黄昏ミュージックvol.24 サムシング・フォー・ユア・M.I.N.D./スーパーオーガニズム

 筆者には、音楽に関する指標や確認をさせてもらえる師匠的先輩が数人いるのだが、そのうちのお一人に新年早々お会い出来、海外文学を中心に四方山話に興じた。そして、当然、音楽にも話は及ぶ。
 現在、師は海外にも通じる日本語ファンクの創作に明け暮れている。そんな中、微妙に指標に変化が起きて来たそうである。曰く、「エキゾチック感のあるファンクへの傾倒」。
 以下は師の請け負いも多分に含まれるが、ファンクミュージックは黎明期よりセックスを主題としたものが非常に多い。他、タフネスや政治メッセージ等に特化したものもあるにはあるが、チャートインした著名なチューンはセックスに関するものが多いことは否めない。
 そんなファンクミュージック群に、僅かだがエキゾチック感のあるファンクが存在し、これをガールズバンドにアプローチさせるチャレンジをここのところを始めたと言う。
 それを聞いた瞬間、この連載で先日触れたクルアンビンが咄嗟に浮かんだ。そしてその辺の“ゆるファンク”を昨今掘っている自分もいるのだ。情報交換がまったく無いまま、お互いの音楽指標が完全に重なったレアな瞬間に出会ったのであった。
 その、“ゆるファンク”に筆者が勝手に分類しているのが、話題のストレンジャーバンド、スーパーオーガニズム。今回は彼等の楽曲を黄昏ミュージックとさせてもらう。
 前身であったエヴァーソンズの来日公演に足蹴く通っ日本人フロントガール、オロノの危なっかしい英語はもとより、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、韓国と無国籍軍を地で行くロストルーツ感やニューウェーブ感がヘタウマ特有の緩さを生み、更に、ヒップポップ経由のファンクネスとの大きな異差が不思議な空間性を浮き立たせる。特に本チューンはスライドギターを効果的に使うことにより一層歪んだ空間が拡張されている。時代は今“ゆるファンク”なのだ!?!?(se)

黄昏ミュージックvol.23 メリー・クリスマス/ナット・キング・コール

 年齢を重ねるごとに、「時の流れ年々速くなるなきぁ〜」と師走の時期に痛感する。
 この感覚の根元は、当然残り時間との相対性なのだが、「大きなトラブルなく今年も過ごせた」とここでは強がりを敢えて言っておこう。
 どうでもよい枕はこの辺で切り上げて、
 さて、師走特有の選曲ジャンルに“クリスマスソング”という括りがある。
 古今東西、さらにキリスト教圏以外にも存在するクリスマスソングと云われる膨大な音源群故、選曲持ち時間全てをクリスマスソングで埋め尽くすことも容易に出来るが、それではあまりに芸がない。それに、クリスマスソング以外でも、よりクリスマス色を強く出している曲も多々あったりもする。
 キリスト教徒でもない極東の人間が分かったように解析するのは多少憚れるが、要は“教会音楽感”を強調したものが非常にこの時期の夜の街に映える気がするのだ。僅かなリヴァービーな音色であったり、パイプオルガン的な重層感。はたまた銀河的宇宙感などでクリスマスソングでなくともそのニュアンスを演出出来る。故に、疑似クリスマスソングとリアルクリスマスソングを混ぜ合わせるのが筆者の師走の選曲手口なのである。
 さて、そこで肝になるリアルなクリスマスソングだが、ここでの必須要素として、“スムース感”というのが大切だ。年末に頻繁に行われるジャズコーラスのライブなどの、“あれ”のことだ。ディープなゴスペルなどのように引っかかりがない、都会派の歌声、それに羽毛を思わせるストリングスが乗ったらもう言うことはない。そんなクリスマスソングの真打ちが今回紹介するナット・キング・コール。彼の手にかかれば全てのクリスマス・スタンダードは輝きを増すのだが、ここでは敢えておおねたの『メリー・クリスマス』を選んでみた。
 今年も悲喜交々いろいろとありましたが、師走の一時、「バー黄昏」で麗しのゴールデンボイスに乾杯。メリー・クリスマス!(se)

黄昏ミュージックvol.22 フライディ・モーニング/クルアンビン

 近年、大型野外フェス出演の増加で、ビックネームの仲間入り寸前のテキサス出身の男女混合トリオ、クルアンビン。
 まず、音楽以前に彼等三人三様の容姿にどうしても目がいってしまう。
 いかにも“食いしん坊”キャラの太っちょドラマー(その実、タイトなリズムを叩き出す)、一点の雲もなく70年然とした長髪ロックギタリスト(ガレージ的歪みを持ちながらもギターインストバンドのつぼをしっかり押さえている)、ボブカットの黒髪が不思議なエキゾチック感を湛える美人ベーシスト(ファンクネスを持ちながもNW期の知的女性ベーシストの系譜、ティナ・ウェイマス、キム・ゴードンの流れを踏まえている?)一見バラバラに見えて演奏同様結集するとぴたっとはまる3つの個性。良質な音源もそうだが、そんな絶妙な、相性、絵面も彼等へのライブオファーが絶えない要因のひとつではなかろうか。
 今回、黄昏ミュージックとして選んだのはセカンドアルバム『コン・トード・エル・ムンド』の最終トラック『フライディ・モーニング』。
 メンバー3人にパーカッション、ペダルスティール・ギターをサポートに加えての長尺な演奏は、アイコンであるアジア風味のいなたいファンクとはまた違い、スローでメローなスウィートソウルミュージックのマナーにきっちり基づいたもので、BPMを有機的に変更して行く自由なグルーブは、“ロウハイ”、“へたうま”等という曖昧な形容詞では片付けられない確かな演奏力が表出した素晴らしい楽曲。表層だけ眺めれば、ジャームッシュやタランティーノのシネマで何時ぞや聴いた風の、センスのみでやっているバンドに思われがちな側面もないとはいえない彼等だが、ライブの場数並みに一筋縄ではゆかない手練でもあるのだ。
 加筆/訃報が入った。敬愛するサックスプレイヤー、片山広明氏(生活向上委員会、渋さ知らズ等)がお亡くなりになった。
 盟友、梅津和時氏の名作『ベトナミーズ・ゴスペル』にも負けず劣らずの一世一代の泣きのブロー、レーナード・コーエンの『ハレルヤ』の故人によりカヴァーをここに記すことで追悼とさせて頂く。
ご冥福を心よりお祈りいたします(se)
『ハレルヤ/片山広明カルテット』(アルバム『キャトル』収録)
演奏:片山広明(ts)、板橋文夫(p)、井野信義(b)、芳垣安洋(ds)

黄昏ミュージックvol.21 オーブル街/ザ・フォーク・クルセダーズ 

 冒頭から唐突だが、日本のサブカルチャーの源流はフランスにあるのではないだろうか?
 一方、アカデミックの源流はドイツに帰着するのでは?と筆者は漠然と皮膚感覚で考える。
 戦後、フランス文化、特にポピュラーミュージックを指向するアーティスト達は、「銀巴里」等を拠点に、日本語シャンソンの完成を夢見一途な想いで邁進した時代があり、なかにし礼、岩谷時子等という特化した詩人がその推進力となった。
 時は流れ、ニューミュージック、Jポップの萌芽の前夜にも、シャンソン、フレンチポップス以外の視点でフランス的スパイスを生かした良質な楽曲が僅かだが浮上する。
 元ザ・タイガースの加橋かつみのパリ録音アルバム『パリII 1972』に収録されている、『ある夏の終わりに』や、先日の全曲完全ライブでも話題となった高橋幸宏のアルバム『Saravah! 』の表題曲、そして、極めつけは、村井邦彦作曲で自身の筆による、安井かずみの『わるいくせ』等。
 さて、前振りはこの辺ににして、本題に入ろう。
 その安井かずみとその後結ばれることになる、加藤和彦の初のプロキャリアとなった、フォークトリオ、ザ・フォークルスセダーズの楽曲で、『オーブル街』という楽曲がある。
 ここでの詩は、メンバーでありこのバンドの多くの詩を手がけた北山修でなく、松山猛の手によるもので、疑似中世設定アニメの原点とも云える、架空の街“オーブル街”を舞台に、加藤の最初期とはとても思えない、完成された欧州パリ風メロディーと上品なサウンドプロダクトが秋の気配を運んでくる純黄昏ミュージックなのだ。
 やがてこの路線は、彼のソロプロジェクトへと引き継がれ、『パパ・ヘミングウェイ』(1979年)、『うたかたのオペラ』(1980年)、『ベル・エキセントリック』(1981年)の“ヨーロッパ三部作”として大輪の花を後に咲かせることとなる。(se)

酔談vol.10 ゲスト:鈴木清一氏 ホスト:河内一作

「連載対談/『酔談』vol.10」ゲスト:鈴木清一氏 ホスト:河内一作 


 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて、記念すべき第10回目の今回は、一作の強っての希望もあり、アダングループ“常連ナンバー栄光の1番”との称号を持つ、編集者、プロデューサーの鈴木清一氏(以下敬称略)が、満を持して、奥渋「家庭料理 おふく」に遂に登場!
 彼こそが、一作の長きに渡る店作りの生き証人であり、プライベートでも男同士の深き友情で結ばれている人物。故に、今回の酔談は素の一作が垣間みれそうな予感に溢れている。
 近年、病気療養と上手く付き合いながらの活動となっているが、多数のレジェンダリー雑誌を、それぞれの最盛期に携わってきた清一。まず、そんなレアなキャリアを可能にしたバックボーン、東京ユースカルチャーの原風景からゆっくりと語ってもらおう。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):昔と立ち位置が逆だと、なんか戸惑うね(笑)
昔は清ちゃんがおれを取材するのが当たり前だったんで。

鈴木清一(以下清一):まぁ〜ね、でも、おれの仕事のやり方はいいかげんだから(笑)だから長生き出来ている。
おれに執って60歳代はもう長生きの範疇だから。
実はうちの家系は60代で死んでる人間が多いんだ……。

一作:そうなの?
清さんは?お父さんの鈴木清さん?

清一:享年79歳。

一作:ガハハハハ(爆笑)結構生きてるじゃん。
また、人を驚かせようとよく言うよ(笑)

清一:ガハハハハ(笑)

一作:この対談は、そんな感じの思い付きで話してもらって一向にかまわないからね(笑)

清一:その親父が、おれが生まれて、「いい名前を付けたい!」てんでさ、1ヶ月半熟考して付けた名前が“一”って1本付けただけの、“清一”(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
おれ、よく覚えているよ。一回、清ちゃんちへ行ったとき、表札に“鈴木清”、“鈴木清一”ってふたつ並んでて。おれ、「一が違うだけじゃん!」って(笑)

清一:一作、知ってた?鈴木清って、東京で一番電話帳では多い名前だって。

一作:へぇ〜、で、清一は?

清一:そっちになるとこれが少ないの(笑)

ラジオアダン:取材前の雑談で小耳に挟んだのですけど、清一さんは当時では珍しい一人っ子だったとか?

清一:うん、そう。

ラジオアダン:では、弟さんがもしいたら清二さんだったりして(笑)

清一:多分ね(笑)

一作:ひと月半考えて清一だから、ふた月半考えて清二だろうね(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
本当は、おねぇ〜ちゃんがいたらしんだけど、死産だったから一人っ子になった訳。団塊の後の世代だね。
その団塊との異差が、一作と意気投合するところでもあるんだけどね(笑)


鈴木清一氏

一作:そんな訳で、清ちゃんって東京人な訳じゃん。

清一:うん、東中野。

一作:この前のゲストの桜井さんもそうだけど、……、おれなんか山口の田舎から出て来てさ、東京に馴染むのに凄く時間がかかった訳。

清一:分かる分かる。

一作:例えば、この酔談の最初の方に出てくれた、元ミュート・ビートのこだま和文くんなんかも福井の田舎から出て来て、「『吉祥寺はパリだ!』と思った」と言うんだから(笑)

ラジオアダン:一作さんもこだまさんも上京当初は中央線沿線にいて、徐々に中央へ向かって行くという共通点がありますよね?

一作:そうそう。
ファッションシーンなんてない田舎で育って、原宿に行けばびっくりしていた。
俺たちは、東京を目指してやって来ているけど、東京の人達って、その先を目指している訳じゃん。

清一:でも、東京は東京のローカリティーってものがあって、……、その東京ローカリティーを一作は笑ってバカにしていたけど。
亡くなったカメラマンのはっちゃん(橋本祐治)が大塚出身で、あそこにある大きな結婚式場が角萬の白雲館。一方、おれが育った東中野の大きな結婚式場が日本閣。そんで、どっちが立派か?なんて言い争いになって(笑)東京人は東京人でくだらないことで盛り上がる(笑)実は、どっちも大したことないんだけどね(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
おれ、バカになんかしてないよ(笑)
池袋にはそういうところはなかったの?

清一:池袋はないな。

一作:そうか。
友人の、編集者、僧侶の稲田(英昭)くんが池袋出身の東京人だけど、あそこにはそんな象徴的な建物なかった訳だな。

清一:東京人がよく拘るのは、山手線の内と外に関してじゃないかな?
おれは外じゃん。新宿から中央線で2つ目だから。
はっちゃんの大塚は山手線内、稲田くんも池袋ならそうなるね。
彼等に比べるとおれは田舎者ってことになる(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
くだらねぇ〜(笑)

ラジオアダン:先日、その稲田さんに昔話をしていただいたのですが、小学生の頃から、「自分の意志で銀座に、自分が着たい洋服を買いに行った」という下りには驚きました。「流石、都会人だなぁ〜」って。

一作:もう意識が、おれ等山口県人の十歩は先を進んでいる(笑)

清一:だから、ソニービルの地下に、「Mr.VAN」ってのがあって、「VAN」よりワンランク上の商品を扱っている、

一作:(遮るように)清ちゃん、清ちゃんさ、ソニービルはもう今ないよ(笑)

清一:ああ、そうね、もうないか……。

一作:あそこの1階の「パブ・カーディナル」も、もうない……。

清一:ああぁ〜、本当?もう、おれ、銀座に随分行ってないから分かんない(苦笑)
昔の東京の若者カルチャーをファッション的に考察すると、まず、大学で言うと、成城大学があって、特に下からゆくのがエリートなの。
成城、成蹊(大学)、あと、青(山)学(院大学)。その辺を初等部から行くのがエリート。近田春夫さんなんて慶応の幼稚舎からだから!
だから、エスカレート的に行けるか?行けないか?が、ボンボン、お嬢様の境目。

一作:清ちゃんみたいに大学で慶応に入るのは?

清一:それ、ダメ(超あっさりと)

一作:でも、頭はいい訳じゃん。

清一:まぁ〜、受験勉強はしたけどね。

一作:もう、その時点で地方の人間は蚊帳の外だよね。

清一:無理。東京の人間ですら無理に近いから。

一作:旧『アダン』は三田にあったから、幼稚舎から登っていった人達が結構来てたよ。
卒業生が大人になって、彼等、皆凄く仲がいいんだ(笑)

清一:おれの大学時代は、意外とその下から来ている人達と仲がよかった。なんか妙に馴染むの、慶応女子(高校)とか(慶応義)塾(高等学)校出身者に。

一作:おれと清ちゃんはひとつ違いだけど、略、ファッション的には同じ時期だよね。ある程度出揃ったのが中学時分だと記憶しているけど。

清一:そうだね。

一作:東京と地方の差はあるけど、基本、「VAN」、「JUN」しかなかった。

清一:うん、まぁ〜……、……、他には「ジャズ」、「プレイロード」とかね。

一作:その辺の清ちゃんのファッション遍歴を教えてよ。

清一:やっぱり、まずはVANのホワイトのスニーカー。それに合わせて、同じくVANの白いソックスにチノパンみたいな。
あと、オックスフォードのBDシャツ。それはブルックス(・ブラザース)ね。まだ青山に店がなくって、自由が丘の並行物を扱う店までわざわざ買いに行って(笑)

ラジオアダン:中学生で、もう、ブルックス・ブラザースを着ていた!?
凄いですね!

