

一作:いいね、なんか嬉しそうで(笑)

大西:ええ、嬉しいですよ(笑)
もう、一人で暮らしていくと思っていたんで。ちょいちょい彼氏が来るくらいで。

一作:いいね、ミュージシャンでギタリストなら究極的にはふたりでも出来るし。

大西:せっかくお互いミュージシャンだし。実は今ふたりで曲作りをしているんですけどね(笑)

一作:毎回毎回、バンドを引き連れてツアーをきるのも大変だもんね。

大西:そうですねぇ~、……、そやからこの頃は東京に住んでいるピアニストと2人でやったり。明日もそのセットで。
歌丸裸なんかわたし絶対せぇ~へんと思っていたんですけど、今年から虎ちゃんとふたりでもやろうと思って。

ラジオアダン:ピアニストはどなたですか?

大西:ピアノはSWING-O(スウィンゴ)っていう、関西出身の、

ラジオアダン:ああ、分かりました。わたしの知人のミュージシャンともよく御一緒されている方ですね。

大西:彼、結構、いろんなところに出てますね。最近はマーヴィン・ゲイのアルバム(『You’re The Man』)で林剛さんと対談したりしてます。
ユニバーサルから出たやつ、一応、新譜ということになってますが、寝かせていたやつの寄せ集め。

ラジオアダン:SWING-Oさんも関西の方ではなかったですか?

大西:あの子は確か豊中の方の出身で、今は目黒かなんかに住んでいるようですけど、めちゃ関西弁です(笑)

一作:関西の人って昔からルーツミュージック界隈で上手な人が多いけどなんでだろうね?

大西:ねぇ~(笑)土のせいですかねぇ~(笑)
土と水ですかねぇ~、ハハハハハ(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

大西:アスファルトが少し違うちゃいますか(笑)

ラジオアダン:ブラックミュージック系のピアノもソー・バッド・レヴュー
の国府(照幸)さんは関東勢よる遥か昔にマスターされていましたよね。

大西:ソー・バッド・レヴューね。

一作:東京の人はセンスだけでいけちゃう人が結構いるけど関西はそういう訳にはいかない。

大西:そうですね。
関西好きな人もなんかある種黒いですね(笑)
こっち来てもそういう匂いする人いますよね。Charさんとかロックなんだけど、凄くブルースな感じを受けますし、清志郎さんも関西大好きですものね。やっぱりベースがR&Bですね、清志郎さんは。

ラジオアダン:Charさんが石田長生さんとBAHOをやられていたときに、横山ホットブラザーズ師匠と競演していますが、子供みたいに喜んでいました(笑)

一作:CAYを立ち上げた頃、BAHOよく出演してました。

大西:ああ、いいねぇ~(笑)
わたしもBAHOに乗ったことあります、欧陽菲菲の役で(笑)

ラジオアダン:最高のキャスティングですね(笑)

大西:今度、石やんのトリビュートアルバムが出るんですよ。自分も参加してるんですけど。みんなでよってこって石田長生さんの曲をやるという。一応、追悼でね。みんな天国へ逝ってしまいますから……。

一作:ねぇ……、みんな逝くね……。

◇◆◇◆◇
 何かお互い少しそわそわしつつも音楽話でお茶を濁すふたり。
 そうこうしているうちに、この夜最大のサプライズタイムへいよいよ突入!
 待望の飛び入りゲスト新宮虎児の登場とともにホストの進行具合いにも大きな変
化が?
 メタモルフォーゼした河内一作の第二形態は桂文枝??
◇◆◇◆◇

一作:(虎児に向かって)今日、これがあるんで大西ユカリで検索したら、「結婚してはるぅ~」って(笑)

新宮虎児(以下虎児)ハハハハハ(笑)よろしくお願いします。

一作:その辺の話はプライベートだからあんまりしないほうがいいかと思ったんだけど、この対談連載は会食してリラックスしながらの会話がいいから、よかったらその辺の話も出来たら嬉しいんだけど。

虎児:そうですか(苦笑)

一作:なんか飲まれますか?
いつもは何を飲んでるの?

大西:いつもはハイボール。

一作:じゃあハイボールでいいですか?

虎児:はい。

一作:はい、ボール(笑)

大西:じゃ~、わたしも、はい、ボール。ツーボールです(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

大西:(虎児に向かって)なんか一作さん、興味津々でさぁ~(笑)

虎児:自分たちから発信しなかったんで。
隠している訳じゃないんですけどね。

一作:ユカリちゃんには、ちゃんとした音楽の人が必要ですよ。凄くいいことだと思う。横浜だし。
やはり本牧ですか?

