「さあ船を出しましょう」第四話
「さあ船を出しましょう」第四話
翌日の早朝に私はタヒチアン・ラナイのテラスでコナ・コーヒーを飲んでいた。ハワイ語でラナイはテラスという意味だから、ラナイのテラスと言うのも変だが、まァいい。
目を細めて人工のラグーンを眺める。乾いた朝陽を浴びて飲むコナ・コーヒーはうまい。アジアではあまりコーヒーは飲まなかった。当時はタイやベトナムの山間部でアヘンの代わりにコーヒー豆を栽培していても、実際に地元でカフェ文化が定着したのはずっと後のことだ。ジャマイカのブルーマウンテンだって、高すぎてキングストンの朝はみんなミロをマイロ、マイロと言って重宝していた。インドではチャイだったし、バリではロスメンでインスタントコーヒーばかり。コピルアックなどと言う魅惑のコーヒーも私は知らなかったし、ポピュラーでもなかった。コピルアックがジャック・ニコルソンの映画で有名になったのもずい分経ってからだ。
ラグーンの手前の席で女性がひとりで食事をしていた。ノースリーブの淡いブルーの麻のワンピース、ピーコック・ブルーの帯が入った白い男物のパナマ帽を被った日本の女性が、このレストランの名物エッグベネディクトを無心に食べていた。彼女の席がラグーンの手前だったので、ラグーンを眺めている私には自然彼女が目に入った。
日本人がワイキキアンに泊まるのは珍しいと昨夜ティキが私に言った。89年はまだバブルの末期である。ハワイに来る日本人はワイキキのど真ん中の高級ホテルに泊まる。華やかりし頃のワイキキアンであれば話は別であろうが、今は老朽化してお金持ちのニッポンジンはこのホテルには泊まらない。この枯れかけのカンジが私には良いのだが。もしかしたらエッグベネディクトを無心に食べている女性は日系人かもしれない。小柄だから着物も似合いそうだ。タヒチアン・ラナイのバーに彼女が古い着物で登場したらまさにエキゾチカだな。
☆
涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴり この頬 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリア
どうせカスバの夜に咲く
酒場の女の うす情
70年代は藤圭子の「カスバの女」が好きだった。カラ唐やテラヤマのアングラが好きだった。一杯のコーヒーでコルトレーンやアイラーをジャズ喫茶で一日中聴いていた暗い奴だった。ヘルメットの遠い後ろから石を投げていた卑怯な奴だった。
80年代に入ってコルトレーンは聴かなくなった。母方の血筋がハワイに移民で行っているにもかかわらず、ハワイにもハワイ音楽にも興味はなかった。そのうちギャビー・パヒヌイからハワイの音楽を聴くようになった。レイ・カーネだったり、ピーター・ムーンだったり、イズだったり。藤圭子は今でも好きだけどね。
☆
フローズン・ダイキリをバーマンに頼んだ。金魚鉢のようなグラスにラム酒とライムが入ったかき氷が登場した。もちろんストローと傘とデンファレ付き。
「やァ」とティキが言った。
この「やァ」はそれほどの意味はない。ただのあいさつだ。ハナシは飛ぶけど、まだ私が足繫く旅に出る前、ブルースとよし子という年老いた猫と同居していた。当時の恋人の連れ猫。オス猫はブルース・スプリングスティーンをかけると嬉しそうに走り回ったのでブルースにしたんだと恋人は言った。「僕の父の家」を聴くと、うっとりしてのどをゴロゴロ鳴らす。よし子は恋人の猫好きな祖母の名前らしい。恋人は3か月私の部屋にいたが男を作って出て行った。ブルースとよし子を残して。12月の忙しい頃だ。
翌年の12月の寒い日にブルースとよし子は続いて逝ってしまった。老いた猫はたいてい腎臓を悪くする。私は1年と3か月しかブルースとよし子と暮らしていない。でも、出ていった恋人のことはどうでもよかったがブルースとよし子がいなくなったのはひどく悲しかった。だから私は12月になると部屋に帰ってもブルースとよし子を想い出すだけだから、毎晩カスミ町で飲んだくれた。そうしてクリスマスには完全にイカレて、菊田のバーに辿り着く頃にはただのナマコになっている。ナマコはいろんなマボロシを見る。
その日の菊田のバーには先客がいた。カウンターの上に丸い手を置いて座っているブルースとよし子だった。
「やァ、久しぶりだね」
とブルースが言い、よし子がニコッとした。
ナマコは懐かしくて泣きそうになる。
「やァ、そうだね。おなかすいてないかい、なんかおごるぜ」
とナマコが言うと、ブルースはズズッと鼻をすすって「宇和島のじゃこ天が食べたい」と言った。よし子は「松茸の入ったあったかい土瓶蒸しがいいわ」
「もう松茸の季節じゃないぜ」
「じゃあ、しめじでもいいわ」
よし子は大概贅沢なのだ。
菊田がビング・クロスビーのホワイト・クリスマスをかける。
☆
「やァ」と私はティキに返した。
「ところで、あの日本の女性はよく来るのかい」
「どの女性よ」
「ほら、今朝ラナイでエッグベネディクトを食べていた、白いパナマ帽の女性」
「ああ、ホノカアのマダムのことかいな、日系の4世になるんかなァ、すでにカマ・アイナや、ビッグ・アイランドのホノカアでギャラリーをやっている」
