「連載対談/『酔談』vol.6」ゲスト:ゴトウゆうぞう氏 飛び入りゲスト:今村仁美氏 ホスト:河内一作
「連載対談/『酔談』vol.6」ゲスト:ゴトウゆうぞう氏 飛び入りゲスト:今村仁美氏 ホスト:河内一作
“酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
さて今回のゲストは、ライブ活動のため京都より上京中の、音楽ジャンルはもとより、その広域な表現形態は演芸をも含む、正に大衆芸能の総本山、ゴトウゆうぞう氏(以下敬称略)をお迎えし、6年振りとなる待望のニューアルバム「ぼくらは、ファミリー」の制作裏話等を中心に大いに語ってもらうこととなった。
さて、ここ泉岳寺「アダン/特別室」に限らず、多くの場面で昨今はよく見かける、一作、ゆうぞうの2ショットだが、実はその出会いを両者ともあまり語ったことが無い。
まずはその辺から2人に紐解いてもらうことにしようか。
◇◆◇◆◇
河内一作(以下一作):飲み物から頼もうか?
ゆうぞう、何飲む?
ゴトウゆうぞう(以下ゆうぞう):お生のビールで。
一作:ジョッキでしょ?
ゆうぞう:じゃ~、ジョッキで。
一作:一杯食べようね、一杯食べて飲んでの会だから。
ゆうぞう:そのつもりだったんですけど、昨日飲み過ぎてしもうて(苦笑)
一作:昨日はどこで飲んだの?
ゆうぞう:昨日はゴールデン街です。
一作:ゴールデン街行った!?(笑)
メンバーと?
ゆうぞう:いやいや、オレだけ。
一作:ライブがあった土曜日は、その後どうしてたの?
ゆうぞう:土曜日は適当に、ライブの後は、皆フラフラやし。
ラジオアダン:あっ、ゆうぞうさん、写真的にお席こちらでお願い出来ますか?
ゆうぞう:あっ、こっちがいい?
ごめんちゃいちゃい チャイコフスキー~。
一作:ガハハハハ(爆笑)
関西だよな~(笑)
ごめんちゃいちゃい チャイコフスキー~。
※ここから暫し一作、フードのオーダーに集中し、話に参加せず
ラジオアダン:「わり~ね、わり~ね、ワリーネデートリッヒ」系統のギャグですね(笑)
これは、小松政夫さんでしたっけ?
ゆうぞう:知らねぇ~な、……、伊東四郎さんちゃう?
※ 伊東&小松の共作が正解
だから、昨日は飲み屋営業なんですよ。CD持って、チラシと。
ラジオアダン:演歌歌手の方達がやるやつの変形というか?
ゆうぞう:昨日も3軒廻って、ようけこうてくれるし、皆ちやほやしてくれるし(笑)
ラジオアダン:それでは自分の都合では当然帰れない(笑)
ゆうぞう:朝方になってしまった……。
久々に、朝方に電車に乗ったらきっちり寝てしもうて、中央線の訳分からん所に行ってしまって(苦笑)
ラジオアダン:八王子とか?
ゆうぞう:うん、その手前(苦笑)
ラジオアダン:因に一作さんとの2ショットは、わたし的にはよく見かけますが、本当の最初はいつだったんですか?やはりネーネーズ絡みで?
ゆうぞう:あっこでしょ?恵比寿の、
一作:恵比寿と云うか、広尾の「ケセラ」だよ。
(宮川)賢(左衛門)さんがライブとしてゆうぞうを突っ込んで。
そういう意味では前回の続きでもあるよね。
前回は、オレのキャリア的には「CAY」までで話は略終わったんだけど。
前回はゆうぞうより1クール若いオーガニック系にいってる2人と、この対談やったんだけど、1人は喜納昌吉さんと旅をしていた片岡くんで、もう1人が憂歌団のメンバー等と親しい洋服屋の社長でサーファーの橋本くん。
ゆうぞうがネーネーズの東京初ライブのサポートメンバーとしてやったのは何年になるのかな?
ゆうぞう:91年の、……、秋ちゃうかな?
※ 正解は1991年5月7日
河内一作
一作:この前の対談の一つのテーマとして“88年が境”というのがオレの中にあって。要は、それを境にオレはCAYを出て旅をしていて、まあ、日本に帰ったり出たりを繰り返していたんだけど、その頃にネーネーズがCAYで初ライブをやった。
ゆうぞう:あれはアジアをテーマにした3本立て(1991年5月6,7,8日の3DAYS『関西・沖縄・ジャワNITES』)で、初日が桜川唯丸(&スピリチャル・ユニティー)やって、最終日がヘティ・クース・エンダン(&カテゥリスティワ)やって、中日がネーネーズ(&スピリチャル・ユニティー)やったとちゃうかな?
ラジオアダン:わたしもあのライブの衝撃は未だ記憶に鮮明なのですが、一作さんの率直な感想はどうでした?
一作:いや、だから見てないの……。
丁度、どっかへ行っていた。
ラジオアダン:残念ながらそこですれ違っていた訳ですね。
で、ケセラということは、90、
一作:もう、大分後だよ、……、あのね1999年に三田「アダン」をオープンさせたから、それの5年前、
ラジオアダン:94年。成る程。
一作:その前に(ゴトウゆうぞう☆ ・)ワニクマ(・デロレン)で見ていて、……、あれ、スピリチャル・ユニティーじゃないよね、ワニクマだよね?
ゆうぞう:一緒だけどね(笑)
一作:思い出した。ラフォーレミュージアムで見たんだ。
ゆうぞう:ラフォーレ、あぁあぁあぁあぁ~、なんかやったな~。
一作:やったやった。
フルバンドで、ワンマンで。
ゆうぞう:全然覚えてない(苦笑)
一作:覚えてない?(苦笑)
ラジオアダン:沢山ライブやってますもんね。
ゆうぞう:そないにはやってないですけど、大分、もう頭がね~(笑)
大分ぼけたんです、オレも(笑)
皆もそうだと思うけど、ボケは直らんし(笑)
ラジオアダン:その頃のワニクマと今とではかなり違いましたか?
