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酔談vol.4 ゲスト:岩根愛氏 ホスト:河内一作

酔談vol.4 ゲスト:岩根愛氏 ホスト:河内一作

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
  酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1980年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回のゲストは、女流カメラマンとして確かなキャリアを誇り、更に近年では、ハワイ日系移民の古い集合写真と回転スリットカメラ、サーカットとの劇的な出会いから、ライフワークである“盆ダンス”を介し、福島~ハワイの太い人の繋がりからなる地下水脈をアートワークとして体現する岩根愛氏(以下敬称略)をお招きし、「酔談」第4回目として、泉岳寺「アダン」特別室にて緊急開宴!
 数日前に岩根愛、企画、出演のNHK:BSの番組『双葉盆唄ハワイへ行く ~福島 震災から6年~』放映の知らせを本人から受け、同番組視聴後、いてもたってもいられなくなった一作。週末には、渡布哇(ハワイ)が既に決まっている岩根愛に急遽連絡を入れ、多忙を縫ってのこの宴とあいなった。
 話題は勿論、盆ダンスを軸とした、お互いの約束の地、ハワイ日系人文化の深層部へ早々に向かった。

◇◆◇◆◇


河内一作(以下一作):実は6月くらいにこの酔談のゲストで愛ちゃんを呼ぼうと考えていたんだけど、先日、メールをもらって、NHK:BSの番組(『双葉盆唄ハワイへ行く ~福島 震災から6年~』)が進行していて、放映も間近だと知って。そして、またまたハワイへ旅立つんだもんね?

岩根愛(以下:愛):ええ、今週末から。

一作:なので、急遽本日来ていただいたという訳。

愛:さっき丁度、一作さんもよく知っているニック(加藤)さんとメールしていました(笑)

一作:番組や、一連の盆ダンスプロジェクトにもニックは関わっているの?

愛:番組には関わってはいないですけど、今回、最初にヒロに入るんで、ニックさんちに泊めてもらうんです。

一作:そうなんだね。
で、番組見ました。
おれ自宅にテレビがないから(笑)ダビングしてもらって見ました。非常にいい番組だった。
いつから始動したの?

愛:撮影は2015年から開始したんだけど、その時は、まだ最終のメディアが何になるか?はまったく先行き不透明で、

一作:それは誰が主導して?

愛:今回の制作会社のテレコムスタッフの岡部憲治社長、この方も新宿の飲み屋繋がりなんですけど(笑)、
以前より、飲み話でわたしのパノラマ写真のプロジェクトに興味を持ってくださっていました。

一作:へ~、そうなんだ(笑)


河内一作

愛:そんな関係なんでいつも夜しか会わないのに(笑)ある日、表参道を歩いていたらばったり会って、「たまには、お茶でもしますか?」て感じで雑談したんですけど、まだ、サーカット(回転スリットカメラ)も修理している時期で具体的な動きはまったくしていなかった。

一作:あの、一連のパノラマ写真、おれも好きだよ。いい写真だ。

愛:ありがとうございます。
そのとき、「この写真を題材に番組にしませんか?」と岡部さんが言ってくれて。
その後、カメラがやっと使えるようになってパノラマ写真を撮り出して、テレコムのプロデューサーの堀内史子さんがいろいろ企画をプレゼンしてくれたのですが、なかなか企画が通らなかった。そこに変化が起きたのが、わたし自身が福島県の人達との関わりを深くする中、2016年に双葉町の太鼓のチームの人達がマウイに遠征することからなんです。

一作:って、ことは双葉町の伝統芸能とハワイの盆ダンスの関連性に関する情報は、愛ちゃんは既に持っていたってこと?

愛:うぅ~むぅ、……、分かり難いですね。話を一旦戻しましょう(笑)
時系列に沿って話しますね。
わたしが盆ダンス(ハワイの盆踊り)にはまってハワイに通っていたのは一作さんもご存知ですよね?

一作:うん、知っていた。

愛:2011年の震災の後、春にマウイ太鼓という福島の盆唄を継いでいる人達が主人公のドキュメンタリー映画『100年の鼓動 〜ハワイに渡った福島太鼓〜』をたまたま見たんです。盆ダンスでフクシマオンドを生演奏で踊るシーンを見て、「そういえば、フクシマオンドの故郷って一体どこなんだろう?」と考えるようになりました。
皆もそうだったと思うのですけど、震災があった時、「一体、わたしはなにをすればいいのだろうか?」と凄く悩んだ訳です。只現状を撮りに行くという気持ちはわたしには全然起きなかった。
ずっと盆ダンスを追いかけていた盆ダンサーのわたしとしては(笑)ハワイに伝わったフクシマオンドを知ったとき、「この文脈の中からなら、わたしにもなにかやれることがあるかもしれない」と思って、その年の夏にマウイ太鼓に会いに行ったんです。

一作:そうか、そのころからもう動いていたんだね。

愛:そうです。
マウイの日系人って気持ちが熱い人達が多くて、震災すぐのその夏に、マウイ島の有志が「アロハ・イニシアチブ」という被災者支援のプログラムを立ち上げ、お金を集めて、東北から100人以上の人達を招き、3ヶ月間も、「ここで休んで下さい」という活動を行っていたんです。
ですから、マウイに着いたら、福島や東北の方々が沢山いた。その中には双葉郡から来た中高生も30人程含まれていて、現地の方々が、「マウイの盆踊りも経験してみない?」なんて感じで盆ダンスの会場に招かれていた。最初は隅っこで小さくなって佇んでいたんですが、フクシマオンドの演奏が始まった途端に、口々に、「これ知ってる!」と言い出し、輪の中に入り踊り出したんです。

