黄昏ミュージックvol.41(番外編) タタカエブリバディ (demo ver.)/ウルフルズ

 自粛という概念をネガティブに捉えずに転換期として捉える人々がいる。
 ビジネスは勿論、表現の場合も同様だ。否、表現者の方がその辺はより大胆であり用意周到かもしれない。
 youtubeで筆者が多く再生をするお笑いコンビの“ジャルジャル”などはその筆頭で、既に“リモーコント”というジャンルを作り上げたと云っても過言ではないと思う。
 さて、ライブはもとより、パーマネントなメンバーが膝突き合わせたレコーディングもままならない音楽業界。その中でも同様の動きがあった。
 リモートでの表現は勿論だが、楽曲の内容も“自粛”というタームと大いに重なる『タタカエブリバディ』デモ音源がそれで、タイムリーな配信に踏み切ったウルフルズには諸手を挙げて賞賛の声を送りたい。
 沈み込んだ気持ちをグイッと持ち上げる自由自在な大阪弁リリック。そして、純ソウルマナーな楽曲から溢れ出るいままであまり着眼されなかった、ギタリスト、トータス松本の歌心溢れるプレイも嬉しい誤算だ。
 因にトータス松本が客演するジャルジャルのリモートコント『ウルフルズに会わされるウルフルズに影響されてる奴』も必見!(se)

黄昏ミュージックvol.40 ばくはつ五郎/ザ・ワンダース

 在宅時間が増えている昨今、ネットの無料動画のラインナップに多少変化が見受けられる。
 何気に1960〜70年代のジュニア世代へ向けた、黎明期のアニメ、特撮、実写が増えている気がするのだ。
 その辺、まさに直撃世代の筆者であるが、流石に全てのあらすじを覚えている訳ではない。
 しかし、こと主題歌となると、歌詞も含め細部まで記憶していることに己のことではあるが驚く次第である。
 さて、そんな動画群を縦断している時に、とある作曲家を思い出すことになる。小林亜星と並び“CM楽曲の帝王”と称された和田昭治である。
 和田は作曲家になる前は、コーラスグループ、デューク・エイセスのセカンド・テナーであり、リーダーとしてもその屋台骨を支えていた。
 その後は、「サントリーレッド」、「トリスビール」、「湖池屋ポテトチップス」等、皆一度は耳にしたことがある楽曲を世に送り出し、NHKの人気音楽番組「ステージ101」の歌唱指導、楽曲提供とともに自身も“ワンツーおじさん”の愛称で出演し人気を博していた。
 今回、黄昏ミュージックとして取り上げる、和田作品は、1970年TBS系列で放送された「ばくはつ五郎」のオープニング主題歌「ばくはつ五郎」である。同作品は「タイガーマスク」の作画で名高い漫画家辻なおきが講談社「ぼくら」に連載していたもののTVアニメ版なのだが、前述したようにあらすじに関しては、“学園もの”というだけで、筆者の記憶からは完全に消失しているが、跳ねるようなストリングスの前奏に絡むドラムフィルに誘われるままに突然飛び出すペラペラに薄いエレキギターとハモンドオルガンのトーンが耳に飛び込めば、一瞬でその虜になってしまうほどモンド感満載の魅惑の楽曲なのである。
 歌唱は和田の秘蔵っ子とも云えるザ・ワンダース。彼等は男性3人組のコーラスグループで、元ザ・タドポールズの栗敏夫、朝紘一に、なんと、元ジミー時田とマウンテンプレイボーイズで、後にレコード大賞歌手となる尾崎紀世彦の3人で構成されていた。
 蛇足だがザ・ワンダースは契約会社のテイチク以外ではジ・エコーズ名義で活動しており、冬木透の手による、あの名作主題歌「ウルトラセブン」を唄ったのも実は彼等であった(se)