ゆうぞう:うん、演芸色が強かった。
前は演芸7、音楽3くらい。
それやっぱしんどいから、音楽8、演芸2くらいですよ、今は。
ラジオアダン:さっきもありましたが、ワニクマとスピリチャル・ユニティーの正確な境界線を教えて欲しいのですが、
ゆうぞう:だから、オレがフロントに立ってリーダーをする時はワニクマで、会長こと佐原(一哉)くんがリーダーで、誰ぞの伴奏しに行く時はスピリチャル・ユニティー。
一作:メンバーも、
ゆうぞう:殆ど一緒、というか、全部一緒(笑)
同じバンドで名前が違うだけやもん(笑)
一作:ガハハハハ(爆笑)
(カメリア・)マキちゃんが入ると名前が変わるよね?
※ 「ゴトウゆうぞう☆ ・ワニクマ・デロレン&マキ」
ゆうぞう:うん。
マキちゃんとは、90、……、……、90、……、90、……、2、3、4、5、6、7、8年くらいからですね(笑)
一作:ガハハハハ(爆笑)
ラジオアダン:マキさんはギターも激上手いし美貌も兼ね備えていて、以前はガールズバンドのフロントとかやっていたんですか?
ゆうぞう:いや、マキちゃんはずっとギタリストです。
ラジオアダン:マキさんが教則本出すのは非常に理解出来るんです。クオリティーは勿論、正に指運が教科書通りで綺麗なんですよね。
ゆうぞう:あっ、ほんま、へぇ~。
オレその辺よう分かってない(笑)
ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)
ゴトウゆうぞう氏
◇◆◇◆◇
6年振りにリリースされたニューアルバム「ぼくらは、ファミリー」。
今回の制作コンセプトを大まかに言えば、~過去、ゴトウゆうぞうがサポートメンバー等、自身に深く関わりがあったアーティスト達のキラーチューンを再構築した~ 等となるのだろうが、そんなデーターベース等どこ吹く風で、一作には一作独特の訊き所が数多くあるらしく、そのための導入部として(?)同作品の帯コピー文を感情込めて急に読み出した。
さて、それに対する、ゆうぞうからのアンサーとは?
◇◆◇◆◇
一作:この対談連載は、ミュージシャンが来てくれてもあまり音楽の話はしないで、飯の話や諸々雑談に終始するんだけど、今日はゆうぞうのニューアルバムが出たばかりだということもあって、その辺、敢えて話したくってさ。
ゆうぞう:成る程。ありがとうございます。
一作:(いきなり新譜の帯のコピーを本気で読み出す)~ジミクリ3年ボブ8年。スラロビすんだらその先に、菊水丸さんが待っていた!!~
このくだりっていつになるの?
ゆうぞう:80、……、3~4年くらいかな?
一作:ネーネーズは関係ないよね?
ゆうぞう:まだ、全然関係ない。
80、……、3~4年に河内音頭に出会ったんです。
一作:ワニクマはもう始動していて、
ゆうぞう:いや、その頃は、オレは関西フュージョン界を代表する、新進気鋭のラテン・パーカッション奏者で、
ラジオアダン:(恐る恐る)ゆうぞうさん、今のそれ、ギャグですよね?
ゆうぞう:半々(苦笑)
そう、バンドやめて、河内音頭をなにも知らなかったところに、「トゥルゥゥゥ~ トゥルゥゥゥ~」(電話の着信音を擬音で)、音無くてもいいか?(笑)
一作:あっていいよ(笑)
ゆうぞう:ハハハハハ(笑)
(ザ・)ノーコメンツをやっていた佐原くんから電話がかかってきて、
一作:ノーコメンツは解散していて?
ゆうぞう:うん、その頃はノーコメンツはなかって。
会長がそれで、「河内音頭するんで」って言って、オレは、「おもろそうだけど何すんの?」って、
「(河内家)菊水丸と今、『ボブ・マーレー物語~レゲエ一代男~』作ってるんや」。オレそれ聞いて、「絶対やる!!」ちゅ~て(笑)
それで三条の「六曜社」で待ち合わせして。それがひとつの導火線ですわ。
一作:(また突然、帯を読み出す)~菊水丸さん待っていた!! あの夏、俺はコンガ1本さらしに巻いて~、ガハハハハ(爆笑)、~レゲェと音頭の海に飛び込んだ。~
この、“あの夏”がその夏だったんだ。
ゆうぞう:そうです、そうです。
そんな感じです。
一作:80、
ゆうぞう:80、……、3~4年。
一作:ボブ・マーレーが死んだのが、
ゆうぞう:81年。
一作:丁度、旧「クーリーズ・クリーク」の後。
オレ等、代官山でやっていた頃だ。
ラジオアダン:代官山「スワミ」時代?
一作:うん。
CAYの前も多少被ってるんだろうね。CAYの前に賢さんとアジアに行ったり、「『CAY』をどんな店にしようか」ってことでね。
その時に京都でそんな動きがあったんだもんね。いいね(笑)
時代ってのは、ひとつに向かって行く時ってあるじゃない?
ゆうぞう:うん、そんな気がしますわ。
一作:なんか引っ張られて行くみたいな。
ゆうぞう:うん、なんかありましたね。
CAYはご縁があってよう出たんですよ。
憂歌(団)でも行ったし、
ラジオアダン:サポート・パーカッションってことですよね?
ゆうぞう:うん、そうそう。
憂歌はボク5~6年はやってますよ。
あと、菊水丸さんでも行ったし。
ラジオアダン:そもそも、ゆうぞうさんのご出身は四国の徳島県。ですから、拠点として、大阪か京都、どちらかを選べる感じはあった訳ですよね?