一作:そりゃ〜凄いね!
おれは山口の田舎だから、当然、ブルックスはなかったけど、岩国にVANショップがあって。岩国には基地があるから、VANもだけど、米軍の放出品を扱うアメ横みたいな店もあった。
おれも御託に漏れずにVANショップで白いスニーカーを買って、……、でも、他のものは清ちゃんみたいにすぐに揃えられないから、学生服のズボンを同級生でミシンが上手な奴に頼んで、裾を詰めたり、あるいはラッパズボンに広げてもらったり(笑)
ピカピカのVANの白いスニーカーにアイビー調に詰めてもらったズボンをはいて意気揚々と田んぼのあぜ道を通って中学校に行く。

清一:おれは、逆にそういうのに憧れる(しみじみと)

一作:でも、その格好が、「生意気だ!」ってことで、先輩達にボコボコにされて。ガハハハハ(爆笑)

清一:でも、東京もおれのガキの頃は、うちの直ぐ裏なんて川原さんっていって、農業やっていたもの。東中野くらいだと田んぼのあぜ道もあったし。

一作:その頃なら、まだ東京にもあっただろうね。

清一:だって、おれんちから新宿駅が丸見え(笑)終電が来ると、「新宿ぅ〜、新宿ぅ〜」ってこだまして聞こえるんだから(笑)


河内一作

◇◆◇◆◇
 
 正に先端の東京の若者としての青春をおくった清一。その甲斐あって、平凡出版〜マガジンハウスと移行し、急激に右肩上がりに成長する同社のユースカルチャーの一翼を担うようになるのだが、そんな情報通の彼を驚かせたナイトシーンが、一作の実質初の夜のフロントラインとなる「クーリーズ・クリーク」だ。
 清一はこのレストランバーを、「カルチャーショックだった!」と言い切る。
 では、そんな時代の六本木と、その伝説の店に早速誘っていただくとしよう。

◇◆◇◆◇

ラジオアダン:後の職業が示すように、清一さんが青年期に熱中したのは、音楽やファッションだったのでしょうか?

清一:おれ等の時代って、皆、ビートルズが好きなんだけど、おれ、ひねくれもんだから(苦笑)ローリング・ストーンズの方へいっちゃって。

ラジオアダン:以前、雑談レベルですがお話を伺ったとき、ロックの前にモダンフォークに傾倒されていたとか?

清一:うん。
成城大学にアメリカ民謡研究会ってのがあって、通称“アメ民”。黒澤久雄さんがいたりして、

ラジオアダン:ニックネームはクロパン(笑)

清一:うん(笑)

一作:「若者たち」。

清一:うん、(ザ・)ブロードサイド・フォーね。
あと、青学もモダンフォークが盛んで、ニュー・フロンティアーズなんて人気バンドがいたりして。

一作:映画版の『若者たち』は見たことある?モノクロの。

清一:佐藤オリエさんと橋本功さんと、長男が田中邦衛さん、

一作:一番下が山本圭さん。
これ、以前に言ったかもしれないけど、それをリメイクしたのが、『ひとつ屋根の下』だよね。山本圭さんをキャスティングしたとこなんて、それを大いに匂わせている。
清ちゃん知ってるかな?あれ当時は共産党推薦の映画だった。

清一:うん。知ってる。

一作:うちの長男が共産党で、「お前、あれ見てこい!」って命令されてさ(笑)

清一:永福町に友達がいたんだけど、「永福町のパチンコ屋に、佐藤オリエと山本圭が一緒に入って行くのを見た!」とか騒いでいたよ(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
佐藤オリエさんは、あの頃、人気絶頂のアイドルだもの。

清一:おれの憧れの人でもあった(笑)

ラジオアダン:同様のことがぼくにもあって、週刊誌レベルで軽く噂になっていた、大ファンだった竹田かおりさんと、大して好きでもないロックミュージックをやっていた甲斐よしひろさんの2人が、代官山の「聖林公司」に仲睦まじく入って来たのを目撃したときは相当気持ちが落ち込みました(笑)

一作:おれはそういうのはないな……。
ところで、竹田かおりさんって誰だっけ?

ラジオアダン:故松田優作さん主演ものの常連で、

一作:ああ、脱いだりしてる人?

ラジオアダン:ええ、日活ロマンポルノでは橋本治さん原作の『桃尻娘』に主演されていました。

清一:聖林公司は、それこそ、おれがいた、雑誌「ポパイ」のファッション・プロデューサーで、男性スタイリストのパイオニア、北村(勝彦)さんが(ゲン)垂水さんと仲いいじゃん。あそこが出来る前に、ヒルサイドテラスがあって、はす向かいに、えっと、……、メキシコ料理屋の、……、……、

一作:「ラ・カシータ」。
キラー通りの方も知ってる?デニー(愛川)がやっていた、「ハウル」ってバーのとこにハリラン(聖林公司)の最初の店があったでしょ。70年代の頃、あの螺旋階段のとこ。

清一:おれ、デニーは、原宿の今は伝説の店になっちゃった、

一作:「シネマクラブ」でしょ?

清一:そう、シネクラで知り合った。

ラジオアダン:へぇ〜、一作さんもシネマクラブには行っていたんですね。
業界人だらけの店ですよね?

一作:当時はね。
あの頃は一個店が出来れば皆そこに行っていたからね。で、また他が出来るとそっちに移る。
最初の「クーリー(ズ・クリーク)」くらいまではそんな感じ。

清一:そうだね。
そのクーリーが、おれに執ってのカルチャーショックだった。
というのは、それまでは水商売をやっている人達が話題の店を手掛けるんだけど、「ツバキ(ハウス)」や「玉椿」にしても。

ラジオアダン:一連のお店は、日新物産系列出身の方達が、その多くを手掛けていました。

清一:うん。
マハラジャの成田(勝)さんとか、セック(コーポレーション)の松山(勲)さんとかね。

一作:それはそれで過去の水商売とはちょっと違っていたんだけど、大体、その辺りの人達の運営体系って体育会系じゃん(笑)
だから、おれはそれを総して、“体育会系水商売”って呼んでいたんだ。ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)

一作:そんで、クーリーだけが、なぜか文科系水商売。
ねっ、清ちゃんそうでしょ!?

清一:うん、間違いない。
まず、1981年に、一作と共通の友人である大山(典子)さんに、「高樹町に面白い店が出来るから」ってことでオープニングの日に連れて行かれたんだけど、「こんな広い地下の空間に、ぽつんぽつんと贅沢なゾーニングでテーブルが置いてある!」ってことがまずカルチャーショック。前述した一連の店も割とギュウギュウなゾーニングしかなかった時代だから。
あと、おれは前の店「シルバー・スプーン」も知っていたから更に驚きが大きい。
集まっていた人達も、DCブランドの「ニコル」とか「タケオ・キクチ」とかファッション系の人達ばかり。それと芸能人と、おれ等みたいなメディアの人間なんだけど、編集者として、おれ等もかなり異色な方だったからね。

一作:あの時代のマガジンハウスはガァ〜ンといっていたから、来てる人間の頭数が多かった。

清一:そんなマガジンハウス:ポパイの中で、おれが夜の店探しの特攻隊長で(笑)「面白い店が出来ましたよ」なんて北村御大に報告すると、数日後、同行して、おいしいところを、全部、北村さんが持って行くって流れ(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
そうそう。
北村組は清ちゃんもだけど、皆ガタイがでかいのよ。

ラジオアダン:北村さんってそんなに長身でしたっけ?

清一:でかいよ。皆180(㎝)越えだもの。
亡くなった御共(秀彦)くんもでかいでしょ。

一作:でかいのが皆で来て、あと(佐々木)ルリ子ね。

清一:ルリちゃんね。彼女は後半から参加するようになった。
もともとルリちゃんは、新宿「ツバキハウス」の主のような存在で、ニコルのプレスの連中とも仲がよかったり。
ニコルの人達も、昼間に青山通りで会って、「元気ですか?」なんてこっちが声を掛けると、「最近、地味になっちゃって」なんて照れくさそうに応える。だけど、夜は一辺して凄く派手なメークと衣装でクーリーに顔を出す(笑)

ラジオアダン:では、2人のファーストコンタクトは、大山典子さんの仲介で普通にカウンター越しに挨拶を交わしたということですね?

清一:否、……、おれはずうずうしいから、一段上がったバーカウンターの一番隅っこに勝手に座ったんだ。おれ、端っこが好きだから(苦笑)そこが後に定位置にもなるんだけどね(笑)そこから一作と話すようになった。
内容はと言うと、映画とボクシングの話。ボクシングなら、シュガー・レイ・レナードとか、トーマス・ハーンズと、

一作:一番いい時代。
ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー、

清一:(フリオ・セサール・)チャベス、

一作:チャベスはちょっと後だね。

ラジオアダン:一作さんの雑談の内容が、全然、今と変わっていませんが(笑)

一作:基本、変わってない(キッパリ)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)
あと、少し音楽話?

清一:音楽の話は意外にもあんまりしなかったんだよ。

一作:音楽は店にあったからね。

ラジオアダン:店にあった?

一作:店にいつも溢れている。

ラジオアダン:ああ、成る程。

清一:レゲエを凄く新鮮に感じた時代だね。

一作:スタッフに、亡くなった(宮川)賢(左衛門)さんと、三木(哲志)くんとか、その流れに乗ったヒッピーサイドの人達もいたからね。

清一:あの頃はバーボン(I.W.ハーパー)をよく飲んだ。
おれが今でもよく覚えているのが、店の奥のボックスシートに飾ってあったモーゼの絵画。

◇◆◇◆◇
 クーリーズ・クリークに、早々に定席を確保した清一。
 やがて、ふたりの交遊は店外にも及ぶようになり、映画を介し、後に一作が、“男と男のワンシーン”と呼ぶ永遠に色あせない脳裏のスクリーンショットの名優となる。
◇◆◇◆◇

清一:そんなこんなで毎晩通って話しているうちに、マイケル・チミノ監督の話になって、『ディア・ハンター』の話になって、『天国の門』に繋がってゆく。

一作:そうそう。

清一:で、一作が店を終えてから閉館になる前の京橋テアトル東京にオールナイトの映画を観に行ったリ(笑)

一作:明け方、2人で車が全然走ってない中央通りを三丁目まで歩いて(笑)
今でも覚えているよ、あの頃のポパイのエディターはニットを襷がけにしてるんだ。
あれはなんていうファッションになる訳?

清一:いや、だからアイビー。

一作:アメカジってのは、もっと大きな枠組だよね?
アメカジっていつから云うようになったの?

清一:それも北村さんが命名したと思う。アメリカン・カジュアルってのはポパイからだから。
アメリカ本国の体育会系の、アメリカン・フットボールとかラクロスとか、ラグビーなんてのをやっている連中が、襟を立ててVネックのセーターを肩越しに掛けていた訳。
当時のファッション・ジャンル、“ヘビーデューティー”なんかもポパイが作った造語だよ。

一作:あの辺りでファッションが二派に別れる。トラディッショナルとヒッピー系。
正直なところ、清ちゃん達に会う前は、ポパイ系のファッションをおれは理解出来ていなかった。「興味ない……」と言うか、……、当時のおれ嗜好はヒッピー寄りの汚い感じを好んでいた。

ラジオアダン:前述したモダンフォーク派と関西フォーク系でも同様にファッション性が大きく違います。

清一:うん。
例えば、昔の遠藤賢司さんや、友部正人さん等と、モダンフォークはまるで違うようにね。
だから、“ニューヨークVS田舎”って感じに例えることも出来る。ウディ・ガスリーに対するキングストン・トリオやブラザース・フォアと云ってもいいんだけど(笑)

一作:都会派と自然回帰派ね(笑)
今でも都会派は野外フェスに馴染めないもの(笑)

清一:否、おれは好きだよ(笑)P.P.M.(ピーター・ポール&マリー)とか。

一作:そうじゃなくって、単純に虫とか嫌いでしょ?(笑)
山羊に乗って遊んだことなんてないでしょ?(笑)

清一:ハハハハハ(笑)

一作:おれなんて子供の頃は、山羊に乗ったり瀬戸内で釣った魚を浜辺で焼いて食ったりしてるんだから。

清一:だから、そこら辺がおれにとってのコンプレックス。
おれの魚釣りって云ったら、市ヶ谷の釣り堀の鯉だから(笑)
あれは、朝、魚に餌をたらふく食べさせてからオープンするんだよ。だから、中々釣れない(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)そうなんだね。
おれは釣り堀の楽しさだけは未だに理解出来ない。

清一:あれは典型的な東京の遊びだから。

ラジオアダン:一作さんは物心付いたときから海釣り、川釣りが当たり前?

一作:そうだよ。普通に海と山と川があったから。伝馬船だっておれ漕げるし。

清一:そう。
話を戻しちゃうけど、カレッジフォークというと、東京で有名な団体で、「ステューデント・フェスティバル」というのがあって、

一作:それはどこでやっていたの?

清一:杉野講堂や文京公会堂。
そこに森山良子さんが出ていて、『この広い野原いっぱい』を唄っていて。おれが高校の時代だね。
そんなのに感化されて、ボブ・ディランの『ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オール・ライト』の3フィンガーのギターを練習したり(笑)

一作:ギターやってたんだ?

清一:一応ね(苦笑)
でも、手先が器用じゃないことがすぐに分かって(笑)

一作:年取ってから再開したっていいじゃん(笑)

清一:それは上手い奴に任せるよ。おれはこれだもの(手を前に伸ばし、なにかを丁寧に置くポーズ)(笑)

一作:囲碁か(笑)
ところで、なぜポパイの編集をやるようになったの?

清一:最初、『アンアン』で“キャンパスもの”をやるようになるんだけど、

一作:そのアンアンに入る切っ掛けは?

清一:だから、棚橋(芳夫)さんっていう人と、杉本亜鶴(あず)って人達がいて。亜鶴は、昔からのおれの憧れの編集者だったんだけど、その亜鶴が仲介してくれて、いきなり、「キャンパスから」ってコーナーを持たせてもらって、レギュラー陣の一画に加わって、

一作:淀川(美代子)さんが編集長になる前?

清一:うん、なる前。

一作:淀川さんや、貝島はるみさんもクーリーによく来てたなぁ〜。あと、北村道子さんも。そのへんのファッションリーダーは全員来てた。

清一:おれが親しかった女性スタイリストは、(堀切)ミロさん。
六本木に、「平凡パンチ」出身の人がやってる「ジェミニ」って店があって、夜な夜ないろんな出版社の遊び人や、(内田)裕也さん達が来る、もう、めちゃめちゃな状態の店(笑)
そこでミロさんが、「清一、飲めよ!」なんて感じで可愛がってくれて。

一作:「キャンティ」も行っていたの?