黄昏ミュージックvol.39 イン・ザ・ビギニング/ドーン・ギブソン

 寄る年波か?記憶の方が確実に衰えてきた。
 以前、アナログ盤中心でDJをやる時は、盤面にシールなどを貼込み、即座に曲を選別する工夫はしてきたものだが、昨今、デジタル音源で生がけをやることの方が多くなり、楽曲やアーティスト名に自分だけが分かる備考を直接書き込むことで同様の効果を生んでいる。要はタグ付けしている訳だ。
 昨今、ヘヴィーローテの(といってもデビューは2013年)アーティストにドーン・ギブソンがいるのだが、彼の音源に対する筆者のタグは、“カントリー+音響”。ここで云う音響とはシカゴ系等のそれではなく、音深度すなわちダヴィーだったりリバーヴィーな音質を筆者的には指す。
 と言いながらも、普通に、“カントリー+音響”と目にしたら、漠然と、「敬愛するダニエル・ラノワの系譜かな?」などと画一的に思ってしまう自分にいるのだが、ドーン・ギブソンのそれは単にリバーヴィーなだけでなく、影響を受けたアーティスにダブステップ界のアイコン、ブリアルと具体的に挙げる程、コラージュ感覚溢れる楽曲が揃う。
 ドーン・ギブソンは土着と前衛を必用に反復する。彼のそれの創作性は、過去多くある面白さのみを狙ったアンビバレントな音群とは違い、希有なキャリア、元トラックドライバーとして見た日常を身体感覚で紡ぐものであり、魅力溢れる太いバリトンヴォーカル同様、強く生命力溢れるものである(se)

黄昏ミュージックvol.38 雑草 (weed)/KODAMA AND THE DUB STATION BAND

 今や、“ex.ミュートビート”との余計な肩書きなど不必要な程、ソロアーティストとして確固たる存在感を放つこだま和文の2015年に活動再開したパーマネントバンド“KODAMA AND THE DUB STATION BAND”が実に活動14年目となる昨年待望のフルアルバムをリリースした。
 先行き見えぬ不安が暗雲のように立ち籠める現代を象徴するアルバムタイトル「かすかなきぼう」に込められた祈りにも似たトランペットの音色が、時にメランコリックに時にグレースフリーに音空間として広がって行く。
 コウチ森の安定したリズムセクションに支えられ、こだまはもとより、既にソリストとして高い評価を持つHAKASE-SUN(Key.)の高度な楽曲解釈にもとずくソロパート。そして、普段はカッティングの妙で知られるAKIHIRO(EG.)が本作では、ムードミュージックまでも網羅しかのような歌心溢れるメロディックなソロプレイで更なる花を添える。
 「かすかなきぼう」。このアルバムに対し、同時期こちらも久々のニューアルバムをリリースしたこだまの旧友じゃがたらのotoは、「自作アルバム『虹色のファンファーレ』と、こだまさんの、『かすかなきぼう』は同義語」と語ったが、世界規模の病理が、人類史上最大規模の閉鎖空間に追い込む窮状の中、その2タームをまずは解読し生き抜く覚悟を身につけようと思う(se)

黄昏ミュージックvol.37 シュッド・アイ・テイク・ユー・ホーム (インストゥメンタル)/ボビー・オローサ

 当たり前のことなのだが、環境が人を育てる。
 自身を振り返っても年上の姉弟が存在したことが、早い段階からの洋楽に対する興味や知識に繋がったことは否定できない。
 さて今回の主人公ボビー・オローサだが、現在は米国西海岸で活躍するものの、その出自は非常に複雑な色合を帯びる人物である。
 北欧フィンランド生まれのオローサの祖父は、ボリビア出身の移民でキューバ音楽をはじめラテン音楽に造詣が深い人物であったとか。
 両親も御託に漏れず、母親はシンガー、父親もジャンゴ・ラインハルトの系譜を踏むジャズ・ギタリスト。しかも、この二人レコードコレクションも非常に豊かなものだったようだ。
 アーリー・ジャズ、ブルース、フォーク、ゴスペル、ドゥーワップ、モータウンサウンドなどの米国ブラックミュージックの根幹はもとより、ブラジル音楽、アフリカ音楽、サルサなど、ワールドワイドな広い視野もほこり、今のオローサの音楽性を形作るにベストな環境だった。
 今回の黄昏ミュージックだが、彼最大の魅力ともいえる場末感たっぷりなスウィートソウルとして仕上がった秀曲『シュッド・アイ・テイク・ユー・ホーム』を敢えてヴォーカルをとっぱらい、コールド・ダイアモンド・アンド・ミンクのタイトなリズムとねばっこいハモンドオルガンをフューチャーした完全インスト音源である。
 インストゆえにトラックとして聴き込む程に、よりオローサの豊かな音楽的ボックボーンがくっきり表質する。
 クルアンビンと並び筆者が今現在好む音質がそこにある(se)

エミー・パーク展

リニュアル後初の「南洋ギャラリー」は、国際的に活躍する気鋭の写真家エミー・パークの作品展からスタートします!