ゆうぞう:ないよ、もうその頃は京都やもん。
ブルースの街だす。
ラジオアダン:そういうチョイスだったんですね。ウェスト・ロード(・ブルース・バンド)等に代表される。
ゆうぞう:そうそうそう。
まあ、憂歌は大阪やけど、京都だったからね、「拾得」とか「サーカス・サーカス」は。
ラジオアダン:その少し前に、村八分が作ったロックのサークルも強固に残っていたと思いますが。
ゆうぞう:あの辺は大分先輩ですね。
一作:あの山口冨士夫さんの本(『村八分』)は面白かったね。
中島らもさんの書き下ろし小説も収録されていて、京都会館?に主人公がいろいろキメて冨士夫さんを見に行くくだりが面白い。
ラジオアダン:らもさんは、冨士夫さんが大好きだったみたいですから。
ゆうぞう:らもさんも死んでしまった……。
一作:皆死んでしまう(苦笑)
ゆうぞう:オレは長生きしようと思うんやけどね(笑)
一作:ガハハハハ(爆笑)
うん、長生きしよう。
ゆうぞう:あと10年やりたいけどな、あと。
ラジオアダン:ゆうぞうさん、お幾つになられました?
ゆうぞう:今、59なんですよ。
一作:まだ還暦になってないの?
ゆうぞう:ええ、オレ早生まれだから、来年の春の3月で、
ラジオアダン:では、(松竹谷)清さんと同級生ですね。
ゆうぞう:うん、松竹谷と一緒。同級ですわ。
ラジオアダン:ブルースに憧れていたミュージシャンゆうぞうさんのもうひとつの顔として、芸人顔負けのエンターテイナーの側面がありますが、あれはやはり演芸とか小さな時からお好きだったからなんでしょうか?
ゆうぞう:いや、オレはジャンルを越えているから(笑)
一作:ハハハハハ(笑)
ゆうぞう:レゲエとかソウルとかR&Bとかじゃなくて、音楽と演芸が混じり合って当たり前と思っているから。
そういうのミュージックマガジン、中村とうよう直系やからね、もう(笑)
ラジオアダン:大枠が“大衆芸能”?
ゆうぞう:そうそう。「大衆音楽の真実」ですよ。
似たようなことミュージックマガジンの取材でも訊かれたんだけど、「1人ミュージックマガジン、1人ジャンクショップ」って云ってね、この間、マガジンにも記事書いてくれた安田くんも有名な趣味のレコード屋さんジャンクショップの店員だったんですけど、そこもええのばっかり。あらゆるジャンルのグッドミュージック集めてるところで。だけどちゃんと、そこが開店した時に行ったら“演芸”ってジャンルがあったんですよ。
ラジオアダン:素晴らしいお店ですね。
ゆうぞう:うん、素晴らしい。
「あ~、そうやな~」って思って。
一作:演芸だよね、演芸(しみじみと)
ゆうぞう:(急に視線が肴に移行)鰹は生姜やな。
一作:にんにくもあるよ。
ゆうぞう:これは痺れるね。高知に来たみたい(笑)
一作:三種ね。ずけと刺身とたたき。
ゆうぞう:わぁ~い(腕白っぽく)
高知に来たみたい!
これは美味い!
一作:この前の、てるりん(照屋林助)のBSの番組(『沖縄“笑いの巨人”伝~照屋林助が歩んだ戦後~』)見た?
ゆうぞう:ああ、チラッと見ました。
一作:あれ再放送も何度かやっていて、やっぱりいいよな~。
ゆうぞう:ええよね、全然。
てるりん先生も凄い昵懇にしていただいて。
泊るホテルが先生のお家のすぐ裏の方だったしね。
必ずてるりん先生のところに遊びに行って。「てるりん館」でもライブを2~3回やってますよ、ボク。
一作:へぇ~、そうなんだ。
ラジオアダン:ある種、ゆうぞうさんの目指すもののひとつの完成形みたいな方ですよね。
ゆうぞう:凄いね、ジャンルを越えてるもんね。
しかもメッセージもあるしね。
一作:沖縄行きの切っ掛けはやっぱりネーネーズ?
ゆうぞう:そうそう。
あんまり、だってオレ沖縄音楽なんて、キング(レコード)から出てるカセットの「定番沖縄民謡」っていうカセットテープと、それと~、
ラジオアダン:それ、ゆうぞうさんの初期の沖縄民謡のバイブルですか?
ゆうぞう:バイブルと云うか、一般教養として(笑)
一作:ガハハハハ(爆笑)
ゆうぞう:後は、……、久保田(麻琴)さんの「ハイサイおじさん」(久保田麻琴と夕焼け楽団名義 )を聴いて、喜納昌吉さんの曲だと知って。レコード持ってるのは「ブラッド・ライン/喜納昌吉&チャンプルーズ」だけだったから。「ブラッド・ライン」は痺れたね。「これはなんやぁ~~~~!?」。
ハイサイおじさんも久保田さんの聴いた時に、「うわぁ~~~~!!」まさか沖縄音楽するとは思えへんしね、その時は。面白かったです、あの時はほんまに。
今のオフノートの、
一作:神谷(一義)くん。
(新譜の『ボケない小唄』のクレジットを指しながら)神谷くんはこの作詞もしてたの?
ゆうぞう:それは「(民謡スナック)花ぬ島」の、津堅島出身の、神谷幸一さん。
メロディーはあれですよ、メロディーは、………、……、♪しーやーぷー しーやーぷー♪、(『赤田首里殿内/沖縄民謡』)
一作:有名な民謡としてある訳だ。
ゆうぞう:ええ、「赤田首里殿内」。
童謡の民謡。
一作:いいね。
ゆうぞう:♪しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー いーゆぬみー いーゆぬみー♪
♪あかたすんどぅんち くがにどぅーるーさぎてぃ♪
♪うりがあかがりば♪
あっ、出てこない(笑)
……、♪みるくうんけー♪
あっ、出てこない(笑)
それに、1番から3番までボケる唄で(笑)
一作:ボケない小唄、オレこのアルバムの中でも大好き、今回。
ゆうぞう:ええやろ!?
こんなのやってる奴おらんやろ?
一作:ええ(笑)
~お金とストレスためる人 知らずにボケますよ~
ここがいいよね。
ラジオアダン:ここまで異種交配しているゆうぞうさんの子供時分の原体験的な音楽って、一体なんだったんですか?
単純にビートルズとか?