一作:へ~、いい話だね。

愛:フクシマオンドの原曲は「相馬盆唄」で、双葉の子は皆知っているんです。
その光景、その瞬間が、わたしの中に未だ強烈に残っていて、盆唄というものがこの世代にまで浸透している福島という土壌が、東京育ちの自分にはある種羨ましいものだった。ハワイの盆ダンスって30曲以上の振り付けを皆が完璧に踊れてもの凄く盛り上がるのですが、100年以上前から伝わった盆唄がこんな形で伝えられていることも素晴らしいと思いました。
フクシマオンド、岩国音頭、あと沖縄音楽は生演奏なんです。

一作:大体が、東北と、中国地方、沖縄が移民の人達の出身地として多いから、

愛:そうなんですよね。
現在、マウイは彼等マウイ太鼓しか盆踊りの太鼓はやってなくて、フクシマオンドの生演奏が定番となっています。

一作:ヒロは、比較的、瀬戸内からの人達が多いよね。

愛:ええ、でもヒロも曲はフクシマオンドが多いですね。岩国音頭は、初盆の方のリクエストで歌う、ということもあるようです。
あまり大きな声では言えませんが、フクシマオンドはかつて“べっちょ踊り”と呼ばれていて、ヒロではかけ声にまだ残っています(笑)世界中でべっちょと唄っている人達はヒロにしかいないでしょうね(笑)

一作:べっちょってどういう意味?

愛:べっちょは女性器を意味します。

一作:福島弁になる訳?

愛:そうですね。
わたし、この話大好きで(笑)そこらじゅうで話しまくるんですけど、それを聞いている福島の人達に、いつも、「あんた、意味分かってるの!?」って心配される(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

愛:要は、盆踊りって、夏の男女の出会いの場でもあったし、昔はそういうナスティー(淫らな)なかけ声も多かった、

一作:沖縄で云うところの“毛遊び(もあしび)”だ。

愛:へ~、毛遊びもそういうことなんですか?

一作:うん。
祭で皆集まって、その辺(外)でラブしちゃうみたいな。

愛:成る程。
東北ですと、真夏の農閑期に皆が集まる。
やはりなんと言っても子孫繁栄って重要なことですから、そのための男女の出会いの場を作る。
でも、実は、ハワイでその辺の話をすると凄く嫌がられるんです。
オアフとマウイではべっちょは完全な禁句になっていて、残念ながら自身のルーツの黒歴史として認識されています。それはアニミズムとクリスチャン歴のせめぎあいの中での、現在の合衆国の州としてのハワイの意識なんでしょうね。
そんな形で淘汰されてゆく中で、ハワイ島のヒロ・ボンダンス・クラブの人達だけがべっちょをいうかけ声を伝承している。

一作:べっちょなんだから、それとは本来関係ないよな。


岩根愛氏

愛:ハワイの盆ダンスには、真珠湾攻撃を機に始まった戦争を経て苦労した先祖のことを敬うという、宗教仏教行事として神聖な側面もあって、まあ、夜這的なものが排除されたんでしょうね。

一作:クリスチャンとのせめぎあいって、フラでもそうだけど、一時、フラ禁止になったりもしたよね。正にそれはアメリカ文化の押しつけで、あの時期、古典フラは消滅の危機さえあった。そして、継承が途絶えるギリギリで始めたのがハワイ島のメリー・モナーク・フェスティバル。

愛:そうですね。
ハワイアンの唄も性的なものが結構ありますよね。

一作:あるある。
実際の聖地にもそういう場所があるし。

愛:本来アニミズムに則した文化には付きものですものね。
ただ、ハワイは、現在、アメリカなのでキリスト教文化の方が社会的に圧倒的に優位なので、その辺を無くしてゆく傾向にある。

一作:でも、愛ちゃんが傾倒する、盆ダンスと日系移民の人達がそこでクローズアップされ再度注目されるという、ハワイの持つ土壌がまずは面白いよね。

愛:そうなんです。
日本、フィリピン、ポルトガル、中国、韓国など、さまざまな国からやってきた移民のそれぞれの文化を尊重するところがハワイの最大の魅力ではないでしょうか。

一作:うん。同感。
おれはいろいろ旅をした後、最後の最後に行ったのがハワイだったんだ。
行く前は、「なんか軽~~いイメージの島だな…」なんて感じで、まるで興味がなかったんだけど、実際に行ってみると、今、愛ちゃんが話してくれた部分が非常に心地よかった。
『ファミリー・ツリー』なんて映画を見るとその印象が蘇るよ。あの作品でのジョージ・クルーニーは素晴らしいし、なんといっても音楽が最高。いきなりレイモンド・カーネがかかったり。あれだけローカルなハワイアンミュージックがガッツリ並ぶって、サントラでは珍しいよね。
ジョージ・クルーニーの役柄は王族の子孫で、先祖から引き継いだカウアイにある土地を売却する方向にあらかた決まっていた、……、だけど、最後は先祖の土地はやはり売らないと。まあ、そんな話なんだけど、これが結構ね……(苦笑)

