黄昏ミュージックvol.31 パラダイス/サン・ラ

 ブラックミュージックの一つの要素として“宇宙”という大気圏外へ想いをはせた音群がある。
 目立つところを上げれば、多くのヒットチューンを生み出したどメジャーバンド、アース、ウィンド&ファイヤー。そして、アース程の一般的な知名度はないが、彼等以上に後のシーンへ多くの座標軸を示した、ジョージ・クリントンを中核としたPファンク軍団。そんな彼等に影響されたチルドレンは枚挙にいとまがないが、実は随分以前からストレンジとしての宇宙というものはブラックミュージックの中に存在していた。
 その代表例が40年代からキャリアを刻んだ今回の主人公、故サン・ラである。
 自ら、「土星から来た異星人だ」と語り、彼のアーケストラの面々との宗教性を帯びた集団生活の中から、ジャズ、ブルース、ラテン、ファンク、ディスコ、電子音楽等多様な音楽を生み出した。
 そんな空間が湾曲した膨大な音群の中で、密かに光る楽曲が、今回の『パラダイス』に垣間みる独自のエキゾチック感。
 エキゾチックミュージックの開祖と呼ばれるマーティン・デニーのデビューアルバムとシンクロするが如く1957年リリースされたビックバンドアルバム『サウンド・オブ・ジョイ』の中で密かに咲くピアノ曲と云う名の名花。これぞ、不快指数極限の東京シティーに涼をもたらす最良の黄昏サウンドだ。(se)

黄昏ミュージックvol.30 ウェル・バック・ホーム/ザ・ジャズ・クルセイダーズ

 DJなる作業をしていると必然的に客出しという業務と向き合うことになる。
 時間帯は区々であるが、家路に付かせることがそのタスクであることに違いはない。
 まあ、ドボルザークの「新世界」よりから『家路』なんて究極のベタ業もあるにはあるが、筆者が頻度高く使用する曲が今回取り上げるザ・クルセイダーズの前身、ザ・ジャズ・クルセイダーズの70年のヒット・インストチューン『ウェル・バック・ホーム』だ(まあ、これもベタと云えばベタではあるが:苦笑)
 多くのアーティストにカバーされる名曲であるが、歌ものの決定版は、グラディス・ナイトが作詞を手がけた71年のモータウン版、ジュニア・ウォーカー&ジ・オール・スターズ名義に尽きるのではないか?(因に本作もモータウン配下のチサレコーズからリリース)
 作曲は当時はバンドのサックスプレイヤーであり、その後ベーシストとして、ジャクソン5の『アイ・ウォント・ユー・バック』やマーヴィン・ゲイの『レッツ・ゲット・イット・オン』等歴史的レコーディングを残したウィルトン・フェルダー。
 名ベーシストの作品らしく、緩やかに大きくうねるベースラインとそれを支える強靭なリズムが、アーシーでねばる純R&B的旋律を気持ち良く泳がせ、心弾む余韻を楽しみながら帰路につける正に客出しのための楽曲。
 タイトルが示す通り、当然、夕方から夜の帳が降りるその時間を感じさせるものでもあり、黄昏要素満載でな作品でもある。(se)

黄昏ミュージックvol.29 とん平のヘイ・ユウ・ブルース/左とん平

 訳あって、ヒップホップ前夜のスポークンワードやポエトリーリーディングなどの音源を探すことになった。
 アメリカの音楽で云えば、ラスト・ポエッツやギル・スコット・ヘロンの類のことだ。
 そんな括りでで和物を探すと必ず向き合うことになる作品が、俳優、左とん平の『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』。
 73年にリリースされたこの問題作は、プロデューサーとしてミッキー・カーティスが名を連ねているが、多分、大枠のコンセプトを氏が固め、実作業はアレンジャーの深町純の手腕によるところが大きいと思う。
 なぜかと言うと、こちらも名作プレJヒップホップであり本作のB面『東京っていい街だな』の作曲家が望月良道ではなく村岡健だからだ。
 ここでの不動のキャストはアレンジャーの深町純と作詞の郷伍郎。
 そんなことから時代に流されない珠玉のサウンドプロダクトは深町純の仕事と断言していい。
 でだ、
 この楽曲の一番の破壊力である詩を制作した郷伍郎だが、実は筆者は生前軽くすれ違っている。
 既にかなり高齢だったが、氏はクラブ界隈に頻繁に顔を出していて、筆者がレギュラーDJを勉めていた新宿のクラブ『C』にもよく来店していた。
 当時は、日本のオリジナル・プロテスト・フォークソング『フランシーヌの場合/新谷のり子』の作者としてだけの認識だったが、昭和のクリエーター特有の、得も言えぬ「俺に近づくな!」オーラに、それに関しての詳細を訊くにいたらなかった。
 後年、『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』が氏の作品と知り、理不尽な搾取を受ける下層階級を“すりこぎ”に例えるそのセンスに改めて感銘をうけることとなった。
 〜すり減っちまって 短くなったすりこぎをだれが拾うもんか すりこぎは働けば働く程すり減るんだよ すり減ってみそをつけて死んじまうんだ おれをすり減らしている奴がいるはずだ おれをすりこぎにしちまった奴 そいつはだれだ だれだ〜
 郷伍郎、早すぎた天才リリックメーカーである。(se)

南洋ギャラリー in おふく 期間:6月17日(月)~8月末日まで※日曜休み

いつも「おふく」をありがとうございます。
ベトナムから美しい花絵の食器が届きました。
めまぐるしい東京の毎日、ほっとしにぜひお立ち寄りください。
(あわせてタイ山岳民族のビンテージキルトも展示しています)

〇期間:6月17日(月)~8月末日まで※日曜休み
〇時間:12:00~17:00
※尚、18時からは従来通り家庭料理「おふく」として営業します。

○レセプションパーティー
6月29日(土) 15:00~22:00

○会場:家庭料理「おふく」
東京都渋谷区神山町7-8 TEL:03-5465-7577

協力:ピースストアー フロム バンコク、スロープギャラリー、アダン、イエローデビジョン

「連載対談/『酔談』Second Season vol.2」ゲスト:大西ユカリ氏 飛び入りゲスト:新宮虎児氏(クレイジーケンバンド、SKA-9) ホスト:河内一作 

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 セカンドシーズン2回目となる今回のゲストは、一作がプロデュースした「音楽実験室 新世界」(2010~2016年)の永遠のヘッドライナーであり、昭和歌謡とブラックミュージックを独自の大阪ローカルカルチャーとして融合させ全国区にまで持ち上げたあのディーバ、大西ユカリ氏(以下敬称略)。
 東京でのライブ公演を翌日に控えた多忙の中での今回の対談とあり、一珍しく一作も下調べとしてオフィシャルサイトとウィキペディアには目を通してきたとのこと。  
 そんな情報収集の中衝撃の事実が!?!?
 “大西ユカリ、クレイジーケンバンドの新宮虎児と結婚!!”
 「これは事実なのか?」。
 胸中、半信半疑の中、久々の再会となる酔談は始まるが、単刀直入にそこを触れる訳にもいかず、真相を探る敏腕刑事の初動捜査になぞらえた、ごくごく当たり前な近況報告からまずはスタートした。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):久しぶりだね?

大西ユカリ(以下大西):ええ、一作さんもお変わりなく。

一作:まだ、新世界(大阪府大阪市浪速区恵美須東)にいるの?

大西:新世界から実は引っ越したんです。

一作:えぇ!?引っ越したの!?

大西:5年前かな。

一作:あそこは随分長いこといたでしょ?

大西:長かった(笑)10年くらいいました。

一作:で、どこに行ったの?

大西:桜川っていうところ。

一作:ああ、桜川ね。
(唐突に)桜川唯丸師匠。ハハハハハ(自虐的笑)

大西:桜川唯丸師匠??(笑)
ほんまや。ハハハハハ(爆笑)

一作:で、今日はどこへ泊るの。
※大西ユカリは翌日の高円寺「JIROKICHI」ライブのため上京中。

大西:今日は高円寺。ライブハウスの横にホテルがあるんです。だから駅前なんです。
中央線界隈って下手に移動すると夜大変なんで、楽屋代わりにもなるし。
ここのところ、高円寺の時は高円寺に泊って。
一作さんに、西麻布の新世界に呼んで頂いていた頃は、六本木とか品川に泊っていましたね。
品川、めちゃようなりましたね。エレベーターやらエスカレーターやらやたら増えて。

一作:そうだね。ここ(泉岳寺)も新しいJRの駅が出来るんだよ。正にこの前に。
品川、田町、の間ね。

大西:へぇ~、そうなんですね。


大西ユカリ氏

大西:久しぶりにお会いしますが、一作さんは全然変わらんね。

一作:いやいや(苦笑)
まあ、新世界の荷が下りたってのがでかいんじゃないかな?(笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)ほんまですか!?(笑)
あれやめて2年?3年?もっと??

一作:3年でしょ。

大西:もう3年になりますか。

一作:ほっとした感じ(笑)
ちょっとやっぱりね、……、経営的にキツかったんですよ(苦笑)

大西:うん。

一作:6年くらいやっていたんだけど、毎月毎月金の心配しなくちゃいけなかったから(苦笑)もう、あれが限界だったな。

ラジオアダン:新世界を始めるにあたって、一作さんの中に、「純関西のアーティストを定期的にフルバンドで呼びたい」って希望があったと思うのですけど。その筆頭が大西ユカリさんで、

大西:あと、(ゴトウ)ゆうぞうさんと。

一作:うん、確かにそれはあったね。

大西:自分も途中へこたれてしまってね、もっと意地張ってやんのもありやったちゃうかな?とも思うんだけど、どうしても、……、面白かったんですけどね。いろんなミュージシャン呼んでね。

一作:凄く面白かったね。
ずっとやりたかったんだけどね(苦笑)。

ラジオアダン:大西さんと西麻布新世界で素晴らしいコラボをしていたガールズ・ファンクバンドのズグナシも残念ながら先日解散しましたね。

大西:そうですね……、でもみんな3人共、それぞれにがんばってはるから、

ラジオアダン:ズグナシのみなさんは実力がありますから。

大西:ええ、その通りです。
そう思えばみなさんやってはりますね。たをやめ(オルケスタ)とか、手つどうてもらっていた子らはみんな。キャリアが10年20年ってなって。

一作:そうか、大阪の新世界にいってもあの辺にユカリちゃんはもうおらんのね……。

大西:そうですね。
もう、劇場もなくなったし。

一作:通天閣はあるけど劇場は閉鎖された状態?

大西:ええ。今はお土産屋ストリート。江崎グリコ。ハハハハハ(笑)
もうえらいことになっている。

一作:江崎グリコがプロデュースで仕切っているってこと?

大西:そう。もうばぁ~っとお土産物が。大阪なんとかみたいな、グリコのおっちゃんが大阪土産みたいな感じで(笑)

一作:そうか、……、企業がスポンサーについて、あそこは貴重な箱だったんだけどね……。

大西:まぁ~確かにね、……、よかったですけどね。……、でも、やっぱりなりたたへんかったんじゃないですか?……、もっとライブハウス的なことをやらはったらよかった思うねん、立地もええし。
やっぱり、昔の建物やからなにが悲しいって、非常口がないから入場制限せなあかんのですよね。
下に向くほど広いやない、ああいう塔っていうのは、耐震上ね。
ほな、下広いんです、基本。でも、入り口ふたつくらい(苦笑)
非常口の消防法で、「何人までしか入れてはあかん」とか出てくるんですね。
そうすると、「劇場型にする」とかなんかする言っても、そこに穴掘る訳にはいかへんから、やっぱり人を少なくしてやるしかない。

一作:ユカリちゃんの場合、あそこでやるときは主催として箱貸しでやっていた訳?

大西:あそこはややこしかったんです。
通天閣観光株式会社いうのと、松竹芸能と吉本興業。その三つが。
照明は松竹で、なんか段取り部隊は吉本みたいね。で、建物自体は通天閣観光っていう、ものすご複雑でした。
それが、前にいてはった阿部(登)ちゃんとか生きてた時分は、まだ通天閣の会社の専務とか生きてはったんです、初代のおっちゃんらが。
「大西さんやるんやったらその日の電気代くれたらええで」っていうてくれてはったの、当時は(笑)

一作:そうなんだ(笑)

大西:当時はね(笑)
でも、その皆さんが亡くなり、阿部ちゃんもいいへんくなり、経営も変わり時代も変わり、

ラジオアダン:阿部さんは、日本語レゲエの名曲『何も考えない』の作詞をされた方ですよね?

大西:そうです。
ああいう、インバウンド(訪日外国人観光客)が始まる時代とともにですね、そのなんか、みな撤退というか、なんか凄かったです。
蓋開けたらもの凄い金額わたし払とったりしました。

一作:途中から箱貸しみたいになったんだね。

大西:そうです。
それがよう分からなかったんですよね、なんでなのか。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
ごめんごめん、笑っちゃだめだよね。大変だよな、それ。

大西:ねぇ~(笑)
それでも、「やらなあかん」と思ってやっていたんですけど。でも、運良く契約期間がきて、「もう出てください」みたいな。「あと3ヶ月で出らなあきませんよ」って言われた時が丁度。
契約書交わしとったんですよね。で、きっちりと。法的にはこちらからも向うからも言い合いすることは一切ないような。


河内一作

◇◆◇◆◇
 当たり障りのない近況報告を延々やりとりしていても到底真相へは至らないと察知した一作、一旦ここはそんな邪心は横へ置き、自身お気に入りの大西ユカリ最新アルバム『BLACK BOX』の制作裏話へと急速に舵を切る。
◇◆◇◆◇

一作:去年のアルバム、おれ凄く好きなんだけど、あそこに行き着いた流れはどんな感じだったの?