RENEWAL OPEN PARTY
2020.3.1 (SUN) 18:00 – 22:00

※通常の開廊時間は、月曜日〜土曜日の18:00〜25:00となります。

Emmy Park/エミー・パーク:プロフィール
東京生まれ、アメリカ育ち。ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツで写真を学ぶ。卒業後はニューヨークをベースにしながら様々な国の雑誌や広告等でフォトグラファーとして活躍。ファッション やポートレートをメインとし、特にストリートスタイルには定評がある。

黄昏ミュージックvol.36 裸足の果実/EGO-WRAPPIN‘

 かれこれノーTV生活をしてからどのくらい経つのだろうか?筆者の記憶では最後に自宅でTVを見ていたのがフランスW杯なので、およそ22年になるはずだ。
 ドラマ好きな筆者は、その後、レンタルか動画配信で多少遅れて視聴するようになるのだが、著作権がうるさくなった昨今、もっぱら民放動画サイト「ティーバ」で、ほぼリアルタイムで視聴するようになった。
 そんな中、今期のドラマで音楽的に刺さったのがテレ東の『フルーツ宅急便』。
 監督、演出が白石和彌。主演にTV版『釣りバカ日誌』の濱田岳を据え、脇には荒川良々、松尾スズキ等の手練が構える安定の布陣。
 で、音楽の方だが、なんと、全般、音楽を高田蓮が担当している。そしてミスマッチとも云える男性ダンスコーラスグループ、超特急とのコラボ、『ソレイユ』という自身のアティチュードをくずさないダンスチューンがエンディングを飾るという裏技まで披露。
 これだけでも聴き所満載なのだが、オープニングを飾るのがEGO-WRAPPIN‘。しかも地上波ではまず聴かれないアフロジャズベースのリズム構成をフューチャーした『裸足の果実』とは驚きだ。
 筆者の見逃しは勿論あるだろうが、地上波ドラマでアフロビートが流れるとは完全に虚を突かれた。
 肝心なドラマはまだ1話止まり、音楽同様の虚を突いた演出をつい期待してしまうのは筆者だけだろうか?(se)

黄昏ミュージックvol.35 夢見るクリスマス( I believe in Father Christmas)/エマーソン・レイク&パーマー

 選曲なりDJを職業にすると当然この時期はクリスマス対応というものに迫られる。
 そんな中、数あるクリスマスソングで一番長きに渡って筆者がかけている楽曲といえば、「戦場のメリークリスマス/坂本龍一」ではないだろうか?
 連続して畳み掛けるクリスマスコーナの序章に最適なのがその理由だが、近年、この忘れ去られたクリスマスソングを使用することが多くなってきた。
 その理由は、コンポーザーであるグレッグ・レイクの他界に他ならない。
 楽曲の正式な名義は、70年代初頭、キーボードや、黎明期のシンセサイザーを大きくフューチャーし当時のロックシーンを席巻したトリオ、エマーソン・レイク&パーマーなのだが、この時期(77年リリース)は個別の活動が目立っていて、実質はグレックのソロ作品と位置付けてもいい程に彼の憂い多き美声が印象的なクリスマスソングなのだ。
 グレック・レイクの主なる宗教感を筆者は知らないが、この人の声は何故かキリスト教に対して高い互換性がある。
 例えば、EL&P全盛期(73年)のカバー曲に、英国の第二国歌として名高い「聖地エルサレム」があるが、これ等いい例だ。
 フロントマンのキース・エマーソンも亡くなり、今や残されたカール・パーマが、「カール・パーマズ ELP レガシー」として一人奮闘、その楽曲を後世に伝える活動を行っているが、あの輝かしいEL&Pの勇士はもう永遠に見れないのが現実だ。
 そんな、悲嘆も含みながら、今年もこの曲をかけるとしよう(se)