虎児:本牧ですね。住所で云うと小港(町)というところなんですけど。
本牧1丁目、2丁目がなぜか小港になって、本牧宮原って、

一作:あの石川町のトンネル抜けて、ずっと行って、

大西:さっき、近くのCHIBOWさんの店の話もしてて、

一作:じゃ~中華屋の「奇珍」とか、

虎児:ええ、行ったことはあります(笑)

一作:あそこは地元の人たちが結構行くでしょ?

虎児:そうですね、好きな人は好きですね。

一作:町中華のいい店ね(笑)
おれ、あれが大好きなの。……、……、横浜の、……、あんかけのぉ~、……、

虎児:サンマーメン(笑)

一作:そう、サンマーメン大好きで。奇珍でよく食べたよ。
歌手でクムフラのサンディーって人がいて、

虎児:サンディーさん?有名な方ですよね。

一作:そのサンディーが横浜タワーでライブをやったことがあって。
フラやハワイのイベントで、亡くなった尾崎紀世彦さんやいろんな人たちも出ていて、

虎児:尾崎さんならぼくも会ったことがあります。

一作:そうですか。
尾崎さんはやっぱり素晴らしいね。ハワイアンをやっても素晴らしかった。
で、イベントが終わりました。サンディーに「飯でも食いに行こうか?」ってことで、奇珍を知っていたから連れて行ったら、尾崎さんとアグネス木村って人が来ていて驚いた(笑)

大西:中華料理屋でばったり(笑)

一作:うん。
ライブ会場から結構遠いんだけど尾崎さんは敢えて来るんだよ。なんかよくない!?(笑)
横浜をよく知らない人たちは、普通、中華街に行くよね。

虎児:そうです。中華街はぼくらは行かないです。

一作:あの辺りの風情をおれは好きなんだけど、昔の本牧はどんな感じだったんですか?

虎児:ぼくの場合、一番いいって云われる時の実体験が残念ながらないんです。

(ここで、3人にハイボールが運ばれて来る)

一作:では、皆さん揃ったところで、ご結婚おめでとうございまぁ~〜す!!
(一同乾杯)

ラジオアダン:厳密にはいつ入籍されたんですか?
(虎児に向かって)本日の進行、わたしが担当させて頂いております。

大西:去年の2月。

一作:彼はおれがプロデュースしていた西麻布のライブハウス新世界でブッキングの方でも頑張ってもらっていたんだ。

虎児:新世界はレゲエの方たちも沢山出ていましたよね?

ラジオアダン:ええ。

一作:てちゃん(西内徹)とかさ、

大西:てちゃんとは一緒にSKA-9をやっています。

一作:えっ、そうなの!?

大西:この人、SKA-9です。

ラジオアダン:じゃ~当然、森(俊也)さんも、

虎児:ええ(笑)

一作:あっそうか、それでユカリちゃんのホームページを見た時にSAK-9と繋がっていたんだ。

大西:ええ。横浜で自分がゲストと云うか飛び入りでステージに上げてもらったりして、

一作:「どうやって繋がったのかな?」って思っていたんだけど旦那の繋がりだったんだね。

虎児:本当の最初というと彼女がデビューした20年以上前が最初で、

大西:同じイベントでよくクレイジーケンバンドと並んでいましたから。

ラジオアダン:ぼくの勝手な認識なんですが、関東で大西ユカリさんを知った切っ掛けで高田文夫さんのお名前を上げる方が非常に多いと思うのですが。

大西:「(高田文夫のラジオ)ビバリー昼ズ」でしたね。
それこそ、「大西ユカリィ~!」、「クレイジーケンバンドォ~!」、「横山剣さぁ~ん!」みたいな感じで高田先生は話ししてくれはってて。


新宮虎児氏

一作:さっき、この辺懐かしいって虎ちゃんが言っていたけど、品川に住んでいた時期があったの?

虎児:ぼくはずぅ~と流れ者で。

一作:最初はアマでしょ?
さっきちょっとユカリちゃんから聞いた(笑)

虎児:本籍は兵庫県の武庫之荘(むこのそう)。

一作:なに?

大西:武庫之荘は尼崎。

一作:尼崎?

虎児:3歳くらいまで西宮の北口ってところにいたんです。

一作:それから横浜ですか?

虎児:いや、品川です。

一作:品川のどこ?

虎児:品川、旗の台。

一作:旗の台だぁ~(笑)

大西:ハハハハハ(なぜか爆笑)

アダンラジオ:一作さんも旗の台付近に住んでいた時期がありませんでしたっけ?