大西:あれはね、……、わたし一回、阿部ちゃんが死んで、解体と云うか事務所のうなって一人でやってたじゃないですか。
ほいで、だんだんやっぱりいろいろがんばってるとお金絡みの話とか一杯くるんですよ。「いややなぁ~…」思てねお金の話。で、もういっぺん中西っていう当時一緒に組んでた、今、木村充揮さんの事務所なんですけど、『ダンディライオン』というですね。阿部ちゃんの一派のとこに、「もういっぺん話しなあかんなぁ~」思とったんですよ。ほんなら、今の社長も、「ユカリちゃん、いろいろあったけど、もういっぺん組んでアルバム作らんか?」言ってくれて、ほな、面白そうやしいうので。
「ユカリちゃんをやるなら」いうことでテイチクレコードが手を上げてくれたんです。で、テイチクで1枚(『EXPLOSION』)オリジナルを作った後、「さあ、次どうしよか?」ってなった時にうちの社長が、「せっかくブラックミュージックとかやってきたのに1枚もそういうカバー的なものやってない。歌謡曲とか昭和歌謡云われてるけどそのルーツにはソウルとかゴスペルとかがある訳やから、そんなのいっぺん作ったらどうや」みたいな話になって。

一作:へぇ~。

大西:よう考えたら、「20代の頃とか歌うてたけど形にしてないなぁ〜」なんて曲がわんさか出てきて、もう、「どないしよう??……」みたいな感じやね(笑)

一作:かっこいいよね。最初の入り方がいい、1曲目(『ユー・ノウ・アイム・ノー・グッド/エイミー・ワインハウス』)。

大西:ハハハハハ(爆笑)1曲目!?(笑)
あれもね。ほんとはもっともっとブラックにこだわりたかったんですけど、1曲目、2曲目がなぜか若手の人らの曲で。
で、「みんなが知ってる曲も入れとき」ってことで、ほんまはね、「どうかな?」思ったんです、「もうええかな?『テネシーワルツ』とか『キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング』」とかね。ああいうのはもう一瞬、「ええかな」思ったんですけど、やっぱ入れといたら入れといたで、うち母親とかがね知ってる曲やから、江利チエミが唄ってたんで。「知ってるし」いうんでなんか結果的にはよかったですね。

一作:その辺入れて全然いいんじゃない。

大西:面白かったです。
ゴスペルありぃ~の、その、ソウルありぃ~の、今時のねR&B、なかなか。でも、必死でしたけど(笑)

一作:抑えて歌ってたでしょ?

大西:抑えるっていうか、あんまり録音期間がなかったですよ、実は。歌入れあれ2日くらいしかなかった。一日3~4曲録ってましたから。もう、あんまり時間もなくタイトで。で、予算もどんどんね、ああいうバジェットの世界的にね、バジェットがもう何十万枚売れるような人か千枚必死で売る人か、今もうどっちかなんですよ、音楽界。
自分なんかどっちか云うたらインディーズ寄りの。やっぱり年々厳しくなりますね。
でも抑えた割には、「ようあんなん出来たな」ゆうくらい、あの、リズム隊変わらんかったんで、根幹が揺るがなかったですね。
だから、内容的にはよかったちゃうかな

一作:いや、凄くいいよ。

大西:ゲストミュージシャンもなかなかの面子で凄かったですね。今、もう無理ですよね、甲本ヒロトさんとか、山崎まさよしさんとか、あと、大阪モノレールの中田亮さん。いろんな方に客演してもらって、……、もう、ようせんわ、あんなの。ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
ヒロトさんとの曲(『星空のふたり/マリリン・マックー&ビリー・デイビス・ジュニア』)、素晴らしいよね。 

大西:うん。もう世界を、ガッ!ともっていかはるんで。彼とデュエットした曲を7インチきったんですけど、即完でしたね。びっくりしますね、流石ヒロトさん、ビニールジャンキーなんで(笑)ファンもビニールジャンキーが多いんですね。

ラジオアダン:以前インタビューさせていただいた時にお訊きしたんですが、メジャーな存在になる前は真島昌利さんとお二人でレコード屋のはしごとかしょっちゅうされていたとか。

大西:今でもそう(笑)
ライブとか見にアメリカとか行かはるでしょ。トランクはひとつはからっぽで行かはるんです。で、全部レコード積めて帰ってくる(笑)

ラジオアダン:ご自分の楽曲表現はシンプルですが実は音楽に関して非常に博識な方なんですよね。

大西:めちゃくちゃ詳しいです。
あと、今回のアルバムでプロデュースで入ってくれた三宅伸治さんも。三宅さんとヒロトさんは仲いいんですけど、三宅さんも凄いですよね、やっぱ(忌野)清志郎チルドレンですからね。レコードが好きじゃなくて音楽が好きなんですね。
で、「どうせ聴くんやったら、この曲ステレオもあるけどモノラルでも聴きたい」って、そういう人たちなんで。ジャンル問わずですね。伸ちゃんに関しては清志郎さんといたからR&Bとかソウルはむちゃくちゃ詳しいです、ほんまに。何訊いても知ってます。だからレコーディングの時も心強かったです。

一作:本当に凄くいい作品だよ。

大西:いい思い出になったかなぁ~と。
ガチガチにソウルな人たちに言わすと、「ユカリちゃん、もういいやんか」って、
「ヒット曲はもうええがな」と。「もっときついとこいかんかい!」みたいなね(笑)

ラジオアダン:俗に云うレアグルーブやフリーソウル系をカバーしろということですかね?

大西:そうですね。レア盤とか、もっとスウィートソウルとか。「もっとシャウトしろ!」とか。

一作:そうかな?あんまりこってりしてなくてさっくりしていておれはいいと思うけどな。

大西:あんまりついていかれんかったらいかんなぁ~と思て、基準をうちの家族とか友達とかがとりあえずついていけるレベル。
曲とか誰がどんな感じでやっていたバージョンとかね、そんなんもぉ~マニアはおもろいですけど普通の人はあんまりおもろい話ちゃうからね(笑)

一作:あと、土地柄もあるじゃない。

大西:そうですね。
実は1曲目、夫に偽名で弾いてもらっているんです。

◇◆◇◆◇
 敏腕刑事、河内一作の初動捜査が功を奏した!
 なんとこちらが更なる探りを入れる前に、大西自らが早々に自白してくれたのだ。
 さあ、ここからフェーズは一気に変わり急速に核心へ近づく。
◇◆◇◆◇

一作:この対談の前に、実は珍しくウキペディアやホームページでユカリちゃんのことを予習してきたんだけど(笑)
略歴に書いてあった結婚ってやっぱり本当だったんだね!
で、いくつの人?

大西:虎ちゃん(新宮虎児氏:以下敬称略)、今日来れるようなら案内して上げてもいいですか?

一作:あっ、そうなの!?!?勿論!!
「早くきいや」って(笑)

大西:ねぇ(笑)
虎ちゃんはいっこ上です。56。わたしが今年55になりました。

ラジオアダン:新宮さんはクレイジーケンバンドのツインギターのお一人ですよね?

大西:ええ。

ラジオアダン:新世界にもご出演していただいたもうひとりのギター小野瀬雅生さんは因においくつなんですか?

大西:小野瀬さんは57歳くらいかな?

ラジオアダン:で、横山剣さんはおいくつなんでしたっけ?

大西:横山さんは58か9。
1960年生まれ。

一作:それじゃ~、おれが親しい、横浜不良ロック系の人間とも繋がっているだろうね。
TENSAW(テンソウ)ってバンドでベースをやっていたミチアキ(鈴木享明)はいくつになったんだろう?
※本年で63歳
ユカリちゃんはTENSAWって知らないかな?結構いいバンドだったんだけど。

大西:TENSAW?

一作:うん。横浜ベースで活動していて。
ミチアキは今は日ノ出町で「センセーション」(The CLUB SENSATION)って
ライブハウスをやってる。

大西:あぁ~そうですか。多分、虎ちゃんは知ってるんじゃないかな?

一作:知ってるでしょ。横浜狭いから(笑)
清志郎さんのサポートもやっていた。
ところで、虎ちゃんは横浜の人なの?

大西:生まれは、“アマ”(尼崎)なんです、アマと云うか西宮なんです。

一作:アマなの?(笑)

大西:実はちっこい時は。3歳くらいまで。

一作:アマ、おれ憧れるんだけど(笑)

大西:アマいったら怒られるのかな?(笑)ニシキタ??
正しくは西宮北口ですから。
虎ちゃんは西の生まれで、ご親戚とかも西にあっちこっちいらっしゃるんだけど、3歳か4歳で横浜、川崎の方に来たみたいですね。
※実際は品川。

一作:じゃ~ほとんど本牧の人でいいんだね?

大西:ええ、本牧のCHIBOW(チーボー)さんとか親しいですね。「ブギー・カフェ」のね。CHIBOW(チーボー)さんとは一緒にバンドもやってます。

一作:ああ、そう。じゃ~ミチアキは確実に知ってるね。

大西:ええ、よう知っていそうですね。

一作:いいね、なんか嬉しそうで(笑)

大西:ええ、嬉しいですよ(笑)
もう、一人で暮らしていくと思っていたんで。ちょいちょい彼氏が来るくらいで。

一作:いいね、ミュージシャンでギタリストなら究極的にはふたりでも出来るし。

大西:せっかくお互いミュージシャンだし。実は今ふたりで曲作りをしているんですけどね(笑)

一作:毎回毎回、バンドを引き連れてツアーをきるのも大変だもんね。

大西:そうですねぇ~、……、そやからこの頃は東京に住んでいるピアニストと2人でやったり。明日もそのセットで。
歌丸裸なんかわたし絶対せぇ~へんと思っていたんですけど、今年から虎ちゃんとふたりでもやろうと思って。

ラジオアダン:ピアニストはどなたですか?

大西:ピアノはSWING-O(スウィンゴ)っていう、関西出身の、

ラジオアダン:ああ、分かりました。わたしの知人のミュージシャンともよく御一緒されている方ですね。

大西:彼、結構、いろんなところに出てますね。最近はマーヴィン・ゲイのアルバム(『You’re The Man』)で林剛さんと対談したりしてます。
ユニバーサルから出たやつ、一応、新譜ということになってますが、寝かせていたやつの寄せ集め。

ラジオアダン:SWING-Oさんも関西の方ではなかったですか?

大西:あの子は確か豊中の方の出身で、今は目黒かなんかに住んでいるようですけど、めちゃ関西弁です(笑)

一作:関西の人って昔からルーツミュージック界隈で上手な人が多いけどなんでだろうね?

大西:ねぇ~(笑)土のせいですかねぇ~(笑)
土と水ですかねぇ~、ハハハハハ(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

大西:アスファルトが少し違うちゃいますか(笑)

ラジオアダン:ブラックミュージック系のピアノもソー・バッド・レヴュー
の国府(照幸)さんは関東勢よる遥か昔にマスターされていましたよね。

大西:ソー・バッド・レヴューね。

一作:東京の人はセンスだけでいけちゃう人が結構いるけど関西はそういう訳にはいかない。

大西:そうですね。
関西好きな人もなんかある種黒いですね(笑)
こっち来てもそういう匂いする人いますよね。Charさんとかロックなんだけど、凄くブルースな感じを受けますし、清志郎さんも関西大好きですものね。やっぱりベースがR&Bですね、清志郎さんは。

ラジオアダン:Charさんが石田長生さんとBAHOをやられていたときに、横山ホットブラザーズ師匠と競演していますが、子供みたいに喜んでいました(笑)

一作:CAYを立ち上げた頃、BAHOよく出演してました。

大西:ああ、いいねぇ~(笑)
わたしもBAHOに乗ったことあります、欧陽菲菲の役で(笑)

ラジオアダン:最高のキャスティングですね(笑)

大西:今度、石やんのトリビュートアルバムが出るんですよ。自分も参加してるんですけど。みんなでよってこって石田長生さんの曲をやるという。一応、追悼でね。みんな天国へ逝ってしまいますから……。

一作:ねぇ……、みんな逝くね……。

◇◆◇◆◇
 何かお互い少しそわそわしつつも音楽話でお茶を濁すふたり。
 そうこうしているうちに、この夜最大のサプライズタイムへいよいよ突入!
 待望の飛び入りゲスト新宮虎児の登場とともにホストの進行具合いにも大きな変
化が?
 メタモルフォーゼした河内一作の第二形態は桂文枝??
◇◆◇◆◇

一作:(虎児に向かって)今日、これがあるんで大西ユカリで検索したら、「結婚してはるぅ~」って(笑)

新宮虎児(以下虎児)ハハハハハ(笑)よろしくお願いします。

一作:その辺の話はプライベートだからあんまりしないほうがいいかと思ったんだけど、この対談連載は会食してリラックスしながらの会話がいいから、よかったらその辺の話も出来たら嬉しいんだけど。

虎児:そうですか(苦笑)

一作:なんか飲まれますか?
いつもは何を飲んでるの?

大西:いつもはハイボール。

一作:じゃあハイボールでいいですか?

虎児:はい。

一作:はい、ボール(笑)

大西:じゃ~、わたしも、はい、ボール。ツーボールです(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

大西:(虎児に向かって)なんか一作さん、興味津々でさぁ~(笑)

虎児:自分たちから発信しなかったんで。
隠している訳じゃないんですけどね。

一作:ユカリちゃんには、ちゃんとした音楽の人が必要ですよ。凄くいいことだと思う。横浜だし。
やはり本牧ですか?

虎児:本牧ですね。住所で云うと小港(町)というところなんですけど。
本牧1丁目、2丁目がなぜか小港になって、本牧宮原って、

一作:あの石川町のトンネル抜けて、ずっと行って、

大西:さっき、近くのCHIBOWさんの店の話もしてて、

一作:じゃ~中華屋の「奇珍」とか、

虎児:ええ、行ったことはあります(笑)

一作:あそこは地元の人たちが結構行くでしょ?

虎児:そうですね、好きな人は好きですね。

一作:町中華のいい店ね(笑)
おれ、あれが大好きなの。……、……、横浜の、……、あんかけのぉ~、……、

虎児:サンマーメン(笑)

一作:そう、サンマーメン大好きで。奇珍でよく食べたよ。
歌手でクムフラのサンディーって人がいて、

虎児:サンディーさん?有名な方ですよね。

一作:そのサンディーが横浜タワーでライブをやったことがあって。
フラやハワイのイベントで、亡くなった尾崎紀世彦さんやいろんな人たちも出ていて、

虎児:尾崎さんならぼくも会ったことがあります。

一作:そうですか。
尾崎さんはやっぱり素晴らしいね。ハワイアンをやっても素晴らしかった。
で、イベントが終わりました。サンディーに「飯でも食いに行こうか?」ってことで、奇珍を知っていたから連れて行ったら、尾崎さんとアグネス木村って人が来ていて驚いた(笑)

大西:中華料理屋でばったり(笑)

一作:うん。
ライブ会場から結構遠いんだけど尾崎さんは敢えて来るんだよ。なんかよくない!?(笑)
横浜をよく知らない人たちは、普通、中華街に行くよね。

虎児:そうです。中華街はぼくらは行かないです。

一作:あの辺りの風情をおれは好きなんだけど、昔の本牧はどんな感じだったんですか?

