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酔談Vol.2 ゲスト:徳永京子氏 ホスト:河内一作


酔談Vol.2 ゲスト:徳永京子氏 ホスト:河内一作



 “酔談”。見ての通り、酔って語らうこと。当然、造語である。
 酔っているがゆえの無軌道さ、大胆さ、無責任さ、自由さをそのまま気取らず飾らず実況する、それが「対談連載/酔談」の全てである。
 アダングループ代表、河内一作が東京の夜のフロントラインに初めて立った、1981年の「クーリーズクリーク」から現在に至るまで、彼が関わった店が、単なる飲食店におさまらず“自由なステージ”としての酒場の背景を演出出来えた“要”ともいえる大切な友人達を毎回招き、テーマなしのゼロベースから美味しい酒と肴の力を借りつつ今の想いを語り尽くすトークラリー。
 さて今回2回目のゲストは、今や演劇評論のトップランナーであり、一作プロデュースのライブシアター「音楽実験室 新世界」(2010〜2016)の略全ての演劇イベントをプロデュースした才女、徳永京子さん(以下敬称略)、
 ……、な、の、だ、が、……、実はその旨、徳永京子には事前に知らされておらず、抜き打ちテストならぬ抜き打ち対談という様相。
 不意を突かれ、当初あまり気乗りしない様子の徳永京子だったが、「アダン」の極上自家製サングリアの進みと共に徐々に舌は滑らかに。
 まずは、皆が知りたい演劇界のリアルな現実の話から緞帳は上がった。

◇◆◇◆◇

河内一作(以下:一作):今、校正原稿持って来ているんだけど。初回は編集者の松木(直也)が、食育のことに力を入れていて、その辺を中心に話したんだけど、


 
徳永京子(以下:徳永):ええ。じゃ〜、この原稿は略終わっていて、

一作:うん、で、徳永さんは女性なんで、写真はちゃんと撮らないと失礼なんで、この後、カメラマンが来るから。

徳永:ええっ!?今日、対談やるの!?マジで!?!?
なんの用意もしてないですよ。

一作:ハハハハハ(笑)
それでいいんだよ(笑)いいじゃん、「新世界おつかれさん!」で飲む感じでいいから(笑)

徳永:ハハハハハ(笑)

一作:おれ達が飯食うなんて1年に何回もないんだからさ〜、

徳永:ええ、まあぁ……。

一作:今日、徳永さんのスタッフが来れなかったから、かえって、「対談にはいいなか?」って。
徳永さんとはいつからの付き合いだっけ?

徳永:新世界がオープンするときに、湯山玲子さんのご紹介で始めてお会いしました。
 
一作:そうか、仲介してくれたのは玲子さんだったね。
新世界に関してはやはり、“元『自由劇場』だった”ということが、お芝居の人達に執ってはひとつのモチンベーションとなったんだろうか?

徳永:それは確実にあったでしょうね。

一作:昨年の3月に店を閉めて、早々に徳永さんは食事にでもご招待して、新世界での労をねぎらいたかったんだけど、もう1年が過ぎようとしている……。

徳永:一作さん、丁度、閉店のタイミングで骨折されて入院していたこともあって、そのまんまになっちゃいましたね。もうすぐ1年か〜……。

一作:徳永さんプロデュースの新世界での公演の最後はいつだったの?

徳永:「官能教育」の再演シリーズを、2015年の、8、9、11月と3本やったのが最後でした。まだ、いくつか新世界でやりたいことはあったのですが、仕込みきれなかった……。

一作:芝居は準備が大変だよね。
ところでさ、鈴木杏さんが出たんだよね?

徳永:ええ出ました。

一作:えっ!いつ!?

