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「連載対談/『酔談』vol.8」ゲスト:相原誠氏 ホスト:河内一作


「連載対談/『酔談』vol.8」ゲスト:相原誠氏 ホスト:河内一作


 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である
 酔っているがゆえの無軌道さ、無責任さ、大胆さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回は、キャロル、ダウンタウン・ブギウギ・バンドと、日本ロックシーンのメインストリームで数々の名演を残すドラマー相原誠氏(以下敬称略)をお迎えし数えて第8回目となるコアなトークセッションをお馴染みの泉岳寺「アダン」1Fフロアーで決行。
 ドラマーはもとより、一作同様、バー、ライブハウスの経営、はたまたラーメン店開業、それにも飽き足らず古物商もと、多羅尾伴内並に複数の顔を持つ相原誠。
 そんな話題に事欠かない人物だけにロングランなジャムセッションが予想される。
 わくわくする予感の中、意外にもオーソドックスな、ルーツ、そして2人の出会いから緩やかにリディムは刻み始める。
◇◆◇◆◇

アダンラジオ:(レコーダーの位置、レベルを微調整中)

相原誠(以下誠):いいね、こういうふうに丁寧にセッティングするのって(笑)

アダンラジオ:ダウンタウン(・ブギウギ・バンド)時代はしょっちゅうインタビューされて、いい加減、嫌だったんじゃなかったですか?笑

誠:まあね……。
こう、物事にこだわるっていうのがいいよ。

アダンラジオ:誠さんこそ、こだわりの権化じゃないですか!?
ある日突然、骨董品屋さんになってみたり(笑)

河内一作(以下一作):骨董品までやってるんだっけ?
ラーメン屋はやめたんだよね?

アダンラジオ:ブルースとラーメンの店(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
なんでブルースとラーメンな訳?

アダンラジオ:ですから、ブルースを聴きながらラーメンを食べるというコンセプトだったんですよね?

誠:うん、そう。
人間って不思議なもんで、いろんな麺を試したけど……。
俺、生まれが秋田じゃん。
で、たまたま、「紀伊国屋」でやっていた、ラーメンフェアで買ってきた秋田の麺が実に俺好みで。これが俺のスープにまた合うんだよ。麺が凄く細くてさ。

一作:秋田県出身なんだ。
いつまでいたの?

誠:15の時には、もう秋田からドロップアウトしていたよ。

一作:家出した?

誠:うん、そう。
今も家出中みたいなものだけどさ(笑)

アダンラジオ:では、高校を途中でやめられて、

誠:高校なんて行ってないから。
中学も最後の方は行かなかった。

アダンラジオ:めちゃくちゃ早いドロップアウトですね(笑)

一作:早いね〜。
ガハハハハ(爆笑)

誠:学校って、……、要はものの考え方よ。
若い時なんて、学ぼうとしても、まだ頭が悪いんだから学ぶに至らない。
だから、大人になった今、学んでいるんだから。俺は一方でそういう教育も必要だと思うんだよな。
若い時は遊ぶことが精一杯で、学ぶ暇なんかないよ(笑)
ましてや、アルマーニか何か着て学校行ったって勉強なんて出来ない(笑)


相原誠氏

一同:ガハハハハ(爆笑)

一作:時事ネタ爆発!?(笑)
あれね(笑)校長がバカだよな。

誠:まあいいけどさ、所詮、泰明小学校だし(笑)

一作:ところで、秋田のどこ?
男鹿半島とか?

誠:あの頃、15くらいだから、そんなに県内をうろうろしていた訳じゃない。

一作:で、最寄りのJRの駅はどこだったの?

誠:土崎港(つちざきみなと)。
大体、秋田港というところ。
元々、秋田市と土崎は別れていて、秋田市としては、港を秋田港と名付けたかったんだけど、土崎側は、「それは譲れない」と。
秋田港だと元来のイメージと変わっちゃう訳だ。
いわゆる、お城があって降りてくると港があるというのが、俺の育った地域の構造なんだけど、その山の中腹で、うちのおじいちゃんが煉瓦工場をやっていた。

一作:へぇ〜。

誠:山を切り崩して焼いて。
昔にしては洒落た商売をしていた訳。
でも、うちの親父の代で、皆職人になっちゃって継ぐ人間がいなくなって。
最後、うちの親父はボイラーで、いわゆる、格納庫を作っていた。

一作:そう、凄いね。
結構、家系的に肉体派なんだ。

誠:当時、ボイラーの特級を作れるって云うのは、国内でも数人しかいなくて、その一人がうちの親父。

一作:ボイラーを作っていたんだ。

誠:昔は、三井や三菱が、耐火煉瓦ってことで作っていた。今の鉄とかじゃなくって。おれもガキの頃はよく手伝いに行かされたよ。
一作もよく知っている、(浦上)ケンちゃんが秋田に暫く住んだことがあって、

一作:へ〜、住んでいたことがあるんだ。

誠:うん。
それで、俺んちへ行って親父と話ししたりして。
ホントおかしい奴だよ、あいつは(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
へ〜、そんなこともあったんだ。
俺が始めて誠と会ったのは88年の「いのちの祭」?
八ヶ岳だよね?

