酔談
酔談 >

「連載対談/『酔談』Second Season vol.1」ゲスト:三上敏視氏 ホスト:河内一作 

「連載対談/『酔談』Second Season vol.1」ゲスト:三上敏視氏 ホスト:河内一作 

 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
。
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1980年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて、暫しの小休止の後、いよいよセカンドシーズンに突入する今回第10回目のゲストは、音楽家、そして、現在では神楽・伝承音楽研究家として名高い三上敏視氏(以下敬称略)にご登場願った。
 冒頭から、一作自身も南洋にて深くフィールドワークに勤しんだアニミズムに潜む、音楽、芸能の話題にゆくかと思えば、意外な方向から酔いどれセッションは始まった。
 三上自身の音楽性の基礎を作り、且つその後の活動の礎ともなった札幌ロックシーン。
 三上だからこそ知る、トマトス、ピチカート・ファイブ、ROVO等の先鋭的アーティスト達を輩出した北のシーンのリアルな裏話はもとより、“ロック〜ワールドミュージック〜民族音楽”と連なる遥かなる黄金のタイムラインが今我々の目の前に立ち現れる。
◇◆◇◆◇

河内一作(以下一作):神楽研究家としての三上さんが、昨今、世間的には認知されている訳だけど、元々は、欧米やその周辺のロック、ポピュラーミュージック全般も詳しかったんだよね?

三上敏視(以下三上):そうなるんでしょうね。
若い時から、札幌の、和田(博巳)さん(ex.はちみつぱい)や、(松竹谷)清(ex.トマトス)の店に入り浸っていましたから。

一作:それは札幌市内にある店なの?
じゃ〜、都会の青年だね(笑)

三上:いや、札幌には自分の意志で東京から流れて行ったんです。
80年代に入ってからは、渡辺祐さんがいた頃の『宝島』に札幌の音楽シーンの情報を送ることもしたり(笑)

一作:80年代といえば音楽シーンが劇的に変わっていった時期だよね。

三上:宝島の中身?
サブカルと云うか、まだ、皆で、「面白いことやろうよ!」って頃で。

一作:へ〜。おれ、札幌は1回しか行ったことがなくて、全然その辺のシーンは知らないんだけど。それ何年くらいの話なの?

三上:ぼくが札幌に流れて行ったのが78年で、そのちょっと前に、東京から帰郷された和田さんが「和田珈琲店」という店を始められていて、かなりレアな音源を日常的にかけていたんです。
その、和田さんの人脈の中から、「トムズ・キャビン」の麻田(浩)さんに繋がって、麻田さんが日本に招聘するミュージシャンを、札幌のロック喫茶、ロック飲み屋の有志が集まって、「十店満点」って名乗っていたんですけど。皆で北海道に呼んで、全員で少しずつ赤字を補塡して(笑)トム・ウェイツも呼んだりしていたんですよ。

一作:そうか、トム・ウェイツの初来日はその頃か。北海道公演やったっけ?

三上:やりましたよ。ぼくが北海道に行く前だから77年ですね。

ラジオアダン:お話の腰を折って恐縮ですが、三上さんのご出身はどちらなんですか?

三上:ぼくは愛知県生まれの三鷹育ち。 

ラジオアダン:こう、旅と云うか、北へ北へと?(笑)

三上:いや、たまたま札幌でバンドをやっている友人がなぜか増えて、「面白そうだな」って思って。
だったら、「札幌で仲間に入れてもらおうかな」って思って、入れてもらって(笑)

ラジオアダン:北海道行きは学業とは全然リンクせずに?

三上:うん、大学が終わってからですから。札幌のロック喫茶でバイトして。

ラジオアダン:清さんも札幌時代はライブハウスのスタッフをされていたとか?

三上:うん、ライブハウスの「神経質な鶏」ってところでバイトしていた。でも、「『〜鶏』だけじゃ食べて行けないから」って蕎麦屋の出前とダブルで働いていたんじゃなかったかな?

一作:へぇ〜、そんな活発なシーンが北にあったんだね。

ラジオアダン:音楽に関しての博識と云えば、小西(康陽)さんもいらっしゃいますものね。

三上:うん、小西くんも和田さんの店に高校生の頃から出入りしたいたくちだから。

一作:そのシーンは78〜80年くらいが隆盛だった?

三上:うむぅ〜……、盛り上がり始めたのが76年くらいで、夏に野外コンサートをやったりして、東京から、(久保田麻琴と)夕焼け(楽団)が来たり、細野(晴臣)さん、ムーンライダーズも来たり、オレンジカウンティも来たのかな?
だから、北海道って、結構、早い段階から東京のバンドと交流があった訳です。
で、そのうち、パンク、ニューウェーブに火が付くと、東京ロッカーズ関連のバンド、s-ken等皆来だして、

ラジオアダン:そうそう、以前、s-kenさんが、「清との初対面は札幌だった」と仰っていました。

一作:三上さんは、なぜ音楽シーンが急激にニューウェーブに移行していったと思いますか?

三上:どうなんでしょうね?……、ぼくの実体験で言うと、札幌にニューウェーブの情報が入って来た時、「余計なものが付いてない」と云うか、綺麗なままで入ってきたから飛びついたのかもしれない。

一作:要するに、フォークからスライドしたニューミュージックと、オールドスクールなロックから移行したニューウェーブと云う流れが同時にあるじゃない。

三上:うん。札幌も御託に漏れず、元々はブルースバンドをやっていたりカントリーロック等を志向したバンドが多かった。その中から、ニューウェーブが入ってきた時に転向したり。ぼくも大まかに云えばそっちのくちだし。

一作:皆、あの時飛びついたでしょ?

三上:うん。和田さんがまず飛びついたしね。それで和田さんとニューウェーブを志向したバンド(QUOTATIONS)を一緒に始めて。

一作:重複するけど、それまでのロックバンドってブルースやカントリー等ルーツに根ざしていたんだけど、ニューウェーブ以降、全く違うシーンが出来上がった訳じゃん。テクノしかり。

三上:ええ、一作さんの言いたいことはよく分かります。
とはいえ、イギリスでも、パンク、ニューウェーブ志向のミュージシャンで、元々はベースに古いルーツミュージックを抱えている人が多々いましたね。


三上敏視氏

一作:それってどう云う構図なんだろう?
日本のロックシーンに置き換えると、……、例えば、内田裕也さん系?に対するカウンター意識とかはあったんだろうか?