ゆうぞう:いや、ビートルズは世代がね。ボクが中1の時が解散なんですよ。
中1の時に、「レット・イット・ビー」の映画が来て、テレビを付けたら、東芝のステレオかなにかの宣伝で。東芝(オーレックス)ICボストンのCMか?♪レット・イット・ビー レット・イット・ビー♪
ラジオアダン:時代背景はよく分かりましたが、ギターを弾いて唄うという行為を誘発したものというか、
ゆうぞう:それは、フォークや。
ラジオアダン:早い人はモダン・フォークの都会的な方から、アイビールックと一緒に入っていたりしますよね?
ゆうぞう:それはもっと先の、モダン・フォークね。
ボク等は関西フォーク。高石(ともや)や、岡林(信康)や、高田渡、で、五つの赤い風船。五つの赤い風船見に行った!もう!大阪まで。
ラジオアダン:ギターで若かりし頃の有山じゅんじさんも一時在籍していました。
ゆうぞう:最初ね。中学生の頃おったらしいわ。
一作:「遠い世界に」聴いて、ぼくはふるさとを出ました。
いや、ウソです(笑)
本当は浅川マキです。「夜が明けたら」。
ゆうぞう:そういえば、今日、有山くん「JIROKICHI」や。
中学校の時からギター凄く上手かったんや。
中学生やのに、「東京でコンサートや」とかゆうて、新幹線乗せてくれて、ギター、ビイィィ~~~~ンって弾いたら、……、(妙に溜めてから)お金もくれて、
一作:ガハハハハ(爆笑)
ゆうぞう:新幹線も乗れてお金もくれて、「絶対これやってくぅ~~~!!」だったんやけど、おとうさんが、「あかん!!」と。
高校1年まではそれやってたみたいやけど、それから、同志社香里(高校)やったから同志社大学。びっくりしたわ、有山くん同志社で、そんなもんインテリや。
で、(上田正樹と)サウス・トゥ・サウスや「ぼちぼちいこか/上田正樹と有山淳司」で出てくるまではやってなかったんですよ、それから有山くんは。
ラジオアダン:一時、完全に学業に専念していたんですね。
ゆうぞう:そうそう。
はたち過ぎるまであの天才がね。
一作:オレは関西のその辺のシーンは東京に来るまで知らなかった。
最初のクーリーズ・クリークで、賢さんと、三木(哲志)くんがそいうい音源持って来て知った。「へぇ~~~!」なんて思って。
あの2人は大阪に一時期いたじゃん。
ラジオアダン:「チャイハナ」時代。
一作:うん(笑)
おれ、その時の2人のことは全然知らないから。
クーリーの最初の料理長の小西くんもチャイハナ出身。
皆で上京してきた訳だね(笑)
ラジオアダン:そのチャイハナには、今で云うオーガニック系のメニューもあったんですよね?
一作:うん、玄米だとかね。
ゆうぞう:ああ、そういう流れがあるんやな~。
チャイハナはチャイハナで関西では十分に伝説残してるからね。
一作:でも、あれも結局は中野(“スペースマン”雅蔵)さんでしょ?
ラジオアダン:又しても、その段階で早くも中野さん登場!?
一作:中野さん、チカラあるね。
そこにいた、賢さん、三木くん、小西くんが核となってクーリーが始まる訳。
そこに、全然、関西ネットワークを知らないオレがひょこっといる(笑)
ラジオアダン:確かその前、一作さんは、当時の元祖裏原宿系の方達の方が近かったんですよね?
一作:うん、たまたまね(笑)
ゆうぞう:かっこええ(笑)
一作:ボブ・マーレーとか既にある程度浸透していたんだけど、そっちの方は皆目レゲエなんてなくて……。
そっちはやっぱり、ガッツンガッツンのロック、それかジャズだった。
そんな青年が、クーリーに入ったら、レゲエだなんだかんだ、ダウナーな音にまみれて(笑)そんな年の5月にボブ・マーレーが死ぬ。
ゆうぞう:81年ね。
◇◆◇◆◇
新譜への質問の回答は、巡り巡って、ゴトウゆうぞうの長き音楽の旅、~阿波踊り~ブルース、R&B~レゲエ、ラテン~河内音頭~沖縄民謡と膨大なタイムテーブルを駆け足で巡ることとなったが、ここで、一作が仕込んだタイムボムが炸裂する。
なんと、急な飛び入りゲスト!しかも、彼女も古都/京都からのお客様。
彼女とは、イベント、メインワークスのために上京中の、オーラソーマのスペシャリスト、今村仁美嬢(以下敬称略)である。
一作はもとより、アーティスト、ゴトウゆうぞうをよく知る今村仁美が飛び入りすることで、この後、紡がれるケミストリーがさらに先が読めない様相となる。
◇◆◇◆◇
今村仁美(以下仁美):こんばんは。
一作:おっ、ここで仁美嬢登場!(笑)
ラジオアダン:仁美さんはゆうぞうさんを当然知っていますよね?
仁美:勿論。わたしは存じ上げていますよ。
一作:この企画は適当にしゃべっていれば、(進行役を見ながら)君の同級生が勝手にまとめるから(笑)
※進行役と仁美は同じ美術学校出身
仁美:ハハハハハ(笑)
ラジオアダン:仁美さんも京都から来てるんで、京都話に脱線していってもいいかと?一作さんも京都は尋常じゃなく詳しいし。
一作:うん。
でも、その辺はもうちょっと後にしようか。
仁美:凄い素敵なお店ですね。
一作:でしょ(笑)
今、ゆうぞうと80年代の話をしていて、
でも仁美ちゃんは大分若いものね。
仁美:そうはいっても昭和38年生まれですよ(笑)
1963年。
一作:今、ボブ・マーレーが死んだ年まで話は進んだところ。
仁美:ああぁ…、わたしはまだ高校生でしたね。
一作:クーリー始めた年なんだよ。
仁美:クーリーはギリギリ間に合って、20歳くらいの時に行かせてもらっています。
●授がベロベロに酔っぱらっているの見ちゃいました(笑)
一作:まあ、●授に限らず皆ヘロヘロだったよ(笑)
細野さんだけはちゃんとしていて(笑)
ラジオアダン:だって、細野さんは飲まない人じゃないですか(笑)
一作:そうだっけ??ガハハハハ(爆笑)
ゆうぞう、仁美:ガハハハハ(爆笑)
仁美:とにかく、当時のわたしには、「おとなのお店ぇ~~!!」って感じでした(笑)
一作:12時過ぎると皆イッてたもの。
ラジオアダン:仁美さんは、屋形船を2艘出したs-kenさんの結婚式に参加しませんでしたっけ?