誠:うん、そうそう。
「いのちの祭」の頃は、一作をはじめ、皆、周りはまだ「Cay」のスタッフで。

一作:うん。
誠はたまたま浦上のケンちゃんと来て、俺はその時点でケンちゃんのことは知っていた。
で、誠がケンちゃんに連れられて来て、俺達は岩手から自然放牧で育てられた上質のラム肉を山ほど送ってもらって、バーベキューとして焼いて出してたの。


河内一作

ラジオアダン:今で云うフェスの出店ですね?

一作:うん。
そしたら、「おまえら焼き方下手だな!」とか言って、「ちょっと俺に貸してみろ!」なんて言ってさ、自分の呑んでいるビールを肉にぶっかけて、一生懸命焼いてくれる訳(笑)「この人凄い人だな」って(笑)

ラジオアダン:その時、一作さんは、かのダウンタウン・ブギウギ・バンドのドラマー相原誠とはつゆ知らず?

一作:全然知らなかった(笑)
ダウンタウンが売れていた時って、俺、テレビ持ってなかったから。顔が分からないんだ(笑)

誠:ガハハハハ(爆笑)

一作:ダウンタウンってあれ何年くらい?

ラジオアダン:ミリオンセラー連発は74〜5年頃では。

一作:でしょ?
俺が東京に出て来て直ぐ。テレビがない時代。
だから、只、「この人凄いな」って。
その時は、今みたいに痩せてなくって、ガタイよくて、「この人、テキ屋の親分かな?」なんて思ったりして(笑)

誠:結構あるじゃん、人間って、勢いのある時ってのが。
いや、今もあるけどさ(笑)
若い時ってのは、……、なんだろな?……、やっぱ凄いよな(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
誠との最初はそんな感じ。

ラジオアダン:ミュージシャンとは思えない手際よい調理(笑)

誠:で、輪投げを始めて。

一作:そうそう、誠、輪投げとか持って来てるんだよ(笑)
子供集めてやらせる訳。

誠:あれが受けちゃって!

ラジオアダン:隣同士で出店になった?

一作:場所代は取らないから、厳密には出店じゃないな。
誠も輪投げはただで子供達にやらせていたんでしょ?

誠:いや、1回300円かそのくらいで(笑)

一同:ガハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:それじゃ、本物のテキ屋じゃないですか!?(笑)

一作:俺、絶対テキ屋の親分だと思ったもの(笑)

誠:あのイベントの前に、第一建設って会社の社長と友達になってトレーラー1台貸してくれて、俺が洋服を作って、川口の、「ラリー・メイズ」って云って、迷路のテーマパークの一画で販売したんだけど、あんなところで洋服を売ったって売れる訳がない。
「困ったな〜」と思って、思案して、「そうだ、ガキが多いんだから輪投げ屋やろう!」って、

一作:ハハハハハ(笑)

誠:輪投げ屋で一日20万円!

一作:凄いね!

誠:だって、輪が5本300円で、景品ったって、どうでもいいものばかりだもの(笑)
あれ、子供もだけど、大人も夢中になるんだよ。

ラジオアダン:八ヶ岳では既に勝算がある企画をぶつけた?

一作:でも、八ヶ岳はヒッピーばっかだったからな。
俺等が、あんな上質なラム肉仕入れて焼いて出しても、「お金取るの??」って言うんだから(苦笑)

誠:だから、俺も一作も、どっちも場違いだったんだろうな(笑)

一作:うん、たまたま流れであそこにいただけで、……、まあ“ノーニュークス”には賛同していたけどね。

誠:だから、興味があるとかないとかではなくて、昔は、人の集まるところに行ってみたいって欲求が強くあったんじゃない?
今は、ネットで行かなくても行った錯覚が起きる。でも、実は行ってみないと分からないものなんだよ。だから、今の人達は、口は達者だけど行動力に乏しい。
俺はネットはやらないし、世間とこう、……、なんていうの?……、携わりたくないというか。どうせ何かやることに対して文句言われたりする訳で。
俺も文句を言わないかわりに文句を言われたくない。
人を信用しないと云うと、ネガティブに聞こえるかもしれないけど、自分が見たり聞いたりしたことが一番信用に繋がる。
皆、マスコミに代表されるメディアの操作に惑わされ過ぎなんだよ。
まあ、俺みたいに、65〜6にもなれば、そんなものにいちいち惑わされる時間もないんだけどな(苦笑)

◇◆◇◆◇
 相原誠の摩訶不思議なビジネス感覚に新鮮な驚きを感じたところで、今度は、輝かしきキャリアを誇るミュージックビジネス、ドラマーのスタート地点へと時軸が変わる。
 そして、なんと、あの伝説のバンドの定説を覆す新説がここで唐突にも表出することとなる。
◇◆◇◆◇

ラジオアダン:では、その後、輝かしい実績となるドラマーのキャリアは、上京後からということでいいのでしょうか?
それとも秋田時代に既に叩いていた?

