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酔談vol.10 ゲスト:鈴木清一氏 ホスト:河内一作

酔談vol.10 ゲスト:鈴木清一氏 ホスト:河内一作

「連載対談/『酔談』vol.10」ゲスト:鈴木清一氏 ホスト:河内一作 


 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて、記念すべき第10回目の今回は、一作の強っての希望もあり、アダングループ“常連ナンバー栄光の1番”との称号を持つ、編集者、プロデューサーの鈴木清一氏(以下敬称略)が、満を持して、奥渋「家庭料理 おふく」に遂に登場!
 彼こそが、一作の長きに渡る店作りの生き証人であり、プライベートでも男同士の深き友情で結ばれている人物。故に、今回の酔談は素の一作が垣間みれそうな予感に溢れている。
 近年、病気療養と上手く付き合いながらの活動となっているが、多数のレジェンダリー雑誌を、それぞれの最盛期に携わってきた清一。まず、そんなレアなキャリアを可能にしたバックボーン、東京ユースカルチャーの原風景からゆっくりと語ってもらおう。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):昔と立ち位置が逆だと、なんか戸惑うね(笑)
昔は清ちゃんがおれを取材するのが当たり前だったんで。

鈴木清一(以下清一):まぁ〜ね、でも、おれの仕事のやり方はいいかげんだから(笑)だから長生き出来ている。
おれに執って60歳代はもう長生きの範疇だから。
実はうちの家系は60代で死んでる人間が多いんだ……。

一作:そうなの?
清さんは?お父さんの鈴木清さん?

清一:享年79歳。

一作:ガハハハハ(爆笑)結構生きてるじゃん。
また、人を驚かせようとよく言うよ(笑)

清一:ガハハハハ(笑)

一作:この対談は、そんな感じの思い付きで話してもらって一向にかまわないからね(笑)

清一:その親父が、おれが生まれて、「いい名前を付けたい!」てんでさ、1ヶ月半熟考して付けた名前が“一”って1本付けただけの、“清一”(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
おれ、よく覚えているよ。一回、清ちゃんちへ行ったとき、表札に“鈴木清”、“鈴木清一”ってふたつ並んでて。おれ、「一が違うだけじゃん!」って(笑)

清一:一作、知ってた?鈴木清って、東京で一番電話帳では多い名前だって。

一作:へぇ〜、で、清一は?

清一:そっちになるとこれが少ないの(笑)

ラジオアダン:取材前の雑談で小耳に挟んだのですけど、清一さんは当時では珍しい一人っ子だったとか?

清一:うん、そう。

ラジオアダン:では、弟さんがもしいたら清二さんだったりして(笑)

清一:多分ね(笑)

一作:ひと月半考えて清一だから、ふた月半考えて清二だろうね(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
本当は、おねぇ〜ちゃんがいたらしんだけど、死産だったから一人っ子になった訳。団塊の後の世代だね。
その団塊との異差が、一作と意気投合するところでもあるんだけどね(笑)


鈴木清一氏

一作:そんな訳で、清ちゃんって東京人な訳じゃん。

清一:うん、東中野。

一作:この前のゲストの桜井さんもそうだけど、……、おれなんか山口の田舎から出て来てさ、東京に馴染むのに凄く時間がかかった訳。

清一:分かる分かる。

一作:例えば、この酔談の最初の方に出てくれた、元ミュート・ビートのこだま和文くんなんかも福井の田舎から出て来て、「『吉祥寺はパリだ!』と思った」と言うんだから(笑)

ラジオアダン:一作さんもこだまさんも上京当初は中央線沿線にいて、徐々に中央へ向かって行くという共通点がありますよね?

一作:そうそう。
ファッションシーンなんてない田舎で育って、原宿に行けばびっくりしていた。
俺たちは、東京を目指してやって来ているけど、東京の人達って、その先を目指している訳じゃん。

清一:でも、東京は東京のローカリティーってものがあって、……、その東京ローカリティーを一作は笑ってバカにしていたけど。
亡くなったカメラマンのはっちゃん(橋本祐治)が大塚出身で、あそこにある大きな結婚式場が角萬の白雲館。一方、おれが育った東中野の大きな結婚式場が日本閣。そんで、どっちが立派か?なんて言い争いになって(笑)東京人は東京人でくだらないことで盛り上がる(笑)実は、どっちも大したことないんだけどね(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
おれ、バカになんかしてないよ(笑)
池袋にはそういうところはなかったの?

清一:池袋はないな。

一作:そうか。
友人の、編集者、僧侶の稲田(英昭)くんが池袋出身の東京人だけど、あそこにはそんな象徴的な建物なかった訳だな。

清一:東京人がよく拘るのは、山手線の内と外に関してじゃないかな?
おれは外じゃん。新宿から中央線で2つ目だから。
はっちゃんの大塚は山手線内、稲田くんも池袋ならそうなるね。
彼等に比べるとおれは田舎者ってことになる(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
くだらねぇ〜(笑)

ラジオアダン:先日、その稲田さんに昔話をしていただいたのですが、小学生の頃から、「自分の意志で銀座に、自分が着たい洋服を買いに行った」という下りには驚きました。「流石、都会人だなぁ〜」って。

一作:もう意識が、おれ等山口県人の十歩は先を進んでいる(笑)

清一:だから、ソニービルの地下に、「Mr.VAN」ってのがあって、「VAN」よりワンランク上の商品を扱っている、

一作:(遮るように)清ちゃん、清ちゃんさ、ソニービルはもう今ないよ(笑)

清一:ああ、そうね、もうないか……。

一作:あそこの1階の「パブ・カーディナル」も、もうない……。

清一:ああぁ〜、本当?もう、おれ、銀座に随分行ってないから分かんない(苦笑)
昔の東京の若者カルチャーをファッション的に考察すると、まず、大学で言うと、成城大学があって、特に下からゆくのがエリートなの。
成城、成蹊(大学)、あと、青(山)学(院大学)。その辺を初等部から行くのがエリート。近田春夫さんなんて慶応の幼稚舎からだから!
だから、エスカレート的に行けるか?行けないか?が、ボンボン、お嬢様の境目。

一作:清ちゃんみたいに大学で慶応に入るのは?