虎児:ぼくの場合、一番いいって云われる時の実体験が残念ながらないんです。

(ここで、3人にハイボールが運ばれて来る)

一作:では、皆さん揃ったところで、ご結婚おめでとうございまぁ~〜す!!
(一同乾杯)

ラジオアダン:厳密にはいつ入籍されたんですか?
(虎児に向かって)本日の進行、わたしが担当させて頂いております。

大西:去年の2月。

一作:彼はおれがプロデュースしていた西麻布のライブハウス新世界でブッキングの方でも頑張ってもらっていたんだ。

虎児:新世界はレゲエの方たちも沢山出ていましたよね?

ラジオアダン:ええ。

一作:てちゃん(西内徹)とかさ、

大西:てちゃんとは一緒にSKA-9をやっています。

一作:えっ、そうなの!?

大西:この人、SKA-9です。

ラジオアダン:じゃ~当然、森(俊也)さんも、

虎児:ええ(笑)

一作:あっそうか、それでユカリちゃんのホームページを見た時にSAK-9と繋がっていたんだ。

大西:ええ。横浜で自分がゲストと云うか飛び入りでステージに上げてもらったりして、

一作:「どうやって繋がったのかな?」って思っていたんだけど旦那の繋がりだったんだね。

虎児:本当の最初というと彼女がデビューした20年以上前が最初で、

大西:同じイベントでよくクレイジーケンバンドと並んでいましたから。

ラジオアダン:ぼくの勝手な認識なんですが、関東で大西ユカリさんを知った切っ掛けで高田文夫さんのお名前を上げる方が非常に多いと思うのですが。

大西:「(高田文夫のラジオ)ビバリー昼ズ」でしたね。
それこそ、「大西ユカリィ~!」、「クレイジーケンバンドォ~!」、「横山剣さぁ~ん!」みたいな感じで高田先生は話ししてくれはってて。


新宮虎児氏

一作:さっき、この辺懐かしいって虎ちゃんが言っていたけど、品川に住んでいた時期があったの?

虎児:ぼくはずぅ~と流れ者で。

一作:最初はアマでしょ?
さっきちょっとユカリちゃんから聞いた(笑)

虎児:本籍は兵庫県の武庫之荘(むこのそう)。

一作:なに?

大西:武庫之荘は尼崎。

一作:尼崎?

虎児:3歳くらいまで西宮の北口ってところにいたんです。

一作:それから横浜ですか?

虎児:いや、品川です。

一作:品川のどこ?

虎児:品川、旗の台。

一作:旗の台だぁ~(笑)

大西:ハハハハハ(なぜか爆笑)

アダンラジオ:一作さんも旗の台付近に住んでいた時期がありませんでしたっけ?

一作:あったよ。不遇時代(笑)
お金がなくて起きたら、新丸子の「三ちゃん食堂」で安酒あおっていた(笑)

虎児:で、小学校の時に家族は大田区に引っ越したんですけど、「転校したくない」って言ったら、学校から許可がもらえて電車で通っていたんです。
大田区は蒲田の近所。

一作:蒲田はいいよね(笑)

虎児:ぼくも大好きです(笑)
その後、高校も蒲田の近くに行って。

一作:虎ちゃんの頃の蒲田の高校とか悪い奴が一杯いたでしょ?(笑)

大西:彼のおにいちゃんがむちゃくちゃ悪かったみたいですよ(笑)

ラジオアダン:その辺の地域ですと、なんといってもラッツ&スターが有名ですよね?

虎児:ええ、大森八中がラッツ&スターで、ぼくが通っていたのが七中です。

一作、大西:ハハハハハ(笑)

一作:そんな青春時代、一体どの時期から音楽にはまりだしたの?

虎児:ぼくはもう単純で、キャロルです。
今、56歳なんで、キャロルが解散した時が中学に入った頃。
ダウンタウン・ブギウギ・バンドは聴いていたんですけど、仲のいい友達が、「キャロルの方がかっこいい!」って。
それで、「聴こう」と思っていたら兄がレコードを持っていたんです。

一作:へぇ~。
初期のキャロルはかっこよかったね。

虎児:それで、ビートルズを知らなくてキャロルが好きという(笑)

一作:それがいくつぐらいの頃?

虎児:中一。

一作:中一だ(笑)
中一でキャロルはいろんな意味でやばいよね(笑)

大西:やばいですね(笑)

一作:おれはキャロルは東京に出て来てからだから。

大西:そうですか。
自分なんか、中一の時は、野口五郎からシャネルズへの過渡期でしたから。
ハハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
シャネルズが中一!?そう!(笑)

大西:歳はいっこしか違わへんのですけど、学年はふたつくらい違うくて、おにいちゃんがおる。わたしは妹がおるやから、なんか全然ちゃうんですよ。文化とか。

一作:まあ~あと、東京と大阪の違いもあるからね。

大西:それもあります。聞いてたら、「どこの世界の話やろ」みたいなことばっかりですもんね。
なんか、こわいこわいお兄さんがいてはる話とか。
自分なんか金八先生が関の山でしたから(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それ、ユカリちゃんと虎ちゃんと逆じゃないの!?(笑)

大西:中一の時中三とかやから、ほなちょっと大人な訳です。学年とかでいくと。

一作:この人(進行役)が今、池上に住んでいるから、たまにそっち方面で飲むんだけど、最後は蒲田でぐでんぐでんになる(笑)

虎児:ぼくの頃は未成年がお酒を飲んでもあまり問題にならない時代だったんで蒲田でよく飲みました。

一作:ぶっちゃけ悪かった?

虎児:いや、ぼくはそうでもない(苦笑)

ラジオアダン:でしたら、鈴木姉弟(鈴木聖美、雅之)は早い時期からお知り合いだったんですか?

虎児:その頃は面識はないです。
まだシャネルズがデビューする前でしたから。
デビュー後は、ファンの間で、東京のシャネルズと横浜のダックテールズの二つのバンドがその種の音楽の双璧と見られていた時期がありました。横山剣さんが入る前のダックテールズですね。
年齢は高校生くらいなんだけどこの2バンドで日比谷(野音)を満杯にするくらいの人気でした。

一作:へぇ~。

ラジオアダン:今、虎児さんは、ギタリストとキーボディストとしてご活躍中ですが、当時はコーラスグループをやりたかったのですか?

虎児:当時、ぼくが入っていたバンドのメンバーに新宿「ルイード」の店員がふたりいました。ルイードにはシャネルズもよく出演していて、普通はぼくらのバンドの格では出れないんだけど、そういうコネクション的なことから出演させてもらったら、なんとなくアマチュアながら人気が出ていって。その後、スカウトされて。

大西:実はアイドルデビューしてるんです。

虎児:ハハハハハ(笑)

大西:髪、マッシュルームとかやって。
なんかもうびっくりですわ。

一作:ガハハハハ(笑)
音楽的にはいつぐらいの話?

大西:超80年代。チェッカーズとかの後ぐらいとちゃう?
シャネルズが83~4年にラッツ&スターに改名して、シャネルズの弟分みたいな、M-BANDとかムーンドックスとかが出てきた頃なんですけど、彼のバンドはロマンティックスっていうアイドルグループだったんです。

虎児:レコードデビューが84年ですかね。194位かなんか(苦笑)

大西:今は考えられない(笑)

一作:その時は歌ってたの?ギターだけ?

虎児:ギター。

大西:チャッカーズが出てきて大人数のグループがなんか流行っとった。

虎児:今更恥ずかしいですが、デビュー前のぼくの髪型はリーゼント。

大西:デビュー前はね。デビューする時なんかリーゼント下ろさなあかんと。

一作:ということは、やっぱキャロルで、デビュー前は音楽的にもそっちだったんだ?

虎児:キャロルから入って、今度は、『アメリカン・グラフティー』を聴くようになって、

一作:うんうん。

虎児:で、最初は皆が聴くようなヒット曲が好きだったんだけど、こうだんだんそのアルバムの中でも好きな曲が変わっていき、気がついたらスタックスやモータウンなどの黒人音楽を聴くようになっていたんです。

一作:なるほど。
でもそこから、今のクレイジーケンバンドやSAK-9の音楽性に辿り着くまで結構長かったんじゃないの?

虎児:もともと、ぼくはロックとかハードロックを知らないんですね。
まあ、(レッド・)ツェッペリンとかああいうのは勝手に耳に入ってきてましたけど。

一作:その辺はおれも同じだな。

虎児:結構、パンクが好きなんです。

一作:パンク、おれも好き(笑)

虎児:レベルミュージックが好きで、やっていくと、まあ、CHIBOWさんにくっついて行った結果なんですけど(笑)
まず、ガレージロック。パンクからガレージロックになって、

一作:うん。

虎児:CHIBOWさんがやっていてぼくも在籍していたMOJOS(モジョス)というバンドはガレージロックみたいなイメージだったんですけど、レベルミュージックをやっていると、やっぱロンドンにいき着くんです。低層階級とジャマイカの移民がいて必然的にレゲエへ、

一作:やっぱそっちにいく訳だ。

虎児:ええ。
例えばクラッシュのベーシスト(ポール・シムノン)はレゲエのマニアですから。

一作:やっぱりその辺はロンドンなんだよなぁ~。

虎児:だから、レゲエといってもジャマイカよりはロンドンのレゲエの方がしっくりくる。
イギリスにはスキンヘッズという言葉があって、髪型的な意味ではなく思想的なものなんですが、ぼくはSAK-9でやっている音楽はスキンヘッズ・レゲエと呼んでいます。

一作:その辺に辿り着いたのはいつ頃なの?

虎児:スキンヘッズ・レゲエをやり始めたのは5年くらい前ですかね。

一作:80年代はどんな感じで活動してたの?

虎児:ぼく、デビューしたバンドが嫌で1年でやめてしまったんです。
まず、レコード会社というものがあって、プロデューサー、ディレクターの言うことを聞かないといけない訳です。実は、ぼくの場合、プロデューサー(吉田建)は大好きだったんですけどね(笑)
事務所の方の方針はアイドル路線、

一作:だってアイドルだったんでしょ(笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)

一作:(大西に向かって)嬉しそうに笑うね(笑)

大西:そうやって紐解くと、音楽遍歴がありつつの、キャロルからクールスにいき着いて、ジェームス(藤木)さんのところにいくと、ジェームスさんと横山剣さんが密接で、この人はなぜかジェームスさんのバンド、横山さんのバンド、両方の手伝いを始める訳ですよ。
そんで、ジェームスさんのところいきながらクレイジーケンバンド、ジャームスさんの手伝い、クレイジーケンバンド、で、今はずっとクレイジーケンバンドなんですが。
そこにいき着くまではいろんな音楽遍歴があったんでしょうねぇ~。

一作:「あったんでしょうねぇ~」って(笑)あんまりその辺ふたりで話さないの?(笑)

大西:なんか昔の話は昔の話やから、なんかわたし割と形からなんで、この人がフレッドペリー着てて。それがなんで好きかというと、わたしが大好きなエイミー・ワインハウスがモッズの彼氏がいて、その彼氏が、(虎児を見ながら)もうこういう感じで、ずっ~とフレッドペリーを着てて。追いかけていくとエイミーがやっぱりフレッドペリーの中にブランド持つくらい凄い着てたんですよ。その形からが自分凄い凄い好きで、……、なんちゅ~のかな?……、その服のために体絞るとかさ、そういう世界凄い大好きやからさ、今、それで着てるんですけど。
音楽性も勿論、今やってるスキンヘッズ・レゲエの世界もモッズのファッションの中にもフレッドペリーがあるから。今着てたら自分の周りでは、「自分テニスやってんの?」なんて言われるんですけど。ハハハハハ(爆笑)

一作、虎児:ガハハハハ(爆笑)

大西:「いや、それ違うて」。ハハハハハ(爆笑)
テニスで着てるなら第二ボタン開けるやん。だからそのぉ~、音楽と服とが、……、音鳴ってる服ってぇ~のが自分はスカジャン以来久しぶりなんですよ。
なぁ~んとなく虎ちゃんと仲よくするようになってからそういうとこも聴くようになって、スカとかも全然分からへんけど、「なんかおもろいなぁ~」思て。
それに対して深追いするのは彼の過去であって彼の志向であって、自分の志向の中にもモータウンがあったり。
この間、『ノーザン・ソウル』の映画が出てきて、あれやってたけど、あの概要を知ってもなんか、「スタックスがおもろいな、スタックスの方がいいな」って思ってまうのね。だからなんか、そこらの音楽の話も出来るから一緒になったと思うんですけど。
今訊いてて、人それぞれあるなぁ~、へぇ~と。ハハハハハ(爆笑)

一作:ハハハハハ(笑)へぇ~と思ってた!?ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 “長距離結婚”という独自の生活スタイルを構築するふたりの、恋愛中のディープな恋バナを訊き出そうと詳細に目配せする一作だが、照れなのか?真面目な性格?がそうさせるのか?話は増々音楽話へゆり戻されていく。
 そんな混迷のこのパートの鍵となるタームは“トラユカ”??
◇◆◇◆◇

大西:今、実は一緒に曲作りをしていて、詞のやりとりとか曲のやりとりとかキーのやりとりとかをこと細かにやっているんです。
普段は毎日欠かさずテレビ電話ですよ。長距離ですから。長距離結婚ですから(笑)

一作:長距離で毎日欠かさず!?(笑)

大西:はい。

一作:それは凄い。
結局、新宮虎児のギターに惚れているの?

大西:ギターもそうですけど、人的に凄い真面目なんですね。わたしどっちかって云ったら不真面目じゃないですか.。ハハハハハ(爆笑)

一作:もう、風貌、性格がギタリスト然としてるよね

大西:うん。
でも、実はベースが好きなんです。曲も打ち込んでいろいろ作ったりするから。
自分は将来的には、「ベースとトラックと歌とでやってみたい」と思っているので。
割とね、歌い手ってバスドラやったりベースやったりが先もらいたいのはあるんで。

一作:いいなぁ~それ。

大西:ギターってもう、結局、歌の場合アルペジオとかさ。
この人ベース好きやから気持ちを分かってくれる。

虎児:今ベースの話になりましたが、人前でプレイすることはないんですけど、最近ベースを買って、今日、家に届いているんです(笑)
なんで、実は、「早く帰りたいなぁ~」なんて(笑)

ラジオアダン:どのモデルを購入されたんですか?