一作:あったよ。不遇時代(笑)
お金がなくて起きたら、新丸子の「三ちゃん食堂」で安酒あおっていた(笑)

虎児:で、小学校の時に家族は大田区に引っ越したんですけど、「転校したくない」って言ったら、学校から許可がもらえて電車で通っていたんです。
大田区は蒲田の近所。

一作:蒲田はいいよね(笑)

虎児:ぼくも大好きです(笑)
その後、高校も蒲田の近くに行って。

一作:虎ちゃんの頃の蒲田の高校とか悪い奴が一杯いたでしょ?(笑)

大西:彼のおにいちゃんがむちゃくちゃ悪かったみたいですよ(笑)

ラジオアダン:その辺の地域ですと、なんといってもラッツ&スターが有名ですよね?

虎児:ええ、大森八中がラッツ&スターで、ぼくが通っていたのが七中です。

一作、大西:ハハハハハ(笑)

一作:そんな青春時代、一体どの時期から音楽にはまりだしたの?

虎児:ぼくはもう単純で、キャロルです。
今、56歳なんで、キャロルが解散した時が中学に入った頃。
ダウンタウン・ブギウギ・バンドは聴いていたんですけど、仲のいい友達が、「キャロルの方がかっこいい!」って。
それで、「聴こう」と思っていたら兄がレコードを持っていたんです。

一作:へぇ~。
初期のキャロルはかっこよかったね。

虎児:それで、ビートルズを知らなくてキャロルが好きという(笑)

一作:それがいくつぐらいの頃?

虎児:中一。

一作:中一だ(笑)
中一でキャロルはいろんな意味でやばいよね(笑)

大西:やばいですね(笑)

一作:おれはキャロルは東京に出て来てからだから。

大西:そうですか。
自分なんか、中一の時は、野口五郎からシャネルズへの過渡期でしたから。
ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
シャネルズが中一!?そう!(笑)

大西:歳はいっこしか違わへんのですけど、学年はふたつくらい違うくて、おにいちゃんがおる。わたしは妹がおるやから、なんか全然ちゃうんですよ。文化とか。

一作:まあ~あと、東京と大阪の違いもあるからね。

大西:それもあります。聞いてたら、「どこの世界の話やろ」みたいなことばっかりですもんね。
なんか、こわいこわいお兄さんがいてはる話とか。
自分なんか金八先生が関の山でしたから(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それ、ユカリちゃんと虎ちゃんと逆じゃないの!?(笑)

大西:中一の時中三とかやから、ほなちょっと大人な訳です。学年とかでいくと。

一作:この人(進行役)が今、池上に住んでいるから、たまにそっち方面で飲むんだけど、最後は蒲田でぐでんぐでんになる(笑)

虎児:ぼくの頃は未成年がお酒を飲んでもあまり問題にならない時代だったんで蒲田でよく飲みました。

一作:ぶっちゃけ悪かった?

虎児:いや、ぼくはそうでもない(苦笑)

ラジオアダン:でしたら、鈴木姉弟(鈴木聖美、雅之)は早い時期からお知り合いだったんですか?

虎児:その頃は面識はないです。
まだシャネルズがデビューする前でしたから。
デビュー後は、ファンの間で、東京のシャネルズと横浜のダックテールズの二つのバンドがその種の音楽の双璧と見られていた時期がありました。横山剣さんが入る前のダックテールズですね。
年齢は高校生くらいなんだけどこの2バンドで日比谷(野音)を満杯にするくらいの人気でした。

一作:へぇ~。

ラジオアダン:今、虎児さんは、ギタリストとキーボディストとしてご活躍中ですが、当時はコーラスグループをやりたかったのですか?

虎児:当時、ぼくが入っていたバンドのメンバーに新宿「ルイード」の店員がふたりいました。ルイードにはシャネルズもよく出演していて、普通はぼくらのバンドの格では出れないんだけど、そういうコネクション的なことから出演させてもらったら、なんとなくアマチュアながら人気が出ていって。その後、スカウトされて。

大西:実はアイドルデビューしてるんです。

虎児:ハハハハハ(笑)

大西:髪、マッシュルームとかやって。
なんかもうびっくりですわ。

一作:ガハハハハ(笑)
音楽的にはいつぐらいの話?

大西:超80年代。チェッカーズとかの後ぐらいとちゃう?
シャネルズが83~4年にラッツ&スターに改名して、シャネルズの弟分みたいな、M-BANDとかムーンドックスとかが出てきた頃なんですけど、彼のバンドはロマンティックスっていうアイドルグループだったんです。

虎児:レコードデビューが84年ですかね。194位かなんか(苦笑)

大西:今は考えられない(笑)

一作:その時は歌ってたの?ギターだけ?