清一:それ、ダメ(超あっさりと)

一作:でも、頭はいい訳じゃん。

清一:まぁ〜、受験勉強はしたけどね。

一作:もう、その時点で地方の人間は蚊帳の外だよね。

清一:無理。東京の人間ですら無理に近いから。

一作:旧『アダン』は三田にあったから、幼稚舎から登っていった人達が結構来てたよ。
卒業生が大人になって、彼等、皆凄く仲がいいんだ(笑)

清一:おれの大学時代は、意外とその下から来ている人達と仲がよかった。なんか妙に馴染むの、慶応女子(高校)とか(慶応義)塾(高等学)校出身者に。

一作:おれと清ちゃんはひとつ違いだけど、略、ファッション的には同じ時期だよね。ある程度出揃ったのが中学時分だと記憶しているけど。

清一:そうだね。

一作:東京と地方の差はあるけど、基本、「VAN」、「JUN」しかなかった。

清一:うん、まぁ〜……、……、他には「ジャズ」、「プレイロード」とかね。

一作:その辺の清ちゃんのファッション遍歴を教えてよ。

清一:やっぱり、まずはVANのホワイトのスニーカー。それに合わせて、同じくVANの白いソックスにチノパンみたいな。
あと、オックスフォードのBDシャツ。それはブルックス(・ブラザース)ね。まだ青山に店がなくって、自由が丘の並行物を扱う店までわざわざ買いに行って(笑)

ラジオアダン:中学生で、もう、ブルックス・ブラザースを着ていた!?
凄いですね!

一作:そりゃ〜凄いね!
おれは山口の田舎だから、当然、ブルックスはなかったけど、岩国にVANショップがあって。岩国には基地があるから、VANもだけど、米軍の放出品を扱うアメ横みたいな店もあった。
おれも御託に漏れずにVANショップで白いスニーカーを買って、……、でも、他のものは清ちゃんみたいにすぐに揃えられないから、学生服のズボンを同級生でミシンが上手な奴に頼んで、裾を詰めたり、あるいはラッパズボンに広げてもらったり(笑)
ピカピカのVANの白いスニーカーにアイビー調に詰めてもらったズボンをはいて意気揚々と田んぼのあぜ道を通って中学校に行く。

清一:おれは、逆にそういうのに憧れる(しみじみと)

一作:でも、その格好が、「生意気だ!」ってことで、先輩達にボコボコにされて。ガハハハハ(爆笑)

清一:でも、東京もおれのガキの頃は、うちの直ぐ裏なんて川原さんっていって、農業やっていたもの。東中野くらいだと田んぼのあぜ道もあったし。

一作:その頃なら、まだ東京にもあっただろうね。

清一:だって、おれんちから新宿駅が丸見え(笑)終電が来ると、「新宿ぅ〜、新宿ぅ〜」ってこだまして聞こえるんだから(笑)


河内一作

◇◆◇◆◇
 
 正に先端の東京の若者としての青春をおくった清一。その甲斐あって、平凡出版〜マガジンハウスと移行し、急激に右肩上がりに成長する同社のユースカルチャーの一翼を担うようになるのだが、そんな情報通の彼を驚かせたナイトシーンが、一作の実質初の夜のフロントラインとなる「クーリーズ・クリーク」だ。
 清一はこのレストランバーを、「カルチャーショックだった!」と言い切る。
 では、そんな時代の六本木と、その伝説の店に早速誘っていただくとしよう。

◇◆◇◆◇

ラジオアダン:後の職業が示すように、清一さんが青年期に熱中したのは、音楽やファッションだったのでしょうか?

清一:おれ等の時代って、皆、ビートルズが好きなんだけど、おれ、ひねくれもんだから(苦笑)ローリング・ストーンズの方へいっちゃって。

ラジオアダン:以前、雑談レベルですがお話を伺ったとき、ロックの前にモダンフォークに傾倒されていたとか?

清一:うん。
成城大学にアメリカ民謡研究会ってのがあって、通称“アメ民”。黒澤久雄さんがいたりして、

ラジオアダン:ニックネームはクロパン(笑)

清一:うん(笑)

一作:「若者たち」。

清一:うん、(ザ・)ブロードサイド・フォーね。
あと、青学もモダンフォークが盛んで、ニュー・フロンティアーズなんて人気バンドがいたりして。

一作:映画版の『若者たち』は見たことある?モノクロの。

清一:佐藤オリエさんと橋本功さんと、長男が田中邦衛さん、

一作:一番下が山本圭さん。
これ、以前に言ったかもしれないけど、それをリメイクしたのが、『ひとつ屋根の下』だよね。山本圭さんをキャスティングしたとこなんて、それを大いに匂わせている。
清ちゃん知ってるかな?あれ当時は共産党推薦の映画だった。

清一:うん。知ってる。

一作:うちの長男が共産党で、「お前、あれ見てこい!」って命令されてさ(笑)

清一:永福町に友達がいたんだけど、「永福町のパチンコ屋に、佐藤オリエと山本圭が一緒に入って行くのを見た!」とか騒いでいたよ(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
佐藤オリエさんは、あの頃、人気絶頂のアイドルだもの。

清一:おれの憧れの人でもあった(笑)

ラジオアダン:同様のことがぼくにもあって、週刊誌レベルで軽く噂になっていた、大ファンだった竹田かおりさんと、大して好きでもないロックミュージックをやっていた甲斐よしひろさんの2人が、代官山の「聖林公司」に仲睦まじく入って来たのを目撃したときは相当気持ちが落ち込みました(笑)

一作:おれはそういうのはないな……。
ところで、竹田かおりさんって誰だっけ?

ラジオアダン:故松田優作さん主演ものの常連で、

一作:ああ、脱いだりしてる人?

ラジオアダン:ええ、日活ロマンポルノでは橋本治さん原作の『桃尻娘』に主演されていました。

清一:聖林公司は、それこそ、おれがいた、雑誌「ポパイ」のファッション・プロデューサーで、男性スタイリストのパイオニア、北村(勝彦)さんが(ゲン)垂水さんと仲いいじゃん。あそこが出来る前に、ヒルサイドテラスがあって、はす向かいに、えっと、……、メキシコ料理屋の、……、……、

一作:「ラ・カシータ」。
キラー通りの方も知ってる?デニー(愛川)がやっていた、「ハウル」ってバーのとこにハリラン(聖林公司)の最初の店があったでしょ。70年代の頃、あの螺旋階段のとこ。

清一:おれ、デニーは、原宿の今は伝説の店になっちゃった、

一作:「シネマクラブ」でしょ?

清一:そう、シネクラで知り合った。

ラジオアダン:へぇ〜、一作さんもシネマクラブには行っていたんですね。
業界人だらけの店ですよね?

一作:当時はね。
あの頃は一個店が出来れば皆そこに行っていたからね。で、また他が出来るとそっちに移る。
最初の「クーリー(ズ・クリーク)」くらいまではそんな感じ。

清一:そうだね。
そのクーリーが、おれに執ってのカルチャーショックだった。
というのは、それまでは水商売をやっている人達が話題の店を手掛けるんだけど、「ツバキ(ハウス)」や「玉椿」にしても。

ラジオアダン:一連のお店は、日新物産系列出身の方達が、その多くを手掛けていました。

清一:うん。
マハラジャの成田(勝)さんとか、セック(コーポレーション)の松山(勲)さんとかね。

一作:それはそれで過去の水商売とはちょっと違っていたんだけど、大体、その辺りの人達の運営体系って体育会系じゃん(笑)
だから、おれはそれを総して、“体育会系水商売”って呼んでいたんだ。ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)

一作:そんで、クーリーだけが、なぜか文科系水商売。
ねっ、清ちゃんそうでしょ!?