仁美:出てるよ。
ラジオアダン:1艘の船の方の総合司会がゆうぞうさんですよ!
仁美:あっ!そうだった!(笑)
ゆうぞう:2艘ある内の1艘がオレ(笑)
ラジイオアダン:わたしもゆうぞう司会の船の方でした。
仁美:その節は!(笑)
今村仁美氏
ラジオアダン:ゆうぞうさんも四国出身ですよ。
仁美:えっ、わたしも。高知です。
ゆうぞう:えっ、高知!?
はちきんじゃき?(笑)
※意:男勝りの女性
仁美:はい、じゃき、じゃき(笑)
ゆうぞう:ボク徳島なんですよ。
仁美:へ~、そうですかぁ~~~(笑)
なんか嬉しいな(笑)
ゆうぞう:高知、どこですか?
仁美:土佐清水出身です。
ゆうぞう:おお、渋いな~(笑)
仁美:渋いでしょ。
一作:何かあったよ、マンガに、
仁美:あったあった。
でもまだちょっと皆さんに付いて行けてないかも?わたし(笑)
徳島の徳島市ですか?
ゆうぞう:そうなんですよ。
仁美:じゃ~、もう、阿波踊りですね。
ゆうぞう:阿波踊りなんです。
仁美:ゆうぞうさんの新譜のイラスト可愛いですよね。
一作:黒田(征太郎)さんだもん。
あの絵は今回のために書き下ろしてもらったの?それとも昔のやつ?
ゆうぞう:あれは、去年、久々に大阪、ミナミに「KAKIBA/描場」ゆうて、ギャラリー、アンド、……、なんやろ?……、仕事場、アンド、……、事務所、アンド、なんかそうゆうのんをやったちゅうので、久々やったから挨拶しに行ったんですよ、黒田さんに。「ご無沙汰してます」ゆうて。
その時に、「ご無沙汰してる間にこんなCD出しました」って、CDあげたんですよ。「2枚も出していたんですよ」ゆうたら、「おお、ありがとうありがとう、ほならちょっと待ってくれる?」。
サラサラサ~ラのサ~ラサラで描いて「持って行って」っていうから、「いいんですか!?」、「いいよ、君CDくれたや。これ物々交換や」。
一作:素晴らしい。そういうことをね。
やっぱ、芸能とか酒場とかに優しいの。征太郎さんは勿論、長友(啓典)さんも優しい。K2はね、そういうところがよかった。
アダンの看板も全部、征太郎さんに頼んだしね。一銭も取らないんだから。
ゆうぞう:へぇ~~、ほんま!?
今回もこれ、「ええの!?ええの!?」って言うから、「オレの方が絶対得やん」って言ったら、「そうか??」って。
で、その後、レコーディングが始まって、大体レコーディングが進んで行くに従って、「ジャケットどうしようかな~」と思って、前は自分で描いたんですよ。だから、「今度も描こうかな~?」と思うてたところ、パチッ!(手を叩く音)、「ええのあったやん!!」。
一作、仁美:ガハハハハ(爆笑)
ゆうぞう:また、黒田さん。
なかなか大阪こないんですけどね、今、小倉におられるから。
一作:門司港でしょ、今は。
オレ、初見は、「ゆうぞうがまた描いてるな」と思ってよく見たら、“KU”ってサインしてあるから、「これ、征太郎さんなの?」なんて思って。
ゆうぞう:で、行って、「黒田さん、この間、描いてもろったやつ、CDレコーディング中やけど、このCDのジャケットに使わしてもろってもええですか?」ゆうたら、「そんなん、描いたかな??」ゆうねん。
ガハハハハ(爆笑)
一作、仁美:ガハハハハ(爆笑)
ゆうぞう:「今、持っとるか?」ゆうから、こう出して、「あっ、おうおうおう」ゆうて、「ほならな、CDのジャケットならちょっと寂しいから」ゆうて、この口から出てる音符に、色、ちゃちゃちゃ着けて。
一作:それいつ?
ゆうぞう:それは、……、去年の今時分ちゃうかな?
それで、「黒田さん、こっち(ギャランティー)の方は?」ゆうたら、「ええよ」って、
一作:ああいう人達はね、なんか飲み屋と芸能に優しい訳。
だからオレも結局、申し訳ないからK2のパーティーの時なんかに泡盛を1ケース贈ったり(笑)後、ともさん(長友啓典)は亡くなる前はこの辺に住まわれていたからよく来てくれたり、一時持ち直した時は快気祝いをクーリーの3階でやったり、色々と親交があった。
訃報を聞いた時は正直きたね……。
ゆうぞう:オレもショック……。
憂歌やっていた時にどっかに長友さんがこられて、なんかそんなんで、黒田さんK2のお金で年間かなり飲むんやって(笑)
一作、仁美:ガハハハハ(爆笑)
ラジオアダン:流石に黒田さんが若い時の話ですよね?
ゆうぞう:若いいっても30、……、35年前くらいの話かな?
黒田さんに長友さんが、「こない飲んでもろったら…」。
1年で結構飲んだらしいから、
で、「いや、オレはね~、こうやって気持ちよく飲むために仕事やってるんや!好きにさせてくれ!」、
一作:まあ、でもさ、あの2人の関係は素晴らしいと思うよ。
ゆうぞう:うん、素晴らしい。
一作:ともさんもアーティストだから。でも、どっちかって云えば、ともさんの方がプロデューサーが出来た。
ゆうぞう、仁美:ああぁ(同時に)
一作:征太郎さんは、まあ、K2のアイコンみたいなもんだから。
仁美:わたし、20歳くらいの時、K2に、あがた(森魚)さんのお仕事でちょくちょく行っていて、その時、拝見していた長友さんのお姿がいつも素敵で、
一作:おれも長友さん大好きだよ。
ゆうぞう:かっこええですな。
一作:ちょっと口はばったいけど、オレと賢さんの関係みたいなものだったのかもしれない。
今だから言うけど、K2目指していたところもあったからさ(笑)飲み屋版の“K2”ね(笑)
賢さんはあんまり数字考えなかったから(笑)
オレも数字なんて考えたことはなかったけど、なぜか経営やるはめになってしまった。ダメダメな経営者ね(笑)
ゆうぞう、仁美:ガハハハハ(爆笑)
一作:でも賢さんのスペシャリティーもまたあったから。
ラジオアダン:簡単な対比で恐縮ですが、賢さんが黒田さんで、一作さんが長友さんって感じですか?