虎児:ギター。

大西:チャッカーズが出てきて大人数のグループがなんか流行っとった。

虎児:今更恥ずかしいですが、デビュー前のぼくの髪型はリーゼント。

大西:デビュー前はね。デビューする時なんかリーゼント下ろさなあかんと。

一作:ということは、やっぱキャロルで、デビュー前は音楽的にもそっちだったんだ?

虎児:キャロルから入って、今度は、『アメリカン・グラフティー』を聴くようになって、

一作:うんうん。

虎児:で、最初は皆が聴くようなヒット曲が好きだったんだけど、こうだんだんそのアルバムの中でも好きな曲が変わっていき、気がついたらスタックスやモータウンなどの黒人音楽を聴くようになっていたんです。

一作:なるほど。
でもそこから、今のクレイジーケンバンドやSAK-9の音楽性に辿り着くまで結構長かったんじゃないの?

虎児:もともと、ぼくはロックとかハードロックを知らないんですね。
まあ、(レッド・)ツェッペリンとかああいうのは勝手に耳に入ってきてましたけど。

一作:その辺はおれも同じだな。

虎児:結構、パンクが好きなんです。

一作:パンク、おれも好き(笑)

虎児:レベルミュージックが好きで、やっていくと、まあ、CHIBOWさんにくっついて行った結果なんですけど(笑)
まず、ガレージロック。パンクからガレージロックになって、

一作:うん。

虎児:CHIBOWさんがやっていてぼくも在籍していたMOJOS(モジョス)というバンドはガレージロックみたいなイメージだったんですけど、レベルミュージックをやっていると、やっぱロンドンにいき着くんです。低層階級とジャマイカの移民がいて必然的にレゲエへ、

一作:やっぱそっちにいく訳だ。

虎児:ええ。
例えばクラッシュのベーシスト(ポール・シムノン)はレゲエのマニアですから。

一作:やっぱりその辺はロンドンなんだよなぁ~。

虎児:だから、レゲエといってもジャマイカよりはロンドンのレゲエの方がしっくりくる。
イギリスにはスキンヘッズという言葉があって、髪型的な意味ではなく思想的なものなんですが、ぼくはSAK-9でやっている音楽はスキンヘッズ・レゲエと呼んでいます。

一作:その辺に辿り着いたのはいつ頃なの?

虎児:スキンヘッズ・レゲエをやり始めたのは5年くらい前ですかね。

一作:80年代はどんな感じで活動してたの?

虎児:ぼく、デビューしたバンドが嫌で1年でやめてしまったんです。
まず、レコード会社というものがあって、プロデューサー、ディレクターの言うことを聞かないといけない訳です。実は、ぼくの場合、プロデューサー(吉田建)は大好きだったんですけどね(笑)
事務所の方の方針はアイドル路線、

一作:だってアイドルだったんでしょ(笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)

一作:(大西に向かって)嬉しそうに笑うね(笑)

大西:そうやって紐解くと、音楽遍歴がありつつの、キャロルからクールスにいき着いて、ジェームス(藤木)さんのところにいくと、ジェームスさんと横山剣さんが密接で、この人はなぜかジェームスさんのバンド、横山さんのバンド、両方の手伝いを始める訳ですよ。
そんで、ジェームスさんのところいきながらクレイジーケンバンド、ジャームスさんの手伝い、クレイジーケンバンド、で、今はずっとクレイジーケンバンドなんですが。
そこにいき着くまではいろんな音楽遍歴があったんでしょうねぇ~。

一作:「あったんでしょうねぇ~」って(笑)あんまりその辺ふたりで話さないの?(笑)

大西:なんか昔の話は昔の話やから、なんかわたし割と形からなんで、この人がフレッドペリー着てて。それがなんで好きかというと、わたしが大好きなエイミー・ワインハウスがモッズの彼氏がいて、その彼氏が、(虎児を見ながら)もうこういう感じで、ずっ~とフレッドペリーを着てて。追いかけていくとエイミーがやっぱりフレッドペリーの中にブランド持つくらい凄い着てたんですよ。その形からが自分凄い凄い好きで、……、なんちゅ~のかな?……、その服のために体絞るとかさ、そういう世界凄い大好きやからさ、今、それで着てるんですけど。
音楽性も勿論、今やってるスキンヘッズ・レゲエの世界もモッズのファッションの中にもフレッドペリーがあるから。今着てたら自分の周りでは、「自分テニスやってんの?」なんて言われるんですけど。ハハハハハ(爆笑)

一作、虎児:ガハハハハ(爆笑)