清一:うん、間違いない。
まず、1981年に、一作と共通の友人である大山(典子)さんに、「高樹町に面白い店が出来るから」ってことでオープニングの日に連れて行かれたんだけど、「こんな広い地下の空間に、ぽつんぽつんと贅沢なゾーニングでテーブルが置いてある!」ってことがまずカルチャーショック。前述した一連の店も割とギュウギュウなゾーニングしかなかった時代だから。
あと、おれは前の店「シルバー・スプーン」も知っていたから更に驚きが大きい。
集まっていた人達も、DCブランドの「ニコル」とか「タケオ・キクチ」とかファッション系の人達ばかり。それと芸能人と、おれ等みたいなメディアの人間なんだけど、編集者として、おれ等もかなり異色な方だったからね。

一作:あの時代のマガジンハウスはガァ〜ンといっていたから、来てる人間の頭数が多かった。

清一:そんなマガジンハウス:ポパイの中で、おれが夜の店探しの特攻隊長で(笑)「面白い店が出来ましたよ」なんて北村御大に報告すると、数日後、同行して、おいしいところを、全部、北村さんが持って行くって流れ(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
そうそう。
北村組は清ちゃんもだけど、皆ガタイがでかいのよ。

ラジオアダン:北村さんってそんなに長身でしたっけ?

清一:でかいよ。皆180(㎝)越えだもの。
亡くなった御共(秀彦)くんもでかいでしょ。

一作:でかいのが皆で来て、あと(佐々木)ルリ子ね。

清一:ルリちゃんね。彼女は後半から参加するようになった。
もともとルリちゃんは、新宿「ツバキハウス」の主のような存在で、ニコルのプレスの連中とも仲がよかったり。
ニコルの人達も、昼間に青山通りで会って、「元気ですか?」なんてこっちが声を掛けると、「最近、地味になっちゃって」なんて照れくさそうに応える。だけど、夜は一辺して凄く派手なメークと衣装でクーリーに顔を出す(笑)

ラジオアダン:では、2人のファーストコンタクトは、大山典子さんの仲介で普通にカウンター越しに挨拶を交わしたということですね?

清一:否、……、おれはずうずうしいから、一段上がったバーカウンターの一番隅っこに勝手に座ったんだ。おれ、端っこが好きだから(苦笑)そこが後に定位置にもなるんだけどね(笑)そこから一作と話すようになった。
内容はと言うと、映画とボクシングの話。ボクシングなら、シュガー・レイ・レナードとか、トーマス・ハーンズと、

一作:一番いい時代。
ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー、

清一:(フリオ・セサール・)チャベス、

一作:チャベスはちょっと後だね。

ラジオアダン:一作さんの雑談の内容が、全然、今と変わっていませんが(笑)

一作:基本、変わってない(キッパリ)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)
あと、少し音楽話?

清一:音楽の話は意外にもあんまりしなかったんだよ。

一作:音楽は店にあったからね。

ラジオアダン:店にあった?

一作:店にいつも溢れている。

ラジオアダン:ああ、成る程。

清一:レゲエを凄く新鮮に感じた時代だね。

一作:スタッフに、亡くなった(宮川)賢(左衛門)さんと、三木(哲志)くんとか、その流れに乗ったヒッピーサイドの人達もいたからね。

清一:あの頃はバーボン(I.W.ハーパー)をよく飲んだ。
おれが今でもよく覚えているのが、店の奥のボックスシートに飾ってあったモーゼの絵画。

◇◆◇◆◇
 クーリーズ・クリークに、早々に定席を確保した清一。
 やがて、ふたりの交遊は店外にも及ぶようになり、映画を介し、後に一作が、“男と男のワンシーン”と呼ぶ永遠に色あせない脳裏のスクリーンショットの名優となる。
◇◆◇◆◇

清一:そんなこんなで毎晩通って話しているうちに、マイケル・チミノ監督の話になって、『ディア・ハンター』の話になって、『天国の門』に繋がってゆく。

一作:そうそう。

清一:で、一作が店を終えてから閉館になる前の京橋テアトル東京にオールナイトの映画を観に行ったリ(笑)

一作:明け方、2人で車が全然走ってない中央通りを三丁目まで歩いて(笑)
今でも覚えているよ、あの頃のポパイのエディターはニットを襷がけにしてるんだ。
あれはなんていうファッションになる訳?

清一:いや、だからアイビー。

一作:アメカジってのは、もっと大きな枠組だよね?
アメカジっていつから云うようになったの?

清一:それも北村さんが命名したと思う。アメリカン・カジュアルってのはポパイからだから。
アメリカ本国の体育会系の、アメリカン・フットボールとかラクロスとか、ラグビーなんてのをやっている連中が、襟を立ててVネックのセーターを肩越しに掛けていた訳。
当時のファッション・ジャンル、“ヘビーデューティー”なんかもポパイが作った造語だよ。

一作:あの辺りでファッションが二派に別れる。トラディッショナルとヒッピー系。
正直なところ、清ちゃん達に会う前は、ポパイ系のファッションをおれは理解出来ていなかった。「興味ない……」と言うか、……、当時のおれ嗜好はヒッピー寄りの汚い感じを好んでいた。

ラジオアダン:前述したモダンフォーク派と関西フォーク系でも同様にファッション性が大きく違います。

清一:うん。
例えば、昔の遠藤賢司さんや、友部正人さん等と、モダンフォークはまるで違うようにね。
だから、“ニューヨークVS田舎”って感じに例えることも出来る。ウディ・ガスリーに対するキングストン・トリオやブラザース・フォアと云ってもいいんだけど(笑)

一作:都会派と自然回帰派ね(笑)
今でも都会派は野外フェスに馴染めないもの(笑)

清一:否、おれは好きだよ(笑)P.P.M.(ピーター・ポール&マリー)とか。

一作:そうじゃなくって、単純に虫とか嫌いでしょ?(笑)
山羊に乗って遊んだことなんてないでしょ?(笑)

清一:ハハハハハ(笑)

一作:おれなんて子供の頃は、山羊に乗ったり瀬戸内で釣った魚を浜辺で焼いて食ったりしてるんだから。

清一:だから、そこら辺がおれにとってのコンプレックス。
おれの魚釣りって云ったら、市ヶ谷の釣り堀の鯉だから(笑)
あれは、朝、魚に餌をたらふく食べさせてからオープンするんだよ。だから、中々釣れない(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)そうなんだね。
おれは釣り堀の楽しさだけは未だに理解出来ない。

清一:あれは典型的な東京の遊びだから。

ラジオアダン:一作さんは物心付いたときから海釣り、川釣りが当たり前?

一作:そうだよ。普通に海と山と川があったから。伝馬船だっておれ漕げるし。

清一:そう。
話を戻しちゃうけど、カレッジフォークというと、東京で有名な団体で、「ステューデント・フェスティバル」というのがあって、

一作:それはどこでやっていたの?