誠:ドラムは上京してから。
昔のバンドマンって一日3回くらい仕事がある訳。
昼間にジャズ喫茶、夜にキャバレーをやって、夜中にサパークラブに行ってさ、青山、六本木、赤坂。そんな感じで楽器を持ってバンドボーイをやる訳。
ギターは簡単なんだ。アンプ持って行って、パァ〜っとセッティングすればいい、でも、ドラマーってのは俺が一人でかかりっきりになる。
そうしている間に、自然とドラムに愛着が湧いてきたんだろうな。組み立てたら叩いたりもするじゃん。

ラジオアダン:今で云うローディーですね。

一作:当時の呼び名は、“ぼうや”だね。
まあ、大体、皆そこから始まる。
今みたいな音楽専門学校なんてないから。

誠:月6000円もらって。
金なんて1円も使わないよ、住み込みだから。落語家の世界と一緒よ。

一作:見よう見真似でしょ。

誠:うん。
でも、バンドボーイやってプロのミュージシャンになれる奴って、そんなにいないよ。
プロになって、いいことやってようが何してようが、現役で生きている奴には絶対負ける。
この前、宇崎(竜童)と話をしていて、彼は他人に沢山曲を書いている訳だよね。要は、曲が自分から離れて行く。
俺なんかは10年前に作った曲を久しぶりに最近歌ったけど、その時の実感として、「曲は歌わないとダメ」ということを強く感じた。
歌わないと曲は成長してゆかないんだ。

一作:投げっぱなしじゃダメ。

誠:うん。
曲を成長させるには、自分も成長しないとバランスが悪くなっちゃう。
(料理が運ばれて来て)おう〜、俺が気になるのはこの器なんだよ。

一作:これ、いいでしょ。

誠:俺も結構面白い器持ってるからさ。

一作:アンティック?

誠:新しいものも。
焼き物って云ったって、ありとあらゆる物があるだろ。そうすると、なんでも欲しくなっちゃう(笑)
分かるでしょ?

一作:うん、分かる。
視点がそっちいっちゃえばね。

誠:そうそう。

一作:「これもいいな〜」、「あれもいいな〜」ってね。

誠:で、今、夢中になってるのが鐘。鳴りもののね。
お寺にあるガァ〜ってのから、家に置ける小さいのまで。そっちはたまにステージで使ったり。
ガァァァァ〜ンって奴は辺りの空気が一変して(急に仏を拝むポーズ)

一同:ガハハハハ(爆笑)

誠:仏教の世界になっちゃうみたいな(笑)
あれも基本、打楽器だから。

ラジオアダン:音楽の話に戻りつつあるので、今日どうしても訊きたかったことを訊かせてください。
キャロルのサードシングル「やりきれない気持ち/ホープ」での名演は有名ですが、キャロルでもライブ演奏をやっていたのでしょうか?

誠:うん、やってるよ。
当時の面白い思い出話で、その頃、赤塚不二夫さんが自分のテレビ番組(『赤塚不二夫の激情NO.1!』)を持っていて、他にも、三上寛ちゃん、中山千夏さんもレギュラーで出ていて、その番組でキャロルが呼ばれたことがあって、30分の番組なんだけどお祭りみたいに大騒ぎで、
(一作にむかって)見たことない?

一作:それ、いつの話?

誠:だからキャロルがデビューした後だか、72〜3年くらい?

一作:テレビがない時代。
俺、お金がなくて(笑)
三上寛さんとは友達?

誠:うん、最近は会ってないけどね。

一作:同い年くらいじゃないの?

誠:一作も知ってるの?

一作:うん。
だって、「新世界」で何度かやってもらってるから。

誠:あっ、そうか。

一作:さっきの話じゃないけど、寛さんが青森で、誠が秋田で、15歳で上京したってことは同じ頃に2人は出て来たんじゃないのかな?

