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「連載対談/『酔談』vol.7」ゲスト:横山泰介氏、上平諭氏 ホスト:河内一作


「連載対談/『酔談』vol.7」ゲスト:横山泰介氏、上平諭氏 ホスト:河内一作


 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回のゲストは、サーフシーンはもとより、多くの良質な写真作品で名を馳せるレジェンドカメラマン、横山泰介氏(以下敬称略)と、彼の写真作品を高い印刷技術とエディトリアルワークで支える、上平諭氏(以下敬称略)のお二人をお迎えし数えて第7回目となるコアなトークセッションをお馴染みの泉岳寺「アダン」特別室で決行。
 この2人、仕事上での強力なタッグチームは勿論、もう一つのフェーズとして長いキャリアを誇る生粋のサーフィン仲間でもある。
 サーフィンとは縁遠いナイトカルチャーの権化、一作が、果たして2人がアドリブで発動するビックウェーブを乗りこなすことが出来るのか!?!?
 現在、住居を葉山に移した一作にとって、同じく在を葉山に置き、且つ生まれながらの湘南ボーイの泰介のルーツは興味深い題材。
 冒頭から、泰介に、「一作はマインド・サーファーだから」との名誉の仮称号をもらった勢いを借りて、泰介の広大なタイムラインという海に向かって慣れないパドリングを始めた。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):泰ちゃんは、ず〜っと湘南生まれの湘南育ちだよね?

上平諭(以下上平):鎌倉でしたよね?

横山泰介(以下泰介):いや、生まれたのは実は東京なんです。
親父(横山泰三/漫画家)は既に鎌倉を拠点としていましたが、当時、母が体調を崩し、環境重視ということで、既に親父の兄(横山隆一/漫画家)も住んでいたこともあって、生まれて2〜3週間で本格的に鎌倉に来てしまったので、東京での記憶は全くないんです。

一作:成る程。
泰ちゃんはもう70歳になったんだっけ?

泰介:来年だね。
昭和23年生まれだから、この10月で69歳なんですよ。

一作:じゃあ、団塊の世代だ。
あんまりぽくない(笑)

泰介:そうなの?(笑)

一作:なんか団塊って、押しつけがましい人が多くない?
湘南ボーイとか云われるのは嫌だったんじゃない?

泰介:やだよ(ポツリと)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

泰介:だって、なんだか、……、湘南サウンドも嫌。
大した差も無いのに、敢えて湘南なんて付けると凄く取って付けた感じじゃない。

一作:オレは山口県だからさ。田舎でさ、加山雄三とか聴いていてさ、何となく、「凄いな〜」なんて思うけど、……、ちょっと眩しいよね。


河内一作

泰介、上平:(『眩しい』に妙に反応し)ガハハハハ(爆笑)

上平:ボクは大阪でしたけど、一作と同じ感想だったな。
やっぱり眩しい(笑)

泰介:なんかあんまりピンとこないしね、“湘南”と言われても。
逆に何か変なんですよ。

一作:元々の人達は?

泰介:どうなんだろう?……、

ラジオアダン:湘南、湘南と云いいますが、実はかなり広い範囲を、

泰介:そう。それを一括りにしちゃって。

上平:江ノ島からこっちはまるで違うし、

泰介:葉山から小田原までは一応、湘南ということになっているんですけどね。

一作:それぞれ全然違うのに。

泰介:まあ、どこまでが湘南か?なんて、住んでいる人達は気にしてないのよ。
はっきり言って、車に湘南ナンバーなんてオレは全然欲しくないもんね(笑)

上平:わざわざなんで付けてるの?って(笑)

一作:田舎もんが付けてるんじゃないの?

上平:付けたがるよね(笑)

泰介:この対談は、何でも言っていいの?何でも言っていいなら何でも言っちゃうよ(笑)


横山泰介氏

一作:何でも言っちゃっていいのよ、このシリーズは(笑)

泰介、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:オレなんか山口の田舎でさ、海辺で育ったんだけど、今、住んでいる葉山の磯は風景が似ている。

上平:原風景に近いものがあると?

一作:うん。
上京した時から、「いつかは海の傍に住みたいな〜」なんてずっと思っていたんだけど、実際に住むまでは、湘南に対してどこかコンプレックスを持っていた。
実際に住むようになって、泰ちゃんとも以前より頻繁に呑むようになったけど、酔っぱらうと、「葉山の奴らは大嫌いだ」なんて、つい口から出ちゃう(笑)

泰介:アンビバレンツという感情ってあるじゃない?「好きだけど嫌い」みたいな。
でも、一作のその感情はよく分かるな。実はボク、鎌倉はあまり好きじゃないんですよ。あの街はいつもワサワサしている。観光客が多いからね。
地元の店も、当然、視線は観光客に向いている。
勿論、地元の人達が行く店もあるんだけど、結局、

一作:なんか嫌なんじゃない?地元民で集まってベッタリしているのが。

泰介:そう。
また、葉山と違う意味で変な空気感になる。
葉山は、天皇陛下が、……、…だから、基本は御用邸でしょ。
昔は、今の135号線の、なぎさホテルがあった道はないから。オレ達は鎌倉の内側を廻って御用邸へ行くのよ。

一作:(進行役に向かって)知ってる?なぎさホテル。

ラジオアダン:名称だけですね。

泰介:あそこは最高の立地だった。
中3か高校の頃、あそこで先輩達がパーティーやるとパー券を売らされて(笑)
そんな想い出しかないんだけどね(笑)

一作:長者ヶ崎からずっと行くじゃん。泰ちゃんは子供の頃にあの辺行ったことある?