三上:ぼく自身は特にはなかった、……、それより、「世界が違う」と言った方が適切かな?
一つの側面として、札幌のハードロック系のバンドの殆どは東京に行ってしまいました。で、彼等はメジャーに行けなくても職業ミュージシャンとして東京でやっていた。
一方、カントリー等から移行したニューウェーブ系ミュージシャンは、一部の東京志向が強い人達を除いて地元密着型が多かったです。でも、パンク・ニューウェーブからバンド始めた若者の方が多かったんじゃないかな。

一作:ニューウェーブの人達ってわりとインテリジェンスを持った人が多かったじゃないですか。

三上:そうですね。

一作:海外生活を経験していて語学が達者だとか、

三上:あと、アート系の人達とか。

一作:やっぱり、一言で云ってそっちの方が格好良かったんだろうね。

三上:うん。ファッションも間近で並走していたし。

一作:うん。それも大きい。それで、がぁ〜と流れていったんだろうね。
三上さんもロンドンからの流れに感化されたの?

三上:ロンドン、……、も、ですけど、結構、ぼくら、フリクションにショックを受けて。清なんかも、「すげぇ〜〜!!」みたいな感じで(笑)フリクションの源流はニューヨーク・パンクですものね。

一作:話がトム・ウェイツ戻るけど、俺のバイブルで『Mr.トム・ウェイツ』(城山隆著)って本があって。古本屋で買ったやつ。
おれ大体、執筆する時に、ネタ元って云うか?インスピレーションをもらったりしていて(笑)

三上:前述した彼の札幌公演で面白い逸話があって。77年の時点で、音楽マニア層が好むトム・ウェイツを北海道に呼ぶのはやはり結構なリスクなので、少しでも赤字を減らすために、公演後に有料の打ち上げ会を企画して沢山人を呼んだんです。話が多少膨らんでいる可能性もあるけど200人もの動員があったとか。

一作:ガハハハハ(笑)
成る程。その気持ちよく分かるよ(笑)

三上:で、来ている人達が、トムに向かって口々に、「良かった!」、「良かった」ってパフォーマンスを賞賛してお酒を勧めるんですけど、実はトムはあまりお酒が飲めない人で只々困っていたと。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
へぇ〜、意外だね。その頃はまだ飲めなかったんだ?

三上:いや、基本、飲まない人みたいですよ。
飲む雰囲気を醸し出すわりには。

一作:ライブの時、飲みながらやってない?あれ、水なの?

三上:……、じゃないかな?麻田さんが、「トムはあまり飲めない」って言ってましたから。


河内一作

◇◆◇◆◇
 自身のアンテナを只々信じ、首都東京から敢えて北の大地に萌芽した自由な空気に身を任せた若き日の三上。
 緩やかでありながらも刺激的な日々が過ぎてゆく中、いつしか音楽シーンに名を残す名伯楽、和田博巳と通じ、ニューウェーブ系バンド、QUOTATIONSを結成。それを境に彼を再び東京へと引き戻す強い磁力と遭遇する。
 その磁力の発信源は誰あろう、我が国が誇るリアル音楽王、細野晴臣!?
◇◆◇◆◇

一作:で、今はどこ在住なんですか?

三上:今は世田谷。北海道にも1部屋ありますけど、あまり帰ってないですね(笑)

一作:本格的に東京にカンバックしたのはいつだったの?

三上:それがねぇ〜、……、はっきりしないんです(苦笑)
東京に再度来るようになったばかりの頃は、あっちこっち転々と居候させてもらって、

一作:(敢えて唐突に)ヒッピーだったの?

三上:ヒッピーではない(笑)

一作:じゃあフーテンだった?
おれはヒッピーとフーテンを分けてるの。

三上:ハハハハハ(笑)
どっちかって云ったらヒッピーかな?

一作:おれの言うその辺の区分けのニュアンスって分かりますか?

三上:うん、なんとなく(笑)

一作:じゃあ、基本ナチュラル系で、人為的な方にはいかなかった?

三上:そうですね。

一作:それじゃ、おれの考えの中でもヒッピーってことになりますね(笑)

三上:ハハハハハ(笑)
ちゃんと東京に住むようになったのは5〜6年前ですかね。

一作:成る程。行き来していた頃はバンド活動が主で?

三上:バンドは、……、細野さんの東京シャイネスはやっていて、始動が2005年からだから当初は札幌に半分以上いた感じですね。東京にいる時は前述したように居候して(笑)

一作:2005年かぁ〜、あれも結構前になるんだね。

三上:うん。

一作:おれが、その辺の細野さんの活動をライブで見たのは「おひらき祭り」が最初でしたね。

三上:おひらき祭りは、……、97年から始まって11〜2年続いたのかな。

一作:おれが見たのは2001年だったと思うんだけど。
サンディーの絡みで見に行ったら、いきなり、細野さんが、“環太平洋モンゴロイド・ユニット”って。あれ凄いよね(笑)

三上:サンディーが出演したのは2000年じゃなかったかな?

一作:そうか、2000年か。
あのユニットはおひらき祭りのために作ったの?

三上:そうですね。奉納演奏バンドとして。

一作:正にそうだった。

三上:最初は、細野さんが笛の雲龍さんと2人でお寺等で始めたんです。それで、だんだん人が増えていって、95年の阪神淡路大震災の後に神戸で、横尾(忠則)さんと細野さんのお二人のお名前を全面に出して、「アートパワー展」というのを5日間やった。
その時の演奏は毎日日替わりでゲストが参加して、(忌野)清志郎さんとか、高野(寛)くんとか、それこそイラストレーターの沢田としきさんも参加したりして。
そこでの細野さんグループの大所帯での演奏が、まあ、モンゴロイド・ユニットの最初ってことになるんですかね。

一作:あれは、基本、セッションでしょ?