一作:うん。
ああいう巨匠2人にたとえるのはおこがましいけど、まあ、長友さん、天国で笑ってるでしょ。
賢さんが亡くなってもう2年だけど、敢えてあまり触れないでいたの。やっとかな、話せるくらいに整理出来たのは。
ゆうぞうも知り合うのはオレより賢さんの方が早いもんね。
ゆうぞう:旧クーリーズでライブしましたから。
一作:菊水丸はやった!?
ゆうぞう:いや、アスワドの前座で菊水丸さんと東京に来た時に、それだけではあれちゅ~ので、クーリーズで。
一作さんはもういなかったね。
一作:「スワミ」に移動した後だったと思う。
でも、その時代に、だって80何年でしょ?
ゆうぞう:アスワドが来た時ですよ(笑)
※1984年
一作、仁美:ガハハハハ(爆笑)
一作:アスワドと菊水丸とのジョイントってのは凄い。多分、三木くんも多少その企画に絡んでいたんじゃないかな?
ゆうぞう:アスワドのメンバーに、「おつかれさん、よかったよ」って(笑)
一作:おれ、後楽園(ホール)でそのライブ見たよ。
ゆうぞう:そう。
アスワドの奴に「明日、クーリーズでやるからこいよ」って誘ったんですよ。
ラジオアダン:では、ゆうぞうさんは既にスタッフの、賢さん、三木さん等とは面識があった?
ゆうぞう:後ですね、「あの時におおた」となったのは。
一作:まだ、その頃のレゲエ絡みのイベントはアイランドが関わってた?
ゆうぞう:かな?
前座がPJと菊水丸だったんですよ。
PJは、その頃ソニーで宣伝していて、飛ぶ鳥を落す勢いで、♪ナッティナッティビー おいでよここ~へ♪って、
まだ子供だったけどオレより大分背が高かった(笑)
一作、仁美:ガハハハハ(爆笑)
◇◆◇◆◇
思わぬ展開で、“K2”を経由した、夜の文化の不文律?仁義?人情?に行き着いたが、ここで本日の本題とも云える、一作とゆうぞうがガチンコで音楽を媒体に交わったライブシアター「新世界」時代の話を聞かない訳にはゆくまい。
レギュラー的には東京で、略見れずにいたゆうぞうのフルバンドでの極上のソウルショーを定期開催するにあたり、突き当たった一作の苦悩とは?
◇◆◇◆◇
ラジオアダン:ゆうぞうさんは数少ない三田「アダン」でもライブをされた方のお一人ですよね?
ゆうぞう:やってますね。その頃、弾き語りを始めたんですよ。バンドが中々皆、
いっさく:そういいながらも森扇背(ベース)、マキちゃん(ギター)の3人でもやったよね。
ゆうぞう:ユニット的なね。
ラジオアダン:新世界を始める際の一作さんのモチベーションには、「ゆうぞうはフルバンドでのライブが最高なんだ」とよく言っていたことも当然含まれますよね?
一作:うん、大いにあった。
やっぱりフルバンドで定期的に東京でやってもらって、東京の人達にもゆうぞうたちのショーで楽しんでもらいたかった。
まあ、実際に関西から来るって、(大西)ユカリちゃんもそうだけど、あの大所帯で来るって、バンマスとしては経費的に大変なんだよ。
ラジオアダン:しかも、ゆうぞうさんのバンドメンバーは皆手練だらけで、それをまとめるだけでも相当のリーダーシップが要求されます。
ゆうぞう:バンドはやっぱりチームやから、上手な奴を現地で集めてじゃ出来ないもんがやっぱりあります。
長いことやってて、「これかい!?!?」ちゅうのもあるんだけど(笑)
ラジオアダン:ゆうぞうさんのフルバンドをレギュラーで組んでいるのも、新世界の一つのアティチュードとして早い段階で認知されました。
一作:ねっ、楽しかった。
あのキャパでいくら入ったって身入りは知れてるから、今だから話すけど、関西からの人達は全員じゃないけど、ホテル代と交通費を別に支給することもあったんだ、オレのポケットマネーで。そのうちだんだんポケットが無くなってきた(笑)
ゆうぞう:それは、ものすご~ありがたいですよ。
ラジオアダン:それも難しくなると、東京のバンドと合体作戦に出ましたね(苦笑)
一作:ハハハハハ(笑)
そりゃ~もう、大変だから(笑)
ユカリちゃんを例に話すなら、ユカリちゃん1人の諸々の経費をこっちで計上して、東京のガールズグループのズグナシとカップリングでやってもらったりね。
ラジオアダン:ゆうぞうさんも後半は東京セッション的なものもありましたね。
ゆうぞう:うん、一遍、セッション大会ね。
東京の連れ集めて。
一作:そうやって色々考えるんだけど、でもやっぱりね、普段からやってるバンドの方が、
ゆうぞう:そうそう。
一作:全然いいのよ(笑)
それはユカリちゃんもそうなんだよな。
ゆうぞう:たんまにやるのはね、刺激があって楽しいですけどね、やっぱり普通のあれせんとね。
仁美:新世界、……、結局、何年やったんでしたっけ?