徳永:倉橋由美子さん翻訳作品のリーディングシリーズを「夜の入り口」というタイトルでやっていたときの1本で、「星の王子さま」の王子役で出ていただきました。

一作:おれ、実は彼女のことまるで知らなかったんだけど、映画「軽蔑」をたまたま見て、「素晴らしいな〜」って。それでさ、……、……、会いたかったの(可愛らしく)

徳永:ハハハハハ(笑)

一作:劇中に憂歌団の「胸が痛い」がかかるじゃん。あの男の子、えっと、……、

徳永:高良健吾さん。

一作:うん。
彼がそのまま電車に乗らないで一旦降りてさ、電車の中で杏ちゃんが佇んでいて、そこにあの木村充揮のダミ声が被ってくる。あのシーン、最高だよな。
「胸が痛い」っていったら、おれと、今、この対談の進行している彼と、ミュージシャンのこだま和文くんと吉祥寺で取材して、その後に西荻窪で飲んだときに、ながれでこだまくんの行きつけのカラオケスナックに行ったんだけど、実はおれ、カラオケ苦手で早々に帰ろうと思っていたんだ。そしたら彼が「胸が痛い」を歌って(笑)「おお、いい曲きたじゃん!」って(笑)

ラジオアダン:恐縮です(笑)あのとき、こだまさんの評価も意外に高く、「お前、選曲いいよ!」ってお褒めの言葉をもらいました(笑)

徳永:へ〜、で、一作さんは歌ったの?

一作:……、……、

ラジオアダン:歌いましたよ。こだまさんとデュエットで「木綿のハンカチーフ」。しかも、歌詞の男女パートを二人でしっかり分けて。ガハハハハ(爆笑)

徳永、一作:ガハハハハ(爆笑)

一作:最低だよ(笑)
あの曲と歌手は好きだけどね。

徳永:太田裕美さん。

一作:うん。
彼女は絶対的な声をしてるじゃん。究極的には歌手は上手いとかを越えて、すぐに“誰”と分からなくちゃダメ。

徳永:うん、確かに。


河内一作

一作:話は戻るけど、芝居は音楽以上にリハーサルが多いし、束縛時間も長いから大変だよね。
でも、昔からやっているアングラ方面のあの人達ってどうやって食ってるのかね〜、いつも謎なんだけど(笑)

徳永:ミュージシャンの方達にも謎な人、結構いませんか?(笑)

一作:まあそうだけど、ミュージシャンはミニライブなんてことで効率よかったり、弾き語りってことでひとりで完了出来たりもするじゃない。芝居よりは身軽だよね。

徳永:確かに、基本、音楽のライブは1日が多いと思いますが、お芝居は1週間とかざらですからね。

一作:それプラス稽古だものね。
そうそう、昨年の暮に、元状況劇場オールスターズ的な芝居「骨風」を見に行ったの。佐野史郎くんが主演の芝居。

徳永:そうでしたか。
その役者の収入とも関連しますが、昔と違って、ここ10年くらいは助成金というシステムが割と整ってきましたから、申請書さえ通れば、国だったり文化団体からある程度お金が出るようになりました。
だからと言って、全ての作演出家、役者さん達が食べてゆけるようになった訳ではないですが、公演費用くらいは賄える場合も多くなってきました。
ですので、以前のように団費やチケットノルマ云々に振り回されずに、演出、演技に邁進出来る環境は徐々にですが整ってきてますね。

ラジオアダン:門外漢から見て、役者さん達の成功と呼べる最終形は、テレビ、映画に出続けることのようにぼくは勝手に思っているのですが、実際のところはどうなのでしょうか?

徳永:最終形と云っても人によって随分違うものですよね。
でも、食べるという一点についてだけを考えるなら、テレビが一番手っ取り早いのはその通りだと思います。

一作:そのテレビに出るってことは簡単なことなの?

徳永:簡単じゃないです。

一作:例えば、「食うためにテレビなんて出たくない!」なんて人は今でもいるの?

徳永:ええ、出たくない人もいますよ。
テレビを最終形と思っている役者さんがまずいますよね。あと、テレビには出ているけどそれが最終形だとは思っていない役者さんもいる訳です。
私の私感ですが、一番多くの役者さんが思っているのは、「テレビだろうが、映画だろうが、舞台だろうが、その時その時の自分が好きなジャンルで、好きな人達と仕事をする環境を構築したい」というのがおそらく最終形だと思うんです。

一作:知人ということもあるけど、それプラスバンド活動もする佐野くんなんて、正に今言った感じに近いよね。

徳永:はい、わたしもそう思います。

一作:彼はよくそういう時間を作れるよな〜。
「骨風」だって、なんやかんやで1ヶ月は拘束されている訳でしょ。
あの芝居だと、(井浦)新くんみたいな売れっ子もよくスケジュール調整出来たね。

徳永:ホントですよね。
でも、役者さんサイドから聞くのは、「ミュージシャンの人達ってどうやって食べているのかね〜」ですから(笑)
ライブ1本で高額なギャラが発生する人は数える程しかいないでしょ?