大西:「いや、それ違うて」。ハハハハハ(爆笑)
テニスで着てるなら第二ボタン開けるやん。だからそのぉ~、音楽と服とが、……、音鳴ってる服ってぇ~のが自分はスカジャン以来久しぶりなんですよ。
なぁ~んとなく虎ちゃんと仲よくするようになってからそういうとこも聴くようになって、スカとかも全然分からへんけど、「なんかおもろいなぁ~」思て。
それに対して深追いするのは彼の過去であって彼の志向であって、自分の志向の中にもモータウンがあったり。
この間、『ノーザン・ソウル』の映画が出てきて、あれやってたけど、あの概要を知ってもなんか、「スタックスがおもろいな、スタックスの方がいいな」って思ってまうのね。だからなんか、そこらの音楽の話も出来るから一緒になったと思うんですけど。
今訊いてて、人それぞれあるなぁ~、へぇ~と。ハハハハハ(爆笑)

一作:ハハハハハ(笑)へぇ~と思ってた!?ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 “長距離結婚”という独自の生活スタイルを構築するふたりの、恋愛中のディープな恋バナを訊き出そうと詳細に目配せする一作だが、照れなのか?真面目な性格?がそうさせるのか?話は増々音楽話へゆり戻されていく。
 そんな混迷のこのパートの鍵となるタームは“トラユカ”??
◇◆◇◆◇

大西:今、実は一緒に曲作りをしていて、詞のやりとりとか曲のやりとりとかキーのやりとりとかをこと細かにやっているんです。
普段は毎日欠かさずテレビ電話ですよ。長距離ですから。長距離結婚ですから(笑)

一作:長距離で毎日欠かさず!?(笑)

大西:はい。

一作:それは凄い。
結局、新宮虎児のギターに惚れているの?

大西:ギターもそうですけど、人的に凄い真面目なんですね。わたしどっちかって云ったら不真面目じゃないですか.。ハハハハハ(爆笑)

一作:もう、風貌、性格がギタリスト然としてるよね

大西:うん。
でも、実はベースが好きなんです。曲も打ち込んでいろいろ作ったりするから。
自分は将来的には、「ベースとトラックと歌とでやってみたい」と思っているので。
割とね、歌い手ってバスドラやったりベースやったりが先もらいたいのはあるんで。

一作:いいなぁ~それ。

大西:ギターってもう、結局、歌の場合アルペジオとかさ。
この人ベース好きやから気持ちを分かってくれる。

虎児:今ベースの話になりましたが、人前でプレイすることはないんですけど、最近ベースを買って、今日、家に届いているんです(笑)
なんで、実は、「早く帰りたいなぁ~」なんて(笑)

ラジオアダン:どのモデルを購入されたんですか?

虎児:75年の(フェンダー)ジャズベ(ース)です。

ラジオアダン:おお!いいですね!

虎児:ぼくがユカリとやりたいのは、……、ぼく実は機械が好きなんですよ。打ち込みとか、

一作:いいじゃない、基本がニューウェーブで。

虎児:なのでデモテープも全部打ち込みで作っていて。
自分は演奏が下手なもので(苦笑)機械がやってくれると凄く上手いんで(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
だからニューウェーブがもろにそうだったじゃん。
それいいね。

虎児:DJのソフトも今は当たり前で、須永辰緒さんみたいな人はずっとアナログにこだわっているんですけど、ぼくは楽な方がいいんでデジタル。
で、オケを作って打ち込んで、(大西に向かって)歌って、ぼくがベースを弾いたりしたら、「面白いかな」なんて思っているんです。

一作:いいね。じゃ~目指すは、『ふたりのビックショー』だね(笑)

大西:いいですね(笑)

一作:だから、パンク、ニューウェーブが出てきて打ち込みになって、80年代またそうじゃなくってみんな、「またバンドでやろう!」ってなって。
大西ユカリもバンドはバンドで勿論継続してやると。でもそういう新しい世界も一方でやる。それ、絶対いいと思うよ。

大西:なんかさ、シーナ&ロケッツってな、シーナさんと鮎川さんと鮎川さんのアンプしか見えないじゃないですか、絵が。はっと思った時に、ねぇ、鮎川さんおってさ、あのイメージなんですよ。

一作:あれこそニューウェーブだもの。

大西:自分あの夫婦凄い好きやったんで。

ラジオアダン:実は鮎川さんもパソコンが凄く好きで、それにまつわるご著書(『DOS Vブルース』)があるくらいです。

大西:へぇ~、そうなんですね。

一作:ニューウェーブ以降、そのふたりだけの志向は一個あると思うよ。“トラユカ”??……(笑)ユニットと、なんかちゃんとしたバンドと。
でも、バンドでやるって本当に大変じゃん。元ミュートビートのこだま和文くんも、新世界時代はバンドを休止していたからDJと2人のユニットでやっていたけど今は両方でやっている。