清一:杉野講堂や文京公会堂。
そこに森山良子さんが出ていて、『この広い野原いっぱい』を唄っていて。おれが高校の時代だね。
そんなのに感化されて、ボブ・ディランの『ドント・シンク・トゥワイス・イッツ・オール・ライト』の3フィンガーのギターを練習したり(笑)

一作:ギターやってたんだ?

清一:一応ね(苦笑)
でも、手先が器用じゃないことがすぐに分かって(笑)

一作:年取ってから再開したっていいじゃん(笑)

清一:それは上手い奴に任せるよ。おれはこれだもの(手を前に伸ばし、なにかを丁寧に置くポーズ)(笑)

一作:囲碁か(笑)
ところで、なぜポパイの編集をやるようになったの?

清一:最初、『アンアン』で“キャンパスもの”をやるようになるんだけど、

一作:そのアンアンに入る切っ掛けは?

清一:だから、棚橋(芳夫)さんっていう人と、杉本亜鶴(あず)って人達がいて。亜鶴は、昔からのおれの憧れの編集者だったんだけど、その亜鶴が仲介してくれて、いきなり、「キャンパスから」ってコーナーを持たせてもらって、レギュラー陣の一画に加わって、

一作:淀川(美代子)さんが編集長になる前?

清一:うん、なる前。

一作:淀川さんや、貝島はるみさんもクーリーによく来てたなぁ〜。あと、北村道子さんも。そのへんのファッションリーダーは全員来てた。

清一:おれが親しかった女性スタイリストは、(堀切)ミロさん。
六本木に、「平凡パンチ」出身の人がやってる「ジェミニ」って店があって、夜な夜ないろんな出版社の遊び人や、(内田)裕也さん達が来る、もう、めちゃめちゃな状態の店(笑)
そこでミロさんが、「清一、飲めよ!」なんて感じで可愛がってくれて。

一作:「キャンティ」も行っていたの?

清一:勿論知っていたけど、あそこはおれの上の世代がメイン。(堺)正章さんやら、(ムッシュ)かまやつさんとか、GS世代の方々。
おれたちが六本木といえば、「(ザ・)バーガーイン」だね。鉄板でハンバーグを焼いてくれる店。

一作:あったね、バーガーイン(笑)
清ちゃん、あそこは、「ニコラス」は行かなかった?

清一:ニコラスは2軒あるじゃん。飯倉片町と……。
おれ達が行っていたのはパブ・カーディナルの上の方。

一作:ああ、あそこか。

清一:あそこは元々、福生に本店があって、そこから別れて六本木に進出して来た。
おれがよく通っていた時代は、阪急ブレーブスの(ボビー・)マルカーノとか、助っ人外人達のたまり場で(笑)おれは決まって、12インチのオニオン、マッシュ、ガーリックを頼んで(笑)

一作:たまに、ああいうの食いたくなるね(笑)
今は、生地が厚くてパンみたいなナポリピザ全盛で、あれはあれでいいんだけど、

清一:この間、当時の北村組の中須(浩毅)くんとも、「あれ、また食いたいね!」なんて話をしていたところだよ(笑)

一作:最近、あの薄い感じ少ないもの。

◇◆◇◆◇
 ゴールデン80’s、“よく働きよく遊ぶ”ハイパーな日々を送っていた清一。
 そんな彼が、当時、籍を当時置いていた、マガジンハウスというファッッション、カルチャーの不夜城は果たしてどんな希有な稼動を日常的にしていたのだろうか?
 皆が知りたいその秘話をなんの前振りもなく一作がここで単刀直入に訊き出す。
 さあ、ジェットコースターに乗ったようなレジェンド編集者の享楽の日々の回想の始まりだ。耳を澄ましてとくと聞け!
◇◆◇◆◇

一作:マガジンハウス全盛当時の編集者の多忙な一日を教えてよ。

清一:マガジンハウスは、平凡出版時代から社員でも既に自由出勤制だったから、当時、スタッフ全員が揃うのは夕方。
おれら社員でない者も、昼からの取材が終わって編集部に行くのは夕方。
その段階で、やっと皆居て、デザイナーも居て、レイアウト出しをして、それが上がるまで3時間くらい麻雀やったり駄弁ったりして(笑)それから原稿を書く。

一作:じゃ〜、夜中に編集部で仕事をしていた訳だ。

清一:そうそう。
そんな感じのタイムテーブルでも遊び足りないから、いろんな夜の店に行っていた(笑)

一作:大体、12時過ぎに来ていたもんね。

ラジオアダン:遊びの方のタイムテーブルもお訊きしていいですか?

清一:重複するけど、集合場所はピザ屋で(笑)ニコラスね。で、玉椿に行って、

一作:それ集合かけるのは誰なの?
「清一、皆を集めろ!」なんて感じで北村さんが言い出すとか?

清一:そうそう(笑)
うるせ〜じじいだから、あの人も。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:腹ごなしに玉椿で踊って?

清一:うん。
まあ、おれらは日新グループ系は顔パスで、「どうもぉ〜」で入って、VIP席に通されて(笑)それから、「トミーズ・ハウス」に行って、富久(慧)くんのところね。そこから高樹町方面へ流れて。
でも、それもクーリーを知ってからはなくなって、もう、クーリー直行になっちゃった(笑)

ラジオアダン:ご飯も食べられるし?

一作:否、清ちゃんたちが来る12時過ぎは、もう、食事がオーダーストップした後なんだ。

清一:でも、特別に三木くんが作ってくれたり、

一作:三木くんじゃないでしょ?小西(修二)くんってシェフがいて、

清一:あと、須藤(義昭)ちゃんとかさ。

一作:そうだね。
小西くんはクーリーが終わった後、世界一周して、今は島根に帰って農業やってる。須藤ちゃんは松江。
まったく飯がないときは、貝柱を解したやつを皆で食って(笑)

清一:飯がないと、厨房、ドォ〜ンって入って行っちゃうんだもの。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
この酔談に以前出てくれた、亀(井章)ちゃんや、同じ仙台チームの小野(正人)ちゃんも正にそんな感じ。

ラジオアダン:それじゃ〜、完全にじぶんちじゃないですか!?(笑)

清一:ハハハハハ(笑)
話を正道に戻すと、クーリーでかかっていたレゲエなんて音楽は、実はポパイも取り上げるのは早くて、現地取材に、後に編集長になる岩瀬(充徳)さんが行ったりしていた。

一作:岩瀬さんは社員な訳?