泰介:子供の頃は免許がないからあそこまでは行けない。葉山マリーナまではなんとか昔の記憶があるけど。
覚えてるのは日影茶屋が寂れていて、とにかく家が建ってなかった。あと、マンションってのがなかったな。
葉山マリーナはホテルがあって周辺が近代的になってゆくのは早かったけど、あそこから先は、……、

一作:裏だよ。

泰介:と、思う。

一作:裏でしょ?
だって泰ちゃんが生まれたのが昭和23年でしょ。30年でもあの辺は何にもないんでしょ。

上平:田舎だったから御用邸が出来たんでしょ?静養するための施設なんだから。

泰介:うん。
御用邸が出来て、当時の貴族や男爵が凄い勢いで来るようになった。

上平:あれ出来て、「あそこだ〜!!」みたいになっちゃった(笑)

一作:上平はまだ50代だっけ?

上平:オレ、今年61。

一作:61!?
元々、奈良だよね?

上平:生まれは大阪。両親が奈良で生まれて、大阪に出て来て商売を始めて、

一作:ボンだもんな、一部上場の大社長だから。

上平:上場してないし(笑)


上平諭氏

一作:で、サーフィンはむこうで既にやっていたの?

上平:やってたやってた、伊勢へ行ったりして。

一作:伊勢はいいね。

上平:伊勢にずっと住んでいるプロサーファーがいて、高校の終わり頃からそこへ転がり込んだ。国府の浜って所。
泰介さんも、仕事で、そいつのところに時折訪ねて来たんだよね?

泰介:うん。
大体世代が近い奴はそんな感じで繋がってゆくよね。

一作:でも、泰ちゃんと上平だと10歳違うじゃない。

泰介:一緒だよ。サーファーのコミュニティーからしたら10歳差なんてまるで問題ない。

一作:成る程。
で、実際に会ったのはいつだったの?

上平:お互い随分前から存在は知ってたんだけど、……、泰ちゃんが最初の写真集『サーファーズ』を作る時だったと思う。

泰介:あっ、そうだ。
『サーファーズ』を作る時に、彼の所に印刷を頼んだのね。

上平:15年前。

一作:でも。その前からお互い知っていたと。

上平:泰ちゃんは有名だもの。
ニアミスはこっち来てからも随分していて、湘南へ行って、芝田(満之)のところに行ったり、(大野)薫さんのところに行ったりしていて、「さっきまで泰介いたんだよ」なんて。
でも、結局、本が会わせてくれたということだね。

泰介:おかげさまで、あの本でオレのIDが定着したと云うか。

一作:オレと上平が知り合ったのもその頃じゃなかったっけ?

上平:その前から、広尾の『ケセラ』なんかにミミなんかとお邪魔していて、

一作:ミミ??

上平:いたじゃない、今泉さん、ゲイの、

一作:おお、オカマのミミちゃん!ああ、いたね!
亡くなったでしょ?

上平:ええっ!?そうだっけ?

一作:大体死ぬじゃん、ああいう生き方してると。

泰介:勝手に殺すなよ(笑)

一作:泰ちゃんは、その頃、既にサーフ業界では巨匠だったの?

上平:巨匠!

泰介:ムフフ(苦笑)巨匠じゃないけどさ〜、……、結局、日本で最初のサーフィン雑誌からず〜っとやってるから。4誌くらいは継続して掛け持ちでやっていたからね。

一作:カメラマンとしてはそうなんだろうけど、サーファーとしてはどんな立ち位置だったの?

泰介:だから、サーフィンをしながら写真を撮っていたから。

上平:何があろうと、写真撮ってサーフィンしてる感じ(笑)

一作:レジェンドと云っていい訳?

上平:いい訳(笑)

泰介:いや〜、そんなことないけどね(苦笑)オレはそういうのあんまり好きじゃないから。

◇◆◇◆◇
 泰介本人が気乗りしない称号“レジェンド”。
 昨今のレジェンド過多に対するアンチとしての正直な態度でもあるだろうが、一つのシーンを切り開いた者として、後輩達にそう形容されるのは自然の流れだ。
 定住型のサーファーが主流の時代に、旅をしながら世界中の波を自身の臭覚だけで探り当て、且つ、ビジュアル作品として昇華してきた。
 そんな流れの中、ネット等、到底ない時代の話にトークセッションは移行。そこで浮かんできた3者同様の記憶に刻まれた、“失われたもの達”。
 それは郷愁ではなく、非常に貴重な、“宝もの達”だったと3人は改めて認識する。
◇◆◇◆◇

上平:例えば、泰ちゃんより古くからサーフィンをやってる人がいても、一定の場所から動かない人が多いじゃないですか。それに比べ泰ちゃんは、日本はもとより世界中あちこちに行ってる。当然、その先々に沢山友達もいて。

一作:具体的にどんな所へ行ったの?

泰介:いろんな所に行ってるよ。勿論、ハワイも行ったし。
大体、あの時代って今みたいにネットがないから、地図にダーツでピンっとやってさ〜、「ここ行こうか?」みたいな感じ(笑)
で、波も情報がないと皆目分からないから、行く先々の掲示板みたいなものに手書きで書いてある、「ここに行けば誰それに会える」みたいなものを、「ここに行けば波に出会える」なんて感じに脳内で置き換えてず〜っと旅をしていた。
そういう意味では完全に行き当たりばったり(笑)それで本を作っちゃうんだからいい加減なもんだよ(笑)
今だったら、余計な所は行かなくて済んじゃうんだけど、その余計なところが凄くいいという時代だった。

一作:サーフボード等は送りでやる訳?