ラジオアダン:実際の運営は5年5ヶ月でしたが、準備期間を入れると約6年ですか。
仁美:凄いですね、一作さん。
一作:CAYの頃はバブルだったから、スポンサーもついて、それはそれでやりたいことが一杯出来たよ。でも、新世界の場合は、自分達の自力で箱をキープしたかった。
仁美:元シアター自由劇場ですものね。
一作:縁は多少あったけど、たまたま空いて話があったからやっただけとも云えるけどね(苦笑)
まあ、あの6年は百倍楽しかったけど、百倍苦しかった(笑)
ゆうぞう、仁美:ガハハハハ(爆笑)
一作:(進行役に向かって)ねっ、やめる3年くらい前から、桜の時期には決まって彼と五反田駅で待ち合わせて、目黒川沿いの桜を見ながら2駅歩くのが恒例になっちゃって。うちの会社って6月決算だから、だいたい4月くらいに、
ラジオアダン:花見の時期が、経営者として一番シビアに会社を見つめ直す時期と重なるんですよね(笑)
一作:そうそう、「新世界どうしよ~かな~、……」って、いつもその時期に迷う訳さ(笑)
仁美:切ないけど、なんかいいね(笑)
一作:「おい、どうする。オレもう一杯一杯なんだけど……」なんて言ってたら、彼が、「もったいないですよ、もう1年やりましょう。スポンサーも探してきますから」なんて返すんだけど(笑)で、「分かった、なんとか続けよう」なんて言って継続することになる。で、彼が捕まえて来たスポンサーはスポンサーなんてしろものじゃなくて、単なるオレと彼の友人(笑)でも、皆が毎月5万円づつカンパしてくれたり。凄くありがたいことだった。
そうやってギリギリのところで最後の3年は運営したんだよ。
ラジオアダン:仁美さんは、確か(山﨑)ハコさんを見にきてくれましたよね?
仁美:ハコさん!行った行った。よかったよ、もう~。
わたし感動したもの。
ラジオアダン:ゆうぞうさんはハコさんはお知り合いじゃないですか?
ハコさんは俳優の原田芳雄さんと親しかったので、それこそ黒田征太郎さんが壁画を描いた、西麻布の業界バー「ホワイト」辺りでお会いしていても不思議ではないはずですが。
ゆうぞう:いや~、お会いしたことないですし、ホワイトも行ったことないです。
一作:ホワイト知らない?
ママのミーコさんが亡くなって店も今はもう無いけどね。
京都にもそういう場所があると思うけど、云うなれば、業界人が多く集まるゴールデン街の「クミズバー」の西麻布版かな?
ホワイトは元々は、
ラジオアダン:四谷にあってゴールデン街「カボシャール」の(黒岩)奈美さんも働いていたんですよね。
仁美:奈美さん!
一作:(急に、再度、新譜のジャケットをまじまじと眺めながら)ゆうぞうのバンド以外でのもうひとつの柱っていえば、やっぱり阿波踊りになるのかな?司会とかやってなかったっけ?
ゆうぞう:阿波踊りはもうずっとやってるんですよ。生バンドの阿波踊り。
徳島出身のミュージシャンの人、並びに在住が集まって。鳴り物は皆でやって。一番多い時は30人くらいは来るんですよ。ずっと永遠と。正にその(ジャケット写真の)場所なんですけど。広い所で。徳島市の新町橋という橋の袂の広い所でボクらの連がこの辺にバァ~っとおって。「皆、勝手に踊ってください」と、踊り広場みたいな。
一作:いいよね、凄いよね。
ゆうぞう:で、19年前にPAが登場したんです。インストの演奏だけだったところにPAが登場して、「ほなら、ゆうぞうくん唄えぇ~~~!」ってことになって、適当に唄っておったら、やっぱり唄が入るとブォ~~~~!、バコォ~~~~ン!っと盛り上がって、それから毎年歌い手になった訳なんです。
仁美:凄いぃ~~~、行きたぁ~~~いぃ。
ゆうぞう:是非。
それが人生のメインなんです。
毎月10日の拾得と、毎年、8月12、13、14、15日の阿波踊りがメイン(笑)
一作:昔はそれプラス、(ジャパン・)ブルース(・アンド・ソウル・)カーニバルの司会ね。
ゆうぞう:あれは、27年やりましたから。
一作:無くなっちゃったのは残念だよな……。
ゆうぞう:主催者のやりたい気持ちは満々みたいなんですけどね。
M&Iカンパニーさん。
いかんせん、カーニバルのメインになるようなアーティストが、
一作:皆死んじゃってるもんね。
ゆうぞう:そうなんですよね……。
◇◆◇◆◇
楽しい時間はあっという間に過ぎて行くもの。
ゆうぞうの新作リリースと上京を発端とした今回の酔談も、寂しいが、そろそろ終宴の時を向かえる。
しかし、ここで急展開!
いつもの社交辞令も薄ら混じった再会の約束とは違い、今回は具体的な形で再会の約束を3人(進行役を含め実際は4人)が交わすこととなる!
約束の日は、本年、9月26日火曜日。
場所は勿論、京都!
◇◆◇◆◇
一作:話を戻そう。
京都だとそういう文化人的な人が集まる老舗ってどこになるの?
ゆうぞう:どこだろうな~?……、オレもあんまり、……、
一作:ゆうぞうに連れて行かれて気に入った店って結構あるけどな。
ゆうぞう:おもしろいでしょ、割と。
一作:まあ、タコちゃんの店(『アルファベット・アベニュー』)もそうだけど、
ラジオアダン:仁美さんはタコさんの店は行ったことありませんか?
仁美:京都はまだまだ全然。
まったく奥の間の手前です(笑)
一作:(ゆうぞうに向かって)実は、9月に進行係のエンドウソウメイくんが京都で、本業とも云える絵の個展をやるの。
ゆうぞう:えっ~~!おめでとうございます!
ラジオアダン:ありがとうございます。
一作:で、仁美ちゃんがその企画のプロデューサー。
ゆうぞう:おお。で、どこでやるんです?
仁美:法然院です。
ゆうぞう:おお、かっこええ!!
仁美:是非、ゆうぞうさんもご協力お願いします。
一作:そうそう、それでゆうぞうにお願いしたいんだけど、初日が26日?
仁美:そうです。
一作:レセプションパーティーをやるんで、軽めのライブをお願い出来ないかな?
仁美:ゆうぞうさん、9月26日の火曜日です。
ゆうぞう:はい、多分、絶対大丈夫だと思います(笑)
仁美:わ~い、やった~!
ところで、「ブランカ」にはゆうぞうさんは行ったりしますか?