清一:勿論知っていたけど、あそこはおれの上の世代がメイン。(堺)正章さんやら、(ムッシュ)かまやつさんとか、GS世代の方々。
おれたちが六本木といえば、「(ザ・)バーガーイン」だね。鉄板でハンバーグを焼いてくれる店。

一作:あったね、バーガーイン(笑)
清ちゃん、あそこは、「ニコラス」は行かなかった?

清一:ニコラスは2軒あるじゃん。飯倉片町と……。
おれ達が行っていたのはパブ・カーディナルの上の方。

一作:ああ、あそこか。

清一:あそこは元々、福生に本店があって、そこから別れて六本木に進出して来た。
おれがよく通っていた時代は、阪急ブレーブスの(ボビー・)マルカーノとか、助っ人外人達のたまり場で(笑)おれは決まって、12インチのオニオン、マッシュ、ガーリックを頼んで(笑)

一作:たまに、ああいうの食いたくなるね(笑)
今は、生地が厚くてパンみたいなナポリピザ全盛で、あれはあれでいいんだけど、

清一:この間、当時の北村組の中須(浩毅)くんとも、「あれ、また食いたいね!」なんて話をしていたところだよ(笑)

一作:最近、あの薄い感じ少ないもの。

◇◆◇◆◇
 ゴールデン80’s、“よく働きよく遊ぶ”ハイパーな日々を送っていた清一。
 そんな彼が、当時、籍を当時置いていた、マガジンハウスというファッッション、カルチャーの不夜城は果たしてどんな希有な稼動を日常的にしていたのだろうか?
 皆が知りたいその秘話をなんの前振りもなく一作がここで単刀直入に訊き出す。
 さあ、ジェットコースターに乗ったようなレジェンド編集者の享楽の日々の回想の始まりだ。耳を澄ましてとくと聞け!
◇◆◇◆◇

一作:マガジンハウス全盛当時の編集者の多忙な一日を教えてよ。

清一:マガジンハウスは、平凡出版時代から社員でも既に自由出勤制だったから、当時、スタッフ全員が揃うのは夕方。
おれら社員でない者も、昼からの取材が終わって編集部に行くのは夕方。
その段階で、やっと皆居て、デザイナーも居て、レイアウト出しをして、それが上がるまで3時間くらい麻雀やったり駄弁ったりして(笑)それから原稿を書く。

一作:じゃ〜、夜中に編集部で仕事をしていた訳だ。

清一:そうそう。
そんな感じのタイムテーブルでも遊び足りないから、いろんな夜の店に行っていた(笑)

一作:大体、12時過ぎに来ていたもんね。

ラジオアダン:遊びの方のタイムテーブルもお訊きしていいですか?

清一:重複するけど、集合場所はピザ屋で(笑)ニコラスね。で、玉椿に行って、

一作:それ集合かけるのは誰なの?
「清一、皆を集めろ!」なんて感じで北村さんが言い出すとか?

清一:そうそう(笑)
うるせ〜じじいだから、あの人も。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:腹ごなしに玉椿で踊って?

清一:うん。
まあ、おれらは日新グループ系は顔パスで、「どうもぉ〜」で入って、VIP席に通されて(笑)それから、「トミーズ・ハウス」に行って、富久(慧)くんのところね。そこから高樹町方面へ流れて。
でも、それもクーリーを知ってからはなくなって、もう、クーリー直行になっちゃった(笑)

ラジオアダン:ご飯も食べられるし?

一作:否、清ちゃんたちが来る12時過ぎは、もう、食事がオーダーストップした後なんだ。

清一:でも、特別に三木くんが作ってくれたり、

一作:三木くんじゃないでしょ?小西(修二)くんってシェフがいて、

清一:あと、須藤(義昭)ちゃんとかさ。

一作:そうだね。
小西くんはクーリーが終わった後、世界一周して、今は島根に帰って農業やってる。須藤ちゃんは松江。
まったく飯がないときは、貝柱を解したやつを皆で食って(笑)

清一:飯がないと、厨房、ドォ〜ンって入って行っちゃうんだもの。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
この酔談に以前出てくれた、亀(井章)ちゃんや、同じ仙台チームの小野(正人)ちゃんも正にそんな感じ。

ラジオアダン:それじゃ〜、完全にじぶんちじゃないですか!?(笑)

清一:ハハハハハ(笑)
話を正道に戻すと、クーリーでかかっていたレゲエなんて音楽は、実はポパイも取り上げるのは早くて、現地取材に、後に編集長になる岩瀬(充徳)さんが行ったりしていた。

一作:岩瀬さんは社員な訳?

清一:うん。

一作:その辺、マガジンハウスって面白いよね。

清一:社員と外部に変なラインがないんだよ。おれみたいな外者でも自分のディスクがあって。でも、そこに辿り着くまではそれなりに大変なんだけどね(苦笑)
おれは優遇されていたのかな?(笑)また話しを戻しちゃうけど、おれはキャンパスものをやっていたくらいだから、女子大生を沢山知っていた訳。

一作:おお、いいね(笑)
その割に、おれには一回も紹介したことない(笑)

清一:田園(調布)雙葉(学園)を含め、フェリス(女学院大学)とか(東京)女学館(大学)とかの、女生徒のアドレスがドバァ〜となるくらいのネットワークを持っていたの(笑)
で、それに目を付けた「ポパイフォーラム」担当の後藤(健夫)くんに呼ばれて、初めてオフィスへ行った。後藤くんは仕事より完全にそのアドレス目当てだったはず(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
キャンパスものってなんかいい響きだね(笑)

清一:うん。
フェリスの愛犬研究会とか凄かったな。皆、お嬢様で。当時はそんな感じでちょっと珍しいグループを取材対象にしていた。
今だから言うけど、その頃はおれも若かったから、それなりに唾付けたりしてね(笑)
一作には紹介しなかったみたいだけど(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
ほんとに一回も紹介されたことないよ(笑)

清一:だっておれ、「一作は常にいるもんだ」と思っていたから(笑)

一作:いやいやいやいや(苦笑)
清ちゃんとの色っぽい逸話は、……、ハハハハハ(思い出し笑い)、一回、プレゼンで関西に行ったときの、福原?有名なソープ街の。
あれ、なんの仕事だっけ?
「レストランを作る」なんてことだっけ?

清一:そうそう。
最初、おれのところに話がきたんだけど、おれ、本業じゃないから、一作と、賢ちゃんと、あと、山根(義行)くんに同行してもらって(笑)

一作:ここで山根くん登場!(笑)ヤーマン(ニックネーム)ね。

ラジオアダン:おお!オールスター・キャストですね!(笑)

一作:そう!(笑)
山根くんはヤーマンと呼んでいた。キャラクターが面白い男で、時々、おれのエッセイにも登場する。今はバンコック在住。
まあ、彼とはよく遊んだね。

清一:4人揃って、福原に行って、賢ちゃんだけがなぜか○○を移されて(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

清一:で、仕事は最終的に破談になるんだけど、というか、やらなくてよかった案件だね。

一作:うん、あれはやっても厳しかった。

清一:結局、その後、一作の提案で淡路島へ足を伸ばすことになる。「清ちゃん、この海の向うにいい島があるんだよ」なんてことで(笑)
所持金も底を付いていたから、ホテルに、「素泊まりでいいから」なんて交渉して島に滞在したんだけど、そのときになしを付けたのが、このタコ!(テーブルの明石ダコを指しながら)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)

一作:旅の帰りに、魚屋でタコの生きてるやつを皆して買って帰ったんだけど、

清一:グリーン車の棚に全員で並べちゃって(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それを家でもんでさ、食べたんだけど、やっぱ明石のタコだから美味いんだよ。

清一:美味しかったね(笑)

一作:それで、三田のアダンを始めるときに送ってもらって店で出すようになった。

清一:一作、覚えてるかな?当初の目的は、「洲本に美味い寿司屋があるから行こう!」ってことだったんだよ。

一作:ああ、そうだそうだ!
当時は、明石大橋はなかったから船で行ったんだけど、今の車での移動だと1時間半もかかる。

清一:徳島に行かなくちゃならないからね。

一作:あの頃は、神戸港から高速艇で洲本までたった40分。そんなだから、「ちょっと行って寿司食って帰ってこようよ」なんてイメージで軽く言っただけなんだ。

清一:で、行ってみたら、お目当ての「寿司清」はやってなかった(笑)
しょうがないから、違う寿司屋に行ったんだけど、これがまた正解で。
店主の弟が漁師で、瀬戸内海の新鮮なネタを優先的に仕入れられる店。
でも、山根くんが、いつものウンチクを長々と話し出して、それを聞いていた一作がカチンときて(笑)

一作:あいつは神戸、兵庫の人間だから、地元淡路の瀬戸内の魚の自慢を過剰にする訳さ(笑)例の延々続くウンチクだよ(笑)
おれ、凄く我慢してたんだけど、そのとき、淡路にいるもんだから超上がっていて、いつもに増してうるさくて(笑)
その辺、山ちゃんらしいんだけど、あいつ本当におしゃべりだからね。
お会計して店の外に出た瞬間に、「うるせぇ〜んだよ!」ってヤーマンにチョーパンくらわした。映画の『パッチギ!』みたく。
そしたら、ヤーマンが後ろ回し蹴りかなんか空振って、まあ、兄弟ゲンカみたいなもんだな。ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
で、ホテルに帰るんだけど、一作だけいなくなっちゃって(笑)
後日談だけど、なんでもその後に一人で地元のスナックに入ったら、常連の漁師の親父さん達と話が弾んじゃったらしいんだ。
そのときのことを、「『星屑の酒場』ってタイトルでエッセイにしたい!」なんて言い出して(笑)

一作:そうそうそうそう。
あのときは面白かった。結局、稲田くんの媒体、……、「シティーライツ」かな?……、で、エッセイを書いたんだ。タイトルを、「明石のタコ、淡路のコナ」に変えて。
丁度春先で、そのスナックのカウンターにシラスの親分みたいなのが置いてあって。その魚を洲本ではコナと呼ぶんだ。
コナのメスは春先になると腹がピンク色に染まる。「昔はそのコナが岸壁まで沢山近づいてきて海がピンクに染まる」なんて話を漁師さんがしてくれて。
きみ(進行役)は知らないかもしれないけど、要は、コナはいかなごの子供。いかなごを煮ると“くぎ煮”っていって、洲本特産の甘辛いつくだ煮になる。

清一:でも、あの珍道中でおれの人生観が随分変わったよ(妙にしみじみと)

一作:変わってねぇ〜よ!全然。
ガハハハハ(爆笑)
おれの方が人生的には大きく変化してない?
タコでアダンって店が出来たんだから(笑)おれ、タコ成金か!?!?ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
そういう意味でも、おれってやっぱり特攻隊だ(笑)

◇◆◇◆◇
 流石は、“常連ナンバー栄光の1番”、三田「アダン」の名物料理の誕生にも介入していたとは!!
 ここで急に、2人の食の旅の回想は、淡路島から東京:恵比寿に大きく舵を切る。
 そこで浮き上がるのは、夜明け前の恵比寿の屋台を舞台にした一作ならではの妄想口頭文学。
 そのフワっとした味わいがまたじつによい。
◆◇◆◇

清一:その関西への旅でも美味いものを沢山食べたけど、やっぱり一作は美味いものをよく知ってる。
恵比寿のこっち側(東口)の通りの突き当たりに鰻屋が昔あって。覚えてない?

一作:うん、……、……、あっ、あれでしょ?今でいうガーデンプレイスの方でしょ?

清一:そうそうそう。

一作:あの角の一軒家ね。煙がもうもうで(笑)

清一:あそこの鰻が美味しくてさ。

一作:あそこはビルを建てて今は地下に入ってるけど、当時の迫力はないね。
やっぱりあそこはもうもうなのがよかった。

清一:そういう店に一作は連れて行ってくれる訳。
同じ恵比寿の屋台もそうだし。

一作:「おゆき」さんね。

清一:おれらがおゆきで飲んでいると、ベンツを横付けして銀座のクラブのねぇ〜ちゃんをはべらした社長然としたバブルな奴が来るんだけど、結局、おれらがつまみ食いしちゃう。
ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
おゆきの後ろに公衆電話があって、そこに予約の電話がかかってくるんだ(笑)
清ちゃんが言ったように、着物着た銀座のお姐さん達がお腹減らして、深夜おゆきに食べに来るんだけど、あそこは近くにトイレがないから、「お兄さん、ちょっと付いてきてくれない?」なんて言われて付いて行くと、「見張ってて」なんて言って、最寄りの駐車場の影で着物を上げて用をたす。

清一:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:なんか、つげ義春原作映画のワンシーンみたいな、

一作:そうそう。ある種、つげ的なんだよ(笑)
おれ、そのシーンは「(ライスペーパー)88」の連載で書いたよ。
「見ちゃいけない」って思うから、月なんて出てないのに、空に向かって月を見るいふりをしたりして(笑)でも、耳で、“その”音を懸命に追っている(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
多分、いい音だよ(笑)

一作:で、ぱっと下を見ると、その液体が流れてきている(笑)

ラジオアダン:今度は、清水美砂さん主演の今村作品みたいですね(笑)

一作:今村昌平監督のね、……、赤い、……、えっと、……、『赤い橋の下のぬるい水』。

ラジオアダン:ですです。

一作:あれ最高!
あれの清水美砂の演技は凄い!今村監督も多分、ああいう女に出会ったことが実生活の中であるんだよ。

清一:この間、『シコふんじゃった』をたまたま見直したんだけど、随分若いときだけど、やはり清水美砂はいいよね。マネージャーみたいな役で。

一作:清水美砂って誰と結婚したの?
おれ、清水美砂とつきあいたぁ〜〜〜〜いぃぃ〜!!(妙に可愛く)

ラジオアダン:(スマホで検索中)……、……、……、……、……、清水さんは、在日アメリカ軍人のチャールズ・バックリーさんって方と結婚して、今はアメリカに住まわれてますね。

一作:あっ、つまんねぇ〜な、次の話題にゆこう!(なにもなかったかのように超あっさりと)

◇◆◇◆◇
 希代の女優も、利かん坊が、望んでもいない自らの話題に飽きて、LEGOのブロックを壊すように投げ出されては、流石に立つ瀬もないだろう(笑)
 が、彼女に執ってのせめてもの救いではないが、この後もぶれることなく引き続き映画をテーマに、照れ屋の2人が珍しく、“ヒューマニズム”について長尺で熱く語り合う。
 そう。恒例のあのコーナーに突入。
◇◆◇◆◇

一作:これ結構、この酔談では恒例化しているんだけど、映画の話に戻ったところで、清ちゃんの選ぶ、オールタイム・ベスト5をランダムに上げてよ。

清一:そうだなぁ〜、……、この間、娘達やその亭主に、「どの映画観たらいいですか?」なんて訊かれて、一番最初に出てきたのが『勝手にしやがれ』。

一作:(ジャン=リュック・)ゴダール。

清一:うん。
ジャン=ポール・ベルモンドと、セシルカットのジーン・セバーグ主演。
「こういう、ちゃらんぽらんな生活っていいなぁ〜」なんて憧れて。

一作:そんなこともあり、清ちゃんは、おれのことが好きなんでしょ?(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
まあ〜ね(雑に)

一作:清ちゃんにはそれが出来ない。真面目だから。

清一:そうね(苦笑)
それは云えてる。おれ自分が、「真面目だ」と思うもの。

一作:おれも友達の中で一番真面目なのは清ちゃんだと思う。
あの映画の最後に、ベルモンドが撃たれて長回しで走りながらさ。
あれは、鈴木杏と、主演、誰だっけ?……、……、

ラジオアダン:廣木隆一監督の『軽蔑』のことですか?