三上:セッションです。略々即興(笑)
前の日に段取りだけは決めときますけどね。

ラジオアダン:その時、既に神楽関連の打楽器を演奏されていたんですか?

三上:実はぼくの場合、モンゴロイド・ユニットに声をかけてもらった切っ掛けはディジュ(リドゥ)なんです。

ラジオアダン:国内ではかなり早いアプローチですね。

三上:そうなのかな?ぼく自身は、“流行り出した頃”ってイメージですけど。
日本ディジュリドゥ協会なんてのも既に設立されていたし。

ラジオアダン:三上さんとディジュリドゥという楽器の最初の出会いをお教え願えますか?

三上:ぼく、北海道在住時代にたまたまアイヌの文化運動を手伝っていた時期があったんです。
内容はと云うと、海外の先住民を招待して、彼等が北海道に文化交流に来る時の謂わば事務方としての仕事。当時ですとファックスを先方に送って詳細を詰めるだとか。

ラジオアダン:アボリジニの方々との出会いもありそうなお仕事ですね。

三上:そう、アボリジニ。でも、ディジュリドゥとの出会いは北海道に彼等が来る前ですね。
“アボリジニのフェスに行こう”って話になって、アイヌに同行してオーストラリアへ行ってアボリジニの方々と親しくなった。
彼等は、ディジュの聖地、アーネムランドじゃなくて、西オーストラリアのパースという街のアボリジニなんですけど、その頃、オーストラリア全土に散らばるアボリジニ皆のアイデンティティーと呼べるような楽器にディジュは既になっていたんで、その街でも非常に盛んでした。

ラジオアダン:その前、キャリア初期は、普通にギターを弾いて唄うという感じだったんですか?

三上:ええ、そうですね。QUOTATIONSではギタリストでした。
で、「トシミ、これをきみにあげる」って言って1本もらって。そうなると、「これはディジュをやれっていうことなのかな?」なんて思っちゃって(笑)

ラジオアダン:吹き出して音は直ぐに出ましたか?

三上:出ないですよ(笑)
プゥ〜プゥ〜やるんで、家では、「うるさい!」なんて言われて(笑)
3ヶ月くらいかな?音が出て、その後は循環呼吸もわりとスムーズにマスター出来ました。
前述した神戸のアートパワー展にもオーストラリアからアボリジニの方達を呼んで一緒に吹いたりして。
それを見ていた細野さんが、「今度やる時は一緒にやろうよ」って声を掛けてくれて、それでモンゴロイド・ユニットに入った訳です。

一作:ハハハハハ(笑)いい流れだね(笑)

ラジオアダン:確認ですが、この時点では神楽に関する造詣はほんの入り口程度?

三上:そう、正に入り口(笑)
それこそ、最初のおひらき祭りの時に、高千穂神楽と早池峰神楽が1日ずつゲストで出演して1時間ぐらいのパフォーマンスを行ったんです。

一作:至近距離で神楽を見たのはおひらき祭りが最初だったんだ。

三上:略そう。

一作:あれ本当にいいイベントだった。宮司さんが亡くなったってことで終わってしまったんでしょ?

三上:ええ。

ラジオアダン:おひらき祭りの正式な主宰はどちらになるんですか?

三上&一作:猿田彦神社(図ったように見事にはもる)

一作:宮司さんがそういう芸能に対する理解が非常に深かった訳だね。

三上:ええ。

ラジオアダン:ここまでお話を伺ったことを筋立てすると、ロック少年から始まって、ニューウェーブを経た段階で、段々、民族音楽やワールドミュージックに興味が移行してゆき、

三上:そうです、そうです、

一作:80年代、それなりのアンテナを持った人は皆そこに行き着くよね。

三上:うん。
それと、前述したアイヌの手伝いをしていた時、(喜納)昌吉さんや、(照屋) 林賢さん等とも会うようになって、そこで悩みだすのが、「自分も彼等と同じようにルーツに根ざして音楽をやりたいけど、肝心のルーツがない…」と。「何を根拠に音楽をやればいいんだろう?」ということで悶々とした時期が続いたんだけど、神楽を見て、「これ、正にルーツミュージックじゃないか!?」って思いだして。

一作:三上さんにとっておひらき祭りはでかかったんだ。

三上:ええ。
ただ、後から思うと、高校の時に戸隠中社に林間学校的な感じで行って、神楽を見ているんです。

一作:戸隠だから、

三上:長野。

一作:そうか。
その企画を立てた学校は素晴らしいね。
当時の東京では身近で神楽とか見られないからいい体験だね。

三上:ええ。
「大人がなんか面白いことをやってるな」っていう記憶はずっとあったんです。
最近、その時に撮ったネガが出てきて、調べたらちゃんと戸隠の神楽が写っていて、今はその系統まで分かる(笑)
で、神楽を再認識してからの猿田彦神社とのお付き合いとしては、「猿田彦大神フォーラム」というのが発足されてその世話人に抜擢してもらって、宮司さんに、「もっと深く神楽を調べたいんですけど」って相談したら、あっさり、「いいよ」ってことで、交通費も支給いただいて、そんなに沢山ではないですが、あっちこっち行かせていただいて。そんな流れで本格的に神楽を廻るフィールドワークを開始した訳です。
神楽をやる場所ってアクセスが悪く、年に1回だから中々それに合わせるのが普通難しいんだけど、その頃たまたま仕事もそんなになくて(笑)祭りにスケジュール合わせることも容易に出来た。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
そりゃ最高だ(笑)

◇◆◇◆◇
 自身の表現活動の根幹としてのルーツ探しの旅の途中、ラビリンスに迷い込み、身動き取れない三上に光明が差す。
 畏れながら記すが、それはニニギノミコトが高天原から葦原中国へ降り立つ際の天の八衢での立ち往生をある種彷彿させるような出来事だ。
 大袈裟に聞こえるだろうが、そんな三上に道を照らす国津神がニニギ同様、本当に現れた。
 そう、猿田彦である。
 道を見つけたらそこからは早い。猿田彦の妻、猿女君を祖とする神楽を座標軸に、その後は、只々、神と通ずる経絡を探っていったのだった。
◇◆◇◆◇

