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Vol.3 日々トリップ 番外編 川内一作

Vol.3 日々トリップ 番外編 川内一作

   友人からトマトが届いた。
   メールには春トマト送るとある。
 春キャベツは普通だけど春トマトはあまり聞かない。トマトは夏のものだろうと思ったが食べると甘くて酸味もあって美味。お礼の電話をしたら、オレが作ったのだと自慢して、この季節にトマトもなんだから春をつけただけだと笑った。
 桜が咲いた。
 春キャベツ、春トマト、春メバルときたら桜雨、桜魚、桜鯛。桜魚は桜の咲くこの季節に獲れる小鮎らしい、これもあまり聞かない。桜鯛もこの時期の鯛であるが、それが旬というわけではない。鯛は出生さえちゃんとしていれば年中うまい魚だが、やはり寒い冬の時期が一番だと思う。桜の頃には子をはらむから栄養をとられるけれど、それはそれ、鯛の子と竹の子の炊いたのやら待ち遠しい。瀬戸内で生まれて育った自分にとって鯛はやはり瀬戸内のものに限る。京都あたりのちょっとした料理屋で扱っているのは明石鯛か鳴門鯛。明石の鯛はクチから背にかけてぷりっと丸みを帯びていて美しい。桜の季節には気持ちカラダがピンクに染まっているように見えるのは思い込みだろうか。東京近辺だと三浦半島の長井や佐島あたりの鯛も悪くない。以前長崎で鯛を食べたが東シナ海のものであろうか大味だった。長崎で食べた鱧も大味でダメだったがあれは調理の仕方かもしれない。東シナ海であがる鱧なら韓国ハモと同類だろう。京都でよく行く鯖寿司がうまい店も祇園祭りの時期には鱧寿司になってしまうが、その店のお母(か)んが言うには近頃の韓国ハモは脂がのっていてうまいらしい。確かにその店の鱧寿司はキレイで美味。そうは言っても自分にとって鱧はやっぱり淡路鱧。梅雨の時期に淡路で食べる鱧スキは絶品である。鱧スキであるから鱧しゃぶとは違う。鱧のアラでとった出汁をやや甘い濃厚な味に仕上げて、鱧の内臓と、骨切りした生身と、淡路の玉ネギを放り込んで野趣たっぷりにぐつぐつといただく。シメの雑炊がまたいい。そうやって生命力の強い鱧に喰らいつくのである。京都の料理屋でしゃぶしゃぶ風にポン酢で食べるのは気の抜けたビールを飲むようなものでちっともうまいとは思わない。
 東京人は鯛も鱧もそれほどありがたがらないが、あれはうまい鯛と鱧を食べていないからだ。逆に瀬戸内で育った自分は上京するまでマグロなど食べたことはなかったのでマグロのことはよく分からない。

 桜が咲くと人間もネコも騒ぎ立てる。
 真夜中に起き出して知覧の茶を入れ家ネコと戯れる。外はまだ少し肌寒いけれど一週間前よりも空気はゆるんでいて、桜は満開に近い。人間が寝静まると、ぴしっぴしっと色んなモノが目覚める音がする。
 昔、この季節に久しぶりに山口の生家に帰ったことがある。長い旅の後でバンコクから博多便で帰国した。博多からは電車を乗り継いで生家のある由宇へたどり着いた。お金を使い果たしていたせいもあるが、山陽本線に揺られて瀬戸内海を眺めながらいろんな思いがめぐった。自分はその時四十前で、いつまでもフーテンをしているわけにもいかず、かと言って東京に戻っても窒息しそうで恐ろしかった。
 由宇はすっかり春だった。
 子供の頃は高度成長期で由宇もにぎやかだった。花見にはどの家庭も立派な弁当を作って銭壷山(ぜにつぼやま)に登った。
 山の斜面の段々に山桜が狂ったように咲きほこって、黒澤明の「夢」の第二話、「桃畑」を見たとき
 わァーこれだよ、と思った。

 由宇から周防大島を経由して、情(なさけ)島へ渡り漁師の家に一泊した。翌日、小舟で釣りに出た。この辺の漁師は竿は使わない。投げ釣りといって手釣りで、エサは白いビニールを小さく三角に切ってイカに似せた疑似餌である。釣り糸を人差し指に引っかけて波の揺れにまかせているとククッと指先に反応がくる。こんなもので釣れるのかと思ったが、見事にカタチのいい桜鯛がかかる。漁場を熟知している漁師のおかげで、十本以上もあがった。大漁である。由宇に持ち帰って近所に配ったら、まァ、とおふくろはびっくりして桜鯛のお礼だと言って茶色い封筒をくれた。十万円も入っていた。口には出さないが、「そろそろ東京でしっかりしんさい」という気持ちの十万円であると理解して翌日東京へ帰った。
 ずっと後に手紙の中に十万円を挟んでおふくろに送ったら、「こんな大金(おおがね)送らんでもええのに」と言って喜んだが、おおがねという言い回しが面白くて笑った。
 おふくろは大正生まれにしては百七十センチに近い大女で今年九十五歳になるが、まだゴハンを三杯おかわりするらしい。

 

ⒸSOHMEI ENDOH