清一:高良健吾。

一作:そう。
『軽蔑』のラストシーンは完全にゴダール。『勝手にしやがれ』。

清一:成る程ね。

一作:高良健吾が撃たれて、和歌山の商店街をずっとのたうち回りながら歩くんだけど、かっこいいよね。

清一:でもさ、高良健吾の役どころって一作そのものじゃん(笑)
地方のぼんぼんが東京に出てきて、新宿のストリッパーもどきに惚れちゃって(笑)

一作:東京も世の中も知らなくて、居られなくなって田舎に帰るんだけど、親父に蹴られて(笑)

清一:あの親父さんは(小林)薫さんだっけ?

一作:そう。
あと、緑魔子さんが凄かった。

清一:うん。
あの映画で魔子さんがママをやっていたああいうバーに行きたいね。
海辺にある一軒家の鄙びたバー。

一作:場末感のある店はおれもやりたいんだけど、あれは余裕がないと出来ない。

清一:それと、そういうのって、まず、ママにああいうおばはんがいないといけないんだよ。

一作:そうなのよ。

ラジオアダン:前回のゲスト、桜井(莞子)さんのときに話に出た、西麻布「ホワイト」のミーコママは一種そういう感じを醸し出していた方なんじゃないですかね?

一作:だから、あの時分の、ミーコさんとか、あと、「インゴ」のよしおとけんちゃん。ああいう感じはやっぱ新宿からの流れだから。……、おれには無理だね。第一、新宿ゴールデン街はちょっと辛いし(笑)

清一:全盛期のゴールデン街も大枠では業界人のたまり場なんだよ。だって、おれがポール・スミスを案内したくらいなんだから(笑)
ごめんごめん映画の話から随分外れちゃったね(笑)

一作:はい!では第二位!(笑)

清一:ロバート・ワイズ監督。

一作:なに?

清一:『サウンド・オブ・ミュージック』

一作:そこは意外だね。

清一:凄くヒューマンなんだもの。

一作:おれも子供の頃に観て好きだった映画は、あれと、『眠れる森の美女』。その二つ。

清一:ワイズ監督だと、その前に『ウエスト・サイド物語』を観ているんだけど、やっぱり、『サウンド・オブ・ミュージック』。
実話にもとづいていて、大佐役のクリストファー・プラマーの7人の子供の家庭教師としてお転婆娘のジュリー・アンドリュースが修道院からやって来て恋愛に落ちたりと、ベタな設定なんだけど。史上初めて唄われた『マイ・フェイヴァリット・シングス』があまりに素晴らしく、実にヒューマン。おれ、極端なんだけど、後はやっぱり『ディア・ハンター』。
他人には関連性が分かり難いかもしれないけど、ヒューマニズム?今語っている作品全てにロマンがある。
『ディア・ハンター』も男の友情の話じゃん。ああいう、命?戦争があったことでベトナムにとり残されてしまう男を迎えにロバート・デ・ニーロが出向てくっていうさ。
アメリカに実際に住んでないとピンとこないかもしれないけど、やっぱりもともとが移民の国じゃん。

一作:白系ロシアでしょ?

清一:うん。
その深い結び付きが、「いいなぁ」と思う。

一作:清ちゃんと、かなり長く付き合ってるけど、これだけヒューマンな話をしたことはないね(笑)

清一:ないね。
ガハハハハ(爆笑)

一作:『ディア・ハンター』の白系ロシア人の結婚式のシーンで、えっと、……、……、ジョン・カザール。『ゴットファーザー』にも出ていた。
あのシーンで、皆でフォークダンスを踊るとき、『黒い瞳』がかかるんだよ。
あれ、違うか、……、……、そうだ!『コロベイニキ』だ!
あれ観た時、中学校でフォークダンスを踊ったときのことを思い出した。

清一:おれたちの方は、『オクラホマミクサー』。
女の子の手に触れるって当時は普段ないこと。

一作:ドキドキするよね(笑)

清一:うん。
ガハハハハ(爆笑)

一作:今、中学でないでしょ?フォークダンスって。
おれ、あれは絶対やったほうがいいと思う。

清一:今こそ、真面目に焚き火を囲みながら、“フォークダンスを踊る会”を作るってのはどう?(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それ、おれに期待しないでね(笑)
フェスでトランス風にアレンジしたリミックスものじゃないと難しくない?

清一:いやいや。
『マイムマイム』のときは、嫌いな奴を事前に真ん中に置いといて、火に追いやる!(笑)更に蹴りを入れて(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
(話を遮るように)はい次!第4位!

清一:『ET』。
映画館の中で泣いた唯一の映画。

一作:そうかぁ〜、ヒューマンだもんな。
清ちゃん、立派だよ、あれで泣くってのは。清ちゃんは、やっぱり牧師か教師になるべきだったね。
おれが清ちゃんを好きなのは、……、清ちゃんって凄く真面目だから。

清一:まあね……。
3億5千万円をドブに捨てちゃう人間だからさ(笑)

一作:自分の家を抵当に入れて事業して、まあ、騙されてもいいんだけれど。
ものの見事に失敗して、ものの見事に孤独になって。
でも、それを、おれと飲んだときに一言も愚痴らない。

清一:うん、言わない。
言ってもしょうがないもの。

一作:怨み辛みを一言も言わない。

清一:うん。

一作:そこが好きだし、清ちゃんのかっこいいところ。
沈黙。男は黙っていることも大切。
で、『ET』はどんなところが好きなの?

清一:まず、ストーリーとして、“だれが観ても分かる”。
要は、ETは外来生物で、それと人間が触れ合う有名なシーンがあって。そこでおれは泣いてしまったんだけど……。
やっぱり、こう、触れ合い?みたいな、ホッとする部分が。実に単純なことなんだけどね(苦笑)

一作:はい、じゃ〜最後の1作。

ラジオアダン:ひとつくらい邦画を頂くとか、

一作:いいね。じゃ〜邦画で!

清一:そりゃ〜、『雨月物語』とか、……、やっぱり溝口健二、小津安二郎は基本的に好き。だけど、……、日本か、……、大島渚の『絞死刑』かな?

一作:渋いね。暗いし。

清一:あの時代は、おれ、(日本)アート・シアター(・ギルド)の作品は欠かさず観ていたの。新宿文化って劇場で。

一作:おれは日劇の前で観てた。

清一:アート・シアター・ギルドが制作費一千万の中で作る、

一作:制作費一千万ってのも凄いよね(笑)

ラジオアダン:大島渚監督がインディペンデントに移行した時代ですよね?

清一:そう。
その後に、篠田正浩、松本俊夫。
松本俊夫はピーター主演の『薔薇の葬列』が好きだった。
他、勅使河原宏、黒木和雄、

一作:おれは、黒木和雄は、『祭の準備』が好きだった。竹下景子が初めて脱いだやつね(笑)

清一:あとは、『龍馬暗殺』か。
今思うとおれ、飲みに走る前は、毎週くらいのペースでアートシアターの作品は観てた。

ラジオアダン:一作さんがA.T.G.を好きなのは想像出来ましたが、清一さんは実に意外でした。

清一:いや、おれは基本的に、『橋のない川』とか全部観てるから。

一作:“脱ぐ”なんてふざけて言ったけど、日活ロマンポルノ出身の女優陣が沢山生き残っていることは本当に素晴らしいね。白川和子さんなんてれっきとした名女優だし、それも当然なんだ。
と云うか、もともとあの方達は女優なんですよ。女優という高い意識があるから生き残っている。おれ、絵沢萠子さんなんて大好きだった。エロチックだし演技は上手いし。
だからつくづく思うのが、AVは、……、流石に全部とは言わないけど、只やらせるだけのバカな女が自分のことを、“女優”なんて思ってること自体が腹が立つしありえない。

清一:分かる分かる。
『借王(シャッキング)』って哀川翔主演の映画があるんだけど、哀川翔に貢ぐ女が絵沢萌子さん(笑)京都の金融屋で銀行員の哀川翔に15億預けるんだけど結局使い込まれて、

一作:あれ面白いよね(笑)

ラジオアダン:ピラニア軍団だった志賀勝さんや美人女優の夏樹陽子さんが同じく主演で、

清一:うん、出てる出てる。

一作:志賀勝さんがまた凄くいい!(笑)
相当、作風は違うけど、前回話した『麻雀放浪記』みたいに3人共はまり役。

ラジオアダン:オールタイム・ベスト5で、シャッキングで〆とは意外でした!(笑)

一作:あっそうか。絵沢萌子さんの話からそうなったのか(笑)
あと、春川ますみさん。あの人も昭和のね、……、もう、只々素晴らしいね。

清一:『赤い殺意』。

一作:うん。
日活ロマンポルノは、日活が最後の最後にやむ得えなくあの路線で屋台骨を支えていた訳。宮下順子さんなんて最高の女優じゃん。

清一:片桐夕子さんも、『女高生レポート 夕子の白い胸』ってのがあって、その後、団地妻シリーズにいって人気を決定付ける。

一作:あと、『北の国から』に出てる、……、誰だっけ?
『男はつらいよ』のタコ社長の娘役だよ。

ラジオアダン:ああ、美保純さん。
ロマンポルノだと、ジョージ秋山原作の『ピンクのカーテン』が有名ですね。

一作:ああいう人達は女優として腹括ってるんだよな。

ラジオアダン:日活ロマンポルノは、監督、脚本家、俳優陣と、当時そこでしか活躍の場がなかった若手達が沢山関わっていたので、現場自体が凄く熱があったのではないでしょうか。
一作さんが好きな俳優さんでは山谷初男さん。あと、風間杜夫さん等の演技派も若手時代は積極的にロマンポルノに出演されていた。

清一:山谷さんはおれの場合は、若松孝二監督の、『胎児が密猟する時』ってグロテスクな作品での演技が印象的だった。

一作:70年代はそういう作風が多かった。
おれは、上京すぐは金もないしやることもないから、住んでいた井の頭3丁目最寄りの二番館に行く訳。三鷹にもあったし、あの頃、一杯、二番館があった。

清一:吉祥寺駅前にスバル座ってのもあった。その裏が武蔵野公会堂。
おれは鍋屋横丁のオデオン座によく通った。
オデオン座は洋画の3本立てで、朝9時から始まって観終わると、丁度下校時間(笑)そのまま家に帰って、「ただいま!」で一日終了(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
この前のゲストの桜井さんもそんな感じだったね。彼女の場合は映画館じゃなくってジャズ喫茶でのライブだったみたいだけど(笑)
東京人はいいよな、そういうところが幼い頃から一杯あって(笑)
そりゃ〜学校なんて行かなくなるはずだよ

◇◆◇◆◇
 酔談は当然ながら、“話が飛ぶ”という現象が多々起きる。
 当然のことである。飲酒しながら、しかも雑談という不文律に則っているのだから。 
 そんな中、今回は特に飛びに飛びまくった印象があるが、これに関しての要因は飲酒と違うところにあるのではないだろうか?
 それは、“信頼”??
 まず2人は、会話の守備範囲を想定していない。投げたボールが取れようが取れまいが、お互い、「どうでもいい」という域にまで信頼しあっている。
 さて、ここまでの域に達してしまった関係が、今後、進展することは可能なのだろうか?
 それを可能にするのは、仕事や遊びを共にするのではなく、一作の造語通りの、“男と男のワンシーン”を久方ぶりに上書きする、新たなる時間作りではないだろうか?
 そんな筆者の思いが伝わったのか?更なるフェーズへの切っ掛けを、瞬時に一作が切り出す。すかさず清一もそれに呼応。
 清一が示したその先には、眩しい程に豊かなヒューマニズムを湛えたあの島が見える。
◇◆◇◆◇

一作:清ちゃん、だから、男と女じゃなくって、男と男のシーンってあるじゃん。
おれはそういうのが凄く大切だと思うんだ。
例えば、今、この酔談の進行をやってくれているエンドウくんとだったら、ライブハウスの『音楽実験室 新世界』を一緒にやっていた頃、毎年花見の時期になると、“店を辞めるか続けるか”の話し合いをしながら、五反田から目黒川のあまり人気がいないところを目黒まで桜を見ながら2人で歩く。で、おれが、「流石に今回の更新時で締めよう」と断腸の想いで言う。でも、エンドウくんは、「もったいないです。せめてもう一回更新して、あと2年やってから辞めましょう!ぼくが絶対にスポンサーを見つけてきますから!」なんて言って覆す。
で、清っちゃん、連れてきたスポンサーって、どんなだったと思う?
それが、企業じゃなくって、おれもよく知ってる友達連中から一律月5万円を徴収(笑)
それ、スポンサードじゃなくってカンパだよね(笑)砕いて言えば、“おなさ”けじゃん。
ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)

一作:それで、結局、店を続けて赤字は更に膨らむ。でも、それがおれに執っての男と男のいいシーンで、友人達がカンパしてくれたことも、凄くありがたかった。
同様に、おれの中での清ちゃんとの名シーンって、前述した、テアトル東京での、『天国の門』を観て、明け方の帰り道、清ちゃんがいかにもアメカジなニットを襷掛けしていて、中央通りを2人で京橋から三丁目まで歩いたあれなんだよ。
ちょっと綺麗過ぎるかもしれないけど(苦笑)

清一:おれもあれは鮮明に残ってるよ。

一作:そういうのがあるんだよ、男と男のシーン。
おれは男と女のシーンは、残念ながらあんまりないんだけど(笑)いつか話すけど、亡くなった賢さんともそんなシーンが実はあるの。
新たなシーン作りのために(笑)久しぶりに2人で旅でもする?清ちゃんは今どこか行きたいところはあるの?

清一:いや、だから、おれは淡路に行きたいんだよ。

一作:淡路島?
前回は清ちゃんが金出してくれたから、今回はおれが出そうか。

清一:おお、いいね(笑)

一作:淡路一泊くらいなら、人工透析の方は大丈夫なのかな?

清一:大丈夫、大丈夫。
じゃ〜、金曜日発ちで月曜日の午前戻りだな?

一作:そんな、二泊も出来るの?

清一:病院は月曜の午後からだから大丈夫。

一作:金曜は何時に発てるの?

清一:午後8時なら東京を発てる。

一作:まあ、あれだ。人工透析なんて、ヤクが切れたようなもんなんだな(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
いや、そういう軽いもんじゃないね(笑)

一作:(芝居がかって)「ヤクが切れた!!打ってくれぇ〜〜〜〜!!!」って(笑)

清一:そうゆうんだったら喜んで毎日行くよ!(笑)

一作:オッケー、じゃ〜、今日のところは一旦そういうことで!
久し振りにゆっくり話せて楽しかったよ!