虎児:こだまさんは川勝(正幸)さんを偲ぶ会でお会いして、ぼく、ミュートビート大好きだったからご挨拶だけさせていただきました。

一作:へぇ~、そうだったんだ。
因にこの『酔談』の第3回目のゲストがこだま和文くん。

虎児:そうだったんですね。

一作:こだまくんいいよね。彼は素晴らしい。

虎児:そんな感じで喋ったことはなくても好きな人は一杯いますね(笑)

一作:うん。

虎児:喋って嫌いになっちゃう人もいるし(笑)

一作、大西:ガハハハハ(爆笑)

一作:ところで虎ちゃんにとってユカリちゃんの通り名的“昭和歌謡”という音楽カテゴリーは正直どう思っているの?
好きなの?嫌いなの?

虎児:嫌いです(キッパリ)

一作、大西:ガハハハハ(爆笑)

一作:じゃ~、そこでどうする?

虎児:昭和歌謡という言葉がなければ実は大好きです(苦笑)
言い換えれば、歌謡曲は大好きです。

一作:なるほど。
じゃあ、昭和なんてなくていいじゃん。
昭和も平成も令和もなくて、

虎児:だからその、日本くらいじゃないですか、もともとは中国からかもしれないけど元号というものがあるのは。
昭和歌謡があるのなら、今の音楽なんだから令和歌謡でもいいと思う。

一作:なら令和歌謡をふたりでやればいいじゃん。

虎児:そうですね。
だから、古い曲と、新しい曲と真ん中な曲があると思うんです。

一作:真ん中の曲って、なにそれ?

虎児:なんていうんですかね?メロディーラインが綺麗な曲と、アレンジだけな曲と、

一作:例えば?

虎児:例えば、……、メロディーラインが綺麗な曲、なんですかねぇ~?……、例えば彼女が歌っている、『北国行きで』は好きですね。

一作:いいよね。

虎児:あと沢田研二さんの『サムライ』って曲のメロディーも凄く好きだし。
それとは別に、デジタル世代、メロディー世代、アレンジ世代みたいなものがあって、とにかくミクスチャーが好きなものでひとつにこだわりたくないんです。

一作:凄く分かります。
(大西に向かって)凄くいい人。このくらいでないとあんたと上手くいかないでしょ。ガハハハハ(爆笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)
ほんまですね(笑)
でも、ソウル、R&B、ブルース、歌謡曲、で、なんか、……、ロックンロール。
ってところのいろんなカテゴリーを、同じ時代にやってきたんで、例えばなんか、「ロックンロール」って言ったらキャロルみたいなクールスみたいな曲やけど、後期はなんか、「歌謡曲みたいな感じよねぇ~」、そんなんが分かり合えるような。
かというて、ブルースとかゴスペルとかみたいなとこいっても分かるような。
で、ラブソングと云うかバラードも通じるような。

一作:ちょっとふたりでラブソングやってよ(笑)
まるごと1枚、ふたりでラブソングをやれば。

大西:そうですね。いいと思います。

◇◆◇◆◇
 酔いもまわりいよいよこのトークラリーも大詰め。「ここで引き出さねばどこで引き出す!?」とばかりに話を恋バナへと強引に持ち込もうとする一作。それを何食わぬ顔でクールに流すふたり。
 さあ、この最終の攻防、果たして軍配がどちらに上がるのか!?
◇◆◇◆◇

一作:いいねニューウェーブと大西ユカリの融合。

虎児:だからぼくは、怒られるかもしれないけど、ジャンルとして音楽はロックンロールだと思ってるんで。

一作:うん。

虎児:別にボサノバでもロックンロール、結局メンタルだと思うんです。

一作:うん、絶対そうだよ。

虎児:だから、そういう部分で言うと、ユカリと出会ったのはもう20数年前で、その時は、「ユカリさん」とか、「大西さん」とか、

大西:やっぱり長生きやろな、長生きがロックンロールなんやろうな。

一作:で、どのタイミングで女性として意識したの?

虎児:もともと歌手として歌は、「上手いな」って思っていて。ぼくは綺麗な声が好きなんですよ、で、あんまり綺麗な声じゃないじゃないですか。

大西:ハハハハハ(爆笑)
ギャ~ってするからね(笑)

虎児:そうそう。
なんかオーバードライブがかかっている声なんで、

一作:オーバードライブなの?ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:ギターアンプで云うところのフルテン!(笑)フィートバック奏法(笑)

虎児:なんか必要のないところでもオーバードライブがかかる、こうバラッドでもかかっちゃったりするんで、「面白いなぁ~この人」って意識はありました。
で、あと、「関西人だなぁ~」って(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それはあるよね(笑)

虎児:いまでもあります。

一作:で、それを女性としていつ頃意識しだしたの?