一作:おれは山口県だから、周防神楽とか、子供の頃から比較的身近にあった。

三上:周防。ありますね、あそこも面白い。

一作:当時は、“ああいうのは、神事と云うよりは、お祭りに来て、神社の境内でいろいろ面白いことをやってくれるもの”って感覚。すごくエッチなものもあるしね(笑)

三上:だって、面白くなくっちゃ何百年も続かない。

一作:そうだよね。
最初、名字が三上さんだから、実家が神社や神道関連なのかと思っていたんだ。

三上:いやいや。普通のサラリーマンの息子ですよ。

一作:おれの田舎の、由宇町って町に神社があって、宮司さんが三上さん(笑)
だから、「そういう関係の人なのかな?」なんて勝手に思っていたんだけど(笑)

三上:いや(笑)
広島は三上さんって多いんですよね。青森と広島に三上が固まっている(笑)

ラジオアダン:じゃ、寛さんはその青森側の人?

三上:そうですね(笑)

一作:三上寛さん?

三上:ええ。
そういえば、弘前だったなか?学生時代に旅行で行って、電話ボックスに入って電話帳を見たら三上が一杯あって(笑)
それなのに、当時、ぼくが住んでいた三鷹の電話帳には三上は3人くらいしか載っていない(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
そうか、おひらき祭りは三上さんに執って、切っ掛けとして凄くよいものだったんですね。

三上:そうですね。
その少し前に、宮司や学者の鎌田東二さん、あと、細野さん、ぼく等で、「巡行祭」と銘打って、猿田彦縁のところを廻って、日の出、日の入りの時間に奉納演奏をするという活動があったんです。
沖縄からスタートして、斎場御嶽行って、久高行って。それから鹿児島の霧島の高千穂の峰から宮崎県の高千穂。次に出雲、加賀の潜戸。で、伊勢、松坂の阿射加神社を廻って猿田彦神社に戻るというコース。
ツアーの中、高千穂で夜の観光神楽を見て、その帰りに細野さんが歩きながら、「神楽をやろうと思う」って言われたんです。

一作:細野さんって、やっぱり変わってるよね(笑)

ラジオアダン:そのツアーでも三上さんの担当はディジュリドゥ?

三上:その時もディジュがメインでしたね。

ラジオアダン:細野さんはどんな楽器を演奏されていたんですか?

三上:適当な小物。

ラジオアダン:鳴りものと云うか?(笑)

三上:うん、鈴とか。
只居ればいい人だから(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
細野さんって典型的な都会人じゃない。なのに面白いよね。

三上:まあぁ、天河ブームの火付け役でもあるし。

一作:そうかそうか、それもあったね。

ラジオアダン:中沢新一さんとのフィールドワークから、

三上:『観光』ですね。
でも、その時の細野さんの発想は、神楽そのものをやる訳ではなくて、“自分に執っての神楽”ということで、日本の楽器でアフリカのリズムをやるかもしれないし、アフリカの楽器で日本のリズムをやるかもしれないしということですね。
で、ぼくは勢いづいて、「畏まりました!」、「勉強しまぁ〜す!」なんて言って、帰京後、直ぐにお茶の水の古本屋街に行って関連の本を探して(笑)なかなかなかったんですが何冊か見つけて。で、細野さんも締め太鼓を直ぐに買って。
なのに、細野さんたら、1年も経たないうちに、「君に任せた」って言って終わっちゃった。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
終わっちゃったんだ(笑)

三上:たまにその時の楽器を使っているみたいですけどね(苦笑)

ラジオアダン:三上さんに執って、未知のジャンルの楽器を購入するのは大変だったんじゃないですか?

三上:ああ、太鼓とか?

ラジオアダン:ええ。

三上:細野さんはあそこに行ったんじゃなかったかな?浅草の「宮本卯之助商店」。

ラジオアダン:神楽専門店と云うか?

三上:いや、そこはもう祭り関係なんでもかんでもある。ぼくは古道具屋(笑)
でも、今は和太鼓グループ系の太鼓ばかりになっちゃってる。今、太鼓を買う人は和太鼓やりたい人達ばかりだから。

一作:和太鼓はそんなに人気があるんだ?
どういうやつ?大きいやつ?

三上:大きいのから小さいのからいろいろ。

一作:おれ、実はグループでやる和太鼓苦手なんだよ。

三上:ぼくも苦手ですね、軍隊みたいで(苦笑)マッチョな。

一作:そうそう。
“一糸乱れぬ”ってのがあまり好きじゃないんだ。
「別に揃わなくてもいいじゃん」って思う訳。キメがあるのがどうもね。
それに比べて、昔、「CAY」でやったドゥン・ドゥン・ンジャエ・ローズとか、もっと適当だけど凄いグルーブを出す。
 この辺の一連のものは、亡くなったケンさん(宮川賢左衛門)のおかげなんだけどね。ケンさん、(以下)ドゥン・ドゥンみたく痩せた哲人みたいでかっこよかった(笑)

三上:そうそう、細野さんも神楽のプロジェクトではドゥン・ドゥンみたいなことをやりたかったみたい。

一作:ドゥン・ドゥンは3日公演だったのかな?いい時代だよな、あのキャパであの内容でスポンサーが付くんだから。あれ三菱だったよね。

三上:モンゴロイド・ユニットでも民族音楽系のアーティストは結構呼んでました。
熊野古道が世界遺産になった時の記念イベントが熊野の本宮で行われた時は、アイヌのトンコリ奏者、OKIさんに入ってもらいました。

ラジオアダン:OKIさんも三上さん同様、元々はロック畑の方だったとお訊きしたんですが。

三上:そうです。バンド活動をしていてベーシストだったらしい。

一作:神楽のフィールドワークの方に話を移したいんだけど、高千穂はどんな感じだったのかな?

三上:高千穂?

一作:うん。
観光用に日々やっているものがまずあるでしょ。そうじゃないものもあるのかな?