清一:ありがとう!旅の方、楽しみにしてる(笑)
 
◇◆◇◆◇
 前回のバブル期の狂乱の中でのビジネス絡みの島旅ではなく、自身のタイムテーブルをゆっくり廻るような感慨の中、新たなシーンを紡ぐために2人は約束の地へまた向かうようだ。
 前回の旅の手みやげは、一遍の随筆と明石のタコ。このカップリングも調和という概念からは大きくからかけ離れたものだが、齢を重ねた今回の土産は更に理屈を越えたものになるのだろう。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@奥渋「家庭料理 おふく」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

鈴木清一/プロフィール

1951年東京都生まれ。プロデューサー、エディター。
中学時代から映画にはまり年間100本以上観まくる。『勝手にしやがれ』でジャン=リュック・ゴダールにはまる。同時に、ジーン・セバーグのセシルカットにもはまり、ショートカットの女性に夢中になる青年期をおくる。
1976年、平凡出版『アンアン』の人気企画“キャンバスもの”の編集担当を皮切りに、『ポパイ』、『オリーブ』とメジャー誌のレギュラーライターを歴任。
1986年には、プランニング会社、(株)オビワンを設立し、ニッカピュアモルト雑誌広告でマルチプル部門金賞を受賞。
一方で東京ナイトライフの達人でもあり、1981、年高樹町にオープンした『クーリズ・クリーク』でバーテンダーだった河内一作と出会い、以後、一作の作るカクテルに惚れ込み毎晩通う。特に一作考案のカクテル“ハバナクラブショット”は今でも愛飲。その後の、代官山『スワミ』、青山『CAY』、広尾『ケセラ』、三田『アダン』、渋谷『家庭料理 おふく』と、一作が起ち上げた店全てに毎晩出没し長年和みの生活をおくり現在に至る。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

「連載対談/『酔談』vol.9」ゲスト:桜井莞子氏 ホスト:河内一作 

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズ・クリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて、数えて9回目となる今回は、初の同業者(飲食業)であり、過去ゲストの最高齢、一作に執っての“麗しの年上の女神”桜井莞子氏(えみこ:以下敬称略)を迎え、奥渋『家庭料理 おふく』にて緊急敢行。
 一作の店に、時折顔を出すときは酒場慣れしたゆかいな酔いどれ天使。そして、過去、我が国のライブペインティングの創始者とも云える著名イラストレーターの夫人であったこと以外、その素性はあまり知られていない。
 しかし、何気なく発する会話に混じる各界トップランナーの名前に、彼女の深層に眠る憂いあるその希有な遍歴を感じずにはいられない。
 大ロングランの様相を呈す今回の酔談。幾重もの知の断層は、いつしか巨大なカルチャー水脈へと繋がる。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):桜井さんは戦中生まれですよね?

桜井莞子(以下桜井):ええ、満州生まれ。引き上げ者です。
1943年に生まれて、お母さんが、私と年子の妹を抱っこして。

一作:じゃ~、2歳の時に終戦を向かえて。

桜井:そうね、略2歳。

一作:満州の記憶はあるの?

桜井:全然ない。
写真だけは残っているけど、記憶は薄いわね。

一作:えっと、この連載「酔談」も9回を迎えるんだけど、最年長のゲストです。

桜井:75歳のおばあさん(笑)

アダンラジオ:過去のゲストでは、写真家の横山泰介さんが一番の年長者になるんですかね?

一作:うん、泰ちゃんが71か2歳。

ラジオアダン:泰介さんは、お父様が著名な漫画家で、

桜井:えっ!?漫画家の横山さん?
鎌倉に住んでいて。

一作:うん、そう。

桜井:なら、わたし以前に会ってる。
お兄さん?弟さん?

ラジオアダン:ご兄弟とも鎌倉に住まわれていて、

桜井:なにちゃんだっけ、漫画の主人公。

ラジオアダン:『フクちゃん』。そちらはお兄様の横山隆一先生ですね。
泰介さんのお父様は、『プーサン』で有名な横山泰三先生です。

一作:なぜ桜井さんは知ってるの?

桜井:なぜだか知らないけど、征ちゃん(黒田征太郎氏:イラストレーター、前夫)が横山さんのお家に呼ばれて。
あの頃、誰が橋渡ししてくれたんだろう?


桜井莞子氏 

一作:じゃ~、物心付いたときって、日本に引き上げて来てからってことなんだね。

桜井:ええ。引き上げ先は、母のおじいちゃん達の疎開先の群馬県太田市。
でもここでの記憶も薄くて、その後、更におかあさんの兄の疎開先に移るんだけど、ここからは全部覚えている。その時点では、まだ、5歳になってないんじゃないかな?

一作:当時は戦後でなにもなかった時代。
やはり貧乏だった?

桜井:お金はちゃんとあるうちだった。

一作:金持ちの家だったんだね。

桜井:まあ、どっちかって云うとね。

一作:1947、8年でしょ?

桜井:うん。
実は、「食べることに苦労した」なんて経験がないのよ。
割と恵まれているよね。
だから、感謝感謝(笑)

一作:おれは52年生まれで、戦後7年ってことなんだけど、山口県の田舎で、大したもの食ってなかったな。
瀬戸内だから魚は食えたけど、肉なんて食えなかった。

桜井:肉にまつわる話だと、うちの母と父との間に大きな違いがあって。
父は群馬県の呉服屋の息子。で、父の家ではすき焼きに使うお肉が鳥だったんですって。結婚して初めて父の実家でそれを食べたときに、うちのお母さんはびっくらこいたらしい(笑)

一作:その鳥も、多分、パッと〆たやつでしょ?
にわとりの首をタンと切って、首なしがタッタッタッと走ってパタっと倒れる。

桜井:どうだろう?それはわたしには分からないけど、「すき焼きが鳥なのよ!!」って、お母さんが大袈裟な表情で話すのが凄く印象的だった(笑)

一作:鳥すきも美味いけどね。

桜井:一旦、通常のすき焼きを頭から外せばね(笑)

一作:まぁ~ね(笑)
北海道は豚だよね。

桜井:そうそう。
で、もっと面白いのが、私の父が60歳で引退して一時実家に帰ったとき、その町は牛肉を売っていない町だったの(笑)
実家の呉服屋って云うのが中山道添いなんだけど、そこではお肉屋さんに特別に頼まないと牛肉が買えないようなところだった。

一作:へぇ~、それ何年くらいのこと?

桜井:40年くらい前の話。
当時はまだその辺は相当な田舎だったということね(笑)そんなだから、実家のことを母はバカにしていた(笑)

一作:それよりまず、牛肉って戦後すぐに国内で生産していたの?

桜井:勿論していたでしょ。かなり貴重なものとして。

一作:おれが子供の頃のすき焼きって、年に何回も食えないものじゃん(笑)
しかも、あの固ぁ~い肉で。ガハハハハ(爆笑)

桜井:ハハハハハ(爆笑)
でも、それが美味しくてね(笑)
まあ、今考えても私はあまり困らないで来ました。
おかげさまで、そういう意味では。


河内一作

◇◆◇◆◇
 
 一作一流の誘導術で、早々にその出自が解明に出来るかと期待したものの、大陸で生まれ敗戦後に引き上げ、疎開先で当時の皆な味わうような極貧生活は体験せずに来たとのアウトラインしか開かさない桜井莞子。依然その人生のバックボーンは謎だらけ……。
 アプローチを変え、「まずは周囲を囲めろ!」とばかりに、家柄、家族構成等に方向性をベーシックに定め直す一作。
 さて、謎を包み込む霧は早々に晴れるのか??
◇◆◇◆◇

一作:実際に桜井さんが育った家庭ってどんな家だったの?

桜井:うちの父って人は呉服屋の9人兄妹の末っ子で、「絵描きになりたい」ってことで東京美術大学に入る訳なんだけど。末っ子だからお金も全額出してもらって、お小遣いまで貰えて、

一作:今の芸大(東京芸術大学)。

桜井:そう。
その呉服屋って云うのは代々続いた由緒正しい店で、当然、長男が継いでいるんだけど、その人が、これ(おちょこで酒を飲むポーズ)と芸者遊びが好きな人で。
中学を卒業してすぐに稼業を継ぐじゃない、そうすると、仕入れに行くと、即、神楽坂に行っちゃって、芸者さんの着物にペンで落書きしては着物を買わせるなんてことをする悪さ組で(笑)

一作:その伯父さんの遊び人の血が桜井さんにも流れているんじゃないの?ガハハハハ(爆笑)

桜井:そうそう。ハハハハハ(爆笑)
でも、確かに親戚でその叔父と私だけなの、のんべいは。ハハハハハ(爆笑)
叔父は死ぬまでそんな感じで贅沢して生きて行って。2度も結婚して(笑)

一作:基本、桜井さんはお嬢様だったんだ。

桜井:まあ、“困ることがなかった”ってことだけならそうなるのかな?
でも、一言で、“貧乏”、“金持ち”って皆言うけど、「不思議」だと思ったのが、20歳くらいの時に、大勢で海でしゃべったことがあったんだけど、年子のうちの妹は、「うちの家は貧乏だった」って言うのよ。なのに、わたしは、「金持ちだった」って言う(笑)姉妹でこんなに実感が違うものかと、

一作:なに不自由しなかった訳だもんね?

桜井:うん、しなかった。
うちには父の書生さんみたいな人達が沢山いて、おかあさんは大変なんだけど、皆にご飯を作ってあげて、

一作:書生を抱えられる財力はあった訳だから貧乏であるはずがない。

桜井:まぁ~、一応(笑)

ラジオアダン:なにゆえ書生さんがそんなにいたんですか?

桜井:うちの父は早い段階で油絵で大きな賞をもらったりした人だから、当然、洋画家になりたかったんだけど、……、あの人もある種の戦争犠牲者よね。
戦争が始まって子供達を食べさせないといけないから、美大の同級生を頼って明治製菓のコマーシャルの絵等を描くようになった。

ラジオアダン:グラフィックデザイナー、イラストレーターのパイオニア的な方だったんですね。

桜井:当時は商業デザイナーと総称していた頃だけどね。

ラジオアダン:では、書生さんたちはなにを?

桜井:その後に、飛び出す絵本を作り出して、その手伝いのための書生さんね。
映画制作もじきにやるようになって、満映ってところにいたんです。

ラジオアダン:えっ、李香蘭の満州映画協会!?

桜井:そうそう、山口淑子さんの。そこの宣伝部。
そんな環境から、元々、舞台美術なんかもやりたかった人だから映画製作にも携わって、歳を取ってからはシナリオも書きたくて、シナリオ学校に入り直したりしたんだけど、シナリオの方は残念ながら達成出来なかったわね。

ラジオアダン:今風に言えば、ミクストメディアを束ねるデザイン事務所にアシスタントとして大勢の書生さんがいたという訳ですね?

桜井:そうね。

一作:当時なら、「ギャラはそんなに払えないけど、飯は食わせてやる」なんて感じだったのかな?(笑)それはそれでいい時代だよね。
今なんか、何も出来ない奴にも給料を払う時代だもんね(苦笑)

桜井:昔は勉強をしたくてそこへ来るんだもんね。
「ご飯だけ食べさせてもらえればいい」って(笑)

一作:今の飲食店でそんな感じで来てくれたらいいよね。ガハハハハ(爆笑)

桜井:本当よね!ハハハハハ(爆笑)

一作:京都とかは今でも、……、有名な料理屋さんは中学校出て寮に入って、多分、給料なんて殆どないでしょ。

桜井:うん。
東京だってそうでしょ、和食は。
下働きで2年とかさ。

一作:あれは特別な世界だよね。
当たり前だけど、板前とかしっかり修行してきた人間はやはり凄い!びっくりするような仕事をするもの。……、だけど、他の世界を見ていないから、……、

桜井:それだけだからね。

一作:中々、おれなんかは付き合うとなるとキツいな。

桜井:一作さんくらいのキャリアなら板前さんとも至近距離でやっているものね。

一作:ノリが高校野球みたいだよね。
京都の木屋町の某料理屋さんとか、カウンターに白衣着て修行中の男の子が並んでる。丸刈りで高校野球みたいな男の子達ね。
「お前出身はどこだよ?」なんて尋ねると、「岡山の山の中です!!」なんて答えるんだけど。そういう若い人が出て来て修行している。

桜井:上下関係が凄いから。

◇◆◇◆◇
 予想通り、普通の勤め人の家庭ではなく、父親は我が国のグラフィックデザインのパイオニア的人物と判明。
 ここから更にレアな家庭環境の細部に質問が及ぶかと思えば、同業者ゲスト故の気楽さか?この酔談では珍しくワイドショーを賑わす一連のハラスメント騒動に話は飛び火する。
 通常そんなお茶の間の話題などどこ吹く風の2人が、敢えてそれに触れるとは、今のこの島国の市井の良識が相当にズレているということなのか??
◇◆◇◆◇

桜井:その上下関係なんてことを考えると、昨今お騒がせのスポーツ界とも重なる部分が多々あるわよね。

一作:今回の体操に関しては、一連のボクシング、アメフトなんかとはちょっと違う気がするんだ。

桜井:うん、そうね。

一作:塚原(光男)さんってオリンピック3大会で金メダルを取っている人なんだから、その大変さを一番分かっている人でしょ。
この際だからはっきり言うけど、あの子(宮川紗江)は今回のことがあろうがなかろうがオリンピックで結果を出せないと思う。
塚原さんレベルの人は、あのコーチ(速見佑斗)の無能さも見えてしまっているんだと思う。
ああいうことが発火点となって、2年後のオリンピックがネガティブなものにならないといいんだけど。

桜井:いろいろスポーツ界も大変よね。

一作:「今頃になってよく出てくるよな」、なんて池谷(幸雄)が発言しているけど、「だったら、もっと早くお前が言えよ!」だよ!
あれは、塚原さんの方がかわいそうだとおれは思う。
レスリングの伊調(馨)等と同列に並べていい事件じゃないよ。
方やオリンピック4連覇だよ。そりゃ~言う権利も十分にある。
それに比べて、まだ18歳で、……、そんな暇あったら、「もっとやることあるでしょ!」って。

桜井:うん、本当にそうよね。

一作:塚原さんは勿論、栄(和人)さんみたいな人達が中枢から外れたら、オリンピックで全然勝てなくなるよ。勝手にやって通用する程、甘い世界じゃないんだから。
勿論、権力の中でいつのまにか傲慢になってるとこはあると思うけど。

桜井:だから、スポーツも食の世界も、わたしみたいに修行をしないでやっちゃってもやれちゃうけど、きちんと習っている人達に執ったら、そういう存在は異分子なのかもしれない。
先日もきちんとやってきた料理人がはずみで殴っちゃって……。

一作:ああ、広尾で料理屋さんやってる方ね。

桜井:そうそう。
あんな優しい人がさ。
当初、「えっ?」と思ったけど、よくよく考えると、「指導してもよっぽど出来なかったんじゃないかな?」とも取れる。
私が彼のことをもともと好意的に思っていたってのも勿論あるんだけど、今のご時世、なんだかその辺難しいわよね。

一作:うん、難しい。
おれだって三田の『アダン』を始めた頃はスタッフに手が出ていたからなぁ~(苦笑)

桜井:えっ、ホント!?

一作:うん。やっぱり自分が現場に出ているとね。
でも、本当にその人を愛していて、未来のことを考えていないとそこまではしない。

桜井:それって、何度言っても直らないとか、分かってくれないとか?