泰介:いや、持って行くよ。
だからもう大変なの。カメラ持って機材も持って、ウェットスーツも持って。

上平:寒流の所が多いから、大荷物。

泰介:そう。
日本って安全な国じゃない?でも他の国へそういう貴重品を持って行くと。
東南アジアは、まあ場所による。平和な所は全然問題ないけど、……、カメラって凄く神経使うから。だから海外から帰ってくるといつも日本の治安の良さを実感する。

一作:昔のカメラマンはロケの時、ネガの保存とか凄く神経を使っていたよね。

泰介:うん。
今はデジタルでいいけど、昔はめんどくさかった。

一作:大変だよね。
熱い国へいったらフィルムを冷やさないといけないから冷蔵庫を探して(笑)

泰介:そうなのよ(笑)
今はそういう苦労はないもんね。今、一作に言われて久しぶりにその苦労を思い出したよ(笑)

一作:そうか、今はフィルムにまつわるその辺の逸話はないんだ。

泰介:うん、ない。
その辺の話をしても、若い奴らはピンときてないもの。

一作:オレの場合は、『SWITCH』の海外取材まではフィルムだったから、直さん(松本直明)が冷蔵庫に、

上平:X線の時はバックに入れて(笑)

泰介:あれがね、撮った後のストレスなのよ。
それが原因で感光しちゃったり、

一作:映ってないとかさ。

泰介:そう。
だからさ、今の時代、そのストレスがないということは幸せだよね。

上平:撮った後、パソコンに取り込んだら略終了だもんね。

泰介:そう。
ガハハハハ(急に爆笑)

一作:ガハハハハ(つられて爆笑)
「もう終わり」って!?

泰介:今のカメラマンは楽してるよな(笑)

一作:(進行役にむかって)イラストレーターも、今はデーター入稿とかもあるんでしょ?

ラジオアダン:ええ。編集者と顔を会わさないで終了なんてことも多々あります。

泰介:小説家もそうなんですよね。
編集者と呑みに行く機会が減ったから、昔みたいにハチャメチャな人がいなくなった。

一作:オレは未だにパソコンにシフトしてないから(笑)

ラジオアダン:とはいっても、最近、原稿はWordファイルで入稿しますよね。非常に助かります(笑)

一作:2人には分かり難いだろうから説明するけど(笑)
1回手書きで原稿を書いて、デジタルで打ち込んでもらうスタッフに渡して、それを送るということだね。

上平:成る程。

一作:その過程に誤字を直したり校正したり。だから、何回もスタッフに送ってもらって見て直してってやり方だから結構手間がかかるんだ。

泰介:なる程ね。
でも、思えばなくなったものは沢山ありますよね。デザイン事務所で箱形の黒い幕の、

上平:トレスコね(笑)

泰介:あれもうないじゃないですか。紙焼きなんかするね。

ラジオアダン:同じくデザイン関係だと、写植屋さんもなくなってしまいました。

一作:でも、アナログでの行程的な苦労はいつの時代でもした方がいいよ。

上平:もの作りのプロセスね。

泰介:ボクはキャリアの初期、水中で写真を撮っていたんです。今は完璧にその表現からはリタイアしていますけど。
水中で撮影していて、フィルムって36枚で終わりだから、撮り終わるとまた岸まで戻って行く訳です(笑)遠くから戻ってまた行ってまたフィムが切れて(笑)
今はデジタルなんで枚数制限なんてまったく関係ないですからね。

一作:泰ちゃんの旅で多く行ったのは、東南アジアだとやはりバリ島だったのかな?

上平:今でも行くもんね?

泰介:バリはあまりに有名だけど、フィリピンとかタイとか。プーケットもオレはかなり早い時期から行った方だと思う。

一作:プーケットのどこに行ったの?

泰介:プーケットはね〜、カタビーチやパトンビーチ。
でも結局は、飛行場の横に気になる所があって、地元の漁師さんに、「あそこへ連れて行ってくれないかな〜」なんて頼んだら、皆、凄くいい人達で、

一作:カタなんて波立っていたっけ?

泰介:雨期に行くと風の影響で波が立つんだ。大した波じゃないけどね。
でも、飛行場の横は凄くいい波が立ってる。
サーフィンに限ったことかもしれないけど、旅ってそういう予期せぬ出来事みたいに波が荒れているのを見つけるのが楽しんだよ。

一作:オレがプーケットへ行ったのはCAYをやる前だから、……、84年くらい。もう33年前になるのか、……、リサーチという便利な名目で(笑)、

泰介、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:オレと亡くなった(宮川)賢(左衛門)さんと、「タイ料理のレストランをやろう!」なんて言ってさ、プーケットのカタの向うにさ、……、

泰介:一杯小さなビーチがある。

一作:崖を登って行くと、……、ノイだ。
ノイって“小さい”って意味なんだけど、そこにコテージがあって。
ヨーロッパから来たヒッピーが沢山集まっていて、電気もなくてトイレも海で済ます感じで、あるのは煙の出る例の嗜好品だけ(笑)正に、デカプリオの『ザ・ビーチ』。
実はオレ、あの映画が大好きでさ(笑)あの時代、タイにパラダイス求めて旅をしてる人達が沢山いて、勿論そんなものはなくて帰ってくるんだけど、その雰囲気が如実に出ていて。馬鹿な奴らが一杯いたからね(笑)