愛:うん、……。

一作:前回に引き続き、また映画の話になっちゃったけど(苦笑)おれの中で、あの盆ダンスの番組は凄いヒットで、「やっぱり、岩根愛やるじゃん」って(笑)

愛:ハハハハハ(笑)
ありがとうございます。

◇◆◇◆◇

 伝統文化の衰退に関し、その主な要因が、アニミズムとキリスト教のせめぎあいという、正に文化人類学を彷彿させるハワイの壮大な歴史にまで話題が及んだところで、一作が懐かしそうな遠い目で、初めてのハワイロケ旅情へと時間軸を巻き戻す。

◇◆◇◆◇

一作:重複するけど、おれはハワイに関しては正直なめていたんだけど、フラの繋がりからいろんなことを学ぶことになった。
かっこ良く言ってしまえば、精神世界のこととか(笑)、要は、目覚めていく訳です。LSD抜きの「ドンファンの教え」みたいにね。
ワイキキは別として、ハワイの島々にはそういう旅の切っ掛けがそこかしこにある。そしてそこには、必ずネイティブな人達、そして、日系移民の人達が絡んでくる。そんな、旅って本当楽しいよね。
まあ、その入り口が、さっき愛ちゃんから名前が出たニックなんだけどね(笑)

愛:うん、そこがわたしと一作さんの共通点(笑)
わたしのハワイはニックさんと出会ったことから始まった。今、やっていること全部がそこからと言っても過言ではないです。

ラジオアダン:お話の腰を折って恐縮ですが、ニック加藤さんのご職業等お教え願えないでしょうか?

愛:そうですね、初めてその名を聞く人達には全然分からないもんね。
ではそれは、一作さんに説明してもらいましょう(笑)

一作:えっ、おれ!?(笑)
おれが初めてハワイに行った当時は、彼はロスからハワイに移転してきたばかりだったけど、既にコーディネイターをしていた。

ラジオアダン:日系の方?

愛:いや、日本の方です。
長野県出身でアメリカの大学に行って、

一作:卒業後もアメリカに残ってロス経由でハワイということだね。
おれが会ったのは80年代、まだ「CAY」をやっていた頃。
そのCAYに、絶頂時のピーター・ムーン・バンドを招聘するために、雑誌「SWITCH」をメディアとして巻き込んだ。ここで、編集者の稲田(英昭)くんが登場する訳だ(笑)「特集で“ハワイ”をやろう!」なんて感じで、ピーター・ムーンをフューチャーしたページも作って、それを書いたのが亡くなったライターの駒沢敏器くん。

愛:あぁ、駒沢さんだったんだぁ……。

一作:うん、そう。駒ちゃんと、おれと、稲田くんと、カメラマンがチョクさん(松本直行)
この時のおれの役割は、……、ライター業務は駒ちゃんだったから、……、只のいいだしっぺ。
あの頃はなんていってもスポンサーがそれなりに付いたから。

愛:あの頃のSWITCHだったらそうでしょうね。

一作:うん。
「SWITCHと抱き合わせでやるから」って、旧知がいる某ブランドのプレスルームに話を持って行った。
そこが冠を取ってくれることが決まって、その予算で皆でハワイに行った。それが、おれの初めてのハワイ(笑)

愛:何年くらいのことですか?

一作:87年じゃなかったかな~?
この時、おれだけ暇だからさ(笑)「先に行ってるよ」って先乗りしたの。
空港に着いた時、「さてどこに行こう?」なんて思って、高速の方に上がって行ったらバス停があって、そこでボォ~としてたら“Waikiki”って書いたバスが来て、それに乗ったの(笑)
宿も決まってないから、「どこで降りようかな~」なんて思案していたら、愛ちゃんは分かるだろうけど、アラモアナが過ぎてさ、橋渡って、ラニカイホテルがあって、その先にタヒチアンスタイルのチキが立っている「ワイキキアン」という名のコテージが目に入ったの。

愛:今は無いでしょ?

一作:うん、無い。
実はそこはあの時代でも唯一のポリネシアンスタイルのコテージだったと後で知るんだけど、バスも丁度そこの前に止まった。「うぁ~、おれここに泊りたい!」って衝動的に降りたんだ、ガハハハハ(爆笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)

一作:フロントに行って「1週間泊る」と告げて、その後、追っかけてくるクルーのための3部屋もキープした。
2階建てがラグーンまであって、夜にはたいまつに火が着いて。安くて。
今、そんな宿ないから(笑)

愛:ない、ない(笑)
そんな感じでゆったり泊れるところはなかなかないですよね。

一作:そこも今は無く、以前行った時は駐車場になっていた……。
それにしても、着いてからの1週間は楽しかったな。
コテージの一番奥に「タヒチアンラナイ」という名のいい感じのポリネシアンスタイルのバーがあって、種明かししちゃうと、おれがその後作った店の原点でもある。青山で「タヒチ」という店をプロデュースした時は内装に関しては相当パクってる(笑)

ラジオアダン:「タヒチ」はそのバーのトリビュートだったんですね

一作:違うよ、そんな良いものじゃなくて、パクリ、パクリ。ガハハハハ(爆笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
タヒチアンラナイ。