一作:ただ、ミュージシャンは仕込みが早いから。上手い人だとワンテイクで完了だから。下手な奴程ダラダラやってる(笑)

徳永:こう言ったら分かりやすいのかな?
お芝居をやる人達は、皆で時間を掛けて準備をするのが好きな人達だと。

一作:成る程。
昔のアングラ系の人達は、当日のもぎりから場内オペレーションまで全部やるもんな。

徳永:はいはい(笑)

ラジオアダン:ミュージシャンの人達の中でも、お芝居にすっと馴染んでゆく人もいますよね。

徳永:そうですね。
実際に、ミュージシャンから俳優になる方も凄く多いですし。
そういう人って、演じる前に既に雰囲気、世界観が出来上がっているんです。
自分で、「こういう風にしたい」というのがはっきりしていて、それとキャラクターが上手く合致すると、演技以上の魅力が表出する。
石橋凌さん、白龍さん。あと、ユースケ・サンタマリアさん等が上手なのは勿論ですが、それに値する方達なんでしょうね。


徳永京子氏

一作:徳永さん自身は芝居経験者だったの?

徳永:いや、全然。
見る専門です。

ラジオアダン:非常に初歩的な質問で恐縮ですが、ぼくは、幼少期に映画とお芝居を同時期に初めて見たのですが、お芝居の“生さ”に付いて行けなかったんです。で、その後、「映画は好きだけど芝居はちょっと……」という時代が長々続いてしまって……、

一作:おれもそう思った。
最初に好きになるのは映画だよ。

徳永:私も同じです。まずが映画の方が身近じゃないですか。
舞台って、やっぱり、……、よっぽどの幸運で最初の出会い頭に面白い作品に当たらない限りなかなか入り込めないと思います。
変な言い方ですが、見るコツを掴むまでに時間を要したりであるとか、あと、とにかくいい出会いが必要ですね。「生すぎる」とおっしゃいましたが、それは私にも非常に理解出来ます。

ラジオアダン:えっ?徳永さんでもそれを感じた時期があった!?

徳永:勿論、勿論。
かっこ悪いし、気持ち悪いし、わざとらしいし、汗臭いし。
ハハハハハ(爆笑)

一作:おれはその辺のアングラ感は大好きだけどね(笑)
それより、唐十郎や寺山修司の芝居ってなぜあんなに早口で台詞をしゃべるのかな?

徳永:あれは台詞が一杯あるからだと思います。
特にアングラは、唐さんも寺山さんも詩人でもあったので、言葉が抽象的なんですよね。
抽象的なものをゆっくり言うと単なる詩の朗読になってしまうので、

一作:そりゃ〜スピードが大事になるね。

徳永:そうなんです。
あと、お二人共凄く言葉が湧き出る方達で、思考もバンバン飛んで、書きたいことも沢山ある。

一作:飛びまくりだよ(笑)

徳永:それを敢えて整理しないで書いていったと。
それを芝居として成立させるにはスピードがないと、お客様の間に、「?」が続いてしまって、芝居として受け入れられないんです。
内容が破綻していても詩情を優先するためにスピードを使って、お客様の中に疑問を感じさせないリズムであったりだとか、詩が詩として植え付けられる時間を考えると、それはゆっくりではなく、ある早さと物量を持ってぶつけるという時期があの頃だったんだと思います。

一作:台詞全てが分からなくてもいいんだよね。
実際、あれ分かる?