三上:集落の祭りとしてやる夜神楽というのがあって、それは一晩中やる訳です。観光神楽はその一部をより見やすくコンパクトにしてあって、実際のところパッケージショーまでもいってない。演目を軽くふたつみっつ見せるって感じですね。とはいえ、高千穂はやっぱりいいですよ。

一作:で、本気でやるものは年に1回ある訳?

三上:はい。
高千穂の内、20箇所以上でやるので、大体、11月〜2月くらいまであっちこっちでやっています。
一部、昼神楽になってしまったところもありますが、やはり夜神楽が面白いですね。

一作:来週から九州へ行くんだけど、ちょっと高千穂に寄ろうかなぁ?

三上:もう神楽は終わっちゃってますけどね。

一作:実は、中学の時、高校に進学する春休みに、自転車で九州一周の旅を実行したんです。2週間もかかった(笑)
その時に高千穂峡に行ったんです。それからは行ってない。

三上:凄いなぁ〜、あそこまで登ったんだ。

一作:鹿児島から上がって来て、延岡から入って、……、いやぁ〜大変だったね(笑)
ワンシーン、ワンシーンは覚えているんだけど、どんなところに泊ったのかが全然覚えてない。多分、その頃だからユースホステルに泊っていたんだと思うんだけど。

三上:一人旅?

一作:いや、2人で行ったんだけど、霧島の坂を下りてる時にそいつと喧嘩になって、

三上:ガハハハハ(爆笑)

一作:「じゃ〜、別々に行こう!」ってことで、別々になった(笑)
おれ、当時、結構根性あったんだよ。剣道部キャプテンだったし(笑)今は全然ダメだけど、酒ばっかかっくらってチョーナンパに見られてるけど(笑)

ラジオアダン:フィールドワークと平行して、細野さんから投げ掛けられた言葉、「君に任すよ」に従った音楽活動はその後どう進展していったんですか?

三上:まあ、その時点では猿田彦神社からの支援もあったのですが、入力するだけでもう精一杯。祭りに行く度に全然違うものが出現するので訳が分からなくなって。それを整理しながら進めてゆくと云うか。

ラジオアダン:入力とは、まずは神楽に関する造詣を深めると云う意味ですか?

三上:そうです。音として自分が出せる状態にはなかったですね。
まずは現場に行って体感するという段階です。

ラジオアダン:音楽家の顔は一度封印してフィールドワーカーに徹すると。

三上:そうですそうです。もう、瞬時に、「一筋縄ではいかないぞ」と思ったから。そんなこんなで、今は神楽研究者としか思われていなかったりもするんですけどね。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
今日も、神楽研究者としての三上さんってことで話をしているので(笑)

三上:ガハハハハ(爆笑)
ぼくが最初の神楽の本を出した時に、細野さんが毎月デイジーワールド関連のライブイベントをCAYでやっていて、ぼくもたまに出演したりしていたんですけど。ある時、出版に合わせて宣伝がてら本を持参したら、細野さんが、「こうなったのは、ぼくのせいじゃないよね?」ってぼそっと言ったんで、「違います!」って元気に応えといたんですけど。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

三上:本当はこうなったのは細野さんのせいなんですけどね。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 細野晴臣、そして猿田彦の導きで神楽研究者として名をなした三上。
 さて、その神楽研究者という、雲を掴み霞を食うような数寄者の日常とは一体どんなものなのだろう?
 筆者の頭中にあるそんな素朴な疑問が一作に届いたのか?ここで一気にフェーズは、“日常”に転換される。
◇◆◇◆◇

一作:今、まだ大学で講師として教えてるの?

三上:やってます。それがあるから東京にいるようなもんで。

一作:あれぇ〜……、早稲田(大学)だっけ?

三上:いや、多摩美(術大学)。

一作:多摩美っていい大学だね。そういうものも取り入れて。

三上:ええ。まあ、中沢さんがいる頃に呼んでもらって。今は明治の方へ移られましたけど。

一作:テーマとしてはどんな感じでやっているの?

三上:元々、……、ムフフフフ(含み笑い)、……、『音楽のアーカイブ』という名前で、細野さんがやるはずの授業だったんです(笑)
でも、お忙しい方なので、年に2回くらいの特別講義しか出来なくて。その後、当時の細野さんのマネージャーだった東くんが非常勤講師をしばらくやって、彼もまた多忙になってぼくに振ってきた。

一作:急にじゃ困るよね(笑)

三上:でもずっとフリーランスで活動していたから、「素性が分からない」なんてことにもなりかけていて。肩書きもそれなりに必要な訳です。

一作:うん、その気持ち分かるよ。

三上:で、「せっかくやるんだからタイトルも変えたらどうですか?」なんて言ったんですけど、「このままでいいです」って言われて、音楽のアーカイブ。でも、中身は神楽のことを重点的に教えるようにして。
傑作なのが、初年度の授業プログラムに、“講師:細野晴臣、中沢新一、三上敏視”って3人の名前が並んでいたんですけど、実際に講義をやるのはぼくだけという。ガハハハハ(爆笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
でも、肩書きは必要だよ。だって、なくて困る時あるでしょ?

三上:そうなんです。

一作:いいよね。そういう際々の位置にいるって(笑)

三上:そこまでの流れとしては、ぼくが非常勤講師を始める前に中沢さんが、「芸術人類学研究所」というものを起ち上げて所長になって、「特別研究員って肩書きをあげるよ」ってことになって。
「肩書き欲しいだろ?」、「はい!!」って感じから始まったんです(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
増々いいなぁ〜(笑)

三上:「ごっちゃんです!」な感じ(笑)
その後に非常勤講師に就いた訳です。

一作:ハハハハハ(笑)
講義は月に何回くらいやっているんですか?

三上:前期後期とあって、今は後期で週1。

ラジオアダン:若い学生さんとの関わりは面白そうですね。

一作:そうそう。そこのところをおれも訊きたかった。

三上:授業に本当にはまった子は宮崎の山奥まで付いてきたりします。
でも、「今年はダメだな…」なんて年は、「全然反応がない…」なんてこともあります。

一作:そういう年の生徒は、音楽すら興味がない?只、授業として居る訳?