清一:うん。

一作:その辺、マガジンハウスって面白いよね。

清一:社員と外部に変なラインがないんだよ。おれみたいな外者でも自分のディスクがあって。でも、そこに辿り着くまではそれなりに大変なんだけどね(苦笑)
おれは優遇されていたのかな?(笑)また話しを戻しちゃうけど、おれはキャンパスものをやっていたくらいだから、女子大生を沢山知っていた訳。

一作:おお、いいね(笑)
その割に、おれには一回も紹介したことない(笑)

清一:田園(調布)雙葉(学園)を含め、フェリス(女学院大学)とか(東京)女学館(大学)とかの、女生徒のアドレスがドバァ〜となるくらいのネットワークを持っていたの(笑)
で、それに目を付けた「ポパイフォーラム」担当の後藤(健夫)くんに呼ばれて、初めてオフィスへ行った。後藤くんは仕事より完全にそのアドレス目当てだったはず(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
キャンパスものってなんかいい響きだね(笑)

清一:うん。
フェリスの愛犬研究会とか凄かったな。皆、お嬢様で。当時はそんな感じでちょっと珍しいグループを取材対象にしていた。
今だから言うけど、その頃はおれも若かったから、それなりに唾付けたりしてね(笑)
一作には紹介しなかったみたいだけど(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
ほんとに一回も紹介されたことないよ(笑)

清一:だっておれ、「一作は常にいるもんだ」と思っていたから(笑)

一作:いやいやいやいや(苦笑)
清ちゃんとの色っぽい逸話は、……、ハハハハハ(思い出し笑い)、一回、プレゼンで関西に行ったときの、福原?有名なソープ街の。
あれ、なんの仕事だっけ?
「レストランを作る」なんてことだっけ?

清一:そうそう。
最初、おれのところに話がきたんだけど、おれ、本業じゃないから、一作と、賢ちゃんと、あと、山根(義行)くんに同行してもらって(笑)

一作:ここで山根くん登場!(笑)ヤーマン(ニックネーム)ね。

ラジオアダン:おお!オールスター・キャストですね!(笑)

一作:そう!(笑)
山根くんはヤーマンと呼んでいた。キャラクターが面白い男で、時々、おれのエッセイにも登場する。今はバンコック在住。
まあ、彼とはよく遊んだね。

清一:4人揃って、福原に行って、賢ちゃんだけがなぜか○○を移されて(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

清一:で、仕事は最終的に破談になるんだけど、というか、やらなくてよかった案件だね。

一作:うん、あれはやっても厳しかった。

清一:結局、その後、一作の提案で淡路島へ足を伸ばすことになる。「清ちゃん、この海の向うにいい島があるんだよ」なんてことで(笑)
所持金も底を付いていたから、ホテルに、「素泊まりでいいから」なんて交渉して島に滞在したんだけど、そのときになしを付けたのが、このタコ!(テーブルの明石ダコを指しながら)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)

一作:旅の帰りに、魚屋でタコの生きてるやつを皆して買って帰ったんだけど、

清一:グリーン車の棚に全員で並べちゃって(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それを家でもんでさ、食べたんだけど、やっぱ明石のタコだから美味いんだよ。

清一:美味しかったね(笑)

一作:それで、三田のアダンを始めるときに送ってもらって店で出すようになった。

清一:一作、覚えてるかな?当初の目的は、「洲本に美味い寿司屋があるから行こう!」ってことだったんだよ。

一作:ああ、そうだそうだ!
当時は、明石大橋はなかったから船で行ったんだけど、今の車での移動だと1時間半もかかる。

清一:徳島に行かなくちゃならないからね。

一作:あの頃は、神戸港から高速艇で洲本までたった40分。そんなだから、「ちょっと行って寿司食って帰ってこようよ」なんてイメージで軽く言っただけなんだ。

清一:で、行ってみたら、お目当ての「寿司清」はやってなかった(笑)
しょうがないから、違う寿司屋に行ったんだけど、これがまた正解で。
店主の弟が漁師で、瀬戸内海の新鮮なネタを優先的に仕入れられる店。
でも、山根くんが、いつものウンチクを長々と話し出して、それを聞いていた一作がカチンときて(笑)

一作:あいつは神戸、兵庫の人間だから、地元淡路の瀬戸内の魚の自慢を過剰にする訳さ(笑)例の延々続くウンチクだよ(笑)
おれ、凄く我慢してたんだけど、そのとき、淡路にいるもんだから超上がっていて、いつもに増してうるさくて(笑)
その辺、山ちゃんらしいんだけど、あいつ本当におしゃべりだからね。
お会計して店の外に出た瞬間に、「うるせぇ〜んだよ!」ってヤーマンにチョーパンくらわした。映画の『パッチギ!』みたく。
そしたら、ヤーマンが後ろ回し蹴りかなんか空振って、まあ、兄弟ゲンカみたいなもんだな。ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
で、ホテルに帰るんだけど、一作だけいなくなっちゃって(笑)
後日談だけど、なんでもその後に一人で地元のスナックに入ったら、常連の漁師の親父さん達と話が弾んじゃったらしいんだ。
そのときのことを、「『星屑の酒場』ってタイトルでエッセイにしたい!」なんて言い出して(笑)

一作:そうそうそうそう。
あのときは面白かった。結局、稲田くんの媒体、……、「シティーライツ」かな?……、で、エッセイを書いたんだ。タイトルを、「明石のタコ、淡路のコナ」に変えて。
丁度春先で、そのスナックのカウンターにシラスの親分みたいなのが置いてあって。その魚を洲本ではコナと呼ぶんだ。
コナのメスは春先になると腹がピンク色に染まる。「昔はそのコナが岸壁まで沢山近づいてきて海がピンクに染まる」なんて話を漁師さんがしてくれて。
きみ(進行役)は知らないかもしれないけど、要は、コナはいかなごの子供。いかなごを煮ると“くぎ煮”っていって、洲本特産の甘辛いつくだ煮になる。

清一:でも、あの珍道中でおれの人生観が随分変わったよ(妙にしみじみと)

一作:変わってねぇ〜よ!全然。
ガハハハハ(爆笑)
おれの方が人生的には大きく変化してない?
タコでアダンって店が出来たんだから(笑)おれ、タコ成金か!?!?ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
そういう意味でも、おれってやっぱり特攻隊だ(笑)

◇◆◇◆◇
 流石は、“常連ナンバー栄光の1番”、三田「アダン」の名物料理の誕生にも介入していたとは!!
 ここで急に、2人の食の旅の回想は、淡路島から東京:恵比寿に大きく舵を切る。
 そこで浮き上がるのは、夜明け前の恵比寿の屋台を舞台にした一作ならではの妄想口頭文学。
 そのフワっとした味わいがまたじつによい。
◆◇◆◇

清一:その関西への旅でも美味いものを沢山食べたけど、やっぱり一作は美味いものをよく知ってる。
恵比寿のこっち側(東口)の通りの突き当たりに鰻屋が昔あって。覚えてない?

一作:うん、……、……、あっ、あれでしょ?今でいうガーデンプレイスの方でしょ?