泰介:50年代後半の初期サーファーって、大体行く所が決まっているんだよ。
まずタイに行ってバリに行ってインドのゴアにってコースで、ゴアもサーフィン出来るから。
そういう三角形をグルグル廻っていたんだ。

一作:そういう意味ではサーファーもヒッピーも行動範囲は一緒なんだね。

泰介:うん。その年代のヒッピーの人達は海に住むことが多かったしね。
そんな旅の中、カメラを持っている奴はその旅を記録して、それを切っ掛けにカメラマンになった人も一杯いる(笑)

一作、上平:(具体的に顔が浮かんだのか?急に)ガハハハハ(爆笑)

一作:実際、泰ちゃんはいつから写真を撮り出した訳?

泰介:ボクは最初は写真じゃなかったから。

ラジオアダン:ということはサーフィン先行でとか?

泰介:ボクは最初、サーフィンの映画を作りたかったんです。

◇◆◇◆◇
 この、一作からの金言的質問により、トークセッションの向かう方向は激変を見せる。
 なんと、以降の舞台は、時代劇映画の総本山、京都/太秦!
 実は写真家、横山泰介の創造の原点は、映像、映画にあった!
 更に、本日のトークセッションの重要な鍵を握る3レジェンドのうち、1番意外なリアルレジェンが素晴らしい逸話と共にここで表出する。
 そのレジェンドのコードネームは“マイトガイ”!!
◇◆◇◆◇

泰介:写真を撮りだす前、友人がアメリカから16ミリを輸入して、近所のサーフショップを拠点にサーファーを集めて、

上平:上映会?

泰介:そう。
公会堂等で。50人とか集まる感じで(笑)
それが、段々、規模が大きくなって、大阪では、

上平:中之島公会堂(正式名称/大阪市中央公会堂)?

泰介:うん。
あそこは500人ぐらい来ちゃって(笑)

上平:東京だと九段会館。

泰介:そうそう(笑)

ラジオアダン:上映内容は、インディペンデントなサーフフィルム作品ということですか?

上平:うん、今で云うインディペンデント作品だね。

泰介:海外にはその手の作品が一杯あったんです。

一作:それ、いつぐらいの話?

上平:70年代前半とか?

泰介:そう、そのくらいだね。

ラジオアダン:その手の作品を沢山見て、「自分でも撮れるんじゃない?」なんて感じで?

泰介:うん。
これなら、「自分でやった方がいいな」って思って、撮影所に入ることにしたんです。
暫くやっていたら、ちょんまげものをやらされて(笑)最終的には、「太秦行って『子連れ狼』やってこい!」なんて言われて(笑)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:泰ちゃん、下積みやってたの!?

泰介:2年くらいね。(ぽつりと)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:えっと、『子連れ狼』ということは、主演は、……、

泰介:萬屋錦之介。

一作:凄いね〜(笑)

泰介:ボクはカメラのセカンドですから先輩が脅かすんですよ。
役者さんとの距離をメジャーで測るんですけど、「お前さ〜、少しでもメジャーの先が身体に触れてみろ、その場で即クビだからな!」なんて言われて。
こっちは波乗りしたいのに、徒弟制でなかなか辞めさせてくれないから、病気になっちゃって、それで強引に辞めたの(笑)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

泰介:でもね〜、凄くいい経験もしました。
今、現場で何があっても動じないのは、撮影所で鍛えられたからだと思うんです。蹴られたり殴られたりするのは普通でしたから。今、同じことしたら訴えられちゃうよね(笑)

上平:完全なパワハラ(笑)

泰介:うん。
それが許された最後の時代だろうな〜、ボク達が。

ラジオアダン:何て言ったって太秦ですものね。

泰介:「お前、太秦に行ってこい!」と言われた時は、瞬時に、「もうやめよう」
と思って、第一、京都って海がないじゃないですか。
ワンクールが終わるとボクはすぐに家へ帰りたいんですけど、先輩達はゴールデン街で呑みたいんです。それで付き合わされることになる。

一作:映画が斜陽になっていたあの時期ね。

泰介:そう。
先輩達が行く店っていうのは、大体、映画関係の、……、要は、業界のOBとか奥さんがやってる店。
で、そこでなにが始まるかって言うと、またまた映画談義。しかも最後には喧嘩になっちゃうから。

一作:あれね〜、オレ、あれ凄く嫌でさ〜。

泰介:殴り合いの喧嘩なんてアホらしいですよ。オレはひたすら、「帰りたい…」って思ってた。

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:その喧嘩も、やっぱり芝居じみてるんだよね(笑)

泰介:オレなんて、チーフが相当酔ったまま全力で走り出すから、「危ない!」って思って身を呈して止めたら、足の指の骨を骨折しちゃって、「お前がよ〜!」なんてオレのせいにされちゃって(笑)
まあ、そんなことで鍛えられたのかな?

一作:皆、下積みがちゃんとあるんだね。
修行って云う程のものじゃないけど、オレにも嫌な時代はあったよ。

泰介:一作にも嫌な時代なんてあったの?

一作:そりゃ〜、あったよ。

泰介:絶対なさそうな感じだけどな。

上平:初代『クーリーズ・クリーク』の前?