ゆうぞう:ええ、割と行きます。
ラジオアダン:一作さんのご親戚がやられている京都の大繁盛店ですよね?
一作:姪っ子がテツの嫁だよ。
※ テツ/「ブランカ」のオーナー。
仁美:そうなんですよね、びっくりしちゃった。
一作:ありゃ~、バカ夫婦だね(笑)
ゆうぞう、仁美:ガハハハハ(爆笑)
仁美:お店、流行っていますし、お料理も凄く美味しいですよ。
ゆうぞう:なんでも大爆発みたいですね。
仁美:予約が取れないですもの。
一作:大したことない、大したことない(笑)
ゆうぞう、仁美:ガハハハハ(爆笑)
一作:増長するからあんまり誉めない方がいい。
ダメダメ、まだダメ。
ゆうぞう:全然違う連れからもね、「行ったら、ゆうぞうのCDがかかっとって」、「ええっ、行ったんかいな!?」ちゅうて、いや~、有名店で。
仁美:いつも混んでいて凄いですもんね。
一作:てか、入れないって云うか、
ただ狭いだけでしょ!?
(進行役に向かって)これ、絶対に書いといてね!
ゆうぞう、仁美:ガハハハハ(爆笑)
ゆうぞう:でも別館が出来たから、
仁美:わたしは、ご夫婦のことは全然知らなくて、カメラマンの野口さとこちゃんの紹介で自分企画のレセプションパーティーのケータリングをテツさんにお願いしたのが最初です。
一作:テツに、……、……、あれオレの親戚になっちゃうからね。
テツがオレのところで働いている時に、姪っ子が上京して来て、「お前、姪っ子だけには手をだすなよ!」って釘を刺しておいたの、「怒るぞ!!」っと。
そしたらさ、そういうはめになっちゃって(笑)
仁美:ハハハハハ(笑)
言ったが故に逆に出たと(笑)
一作:だから、テツはオレの言うことなんでも聞くから。
9月のレセプションの時に、「100人分ケータリングしろ!」って言っといて(笑)当然、ボランティアでね(笑)
仁美:それ、わたしが言える訳ないじゃないですか!(笑)
一作:ダメダメ、絶対言っといてね(笑)
仁美:でも、ちょっと言ってみちゃおうかな?(笑)
一作、ゆうぞう:ガハハハハ(爆笑)
一作:じゃ~、レセプションのライブも飯も決まったところで、次回は京都でまた会いましょう!
今日は忙しいとこと来てくれてありがとう!
◇◆◇◆◇
早秋、京都での再会が決まった3人。
出会う場所は伽藍というレアなセッティングに、所狭しと飾られた描き起こしの絵画群。
そんな純化された空間で奏でるゆうぞうのピュアな音色は、場に生命力という別種の生の活力をもたらすのであろう。
そして、今夜の宴の最後に、更なる複数の在京レジェンド・アーティストの名も追加投入として一作の口から漏れてはいたが……、
そんな先のことは誰も分からない。
なぜなら、人生の殆どの出来事なんて酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけだから。
とぅ・びー・こんてぃにゅーど
@泉岳寺「アダン」
テキスト、進行:エンドウソウメイ
写真:門井朋
●今回のゲスト
ゴトウゆうぞう/プロフィール
ミュージシャン、エンターティナー、サウンドプロデューサー&博愛主義者!!
徳島生まれ、京都産業大学軽音楽部卒、京都市左京区在住。1970年代中頃、関西BLUESムーブメントにあこがれ上洛!!1979年に、ヤマハ「8.8ロックデイ」ロックコンテストにて、優秀バンド賞に輝きデビュウ。以来、様々な楽器、スタイルで、塩次伸二、クンチョー、河内家菊水丸、憂歌団、上田正樹、上々台颱、初代・桜川唯丸、ネーネーズ、知名定男、ディアマンテス、大島保克、大工哲弘、照屋林助、登川誠仁、西岡恭蔵、三波春夫、都はるみ……等々等々、大量のレコーディング、ツアー、セッションに参加。(だいたい出会った(演った)順。
現在、日本最古のライヴ・ハウス「拾得」で、毎月10日、マンスリー・ライヴ「ゴトウゆうぞうshow(※)」を中心に、あっちゃコッチャで独自にBand活動、ソロ活動をやっております。
※ 8人編成の大バンドです。2006年~ロング・ラン公演中。
☆ 毎月(不定期)KBS京都ラジオPM5:15~5:45
「レコード室からこんにちは」選曲(セレクター)&DJ担当
☆2000年より、沖縄音楽の第一人者、知名定男氏の「チナ・サダオ楽団」、「楽天ワールド太鼓」に在籍中。また、1985年より、ズっと、日本最大、最長を誇るBLUES&SOUL音楽の一大イベント
「JAPAN BLUES & SOUL CARNIVAL」の司会進行担当、なんと27周年!!
日本唯一のBLUES司会者と言われているのだ!! 近年は、ミュージシャンとしても出演。オープニング・アクトと、ラストセッションで「ジョニー・ウィンター氏」とも共演!!
★ ゴトウゆうぞう最新作★
「ぼくらは、ファミリー!/ゴトウゆうぞう」
レーベル/Pヴァイン・レコード 価格/2500円(税込)
※Amazonからもご購入できます。
今村仁美/プロフィール
高知県土佐清水市出身
スターポエッツギャラリー株式会社代表、オーラソーマモバイル株式会社取締役、英国オーラソーマカラーケアシステム®コンサルタント&ティーチャー、ARTイベントプロデュース及びアーティストマネージメントエソテリックワーク・オーガナイザー。
2002年~2015年 オーラソーマスタジオ&画廊、スターポエッツギャラリーを東京三宿にて運営。
2015年に京都に拠点を移す。2017年5月東山より千本丸太町に移転し、スターポエッツギャラリーを再オープンする。
自らもセラピストとしてのプロセスを実践しながら、ARTとスピリチュアリティの現在を探求している。
オーラソーマを使った、個人のための歌を作る音楽制作ユニット“Ray Neiro”に参加。
セラピーのワークショップでは、DJの経験が全てに生かされると実感。
創造性を回復させる様々なクリエイティブなエクササイズや瞑想を実験的に取り入れている。
河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。