虎児:75年の(フェンダー)ジャズベ(ース)です。

ラジオアダン:おお!いいですね!

虎児:ぼくがユカリとやりたいのは、……、ぼく実は機械が好きなんですよ。打ち込みとか、

一作:いいじゃない、基本がニューウェーブで。

虎児:なのでデモテープも全部打ち込みで作っていて。
自分は演奏が下手なもので(苦笑)機械がやってくれると凄く上手いんで(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
だからニューウェーブがもろにそうだったじゃん。
それいいね。

虎児:DJのソフトも今は当たり前で、須永辰緒さんみたいな人はずっとアナログにこだわっているんですけど、ぼくは楽な方がいいんでデジタル。
で、オケを作って打ち込んで、(大西に向かって)歌って、ぼくがベースを弾いたりしたら、「面白いかな」なんて思っているんです。

一作:いいね。じゃ~目指すは、『ふたりのビックショー』だね(笑)

大西:いいですね(笑)

一作:だから、パンク、ニューウェーブが出てきて打ち込みになって、80年代またそうじゃなくってみんな、「またバンドでやろう!」ってなって。
大西ユカリもバンドはバンドで勿論継続してやると。でもそういう新しい世界も一方でやる。それ、絶対いいと思うよ。

大西:なんかさ、シーナ&ロケッツってな、シーナさんと鮎川さんと鮎川さんのアンプしか見えないじゃないですか、絵が。はっと思った時に、ねぇ、鮎川さんおってさ、あのイメージなんですよ。

一作:あれこそニューウェーブだもの。

大西:自分あの夫婦凄い好きやったんで。

ラジオアダン:実は鮎川さんもパソコンが凄く好きで、それにまつわるご著書(『DOS Vブルース』)があるくらいです。

大西:へぇ~、そうなんですね。

一作:ニューウェーブ以降、そのふたりだけの志向は一個あると思うよ。“トラユカ”??……(笑)ユニットと、なんかちゃんとしたバンドと。
でも、バンドでやるって本当に大変じゃん。元ミュートビートのこだま和文くんも、新世界時代はバンドを休止していたからDJと2人のユニットでやっていたけど今は両方でやっている。

虎児:こだまさんは川勝(正幸)さんを偲ぶ会でお会いして、ぼく、ミュートビート大好きだったからご挨拶だけさせていただきました。

一作:へぇ~、そうだったんだ。
因にこの『酔談』の第3回目のゲストがこだま和文くん。

虎児:そうだったんですね。

一作:こだまくんいいよね。彼は素晴らしい。

虎児:そんな感じで喋ったことはなくても好きな人は一杯いますね(笑)

一作:うん。

虎児:喋って嫌いになっちゃう人もいるし(笑)

一作、大西:ガハハハハ(爆笑)

一作:ところで虎ちゃんにとってユカリちゃんの通り名的“昭和歌謡”という音楽カテゴリーは正直どう思っているの?
好きなの?嫌いなの?

虎児:嫌いです(キッパリ)

一作、大西:ガハハハハ(爆笑)

一作:じゃ~、そこでどうする?

虎児:昭和歌謡という言葉がなければ実は大好きです(苦笑)
言い換えれば、歌謡曲は大好きです。

一作:なるほど。
じゃあ、昭和なんてなくていいじゃん。
昭和も平成も令和もなくて、

虎児:だからその、日本くらいじゃないですか、もともとは中国からかもしれないけど元号というものがあるのは。
昭和歌謡があるのなら、今の音楽なんだから令和歌謡でもいいと思う。

一作:なら令和歌謡をふたりでやればいいじゃん。

虎児:そうですね。
だから、古い曲と、新しい曲と真ん中な曲があると思うんです。

一作:真ん中の曲って、なにそれ?

虎児:なんていうんですかね?メロディーラインが綺麗な曲と、アレンジだけな曲と、

一作:例えば?

虎児:例えば、……、メロディーラインが綺麗な曲、なんですかねぇ~?……、例えば彼女が歌っている、『北国行きで』は好きですね。

一作:いいよね。

虎児:あと沢田研二さんの『サムライ』って曲のメロディーも凄く好きだし。
それとは別に、デジタル世代、メロディー世代、アレンジ世代みたいなものがあって、とにかくミクスチャーが好きなものでひとつにこだわりたくないんです。

一作:凄く分かります。
(大西に向かって)凄くいい人。このくらいでないとあんたと上手くいかないでしょ。ガハハハハ(爆笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)
ほんまですね(笑)
でも、ソウル、R&B、ブルース、歌謡曲、で、なんか、……、ロックンロール。
ってところのいろんなカテゴリーを、同じ時代にやってきたんで、例えばなんか、「ロックンロール」って言ったらキャロルみたいなクールスみたいな曲やけど、後期はなんか、「歌謡曲みたいな感じよねぇ~」、そんなんが分かり合えるような。
かというて、ブルースとかゴスペルとかみたいなとこいっても分かるような。
で、ラブソングと云うかバラードも通じるような。

一作:ちょっとふたりでラブソングやってよ(笑)
まるごと1枚、ふたりでラブソングをやれば。

大西:そうですね。いいと思います。

◇◆◇◆◇
 酔いもまわりいよいよこのトークラリーも大詰め。「ここで引き出さねばどこで引き出す!?」とばかりに話を恋バナへと強引に持ち込もうとする一作。それを何食わぬ顔でクールに流すふたり。
 さあ、この最終の攻防、果たして軍配がどちらに上がるのか!?
◇◆◇◆◇

一作:いいねニューウェーブと大西ユカリの融合。

虎児:だからぼくは、怒られるかもしれないけど、ジャンルとして音楽はロックンロールだと思ってるんで。

一作:うん。

虎児:別にボサノバでもロックンロール、結局メンタルだと思うんです。

一作:うん、絶対そうだよ。

虎児:だから、そういう部分で言うと、ユカリと出会ったのはもう20数年前で、その時は、「ユカリさん」とか、「大西さん」とか、

大西:やっぱり長生きやろな、長生きがロックンロールなんやろうな。

一作:で、どのタイミングで女性として意識したの?

虎児:もともと歌手として歌は、「上手いな」って思っていて。ぼくは綺麗な声が好きなんですよ、で、あんまり綺麗な声じゃないじゃないですか。

大西:ハハハハハ(爆笑)
ギャ~ってするからね(笑)

虎児:そうそう。
なんかオーバードライブがかかっている声なんで、

一作:オーバードライブなの?ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:ギターアンプで云うところのフルテン!(笑)フィートバック奏法(笑)

虎児:なんか必要のないところでもオーバードライブがかかる、こうバラッドでもかかっちゃったりするんで、「面白いなぁ~この人」って意識はありました。
で、あと、「関西人だなぁ~」って(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それはあるよね(笑)

虎児:いまでもあります。

一作:で、それを女性としていつ頃意識しだしたの?

虎児:女性としては……、

一作:こりゃ~、『新婚さんいらっしゃい』だな(笑)

大西:あっ、そうっすか!?(笑)

虎児:ぼくらは変わっていて、会って、「付き合おう」じゃなかったんです。

大西:会うてないのに、

虎児:ある日、ぼくがシンガポールへ行くことになったんです。

一作:なにしに?

大西:(虎児に向かって)撮影でな。
ジャケット撮影でシンガポールへ行っていたんです、クレイジーケンバンドで。

虎児:で、1週間くらいいたんですけど、その少し前くらいに、要はメールですよね。

大西:メールでやりとりしてたんです。

一作:メールでやりとりってことは、ユカリちゃんはもう惚れていた?

大西:なんか2~3年前に、誕生日が近いもんで、凄く。1週間しか違わへんからおたがい、「おめでとうございます」、「おめでとうございます」ってやりとりがちょっと前からあったんです。
で、「1回大阪へ行きたいと思います」って、「じゃ~、来てくださいよ」、そのやりとりがあって、それから毎日メールで。だから会うてないよの、何年か会うてないの。
メールでやりとりしている中で、「撮影でシンガポール行きます」って、「ええ!シンガポール!?」って。だって遠いやん。

一作:そんなことないよ(笑)

大西:「遠いからメール届けへんちゃう!?」とか思ったら、大間違い(笑)
そんなのメールとかWi-Fiとか、

一作:ガハハハハ(爆笑)
それは可笑しい!流石!!

大西:それが近いこと!
それで盛り上がったんよね。

一作:ああ、それで盛り上がったのか。

大西:なんか、その時に始めてテレビ電話みたいことしたんよ。

一作:その時、既に大西ユカリは虎ちゃんに惚れてた訳だ。

大西:なんかやりとりをしてて、「なんかばんばってはるんやなぁ~」って……、

一作:照れないでちゃんと言いなさいよ(笑)

大西:「この人凄い名前やなぁ~」って、四文字熟語みたいな名前でしょ。
「四文字熟語みたいなお名前ですね」から始まってね、で、おんなじ星座で。

一作:でもやっぱり、「この人ええなぁ~」って思っていたんでしょ?

大西:当時の虎ちゃんのメールのアイコンが、バイクに乗ってる写真やったんですよ。あの、……、ドカティーやったかな?なんか、イタリアのバイクだったんですよ。
ハーレーの人と違てイタリアのバイクの人ってロマンチックやんか。ルパン三世の峰不二子みたいな、

一作:ガハハハハ(爆笑)
なんでルパン三世ってヨーロッパ志向なのかね?ロケーションがレマン湖だもの(笑)

大西:ヨーロピアンか??(笑)
チャーリー・コーセーイの歌で出てくる峰不二子のバイクって、仮面ライダーとかが乗ってる前傾姿勢のさ、「かっちょええなぁ」思て。

一作:それまではなんとも思わなかったの?

大西:密には年にいっぺんやんか、Facebookで繋がり出して、「誕生日おめでとう!」って。

一作:虎ちゃんはその頃はどう思っていたの?

虎児:ぼくは、まず歌が好きだったのと、オーバードライブの(笑)

一作:大西ユカリのファンだったの?

大西:CD買うてくれてん。

虎児:デビュー当時買いました。

大西:それが森(センセ)さんが覚えてて。
「新宮さんはねCDを買うてくれたんですわ」って(笑)

虎児:そん時に一言二言始めて話したんじゃないかな?

大西:大阪のキャバレーのイベント。

虎児:その打ち上げで、21年くらい前かな?
覚えているのが、ぼくが関東弁を喋っているのに、ユカリが、「あんた関西の人やろ?」って言ったんです。

一作:(大西に向かって)なんで分かったの?

大西:分からん、……、なんか関西ぽかったちゃう?響きが。
なんか言うてたんちゃう、でも悪気はないよ、全然悪気なく。
とにかくその頃、クレイジーケンバンドと大西ユカリと新世界がいろんなイベントで一緒になっていたんですわ。

虎児:あと、亡くなっちゃった渚ようことか、

大西:あの頃は一緒やったなぁ~。
ようこちゃんは虎ちゃんと仲よかったなぁ~……。

虎児:話それちゃうけど、ようこちゃんは会う度に毎回喧嘩してたんです(笑)

大西:なんか小学校の男子と女子が言い合いする感じってあるやない。そんなだったん違う、ようこちゃんとは。

虎児:あの子はぼくに会うとすぐからかってくるんです。

大西:「ガーちゃん(虎児)歯磨き粉食べる!?」とかね(笑)
「いらねぇ~よ!」とかね(笑)
じゃれてはったんだろうね。

一作:で、ふたりの恋のその先は?

大西:で、3年くらい前に盛り上がったんですけど、お互いひとりやったから、「また会いましょうね」みたいな感じで。

一作:虎ちゃんはユカリちゃんに対してどうだったの?

大西:いや、この人はないんちゃう。
わたしはめちゃラブビーム、ピアァ~~~やってた(笑)

一作:それええなぁ~。ガハハハハ(爆笑)

大西:「虎児さぁ~~~~ん♡♡」言うてました(笑)

一作:ええなぁ~。やっと本音が出た。ガハハハハ(爆笑)
今日は凄くよかったよ。(進行に向かって)まだ尺足んない?

ラジオアダン:尺全然足りてますよ(笑)

一作、大西、虎児:ガハハハハ(爆笑)

一作:凄い喋った??

ラジオアダン:皆さん楽しそうだったんで、「レコーダーを切ると白けるかな?」と思って回していただけです(笑)

一作:重複するけど、おれ、普段準備しないんだけど、ユカリちゃんと会うのが久々だったから、「今回、どんな話をしようか?」ってことでネット見て結婚のことを知ったんだけど、話題が全部そこへいっちゃったね(笑)

虎児:対談の邪魔しちゃったかなぁ~……、

一作:とんでもない。

大西:一作さんに紹介だけして、「横でちょりんと見てるわ」って言うてはったから、まあ、それはそれでと思っていたけど、よかったです。

一作:今日久々に会ったけど、震災後、新世界にユカリちゃんのバンドを関西から呼んでいた時は、本~~~~(凄くためて)当に貧乏だったから。
それでもゆうぞうとユカリちゃんはおれはルーティンでやりたかった。

虎児:でも、本~~~~(凄くためて)当に貧乏だとパワー出ますよね。
なんか中途半端に金持っていると流されちゃう。
ちょっとユカリには悪いんだけど、貧乏になりたいんだよね。

一作、大西:ガハハハハ(爆笑)

大西:嫁にそんな(笑)

一作:だめだよ(笑)この女は贅沢な女なんだから(笑)

大西:ハハハハハ(爆笑)

一作:やっぱり幸せにしなきゃダメだよ。
あなたがひとりで貧乏になるのはいいけど、大西ユカリを貧乏にしちゃダメ。

大西:ハハハハハ(爆笑)

虎児:まあでも、貧乏になればまた、「ちきしょう!!」って気持ちが、

大西:芽生えてね。

虎児:ぼく何回もそういう経験してきたけど、60代になる時、「ちきしょう!!」ってパワーがあるかどうか試したいんです。

一作:それは素敵なことだね。貧乏っていいよね。
なんかうまくいって、調子に乗ってるときにどーんと落されてまたふり出しに戻るみたいな。
まあともかく、大西ユカリってシンガーを幸せにね。

虎児:そうですね、それが責任ですね。

一作:綺麗にまとまった?
なんか、新婚さんいらっしゃいから段々、『(凡児の)娘をよろしく』みたいみなっちゃったな。ガハハハハ(爆笑)。

大西、虎児:ガハハハハ(爆笑)。

一作:今日は忙しいのに来てくれてありがとう。末永くお幸せに!