一作:うん、ラナイって庭って意味。いいバーだったな~。
そこで、アンティ・ジェノア・ケアヴェのライブを見たり、金曜の夜になると、婆さん達がフラのセッションをするのを見たり。そのフラが良かったの。お決まりのフラじゃなくて、車座になった中からひとりずつ出て踊るんだけど、それがかっこいいのよ(笑)
おれが呼び出してニックと初めて会ったのもそのバーだよ。
クルーが到着して、稲田くんもピーターとのコーディネートを事前に細々としてくれていて。
ピーターはあの頃、「サンディ・マノア」の後だけど、一番良かった時期じゃないかな?ギャビー(・パヒヌイ)も亡くなって、一番、ハワイ音楽が下火になった時期に、コンテンポラリーとトラディショナルを融合させて頑張っていたのがピーターだった。
その取材では、駒ちゃんが、「クジラの話を書く」ってことで、最終的にはマウイまで行って、

愛:駒沢さんとはわたしもSWITCHでブルースの旅をしてます。

一作:へ~、そうなの!?

愛:一緒に仕事をしたのは、結局、その1回だけになってしまいましたが……。

一作:それ聞きたいな、話して話して。

愛:アメリカ南部の旅を一緒にしたんですけど、ジューク・ジョイントを巡る旅。

一作:駒ちゃんは真面目だからさ。
大雑把に言っちゃえばロバート・ジョンソンの道程みたいなもの?

愛:ええ、そうですね。映画とのタイアップでしたね。
そういえば、新世界にも駒沢さんはご出演されてましたよね?

一作:うん。駒ちゃんにもなんかやってもらいたくて電話して。その時の彼の興味は沖縄だったんで、「丁度いいじゃん」って感じでトークショウを3~4回程やってもらったのかな?

愛:そうだったんですね。
わたしが初めてハワイに行ったのは2006年、11年前ですね。
その時はサザン・オールスターズをオアフで撮る仕事で、

一作:愛ちゃん、どメジャーな仕事してるね~。

愛:その頃はね(笑)
でも、切っ掛けはこだま(和文)さんですよ。こだまさんのジャケット撮影からビクターの仕事が始まって。その切っ掛けがクイック・ジャパンだったし、だから簡単に云えば、「サブカルから音楽の方に入っていった」ってことで、わたしの20~30代はずっと仕事をしていて、その間にドライ&ヘヴィーのヨーロッパツアーに押し掛け同様に同行したり、いい音楽を追いかけて走り回るような生活でした。

一作:若かったし、可愛いし、いいキャラしてるから業界で凄く人気あったでしょ?

愛:人気あったかは自分では分からないですが、音楽の現場にいるのが凄く好きだったし、時代的にもの作りに対してしっかり考えてから立ち向かうクリエーター達と一緒に冒険が出来る時代でしたから凄く楽しかったですね。極論を言えば、当時はジャケット撮影が一番好きな仕事でした。

◇◆◇◆◇

 盆ダンス、福島、ハワイ日系移民という、岩根愛が独自の道程で見つけた太い地下水脈の流れは、今後も更に勢いを増すようだ。
 写真制作は勿論、既に、劇場映画として着々とプロジェクトが進行しており、一作、愛共に愛して止まない映画監督、中江裕司氏がメガホンを取る。

◇◆◇◆◇

一作:このプロジェクトはまだ進めて行くのかな?

愛:ええ、最終的には映画化を目指していて、あの番組は云うなれば、前篇に当たる感じでしょうか。

一作:完全なドキュメント映画として制作してゆくの?

愛:そうなんですけど、ハワイの日系人の歴史を、「面白く伝えたいな~」って思っていて、実際に監督とは、「そのために、音楽映画の方向へ振ろうか?」なんて話にもなっています。

一作:中江監督だったよね?
それは、愛ちゃんからのオファーで実現したの?

愛:ええ。
最初から、「監督は中江さんでやりたいです」って言ってました。

一作:中江監督とは旧知?

愛:中江さんは「白百合クラブ 東京へ行く」という、

一作:あれも素晴らしい作品だよね!

愛:あれのスティールはわたしがやっていたんですよ。

一作:そうだったんだ。

愛:それが初対面で、お仕事もやらせてもらって、

一作:じゃ~、「ナビィの恋」の頃はまだ知り合っていなかったんだ。

愛:ええ。

一作:「ナビィの恋」って17~8年前だよね。ちょうど、三田に旧アダンをオープンさせた頃で、昔のテアトル東京に見に行って感動して、帰りにはサウンドトラックまで購入して、開けたばかりで全然お客が来ない店で毎日聴いていた(笑)
素晴らしいじゃん、あの、マイケル、……、……、

愛:マイケル・ナイマン。
中江監督って音楽も勿論なんだけど、“うた”、口偏に貝と書く“唄”を凄く大切にする方なので、「そういう監督に撮ってもらいたい」と常々思っていたんです。

一作:中江監督はおいくになられたの?

愛:中江さんは今、50代後半じゃないかな?

一作:若いんだよね、「ナビィの恋」が18年くらい前だものね。
その後も一杯いい作品を撮っている。

愛:「白百合クラブ 東京へ行く」の公開時に、本も作ることになって、出演者の人達の取材で石垣島へ行くんですけど、それが一緒に組んでやった仕事の最初。

ラジオアダン:スティールの時は全編ではなかったんですか?