一作:それ以前に、いい訳をするから。

桜井:ああ、そっちか。
それはちょっと手も出てしまうわね(苦笑)
私にも似たような経験はあるわ。分からない人って分かるまでが大変じゃない?年齢もある程度行けば更に直すことも難しくなる。

一作:そうはもう無理無理。若いときじゃないと。

桜井:そういう意味で若いときに叩き込むことは大切なことかもしれないわね。

一作:うん。
暴力を振るうということじゃなくて、厳しさを教え込むということね。

桜井:うん。非常に必要なこと。
昔の教師なんて日常的に殴ったりしていた。

一作:おれなんか、男3人兄弟の末っ子だったから、家で親父や兄貴に殴られて、学校に行けば先生に殴られて、その上、剣道部だったから竹刀で殴られ、帰り道の田んぼのあぜ道で先輩に殴られ(笑)
毎日、ボコボコだったもの。ガハハハハ(爆笑)

桜井:ハハハハハ(爆笑)
(妙に納得した感じで)成る程!

一作:スポーツもだけど、おれがハラスメント絡みで最近一番違和感を感じるのがセクハラなんだ。
例えばハグですらそう捉えることがある。あれはどう考えても愛情表現でしょ。その辺おかしくない!?
桜井さんはどう思う?

桜井:わたし全然OKだよ。
触られないから。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
だから、セクハラって言葉で、男と女の優しい、この、……、曖昧な、……、機微みたいなものがどんどん失われてゆく。

桜井:そうそう、そのちょっとした私的さがね。
目と目で分かる、いやらしいことじゃなくって、「うっ」って云うのもがね。

一作:ウォン・カーウァイの『花様年華』みたいな、ああ云う素敵な男と女の世界が少しずつ薄くなってゆく。

桜井:そうね。

一作:店をやってると、挨拶代わりにハグする機会もそれなりにあるじゃん。前の嫁がハワイだったし(笑)

桜井:ハハハハハ(笑)

一作:ハワイは殆どハグだからね。
で、ハグすると、「セクハラ!!」なんて言う女がいるんだよ。
そんな、「セクハラ!!」なんて言う女は99%ブス!!

桜井、ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)

一作:ブスしか言わない!!
いい女は言わないから。

桜井:ハハハハハ(笑)

一作:こうやってブスとか言うと、また、セクハラだパワハラだの言われるんだよ(苦笑)

◇◆◇◆◇
 ここに来ての一作の本音爆発を受け、ことを薄めるよう進行役としての筆者は、再度、桜井筦子に自身のタイムラインを遡るよう働きかける。
 すると、流石、機転が利くスーパーゲスト。瞬時に軌道は緩やかに予定通りの放物線を描く。
 さあ、続いてのフェーズは、多感だったその女子高生時代にいよいよ突入だ。
◇◆◇◆◇

ラジオアダン:で、一作さんと出会った頃にやられていた、飲食店の経営はどのような経緯で始められてのですか?

桜井:(唐突に)わたし、実はめちゃくちゃ遊び人なんです(笑)
遊び人?、……、と云うか、……、中学3年生からジャズ喫茶通い(笑)やれ、『ACB』だ、『ドラム』だと。

ラジオアダン:では、その頃は既に群馬を引き払って、

桜井:渋谷。

一作:渋谷のどこ?

桜井:渋谷区宇田川町って云って、今の渋谷ホームズ。ワシントンハイツがあったところ。
疎開から帰って来て、叔母が渋谷に住んでいたの。そこに居候。
小学校は渋谷区富ヶ谷小学校ってところに上がって、

一作:すぐそこじゃん。

桜井:そうよ、そこよ。

ラジオアダン:正にこの辺の方じゃないですか!?(笑)

桜井:そうよ。
この辺なんてその頃なんにもなくって。原宿の表参道があるでしょ?あそこまで歩いて行くと自転車屋があったの。今、『生活の木』になっているところ。『キディランド』の並びね。キディランドと、『志村工芸』と、その自転車屋さんしか表参道にもなかった時代。

一作:桜井さんの年頃としてはどのくらいのときの話?

桜井:小学校4、5年の頃。
クリスマスプレゼントで、「自転車が欲しい」ってせがんだんだけど、買ってもえなくて、そこの貸し自転車を借りて遊んでいた。
ワシントンハイツも、鉄格子の外れてるところから忍び込んで遊べちゃうの(笑)今のオリンピック村のところだから、めちゃ広くて綺麗で。

アダンラジオ:そんなこんなで中学に入ってジャズ喫茶通い?
今から考えても、大人の遊びのデビューが凄く早いですね(笑)

桜井:3年生からね。
それからは、ずぅ~~っとジャズ喫茶通い(笑)

ラジオアダン:ということはベースは新宿?

桜井:新宿、池袋。横浜にも行くし。

ラジオアダン:赤坂は?

桜井:赤坂にはジャズ喫茶はなかったわ。あと、銀座『テネシー』とかね。

一作:(念を押すように)ジャズ喫茶だよ!!(笑)
若い時の写真とか今持ってないの?

桜井:若い時の写真?
あるよ(笑)
ケメ子さん知ってる?笠井ケメ子(世界的ジャズシンガー/笠井紀美子)

一作:うん。

桜井:そのケメとの写真をある人が送ってくれたんだけど。
(スマートフォンをいじりながら)あるかな?……、びっくりしちゃうんだけどさ(笑)、あっ、これかな。笠井ケメ子達と海に行ったときの写真。これはもう25、6歳なんだけど。見て(笑)後ろにいるのがケメね。ケメ、綺麗でしょ?

一作、ラジオアダン:か!わ!い!い!!(見事にはもる)

桜井:笑っちゃうよね。ハハハハハ(爆笑)

一作:その写真、この連載に載っけようよ(笑)

桜井:ダメダメ、ケメに怒られちゃう!(笑)

ラジオアダン:ぼくたち50歳代がイメージするジャズ喫茶って、新宿にあって、ビートたけしさんがアルバイトしていたような長尺のモダンジャズがレコードでかかっていて、コーヒー1杯で何時間も粘るような店を想像してしまうのですが。

桜井:そのもっとずっと前。
当時だと水原弘とか、ライブを見に行くのよ。
だから、学校が終わって、午後4時の回をひっちゃきになって見に行く訳。お掃除当番なんてさぼって(笑)

一作:で、高校は?

桜井:中3からそんな感じで、私立に行っていたんだけどクビになって(笑)ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:高校を退学?

桜井:ううん、中学。

ラジオアダン:えっえっ???(たじろぐ感じで)

桜井:だから上まで行ける感じで、親が階段を作ってくれていた訳よ。

ラジオアダン:ああ、エスカレーター式に?

桜井:そう。
だけど、「校風に合わないのでおやめください」って言われて。ハハハハハ(爆笑)

一作、ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)

桜井:最低でしょ(笑)

一作:目立つ奴っているもんね。
同じことをやっても怒られる奴と怒られない奴がいる。

桜井:そうそう、私の親友が正にそれで、一緒にジャズ喫茶に行くのに彼女は怒られない(笑)

一作:でも、高校は行ったんでしょ?

桜井:うん、父のコネで違う高校に行って、

一作:「お前、せめて高校は出てくれよ」みたいな(笑)

桜井:ハハハハハ(爆笑)
親には、やめさせる選択肢はなかったから、「どこかの高校にどうにかして行かせよう」と思ったんだろうね。

ラジオアダン:でも、夜遊びはやめない(笑)

桜井:夜遊びではなかったの。高校、中学の時は、4時の回で1ステージ見ると休憩があってセカンドステージも見れるシステム。だから、ぎりちょんで帰宅出来る。

ラジオアダン:一応の門限は守っていた訳ですね?

桜井:その門限を守らなかったりするから、家で仕事をしているお父さんの逆鱗に触れたり、それはそれで大変だったんですよ(苦笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 早熟な無類のライブ狂に変貌を遂げた桜井莞子。
 当時でもかなりマニアックな部類に入るミュージシャンの追っかけも早々に経験し、更に、意外なメジャージャンルにシフトを切る。
 学業終了後、親の勧めもあり、一旦、家庭に入ることも頭に過るが、そんな平坦な毎日に身を置くようなキャラでは到底ない。
 暫しの思案の末、その後の人生を決定付ける、とあるオフィスに足を踏み入れる。グラフィックデザインの聖地『日本デザインセンター』!
 彼女の予測不能の人生の道程は更に加速する。
◇◆◇◆◇

一作:まだまだ最初の職業に付くまでには時間がかかりそうだね(笑)

桜井:そうこうしているうちに、高校のクラスメイトで東京六大学の立教大学野球部に熱をあげている子がいて、「エミ、ジャズ喫茶なんて行っていたら人生ダメになるわ。これからは野球よ!」なんてけしかけるの。それで、今度は野球場通いになる(笑)六大学野球の立教の応援(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

桜井:そうすると、わたしなんてジャズ喫茶に通うために日頃から一生懸命にお洒落している訳じゃん。その格好で球場に行くもんだから、田舎から出て来ている野球部のおにいちゃんたちはびっくりしちゃって(笑)
そのうち人気者になっちゃって、電話とかかかってくるようになって(笑)そのかけてきた人の先輩にしか電話番号を教えてないのになぜかかかってきて。
しょうがないからグループで遊ぶ感じで付き合っていたんだけど、野球部ってダサいのよ(笑)

一作:ガハハハハ(笑)

桜井:頭は丸坊主でさ、学生服着て来ちゃうの(笑)
渋谷の桜ヶ丘にあったわたしがよく行く喫茶店なんて、「申し訳ないけど、彼等をもううちの店には入れないでください」なんて言われたり、

ラジオアダン:ドレスコードに引っかかってしまった。

桜井:「ださすぎて入れられない」って(笑)

ラジオアダン:とは云え、長嶋茂雄さん等を輩出した名門野球部ですからプロ野球に行かれた方もいたんじゃないですか?

桜井:うん。一人プロに行った人がいました。
イチローさんが在籍していた時のオリックスの監督だった土井(正三)さんて方。

ラジオアダン:えっ!?!?
あのV9戦士のセカンド土井!?

桜井:亡くなっちゃったけどね……。
野球の人と付き合ったってわたしスポーツ全然ダメだし、ロックの人と付き合いたかったから(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
で、誰のファンだったの?

桜井:その頃だと、クレージーウエストってバンドがあって、そこの、福田洋二って人がすごくお洒落で大好きだった。
でも、全然相手にしてくれないから、

一作:その、福田洋二さんは楽器は何を担当していたの?

桜井:ギターとヴォーカル。
そのバンドって有名な人が沢山集まって来ていて、いかりや長介とか。カトちゃん(加藤茶)や仲本工事も後で入って来たり。
だから、この人が出るところはどこにでも行っちゃう(笑)

一作:流石にその辺の時代になっちゃうとおれには分からないな(笑)
で、最初の仕事はなにに就くの?

桜井:その辺話すと長くなるから(笑)わたしの過去訊いてどうすんのよ。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
まず、一旦そこから話してよ(笑)

桜井:18歳で、自分が行っていた学校の上のカテゴリーで、栄養士と服飾科ってのがあるのよ。でも、どちらも興味がなくって……。
親は、「それなら、お嫁に行け!」と。で、三菱商事かなんかの人とお見合いをさせられて。デートしたら、職業的にはエリートなんだけど、なんか、……、いやだったのよ。神宮前に既に所有しているマンションを、「見てください」なんて言って連れて行かれて。

一作:相手は気に入っていたんだね。

桜井:うん、あっちはどうもね。
でも18歳でね。あっちだって20幾つよ。

一作:その人とかって御生存してるのかね?

桜井:うん、わたしも今、同じことを考えていた(笑)
凄い人になってるかもね(笑)

一作:生きていてさ、この記事たまたま読んだりしたらどうしようかね(笑)

桜井:ハハハハハ(爆笑)
それが破談して、わたしになにが起きたかって言うと、(日本)デザインセンターの受付嬢とテレビ朝日の受付嬢募集の話が振って湧いてきたの。
テレ朝はうちの従兄弟がいたから、「エミちゃん、どう?」って。
どちらもコネだから下見に行くんだけど、テレ朝の受付は囲われた形で4人座って、なんだかそこだけが隔離されているんだけど、デザインセンターの受付は2人座って、視界に入るところでデザイナー達が仕事をしていて、なぜかかっこよく見えちゃって(笑)「日本デザインセンターで働かせて頂きます!」って。今思えば、そこがわたしの運命の分岐点だったんだろうな。

一作:そこで、かの日本デザインセンターの一員になった訳だ。

桜井:うん。
入社して初めて横尾忠則さんを見た時、足が長くて、「なに?この素敵な男の人は!?」って(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:ということは、他、宇野亜喜良さんやらグラフィック界のスター勢揃いの頃ですね。

桜井:そうね。
で、横尾さんが野球が大好きで、まさかの巨人ファン。で、わたしが、「巨人なら友達がいますよ」なんて言って、例の土井さんに頼んでネット裏のチケットを頻繁に頂いて(笑)

ラジオアダン:そんなクリエーター達の中に身を置くことが切っ掛けで、後に著名なイラストレーター、黒田征太郎さんとご結婚することになったんですかね?
(因に、『アダン』の看板は、20年前の開店の時、桜井氏の口利きで黒田氏が制作したものである)

桜井:そうね。
長友(啓典)さんもデザインセンターに入って来るから。

一作:まだ若くて可愛い頃でしょ(笑)

桜井:18歳。
高卒で入っちゃった(笑)

ラジオアダン:横尾さんはお幾つくらいでしたか?

桜井:横尾さんはわたしの9歳上。

一作:長友さんは?

桜井:長友さんは4歳上。
わたしときたら、おしゃれなことだけは一生懸命やっていただけの子(笑)

一作:で、トータルどのくらいいたの?

桜井:それがまた大変なのよ(笑)
デザインセンターの受付でちょこんと座っていると、横尾忠則、宇野亜喜良、原田維夫の3人が年中わたしの前を通って、3人でつるんでお茶を飲みに行く訳。あるとき3人揃って退社することになって、「ぼうや、ちょっと話を聞いてもらえないかな?」ってことで。“ぼうや”はわたしの当時のあだ名ね。髪がベリーショートだったから(笑)
で、3人が、「独立して作る事務所に来てくれないか?」ってことで、引っ張られることになったの。
もう、横尾さんが行く後にくっ付いて行くしかわたしには選択肢はなかったからね(笑)

ラジオアダン:それ、超短命で終わった伝説のデザイン事務所「スタジオ・イルフィル」のことじゃないですか!?

桜井:そう、イルフィル。
ここの(奥渋『家庭料理 おふく』2F)半分くらいのところに3つテーブルがあって、わたしは雑用係(笑)

ラジオアダン:イルフィルのことは横尾さんのエッセイを読んで知っているのですが、凄い経験ですね。
当時は宇野さんだけが売れっ子で、横尾さんは窮状した様子を面白おかしく書かれていて、凄く記憶に残っています。やることが無く映画三昧だったとか(笑)

桜井:なぜ映画三昧かというと、わたしに試写券が山ほど送られてきたから(笑)
当時は、お金を払って映画を見たこと殆どないもの(笑)
あなたが読んだ本の中では、横尾さんは、わたしのことは“黒田征太郎夫人”って名称で書いていたはずだわ。

ラジオアダン:そんな3人ばらばらな経済状態で、桜井さんにちゃんとお給料は出ていたんですか?