三上:そうですね。
まあ、音楽は好きなんだろうけど。

一作:好きな子もいるでしょ。
本来、三上さんが教えていることって音楽の根元な訳じゃない。

三上:でも、ぼくのライブにはあまり生徒はこないな……(苦笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:そういえば、大学の先生でガムラン音楽の第一人者の方がいませんでしたっけ?ライブで合奏する時は生徒さんや、OB、OGが多数バックにいるような方。

三上:……、ああ、モンゴロイド・ユニットにも参加して頂いた、皆川、

一作:皆川厚一さんでしょ。

三上:皆川さんはもう顔が日本人に見えないもの(笑)インドネシア人そのもの(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
あの方は自分でガムランのチームを持っている訳?

ラジオアダン:一作さんプロデュースのライブ箱、「新世界」でも数度演奏して頂きました。
皆川さんが一応のリーダーですが、若手の実働部隊が実際は動かしている感じでした。
「滞空時間」というユニットで、近年、名を馳せた川村亘平斎さんも主要メンバーの一人。

一作:ああ、川村くんね。

三上:皆川さんは、民族音楽学者、小泉文夫さんのお弟子さんで後継者。バリの音楽、文化を語らせたら、バリの人より知っているような方ですから。

一作:葉山に住んでいる時、一色に森山神社っていう神社があって結構いい演舞場がある。そこでのパフォーマンスを見るには神社の脇の石畳の階段に登って見るんだけど、お盆の時に1回ガムランが来て。勿論、国内の人達なんだけど。やっぱり皆川さんの系統なのかな?その辺やる人って限られているから。ちゃんとバロンも出てきて。

三上:バロンも出てくるんだ。それは素晴らしい。

一作:ガムランもだけど、80年代に音楽シーンが一斉にワールドミュージックの方に舵を切る時に、CAYを立ち上げられたことは本当にラッキーだった。
おれ、あそこで、その辺のライブを一杯体験したからね。

ラジオアダン:ぼくは、“一般に浸透した”って部分では、トーキング・ヘッズとブライアン・イーノの存在が大きかったような気がするんです。
実際、バーンとイーノはディオ名義でその辺のアプローチの素晴らしいアルバム(『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースト』)も残していますし。

一作:そうか。それもあるね。あのアルバムはかっこいい。
そういえば、YMOだって民族音楽を取り入れていた部分もある訳だし、

ラジオアダン:細野さんに関してはもっと以前から、

一作:あるね。
トーキング・ヘッズは細野さん世代よりちょっと下の世代の啓蒙にはよかった。……、当時、あそこだ、……、なんだっけ?……、昭和女子大、人見記念講堂。あんな綺麗なところでさ(笑)おれは、あそこでトーキング・ヘッズやローリー・アンダーソンを見た。あそこ結構いいのをやっていたよね。UKレゲエのUB40もやったし。おれ、あそこでライブを見るのが好きだったなぁ〜(笑)

三上:女子大だし(笑)

ラジオアダン:あと、80’s以前に、ジャズやフュージョンの人達が海外進出を意識して、和太鼓や鼓、笛、琴等、和的なアプローチを意識的にしていました。

三上:うむぅ〜……、結構イージーなセッションが多かったけどね(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
でもそんなもんでしょ。始まりはイージーな世界(笑)

◇◆◇◆◇
 三上の座標が定まり、数々の神楽のフィールドワークをものにし始めた頃、図らずも、一作にも同様の出来事が幼少期のぶり返しとして起こっていた。
 そう、この対談でも何度か触れた約束の地、ビッグ・アイランドでの覚醒。 
 同時多発とも云える2人のシンクロニシティ。これもまた、猿田彦の導きなのか?
◇◆◇◆◇

ラジオアダン:三上さんでも、アンダーグランドなものを含めれば、まだまだ行ききれてないお祭りもあるんですか?

三上:全て網羅したとは言い切れませんが、要所は略見ましたね。今、新たにまた執筆を始めていて、それが完成したら一段落。
宮司さんがお亡くなりになって、以前みたいに援助もないので、自腹で動いてます。そろそろ資金も尽きてきた(苦笑)

ラジオアダン:上梓が楽しみですね。前後して恐縮ですが、一作さんは何故、神楽に興味を持ったのですか?

一作:前述したけど、子供の頃から身近にあったから。周防神楽って結構有名ですよね?

三上:ええ。

ラジオアダン:現在の肩書きに反して、幼少期、東京人の三上さんより山口県人の一作さんの方が神楽に入り込んだのは早いということですね。

三上:勿論。ぼくは神楽を知らなかったから逆にびっくりして。

一作:おれの場合は、幼い頃から見ていて神楽の世界観っていうのは身体の中に確実に残っているんだけど、上京して都会の生活に慣れてくると徐々にその感触を忘れてゆく、……、……、で、やっぱり、ハワイなんです。
何故、ハワイに行ったかと言うと、CAYのスタッフの頃にピーター・ムーンの公演を仕込んで、ミクストメディアとして雑誌も噛ませて、その取材として行ったのが初のハワイ。ピーターは勿論、ギャビー・パヒヌイの家に行ったり。丁度ライ・クーダープロデュースで、息子達、パヒヌイ・ブラザースがアルバムをリリースした頃でした。
雑誌の取材も終わってクルーが帰った後も何故かおれだけ残って(笑)で、ニック加藤ってハワイ文化と重要な関わりを持ったコーディネーターがいるんですけど。今、上映中の話題の映画『盆唄』の企画発起人で写真家の岩根愛ちゃんもニックがハワイの橋渡しだったみたいですね。
ワイキキのバーでニックと待ち合わせをして飲んでいたら、「4月にハワイ島のヒロでフラの祭典があるから、それを見に来たらどうですか?」って言ってくれて。その時は2月だったので、一旦帰国して、4月に再度ハワイに来てその祭典を見に行った。
フラってアウアナっていうモダンフラと、カヒコっていう古典があって、その祭典では両方やるんだけど。それがメリーモナーク・フェスティバル。今は凄く有名なフェスティバルになっちゃったけど、当時はそうでもなかった。
特に、カヒコを始めて目のあたりにした時は、「すげぇ〜!」って一瞬でなって、「これって子供の時に見た神楽に近いな」って思ったんです。神楽に対し再認識をした瞬間ですね。まだ、サンディーに同行する前の話です。
「こういうことを東京で出来ないかな?」ってビジョンがその時芽生えて、それが後々、サンディーのフラスタジオをサポートすることになる。

ラジオアダン:神楽の原体験のタイミングがまるで違う2人なのに、再認識に関しては非常に類似しているところが面白いですね。

三上:そうですね。

一作:タイミングが絶妙に近かったんだろうね。
どこかで神様と交信するって感覚ってあるじゃないですか。古典フラもそうだし、神楽もそうだし。それってやってくうちにだんだんトランスに入って行く訳じゃないですか。
神楽で、そういう体験をしたり見たりしたことって過去ありましたか?