清一:そうそうそう。

一作:あの角の一軒家ね。煙がもうもうで(笑)

清一:あそこの鰻が美味しくてさ。

一作:あそこはビルを建てて今は地下に入ってるけど、当時の迫力はないね。
やっぱりあそこはもうもうなのがよかった。

清一:そういう店に一作は連れて行ってくれる訳。
同じ恵比寿の屋台もそうだし。

一作:「おゆき」さんね。

清一:おれらがおゆきで飲んでいると、ベンツを横付けして銀座のクラブのねぇ〜ちゃんをはべらした社長然としたバブルな奴が来るんだけど、結局、おれらがつまみ食いしちゃう。
ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
おゆきの後ろに公衆電話があって、そこに予約の電話がかかってくるんだ(笑)
清ちゃんが言ったように、着物着た銀座のお姐さん達がお腹減らして、深夜おゆきに食べに来るんだけど、あそこは近くにトイレがないから、「お兄さん、ちょっと付いてきてくれない?」なんて言われて付いて行くと、「見張ってて」なんて言って、最寄りの駐車場の影で着物を上げて用をたす。

清一:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:なんか、つげ義春原作映画のワンシーンみたいな、

一作:そうそう。ある種、つげ的なんだよ(笑)
おれ、そのシーンは「(ライスペーパー)88」の連載で書いたよ。
「見ちゃいけない」って思うから、月なんて出てないのに、空に向かって月を見るいふりをしたりして(笑)でも、耳で、“その”音を懸命に追っている(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
多分、いい音だよ(笑)

一作:で、ぱっと下を見ると、その液体が流れてきている(笑)

ラジオアダン:今度は、清水美砂さん主演の今村作品みたいですね(笑)

一作:今村昌平監督のね、……、赤い、……、えっと、……、『赤い橋の下のぬるい水』。

ラジオアダン:ですです。

一作:あれ最高!
あれの清水美砂の演技は凄い!今村監督も多分、ああいう女に出会ったことが実生活の中であるんだよ。

清一:この間、『シコふんじゃった』をたまたま見直したんだけど、随分若いときだけど、やはり清水美砂はいいよね。マネージャーみたいな役で。

一作:清水美砂って誰と結婚したの?
おれ、清水美砂とつきあいたぁ〜〜〜〜いぃぃ〜!!(妙に可愛く)

ラジオアダン:(スマホで検索中)……、……、……、……、……、清水さんは、在日アメリカ軍人のチャールズ・バックリーさんって方と結婚して、今はアメリカに住まわれてますね。

一作:あっ、つまんねぇ〜な、次の話題にゆこう!(なにもなかったかのように超あっさりと)

◇◆◇◆◇
 希代の女優も、利かん坊が、望んでもいない自らの話題に飽きて、LEGOのブロックを壊すように投げ出されては、流石に立つ瀬もないだろう(笑)
 が、彼女に執ってのせめてもの救いではないが、この後もぶれることなく引き続き映画をテーマに、照れ屋の2人が珍しく、“ヒューマニズム”について長尺で熱く語り合う。
 そう。恒例のあのコーナーに突入。
◇◆◇◆◇

一作:これ結構、この酔談では恒例化しているんだけど、映画の話に戻ったところで、清ちゃんの選ぶ、オールタイム・ベスト5をランダムに上げてよ。

清一:そうだなぁ〜、……、この間、娘達やその亭主に、「どの映画観たらいいですか?」なんて訊かれて、一番最初に出てきたのが『勝手にしやがれ』。

一作:(ジャン=リュック・)ゴダール。

清一:うん。
ジャン=ポール・ベルモンドと、セシルカットのジーン・セバーグ主演。
「こういう、ちゃらんぽらんな生活っていいなぁ〜」なんて憧れて。

一作:そんなこともあり、清ちゃんは、おれのことが好きなんでしょ?(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
まあ〜ね(雑に)

一作:清ちゃんにはそれが出来ない。真面目だから。

清一:そうね(苦笑)
それは云えてる。おれ自分が、「真面目だ」と思うもの。

一作:おれも友達の中で一番真面目なのは清ちゃんだと思う。
あの映画の最後に、ベルモンドが撃たれて長回しで走りながらさ。
あれは、鈴木杏と、主演、誰だっけ?……、……、

ラジオアダン:廣木隆一監督の『軽蔑』のことですか?

清一:高良健吾。

一作:そう。
『軽蔑』のラストシーンは完全にゴダール。『勝手にしやがれ』。

清一:成る程ね。

一作:高良健吾が撃たれて、和歌山の商店街をずっとのたうち回りながら歩くんだけど、かっこいいよね。

清一:でもさ、高良健吾の役どころって一作そのものじゃん(笑)
地方のぼんぼんが東京に出てきて、新宿のストリッパーもどきに惚れちゃって(笑)

一作:東京も世の中も知らなくて、居られなくなって田舎に帰るんだけど、親父に蹴られて(笑)

清一:あの親父さんは(小林)薫さんだっけ?

一作:そう。
あと、緑魔子さんが凄かった。

清一:うん。
あの映画で魔子さんがママをやっていたああいうバーに行きたいね。
海辺にある一軒家の鄙びたバー。

一作:場末感のある店はおれもやりたいんだけど、あれは余裕がないと出来ない。

清一:それと、そういうのって、まず、ママにああいうおばはんがいないといけないんだよ。

一作:そうなのよ。

ラジオアダン:前回のゲスト、桜井(莞子)さんのときに話に出た、西麻布「ホワイト」のミーコママは一種そういう感じを醸し出していた方なんじゃないですかね?

一作:だから、あの時分の、ミーコさんとか、あと、「インゴ」のよしおとけんちゃん。ああいう感じはやっぱ新宿からの流れだから。……、おれには無理だね。第一、新宿ゴールデン街はちょっと辛いし(笑)

清一:全盛期のゴールデン街も大枠では業界人のたまり場なんだよ。だって、おれがポール・スミスを案内したくらいなんだから(笑)
ごめんごめん映画の話から随分外れちゃったね(笑)

一作:はい!では第二位!(笑)

清一:ロバート・ワイズ監督。

一作:なに?

清一:『サウンド・オブ・ミュージック』

一作:そこは意外だね。

清一:凄くヒューマンなんだもの。

一作:おれも子供の頃に観て好きだった映画は、あれと、『眠れる森の美女』。その二つ。

清一:ワイズ監督だと、その前に『ウエスト・サイド物語』を観ているんだけど、やっぱり、『サウンド・オブ・ミュージック』。
実話にもとづいていて、大佐役のクリストファー・プラマーの7人の子供の家庭教師としてお転婆娘のジュリー・アンドリュースが修道院からやって来て恋愛に落ちたりと、ベタな設定なんだけど。史上初めて唄われた『マイ・フェイヴァリット・シングス』があまりに素晴らしく、実にヒューマン。おれ、極端なんだけど、後はやっぱり『ディア・ハンター』。
他人には関連性が分かり難いかもしれないけど、ヒューマニズム?今語っている作品全てにロマンがある。
『ディア・ハンター』も男の友情の話じゃん。ああいう、命?戦争があったことでベトナムにとり残されてしまう男を迎えにロバート・デ・ニーロが出向てくっていうさ。
アメリカに実際に住んでないとピンとこないかもしれないけど、やっぱりもともとが移民の国じゃん。

一作:白系ロシアでしょ?