愛:ええ、東京だけのお仕事でした。
今、思えば白百合の仕事で、南の島でおじぃ、おばぁと踊ることに味をしめたかもしれない(笑)

一作:そうか~、あれはどのくらい前だっけ。

愛:あれは~、……、2000年代頭(2003年)ですよね。
わたしバリバリ20代でしたから(笑)

一作:若いのによくそんな仕事やってるよね~、偉い(笑)
昔からちゃんと仕事してたんだな~。

愛:20代が一番仕事していたかもしれない(笑)
メディアで一番仕事をしていたのは20代後半から30代前半じゃないかな?

一作:凄いね。
おれなんてクーリーズクリークが始まる27歳より前は何者でもなかったよ。
皆だれがなにになるかも分からない時期に、岩根愛はもうしっかり見定めた方向で仕事をしていたんだから、偉いわ。

愛:いやいや(苦笑)
フリーランスになったのが21歳でしたから。

ラジオアダン:めちゃはや!!

愛:その頃、女の子カメラマンブームがあったんです(笑)

ラジオアダン:ああ、ありましたね、HIROMIXさんとか、

愛:ええ。
なんか、「若い女に写真を撮らせたら面白いんじゃないの」なんて風潮があって、その時代の生き残りなんですよ、わたし(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
そう、実は若いんだよね(笑)
その割に、随分年齢が上の、こだまくんや、南(流石)さんもよく知っていたり、

愛:こだまさんは、前述しましたが、「クイック・ジャパン」(太田出版)で知り合いました。社カメ的に沢山仕事をさせていただいている時に、こだまさんは連載をされていたので。作品も気に入って頂いて、ジャケットもやることになったんです。

ラジオアダン:ひょっとしたらですが、先日こだまさんがこの酔談に来られた時に話された、「野坂×こだま対談」の写真を撮っていたりしませんか?

愛:うん、あれわたしです。

ラジオアダン:やっぱり、そうでしたか。

一作:それは凄いね。あれ、写真は愛ちゃんだったんだ。
そうだよ、こだまくんとの対談で野坂昭如さんの話になって、先週の週末に「バー黄昏」で「マリリン・モンロー・ノーリターン」をかけるという流れになったんだよ(笑)

愛:????

ラジオアダン:週末だけ渋谷の系列店「おふく」にDJブースを組んで、「バー黄昏」って名義で音遊びをしているんですが、先週、急に一作さんが、「野坂昭如さんかけてよ」と言い出して、「マリリン・モンロー・ノーリターン」かけたって、ただそれだけの話です(笑)

一作:深い時間になると毎回完全に懐メロ大会になっちゃうんだけどね(笑)

愛:ハハハハハ(笑)
そういうことでしたか(笑)

ラジオアダン:愛さんは今年の4/1(土)は東京にいないですかね?

愛:(黒岩)奈美さんの命日ですよね。残念ながらいないんですよ。
※黒岩奈美/毎年、一作プロデュースの「新世界」では、岩根愛オーガナイズで「ナミフェス」と謳い、4/1周辺に、ゴールデン街の名物ママであり2人の共通の友人黒岩奈美さんを音楽追悼していた。

一作:まあ、今度さ、愛ちゃんが落ち着いたらこじんまりと飲み会でもいいからやろうよ。

愛:ええ。

一作:なんでこんなウェブ連載を始めたかというと、新世界のおつかれさんとおれ自身の反省会をやりたかったんだ。
だから、新世界に関わってもらった人達を主に呼んでいる。
まあ、そんなだから、“無理に題材も作らずに”な感じなんだけど、今回は素晴らしい番組を一昨日見たばかりなんでテーマ性が出ている特別版だね(笑)

◇◆◇◆◇

 岩根愛の進行中のプロジェクトは、全てに於いて、“出会ってしまった”のだと思う。
 古いパノラマ写真、旧き名器サーカット、フクシマオンド、盆ダンス。
 バラバラだったパーツはやがて結実し像を描くのだが、その集約の魔力はハワイ特有のものだと一作は言う。
 曰く、“求めていればそこへ行く”
 そして、本日の「酔談」のクライマックスを迎える。
 なんと、岩根愛がその結実した像を持参してくれたのだ。

◇◆◇◆◇

愛:わたしは基本、イメージすれば叶うと思っている伏があって(笑)今やっていることも、パノラマカメラと出会って、修理出来て、今撮っている。福島とハワイの盆唄の交流も同じように思うんです。

一作:あのカメラは凄いよね。

愛:一番最初は、あのカメラで撮った古い写真をハワイで見つけたことから始まったんです。
ちょうど今持って来ています。一作さんには以前見せませんでしたっけ?

一作:勿論見たよ。
この形状の作品による写真集はまだ出してないんだっけ?

愛:いろいろ考えていますが、これ、なかなか本にはおさまらないですよね。

一作:おれ、今日これを見たかったんだよ!