三上:実際のところ、“神懸かり”という状態になることは非常に難しくて、ぼくが情報を得ている分では殆ど成功してないですね。
だけど、高千穂でもそうですけど、ある時間帯に皆が変成意識に入っちゃう祭り空間というのは実際にあって、そこに居るのが気持ちいいんです。

一作:なんかこう、ごぉっ〜と上がってんだよね。
こればかりはそこで体験しないと分からない。

三上:よく、「神楽は神様に奉納するものだから人に見せるのもではない」って言う人がいますけど、本当は見る人がいないとダメなんですよ。見る人と一緒になってひとつの祭り空間を作らないとダメ。
夜神楽等ですと、丁度先週、奥三河の「花祭り」で酒飲んでいたんですけど(笑)

一作:いいことしてるよね。うらやましい(笑)

三上:ハハハハハ(笑)すいません(笑)
その分、捨ててるものも沢山あるんだけどね(笑)

一作:三上さんと会うといつも、「先週は○○に行った」なんて言ってる(笑)

三上:でも、もうそろそろ無理(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
で、奥三河はどうでした?

三上:もう、凄かったんだけど……。
ぼくが20年前から15回は行っているところで、中心になってやっていた方達がもう高齢で今年が最後だったんです。
来年からお休みになるので、もうめちゃくちゃ人が来て。普段の倍くらい。だから舞が見れない人も沢山いました。
ぼくは、そんな状況になることは事前に想像がついていたんだけど、まあ、20年もお付き合いさせて頂いた方達だから、「やっぱり最後は見届けよう」ってことで行くことにして、早い時間から場所取って、

一作:そういう縁が深いところは絶対行った方がいいですよ。

三上:ええ。
祭りをやる人達が昼に酒を飲んでいるところから参加して。そこが祭りをやる人達が唯一雑談しながらゆっくり酒が飲める時間で、始まっちゃったら飲めはすれど談笑には至らない。

一作:云うなれば、バリだったらケチャでキノコを食ってトランスに入る前みたいな時間帯だね。南太平洋だとカヴァだ。

三上:カヴァ?

一作:サモアには、カヴァって胡椒科の潅木の根があって、それをぎゅぅ〜と絞って飲むんですよ。それも、車座になって手拍子を打ちながらまわし飲みする。少しばかりハイになって南洋の光と影が普段よりもくっきり見えてくる。
本当はその辺の話を沢山したかったけど、ながぁ〜い前振りとして(笑)、ミュージシャンとしての顔の方を沢山話しちゃったな(笑)

◇◆◇◆◇
 アニミズム。地霊信仰とも訳される。
 字面や既存のイメージだけでは、おどろおどろしく近寄りがたい代物のように思える。
 しかし、2人のイメージは全く別のところにあるようだ。
 風通しがよく明るくポップなアニミズム。
 そしてすこしエッチ!?
 終盤にきて、トークセッションもハレとケが交差する別次元へアセンション。いよいよ、黄泉へのトランスまであと僅か!?!?
◇◆◇◆◇

一作:神楽って、まあ、ざっくりだけど、凄く精神的なものですよね。

三上:ぼく独自の解釈なのかもしれないけど、祭り、神楽とていう空間は非日常として出来上がらなければまずいし、それは、普段対立している、陰と陽であるとか、生と死であるとか、見えるもの見えないもの、男と女、そういうものがごっちゃになって混沌に達する世界。そこで神的なものを感じたり。昔は神懸かりが起きた訳です。

一作:それって、実は下世話なものも凄く含む訳じゃん。

三上:そうですそうです。聖と俗も勿論含まれます。

一作:うん。そういうものには付きものでしょ。だって、やっぱりセックスしなければ人間は産まれないんだから。
子供の時の記憶で、多分、周防神楽だったと思うんだけど、びっくりするのが、なば祭り。なばってペニスのこと。
その辺、三上さん見たことありますか?

三上:周防では見たことないですね。

一作:そうですか。
で、すごくでかい張り形を携えて神事の人達が出てくると、普段真面目なおばちゃん達が、「ギャ〜!!」って歓声を上げて笑っている訳(笑)

三上:そうそう、あれがいいんだ!おばちゃんって基本スケベだから(笑)

一作:そう!ガハハハハ(爆笑)
おれ、そのシーンが今でも強烈に残っているんです。

三上:それはいいですね。
宮崎県の神楽は今でも男根出現率が凄く高いです。
昼神楽だったら子供もそれを見るし、男根に両面テープが巻き付けてあって、女の子が千円札をそこに貼付けて。チップ同様に(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
それ凄いね!!

ラジオアダン:昼神楽と夜神楽の大きな違いってどこなんでしょうか?

三上:昼神楽は大体午前中から始まって夕方には終わっちゃう、

ラジオアダン:単に時間帯の違いなんですか?

一作:あんまり関係ないんだよね?

三上:そうです。
只、元々、祭り自体は夜のものですけど、段々、ライフスタイルが変わってきて昼にもやるようになったってことです。

ラジオアダン:今更なんですけど、確認させてください。
まずお祭りがありますよね?神楽はその一つのコンテンツと思えばいいのでしょうか?

三上:祭りの中のコンテンツとして存在するのは、大体、関東から北。だから、先週行った奥三河の花祭りとか、中国地方とか、九州山間部の夜通しやるものは祭り自体が全部神楽。神事から全て芸能をともなって。

ラジオアダン:そう聞くと西の方が面白そうですね。

一作:例えば、早池峰なんて行くのが大変じゃないですか?更に、泊るところも殆どないじゃないですか?三上さんはどこに泊ってるんですか?