一作:うん、そう。
だから、「クーリーで、なんか面白いことやりたいな」ってことだね。
嫌〜な時代だね。上平はそんな時代ないでしょ?

上平:何、言ってるの(笑)あるよ、オレにも!

一作、泰介:ガハハハハ(爆笑)

一作:ボンだからないかと思ってた(笑)

上平:オレの場合、大阪にいて、親父に、「東京でやってこい!」って放り出されて。

ラジオアダン:先代社長に、「東京で修行してこい!」と?

上平:あれは修行じゃないな〜。
親父は1回、東京へ出て来て失敗して、大阪に撤退したことがあるの。
だから、オレを鉄砲玉にして自分のリベンジをさせようと(笑)

一作、泰介:ガハハハハ(爆笑)

上平:こっちは、東京なんて右も左も分からないから、親父の知り合いの神保町の錦明印刷、新潮社の下請けなんかをやっていた会社なんだけど、そこに間借りさせてもらって、3人ほどで細々と始めてさ、

ラジオアダン:東京分室的な?

上平:うん、正にそんな感じ。
その頃の神田って一升瓶を片手に版下引いちゃうようなおっさんもいてさ、結構、豪毅な人が多くて厳しいながらも楽しこともあったよ。

一作:それ、いつくらいの話よ?

上平:千九百、……、83〜4年だね。

一作:オレがCAYの準備していた頃か。
泰ちゃんの修行時代は、「これから映画の世界はどうなるの?」なんて、日活が終わった頃でしょ?

泰介:ボクなんて丁度、……、日活の大スターで小林旭さんっているじゃないですか?
この間、あの人の撮影をしていて、

上平:小林さんは泰ちゃんの作品展の時には必ずお花を届けて頂くんだけど、どん引きするくらい強力に豪華なのがくる(笑)

泰介:素晴らしい人ですよ。
「日活に撮影に行くから付いて来て」って言われて、ご本人とお付きのような日活の宣伝マンの方と一緒に食堂なんか行くと、あの人専用の椅子がある。
そんなだから、当初は、こちらの要望などを伝えるのも憚る距離感だったんだけど、撮影も終盤になってくるとやっと会話もスムースに出来るようになってきて、撮影所のスタジオの外には決まってはしごみたいな非常階段があるんだけど、昔のアクション映画は、よくそんなはしごを登るシーンがある。それをイメージして、「旭さん、すいません、このはしごを登って頂けないでしょうか?」ってお願いしたら、「ああ、いいよ」って登り出す。あの人は凄い俳優なんで、登りながらちゃんとピシッとポーズを作ってくれる訳です。
そんな感じで撮っていたら、急にオレの後ろを通り越して、「おお!元気かよ〜!?!?」って大声で誰かに呼びかけているんですよ。「誰だろう?」と思って振り返って見たら(ビート)たけしさんが直立不動で立ってるの(笑)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

泰介:そしたら、宣伝マンの人が小声で、「たけしさんに今ものを言えるのは、小林旭さんくらいですよ」って(笑)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:そういえば、昔、東京スカパラダイスオーケストラとジョイントした時に、スカパラのメンバーの皆さんが、異口同音に小林旭さんの人柄を絶賛していました。

泰介:あったね、ボク、あの時の『自動車ショー歌』が大好きで、その話も旭さんとした。
「あいつ等を銀座に呼んだんだ」ってところから始まって、「オレは名前覚えるのがめんどくさいから、『ギターのやつ』とか『ベースのやつ』とか呼ぶんだけど、『ボクだって名前くらいあるんですから』って言いやがって、『いいんだよ、お前はギターなんだからギターでいいんだよ』」って(笑)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

泰介:これ後日談があって、実は旭さん、全員の名前は覚えていたんです。そのくらい優しいめちゃくちゃかっこいい人です。
昭和の大スターだからね。昔の写真がまたかっこいい!
ロスで撮った写真、たまげちゃいますよ、あまりのかっこよさに。
(一作に向かって)話がこっちに飛んじゃったけど大丈夫?

一作:全然問題ない(笑)

泰介:じゃ〜そのまま続けるよ(笑)
ライブ前に音合わせを全部するじゃない?この時はスクリーンに、『渡り鳥シリーズ』の映像を投影して、それに生バンドが同期するという企画だった。当然、難度が高くてリハーサルを何度もやり直したりする、と、「もういいんだよ、やめれば」って(笑)
それで、「ギターのやつ、お前、音がはずれてるよ」なんて音楽的な指摘もする。耳がめちゃくちゃいいんです。ギタリストも、「すいませ〜ん!」なんて言って(笑)

一作:美空ひばりの元旦那だもんな(笑)

泰介:「オレはもうやめてもいいんだぞ!」なんて言うくらいに緻密にライブを作っているのに、全てが終わって幕が降りた時、クルっと後ろを向いて楽団に深々とお辞儀をするんです。オレは舞台の袖で撮影してるんだけど、鳥肌が立ちました。
かっこいいです、最高です。

一作:やっぱり凄いよね、あの時代の大スターは(笑)

◇◆◇◆◇
 流石、マイトガイ!!これぞ極上の“いい話”!
 こうなったらどんどん行きましょう!横山泰介が選ぶリアルレジェンドその2。
 さて、次に登場するレジェンドは、実は、一作も長く追求してきたハワイの土着魔力が深く混在する人物である。
 第2のレジェンドは、日本にも縁深く、ポリネシアとハワイを繋ぐ伝説の舟、ホクレア号のクルーでありリアル・シャーマン、その名は、タイガー・エスペリ!
 お時間まで、ごゆっくり伝説を堪能ください!
◇◆◇◆◇

一作:タイガー(・エスペリ)は何年くらい日本に住んでいたの?
ずっといたの?