誠:そうそう。
寛ちゃんは結構面白いよね(笑)
おれの新宿のライブハウス(『スモーキン・ブギ』)にも2回程出てもらったことがある。

一作:だって、一人が男鹿半島から。
真冬の男鹿半島なんて凄いよ!俺行ったことないけど(笑)
もう一人は青森の小泊村(こどまりむら)、完全に津軽だよ。

誠:俺のイメージとしては、寛ちゃんはいつも気取って♪窓は〜夜露に濡れて〜♪なんて歌うんだけど、「お前、それ違うだろ!」ってツッコミたくなるんだ(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
全然違うもの。

誠:顔と歌詞が。
「自分を小林旭と一緒にするんじゃない!」

一同:ガハハハハ(爆笑)

誠:寛ちゃんは、「こいつ、どっかのお笑いなのかな?」って思う時がある。本人はいたって真面目なんだけどな(笑)
そのギャップこそが、俺、東北の面白さだと思うんだ。
東北人って、友川かずきもそうじゃん、あれも真面目にやってるからさ。

一作:そうそう。
俺の方は全然逆で、山口、瀬戸内だから。
そこにない物が、沢山、東北にはあるんだ。

誠:友川かずきの「生きてるって言ってみろ」って曲は、俺がドラムを叩いてる。あれ、バックがダウンタウンでやってるから。

ラジオアダン:誠さんのダウンタウン時代のドラムの素晴らしさはつとに有名ですけど、キャロル時代の矢沢さんとのリズム隊もボクは大好きで。

誠:ドラム(ユウ岡崎)がパクられて、俺は、キャロルは契約社員みたいなもんだから。
俺、その前まで、アマチュアバンドの仕事で、富山のゴーゴー喫茶に半年くらい行っていたんだ。
で、「そろそろ東京へ帰ろうか」って思って帰って来て、「バンドを作ろう!」ということで、「川崎の方に面白い奴らがいる」って聞いて行ったら、矢沢と内海とジョニーがいて、「今度、バンドをやろうと思うんだけど一緒にやらないか?」と俺が誘った訳。
そしたら、「俺たちも新しいバンドを始めるんだ」ってことで、それがキャロル。ドラムはトムトム(ユウ岡崎)。
それで、トムトムが捕まった時に、ドラムをオーディションで探していたらしいんだけど、俺がたまたま奴らの練習場の近くを歩いていると、「おーい、誠、叩いてくれよ!」って声を掛けられて、一発その場で叩いたの。そしたら、「明日から頼む!」って(笑)

ラジオアダン:それ、今、多方面で書かれている記述を完全に覆す新説ですね!一般的には、ユウさんが活動出来なくなって、プロデューサーのミッキー・カーチスさんが誠さんをメンバーに紹介したとなっています。

誠:いや、ただ、奴らの練習場の近くを俺が歩いていただけだよ(笑)

ラジオアダン:今、日本のロックの歴史が一つ完全に変わりました!(笑)

一作:キャロルもそうだけど、俺が田舎から東京に出て来た時点で既に有名だった人達って凄い年上だと思っていたんだけど、実はあんまり変わらないんだよな(笑)

誠:一作が出て来たのは20歳くらい?

一作:大学で出て来たんだけど、高校を1年ダブってるから19歳の時だね。70年?

誠:俺なんて15から東京にいるから。

一作:うん、だから、さっきこの対談の前に軽く話した団塊の世代と関わりながら来てるよね。

誠:そうそう。

ラジオアダン:宇崎さんもGSの代表的なバンド、ブルーコメッツのスタッフをされていた。

誠:そうそう。
だって、宇崎さんのお姉さんがブルコメの事務所の社長の奥さんだから。
俺、宇崎さんに訊いたことがあるんだ、「その頃、なにやっていたの?」って。
そしたら、「小豆の相場屋やっていた」って(笑)

一同:ガハハハハ(爆笑)

誠:馬鹿野郎(笑)何が、「小豆の相場屋」だ!(笑)

ラジオアダン:ブルコメ以外に松崎しげるさんのマネージャーもされていたとか。

一作:よくそんなこと知ってるね〜。

ラジオアダン:ダウンタウン好きですから。

誠:宇崎竜童は、本名、木村修司っていうんだけど。
ある日、名古屋かどっかで、「殺人犯が今逃げ込んでいます!」とか言ってさ、その犯人の名前が木村修司(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

誠:「修ちゃん、聞いた?捕まるぞ!」って(笑)
俺等はいつも、修ちゃん、修ちゃんって彼のこと呼んでいたから。
“嘘つき修ちゃん”。
あの人、当時、嘘ばっかついていたから(笑)
でも、あの嘘っぽさが良かったんじゃないかな。植木等さんのイメージあるじゃない?“無責任男”。ホラ吹いて気分を盛り上げて。

一作:俺は宇崎さんは真面目な人のイメージだけど。
お幾つだっけ?

誠:宇崎さんは俺の七つ上。
だから、今、71か2くらい?
他の3人は同い年。

ラジオアダン:なるほど、フロントマンでコンポーザーの宇崎さんを、若い手練3人が支えるというサウンドプロダクトだったんですね。

誠:当時の宇崎さんにとっては若い奴らの方が多分よかったんじゃない?