桜井:ハハハハハ(爆笑:思い出し笑い)
給料日は、「今日はぼうやのお給料日だよ」って言って、3人でポケットに手を突っ込んでお金を出すの。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
傑作だね。

◇◆◇◆◇
 過度の蛇行をしながらも、遂に地下に眠っていた大金脈を今回も掘り当てた酔談。なんとその金の純度は100%、実録“伝説のデザインオフィス『スタジオ・イルフィル』”!!
 当時のロック界の様相にも似た、短命なスーパーユニットの内情をこうして現場の生声として聞くと、想像より相当に微笑ましく感慨も一入。
 さて、杯も重ね、そろそろお互いの生業である、本編、飲食業に舵が取られそうだ。
◇◆◇◆◇

一作:桜井さんも紆余曲折あって飲食店を再開した訳だけど、お店をやっている限り、昔の友人が必ずやって来るっていうのが嬉しいよね。

桜井:そうよね。
再開してよかったことは、自分へのエネルギー?……、ほんと糧になります。

一作:今はおれも歳を取って、あんまり現場に出てないけど、現役バリバリの80年代の時に一緒に遊んでいた奴らの娘達が来たりする(笑)

桜井:うちだってそうよ。娘の海音子(みおこ)の同級生が来て、もう凄い人になっていたり。

一作:そうそう。

桜井:その人に仕事を頼まれたりね。「まさかぁ~!!」よね(笑)
十何年ブランクがあったけど、「やってよかったな」っていうのは実感としてあります。

ラジオアダン:わたしは、今の『パロル』の店主としての桜井さんしか知らないのですが、飲食業に参入した最初もやはりお店という形から始められたのですか?

桜井:いいえ、最初はケイタリングをする会社だったんです。物件自体も事務所のみオッケーでお店厳禁でしたしね。
でも、わたし、なんか、お店が好きなんでしょうね。

一作:それっていつ頃の話なの?

桜井:一作さんと出会ったときにお店を始めているから……、いや、ケイタリングのときにもう会っているか??……、すぐして、お店を始めたら来てくれて。来たはいいけど、「なんか文句が多い人だな~」って(笑)ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

桜井:やれ、「おでんやれよ!」とかさ。
「この人、ずけずけ言うな~」って、まだそんなに深く知らない頃ね(笑)
只の飲み友達くらいの感覚なのに、「意見を押し付けるなぁ~」って(笑)

一作:ガハハハハ(笑)
おれ好きな人にしか本当のこと言わないから(笑)

ラジオアダン:知り合った頃は、よく西麻布の業界人が集まるバー『ホワイト』にお二人で行かれていたとか。

桜井:そうね、ホワイトにもよく行きました。
あと、当時、一作さんの下の子達が何人か独立したりして、そっちの方にも顔を出したり。

一作:結局みんなダメだったな……(苦笑)

桜井:残念ながら……(苦笑)

一作:ところで、最初のパロルは西麻布にあったけど、なぜ西麻布にしたの?

桜井:探したのよ、同栄不動産っていうところで。
最初は家でやっていたんだけどね。

一作:同栄?おれも全部物件は同栄だよ(笑)

桜井:へぇ~。
西麻布の物件は各階に1フロアしかない建物で、4階が大家さん。で、3階がイエローなんとかって云って、おっぱいが大きい女の子達が集まるプロダクション。

一作:ガハハハハ(爆笑)
『イエローキャブ』ね(笑)
へぇ~、そうだったの!?

桜井:2階がわたしの事務所で、1階がイタリアンだったの。
ある時、大家さんが、「桜井さんも、女一人でがんばってるから2階は好きな業態でやってもいいよ」なんて言ってくれて、ケイタリング会社だからキッチンは既にあったから、カウンターを増設してお店を始めたの。それが店舗経営の最初。

一作:それが幾つのとき?

桜井:お店を始めたのはもう40幾つのときよ。
そうこうするうちに、また大家さんが、「イエローキャブが大きくなって手狭になって引っ越すから、3階でもなにかやりなさいよ。あななら絶対に成功するから」なんて言ってくれて、そこも借りることにしたの。
実はわたしってなんにも考えない人生。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

桜井:ケイタリングが凄く儲かっていたしね。

一作:それが甘い!(笑)
80年代バブル!

桜井:バブル、勿論、バブル。
それに乗せてもらった人だから(笑)
で、1年もしないうちに3階はダメで、家賃が払えない状態になって(苦笑)
「やぁ~めた!」って、その辺の判断は早いの、わたし。

一作:その頃、おれはもうアダンを始めている気がするんだけどなぁ~。
そう言えば、アダンを始めるときに、桜井さんと一緒に物件を見に行ったよね。
おれ、迷うときって桜井さんに相談したくなるんだよ。

桜井:相談っていう程のもんでもないけど、そのときは一緒に行って、「いいんじゃない、ここ」って(笑)

一作:「やる!」って決めているんだけど、なんか、ポンと押して欲しい訳。
白金高輪の『クーリーズ・クリーク』の時もそうだったよね、相談して。

桜井:うん、あの場所ね。
でも、いい場所、いつも見つけてくるよね。

一作:あれも同栄。

桜井:そうなんだ。

一作:あそこの上原さん(現:同栄不動産社長)が電話してきて、あの人、おれを乗せるの上手いのよ(笑)
「あの倉庫をちゃんとした店舗に出来るのは一作さんしかいない!」なんて言われて、で、その気になっちゃった(笑)

桜井:でも、実際、クーリーズだって、「入って直ぐに2階への階段があって」なんて空間がすぐに目に浮かぶのは才能よね。

◇◆◇◆◇
 本業のディープな造詣に至る中腹、既に山頂の風景がデ・ジャブしてしまったのか?フューズは2人共通の趣味の方へと急転回する。
 古くから名うての映画狂である桜井莞子であるが、ここへきてその熱中度は更に拍車がかかっている。一作も超の付く映画好きだ。
 名作と云われるレジェンダリーな古典から、桜井莞子お気に入りの最新作まで多くの表題が入り交じり会話のBPMは更に早まる。
◇◆◇◆◇

一作:桜井さんは、映画をよく見るみたいだね。

桜井:見る。昨日も行って来た。

一作:昨日は何を見たの?

桜井:昨日は、『タリーと私の秘密の時間』。
この映画は別になんてことはなかった(苦笑)
『グッバイ・ゴダール』は見た?

一作:いや、まだ見てない。

桜井:ゴダールの奥さんが書いた本を映画化した作品。
前の週はそれを見た。映画は大好きだから。

一作:今度誘ってよ。

桜井:いや、映画は一人で見るもの。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
はい、その通りです(笑)
おれが、この対談連載でよく訊く質問なんだけど、……、いろいろあるとは思うけど、桜井さんのオールタイムの映画ベスト5なんて教えてもらえないかな?

桜井:ベスト5ね~、……、だから、ちょっと変わってきちゃうんだけど、自分が20歳くらいのときに見た映画で、『ミクロの決死圏』って映画がある、

一作:意外だね、おれもあれは見たけど、

桜井:いや、あれは凄く不思議な映画だし、……、

一作:確かにあの当時のSFとしては凄いよね。

桜井:でしょ。
SF狂という訳じゃないけど、あれはちょっとした衝撃だった。
小松左京原作の映画化なんて全然面白いと思わなかったけど、あれはちょっと感動ね。
アンソニー・パーキンスも大好きで、皆に、「気持ち悪い」なんて言われちゃうんだけど、

一作:おれも好きだよ。

桜井:『サイコ』くらいになると、「怖い」なんて言う人もいるんだけど、あの辺もまた好きで。
あの作品であの人の演技性?お芝居の上手さが評価されたのよね。

一作:うん、あの作品がなければ只の二枚目俳優で終わってしまった可能性すらあった。

桜井:同時代の、「ジャームス・ディーンはどうか?」と云うと、アンソニー・パーキンス派だからそんなに入れ込んではいなかったけど、映画作品としての、『エデンの東』や、『ジャイアンツ』は素晴らしいわよね。

一作:古いね~(笑)

桜井:古すぎちゃう!?(笑)
じゃ~、最近見た映画ね。
日本映画は元来見ない方なんだけど、最近よく日本映画を薦められて、『万引き家族』はよかった。
あと、斉藤工の監督作品で、……、

一作:よく見てるね。

桜井:見てるわよ。土日月休みなんだから。
家にいてどうするのよ。

一作:元気だね(笑)

桜井:斉藤工はね、『blank13』。
主人公がお父さんと13年振りに会って。凄く面白い映画。
一作さんも映画が好きなのね。

一作:美学校ってあって、鈴木清順監督の映画工房に通っていたくらいだから、昔から好きだったんだろうね。

桜井:へぇ~、私も鈴木清順監督は大好き。

一作:清順監督が日活を不当解雇されてすぐに立ち上げた講座で、そこは映画を作るんじゃなくて、……、そうだな、……、座談会みたいな感じ。
亡くなった脚本家の大和屋竺さんが担当で、おれ、あの人も大好きだった。
映画と云えば、桜井さんはよく知ってる方だと思うけど、和田誠さんの『麻雀放浪記』は傑作だよね。最高でしょ!

桜井:和田さんの映画マニアぶりは尋常じゃないから。

一作:キャスティングがピタッと決まっていて、

桜井:わたし見てないんだ……、

一作:見てない?見てない映画のことを語られるといやだと思うけど、まぁ、桜井さんも麻雀やるし。
あれは素晴らしい!
坊や哲役の真田広之はバチッとはまっているし、ドサ健役が劇団四季だった鹿賀丈史で、正に小説のまんま。彼に執っても過去最高のはまり役じゃないかな?その情婦の大竹しのぶもよかった。
あれは絶対あのキャスティングのままで3部作くらいにした方がよかったよ。

桜井:和田さんは映画が大好きで、うちのお父さんが映画関係だから会わせると父がまた凄く喜ぶのよ、そういう人と話すことで。
実際、和田さんはうちのおとうさんのファンだったらしく、『やぶにらみの暴君』のポスター作品を事務所に貼ってくれてたりしていて。
和田さんには、なにか深い縁を感じるのよね。

一作:へぇ〜。
で、麻雀放浪記に話を戻すと、一番決まっているのが、出目徳役の高品格!!
あれもほんと小説のまんまだよ!
最後の九蓮宝燈、

桜井:凄いんだ、九蓮宝燈!

一作:九蓮宝燈で上がって、イーピン握って、「九蓮宝燈!!」なんて叫んで死んじゃう。心臓マヒで。

ラジオアダン:ずっとシャブ打って身体をなんとか持ちこたえて、

一作:そう。

桜井:凄いのね。

一作:凄いよ。
桜井さんと麻雀何回やったっけ?今度やろうね。

◇◆◇◆◇
 さて、一体どれ程杯を重ねてきたのであろう?既に2人の頭の中には対談というシュチュエーションは消滅した模様だ。
 こうなれば、「好きな話題を語り尽くそう!」としか方向性は定まるはずも無く、最終項とおぼしきこの時間帯にも関わらず、話題は唐突に蕎麦屋談義に移行。
 だが、そんな気まぐれ振りも、よく読めば食の道のプロフェッショナルである2人、飲食の本質をリアルに浮き彫りにしているから不思議だ。
◇◆◇◆◇

一作:ところで、最近の蕎麦屋はどう?
最後に、蕎麦屋談義をしようよ(笑)

桜井:蕎麦屋の懐石って考えさせられるよね……、ベースに、「蕎麦はこう食べるものだ」と云うのが本来あって、

一作:あれはダメでしょう。
おれは、まぁ〜、職業として飲食のプロデューサーを生業にしていて、……、でも現場上がりだから、まず現場のことを考える。そう思うと、「蕎麦屋をやろう」と思えばやれると思う。だけど、蕎麦屋は絶対にやらないの。
それはさ、やっぱり、神田の『まつや』や、浅草の『並木藪蕎麦』みたいに、下町で綿々とちゃんとやってる方々の領域に、ニューウェーブの新参者が土足でドカドカと入り込むなんて失礼だから。

桜井:まったくその通り。
そういう意味で、一作さんは以前、「蕎麦懐石なんて冗談じゃね~!」なんて言っていたものね。ほんとそう、あれはいらないもの。
蕎麦屋で2、3品頼んで、お酒飲んで、最後にお蕎麦を食べて、「ああ、満足!」ってのが一番いいと思うんです。

一作:うん。
懐石じゃないんですよ。蕎麦屋のつまみってのは、板わさと味噌と卵焼きくらいで、せいぜいそれに、焼き鳥くらい追加してもいいけど。

桜井:そうそう。

一作:あと美味い天ぷら。

桜井:うん。

一作:それで十分じゃん。

桜井:ごちそうですよ。

一作:だってそれ以上食べたら肝心の蕎麦が食えなくなるもの(苦笑)

桜井:なのに、「なぜこんなに蕎麦懐石が溢れているか?」と言ったら、多分だけど、和食屋さんにいた人達が沢山そっちに流れたからじゃないかな?

一作:でも、そういう業態にすること自体、金儲けしか考えてないよね。

桜井:うん、そういうことになってしまうわね。
蕎麦は、……、(進行役に向かって)わたしは大の蕎麦好きなんですよ(笑)だから、蕎麦は懐石ではいらない。

一作:昔、赤坂の『砂場』に桜井さんがつれて行ってくれた。

桜井:うん。
少しだけ味が落ちてる気もするけど……。

一作:改装してから?

桜井:そうね。

一作:実際、今の砂場系はよくないよ。いいのは赤坂の砂場だけ。

桜井:室町は?

一作:室町はぞんざい。

桜井:あっ、そう?

一作:不味くはないよ。
「なにがぞんざいか?」と言うと、電話しても全然出ない。

桜井:忙しいから?

一作:違う。出ない風にしているの。

桜井:……??

一作:繋がらないように意識的にしている。

桜井:土曜日は4時までなのは知ってた?

一作:それは知らないけど、とにかく電話に出ないのはおかしいでしょ?
室町の砂場に以前知り合いが勤めていて、それで、開いてるか確認のために電話するんだけど、留守電になる。でも、行くと開いている。

桜井:へ~、それ、私が抱く感情とちょっと似てるわね。
室町に頻度高く行く映画館があるから、映画を見てから砂場に行くと、「土曜日は4時までなんです」って、「ふざけんじゃ~ねぇ~」だよね。「せめて、6時か7時までやれよ!」って思う。

一作:うん。
土日こそ普通にちゃんとやるべきだよ。
蕎麦屋に、「遅くまでやれ!」とは流石に言えないけど、蕎麦屋は午前11時半から午後7時まで。それが蕎麦屋だと思う。

桜井:うん、そう!
そういうことです!