愛:この写真は、今わたしが使っているサーカットというカメラで撮影された日系移民の吉村さんという方の葬儀での集合写真です。当時の日系の方々はお葬式では必ずこういう写真を撮っていたみたいです。
そもそもカウアイ島で泊った宿が、以前、写真館を営まれたいたお家だったのですが、買い取ったオーナーはそのことを知らなかった。ですから、こういう写真がそこかしこにあって、「写真家のきみならこれがなにか分かるでしょ?」と逆に質問されて(笑)当然、わたしもこんな写真は見たことがなくて。第一、どう見てもトリミングして伸ばした写真じゃない。その疑問を抱えたまま、色々調べ出した中でサーカットに辿り着いて、今、この写真を撮ったカメラで自分が撮っている訳です。

一作:これ1950年に撮った写真だよ!
映っているのは移民の最初の人達だね。おじさん達が1世でこの若い人達が2世だろうね。
この写真は凄く旨い塩辛みたいなものだよ!

愛:????

一作:それだけでどれだけ飲めるか!?のように、どれだけ語れるか!?
ガハハハハ(爆笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
当時の方々は、葬儀の時に人が集まることを非常に大切にしていた。そして、それを記憶するため、あと、故郷に送るために写真を撮っていたんでしょうね。

ラジオアダン:今のお話を聞く限り、直ったはいいけど、カメラの操作自体もそうとう手探りの状態から始めた訳ですよね?

愛:ええ、超手探りです(笑)
でも、ネットで検索したら、オハイオ州で同じカメラで撮っている人がいて、メールで情報交換するようになって、非常に親切な方で、現像の仕方からフィルムの詰め方から細々と教えてくれて、リチャード・マグロスキーさん。

一作:ハハハハハ(笑)

愛:彼のおかげで今、わたしやれているんです(笑)
アメリカにはやはり何人かいるんですよ、このカメラで撮っている人が。

一作:番組や映画に因んでの写真展なんて計画は現状あるのかな?

愛:やりたいですね。
実は2枚今持って来てるんですけど、見ますか?

一作:おお、勿論見せてよ!
長いね、おれと愛ちゃん2人で持とうか。
おお、凄いね。パホア?

愛:ええ、ハワイが1枚、福島が1枚です。
ハワイの写真は、去年のラバ(溶岩流)に2/3が埋もれてしまった、パホアの墓地です。

一作:お墓が溶岩で埋まっちゃってるんだ。

愛:そうそう。

一作:パホアはいい町だよ。ヒッピータウンだよね?

愛:そう、ヒッピータウン。パホア近辺は溶岩が流れてきた歴史が繰り返しあるのですが、これは2015年、パホアの町付近まで溶岩が流れてきた時に、ギリギリで止まったところが墓地だった。

一作:2015年か、おれが2回目に行ったときがカラパナが無くなったときだよ。

愛:へ~、そうだったんですか。

一作:稲田くんとブラックサンドビーチ(カラパナ)でランチして、その翌年には無くなっていた。遥か海岸まで溶岩が流れ出して、固まって。あれを見ると地球のエネルギーって凄いと思う。

愛:ハワイの地形は、ペレがどこに流れてゆくかでどんどん更新されてゆくから。

一作:写真がまず素晴らしいね。

愛:ハワイの日系人の忘れられた墓地を巡る連作の中のものです。
こっちの福島の写真は、帰還困難区域を撮っていて、これは番組にも出て来た双葉の横山さん宅のすぐ裏の交差点、2014年の写真です。

一作:今ここに5時間しか入れないんだな~…。

 

愛:この忘れられた日系移民のお墓と福島の帰還困難区域の写真、2つのシリーズを合わせて写真展をやろうと進めています。

一作:素晴らしいじゃん、もうこれ見せてもらったから対談終わろうか?(笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:いやいや、まだ尺が足りない……(苦笑)

愛:来年、映画を公開する時に展覧会を合わせてやれるように今から準備しようと思っています。来年で、わたしがハワイに行き出して12年だし、

一作:まだ12年??短期間に随分深いところに入っちゃったね(笑)
ハワイって凄くって、……、まあ、インドなども凄いんだけど、それとは違う凄さは、「求めていればそこへ行く」みたいなところあるでしょ。

愛:そうそう、会える気になれば会える。
あと、テレパシーが通じる(笑)

一作:また戻してしまうようで申し訳ないけど、ニックと最初の出会いにも同様の部分を感じてしまう。
例のバーで彼と初めて飲んだ時は、フラなんておれは興味がなかったし知識もまるでなかった。そしたらニックが、「フラは本当に素晴らしいものだから、ハワイ島のヒロの祭典を君は見るべきだ」と強い押しで促すんだ。
で、行ったのが、メリー・モナーク・フェスティバル。
その後、数年してまた行くんだけど、この時点でもまだ日本人は全くいなかった。フラ古典、“カヒコ”って云うんだけど、おれは、「これは凄いものだ」と確信したんだ。
帰国後、稲田くんにその話をして、最終的にはSWITCHでフラの話を書くことまで発展していった。その後、サンディーが登場して、彼女が10年かかってクムフラ(フラマスター)になるまでの道ゆきを共有することになった。
だから、ハワイって、求めていればそういうところまで連れて行ってくれるところかもね。
でもそこに行くには、昔の関所みたいな手形が必要。要は試験に通らないと行けないんだろうな、多分(笑)

◇◆◇◆◇

 ここで、突然だが、
 「カボシャール」。
 フランス製の高級フレグランスの名。直訳すると“強情っ張り”の意。
 いくら毎回後半は話が飛ぶ傾向にある「酔談」といえども、ハワイから急にパリに飛ぶはずはない。
 カボシャール、本日最後の話題の軸となるこの形容動詞は、新宿ゴールデン街にあった2人が親しくしていた黒岩奈美さんが営んでいたバーの名である。
 実は、2010年に急死した彼女を、オリジナル新世界を一作が運営中は毎春追悼するイベントを2人が旗を振りとして行っていた。

◇◆◇◆◇

一作:新世界での「なみフェス」は、愛ちゃんに大いに尽力してもらって、あと編集者の吉田(幸弘)くんにも。
ところで、吉田くんって浅草に住んでない?