ラジオアダン:「スモーキン・ブギ」の演奏をテレビで始めて見た時、「なんでこんな上手な人達が、こんな簡単な曲をやってるんだろう?」って不思議で。
まあ、その後は、多様なリズムも徐々に打ち出してゆくのですが。

誠:ハハハハハ(笑)

一作:まず簡単で分かりやすくしないと売れないと判断していたんじゃないかな?

誠:うん、そういうのもあの人は結構ある。
いい意味で計算高いから、よく見ているよね。
俺も勿論それでいいと思うし。

一作:「皆食わなきゃ」みたいなのがちゃんとあったんじゃないかな?

誠:バンドのユニホームのつなぎは、ダウンタウンに入る前に俺が運送会社で運転手をしていて、その時、仕事着としてつなぎを着ていたの。

一同:ガハハハハ(爆笑)

誠:ある日、ダウンタウンで湘南の海でのライブがあって、「なにかいいユニホームがないかな?」っていう話になって、「俺んちにつなぎがあるから、皆でそれ着て出たらいいんじゃない」って言って、つなぎを着ることになったの。
そしたら、なぜか受けちゃって(笑)

ラジオアダン:ユニホームの効果で、バンドとしてすんなり観客に伝わった?

誠:いや、俺等というより、つなぎが受けた(笑)
だっておかしいじゃん。いい年した男が4人で職工みたいな格好して、エレキ弾いてドラムを叩けば。
その前は、友人がいたファッションメーカー「グラス」から、切り返しパンツとかアロハとかその時期の最新の服を作ってもらって着ていたんだけど、結局は3500円のつなぎのほうが受けた(笑)

一同:ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇
 新説ロック史の、「キャロル篇」の編纂を急がねばと思ったところで、
更に畳み掛けるように、ユースファッションの新説まで飛び出した。
 “ダウンタウン・ブギウギ・バンドの初期スタイリストは相原誠”
 そして、この後、セッションは約束の地、新宿へと大きく舵をとる。
◇◆◇◆◇

ラジオアダン:ところで、新宿はいつくらいから生活、活動のベースとなったんですか?

誠:もう50年くらいにはなろうとしているんじゃないかな?
俺等がライブをやりだした頃は、ライブハウスが、略、新宿にしかない時代だったから。

ラジオアダン:「ACB」、「サンダーバード」、

誠:「サンダーバード」!よく知ってるね(笑)

一作:ちゃんと予習してきたの?

ラジオアダン:マキオズ(カルメン・マキ&OZ)のベースの川上シゲさんを取材した時にいろいろと古いことを教わって(笑)
あと、「開拓地」にもダウンタウンの方達はこられていたとか。

誠:おお、「開拓地」ね(笑)

ラジオアダン:後に新宿で誠さんご自身がお店をやられるようになりますが、その、「DMX」(VELVET OVERHIGH’M d.m.x.) が最初に飲食店経営に乗り出した店ということでいいのでしょうか?

誠:うん。
店もそうだし、大概のことは人ありきなんだよ。
当時、ケンが洗濯屋をやっていて、

一作:洗濯屋、本当にやっていたんだ!?
「俺たちは汚れた世間を洗濯する!」とかなんとか誠が言っていたのは覚えてるけど、本当にやってたんだ(笑)

誠:洗濯屋といっても、一般の客を相手にしてたんじゃなくって、マンションメーカー相手。
だから、洋服を作った後に、糊落しして水洗い。乾燥させて縮まったものをきれいにたたんで納品する。
その頃、知り合ったある友達が、「まこっちゃん、かっこいいロックバーをやりたいんだけど」なんて言ってきて、「おお、じゃ〜、俺が店長やるよ」って感じで「DMX」を始めた。だから最初は別のオーナーがいたんだ。
で、1年経つか経たないかで、そのオーナーの友達が不渡り出して、彼が保証人になっていた都合上、「まこっちゃん、この店を買ってくれ」っていうんだよ。
で、「うん、分かった、いいよ、買うよ」ってことで、俺がオーナーとして経営してゆくようになった。

一作:それが90年かそのちょっと前だよね?88年の「いのちの祭」後だもんね。

誠:来年かな?丁度30周年が。

一作:そうだよな。
丁度「Cay」やってた頃で、誠がよく来てはさ、

誠:バカな連中を、皆、俺が車に乗っけてさ。あの頃、バカばっかりだったよな?(笑)

一作:うん(笑)
あの頃、「店やろうかと思うんだ」なんて話していた。

誠:Cayは30……、

一作:36年くらいになるのかな?

