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Vol.2 日々トリップ 番外編 川内一作

Vol.2 日々トリップ 番外編 川内一作

 メバルが近所の魚屋の店頭に並んでいた。氷の上に四尾づつ三列に整列していて、赤味がかった茶色のカラダをみんな左向きに横たえて呼吸しているかのように口が開いている。
 「お、春メバルだね」
 「だいぶ大きくなってきたよ」
 といつも演歌を聴いている魚屋の爺さん。
東京でメバルは珍しい、というより見かけてもタイテイは大味なものが多くて、大きからず小さからず形のいいメバルになかなか出会わない。しかしその日のメバルは丁度いい大きさで、煮つけにして食べたいと思ったがあいにく外食の約束があった。それにまだ二月である。桜が咲くまで待つかと思った。
 演歌爺さんの魚屋は品ぞろえが自分好みでいい。もちろん東京のことだから種類は豊富ではないが瀬戸内出身の自分にとって、瀬戸内産の小魚などが入荷していてありがたい。
 松山のカサゴやメバル、ときどき鰆も、下津井の蛸やカレイ、明石の鯛や穴子やはもなど、自分はうっとり眺めて
 「瀬戸内ブランドに弱いからね」
 と食べきれないくせについあれもこれもと買ってしまうと、魚屋の爺さんは「十九の春」を田端義夫風に鼻で歌いながら、嬉しそうに鯛の子の炊いたのやらをオマケに入れてくれるのだ。
 山口のイナカ町から上京してもう四十五年になる。瀬戸内ブランドに弱いといってもそれほど熱心に瀬戸内の小魚を食べているわけではない。外食がほとんどで、たまさか演歌爺さんの魚屋にあがったとき、タイミングが合えば買ってきて見よう見まねで煮つけてみても、子供の頃におふくろが煮つけたメバルの味には程遠い。郷愁の味なんだよと言われれば確かにそうなのだが、それだけではないように思う。鮮度の問題だろうか、いや今は朝イチであがった魚は空輸されその日の午後には東京に到着しているし、冷蔵技術も昔よりはるかに進歩している。しかし技術に頼って無理やり生かしたモノはストレスが溜まる。特に小魚は足が早くて味が落ちる。ああいうモノはやっぱりゆるい環境の中でいただくものかもしれぬ。

 小学生の頃イナカの家には電気冷蔵庫はなかった。夕飯どきになるとその日揚がった瀬戸内の小魚を入れた手押し車をガラガラと押して漁師の婆さんが行商に来る。しこいわし、メバル、キス、ベラやシャコ、婆さんの手押し車の引き出しは大漁である。婆さんはその場で注文された魚をあっという間に刺身や煮つけ用に仕事をする。ごはんだけを炊いていれば刺身で一杯目を食べている間に煮つけが出来上がる寸法であるから、どの家も婆さんが手押し車でやってくるとごはんを炊き始めるのである。
 春メバルよう太って・・
 桜が咲いて始業式の頃にイナカの家の食卓にいつもメバルの煮つけがあった。末っ子の自分は小骨の多いメバルに四苦八苦していると、あっという間に平らげた次兄に「なんじゃよう食わんのか」と横取りされた。兄弟喧嘩の種はいつも食べ物のことからだった。
 桜の季節、夜更けにうとうとしていると手押し車の婆さんの見事な手さばきと、「まァ、よう太っちょるねえ」と言ったおふくろの瀬戸内なまりと、次兄にいつも横取りされて喧嘩になった記憶ばかりが夢のように出てくるのだ。

 河上君のうちのメバルの煮物は非常にうまいと云ふ。それを食べさせてやるから寄っていけと云った。山口県も岩国の大島方面は、春四月のメバルが特に味がいいさうだ。山口から萩の方へ行くと、大味で駄目だ。河上君のお国自慢の云い草だが、私と三好君は、うまいメバルの煮物を食べに岩国へ寄ることにした。

 河上君とは河上徹太郎、三好君とは三好達治、私は井伏鱒二。余談だが明治生まれの巨人達の宴にも岩国の春メバルが登場する。
 自分の生家はその岩国から海沿いを山陽本線で二〇分ばかり下った由宇という何もない瀬戸内らしいだらけた町にある。

   筑摩書房 井伏鱒二「たらちね」から

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