虎児:女性としては……、

一作:こりゃ~、『新婚さんいらっしゃい』だな(笑)

大西:あっ、そうっすか!?(笑)

虎児:ぼくらは変わっていて、会って、「付き合おう」じゃなかったんです。

大西:会うてないのに、

虎児:ある日、ぼくがシンガポールへ行くことになったんです。

一作:なにしに?

大西:(虎児に向かって)撮影でな。
ジャケット撮影でシンガポールへ行っていたんです、クレイジーケンバンドで。

虎児:で、1週間くらいいたんですけど、その少し前くらいに、要はメールですよね。

大西:メールでやりとりしてたんです。

一作:メールでやりとりってことは、ユカリちゃんはもう惚れていた?

大西:なんか2~3年前に、誕生日が近いもんで、凄く。1週間しか違わへんからおたがい、「おめでとうございます」、「おめでとうございます」ってやりとりがちょっと前からあったんです。
で、「1回大阪へ行きたいと思います」って、「じゃ~、来てくださいよ」、そのやりとりがあって、それから毎日メールで。だから会うてないよの、何年か会うてないの。
メールでやりとりしている中で、「撮影でシンガポール行きます」って、「ええ!シンガポール!?」って。だって遠いやん。

一作:そんなことないよ(笑)

大西:「遠いからメール届けへんちゃう!?」とか思ったら、大間違い(笑)
そんなのメールとかWi-Fiとか、

一作:ガハハハハ(爆笑)
それは可笑しい!流石!!

大西:それが近いこと!
それで盛り上がったんよね。

一作:ああ、それで盛り上がったのか。

大西:なんか、その時に始めてテレビ電話みたいことしたんよ。

一作:その時、既に大西ユカリは虎ちゃんに惚れてた訳だ。

大西:なんかやりとりをしてて、「なんかばんばってはるんやなぁ~」って……、

一作:照れないでちゃんと言いなさいよ(笑)

大西:「この人凄い名前やなぁ~」って、四文字熟語みたいな名前でしょ。
「四文字熟語みたいなお名前ですね」から始まってね、で、おんなじ星座で。

一作:でもやっぱり、「この人ええなぁ~」って思っていたんでしょ?

大西:当時の虎ちゃんのメールのアイコンが、バイクに乗ってる写真やったんですよ。あの、……、ドカティーやったかな?なんか、イタリアのバイクだったんですよ。
ハーレーの人と違てイタリアのバイクの人ってロマンチックやんか。ルパン三世の峰不二子みたいな、

一作:ガハハハハ(爆笑)
なんでルパン三世ってヨーロッパ志向なのかね?ロケーションがレマン湖だもの(笑)

大西:ヨーロピアンか??(笑)
チャーリー・コーセーイの歌で出てくる峰不二子のバイクって、仮面ライダーとかが乗ってる前傾姿勢のさ、「かっちょええなぁ」思て。

一作:それまではなんとも思わなかったの?

大西:密には年にいっぺんやんか、Facebookで繋がり出して、「誕生日おめでとう!」って。

一作:虎ちゃんはその頃はどう思っていたの?

虎児:ぼくは、まず歌が好きだったのと、オーバードライブの(笑)

一作:大西ユカリのファンだったの?

大西:CD買うてくれてん。

虎児:デビュー当時買いました。

大西:それが森(センセ)さんが覚えてて。
「新宮さんはねCDを買うてくれたんですわ」って(笑)

虎児:そん時に一言二言始めて話したんじゃないかな?

大西:大阪のキャバレーのイベント。

虎児:その打ち上げで、21年くらい前かな?
覚えているのが、ぼくが関東弁を喋っているのに、ユカリが、「あんた関西の人やろ?」って言ったんです。

一作:(大西に向かって)なんで分かったの?

大西:分からん、……、なんか関西ぽかったちゃう?響きが。
なんか言うてたんちゃう、でも悪気はないよ、全然悪気なく。
とにかくその頃、クレイジーケンバンドと大西ユカリと新世界がいろんなイベントで一緒になっていたんですわ。

虎児:あと、亡くなっちゃった渚ようことか、

大西:あの頃は一緒やったなぁ~。
ようこちゃんは虎ちゃんと仲よかったなぁ~……。

虎児:話それちゃうけど、ようこちゃんは会う度に毎回喧嘩してたんです(笑)

大西:なんか小学校の男子と女子が言い合いする感じってあるやない。そんなだったん違う、ようこちゃんとは。

虎児:あの子はぼくに会うとすぐからかってくるんです。

大西:「ガーちゃん(虎児)歯磨き粉食べる!?」とかね(笑)
「いらねぇ~よ!」とかね(笑)
じゃれてはったんだろうね。

一作:で、ふたりの恋のその先は?