泰介:一時ずっといたよ。
ほら、ベース(基地)で奥さんが働いていたから。
丁度、オレ、実家に帰っていて借家が空いてたから、当初はそこに泊っていて、いろんな所を見た後に、「じゃ〜、七里ケ浜住むよ」ということで七里ケ浜に住むようになった。

ラジオアダン:素朴な質問で恐縮です。
その、タイガーさんとは何者ですか?

一作:タイガー・エスペリっていって、チャンタだったの。

上平:カメハメハ大王の末裔にあたるんだよな。

一作:フラをやるためのチャントを作る人。

泰介:あと、伝説のビックウェーバーで、

上平:サーフィンが凄く上手い。

泰介:ホクレア号って舟があるんですけど、あれでタヒチまで行ったクルーの一人なんです。
ですから、ハワイではかなりのレジェンド。

ラジオアダン:例の、星を頼りに航海するという。

泰介:そうです。
ホクレアが日本に来た時は、タイガーは既に亡くなっていたんだけど、横浜に向かう途中、わざわざタイガーが住んでいた鎌倉に舟は寄ったんです。

上平:オレも何度か会っているけど、なんか日本人顔してるんだよな(笑)

ラジオアダン:チャントを作られるということは、詩人であり、ミュージシャンであり、僧侶でありみたいな存在だった?

泰介:一言で云えばシャーマンということですね。実際、おとうさんもシャーマンだったし。そういう力は授かっていた。

一作:ミュージシャンとは違うよ、シャーマン。そこは絶対に分けないと。
ミュージシャンはあくまでもミュージシャンなんだ。
例えば、フラマスター、クムフラになっている人は、勿論、唄うけれど、それはまた違うんだ。まあ、ケアリイ・レイシェル等はミュージシャンでクムフラもやっているけどね。

泰介:もともと、お父さんがシャーマンだったから、家庭自体がね、

ラジオアダン:伝承文化?

泰介:そう。
ハワイアンはそうしてみんなやってきたんだよ。
まあ、凄い人だったよ、全部、“GIVE”の人で、一切、“TAKE”じゃない。

一作:それが素晴らしいよね。

泰介:元々、ハワイの波乗りは王様達、貴族の、

上平:遊びだった?

泰介:うん……、……。
日本でいう相撲みたいなものかな?国技。

ラジオアダン:神事とスポーツをコンフューズさせて、

上平:宣教師がハワイに渡って来て、波乗りを始めると楽しすぎて本来の使命を果たさなくなったから、「サーフィン禁止」とか言い始めたらしいよ、歴史を紐解くと(笑)

ラジオアダン:ベンチャーズ来日時の日本での「エレキギター禁止」みたいですね(笑)

上平:そうそう、学校、強制退学みたいな(笑)

ラジオアダン:さらに紐解くとサーフィンの発祥はどこなんですか?

泰介:元々はポリネシア、あの辺の文化でしょうね。
元々、ハワイの人達はポリネシアから来たし。

上平:うん、ポリネシアピープルの海の遊びの一つじゃなかったのかな〜?

泰介:その繋がりを証明したくてホクレア号がタヒチへの航海に出た訳ですから。

一作:タイガーに話は戻るけど、オレが泰ちゃんから購入したタイガーの崖っぷちの写真作品、あれはカウアイだよね?

泰介:ああ、あのタイガーさんの写真ね。
うん、カウアイの突き当たり。ハエナ。

一作:あそこを上がって行くと崖っぷちにフラの聖地がある。
そこで、サンディーは、最後、クムフラになった訳さ。

ラジオアダン:一種の密教ですね。

泰介:あそこだけですよ、タイガーさんが撮影NGを出したのは。

一作:だから映像、画像の記録が残ってない。

泰介:昔はそこへいって、「君の踊りはダメ」なんて言われたら崖から飛び降りて死なないといけなかった。

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:唯一、泰ちゃんが撮ったのが、そこの崖の下。

泰介:本当にそうだったらしいですよ。
そのくらい厳しい。フラはエンターテーメントではないんです。

一作:フラカプって言ってさ、フラマスターになる人は禊をするための場所に隔離される。そこから、さっき言った場所に行ってやる訳。
3ステップあって3回とも同じ手順なんだけど、取材で行ったオレには誰も隔離されている場所を教えてくれない。

泰介:ふぅ〜ん、凄いね。
そのくらいじゃないとダメなんだろうね。

ラジオアダン:今、急に、青春時代貪り呼んだ、名著『ドンファンの教え』が緩く感じてきました(笑)

一作、泰介、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:あれはメスカリンね。

泰介:カルロス・カスタネダ(笑)
でも、あれは、読書後、飛ばされましたよ。

一作:やっぱり、フラやサーフィンのディープな場所は、それなりの姿勢で行かないとダメだね。

上平:ちゃんとしてないと後でくらうんだよね(笑)

泰介:後でね(笑)本当に(笑)

一作:後でくらう(笑)

◇◆◇◆◇
 稀人についての話は本当に面白く、そして楽しい。
 アダンの美味しい酒と肴の勢いか?泰介は誘導するかのように、更なる稀人、あのワールド・レコーダーの世界へ、遂に間口を開ける。
 筆者は勿論、名作映画『グラン・ブルー』から、その存在を知り、別次元の存在として勝手に崇めてきたが、今夜の真打ち第3のリアルレジェンドは至近距離でいかなる人物だったのだろうか?
 斯くして、その果てに、このトークセッションのキーワード、“メッセンジャー”という新たなアートの予兆が、タームとして謀らず立ち現れる。
 本日の最終コーナー。日常に溺れる相田みつを信者達よ!3者の終宴への発言を心して訊け!
◇◆◇◆◇

泰介:あと、何か訊きたいことある?