大西、虎児:ごちそうさまでした。


◇◆◇◆◇
 不屈のデカ魂、ロバート・アイアンサイドに始まり、上方の至宝、桂文枝、そして最後はその文枝に笹岡薬品提供トーク番組枠のバトンをリアルに渡した西条凡児へと一作がメタモルフォーゼした今回のロングラン。
 泉岳寺アダンのホスピタリティを象徴する、食べきれなかった鯛飯をおむすびにし、凡児の常套句、「おみあげ おみあげ」よろしくふたりに手渡し見送る一作。なにかをなし遂げた(?)男の顔は実に清々しい(?)
 夫婦としての正に共同作業を始めようとするふたり、一作からの提案、“まるごと1枚ラブソング”は今後現実のものとなるのであろうか?
 そんなこと誰も分かりはしない。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

大西ユカリ/プロフィール

1964年4月6日生まれ。
「大西ユカリと新世界」を休止後、2009年~ソロ活動中。


新宮虎児/プロフィール

1963年3月30日生まれ・通称ガーちゃん。
クレイジーケンバンドでエレキギター・キーボード担当し、スカバンド『SKA-9』メンバーとしても活動中。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。

黄昏ミュージックvol.28 ダンス・ミー・トゥ・ザ・エンド・オブ・ラブ/レナード・コーエン

 先日、「バー黄昏」終わりの帰りの電車で週刊新潮の中刷りに目がゆき筆者はとある事象を知ることとなった。
 なんでも、草刈正雄(66)が人生何度目かの役者としての絶頂期を迎えているらしい。
 超高齢化社会を迎える我国に置いて、老いをポジティブに演出することは今後重要な価値基準となるだろう。特に女性に比べ、なにかとネガティブになりやすい男性の性(さが)もあり、このような初老ヒーローを無理矢理にでも今後メディアは誕生させることだろう。
 そんな時代に於いて、筆者の憧れの老い方を体現したのがカナダ出身の、詩人、歌手、レナード・コーエン。
 2016年惜しまれてこの世を去ったが、82歳最後の作品となった『ユー・ウォンツ・イッツ・ダーカー』の中でさえ、そのダンディズムに衰えはなかった。
 そんなコーエンの色気溢れる哀愁をよく表した84年のヒットチューン『ダンス・ミー・トゥ・ザ・エンド・オブ・ラブ』を今回の黄昏ミュージックとさせてもらう。
 マヌーシュ・ジャズを彷彿させるバイオリンを大きくフューシャーしたジェニファー・ウォーンズとのディエット曲。むせび泣くその声紋はかのセルジュ・ゲインズブールをも凌駕すると敢えてここでは言い切ってしまおう。もしシネマティックな曲というカテゴリーがあるのなら、正にこのナンバーのために作られたジャンルいってもいいだろう。
 無理と分かりながらもつい指標にしてしまう稀人こそレナード・コーエンその人なのである(se)

黄昏ミュージックvol.27 オクトーバー・イン・ザ・レイルロード・アース/ジャック・ケルアック & スティーブ・アレン

 晩春にとあるイベントでDJをすることとなり、昨今、ポエトリーリーディングやダブポエット、スポークンワード系の音源掘りを時間が出来るとやっている。要はその手のアーティストを大勢集めたイベントからのオファーということである。
 筆者がDJをする時にいつも意識するのは、“ジャンルレスである”ということ。1ジャンルの重箱の隅をつつくようなことが窮屈でたまらない性分なのだ。
 だから、近頃、皆がよくやる、「○○しばり」なんて企画には絶対に参加しない(苦笑)
 さて、そんな経緯でとある黄昏ミュージックに行き着いた。アーティストはポエトリーリーディング第一世代と云ってもいいビートニクのトップランナー、ジャック・ケルアック。
 作家にしては比較的音源を多く残している人ではあるが、3枚の作品をまとめたこの音源は非常にお買い得且つ便利な1枚だ。
 ケルアックのリーディングに並走するのは、この時代らしく主にジャズミュージシャン達で、本作はジャズピアニストと呼ぶにはあまりに多くの顔をもつ元祖マルチタレント、スティーブ・アレンがリリカルなピアノのトーンでケルアックの声紋に潜む湿りを更に引き立たせ極上の音世界に作り上げている。
 〜50年代、夕暮れ時のニューヨークの裏通り、売れない詩人が自室でサンフランシスコを回想したリーディングをしている。同じアパートメントからはこちらも売れないピアニストが半分諦め気分で鍵盤をつま弾いている。やがて夕日が落ち、夜の帳が下がる頃にはその安アパートは無音となり、2人はダウンタウンに憂さ晴らしに出かける。そう、いつもの乱次期騒ぎの始まりだ〜(se)

「連載対談/『酔談』Second Season vol.1」ゲスト:三上敏視氏 ホスト:河内一作 

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
。
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて、暫しの小休止の後、いよいよセカンドシーズンに突入する今回第10回目のゲストは、音楽家、そして、現在では神楽・伝承音楽研究家として名高い三上敏視氏(以下敬称略)にご登場願った。
 冒頭から、一作自身も南洋にて深くフィールドワークに勤しんだアニミズムに潜む、音楽、芸能の話題にゆくかと思えば、意外な方向から酔いどれセッションは始まった。
 三上自身の音楽性の基礎を作り、且つその後の活動の礎ともなった札幌ロックシーン。
 三上だからこそ知る、トマトス、ピチカート・ファイブ、ROVO等の先鋭的アーティスト達を輩出した北のシーンのリアルな裏話はもとより、“ロック〜ワールドミュージック〜民族音楽”と連なる遥かなる黄金のタイムラインが今我々の目の前に立ち現れる。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):神楽研究家としての三上さんが、昨今、世間的には認知されている訳だけど、元々は、欧米やその周辺のロック、ポピュラーミュージック全般も詳しかったんだよね?

三上敏視(以下三上):そうなるんでしょうね。
若い時から、札幌の、和田(博巳)さん(ex.はちみつぱい)や、(松竹谷)清(ex.トマトス)の店に入り浸っていましたから。

一作:それは札幌市内にある店なの?
じゃ〜、都会の青年だね(笑)

三上:いや、札幌には自分の意志で東京から流れて行ったんです。
80年代に入ってからは、渡辺祐さんがいた頃の『宝島』に札幌の音楽シーンの情報を送ることもしたり(笑)

一作:80年代といえば音楽シーンが劇的に変わっていった時期だよね。

三上:宝島の中身?
サブカルと云うか、まだ、皆で、「面白いことやろうよ!」って頃で。

一作:へ〜。おれ、札幌は1回しか行ったことがなくて、全然その辺のシーンは知らないんだけど。それ何年くらいの話なの?

三上:ぼくが札幌に流れて行ったのが78年で、そのちょっと前に、東京から帰郷された和田さんが「和田珈琲店」という店を始められていて、かなりレアな音源を日常的にかけていたんです。
その、和田さんの人脈の中から、「トムズ・キャビン」の麻田(浩)さんに繋がって、麻田さんが日本に招聘するミュージシャンを、札幌のロック喫茶、ロック飲み屋の有志が集まって、「十店満点」って名乗っていたんですけど。皆で北海道に呼んで、全員で少しずつ赤字を補塡して(笑)トム・ウェイツも呼んだりしていたんですよ。

一作:そうか、トム・ウェイツの初来日はその頃か。北海道公演やったっけ?

三上:やりましたよ。ぼくが北海道に行く前だから77年ですね。

ラジオアダン:お話の腰を折って恐縮ですが、三上さんのご出身はどちらなんですか?

三上:ぼくは愛知県生まれの三鷹育ち。 

ラジオアダン:こう、旅と云うか、北へ北へと?(笑)

三上:いや、たまたま札幌でバンドをやっている友人がなぜか増えて、「面白そうだな」って思って。
だったら、「札幌で仲間に入れてもらおうかな」って思って、入れてもらって(笑)

ラジオアダン:北海道行きは学業とは全然リンクせずに?

三上:うん、大学が終わってからですから。札幌のロック喫茶でバイトして。

ラジオアダン:清さんも札幌時代はライブハウスのスタッフをされていたとか?

三上:うん、ライブハウスの「神経質な鶏」ってところでバイトしていた。でも、「『〜鶏』だけじゃ食べて行けないから」って蕎麦屋の出前とダブルで働いていたんじゃなかったかな?

一作:へぇ〜、そんな活発なシーンが北にあったんだね。

ラジオアダン:音楽に関しての博識と云えば、小西(康陽)さんもいらっしゃいますものね。

三上:うん、小西くんも和田さんの店に高校生の頃から出入りしたいたくちだから。

一作:そのシーンは78〜80年くらいが隆盛だった?

三上:うむぅ〜……、盛り上がり始めたのが76年くらいで、夏に野外コンサートをやったりして、東京から、(久保田麻琴と)夕焼け(楽団)が来たり、細野(晴臣)さん、ムーンライダーズも来たり、オレンジカウンティも来たのかな?
だから、北海道って、結構、早い段階から東京のバンドと交流があった訳です。
で、そのうち、パンク、ニューウェーブに火が付くと、東京ロッカーズ関連のバンド、s-ken等皆来だして、

ラジオアダン:そうそう、以前、s-kenさんが、「清との初対面は札幌だった」と仰っていました。

一作:三上さんは、なぜ音楽シーンが急激にニューウェーブに移行していったと思いますか?

三上:どうなんでしょうね?……、ぼくの実体験で言うと、札幌にニューウェーブの情報が入って来た時、「余計なものが付いてない」と云うか、綺麗なままで入ってきたから飛びついたのかもしれない。

一作:要するに、フォークからスライドしたニューミュージックと、オールドスクールなロックから移行したニューウェーブと云う流れが同時にあるじゃない。

三上:うん。札幌も御託に漏れず、元々はブルースバンドをやっていたりカントリーロック等を志向したバンドが多かった。その中から、ニューウェーブが入ってきた時に転向したり。ぼくも大まかに云えばそっちのくちだし。

一作:皆、あの時飛びついたでしょ?

三上:うん。和田さんがまず飛びついたしね。それで和田さんとニューウェーブを志向したバンド(QUOTATIONS)を一緒に始めて。

一作:重複するけど、それまでのロックバンドってブルースやカントリー等ルーツに根ざしていたんだけど、ニューウェーブ以降、全く違うシーンが出来上がった訳じゃん。テクノしかり。

三上:ええ、一作さんの言いたいことはよく分かります。
とはいえ、イギリスでも、パンク、ニューウェーブ志向のミュージシャンで、元々はベースに古いルーツミュージックを抱えている人が多々いましたね。


三上敏視氏

一作:それってどう云う構図なんだろう?
日本のロックシーンに置き換えると、……、例えば、内田裕也さん系?に対するカウンター意識とかはあったんだろうか?

三上:ぼく自身は特にはなかった、……、それより、「世界が違う」と言った方が適切かな?
一つの側面として、札幌のハードロック系のバンドの殆どは東京に行ってしまいました。で、彼等はメジャーに行けなくても職業ミュージシャンとして東京でやっていた。
一方、カントリー等から移行したニューウェーブ系ミュージシャンは、一部の東京志向が強い人達を除いて地元密着型が多かったです。でも、パンク・ニューウェーブからバンド始めた若者の方が多かったんじゃないかな。

一作:ニューウェーブの人達ってわりとインテリジェンスを持った人が多かったじゃないですか。

三上:そうですね。

一作:海外生活を経験していて語学が達者だとか、

三上:あと、アート系の人達とか。

一作:やっぱり、一言で云ってそっちの方が格好良かったんだろうね。

三上:うん。ファッションも間近で並走していたし。

一作:うん。それも大きい。それで、がぁ〜と流れていったんだろうね。
三上さんもロンドンからの流れに感化されたの?

三上:ロンドン、……、も、ですけど、結構、ぼくら、フリクションにショックを受けて。清なんかも、「すげぇ〜〜!!」みたいな感じで(笑)フリクションの源流はニューヨーク・パンクですものね。

一作:話がトム・ウェイツ戻るけど、俺のバイブルで『Mr.トム・ウェイツ』(城山隆著)って本があって。古本屋で買ったやつ。
おれ大体、執筆する時に、ネタ元って云うか?インスピレーションをもらったりしていて(笑)

三上:前述した彼の札幌公演で面白い逸話があって。77年の時点で、音楽マニア層が好むトム・ウェイツを北海道に呼ぶのはやはり結構なリスクなので、少しでも赤字を減らすために、公演後に有料の打ち上げ会を企画して沢山人を呼んだんです。話が多少膨らんでいる可能性もあるけど200人もの動員があったとか。

一作:ガハハハハ(笑)
成る程。その気持ちよく分かるよ(笑)

三上:で、来ている人達が、トムに向かって口々に、「良かった!」、「良かった」ってパフォーマンスを賞賛してお酒を勧めるんですけど、実はトムはあまりお酒が飲めない人で只々困っていたと。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
へぇ〜、意外だね。その頃はまだ飲めなかったんだ?

三上:いや、基本、飲まない人みたいですよ。
飲む雰囲気を醸し出すわりには。

一作:ライブの時、飲みながらやってない?あれ、水なの?

三上:……、じゃないかな?麻田さんが、「トムはあまり飲めない」って言ってましたから。


河内一作

◇◆◇◆◇
 自身のアンテナを只々信じ、首都東京から敢えて北の大地に萌芽した自由な空気に身を任せた若き日の三上。
 緩やかでありながらも刺激的な日々が過ぎてゆく中、いつしか音楽シーンに名を残す名伯楽、和田博巳と通じ、ニューウェーブ系バンド、QUOTATIONSを結成。それを境に彼を再び東京へと引き戻す強い磁力と遭遇する。
 その磁力の発信源は誰あろう、我が国が誇るリアル音楽王、細野晴臣!?
◇◆◇◆◇

一作:で、今はどこ在住なんですか?