誠:思えば、高樹町の「クーリー(ズ・クリーク)」で、もう一作のことは知ってたよな。
だって、クーリーでライブやったことがあるもの。

一作:そうだ、そうだよ。

誠:あのライブ、凄いおかしいの(笑)
ベースの奴がシャブ中で(笑)
♪逃げたか〜 逃げたか〜 やばいよ〜♪
なんてやってたら、いきなりおまわりが、

一作:そうそう(笑)おまわりが2人後ろから(笑)
よく来てたの、あの頃、おまわりが。

誠:「やばい!!」なんて叫んで、楽器を投げてベースの奴が逃げちゃって!(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
タイジが歌ってなかったっけ?
広島出身で、「タクシードライバー」のロバート・デ・ニーロのモヒカンの真似してた奴(笑)

誠:そうそうそう(笑)
西麻布を拠点にうろうろしてた仲間。

一作:そのライブの時に、カウンターの俺の前で文句を言っていたのが大口広司(笑)

誠:広司ね。
広司は俺より1こ上か?

一作:GSからだからね。

誠:キャロルにいた時に、赤坂の「ムゲン」でライブがあって、客席を見ると、結構、有名人が来ていて、俺がガキの頃見ていた、「おお、テンプターズが来てるじゃん」なんて思ったのが広司(笑)

一作:中学校の頃の「ヤング720」だろ?(笑)

誠:うん。
で、ライブが終わって俺たちのところに広司がネッカチーフかなんか巻いて来て、「お前等かっこいいね〜」かなんか言って(笑)
目も見ないで。「照れ屋なのかな?」なんて思ったりして。

一作:へ〜(笑)
それ前も聞いたけど、いい話だね。
そう、不良って結構照れ屋が多い。
でも、俺は広司は好きだったな。

誠:うん、よく知ってるみたいだもんな。

一作:最初の結婚の時はクーリーでパーティーやって、広司も来てくれて、黙って目も見ずに、「おい」ってプレゼントをくれる訳よ。
ああいうとこかっこいいよな(笑)
そういえば、タイジ、ニューウェーブクラブの「クライマックス」で、ポリスの格好してドアマンやっていたよな。

ラジオアダン:僕も「クライマックス」にはよく行ってましたが、そうでしたっけ?
バンドマンだとARBの方達が来ていたのを覚えてます。

誠:ARBって、うちのかみさん(古家杏子)のマネージメントをやっていた人が社長で、「誠、今度、九州からこういうバンドが来るんだけど、どう思う?」なんてデモテープ聴かされて。
その頃は5人編成のバンドで、「ダメだ!このバンドは売れないよ!」って俺(笑)
でも、長いことやっていたらいい感じのバンドになったよな。
なんでもそうだけど、長く続けるってのは難しい、喧嘩したり行き違いがあったり(苦笑)

◇◆◇◆◇
 店の経営と平行し、ミュージシャン活動も途切れることなく継続してきた相原誠に、大きな転機が55歳の時に訪れる。
 なんと、相原誠は、スティックをギターに持ち変え、自作の歌を歌い始めたのだ。
 果たして、名ドラマーとの称号をかなぐり捨て、新進気鋭のシンガーソングライターに転身したその真意とは?
◇◆◇◆◇

ラジオアダン:昨今、ドラマー相原誠より、シンガーソングライターとしての誠さんを見る機会が増えていますが、

誠:俺の場合、55歳から歌い始めたから、惚れたはれたは省いている訳だよな。
通り過ぎて行ったものはいらないだろ。“これからどうやって生きるか?”というところだから。

ラジオアダン:自分の老いすら見せる。

誠:そうそう。
そこを、昨今の他人の楽曲を聴いていると、ビジネスにならないからか?大人は避けて通る。「その詩は暗いよ、受けないよ」と。
でも、そうじゃないと俺は思う。本当のことを俺は聞きたいし言いたい。
その辺、今の政治とよく似てるよ、上っ面ばかり言って。もっと本質に触れなきゃダメ、どこかで解禁しないと。
だから、皆が本質に気付かない。
インディーズでやっている奴らの方が、当然、ストレートにものが言える訳で、それを大小関係なくいろんな媒体に訴えかけてゆくことでシーンを少しはいい方向に変えられると思う。
今、曲を書いて、詩を書くと、結局、どこまでいってもテーマは“生きる”ということになる。結局、それしかないんだから。
その“生きる”を、どう、焼いたり煮たり、刺身にしたり、天ぷらで揚げてみたりさ。
だってそうでしょ?言葉って皆自由に使っていい訳だから。

一作:(唐突に)働くの好きでしょ?
肉体労働好きでしょ?

誠:ハハハハハ(笑)

一作:大体そういうことやってるよね?

誠:そうだね。

一作:俺、出来ないもの。

誠:(突然)俺の夢はね、今、バンドは3人でやってるけど、オーケストラをやりたいの。いわゆるコンダクターをやりたい。
昔のトム・ジョーンズとかああいうクラブ的なオーケストラ。

ラジオアダン:ビックバンド的な?