上平:やっぱり、ジャック・マイヨールの話じゃない?

一作:最初は仕事が切っ掛けだったの?

泰介:たまたま、『ダイビングワールド』っていう媒体でインタビュアーをやって、いていろんなダイバーに話を訊いていたんだけど、「ジャックが日本に来ている」ってことで、伊豆に行って。オレ、昔から彼のこと好きだったから。
『グランブルー』が出る前。「こりゃ〜嬉しいな」と思って会いに行って、やっぱり思った通りの人だった。
『翼の王国』ってあるじゃない?

上平:全日空のね。

泰介:うん。あの仕事もしていたんですよ。
その時に、粕谷誠一郎さんって編集者分かる?
彼が、「今度、ジャック・マイヨールをやりたいです」って言って来て、「そうなの?」って。

一作:粕谷さんってマガジンハウスにいた人だよね?

泰介:そう。
その後に、『翼の王国』の編集長になった。

一作:森永博志さんもやっていたよね。

泰介:うん、オレ、一緒にやっていたよ(笑)
で、『翼の王国』でのテーマというのは、ジョジョっていうイルカがいて、本来、イルカは一匹では生活が出来ないんだけど、なぜかジョジョだけは一匹なんだよね、離れイルカなの。
それをどうしても取材したいってことで、ジャックもその話には興味を持っていて、OKが出て、「ジャックとジョジョを探しに行く旅」ってことで取材が始まった。
それが、ジャックとは2回目のコンタクトになる訳なんだけど、一応、自己紹介して、「あの時、伊豆で会いましたね」って切り出して、「ああ、そうだったね」ってことで再会した。

一作:やっぱり、何事も出会いだよね。

泰介:あの取材はあれで凄くよかった、いろんな経験が出来たしね。

一作:例えば?

泰介:やっぱり、改めて思ったのが、ジャック・マイヨールって記録を樹立した人だからさ、人間なんだよね。
ボク、人間が好きだから強く感じるのかも知れないけど、いろんな人がいる中で、陸の上の人間と比べて、海の中の人間、自分の中に入って行く人間のギャップの大きな違い?それが凄かった。
陸の上で会う彼は、本当に典型的なフランス人然としていて、女性が大好きだし(笑)勿論、ピアノも上手に弾けるし、お酒も好き。
だけど、ひとたび自分が潜る段になると全然違うオーラ。それは当然なんだけどさ、そこまでの変容で、「世界で一人しかいない人間だ」って理解出来た。
ヨガをやったり集中している時に、フィルムの時代だから、カシャって音がどうしてもしてしまって、いくら2回目といえ、写真を撮る時に嫌な顔もされていたんだけど、何度も何度も撮影をするうちに、「お前は便所でブンブンオレの周りを飛ぶハエだ!」なんて言い出して、オレはそこで、「しめた!」と思った(笑)それからだよ、ガンガン撮れるようになったのは。
今はデジタルだからシャッター音を消音設定にすることも出来るけど、アナログ時代だから起こりえる逸話だよね(笑)
で、仕事はカラー写真だから、仕事とは別に自分が好きなモノクロも平行して撮っていて、今、出版しているものの殆どはその時のモノクロの写真。
ジャックは来日すると、千葉の館山に住まわれている数少ない信頼している日本人ダイバーの方のお宅によくいて、ボクは自分のプリントした作品を持って行く訳。
「おおっ!!」なんて見てくれるんだけど、ボクは、「ジャック、この写真はどんな感想を持つかな?そのイメージを文字で書いてくれないかな?」なんてアプローチをして、

一作:そうか、それでメッセージが入っている訳か。

泰介:そう、ジャックが書いてくれた訳。だから、ボクに執っては凄い宝物なんです。
そんな感じで何枚も何枚も持って行って、その都度ジャックに、「これはどんな感じ?」って質問して、「これはこんな感じだよ!」と。
そういう意味なら、ある種、ボクをジャックが使って、ボクはメッセンジャーなんですよ。
とはいえ、ジャックは当然、自身のメッセージの吟味に対しては非常に厳しくて、インタビュアーがいる席にも同席したことがあるんですけど、「君はボクの本を読んでどのくらいボクを理解出来ているの!?」なんて、平気で言っちゃう人だから(笑)

一作、上平:ガハハハハ(爆笑)

泰介:生半可な知識に対しては怖い人なんですよ。
それは、自分に自信があるから。そりゃ〜そうですよ、レコード作った人ですから。
だから、ボクは一生懸命、「これは、これこれこういう風に使いたい」とちゃんと言わないと許してくれない(笑)
それで、「あなたのメッセージは素晴らしい、これは今後、世界中の人達に発信する写真に相応しいメッセージなので許可を頂けますか?」と説明すると、「分かった、使っていいよ」って、やはりああいう人っていい意味でうるさいですから。
ですから、ボクはメッセンジャーとして彼に認知されたことは非常に誇りです。
それは前述したタイガーもそうです。
彼みたいに自然の中にいた人は、当然メッセージを持っている。
だから、最近はフォトグラファーでいるよりメッセンジャーでいいのかな?と。