徳永:いくつかを、自分の耳に残るフレーズとして持って帰れればそれでオッケーだと私は思っています。
今も勿論あるんですが、アングラが60〜70年代に隆盛を誇り、90年あたりから少しずつ演劇の流行が変わっていって、今はホント、囁き声のようなごく普通のトーンの演劇の方が比率として多いです。

一作:へ〜。
おれは最近、数見てないからな。

ラジオアダン:ぼくはさっきも言ったように、生さが苦手で芝居門外漢だった。新世界で突然、芝居の照明をやるはめになり(苦笑)徳永セレクションから芝居に対するイメージが変わりました。アニメやライトノベルスの要素を多分に含んでいたり、第一、皆さん音楽センスが非常にいい。

一作:ごめんね、おれあんまり見れなくて……。

徳永:そうですよ、鈴木杏ちゃんの時も、新世界のスタッフの方に、「一作さんに連絡してね」って頼んだんですから(笑)

一作:あっ、そう。
すいませんでした(笑)

ラジオアダン:思えば、毛皮族の江本純子さん演出作品の時の照明はぼくでした。今思えば恐ろしいことだ(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
でも、本来そんなもんじゃん。ああいうちっちゃいところは人手が足りないからさ。

徳永:毛皮族こそ、自分達で早い時間からバァ〜と入って、その場で小道具とか作って。衣装もご自分達で集めてアクトが始まる。
ちょっと語弊があるかもしれませんが、ホント、プロデュースサイドに執ってケアの必要のない方々です。
「1〜10まで全部自分達でやるのが当たり前なんだ」ということを苦労としてではなく、志しと云えばいいのでしょうか?そういう認識で行っている。
新世界でお願いしたときも、そういう部分が、「かっこいいな〜」と思いながら
惚れ惚れ見ていました。
あと、先ほど触れられた、アニメ、ライトノベルズ的感覚の導入や、音楽に対する感度の良さというのは、新世界でお願いした20代の演出家の方達に対する感想だと思うのですれけど、あの方達はおっしゃるように、ライトノベルズに強く影響を受けているのですが、それ以外、例えば古典と云われる作品にも同等の価値を置いているんです。
ネットネイティブ世代って、ドストエフスキーもライトノベルズも同じ時間軸の中で吸収してゆく世代で、当然作品にもそれが大きく反映される。

一作:その分岐ってどの世代から顕著に現れるの?

徳永:新世界でやった頃が27〜8歳の人達ですから、天然代と云われる2010年以降に表現活動を始められた方々ですね。
天然代の方々は、古い新しいという切り方じゃないのが特徴です。
ネットでフリー素材が手に入り、YouTubeでいろんな物が見れる。情報も掘ろうと思えば略無尽蔵に掘れるので、古いものも新しいものも自分のアンテナに引っかかったものは全部均等な価値観で吸収します。云うなれば、時間差も地域差もないままにカルチャーを取り入れて、演劇という場を出口としてアウトプットしているのが天然代のクリエーターの特徴だと思います。
彼等世代は役者さん達も普通に可愛かったり、イケメンだったり、おしゃれだったり、めちゃ清潔感があったり(笑)

一作:それはおれも彼等に感じるけど、昔も表現は泥臭かったかもしれないけど、それなりにおしゃれだったと思うけどな(笑)

徳永:ハハハハハ(笑)
演劇って、「ダサい、ダサい」と言われがちですけど、実はその時代その時代の一番かっこいい部分を持った人達が一定数いるというのは間違いない。

ラジオアダン:過去の時代の一番かっこいい部分を持った方々が、今の邦画やテレビドラマを支えていると言っても過言ではないですよね。

徳永:そうですね。
舞台の人達がテレビや映画の脇を固めて、あるクオリティーを担保するというのは、純粋なテレビ俳優が存在しなかった60年代の新劇の役者さん達に代表されるように既にありましたが、その後の、舞台や映画の経験がなくテレビだけでスターになるということが起こり得る時代になっても、その脇の構図は変化しなかった。
でも、テレビしか経験がないという新たなキャリアの人達からしたら、「楽しそうに自由自在にお芝居をやっている人達って皆、舞台出身の人達だ。一体、舞台には何があるんだろう?」とうい自問自答が80〜90年代に始まる。
分かりやすい例で云うならば、小泉今日子さんが、今は年に1〜2回は舞台に出ますけど、その切っ掛けとなったのはテレビドラマをやっていて、「この人の演技いいな〜」とか、「頼れる役者さんだな〜」とか、「なんでも出来るな〜」と硬軟どっちも使い分けられる役者さんが舞台出身の、古田新太さんであったり、生瀬勝久さんとか八嶋智人さんとか、そういう役者さんたちに触れていって、「どうやら舞台には何かある」という確かな感触を持ったからだと思うんです。
ですから、表層部分では変化はないのですが、その深層では相当変化していて、そんな先駆者に引っ張られ、テレビスターがビジネスとしては効率の悪い舞台を表現の場に選ぶことが多くなってきているんです。
そんな流れの中、事務所サイドも、「1ヶ月も稽古で拘束なんて有り得ない!」なんて感じだったのが、昨今は、「どうやら舞台を経験した方が役者生命が伸びるらしい」という認識に少しずつ変わってきています。