誠:うん。
♪パァー!パァー!♪ってブラスが効いていて。
そういう場所自体も今はないもんね。
やっぱり、ラッパっていいよ。

◇◆◇◆◇
 シンガーソングライターへの転身という、大きな軌道の変更などどこ吹く風でこの山場なブロックを乗り越え、相原誠は更なる音楽の領域を夢想する。
 筆者は、以前からその過剰にポジティブな性格は知っているとはいえ、改めて、この男の探究心、好奇心にはほとほと頭が下がる。
 そして、その過度な遊び心はセッションの行く先までも刺激し、更なる迷路に突入する。
 次のテーマは“食”だ。
◇◆◇◆◇

誠:(旬の魚、キジハタを食しながら)こうやって他人に作ってもらって食べるって楽だね(しみじみと)

一作:料理はどこで覚えたの?

誠:自己流(あっさりと)

一作:恵比寿「にんにくや」のエイちゃん(遠藤栄行)みたいなもんだね。エイちゃんも一種の天才だからさ。
元々、レーサーで、やっぱり料理が好きでさ。

誠:料理って何か?って云ったら、舌なんだよ。
自分でパッと食べて、もう、一瞬の判断。
「これ、甘い」とか、「辛い」とか、「しょっぱい」とか。それが瞬時で判断出来るかどうかだけなんだ。
そうやっていろいろ作ってゆくと、「塩加減が」ってところまで達して、「これ、どの塩使ってるんだろう?」と。「塩をちゃんと炙ってるのかな?」とそこまで深く追求出来るようになる。

一作:「DMX」ではずっと料理しているの?
メニュー、自分で作って?

誠:前はずっとやっていたけど、あの手の飲み屋はダメ。基本、酒と音楽だけだから。
お通し出したって食わないもの。それだと俺が作る意味がない。

一作:それでラーメン屋をやった?

誠:いや、その前に、「DMX」の前で焼き鳥焼いていたら、おまわりが来て、

一作:ガハハハハ(笑)
その辺の引きが凄いよね(笑)

誠:誰かがチクッたんじゃないの?「煙い」とかなんとか。
おまわりが、「ここから出ちゃダメです!」って!
ハハハハハ(笑)

一同:ガハハハハ(爆笑)

一作:いつもおまわりが来るところが最高だね(笑)

誠:何か発信するものを付けられているんじゃないの(笑)
ワッペンかなんか(笑)

◇◆◇◆◇
 さて、セッションもいよいよ終盤。
 当然、残されたパーツである古物商に話は及ばない訳がない。
 広域な誠ワールドをザックリなぞったあと、セッションは、相原誠の現在地、“生きる”を体現する創作秘話の地平を一周見渡し、数多の色彩に彩られた今宵のトークジャムも、一旦、聴き慣れた冒頭のメインテーマへゆったり戻る。
◇◆◇◆◇

一作:世の中に大フューチャーされて自分が分からなくなってしまう人が多々いる中で、リアルなストリートに戻れるところが誠のかっこいいところだと思うんだ。

誠:一番困るのはレッテルを貼られること。
人間ってのは思い込みの生き物だから、思い込んだらそのまま真っすぐで。

一作:俺に電話してきて、平気で「ラーメン屋始めたんだけど難しいんだよな」なんて内情を話しちゃうところなんて真骨頂だよね。
で、何が難しかったの?

誠:もうそれはいいの。逆に言うと、他人に成長の度合いを見せたくて生きている訳じゃないから。
といいながらも、いいところを他人に見せたいのも世の常じゃん。「あいつはいい奴だったな〜」なんて。
皆、仏になると、「いい奴だったな〜」っていわれる訳だけど(苦笑)果たして、「そうなのかな?」ってさ。
「バカ野郎!あいつはろくでもね〜奴じゃん」って。
俺そっちの方がいいと思うよ。
(急に何を思ったか)夫婦ってのは、俺の場合、1回離れてまた一緒に暮らしているけど、続けてゆくことの大切さって凄いことだよね(しみじみと)

ラジオアダン:続けると云えば、ライブハウスの「スモーキン・ブギ」もオープンしてかなりの年月が経ちました。

誠:13年。

一作:「DMX」30年と「スモーキン・ブギ」が13年。
素晴らしいね。
俺も店を経営してるから分かるけど、ホント大変だから。
それと平行して、自分でバンドやったり、古物商やったりしてるのも感心する。骨董は未だにはまっているんでしょ?

誠:1個1個自分で買い集めてきたものは、細かいことまで全部詳細が分かるからね。

一作:とりあえず、自分でやってみないと気が済まないんだね。

誠:そう。
一作も一緒でしょ?