「立派だね」
「そや、立派な人や、ホノカアのギャラリーはボブ・ディランやニール・ヤングも顔を出す。オアフで仕事の時はここに泊まる。朝はラナイでエッグベネディクト、夜はここでオールド・パーのロックと決まってる、もうすぐ来るんやないかい」
エキゾチックな世界にタイムスリップしたかのように私はこのホテルに引き寄せられた。そして謎の女性に出会った。いや、彼女がエッグベネディクトを食べているところを見ただけだ。でも何かが始まりそうな予感があった。ワイキキビーチでアザラシのように一日中、転がっているケイハクな時間は私には無かった。
☆
ホノカアのマダムが男性とやってきてカウンターからすぐのテーブルに座った。彼女は朝とは違って少し落ち着いた出で立ちであったが白いパナマ帽は被っていた。アロハシャツがちっとも似合わない真面目そうな男は、いかにも日本の営業マンといった雰囲気でキチンと背筋を伸ばして椅子に座った。彼女の前にオールド・パーのロック、男にはバドワイザーが置かれ、商談が始まった様子。男は彼女に語りかけ、彼女はにこやかに微笑んでいる。声は聞こえないがバブルな日本の会社が彼女の収集か、あるいは才能を買い付けに来ているのだろうと私は勝手に考える。
商談が成立したのか、しばらくしてアロハシャツの似合わない男は立ち上がり握手をし、二度お辞儀をして帰っていった。彼女はオールド・パーのグラスを持ってカウンターにやって来て私の隣に座った。そこしか空いていなかったのだ。ティキが私にウィンクをした。私は金魚鉢のようなグラスが恥ずかしかったのでマティーニをオンザロックで頼んだ。オリーブは一つでいい。そして唐突に「エッグベネディクトが好きなんですか」と彼女に話しかけた。
「あら、日本人」
彼女はびっくりして笑った。ニッポンジンという言い方が面白かった。
「朝、ラナイで見かけました。ラグーンの手前の席でエッグベネディクトを召し上がってた」
「ここのエッグベネディクトはおいしい。毎朝食べても飽きないわ」
私はエッグベネディクトを食べたことはない。アジアにはそのようなおしゃれなモノはない。いや高級なホテルにはあるのだが、私はアジアで高級なホテルに泊まったことはない。ただ一度だけバンコクのオリエンタルホテルで朝食をとったことがある。もちろん宿泊していたわけではなく、バンコクに住んでいる友人がオリエンタルホテルの朝食をおごってくれたのだ。私はビーサンを短靴に履き替え、襟付きのポロシャツを着てオリエンタルに行った。チャオプラヤ河を眺めながらの朝食は実に快適であった。裕福そうな白人の老夫婦が黄色いソースのかかったものを食べていた。友人にあれは何だと聞いたら、エッグベネディクトだと教えてくれたが、すでに満腹でそこまでたどり着けなかった。それ以来、私はエッグベネディクトにお目にかかっていなかった。しかし、ずっと貧乏旅行をしていた私にとってオリエンタルホテルは夢のような場所であった。あの日のオリエンタルホテルのエレベーター・ボーイはとても美しい少年だった。ホスピタリティにあふれていて、宿泊客ではない私をロビーからアーサーズラウンジまで案内してくれた。私はポケットからわずかだがチップを彼に渡した。あのさわやかな笑顔が忘れられない。1981年頃か、最初に行ったバンコクでのこと。
つい最近、宮本輝氏の「愉楽の園」を読んだ。オールドバンコク、オリエンタルホテル、そしてチャオプラヤ河の対岸が舞台である。作品の中で、重要な役割を果たす少年のモデルとなったのは、あのときのあのエレベーター・ボーイなんだと私は思った。
ホノカアのマダムにそのような旅の思い出話をした。
彼女は面白がって「それで」と言ったり、相槌を打って聞いてくれる。さっきの商談でも分かる様に彼女はにこやかに男の話を聞いていただけだ。成功の秘訣は人の話を聞けること、私は自分から勝手に喋るから何事もうまくいったためしはない。
「ところで、あなたはどうしてここにいるの」
と彼女は言った。」
まず、今回が初めてのハワイであること、にもかかわらずハワイ音楽の取材に来ていること、そしてあなたと同じように私はこのホテルを大変気に入っていることなどを彼女に伝えた。
「面白いわね、ハワイのことを何も知らずに取材に来たってわけ、それでいつまでいるの」
「こんなやり方でしかぼくはできないのです。納得するまでハワイにいますよ。一週間後には編集の堀もやって来ます」
堀の家は浄土真宗のお寺で、親鸞聖人の慈悲のココロで私のために仕事を作ってくれたのだと、またいらんことを言いそうになったがやめた。
私は明日ホノカアに帰るけど、一度ビッグ・アイランドに来れば、もう少ししたら、ヒロの町でフラのフェスティバルが始まる、観光用ではなくて本気のフラ、ハワイの音楽とフラは深いところで結びついているから、フラの取材もするといいよ。
アナ・藤岡と会う10年前のことである。あらかたハワイの音楽の取材が終わったら私はビッグ・アイランドへ行くことにした。

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