ラジオアダン:今のお話ですと、演出家が舞台の現場にテレビスターを引っ張り込むことより、役者同士のシンパシーで活躍の場に変化が起きることの方が多いということですか?

徳永:わたしの耳に入る事象としてはそのパターンの方が多いですね。

一作:そりゃ〜、そうだと思うよ。

徳永:瑛太さんや妻夫木聡さん等は本当に舞台俳優としても素晴らしいのですが、それは、彼等が非常にクレバーで、テレビや映画でいろいろな経験を積みながら、「役者として“楽しい”というカタルシスをより得られるには舞台を経た方がいいみたいだ」ということを、どこかのタイミングで自主的にビジョンとして持ったからだと思うんです。
あと、唐さん達と同世代ですが、例えば、蜷川幸雄さんは、嵐の松本潤さんに“アイドルの身体に潜む不良性”?世の中と相容れない不器用さを見い出し、同時にさっき出た、寺山さんや唐さんの理論的には破綻していても詩情的には成立する台詞も言える俳優として見い出したりもしました。
そんな独自の演出によって、寺山作品や唐作品がシアターコクーンでかけられる状況まで生まれてきた。

ラジオアダン:嵐のファン達がアングラのエキスに触れるというのは面白い現象ですね。

徳永:ええ。とはいっても、最初の5〜6年のジャニーズファンは、「なにこれ?」って感じでちんぷんかんぷんだった。でも、彼女達は非常に勤勉な人達で、戯曲を読んだり、寺山さんや蜷川さんについて調べたり、インタビューを一生懸命読んだりして、松本潤さんが今何をしようとしているのか?蜷川さんとどんなコミュニケーションを取っているのか?ということを積極的に理解しようとしたんです。
ただただ、「分からない」で終わらせないで、「分からないけど、何かある」というところまで、自力で辿り着いていったんですね。

◇◆◇◆◇

 膨大の数の観劇と取材に基づいた、徳永京子のみが知る、演劇人の行動原理、表現原則、そして、テレビドラマ時代突入後の舞台逆流入の深層心理等、部外者には通常覗くことのできないインサイドを垣間見た後、こんな疑問がわたしの脳裏を横切った、「この人のどん欲とも云えるこのドラマツルギーへの欲求は一体どこからきているのだろうか?」
 この後、話題のシフトチェンジと共に、フィールドも“板”から2005年に消滅した“ブラウン管”へと移行する。

◇◆◇◆◇

ラジオアダン:ちょっと雑なもの言いで恐縮ですが、現代日本人のドラマ的なる初期衝動があるとしたら、テレビドラマが最も多いのではないでしょうか?

一作:おれは山口県の凄く田舎の町で育って、高校が寮生活だったからあまりテレビの影響下にはなかったな。
とはいっても、早熟だったから、中学のときはグループサウンズが出る「ヤング720」を見てから学校に行くような子だったね。

徳永:私は木下恵介アワーの「親父太鼓」とかをまずは好きになって、その後は平岩弓枝ドラマシリーズ(笑)

ラジオアダン:脚本家の佐々木守さんの作品は見なかったですか?

徳永:見ました、見ました。「奥様は18歳」とか。

一作:おれ、知らないわ。

徳永:作詞家もされていましたね。

一作:それって、徳永さんが幾つぐらいのときの話なの?