三上:今は世田谷。北海道にも1部屋ありますけど、あまり帰ってないですね(笑)

一作:本格的に東京にカンバックしたのはいつだったの?

三上:それがねぇ〜、……、はっきりしないんです(苦笑)
東京に再度来るようになったばかりの頃は、あっちこっち転々と居候させてもらって、

一作:(敢えて唐突に)ヒッピーだったの?

三上:ヒッピーではない(笑)

一作:じゃあフーテンだった?
おれはヒッピーとフーテンを分けてるの。

三上:ハハハハハ(笑)
どっちかって云ったらヒッピーかな?

一作:おれの言うその辺の区分けのニュアンスって分かりますか?

三上:うん、なんとなく(笑)

一作:じゃあ、基本ナチュラル系で、人為的な方にはいかなかった?

三上:そうですね。

一作:それじゃ、おれの考えの中でもヒッピーってことになりますね(笑)

三上:ハハハハハ(笑)
ちゃんと東京に住むようになったのは5〜6年前ですかね。

一作:成る程。行き来していた頃はバンド活動が主で?

三上:バンドは、……、細野さんの東京シャイネスはやっていて、始動が2005年からだから当初は札幌に半分以上いた感じですね。東京にいる時は前述したように居候して(笑)

一作:2005年かぁ〜、あれも結構前になるんだね。

三上:うん。

一作:おれが、その辺の細野さんの活動をライブで見たのは「おひらき祭り」が最初でしたね。

三上:おひらき祭りは、……、97年から始まって11〜2年続いたのかな。

一作:おれが見たのは2001年だったと思うんだけど。
サンディーの絡みで見に行ったら、いきなり、細野さんが、“環太平洋モンゴロイド・ユニット”って。あれ凄いよね(笑)

三上:サンディーが出演したのは2000年じゃなかったかな?

一作:そうか、2000年か。
あのユニットはおひらき祭りのために作ったの?

三上:そうですね。奉納演奏バンドとして。

一作:正にそうだった。

三上:最初は、細野さんが笛の雲龍さんと2人でお寺等で始めたんです。それで、だんだん人が増えていって、95年の阪神淡路大震災の後に神戸で、横尾(忠則)さんと細野さんのお二人のお名前を全面に出して、「アートパワー展」というのを5日間やった。
その時の演奏は毎日日替わりでゲストが参加して、(忌野)清志郎さんとか、高野(寛)くんとか、それこそイラストレーターの沢田としきさんも参加したりして。
そこでの細野さんグループの大所帯での演奏が、まあ、モンゴロイド・ユニットの最初ってことになるんですかね。

一作:あれは、基本、セッションでしょ?

三上:セッションです。略々即興(笑)
前の日に段取りだけは決めときますけどね。

ラジオアダン:その時、既に神楽関連の打楽器を演奏されていたんですか?

三上:実はぼくの場合、モンゴロイド・ユニットに声をかけてもらった切っ掛けはディジュ(リドゥ)なんです。

ラジオアダン:国内ではかなり早いアプローチですね。

三上:そうなのかな?ぼく自身は、“流行り出した頃”ってイメージですけど。
日本ディジュリドゥ協会なんてのも既に設立されていたし。

ラジオアダン:三上さんとディジュリドゥという楽器の最初の出会いをお教え願えますか?

三上:ぼく、北海道在住時代にたまたまアイヌの文化運動を手伝っていた時期があったんです。
内容はと云うと、海外の先住民を招待して、彼等が北海道に文化交流に来る時の謂わば事務方としての仕事。当時ですとファックスを先方に送って詳細を詰めるだとか。

ラジオアダン:アボリジニの方々との出会いもありそうなお仕事ですね。

三上:そう、アボリジニ。でも、ディジュリドゥとの出会いは北海道に彼等が来る前ですね。
“アボリジニのフェスに行こう”って話になって、アイヌに同行してオーストラリアへ行ってアボリジニの方々と親しくなった。
彼等は、ディジュの聖地、アーネムランドじゃなくて、西オーストラリアのパースという街のアボリジニなんですけど、その頃、オーストラリア全土に散らばるアボリジニ皆のアイデンティティーと呼べるような楽器にディジュは既になっていたんで、その街でも非常に盛んでした。

ラジオアダン:その前、キャリア初期は、普通にギターを弾いて唄うという感じだったんですか?

三上:ええ、そうですね。QUOTATIONSではギタリストでした。
で、「トシミ、これをきみにあげる」って言って1本もらって。そうなると、「これはディジュをやれっていうことなのかな?」なんて思っちゃって(笑)

ラジオアダン:吹き出して音は直ぐに出ましたか?

三上:出ないですよ(笑)
プゥ〜プゥ〜やるんで、家では、「うるさい!」なんて言われて(笑)
3ヶ月くらいかな?音が出て、その後は循環呼吸もわりとスムーズにマスター出来ました。
前述した神戸のアートパワー展にもオーストラリアからアボリジニの方達を呼んで一緒に吹いたりして。
それを見ていた細野さんが、「今度やる時は一緒にやろうよ」って声を掛けてくれて、それでモンゴロイド・ユニットに入った訳です。

一作:ハハハハハ(笑)いい流れだね(笑)

ラジオアダン:確認ですが、この時点では神楽に関する造詣はほんの入り口程度?

三上:そう、正に入り口(笑)
それこそ、最初のおひらき祭りの時に、高千穂神楽と早池峰神楽が1日ずつゲストで出演して1時間ぐらいのパフォーマンスを行ったんです。

一作:至近距離で神楽を見たのはおひらき祭りが最初だったんだ。

三上:略そう。

一作:あれ本当にいいイベントだった。宮司さんが亡くなったってことで終わってしまったんでしょ?

三上:ええ。

ラジオアダン:おひらき祭りの正式な主宰はどちらになるんですか?

三上&一作:猿田彦神社(図ったように見事にはもる)

一作:宮司さんがそういう芸能に対する理解が非常に深かった訳だね。

三上:ええ。

ラジオアダン:ここまでお話を伺ったことを筋立てすると、ロック少年から始まって、ニューウェーブを経た段階で、段々、民族音楽やワールドミュージックに興味が移行してゆき、

三上:そうです、そうです、

一作:80年代、それなりのアンテナを持った人は皆そこに行き着くよね。

三上:うん。
それと、前述したアイヌの手伝いをしていた時、(喜納)昌吉さんや、(照屋) 林賢さん等とも会うようになって、そこで悩みだすのが、「自分も彼等と同じようにルーツに根ざして音楽をやりたいけど、肝心のルーツがない…」と。「何を根拠に音楽をやればいいんだろう?」ということで悶々とした時期が続いたんだけど、神楽を見て、「これ、正にルーツミュージックじゃないか!?」って思いだして。

一作:三上さんにとっておひらき祭りはでかかったんだ。

三上:ええ。
ただ、後から思うと、高校の時に戸隠中社に林間学校的な感じで行って、神楽を見ているんです。

一作:戸隠だから、

三上:長野。

一作:そうか。
その企画を立てた学校は素晴らしいね。
当時の東京では身近で神楽とか見られないからいい体験だね。

三上:ええ。
「大人がなんか面白いことをやってるな」っていう記憶はずっとあったんです。
最近、その時に撮ったネガが出てきて、調べたらちゃんと戸隠の神楽が写っていて、今はその系統まで分かる(笑)
で、神楽を再認識してからの猿田彦神社とのお付き合いとしては、「猿田彦大神フォーラム」というのが発足されてその世話人に抜擢してもらって、宮司さんに、「もっと深く神楽を調べたいんですけど」って相談したら、あっさり、「いいよ」ってことで、交通費も支給いただいて、そんなに沢山ではないですが、あっちこっち行かせていただいて。そんな流れで本格的に神楽を廻るフィールドワークを開始した訳です。
神楽をやる場所ってアクセスが悪く、年に1回だから中々それに合わせるのが普通難しいんだけど、その頃たまたま仕事もそんなになくて(笑)祭りにスケジュール合わせることも容易に出来た。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
そりゃ最高だ(笑)

◇◆◇◆◇
 自身の表現活動の根幹としてのルーツ探しの旅の途中、ラビリンスに迷い込み、身動き取れない三上に光明が差す。
 畏れながら記すが、それはニニギノミコトが高天原から葦原中国へ降り立つ際の天の八衢での立ち往生をある種彷彿させるような出来事だ。
 大袈裟に聞こえるだろうが、そんな三上に道を照らす国津神がニニギ同様、本当に現れた。
 そう、猿田彦である。
 道を見つけたらそこからは早い。猿田彦の妻、猿女君を祖とする神楽を座標軸に、その後は、只々、神と通ずる経絡を探っていったのだった。
◇◆◇◆◇

一作:おれは山口県だから、周防神楽とか、子供の頃から比較的身近にあった。

三上:周防。ありますね、あそこも面白い。

一作:当時は、“ああいうのは、神事と云うよりは、お祭りに来て、神社の境内でいろいろ面白いことをやってくれるもの”って感覚。すごくエッチなものもあるしね(笑)

三上:だって、面白くなくっちゃ何百年も続かない。

一作:そうだよね。
最初、名字が三上さんだから、実家が神社や神道関連なのかと思っていたんだ。

三上:いやいや。普通のサラリーマンの息子ですよ。

一作:おれの田舎の、由宇町って町に神社があって、宮司さんが三上さん(笑)
だから、「そういう関係の人なのかな?」なんて勝手に思っていたんだけど(笑)

三上:いや(笑)
広島は三上さんって多いんですよね。青森と広島に三上が固まっている(笑)

ラジオアダン:じゃ、寛さんはその青森側の人?

三上:そうですね(笑)

一作:三上寛さん?

三上:ええ。
そういえば、弘前だったなか?学生時代に旅行で行って、電話ボックスに入って電話帳を見たら三上が一杯あって(笑)
それなのに、当時、ぼくが住んでいた三鷹の電話帳には三上は3人くらいしか載っていない(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
そうか、おひらき祭りは三上さんに執って、切っ掛けとして凄くよいものだったんですね。

三上:そうですね。
その少し前に、宮司や学者の鎌田東二さん、あと、細野さん、ぼく等で、「巡行祭」と銘打って、猿田彦縁のところを廻って、日の出、日の入りの時間に奉納演奏をするという活動があったんです。
沖縄からスタートして、斎場御嶽行って、久高行って。それから鹿児島の霧島の高千穂の峰から宮崎県の高千穂。次に出雲、加賀の潜戸。で、伊勢、松坂の阿射加神社を廻って猿田彦神社に戻るというコース。
ツアーの中、高千穂で夜の観光神楽を見て、その帰りに細野さんが歩きながら、「神楽をやろうと思う」って言われたんです。

一作:細野さんって、やっぱり変わってるよね(笑)

ラジオアダン:そのツアーでも三上さんの担当はディジュリドゥ?

三上:その時もディジュがメインでしたね。

ラジオアダン:細野さんはどんな楽器を演奏されていたんですか?

三上:適当な小物。

ラジオアダン:鳴りものと云うか?(笑)

三上:うん、鈴とか。
只居ればいい人だから(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
細野さんって典型的な都会人じゃない。なのに面白いよね。

三上:まあぁ、天河ブームの火付け役でもあるし。

一作:そうかそうか、それもあったね。

ラジオアダン:中沢新一さんとのフィールドワークから、

三上:『観光』ですね。
でも、その時の細野さんの発想は、神楽そのものをやる訳ではなくて、“自分に執っての神楽”ということで、日本の楽器でアフリカのリズムをやるかもしれないし、アフリカの楽器で日本のリズムをやるかもしれないしということですね。
で、ぼくは勢いづいて、「畏まりました!」、「勉強しまぁ〜す!」なんて言って、帰京後、直ぐにお茶の水の古本屋街に行って関連の本を探して(笑)なかなかなかったんですが何冊か見つけて。で、細野さんも締め太鼓を直ぐに買って。
なのに、細野さんたら、1年も経たないうちに、「君に任せた」って言って終わっちゃった。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
終わっちゃったんだ(笑)

三上:たまにその時の楽器を使っているみたいですけどね(苦笑)

ラジオアダン:三上さんに執って、未知のジャンルの楽器を購入するのは大変だったんじゃないですか?

三上:ああ、太鼓とか?

ラジオアダン:ええ。

三上:細野さんはあそこに行ったんじゃなかったかな?浅草の「宮本卯之助商店」。

ラジオアダン:神楽専門店と云うか?

三上:いや、そこはもう祭り関係なんでもかんでもある。ぼくは古道具屋(笑)
でも、今は和太鼓グループ系の太鼓ばかりになっちゃってる。今、太鼓を買う人は和太鼓やりたい人達ばかりだから。

一作:和太鼓はそんなに人気があるんだ?
どういうやつ?大きいやつ?

三上:大きいのから小さいのからいろいろ。

一作:おれ、実はグループでやる和太鼓苦手なんだよ。

三上:ぼくも苦手ですね、軍隊みたいで(苦笑)マッチョな。

一作:そうそう。
“一糸乱れぬ”ってのがあまり好きじゃないんだ。
「別に揃わなくてもいいじゃん」って思う訳。キメがあるのがどうもね。
それに比べて、昔、「CAY」でやったドゥン・ドゥン・ンジャエ・ローズとか、もっと適当だけど凄いグルーブを出す。
 この辺の一連のものは、亡くなったケンさん(宮川賢左衛門)のおかげなんだけどね。ケンさん、(以下)ドゥン・ドゥンみたく痩せた哲人みたいでかっこよかった(笑)

三上:そうそう、細野さんも神楽のプロジェクトではドゥン・ドゥンみたいなことをやりたかったみたい。

一作:ドゥン・ドゥンは3日公演だったのかな?いい時代だよな、あのキャパであの内容でスポンサーが付くんだから。あれ三菱だったよね。

三上:モンゴロイド・ユニットでも民族音楽系のアーティストは結構呼んでました。
熊野古道が世界遺産になった時の記念イベントが熊野の本宮で行われた時は、アイヌのトンコリ奏者、OKIさんに入ってもらいました。

ラジオアダン:OKIさんも三上さん同様、元々はロック畑の方だったとお訊きしたんですが。

三上:そうです。バンド活動をしていてベーシストだったらしい。

一作:神楽のフィールドワークの方に話を移したいんだけど、高千穂はどんな感じだったのかな?