三上:早池峰の場合、皆がよく来るコースは、7月31日の宵宮から8月1日の本祭り、早池峰神社例大祭。ぼくは駐車場で寝ますよ(笑)

ラジオアダン:スーパーボランティアの尾畠春夫さんみたいですね(笑)あの方も基本、車で眠られるとか(笑)

三上:ハハハハハ(笑)
近くに宿はあるんですけど、1年前から予約で一杯なんです。宿房みたいなものなのでキャパもそんなにないし。あと、早池峰の場合は早池峰山に登る登山客用のキャンプ場があるのでそこにテントを張る人もいます。あとは、一回、花巻まで戻ってホテルに泊るとか。

ラジオアダン:日本古来のフェスに数えきれない程行ってらっしゃるんですね。

三上:まあ、レイブ?(笑)
神事としての聖なる面も勿論あるんですけど、まあ、宴会ですよ!ガハハハハ(笑)

一作:ガハハハハ(笑)

三上:ぼくの場合、申し訳ないけど、「飲みに来ました!」みたいな感じですから(笑)
宮崎の諸塚村の神楽だと、脇宿っていうシステムがあって、神楽をやっている横の家で、「いらっしゃい!いらっしゃい!」っ言って誰が来ても酒を出して歓待してくれるんです。

一作:素晴らしいね。

三上:それも元々は、“新しい血を入れたい”という考えがあったんだと思います。山間部の孤立した集落ですから。
宮崎にはせり歌という観客が主に男女のことを歌う文化がまだ残っているんです。神楽には神楽歌、神歌というのが付きもので、「それがなければ神楽じゃない」とぼくは思っているほど重要なもの。

一作:例えばどんなことを唄っている訳?

三上:〜伊勢の国 高天原がここなれば 集まりたまえ 四方の神々〜とか。

ラジオアダン:古事記的な世界からの引用ですか?

三上:神楽は殆ど日本書紀からです。古事記は江戸中期以降。

一作:そういえば、新世界のオープニングの時に三上さんに奉納演奏をしてもらったじゃない。ガハハハハ(爆笑)

三上:ガハハハハ(爆笑)

一作:あの時はどんなことを唄っていたの?

三上:神歌です。

一作:せっかくだからちょっとやっみてよ(笑)

三上:ハハハハハ(笑)
—♪七滝や〜 八滝の水を汲み上げて〜 汲み上げて〜 日頃の穢れを今ぞ清める〜♪— 
なんてね(笑)

一作:(拍手)いいね(笑)素晴らしい!(笑)
それで、あの場所は清まったんだね(笑)
そんな感じでスタートした新世界はずっと赤字で、6年続けて結局6千万の赤字をくらった。
でも、三田「アダン」の立退料が入ってきてその借金をチャラに出来た。それもこれも、あの時、三上さんが神歌を捧げたおかげかも(笑)
神様が、「ものごとはとどのつまりプラマイゼロだぜ」とおれに教えてくれたのかもね(笑)

◇◆◇◆◇
 神歌も出たところで酒宴の場も隅々まで清まり、更に、酔いもいい感じにまわってきた。
 少し遅れた新年に合わせ再開した酔談のセカンドシーズン。ここは、柄にもなく、暫し背筋を伸ばし、ゲストとともに本年の誓いを立て静穏に宴終えることとしよう。
◇◆◇◆◇

一作:おれ、今年の抱負として、……、いや、その前に、なぜ葉山の住まいを引き払ったかというと、ちゃんともう一回、……、映画を見たりだとかインプットしようと思うんだ。
葉山にいると、「海が友達!」みたいな(笑)おれの場合、サーフィンする訳でもないしさ(苦笑)

三上:成る程。

一作:5年居たからね。
だから、今年は映画を100本見ることにしたの。

三上:いいですね。

一作:まだ1本しか見てないけど。ガハハハハ(爆笑)

三上:ガハハハハ(爆笑)

一作:あくまでも映画館でね。映画館で100本。
おれはそんなところが直近の抱負なんだけど、最後に、三上さんの今年の抱負を訊かせてよ。

三上:そうですね。……、やっぱり、今、執筆中のものを書籍としてなんとか年内に出したいですね。

一作:じゃ〜、おれは一番最初に買って一番最初の読者になるよ。
今日は忙しいところありがとうございました。

三上:いいえ、こちらこそ。

◇◆◇◆◇
 三上の神楽研究の第1章もいよいよ大詰め。一旦の纏めとなる新たな書籍の発売もそう遠い日ではなさそうだ。
 一作もまた生活空間を移動し、インプットを主としたセカンドシーズンに突入した。
 一つの物語を終えた彼等が、次に降り立つフィールドは果たしてどこになるのだろうか?
 そこは高天原か?はたまた葦原中国か?
 そんなこと誰も分かりはしない。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様(今回はピンポイントでサルタヒコノカミ??)が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。
 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@奥渋「家庭料理 おふく」

テキスト、進行:エンドウソウメイ

写真:門井朋

●今回のゲスト

三上敏視/プロフィール

音楽家/神楽・伝承音楽研究家。MICABOX名義で神楽太鼓の呪術的響きを大事にしたモダンルーツ音楽を製作、CD『ひねもす』などをリリース。他にも気功音楽をはじめ多様な音楽の作曲、演奏などの音楽活動を行う。ライフワークとして全国の里神楽を巡り、神楽とその背景にある祭祀文化を日本のルーツミュージック、ネイティブカルチャーとしてとらえ、ガイドブック『新・神楽と出会う本』などを出版。多摩美術大学美術学部非常勤講師。


河内一作/プロフィール
山口県生まれ。八十年代から、霞町「クーリーズクリーク」、代官山「スワミ」、青山「カイ」、など、常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。現在は、泉岳寺「アダン」、渋谷「家庭料理 おふく」オーナー。酒と音楽、内外の島をこよなく愛する文筆家であり、名バーテンダーでもある。