清一:うん。
その深い結び付きが、「いいなぁ」と思う。

一作:清ちゃんと、かなり長く付き合ってるけど、これだけヒューマンな話をしたことはないね(笑)

清一:ないね。
ガハハハハ(爆笑)

一作:『ディア・ハンター』の白系ロシア人の結婚式のシーンで、えっと、……、……、ジョン・カザール。『ゴットファーザー』にも出ていた。
あのシーンで、皆でフォークダンスを踊るとき、『黒い瞳』がかかるんだよ。
あれ、違うか、……、……、そうだ!『コロベイニキ』だ!
あれ観た時、中学校でフォークダンスを踊ったときのことを思い出した。

清一:おれたちの方は、『オクラホマミクサー』。
女の子の手に触れるって当時は普段ないこと。

一作:ドキドキするよね(笑)

清一:うん。
ガハハハハ(爆笑)

一作:今、中学でないでしょ?フォークダンスって。
おれ、あれは絶対やったほうがいいと思う。

清一:今こそ、真面目に焚き火を囲みながら、“フォークダンスを踊る会”を作るってのはどう?(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それ、おれに期待しないでね(笑)
フェスでトランス風にアレンジしたリミックスものじゃないと難しくない?

清一:いやいや。
『マイムマイム』のときは、嫌いな奴を事前に真ん中に置いといて、火に追いやる!(笑)更に蹴りを入れて(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
(話を遮るように)はい次!第4位!

清一:『ET』。
映画館の中で泣いた唯一の映画。

一作:そうかぁ〜、ヒューマンだもんな。
清ちゃん、立派だよ、あれで泣くってのは。清ちゃんは、やっぱり牧師か教師になるべきだったね。
おれが清ちゃんを好きなのは、……、清ちゃんって凄く真面目だから。

清一:まあね……。
3億5千万円をドブに捨てちゃう人間だからさ(笑)

一作:自分の家を抵当に入れて事業して、まあ、騙されてもいいんだけれど。
ものの見事に失敗して、ものの見事に孤独になって。
でも、それを、おれと飲んだときに一言も愚痴らない。

清一:うん、言わない。
言ってもしょうがないもの。

一作:怨み辛みを一言も言わない。

清一:うん。

一作:そこが好きだし、清ちゃんのかっこいいところ。
沈黙。男は黙っていることも大切。
で、『ET』はどんなところが好きなの?

清一:まず、ストーリーとして、“だれが観ても分かる”。
要は、ETは外来生物で、それと人間が触れ合う有名なシーンがあって。そこでおれは泣いてしまったんだけど……。
やっぱり、こう、触れ合い?みたいな、ホッとする部分が。実に単純なことなんだけどね(苦笑)

一作:はい、じゃ〜最後の1作。

ラジオアダン:ひとつくらい邦画を頂くとか、

一作:いいね。じゃ〜邦画で!

清一:そりゃ〜、『雨月物語』とか、……、やっぱり溝口健二、小津安二郎は基本的に好き。だけど、……、日本か、……、大島渚の『絞死刑』かな?

一作:渋いね。暗いし。

清一:あの時代は、おれ、(日本)アート・シアター(・ギルド)の作品は欠かさず観ていたの。新宿文化って劇場で。

一作:おれは日劇の前で観てた。

清一:アート・シアター・ギルドが制作費一千万の中で作る、

一作:制作費一千万ってのも凄いよね(笑)

ラジオアダン:大島渚監督がインディペンデントに移行した時代ですよね?

清一:そう。
その後に、篠田正浩、松本俊夫。
松本俊夫はピーター主演の『薔薇の葬列』が好きだった。
他、勅使河原宏、黒木和雄、

一作:おれは、黒木和雄は、『祭の準備』が好きだった。竹下景子が初めて脱いだやつね(笑)

清一:あとは、『龍馬暗殺』か。
今思うとおれ、飲みに走る前は、毎週くらいのペースでアートシアターの作品は観てた。

ラジオアダン:一作さんがA.T.G.を好きなのは想像出来ましたが、清一さんは実に意外でした。

清一:いや、おれは基本的に、『橋のない川』とか全部観てるから。

一作:“脱ぐ”なんてふざけて言ったけど、日活ロマンポルノ出身の女優陣が沢山生き残っていることは本当に素晴らしいね。白川和子さんなんてれっきとした名女優だし、それも当然なんだ。
と云うか、もともとあの方達は女優なんですよ。女優という高い意識があるから生き残っている。おれ、絵沢萠子さんなんて大好きだった。エロチックだし演技は上手いし。
だからつくづく思うのが、AVは、……、流石に全部とは言わないけど、只やらせるだけのバカな女が自分のことを、“女優”なんて思ってること自体が腹が立つしありえない。

清一:分かる分かる。
『借王(シャッキング)』って哀川翔主演の映画があるんだけど、哀川翔に貢ぐ女が絵沢萌子さん(笑)京都の金融屋で銀行員の哀川翔に15億預けるんだけど結局使い込まれて、

一作:あれ面白いよね(笑)

ラジオアダン:ピラニア軍団だった志賀勝さんや美人女優の夏樹陽子さんが同じく主演で、

清一:うん、出てる出てる。

一作:志賀勝さんがまた凄くいい!(笑)
相当、作風は違うけど、前回話した『麻雀放浪記』みたいに3人共はまり役。

ラジオアダン:オールタイム・ベスト5で、シャッキングで〆とは意外でした!(笑)

一作:あっそうか。絵沢萌子さんの話からそうなったのか(笑)
あと、春川ますみさん。あの人も昭和のね、……、もう、只々素晴らしいね。

清一:『赤い殺意』。

一作:うん。
日活ロマンポルノは、日活が最後の最後にやむ得えなくあの路線で屋台骨を支えていた訳。宮下順子さんなんて最高の女優じゃん。

清一:片桐夕子さんも、『女高生レポート 夕子の白い胸』ってのがあって、その後、団地妻シリーズにいって人気を決定付ける。

一作:あと、『北の国から』に出てる、……、誰だっけ?
『男はつらいよ』のタコ社長の娘役だよ。

ラジオアダン:ああ、美保純さん。
ロマンポルノだと、ジョージ秋山原作の『ピンクのカーテン』が有名ですね。

一作:ああいう人達は女優として腹括ってるんだよな。

ラジオアダン:日活ロマンポルノは、監督、脚本家、俳優陣と、当時そこでしか活躍の場がなかった若手達が沢山関わっていたので、現場自体が凄く熱があったのではないでしょうか。
一作さんが好きな俳優さんでは山谷初男さん。あと、風間杜夫さん等の演技派も若手時代は積極的にロマンポルノに出演されていた。