三上:高千穂?

一作:うん。
観光用に日々やっているものがまずあるでしょ。そうじゃないものもあるのかな?

三上:集落の祭りとしてやる夜神楽というのがあって、それは一晩中やる訳です。観光神楽はその一部をより見やすくコンパクトにしてあって、実際のところパッケージショーまでもいってない。演目を軽くふたつみっつ見せるって感じですね。とはいえ、高千穂はやっぱりいいですよ。

一作:で、本気でやるものは年に1回ある訳?

三上:はい。
高千穂の内、20箇所以上でやるので、大体、11月〜2月くらいまであっちこっちでやっています。
一部、昼神楽になってしまったところもありますが、やはり夜神楽が面白いですね。

一作:来週から九州へ行くんだけど、ちょっと高千穂に寄ろうかなぁ?

三上:もう神楽は終わっちゃってますけどね。

一作:実は、中学の時、高校に進学する春休みに、自転車で九州一周の旅を実行したんです。2週間もかかった(笑)
その時に高千穂峡に行ったんです。それからは行ってない。

三上:凄いなぁ〜、あそこまで登ったんだ。

一作:鹿児島から上がって来て、延岡から入って、……、いやぁ〜大変だったね(笑)
ワンシーン、ワンシーンは覚えているんだけど、どんなところに泊ったのかが全然覚えてない。多分、その頃だからユースホステルに泊っていたんだと思うんだけど。

三上:一人旅?

一作:いや、2人で行ったんだけど、霧島の坂を下りてる時にそいつと喧嘩になって、

三上:ガハハハハ(爆笑)

一作:「じゃ〜、別々に行こう!」ってことで、別々になった(笑)
おれ、当時、結構根性あったんだよ。剣道部キャプテンだったし(笑)今は全然ダメだけど、酒ばっかかっくらってチョーナンパに見られてるけど(笑)

ラジオアダン:フィールドワークと平行して、細野さんから投げ掛けられた言葉、「君に任すよ」に従った音楽活動はその後どう進展していったんですか?

三上:まあ、その時点では猿田彦神社からの支援もあったのですが、入力するだけでもう精一杯。祭りに行く度に全然違うものが出現するので訳が分からなくなって。それを整理しながら進めてゆくと云うか。

ラジオアダン:入力とは、まずは神楽に関する造詣を深めると云う意味ですか?

三上:そうです。音として自分が出せる状態にはなかったですね。
まずは現場に行って体感するという段階です。

ラジオアダン:音楽家の顔は一度封印してフィールドワーカーに徹すると。

三上:そうですそうです。もう、瞬時に、「一筋縄ではいかないぞ」と思ったから。そんなこんなで、今は神楽研究者としか思われていなかったりもするんですけどね。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
今日も、神楽研究者としての三上さんってことで話をしているので(笑)

三上:ガハハハハ(爆笑)
ぼくが最初の神楽の本を出した時に、細野さんが毎月デイジーワールド関連のライブイベントをCAYでやっていて、ぼくもたまに出演したりしていたんですけど。ある時、出版に合わせて宣伝がてら本を持参したら、細野さんが、「こうなったのは、ぼくのせいじゃないよね?」ってぼそっと言ったんで、「違います!」って元気に応えといたんですけど。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

三上:本当はこうなったのは細野さんのせいなんですけどね。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 細野晴臣、そして猿田彦の導きで神楽研究者として名をなした三上。
 さて、その神楽研究者という、雲を掴み霞を食うような数寄者の日常とは一体どんなものなのだろう?
 筆者の頭中にあるそんな素朴な疑問が一作に届いたのか?ここで一気にフェーズは、“日常”に転換される。
◇◆◇◆◇

一作:今、まだ大学で講師として教えてるの?

三上:やってます。それがあるから東京にいるようなもんで。

一作:あれぇ〜……、早稲田(大学)だっけ?

三上:いや、多摩美(術大学)。

一作:多摩美っていい大学だね。そういうものも取り入れて。

三上:ええ。まあ、中沢さんがいる頃に呼んでもらって。今は明治の方へ移られましたけど。

一作:テーマとしてはどんな感じでやっているの?

三上:元々、……、ムフフフフ(含み笑い)、……、『音楽のアーカイブ』という名前で、細野さんがやるはずの授業だったんです(笑)
でも、お忙しい方なので、年に2回くらいの特別講義しか出来なくて。その後、当時の細野さんのマネージャーだった東くんが非常勤講師をしばらくやって、彼もまた多忙になってぼくに振ってきた。

一作:急にじゃ困るよね(笑)

三上:でもずっとフリーランスで活動していたから、「素性が分からない」なんてことにもなりかけていて。肩書きもそれなりに必要な訳です。

一作:うん、その気持ち分かるよ。

三上:で、「せっかくやるんだからタイトルも変えたらどうですか?」なんて言ったんですけど、「このままでいいです」って言われて、音楽のアーカイブ。でも、中身は神楽のことを重点的に教えるようにして。
傑作なのが、初年度の授業プログラムに、“講師:細野晴臣、中沢新一、三上敏視”って3人の名前が並んでいたんですけど、実際に講義をやるのはぼくだけという。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
でも、肩書きは必要だよ。だって、なくて困る時あるでしょ?

三上:そうなんです。

一作:いいよね。そういう際々の位置にいるって(笑)

三上:そこまでの流れとしては、ぼくが非常勤講師を始める前に中沢さんが、「芸術人類学研究所」というものを起ち上げて所長になって、「特別研究員って肩書きをあげるよ」ってことになって。
「肩書き欲しいだろ?」、「はい!!」って感じから始まったんです(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
増々いいなぁ〜(笑)

三上:「ごっちゃんです!」な感じ(笑)
その後に非常勤講師に就いた訳です。

一作:ハハハハハ(笑)
講義は月に何回くらいやっているんですか?

三上:前期後期とあって、今は後期で週1。

ラジオアダン:若い学生さんとの関わりは面白そうですね。

一作:そうそう。そこのところをおれも訊きたかった。

三上:授業に本当にはまった子は宮崎の山奥まで付いてきたりします。
でも、「今年はダメだな…」なんて年は、「全然反応がない…」なんてこともあります。

一作:そういう年の生徒は、音楽すら興味がない?只、授業として居る訳?

三上:そうですね。
まあ、音楽は好きなんだろうけど。

一作:好きな子もいるでしょ。
本来、三上さんが教えていることって音楽の根元な訳じゃない。

三上:でも、ぼくのライブにはあまり生徒はこないな……(苦笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:そういえば、大学の先生でガムラン音楽の第一人者の方がいませんでしたっけ?ライブで合奏する時は生徒さんや、OB、OGが多数バックにいるような方。

三上:……、ああ、モンゴロイド・ユニットにも参加して頂いた、皆川、

一作:皆川厚一さんでしょ。

三上:皆川さんはもう顔が日本人に見えないもの(笑)インドネシア人そのもの(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
あの方は自分でガムランのチームを持っている訳?

ラジオアダン:一作さんプロデュースのライブ箱、「新世界」でも数度演奏して頂きました。
皆川さんが一応のリーダーですが、若手の実働部隊が実際は動かしている感じでした。
「滞空時間」というユニットで、近年、名を馳せた川村亘平斎さんも主要メンバーの一人。

一作:ああ、川村くんね。

三上:皆川さんは、民族音楽学者、小泉文夫さんのお弟子さんで後継者。バリの音楽、文化を語らせたら、バリの人より知っているような方ですから。

一作:葉山に住んでいる時、一色に森山神社っていう神社があって結構いい演舞場がある。そこでのパフォーマンスを見るには神社の脇の石畳の階段に登って見るんだけど、お盆の時に1回ガムランが来て。勿論、国内の人達なんだけど。やっぱり皆川さんの系統なのかな?その辺やる人って限られているから。ちゃんとバロンも出てきて。

三上:バロンも出てくるんだ。それは素晴らしい。

一作:ガムランもだけど、80年代に音楽シーンが一斉にワールドミュージックの方に舵を切る時に、CAYを立ち上げられたことは本当にラッキーだった。
おれ、あそこで、その辺のライブを一杯体験したからね。

ラジオアダン:ぼくは、“一般に浸透した”って部分では、トーキング・ヘッズとブライアン・イーノの存在が大きかったような気がするんです。
実際、バーンとイーノはディオ名義でその辺のアプローチの素晴らしいアルバム(『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースト』)も残していますし。

一作:そうか。それもあるね。あのアルバムはかっこいい。
そういえば、YMOだって民族音楽を取り入れていた部分もある訳だし、

ラジオアダン:細野さんに関してはもっと以前から、

一作:あるね。
トーキング・ヘッズは細野さん世代よりちょっと下の世代の啓蒙にはよかった。……、当時、あそこだ、……、なんだっけ?……、昭和女子大、人見記念講堂。あんな綺麗なところでさ(笑)おれは、あそこでトーキング・ヘッズやローリー・アンダーソンを見た。あそこ結構いいのをやっていたよね。UKレゲエのUB40もやったし。おれ、あそこでライブを見るのが好きだったなぁ〜(笑)

三上:女子大だし(笑)

ラジオアダン:あと、80’s以前に、ジャズやフュージョンの人達が海外進出を意識して、和太鼓や鼓、笛、琴等、和的なアプローチを意識的にしていました。

三上:うむぅ〜……、結構イージーなセッションが多かったけどね(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
でもそんなもんでしょ。始まりはイージーな世界(笑)

◇◆◇◆◇
 三上の座標が定まり、数々の神楽のフィールドワークをものにし始めた頃、図らずも、一作にも同様の出来事が幼少期のぶり返しとして起こっていた。
 そう、この対談でも何度か触れた約束の地、ビッグ・アイランドでの覚醒。 
 同時多発とも云える2人のシンクロニシティ。これもまた、猿田彦の導きなのか?
◇◆◇◆◇

ラジオアダン:三上さんでも、アンダーグランドなものを含めれば、まだまだ行ききれてないお祭りもあるんですか?

三上:全て網羅したとは言い切れませんが、要所は略見ましたね。今、新たにまた執筆を始めていて、それが完成したら一段落。
宮司さんがお亡くなりになって、以前みたいに援助もないので、自腹で動いてます。そろそろ資金も尽きてきた(苦笑)

ラジオアダン:上梓が楽しみですね。前後して恐縮ですが、一作さんは何故、神楽に興味を持ったのですか?

一作:前述したけど、子供の頃から身近にあったから。周防神楽って結構有名ですよね?

三上:ええ。

ラジオアダン:現在の肩書きに反して、幼少期、東京人の三上さんより山口県人の一作さんの方が神楽に入り込んだのは早いということですね。

三上:勿論。ぼくは神楽を知らなかったから逆にびっくりして。

一作:おれの場合は、幼い頃から見ていて神楽の世界観っていうのは身体の中に確実に残っているんだけど、上京して都会の生活に慣れてくると徐々にその感触を忘れてゆく、……、……、で、やっぱり、ハワイなんです。
何故、ハワイに行ったかと言うと、CAYのスタッフの頃にピーター・ムーンの公演を仕込んで、ミクストメディアとして雑誌も噛ませて、その取材として行ったのが初のハワイ。ピーターは勿論、ギャビー・パヒヌイの家に行ったり。丁度ライ・クーダープロデュースで、息子達、パヒヌイ・ブラザースがアルバムをリリースした頃でした。
雑誌の取材も終わってクルーが帰った後も何故かおれだけ残って(笑)で、ニック加藤ってハワイ文化と重要な関わりを持ったコーディネーターがいるんですけど。今、上映中の話題の映画『盆唄』の企画発起人で写真家の岩根愛ちゃんもニックがハワイの橋渡しだったみたいですね。
ワイキキのバーでニックと待ち合わせをして飲んでいたら、「4月にハワイ島のヒロでフラの祭典があるから、それを見に来たらどうですか?」って言ってくれて。その時は2月だったので、一旦帰国して、4月に再度ハワイに来てその祭典を見に行った。
フラってアウアナっていうモダンフラと、カヒコっていう古典があって、その祭典では両方やるんだけど。それがメリーモナーク・フェスティバル。今は凄く有名なフェスティバルになっちゃったけど、当時はそうでもなかった。
特に、カヒコを始めて目のあたりにした時は、「すげぇ〜!」って一瞬でなって、「これって子供の時に見た神楽に近いな」って思ったんです。神楽に対し再認識をした瞬間ですね。まだ、サンディーに同行する前の話です。
「こういうことを東京で出来ないかな?」ってビジョンがその時芽生えて、それが後々、サンディーのフラスタジオをサポートすることになる。

ラジオアダン:神楽の原体験のタイミングがまるで違う2人なのに、再認識に関しては非常に類似しているところが面白いですね。

三上:そうですね。

一作:タイミングが絶妙に近かったんだろうね。
どこかで神様と交信するって感覚ってあるじゃないですか。古典フラもそうだし、神楽もそうだし。それってやってくうちにだんだんトランスに入って行く訳じゃないですか。
神楽で、そういう体験をしたり見たりしたことって過去ありましたか?

三上:実際のところ、“神懸かり”という状態になることは非常に難しくて、ぼくが情報を得ている分では殆ど成功してないですね。
だけど、高千穂でもそうですけど、ある時間帯に皆が変成意識に入っちゃう祭り空間というのは実際にあって、そこに居るのが気持ちいいんです。

一作:なんかこう、ごぉっ〜と上がってんだよね。
こればかりはそこで体験しないと分からない。

三上:よく、「神楽は神様に奉納するものだから人に見せるのもではない」って言う人がいますけど、本当は見る人がいないとダメなんですよ。見る人と一緒になってひとつの祭り空間を作らないとダメ。
夜神楽等ですと、丁度先週、奥三河の「花祭り」で酒飲んでいたんですけど(笑)

一作:いいことしてるよね。うらやましい(笑)

三上:ハハハハハ(笑)すいません(笑)
その分、捨ててるものも沢山あるんだけどね(笑)

一作:三上さんと会うといつも、「先週は○○に行った」なんて言ってる(笑)

三上:でも、もうそろそろ無理(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
で、奥三河はどうでした?