一作:おれ、なぜここまで今日は実名を上げて突っ込んで話すかって言うと、やっぱり飲食を生業にしている人間っていうのは、そのぐらいのことを究極思っていないと仕事にならないし、あと、それほど凄くお金儲けが出来る訳でもないし。
まぁ、なんでやっているかと言うと、人が好きだし、長くやっていくうちに使命感も出来てくる。
アーティストだって、口には出さないけど、その位の意識で描き続けているから表現になる訳でしょ?
以前、おれのところにある若いスタッフがいたんだけど、彼が先導して仕事終わりに何人かで、麻布十番の地下にある朝までやっている蕎麦屋に行ったことがある。前述した蕎麦懐石の典型みたいな店だな。
で、おれは彼に怒った訳。「そんな所で蕎麦食ってるんじゃねぇ~!」って。そしたら、そいつが逆ギレして(苦笑)「なんで夜中に蕎麦を食べちゃダメなんですか!?」なんて反論する。で、それに対しておれが返した言葉は、「夜中に食べていいものは焼き肉だ!」と(笑)ガハハハハ(爆笑)

桜井:焼き肉!?!?ハハハハハ(爆笑)

一作:「その意味が分からなきゃ、おれと話をするな!」って。
別に、「焼き肉じゃなきゃいけない」という意味じゃないよ、ものの道理を言ったまでのこと。どこまでいってもそういうもの。
蕎麦をじぶんちで食うのは別にいい、自分で湯がけばいい訳で。でも、夜中にやっている蕎麦屋なんておれは信用してないから。
彼が別の職業ならなにも言わないよ、でも、「飲食を志す者が、そんなものをありがたがって食していてはダメだよ」っておれは言いたかったんだ。
「感性を磨けよ」、「それが分からないとダメだよ」と。そこは厳しいですよ。
夜中の立ち食い蕎麦はぜんぜん大好きだけど。

桜井:確かにね。

一作:バブル期の80年代、霞町の交差点近くに立ち食い蕎麦屋があった。
散散遊び廻って夜明けにおれと友達とそこで天ぷら蕎麦を食って帰る。二人肩並べてね。これってブルースでしょ。

桜井:お蕎麦屋さんは天ぷらが美味しくなきゃね。

一作:そうだね。
あと、酒は大吟醸なんていらない。

桜井:そう。

一作:本醸造の菊正、それ1銘柄で十分ですよ。本当は焼酎もいらない。
神田のまつやはあの庶民的なとこがいいよね。
ある時、混む時間を外して2時位にまつやに行ったんだけど、奥のテーブルでおやじがテレビの取材かなにかでカメラ向けられて喋っている訳。営業時間中だぜ。テーブル使ってる訳だけど、外でお客さん待ってるし、おれ、酒が入る度に段々むかついてきてさ、(笑)

桜井:ハハハハハ(爆笑)
まぁ~ね(笑)

一作:それもおかしくない?
で、温かい天ぷら蕎麦を頼んで、それが来るまでに、……、客も一杯いるのに、おやじがさインタビューを受けている訳。

桜井:時間帯がね。気遣いがないわよね。

一作:おれだって店をやってる人間だぜ。絶対、営業時間に取材なんて受けないから。
2合くらい飲んだところでいらつきもピークになって、

桜井:ハハハハハ(爆笑)

一作:天ぷら蕎麦が出て来て、持って来たおばちゃんに、「これ、あそこのカメラ抱えているあんちゃんに食べさせてあげてね」って優しく捨て台詞を吐いて金を払って出て来ちゃった。

桜井:ハハハハハ(爆笑)

一作:で、その後また行ったの(笑)それでも好きな店だから。
そしたら捨て台詞を言ったおばちゃんがまた担当で(笑)その時のことは忘れている訳。で、また酒飲んでいて、2合くらい頼んだ時に、おばちゃんが急にあの時のことを鮮明に思い出したみたいで、一瞬顔が引きつった(笑)ガハハハハ(爆笑)

桜井:ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:取材に関する姿勢は嫌でも、またすぐに行くってことは、「店自体は好きだ」ということですよね?

一作:うん、あそこは好きな店だよ。
本当は並木が一番好きだけど、ずっと並ばないといけないでしょ?3時くらいにならないと入れない。今は凄く混んでるよね。だから、並木に行く時はお腹空いたのを我慢して2時半くらいに行くよ。
それに、並木やまつやもいいけど、町場の出前があるとこで、カツ丼からカレーライスまでなんでもある蕎麦屋も好きだな。

桜井、一作:et cetera et cetera et cetera et cetera et cetera……、……、

◇◆◇◆◇
 果てることのない、店舗の見立てに関する会話。これを若い世代は“ダメ出し”と言って煙たがるのだろう。更に口さながない輩は“老害”とカテゴライズし某野球評論家のように罵るのだろう。
 確かに表層だけを読めば、人生のベテラン達のダメ出しの嵐に見えてもしかたがない側面もある。だが、ほんのすこし目を凝らし視界をずらして読み解いてもらいたい。
 この会話はダメ出しではなく、“道理”の話なのだ。“了見”の確認と云ってもいいだろう。
 さて、本日はここまでで、進行役としての筆者は仕事を終了させて頂くとしよう。
 だって、纏めようと話を止めても、この2人が会話を止めるはずがないのだから。
 止めない理由は簡単だ。
 羽の生えた言葉を宙に浮かせば、忘れた頃にその言葉は福を羽織って舞戻って来る。そのことを賢者達は知っているのだ。
 
 エトセトラ、エトセトラ、……、
 話題は果てしなく続き、道理に満ちた無数のロゴスが店の扉をすり抜け街へと羽ばたいて行く。
 きっと明日もいい日になるだろう。
 
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@奥渋「家庭料理 おふく」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

桜井莞子/プロフィール

1943年満州生まれ。日本デザインセンター、スタジオ・イルフィルなど我が国のグラフィックデザインのパイオニア的伝説のオフィスのスタッフを歴任後、結婚、出産。
1988年、食に特化したケータリング会社「(有)パロル」を起業。1994年には店舗業態「ごはんやパロル」を西麻布にオープンし好評を博す。
2004年、還暦を機に伊豆高原へ移住し、悠々自適な暮らしを楽しむが、2年程で飽き、同地にて料理教室を開講。
2015年、友人達の熱きラブコールに絆され、一念発起、「ごはんやパロル」を南青山に再開。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

黄昏ミュージックvol.20 忍びのテーマ(『カムイ外伝』)/水原弘

 当サイトの対談連載「酔談」の取材が先日あったが、その回の最高齢ゲストS女史曰く、「日本のライブシーンにどっぷりはまったのが1962年」だったそうで、「そのメッカは、“ジャズ喫茶”と云う場所だ」と名言されていた。
 筆者に執って、未知の領域に関する、“ライブ黎明期”のレア証言をいただいた興味深い取材だったのだが、その時代はまだ、“舶来音楽=総称ジャズ”というざっくりした方程式が一般的で、そのジャズ喫茶なるものも、ロカビリー、ハワイアン、キューバラテン、ジャズ等が、ごった煮されたブイヤベース状態で、正確に分類されるまでには随分と時を要したはずだ。
 そんな話題の中に出てきた、筆者にも聞き覚えのあるビックネームが水原弘。
 リアルタイムでもブラウン管越しに見てはいたが、その歌手としての圧倒的力量を再確認したのは、彼の死後に上梓された村松友視氏の傑作評伝『黒い花びら』を読んでからだ。
 さて、そんな60年代初頭に筆者が、「何を好んで聴いていたか?」といえば、幼少期故、当然、今で云う“アニソン”群中心。
 国産アニメは勿論、生産が追い付かないためにアメリカより輸入された、カートゥン・ネットワーク(前身『ハンナ・バーベラ・プロダクション』)ものには随分楽しませてもらった。
 舶来アニメにも純国産のテーマソングを付けるのがこの時期の通例で、これがまた中々の力作揃い。
 思い出すままにざっと上げると、当時のトップアイドル、フォーリーブスにアニソンを唄わせた大胆企画、『電子鳥人Uバード』。東京演芸界のボーイズの筆頭、灘康次とモダンカンカンの定着した浪速節フレイバーを逆手に取ったポップス仕立ての、『にげろやにげろ大レース』。声優による主題歌歌手兼任のパイオニア的傑作、小原乃梨子(初代:野比のび太)の、『ドラドラ子猫とチャカチャカ娘』等がその楽しい絵柄と共に鮮明に脳裏に蘇る。
 さて、ここからが本題。
 実はフォーリーブス以上に大胆なアニソン企画があった。しかもこのコーナーのテーマ“黄昏”純度100%の代物だ。
 1967年の『君こそわが命』のビックヒットで“奇跡のカンバック”と称された、2年後に放映された『カムイ外伝』のエンディングテーマを唄った、前述、水原弘の『忍びのテーマ』がそれだ。
 水原弘は、当時の歌謡界の重鎮としては相当にフットワークが軽い人物で、他にもノベルティーソング的変化球『へんな女』等というなんとも可笑しな楽曲も衒いもなく手がけている。
 まあ、無類の酒豪であり夜の帝王の名を欲しいままにしていた漢。そのための高額な維持費を稼ぐために、あまり仕事を選ばなかったのかもしれないが……。
 “忍者”をテーマにした本作は、当然、黄昏せまる赤い夕暮れがよく似合う哀愁漂う楽曲となっており、時代物には必須の打楽器、ビブラスラップが効果的に多様される。
 水原弘の歌唱に関しては、“上手い!”という実態のない言葉以外見つからない程に、タイム、ピッチ共に完璧で、ほれぼれする程にスムースな歌唱。
 今や世界に誇る日本のアニソンであるが、その古典も既に高水準な作品揃いだったのだ。(se)

黄昏ミュージックvol.19 My uncle/Franck Barcellini

 先日、ミュージシャン、音楽プロデューサーのs-ken氏が、前職、音楽ジャーナリストをしていた1977年の在NY時代のパンクムーブメント萌芽に特化した写真展を行い、最終日のトークショーの台本書きとビジュアルオペレーターを不肖筆者が勉めさせて頂いた。
 このトークショウに関しては裏方としても勿論、殆どオーディエンス同様にワクワクしながら開演を待った。なにせ、この日のスペシャルゲストは、s-ken氏旧知の細野晴臣氏なのだから。
 細野氏の古い著書に『地平線の階段』という随筆があり、著者に執っての幾つか存在する音楽バイブルの一つであり、この著作のエキゾチックサウンドの項に出てくる編集者の田中唯士氏こそ、後のs-ken氏であり、当時、ランチタイムミュージックとして忘れ去られていたマーティン・デニーやスリー・サンズなどの魅惑の音色を有したモンド的イージーリスニングに開眼させられた運命の一冊。
 さて、久々に音楽の本道を語る同い年の表と裏の音楽王の話は70歳を越えた今、2人の最初の接点だった前述音楽群を更に遡り、実質の洋楽原体験であった1958年の映画作品、ジャック・タチの「ぼくの伯父さん」にまで話は及び、「我が国の耳敏いリスナー達はこの辺りの音楽から聴き始め、ジャンゴ・ラインハルト経由でマヌーシュ・スウィング、果てはクレズマー、ジプシー・ブラスとその触覚を伸ばして行ったのだろうか?」などと筆者は勝手に想像し、その贅沢な時間を楽しんだ。
 実際、細野氏は自身が高く評価するアニメーション、「ベルヴィル・ランデブー」を秀逸に引用したs-ken氏プロデュースの中山うり嬢の作品を、その出自も知らずに気に入っていたという。
 この辺にも、近年、ルーツを越えた原体験回帰が両者の間で静かに交差しながら進行していた不思議な関係性が伺える。
 上記使用のジャケットは、『ぼくの伯父さん~ジャック・タチ作品集 オリジナル・サウンドトラック』と題された4つの映画作品から抜粋したもので、50年代のパリの下町情緒溢れるピアノの旋律が愛おしい、今回の黄昏ミュージック『ぼくの伯父さん』は勿論、それ以外の楽曲も良質なアレンジが施された名作揃い。
 正に、細野氏がこの日語った金言、「ロックの自縛からの開放」を実感させられる、ある種の究極の音楽領域なのだ。(se)

黄昏ミュージックvol.18 Hope/Clap! Clap! Feat. OY

 ロシアワールドカップも遂に4強が出揃う終盤にさしかかっているが、バー黄昏で毎週土曜の夜にDJをしていると、必然的に好試合とかち合ってしまうことがある。
 そんな時、地上波の環境を有しないこの店ではネットワーク配信が命綱となる。
 ありがたいことに、今回よりNHKは自局の総合1に関しては同時配信に踏み切ってくれたのでネットでの視聴が可能となった。
 それ以外の民放放映に関しては海外サイトに頼ることになるのだが、これも多少の重さあるものの視聴は可能。
 なぜそこまでワールドカップ放送に執着するかというと、レギュラーDJ陣に筆者を含め3人のサッカー狂がいるからだ。
 音楽も勿論大好きだが、4年に1回のレア性を加味すると僅かに期間中はサッカーに軍配が上がる。
 さて、そんなサッカー狂のDJ、K・S氏から教えてもらったイタリアのトラックメーカー、クラップ!クラップ!の「ホープ」を今回の黄昏ミュージックとしよう。
 ストーリーテラーでもある彼は、本アルバム「A Thousand Skies」では、宇宙をその物語の背景とし、緻密に作られた16の場面を、16のトラックと入念なビジュアルで丹念に表現している。

トラック4.希望 
〜中略〜 ヴァルゴは彼女の腰に手を回し、ピュアで無償の愛に満ちた抱擁をした。お互い何も言わずに見つめ合っていると、ヴァイゴは彼女の額にキスをして、「気をつけていってらっしゃい」と願いを掛けた。〜 
 
ミッドテンポの太いボトムなトラックの上を浮遊するアブストラクト且つ美しきメロディーは、その後、昇華向かうストーリーの予感で一杯の名作だ(se)

黄昏ミュージックvol.17 See You Again-Johan Cruijff R.I.P.Remix/feat.youjeen:Leo the twoface

 四年に一回の地球規模のフットボールの祭典、2018W杯ロシア大会がいよいよ今夜開催される。
 我国代表は“史上最弱”とも形容される下降状態ではあるが、人生終盤を向かえつつある筆者の年齢を鑑みると、この祭典を楽しまない手はない。
 さて、そんな中、予選敗退のという憂き目にあったアーズリー(イタリア代表)、そして、私に執っての近代サッカーの母国オランダの不在は本当に残念であった。
 そんなオランダが生んだ真のレジェンドに捧げた素晴らしいJラップがある。
 楽曲の主は、Leo the football名義で秀逸なサッカー番組を日々配信している人気ユーチューバーであり、Leo the twoface名義でラッパー、トラックメーカーとしても高水準の楽曲を生み出す才人Leoくん(筆者は勝手にこう呼んでいる)である。
 なんでも元々のキャリアは芸人であったとのことで、番組内での爆笑ギャグはもとより、澱みのない滑舌から放たれるロゴスの数々はリディムの良さも相まって、分かりやすい試合解説の一翼を担っている。
 特にジョゼップ・グアルディオラの戦術をこよなく愛するが故、当然、その師匠ヨハン・クライフへの敬愛も尋常ではない。世界一好きなフットボーラーがクライフである筆者は日々彼の配信を楽しみにしている一人なのである。
 クライフがこの世から消滅するという希有な黄昏時にトリビュートとして彼が書いた楽曲が今回の“黄昏ミュージック”「See You Again-Johan Cruijff R.I.P.Remix」。
全編リリックにサッカー、そして、クライフへの愛情が溢れる美しい楽曲なのである。

〜貫いた自分 束の間のKing
よりbelieve 生み出したideaと心中
したあの日からまた降り出した
雨を見上げ笑って歩き出した

「きっと空が嫉妬してる
すぐ上がるさ ほらあの虹を見て」
指差す 夢の終わりまでまだ遠い
旅続ける背中にはNo.14〜
See You Again-Johan Cruijff R.I.P.Remix/feat.youjeen:Leo the twoface

2018年、雨期から初夏へ、暫しサッカーに身を委ねる。(se)