清一:山谷さんはおれの場合は、若松孝二監督の、『胎児が密猟する時』ってグロテスクな作品での演技が印象的だった。

一作:70年代はそういう作風が多かった。
おれは、上京すぐは金もないしやることもないから、住んでいた井の頭3丁目最寄りの二番館に行く訳。三鷹にもあったし、あの頃、一杯、二番館があった。

清一:吉祥寺駅前にスバル座ってのもあった。その裏が武蔵野公会堂。
おれは鍋屋横丁のオデオン座によく通った。
オデオン座は洋画の3本立てで、朝9時から始まって観終わると、丁度下校時間(笑)そのまま家に帰って、「ただいま!」で一日終了(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
この前のゲストの桜井さんもそんな感じだったね。彼女の場合は映画館じゃなくってジャズ喫茶でのライブだったみたいだけど(笑)
東京人はいいよな、そういうところが幼い頃から一杯あって(笑)
そりゃ〜学校なんて行かなくなるはずだよ

◇◆◇◆◇
 酔談は当然ながら、“話が飛ぶ”という現象が多々起きる。
 当然のことである。飲酒しながら、しかも雑談という不文律に則っているのだから。 
 そんな中、今回は特に飛びに飛びまくった印象があるが、これに関しての要因は飲酒と違うところにあるのではないだろうか?
 それは、“信頼”??
 まず2人は、会話の守備範囲を想定していない。投げたボールが取れようが取れまいが、お互い、「どうでもいい」という域にまで信頼しあっている。
 さて、ここまでの域に達してしまった関係が、今後、進展することは可能なのだろうか?
 それを可能にするのは、仕事や遊びを共にするのではなく、一作の造語通りの、“男と男のワンシーン”を久方ぶりに上書きする、新たなる時間作りではないだろうか?
 そんな筆者の思いが伝わったのか?更なるフェーズへの切っ掛けを、瞬時に一作が切り出す。すかさず清一もそれに呼応。
 清一が示したその先には、眩しい程に豊かなヒューマニズムを湛えたあの島が見える。
◇◆◇◆◇

一作:清ちゃん、だから、男と女じゃなくって、男と男のシーンってあるじゃん。
おれはそういうのが凄く大切だと思うんだ。
例えば、今、この酔談の進行をやってくれているエンドウくんとだったら、ライブハウスの『音楽実験室 新世界』を一緒にやっていた頃、毎年花見の時期になると、“店を辞めるか続けるか”の話し合いをしながら、五反田から目黒川のあまり人気がいないところを目黒まで桜を見ながら2人で歩く。で、おれが、「流石に今回の更新時で締めよう」と断腸の想いで言う。でも、エンドウくんは、「もったいないです。せめてもう一回更新して、あと2年やってから辞めましょう!ぼくが絶対にスポンサーを見つけてきますから!」なんて言って覆す。
で、清っちゃん、連れてきたスポンサーって、どんなだったと思う?
それが、企業じゃなくって、おれもよく知ってる友達連中から一律月5万円を徴収(笑)
それ、スポンサードじゃなくってカンパだよね(笑)砕いて言えば、“おなさ”けじゃん。
ガハハハハ(爆笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)

一作:それで、結局、店を続けて赤字は更に膨らむ。でも、それがおれに執っての男と男のいいシーンで、友人達がカンパしてくれたことも、凄くありがたかった。
同様に、おれの中での清ちゃんとの名シーンって、前述した、テアトル東京での、『天国の門』を観て、明け方の帰り道、清ちゃんがいかにもアメカジなニットを襷掛けしていて、中央通りを2人で京橋から三丁目まで歩いたあれなんだよ。
ちょっと綺麗過ぎるかもしれないけど(苦笑)

清一:おれもあれは鮮明に残ってるよ。

一作:そういうのがあるんだよ、男と男のシーン。
おれは男と女のシーンは、残念ながらあんまりないんだけど(笑)いつか話すけど、亡くなった賢さんともそんなシーンが実はあるの。
新たなシーン作りのために(笑)久しぶりに2人で旅でもする?清ちゃんは今どこか行きたいところはあるの?

清一:いや、だから、おれは淡路に行きたいんだよ。

一作:淡路島?
前回は清ちゃんが金出してくれたから、今回はおれが出そうか。

清一:おお、いいね(笑)

一作:淡路一泊くらいなら、人工透析の方は大丈夫なのかな?

清一:大丈夫、大丈夫。
じゃ〜、金曜日発ちで月曜日の午前戻りだな?

一作:そんな、二泊も出来るの?

清一:病院は月曜の午後からだから大丈夫。

一作:金曜は何時に発てるの?

清一:午後8時なら東京を発てる。

一作:まあ、あれだ。人工透析なんて、ヤクが切れたようなもんなんだな(笑)

清一:ガハハハハ(爆笑)
いや、そういう軽いもんじゃないね(笑)

一作:(芝居がかって)「ヤクが切れた!!打ってくれぇ〜〜〜〜!!!」って(笑)

清一:そうゆうんだったら喜んで毎日行くよ!(笑)

一作:オッケー、じゃ〜、今日のところは一旦そういうことで!
久し振りにゆっくり話せて楽しかったよ!

清一:ありがとう!旅の方、楽しみにしてる(笑)
 
◇◆◇◆◇
 前回のバブル期の狂乱の中でのビジネス絡みの島旅ではなく、自身のタイムテーブルをゆっくり廻るような感慨の中、新たなシーンを紡ぐために2人は約束の地へまた向かうようだ。
 前回の旅の手みやげは、一遍の随筆と明石のタコ。このカップリングも調和という概念からは大きくからかけ離れたものだが、齢を重ねた今回の土産は更に理屈を越えたものになるのだろう。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@奥渋「家庭料理 おふく」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

鈴木清一/プロフィール

1951年東京都生まれ。プロデューサー、エディター。
中学時代から映画にはまり年間100本以上観まくる。『勝手にしやがれ』でジャン=リュック・ゴダールにはまる。同時に、ジーン・セバーグのセシルカットにもはまり、ショートカットの女性に夢中になる青年期をおくる。
1976年、平凡出版『アンアン』の人気企画“キャンバスもの”の編集担当を皮切りに、『ポパイ』、『オリーブ』とメジャー誌のレギュラーライターを歴任。
1986年には、プランニング会社、(株)オビワンを設立し、ニッカピュアモルト雑誌広告でマルチプル部門金賞を受賞。
一方で東京ナイトライフの達人でもあり、1981、年高樹町にオープンした『クーリズ・クリーク』でバーテンダーだった河内一作と出会い、以後、一作の作るカクテルに惚れ込み毎晩通う。特に一作考案のカクテル“ハバナクラブショット”は今でも愛飲。その後の、代官山『スワミ』、青山『CAY』、広尾『ケセラ』、三田『アダン』、渋谷『家庭料理 おふく』と、一作が起ち上げた店全てに毎晩出没し長年和みの生活をおくり現在に至る。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。