三上:もう、凄かったんだけど……。
ぼくが20年前から15回は行っているところで、中心になってやっていた方達がもう高齢で今年が最後だったんです。
来年からお休みになるので、もうめちゃくちゃ人が来て。普段の倍くらい。だから舞が見れない人も沢山いました。
ぼくは、そんな状況になることは事前に想像がついていたんだけど、まあ、20年もお付き合いさせて頂いた方達だから、「やっぱり最後は見届けよう」ってことで行くことにして、早い時間から場所取って、

一作:そういう縁が深いところは絶対行った方がいいですよ。

三上:ええ。
祭りをやる人達が昼に酒を飲んでいるところから参加して。そこが祭りをやる人達が唯一雑談しながらゆっくり酒が飲める時間で、始まっちゃったら飲めはすれど談笑には至らない。

一作:云うなれば、バリだったらケチャでキノコを食ってトランスに入る前みたいな時間帯だね。南太平洋だとカヴァだ。

三上:カヴァ?

一作:サモアには、カヴァって胡椒科の潅木の根があって、それをぎゅぅ〜と絞って飲むんですよ。それも、車座になって手拍子を打ちながらまわし飲みする。少しばかりハイになって南洋の光と影が普段よりもくっきり見えてくる。
本当はその辺の話を沢山したかったけど、ながぁ〜い前振りとして(笑)、ミュージシャンとしての顔の方を沢山話しちゃったな(笑)

◇◆◇◆◇
 アニミズム。地霊信仰とも訳される。
 字面や既存のイメージだけでは、おどろおどろしく近寄りがたい代物のように思える。
 しかし、2人のイメージは全く別のところにあるようだ。
 風通しがよく明るくポップなアニミズム。
 そしてすこしエッチ!?
 終盤にきて、トークセッションもハレとケが交差する別次元へアセンション。いよいよ、黄泉へのトランスまであと僅か!?!?
◇◆◇◆◇

一作:神楽って、まあ、ざっくりだけど、凄く精神的なものですよね。

三上:ぼく独自の解釈なのかもしれないけど、祭り、神楽とていう空間は非日常として出来上がらなければまずいし、それは、普段対立している、陰と陽であるとか、生と死であるとか、見えるもの見えないもの、男と女、そういうものがごっちゃになって混沌に達する世界。そこで神的なものを感じたり。昔は神懸かりが起きた訳です。

一作:それって、実は下世話なものも凄く含む訳じゃん。

三上:そうですそうです。聖と俗も勿論含まれます。

一作:うん。そういうものには付きものでしょ。だって、やっぱりセックスしなければ人間は産まれないんだから。
子供の時の記憶で、多分、周防神楽だったと思うんだけど、びっくりするのが、なば祭り。なばってペニスのこと。
その辺、三上さん見たことありますか?

三上:周防では見たことないですね。

一作:そうですか。
で、すごくでかい張り形を携えて神事の人達が出てくると、普段真面目なおばちゃん達が、「ギャ〜!!」って歓声を上げて笑っている訳(笑)

三上:そうそう、あれがいいんだ!おばちゃんって基本スケベだから(笑)

一作:そう!ガハハハハ(爆笑)
おれ、そのシーンが今でも強烈に残っているんです。

三上:それはいいですね。
宮崎県の神楽は今でも男根出現率が凄く高いです。
昼神楽だったら子供もそれを見るし、男根に両面テープが巻き付けてあって、女の子が千円札をそこに貼付けて。チップ同様に(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それ凄いね!!

ラジオアダン:昼神楽と夜神楽の大きな違いってどこなんでしょうか?

三上:昼神楽は大体午前中から始まって夕方には終わっちゃう、

ラジオアダン:単に時間帯の違いなんですか?

一作:あんまり関係ないんだよね?

三上:そうです。
只、元々、祭り自体は夜のものですけど、段々、ライフスタイルが変わってきて昼にもやるようになったってことです。

ラジオアダン:今更なんですけど、確認させてください。
まずお祭りがありますよね?神楽はその一つのコンテンツと思えばいいのでしょうか?

三上:祭りの中のコンテンツとして存在するのは、大体、関東から北。だから、先週行った奥三河の花祭りとか、中国地方とか、九州山間部の夜通しやるものは祭り自体が全部神楽。神事から全て芸能をともなって。

ラジオアダン:そう聞くと西の方が面白そうですね。

一作:例えば、早池峰なんて行くのが大変じゃないですか?更に、泊るところも殆どないじゃないですか?三上さんはどこに泊ってるんですか?

三上:早池峰の場合、皆がよく来るコースは、7月31日の宵宮から8月1日の本祭り、早池峰神社例大祭。ぼくは駐車場で寝ますよ(笑)

ラジオアダン:スーパーボランティアの尾畠春夫さんみたいですね(笑)あの方も基本、車で眠られるとか(笑)

三上:ハハハハハ(笑)
近くに宿はあるんですけど、1年前から予約で一杯なんです。宿房みたいなものなのでキャパもそんなにないし。あと、早池峰の場合は早池峰山に登る登山客用のキャンプ場があるのでそこにテントを張る人もいます。あとは、一回、花巻まで戻ってホテルに泊るとか。

ラジオアダン:日本古来のフェスに数えきれない程行ってらっしゃるんですね。

三上:まあ、レイブ?(笑)
神事としての聖なる面も勿論あるんですけど、まあ、宴会ですよ!ガハハハハ(笑)

一作:ガハハハハ(笑)

三上:ぼくの場合、申し訳ないけど、「飲みに来ました!」みたいな感じですから(笑)
宮崎の諸塚村の神楽だと、脇宿っていうシステムがあって、神楽をやっている横の家で、「いらっしゃい!いらっしゃい!」っ言って誰が来ても酒を出して歓待してくれるんです。

一作:素晴らしいね。

三上:それも元々は、“新しい血を入れたい”という考えがあったんだと思います。山間部の孤立した集落ですから。
宮崎にはせり歌という観客が主に男女のことを歌う文化がまだ残っているんです。神楽には神楽歌、神歌というのが付きもので、「それがなければ神楽じゃない」とぼくは思っているほど重要なもの。

一作:例えばどんなことを唄っている訳?

三上:〜伊勢の国 高天原がここなれば 集まりたまえ 四方の神々〜とか。

ラジオアダン:古事記的な世界からの引用ですか?

三上:神楽は殆ど日本書紀からです。古事記は江戸中期以降。

一作:そういえば、新世界のオープニングの時に三上さんに奉納演奏をしてもらったじゃない。ガハハハハ(爆笑)

三上:ガハハハハ(爆笑)

一作:あの時はどんなことを唄っていたの?

三上:神歌です。

一作:せっかくだからちょっとやっみてよ(笑)

三上:ハハハハハ(笑)
—♪七滝や〜 八滝の水を汲み上げて〜 汲み上げて〜 日頃の穢れを今ぞ清める〜♪— 
なんてね(笑)

一作:(拍手)いいね(笑)素晴らしい!(笑)
それで、あの場所は清まったんだね(笑)
そんな感じでスタートした新世界はずっと赤字で、6年続けて結局6千万の赤字をくらった。
でも、三田「アダン」の立退料が入ってきてその借金をチャラに出来た。それもこれも、あの時、三上さんが神歌を捧げたおかげかも(笑)
神様が、「ものごとはとどのつまりプラマイゼロだぜ」とおれに教えてくれたのかもね(笑)

◇◆◇◆◇
 神歌も出たところで酒宴の場も隅々まで清まり、更に、酔いもいい感じにまわってきた。
 少し遅れた新年に合わせ再開した酔談のセカンドシーズン。ここは、柄にもなく、暫し背筋を伸ばし、ゲストとともに本年の誓いを立て静穏に宴終えることとしよう。
◇◆◇◆◇

一作:おれ、今年の抱負として、……、いや、その前に、なぜ葉山の住まいを引き払ったかというと、ちゃんともう一回、……、映画を見たりだとかインプットしようと思うんだ。
葉山にいると、「海が友達!」みたいな(笑)おれの場合、サーフィンする訳でもないしさ(苦笑)

三上:成る程。

一作:5年居たからね。
だから、今年は映画を100本見ることにしたの。

三上:いいですね。

一作:まだ1本しか見てないけど。ガハハハハ(爆笑)

三上:ガハハハハ(爆笑)

一作:あくまでも映画館でね。映画館で100本。
おれはそんなところが直近の抱負なんだけど、最後に、三上さんの今年の抱負を訊かせてよ。

三上:そうですね。……、やっぱり、今、執筆中のものを書籍としてなんとか年内に出したいですね。

一作:じゃ〜、おれは一番最初に買って一番最初の読者になるよ。
今日は忙しいところありがとうございました。

三上:いいえ、こちらこそ。

◇◆◇◆◇
 三上の神楽研究の第1章もいよいよ大詰め。一旦の纏めとなる新たな書籍の発売もそう遠い日ではなさそうだ。
 一作もまた生活空間を移動し、インプットを主としたセカンドシーズンに突入した。
 一つの物語を終えた彼等が、次に降り立つフィールドは果たしてどこになるのだろうか?
 そこは高天原か?はたまた葦原中国か?
 そんなこと誰も分かりはしない。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様(今回はピンポイントでサルタヒコノカミ??)が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@奥渋「家庭料理 おふく」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

三上敏視/プロフィール

音楽家/神楽・伝承音楽研究家。MICABOX名義で神楽太鼓の呪術的響きを大事にしたモダンルーツ音楽を製作、CD『ひねもす』などをリリース。他にも気功音楽をはじめ多様な音楽の作曲、演奏などの音楽活動を行う。ライフワークとして全国の里神楽を巡り、神楽とその背景にある祭祀文化を日本のルーツミュージック、ネイティブカルチャーとしてとらえ、ガイドブック『新・神楽と出会う本』などを出版。多摩美術大学美術学部非常勤講師。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。。

黄昏ミュージックvol.26 センド・イン・ザ・クラウンズ/チェット・ベイカー フューチャリング ヴァン・モリスン

 黄昏ミュージックと銘打ち数々の音源を紹介してきた訳だが、ミュージシャン自らが最晩年でギリギリのコンディションの中、生演奏するという、正に人生の黄昏時な楽曲が今回セレクトするチェット・ベイカーの『センド・イン・ザ・クラウンズ』(邦題:『悲しみのクラウン』)。
 元々、ミュージカル『リトル・ナイト・ミュージック』の挿入歌で、デジレ・アームフェルド役のグリニス・ジョーンズのたどたどしい歌唱で人気を博した楽曲。
 以後、この曲のカヴァーは頻繁に行われ、一部を除いて女性シンガーが唄うことが比較的多かった。
 さて、そんな数的に劣勢の男性シンガー陣だが、フランク・シナトラ、ビング・クロスビー等というビックネームが、極上なスムース感一杯に唄い上げているのもまた事実。だが、今回の音源でのゲストシンガー、ヴァン・モリスンはそんなスムース感などどこ吹く風、独特の引っ掛かりとだみ声とも云えるざらついた声紋で語るように唄う。
 憂い一杯のヴァンのその歌声が一旦止まると、演奏なのか吐息なのか判断できぬチャット・ベイカーのトランペットが主役の座をすっと奪い取る。否、奪い取るなんていう力感はないか?
 彼は只存在し呼吸しているだけなのだ。
 その呼吸が音楽に聴こえたりため息に聴こえたり自在に入れ替わって行く。
 周囲を固めるミッシェル・グライエ(p)のリリカルな響きと、演者全てを支えるリカルド・デル・フラ(b)のずっしりとしたグルーブがまた素晴らしい。
 “人生の黄昏時”なんて、少しネガティブに思える御人もいるかもしれないが、こんな黄昏ミュージックがあってもいいだろう(se)

黄昏ミュージックvol.25 シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)/ビル・フリゼール

 昨今、多くのジャンルで女性の活躍が目立つが、音楽というジャンルはその最先鋒とも云える程にジェンダーフリーが進んだ希有なジャンルだ。
 だが、そんな音楽界にも女性アーティストに執って関門と云える壁も依然存在している。
 例えば、ソリストとしての一定の地位を築いた女流トランぺッターと云うのは実に少ない。口さがない者による、「唇の肉感的に女性は適してない」なんていう根拠のない説がそこはかとなく流れたりすることもある。
 それに継ぐものとして、ギタリストもアプローチする総人数に比べると成功例が少ないと云えるインストゥルメンタルかもしれない。
 筆者がブッキングを6年間ルーティーンとして担当したライブ箱でも、記憶に残る良質なプレイを披露した女性ギタリストは片指で十分におさまった。
 さて、そんな中、天才女流ギタリストと呼び名が高いのがメアリー・ハルヴォーソン。ジャズ畑周辺では以前から高評価を受けていたが、2014年のフジロックの快演以来、ジャンルを飛び越えて我が国でも人気が完全に定着した。
 今回、そんなメアリーの楽曲から“黄昏ミュージック”を選出することは容易だが、敢えて、彼女の師匠筋に当たる万能ジャズギタリスト、ビル・フリゼールの楽曲『シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)』にスポットを当てたいと思う。
 ジョン・ゾーンとのプロダクトで見せる、超絶フリーな硬質な演奏とは極北にある、アメリカンルーツ・ミュージックに座標軸を置いた3部作の中に、浮遊感、レイドバック感がより深く漂うアルバム『グッドドック・ハッピーマン』という作品があり、中でも、レジャンド・クールジャズ・ギタリスト、ジョニー・スミスに捧げた『シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)』は、良質なアコースティックサウンドが良き時代の牧歌的アメリカを脳裏に鮮明に蘇らせる感傷的な黄昏ミュージックである。
 ビルの見事にコントロールされたアコースティックギターの主旋律は勿論、名手ジム・ケルトナーの制御された無駄のないドラミングが羽毛のような優雅なグルーブを生みリスナーを優しく包み込む。
 なんでも、純ジャズギタリストとしてのビル信者に執って本アルバムはイージーリスニングに走りすぎているとの批判も多々あるそうだが、筆者の場合、カナダ人ミュージシャン、ダニエル・ラノアのルーツアメリカン指向の音群を聴くのと同様、脱ジャンル的スタンスで聴くので、文句なしの名作と云える程の極上黄昏ミュージックなのだが……。
 まあ、聴覚と云うものもそれなりに曖昧で、且つ、人それぞれなものなので…………(苦笑)。(se)