愛:ええ、そうそう。

一作:おれ、浅草の並木の薮で、日本酒とざる蕎麦でいい気分になって歩いていたらバッタリ彼と会って、最初、都築響一さんと間違えちゃって、あの2人なんか似てない?(笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
こだまさんのライブにご両人とも来ていたりするから、なおさら混乱したんじゃないですか(笑)

一作:それもあったかもしれないね(笑)
で、ああいう故人を追悼するようなイベントをやるといろんなことを言う人がいる。
「あんなことをやっては、無くなった人に対して失礼だ」とか、「故人でビジネスするのか!?」とかね。金儲けになる訳ないじゃんね~?

愛:ええ、一作さん的には赤字でしょ?男気出して(佐々木)彩子さん(ex.渋さ知らズ)を屋久島から招いてくれて、

一作:まあ、それはいいんだけど、おれは思うんだよ、ああいうものはやらないよりやったほうがいいって。
やることによって彼女を偲ぶ人が1年に1回何人か集まればそれで十分でしょ。
極論を言えば、墓に行くようなものだからね(笑)奈美ちゃんの墓は高知か?海の見えるいいとこかもしれないけど(笑)いかんせん簡単にはいけないもの。
小野(志郎)ちゃんを偲ぶ「小野フェス」もやっていたんだけど、あれだって年1であって当然。3/11に黙祷するみたいなものだから。
チャージも小額に押さえてさ、そのくらいは奈美ちゃんを思い出すお布施と思ってもらって、利益が出れば勿論故人に還元してね。
亡くなって直ぐの新宿「スモーキンブギ」での集まりも実際そうでしょ?
※小野志郎/音響エンジニア。トランス、野外フェスを日本に根付かせた伝説のPA、オーガナイザー。

愛:ええ、集まったお金は全部遺族の方に渡しましたね。

一作:そういう運営側の内幕を分からない人達はいろいろ言うけど、別に言わせとけばいい。

愛:思えば、一作さんのお名前は以前から知っていたんですが、初めてご挨拶したのは、そのスモーキンブギの時だったと思います。

一作:そうだっけ。
あれは、どんな経緯で運営側にまわったの?

愛:みんなに愛されている奈美さんなので、ゴールデン街の周りのお店の人達が仕切っていました。その中に入ってお手伝いさせていただいたという感じですね。

一作:ところで、若いみそらで、なぜそんなに当時、ゴールデン街が好きだったの?

愛:わたしの場合は、最初に連れて行ってもらったのは写真の師匠で、業界では有名なママさん、久美さんの店に行っていたんです。
そんなある日、久美さんのところが一杯で、「入れないから向かいの店で待っててよ」なんて誘導されて行ったのが向かいの奈美さんのカボシャール(笑)

ラジオアダン:あの~、……、ぼくと経緯まったく一緒なんですが(苦笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
久美さんのお店も、勿論、素敵なお店なんですけど、常連客が業界の大御所だらけで、若かったわたしには奈美さんのお店のほうが俄然居心地がいい(笑)

ラジオアダン:そこまでも一緒です(笑)

一作:おれは年齢的には意外だと思われるけど、ゴールデン街はカボシャールしか行ったことがないんだよ。実際の話避けていた。
例の演劇関係の人達の酒場での論争が嫌でさ(笑)
愛ちゃんは新宿自体が近かったの?

愛:距離よりも、とにかく2000円持って行けば奈美ちゃんが飲ませてくれるんで(笑)
音楽センスもいいじゃないですか、あの人。
自宅で仕込んで来た美味しいおつまみもカウンターに並んでいて(笑)

一作:ひょっとして吉田くんとも、

愛:奈美ちゃんのところですよ。

一作:ガハハハハ(なぜか爆笑)
それ、いいね!(笑)
久美さんのとこってなんて店名なの?

愛:そのまま「クミズ・バー」ですね。

一作:そう。
おれほんとゴールデン街はカボシャールしか行ってないもんな。
(カメラマンに向かって)そういえば「KINARI」(メンズファッション誌)にエッセイ書いた時に、取材で、夕方、マイケル(・アリアス)と飲んでカボシャールの前で写真撮ってもらったね。もう違う人に経営が変わっていたけど。

愛:カボシャールは一時期は毎日行ってましたね。
アシスタントの頃はそうそう行けないけど、フリーになって、時間とお金がある程度は自由になってからは。なにせ2000円ですから(笑)
あと、誰かを連れて行くと、必ず皆喜ぶんですよ。奈美ちゃんと話すと皆いい気分になる。

一作:ああそう。
でもそれ遅い時間でしょ?