大西:で、3年くらい前に盛り上がったんですけど、お互いひとりやったから、「また会いましょうね」みたいな感じで。

一作:虎ちゃんはユカリちゃんに対してどうだったの?

大西:いや、この人はないんちゃう。
わたしはめちゃラブビーム、ピアァ~~~やってた(笑)

一作:それええなぁ~。ガハハハハ(爆笑)

大西:「虎児さぁ~~~~ん♡♡」言うてました(笑)

一作:ええなぁ~。やっと本音が出た。ガハハハハ(爆笑)
今日は凄くよかったよ。(進行に向かって)まだ尺足んない?

ラジオアダン:尺全然足りてますよ(笑)

一作、大西、虎児:ガハハハハ(爆笑)

一作:凄い喋った??

ラジオアダン:皆さん楽しそうだったんで、「レコーダーを切ると白けるかな?」と思って回していただけです(笑)

一作:重複するけど、おれ、普段準備しないんだけど、ユカリちゃんと会うのが久々だったから、「今回、どんな話をしようか?」ってことでネット見て結婚のことを知ったんだけど、話題が全部そこへいっちゃったね(笑)

虎児:対談の邪魔しちゃったかなぁ~……、

一作:とんでもない。

大西:一作さんに紹介だけして、「横でちょりんと見てるわ」って言うてはったから、まあ、それはそれでと思っていたけど、よかったです。

一作:今日久々に会ったけど、震災後、新世界にユカリちゃんのバンドを関西から呼んでいた時は、本~~~~(凄くためて)当に貧乏だったから。
それでもゆうぞうとユカリちゃんはおれはルーティンでやりたかった。

虎児:でも、本~~~~(凄くためて)当に貧乏だとパワー出ますよね。
なんか中途半端に金持っていると流されちゃう。
ちょっとユカリには悪いんだけど、貧乏になりたいんだよね。

一作、大西:ガハハハハ(爆笑)

大西:嫁にそんな(笑)

一作:だめだよ(笑)この女は贅沢な女なんだから(笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)

一作:やっぱり幸せにしなきゃダメだよ。
あなたがひとりで貧乏になるのはいいけど、大西ユカリを貧乏にしちゃダメ。

大西:ハハハハハ(爆笑)

虎児:まあでも、貧乏になればまた、「ちきしょう!!」って気持ちが、

大西:芽生えてね。

虎児:ぼく何回もそういう経験してきたけど、60代になる時、「ちきしょう!!」ってパワーがあるかどうか試したいんです。

一作:それは素敵なことだね。貧乏っていいよね。
なんかうまくいって、調子に乗ってるときにどーんと落されてまたふり出しに戻るみたいな。
まあともかく、大西ユカリってシンガーを幸せにね。

虎児:そうですね、それが責任ですね。

一作:綺麗にまとまった?
なんか、新婚さんいらっしゃいから段々、『(凡児の)娘をよろしく』みたいみなっちゃったな。ガハハハハ(爆笑)。

大西、虎児:ガハハハハ(爆笑)。

一作:今日は忙しいのに来てくれてありがとう。末永くお幸せに!

大西、虎児:ごちそうさまでした。


◇◆◇◆◇
 不屈のデカ魂、ロバート・アイアンサイドに始まり、上方の至宝、桂文枝、そして最後はその文枝に笹岡薬品提供トーク番組枠のバトンをリアルに渡した西条凡児へと一作がメタモルフォーゼした今回のロングラン。
 泉岳寺アダンのホスピタリティを象徴する、食べきれなかった鯛飯をおむすびにし、凡児の常套句、「おみあげ おみあげ」よろしくふたりに手渡し見送る一作。なにかをなし遂げた(?)男の顔は実に清々しい(?)
 夫婦としての正に共同作業を始めようとするふたり、一作からの提案、“まるごと1枚ラブソング”は今後現実のものとなるのであろうか?
 そんなこと誰も分かりはしない。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

大西ユカリ/プロフィール

1964年4月6日生まれ。
「大西ユカリと新世界」を休止後、2009年~ソロ活動中。


新宮虎児/プロフィール

1963年3月30日生まれ・通称ガーちゃん。
クレイジーケンバンドでエレキギター・キーボード担当し、スカバンド『SKA-9』メンバーとしても活動中。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。