黄昏ミュージックvol.25 シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)/ビル・フリゼール
黄昏ミュージックvol.25 シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)/ビル・フリゼール
昨今、多くのジャンルで女性の活躍が目立つが、音楽というジャンルはその最先鋒とも云える程にジェンダーフリーが進んだ希有なジャンルだ。
だが、そんな音楽界にも女性アーティストに執って関門と云える壁も依然存在している。
例えば、ソリストとしての一定の地位を築いた女流トランぺッターと云うのは実に少ない。口さがない者による、「唇の肉感的に女性は適してない」なんていう根拠のない説がそこはかとなく流れたりすることもある。
それに継ぐものとして、ギタリストもアプローチする総人数に比べると成功例が少ないと云えるインストゥルメンタルかもしれない。
筆者がブッキングを6年間ルーティーンとして担当したライブ箱でも、記憶に残る良質なプレイを披露した女性ギタリストは片指で十分におさまった。
さて、そんな中、天才女流ギタリストと呼び名が高いのがメアリー・ハルヴォーソン。ジャズ畑周辺では以前から高評価を受けていたが、2014年のフジロックの快演以来、ジャンルを飛び越えて我が国でも人気が完全に定着した。
今回、そんなメアリーの楽曲から“黄昏ミュージック”を選出することは容易だが、敢えて、彼女の師匠筋に当たる万能ジャズギタリスト、ビル・フリゼールの楽曲『シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)』にスポットを当てたいと思う。
ジョン・ゾーンとのプロダクトで見せる、超絶フリーな硬質な演奏とは極北にある、アメリカンルーツ・ミュージックに座標軸を置いた3部作の中に、浮遊感、レイドバック感がより深く漂うアルバム『グッドドック・ハッピーマン』という作品があり、中でも、レジャンド・クールジャズ・ギタリスト、ジョニー・スミスに捧げた『シェナンドー(フォー ジョニー・スミス)』は、良質なアコースティックサウンドが良き時代の牧歌的アメリカを脳裏に鮮明に蘇らせる感傷的な黄昏ミュージックである。
ビルの見事にコントロールされたアコースティックギターの主旋律は勿論、名手ジム・ケルトナーの制御された無駄のないドラミングが羽毛のような優雅なグルーブを生みリスナーを優しく包み込む。
なんでも、純ジャズギタリストとしてのビル信者に執って本アルバムはイージーリスニングに走りすぎているとの批判も多々あるそうだが、筆者の場合、カナダ人ミュージシャン、ダニエル・ラノアのルーツアメリカン指向の音群を聴くのと同様、脱ジャンル的スタンスで聴くので、文句なしの名作と云える程の極上黄昏ミュージックなのだが……。
まあ、聴覚と云うものもそれなりに曖昧で、且つ、人それぞれなものなので…………(苦笑)。(se)