愛:ええ、主に。

一作:やっぱり。
奈美ちゃんのところは遅い時間に行かないとダメだな。
例えば、勝どきあたりで夕方4時くらいから飲んで、その後、何件かはしごして、それでカボシャール行ってもまだ8~9時。
その時間だと、彼女は全然喋らない。すげ~恥ずかしがってモジモジしてるんだよ(笑)その辺で大体、性格を掴んで、いつだったか?敢えて遅い時間に行ったら大騒ぎでさ~(笑)
あと、おれの店のカウンターで飲み出しちゃって、「もう今日は店行かない」なんてのもあったな(笑)

愛:ハハハハハ(爆笑)
あんな人なかなかいないよね(笑)

一作:いろんな話がさ、全部拾えるんだよね。
KINARIでも奈美ちゃんの店を称して“寺山修司からニューウェーブまで語れる店”って書いたもの。

愛:ところで、新世界のなみフェスの切っ掛けはどんなだったんですか?

一作:(進行に向かって)どうだっけ?

ラジオアダン:かいつまんで言えば、愛さん達がやってくれたお別れ会がしめやかながらも非常に楽しかったんで、「あんなことを年に1回出来たらいいね」となって、まずは、奈美さんと親しかったライターの森(一起)さんに相談したんです。そこでオーガナイザーとしてお名前が出て来たのが、吉田さんと愛さん。

一作:そうか、そこで愛ちゃん登場か。

愛:わたし自身、あのスモーキンブギのお別れ会がイベントを仕切るという初体験でした。奈美さんには本当の娘のように可愛がってもらっていましたから。
かけ出しの頃は、奈美さんの店で営業していたようなものでした(苦笑)実際、初連載の仕事が決まったのもあそこでの出来事(笑)
そういえば、なみフェスの時に、こだまさん、一作さん、(相原)誠さんの3ショットを撮ったんですよね。
※相原誠/ドラマー、飲食店経営者。ダウンタウン・ブギウギ・バンドのドラマーの“誠”といえば知らない者は新宿にはいない。

一作:あれ、なみフェスの時だっけ?

ラジオアダン:しかも、誠さんがたまたまジャマイカ国旗のTシャツ着てるんですよね(笑)

一作、愛:ガハハハハ(爆笑)


ⒸAI IWANE

一作:笑うね!
あの2人初対面の割にはすぐに仲良くなっていたよね。
奈美ちゃんはミュートビート好きだったんだよね?

愛:大好き、大好き!私がこだまさんのジャケットを撮ったときもとっても喜んでくれました。それもあって、前日に同じ新世界でライブがあったのにこだまさんは来てくれたんですよね。
ありがたいことです。

一作:面白いことやっていたね、新世界は(笑)

愛:今、奈美ちゃんちみたいなお店はないのかしら。

一作:ない(きっぱり)
言うなら、土曜日の「バー黄昏」しかないでしょ(笑)

愛:じゃ、今度そこに顔出しますね。
場所は?

一作:知らなかったっけ?
前の「アダン食堂」。

愛:行ったことないんですよ。

一作:本当は「家庭料理 おふく」ってお店なんだけど、土曜日限定でDJ入ってバー営業してるの。かなりいいよ(笑)

愛:土曜日?

一作:うん。そこにこないと(笑)
そこはめちゃくちゃでいいよ(笑)

愛:じゃ~、帰って来たら今度はそちらにお邪魔しますね(笑)

一作:うん、土産話待ってるから。
今日は忙しいのに来てくれてありがとう、気をつけて行って来てくださいね。

◇◆◇◆◇

 再会を約束し幕を降ろした、福島〜ハワイの地下水脈を巡る一大酒宴。
 次回、会う時は岩根愛はハワイからの帰国後。  
 更に、チューンアップされたそのセンスと情熱によって、新たに立ち現れる像は写真芸術として高度に昇華されているのだろう。
 さて、その作品群を至近距離で今度拝見出来るのは、……?渋谷の土曜限定「バー黄昏」?
 そんな先のことは誰も分からない。
 なぜなら、人生の殆どの出来事なんて酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

◇◆◇◆◇

テキスト、進行:エンドウソウメイ
写真:鈴木完


●今回のゲスト


Photo by HARUKI
岩根愛/プロフィール
写真家。1991年単身渡米、カリフォルニア州北部のオルタナティブスクール、ペトリアハイスクールに留学。自然と共に、オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。1996年よりフリーランスとして、雑誌媒体、音楽関連等の仕事をしながら、フィリピンのモンテンルパ刑務所(2010)、ロシアのニクーリンサーカス(2011)、台北榮民の家(2012)など、世界の特殊なコミュニティでの取材を続けている。2006年以降は、ハワイにおける日系文化に注視しながら、2013年より福島県三春町を拠点に、福島移民を通じたハワイと福島のつながりを追いながら制作している。

www.mojowork.com

@Ai_Iwane

★岩根愛著作、ハワイ島、ハマクア浄土院の盆ダンスを題材にした絵本『ハワイ島のボンダンス』福音館書店より絶賛発売中!


河内一作/プロフィール
山口県生まれ
八十年代から、霞町「クーリーズクリーク」、代官山「スワミ」、青山「カイ」、など、常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。現在は泉岳寺「アダン」、白金高輪「クーリーズクリーク」、渋谷「家庭料理おふく」、オーナー。酒と音楽、内外の島をこよなく愛する文筆家であり、名バーテンダーでもある。