ラジオアダン:明確なメッセージを持って行かないと許諾が下りないとは、強靭な純コンセプチャルアートですね。

泰介:うん、「彼等のメッセージがないと」と、ボクは思うんです。
だから、彼等もボクをいい意味で利用しながら自分達の想いを。上手く伝えるにはやはりビジュアルは大切ですから。
ですから、そこでボクが選ばれたことは、「嬉しいな〜」って勝手に喜んでいるんですけどね(笑)

ラジオアダン:素晴らしいお仕事だと思います。

泰介:それは、今になって彼等のメッセージが更に生きてきたからです。
自然がこれだけ破壊されて、究極的には皆が望むところは美しい自然じゃないですか?実際の彼等の言うことは太古から全く変わってない。
「もうちょっと自然に寄り添って」というメッセージ。

一作:メッセージ性の高い制作物は今こそやった方がいいよ。
……、やばいもの(ぽつりと)

ラジオアダン:日本画や中国画にも昔から文字が添えられた作品がありました。

泰介:うん、禅の言葉とかね。

一作:キレがよくてシャープなのは凄くいいんだけど、……、それがさ、……、下町の居酒屋とかに、……、

上平:相田みつを?

一作、泰介:ガハハハハ(爆笑)

一作:オレ、あれ苦手なんだ。

泰介:うん、あれなら、武者小路(実篤)さんの方がいいけどな〜。

一作:武者小路の方が全然いいよ!

泰介:ですよね。
いろんな所に色紙があるけど、あの人の場合は読むとホッとします。

一作:実篤はいいよ。
オレ、山口の田舎を出て東京に来た時、おふくろから実篤の本が送られて来たけど(笑)

泰介、上平:ガハハハハ(爆笑)

一作:オレ、フーテンの寅さんと実篤はなぜだか好きなんだよ(笑)

泰介:ボクも好きです(笑)
やっぱり相田みつをじゃないんだよ。

一作:そうなんだよね、ダメだよな。

上平:オレもダメだな(笑)

全員:ガハハハハ(爆笑)

上平:大体、居酒屋のトイレにあって、日めくりのね(笑)

全員:ガハハハハ(爆笑)

一作:オレ、下町のおばちゃんとかを騙したくないな(ポツリと)

泰介、上平:ガハハハハ(大爆笑)

一作:なんか変な所に帰着しちゃったけど、この対談はいつもそうだから気にしないでね(笑)
また次回、葉山辺りでこの続きを話そうか?(笑)
今日は忙しい中来てくれてありがとう。

泰介:ごちそうさまでした。

上平:ごちそうさまでした。

◇◆◇◆◇
 〜仲よき事は美しき哉〜
 〜君は君 我は我哉 されど仲よき〜
 近日、地元葉山での再会を約束し、楽しき宴の幕は降りる。
 又しても、究極のファイナルアンサーへの便利な近道等どこ吹く風に無軌道に蛇行したフリーキーなトークセッション。
 とは言え、今回、語られた3偉人の逸話にインスパイアされた読者も多数いるのでは?
 人生はやはり出会いである。そして、その出会いを呼び込む準備が大切だ。
 では、その準備とは?
 そんな都合よく確定された準備など、どこにもあるはずがない。
 なぜなら、人生の殆どの出来事なんて、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト


横山泰介/プロフィール
1948年 東京生まれ、葉山町在住。写真家。
大学時代に撮影した稲村ヶ崎の波の写真がきっかけとなり、写真家の道へ。
以降、30年近くサーファーのポートレートを中心に作品を発表し続けポートレートカメラマンとしてサーファーのみならず、ミュージシャンやアーティスト、ハリウッドスターまで、これまで数多くの有名人を写真に収めてきた。どの作品からも、海、自然とのつながりと安らぎをみいだしている。自身もサーファーであり、「サーフィンライフ」誌のシニアフォトグラファーも務める。
写真集「サーファーズ」(マリン企画・2003年刊)、写真集「坂口憲二」(ブックマン社2003年刊)、写真集「海から見たニッポン」(えい出版2009年刊)、
写真集「Dedication」(ブエノブックス2010年刊)、写真集「サーファーズ」(ブエノブックス・2017年再刊)、写真集「サーファーズⅡ」(ブエノブックス2017年刊)。
風刺漫画の横山泰三氏を父に、「フクちゃん」で知られる国民的漫画家の横山隆一氏を伯父にもつ。
 

上平諭/プロフィール
Bueno!Books代表/プロデューサー。
1956年、大阪市生まれ。1973年 伊勢 国府の浜でサーフィンを始める。
大学卒業後、1983年企業カタログを軸とする大伸社に入社。2000年、(株)大伸社 代表取締役社長就任。
2003年、横山泰介氏の写真集「サーファーズ」の制作に携わったことをきっかけにサーフアート、ボードカルチャーブックの制作、出版をスタートする。2004年、Bueno!Booksを立ち上げる。
社屋併設のSLOPE GALLERYにおける企画展をはじめ、数々のエキジビジョンを仕掛ける。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。