一作:俺は引いて見るところが多々あるから。
誠は自分でまずやってみるタイプだね。そこが素晴らしい。

誠:古物商なんてバンドの世界とまったく関係ないコミュニティーな訳じゃん。思い切り言っちゃえばヤクザの世界だから。

一作:いいじゃん。本物じゃん(笑)

誠:ハハハハハ(笑)
オークションだから、一日、市場では何千万の金が動く。
だから、物が1万円になるか、3万円になるか、はたまた10万円になるかなんてかけないと分からない。
俺が行く時は、大体100人くらいの同業のバイヤーが来る。

一作:バイヤーって免許がいるの?

誠:必要。
俺は持っているから、古物商の。

一作:それは勉強する訳?

誠:いまさら何言ってるの?俺、プロだよ(笑)
(おもむろに免許書を出す)

一作:ハハハハハ(笑)
(誠から免許書を渡され)これ凄いね。

誠:これ、今は警察じゃなくて法務省の管轄なんだ。
犯罪者は持てないから(笑)

一同:ガハハハハ(爆笑)

一作:これいいね。

誠:取った方がいいよ。2万円で簡単に取れるから。
最初に警察に行って、「法務省へ行きなさい」って書類を渡されるから、それ書いて法務省へ、

一作:試験とかないの?

誠:試験はない。

一作:じゃあ、なった後に、目を養うことの方が大変ってことだ。

誠:その道の先輩に連れて行ってもらって、黙って見てると、だんだん、「この皿幾らだな」って分かるようになる。

一作:そうなの?

誠:なるよ。

ラジオアダン:そういう感じでシンガーソングライターも55歳から新たに始めたんですね。

誠:残り少ない時間の中で、自分が、

一作:残り少ないの?

誠:106までちゃんと生きるけど。

一作:あと40年もある(笑)

誠:昔みたいに8時間の練習なんて出来ないって。せいぜいいいとこ15分かな?(笑)
なんでもそうだけど、記憶力だから。ギターのコード、スケールをどうやって覚えるか?もう弾くところは決まってるんだから。
例の天才将棋少年みたいに、勝敗の最後までギターでもストーリーを作れる。1小節ごとに事前に全部分かるから。
でも、それだけじゃ面白くなくて、もっと突発的なものも取り入れたい。
男と女の恋愛もそうじゃない。突発的に後ろから、はたまた斜めから(笑)

一作:ハハハハハ(笑)
それめんどくさくない?

誠:そのめんどくささがおもしろいんじゃん(笑)

一作:ハハハハハ(笑)

誠:自分で詩を書いていて、何が面白いかっていうと、いろんな言葉をピックアップしてとりあえず書く。それを、どんどんどんどん削って研ぎすます。
で、もうこれ以上削るところはないってところまで至った後に、再度読み直すと、こう思うんだよ、「未完成のままでいい、完成させる必要なんてない。全てはライブなんだから」って。
基本の骨格はあるんだけど、今は生で変えながら歌う方が楽しいし、一人で弾き語りの時はもう、落語みたいな感じ。

一作:「新世界」での誠のバンド、仙人ミラーなんて、俺はグレードフル・デットみたいな、言葉と音のある種のジャム性を感じたよ。
じゃ、更なる106歳までの進化を祝い本日はお開きとしようか。
今日は忙しい中ありがとう!

誠:こちらこそ、ごちそうさま!
またゆっくり会いましょう!

◇ ◆◇◆◇
 物への大いなるこだわりは、多くの言葉を相原誠の頭脳、身体にイコンとして刻み込み、彼はそれを詩へと昇華させる。
 しかし、生粋のライブ人間であるこの男は、そんなこじんまりした創作では到底満足がゆかない。出来上がったものに生命を吹く込むために作ったものを壊しに壊す。
 その理由は、予想可能な人生なんて、生きる意味がないからだ。
 アスファルトと云う名のワイルドサイドに決まった道筋などあるはずもなく、行き着いた先の約束の地がどこにあるのかなど到底予想がつくはずもない。
 だって、人生の殆どの出来事は、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様に沿って暇つぶしにチョイスしているだけなのだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」

テキスト、進行:エンドウソウメイ
写真:上出優之利

●今回のゲスト


相原誠/プロフィール
ドラマー、シンガー。キャロル、ダウンタウン・ブギウギ・バンドを経て、自身のバンドJABB、SUCKING ROUGE などで活動の傍ら、ARB、原田芳雄、他多数のサポートで活躍。2003年にはイベント“dmx in YAON“をプロデュース(出演::ダウンタウン・ブギウギ・バンド、頭脳警察、ARB、CRAZY KEN BAND、THE STREET BEATS、JAMES、MIRROR)
現在、MIRROR改め仙人ミラー、THE〆鯖、ソロで意欲的に活動中。
今もなお、反骨、ハングリー、進取の精神を抱く相原誠は、世代やジャンルを超え、新たなステージへと挑み続ける。
上記、音楽活動の他、新宿の老舗ロックバー「VELVET OVERHIGH’M d.m.x.」、ライブハウス「スモーキン・ブギ」のオーナーとしてもその名を知られる。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。