徳永:小学生です。
一作さんはもう高校生だったかも知れないですね。

一作:寮生活で見れなかったのかもね。

ラジオアダン:国民的アイドル女優が、中山千夏さんから岡崎友紀さんに変わる頃の話ですね。

一作:おれの兄貴というのが共産党員で赤旗を配っているような人だったんだけど、おれが寮から帰郷したときに、「チケットやるからこの映画を見てこい!」ってことで見たのが、テレビドラマで人気を博し劇場版も作られた「若者たち」。(ザ・)ブロードサイド・フォーの主題歌で有名なやつね。
あれって、「ひとつ屋根の下」の原型、完全にオマージュなんだ。
江口洋介が田中邦衛で、小雪(酒井法子)が佐藤オリエ、おれ大好きだったな〜、佐藤オリエ(笑)
だから「若者たち」の三男、山本圭をオマージュ的に「ひとつ屋根の下」にも出演させていたでしょ。

徳永:へ〜、ある種のトリビュートだったんだ。

一作:どちらも同じフジテレビだから、系譜の中でちゃんと受け継がれていたんだよ。
大きな声では当時は言えなかったけど、木下恵介アワーは、「つまんないな〜」っておれは思っていた(笑)

徳永:えっ……、わたし「おやじ太鼓」大好きでした(笑)
あおい輝彦と、竹脇無我と、

ラジオアダン:進藤英太郎。

徳永:「寺内貫太郎一家」の原型みたいな、

ラジオアダン:言われてみれば。

徳永:♪誰が捨てたか大太鼓♪って、あおい輝彦の歌で(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)
中学?

徳永:いや全然、小学生(笑)

ラジオアダン:親父ものって言ったら森繁が出ていた、

一作:「七人の孫」でしょ。

ラジオアダン:「2丁目3番地」等もぼくは好きでした。

徳永:「3丁目4番地」もありましたね。

一作:詳しいね〜、
一体、どんな子供だったの?

徳永:あの〜、……、フフフフゥ〜(含み笑い)…、明るくて、素直な子でした(笑)

一作:素直だったの?

徳永:ええ、素直だけが取り柄でした(笑)

一作:運動はダメだったでしょ?

徳永:ええ、ダメでした。
なんで分かるんだろう?(笑)

一作:分かるよ。
本ばっかり読んでいたとか?

徳永:そんなに読んでないですよ。
ぼぉ〜っとしたりして(笑)

ラジオアダン:今聞く限りでは、ドラマばかり見ていた少女なのでは?(笑)

徳永:木下恵介アワー、再放送して欲しぃ〜(笑)
あの系列は、その後、少し昼ドラに移行したんですよね。
それまでの昼ドラは、帯クルクルみたいな〜(笑)ちょっと、奥様が欲求不満を解消するようなエッチなドラマを午後1時代にやっていたんですけど、木下恵介アワー的ものが移行することで、島かおり、大和田獏の「二十一歳の父」等というそれまでになかった作品群を生んだんです。

ラジオアダン:いい話ですね〜(笑)
その辺の大人向けのドラマも勿論ですが、もっと幼少の頃に、例えば、「コメットさん」とか、そのへんの実写もの、

徳永:「仮面の忍者 赤影」!
「河童の三平」。

ラジオアダン:「忍者ハットリくん」も実写でありましたね。

徳永:あと「怪獣ブースカ」(笑)

ラジオアダン:そっちもやっぱり見ていたんですね(笑)
青影と言えば!?

徳永:「だいじょ~ぶ」!!!!
ハハハハハ(爆笑)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)
流石ですね(笑)

徳永:あと、わたし、生まれて初めて見た映画が、小学校の校庭で野外上映した「エノケンの孫悟空」なんです。
で、映画館で見た最初が「大魔神」、

ラジオアダン:大映の田舎臭い、

徳永:暗くて、綺麗な女の人が人身御供になるという(笑)

一作:……。(呆れ気味な表情)

徳永:(一作に向かって)村の守り神である巨大な埴輪が、いい人達を悪い人達が迫害してゆくと、怖い形相に顔が変化して暴れるという。

一作:おれ子供の頃、「顔が埴輪に似ている」って言われていた(興味なさそうに淡々と)

徳永:ハハハハハ(爆笑)
そんなこと、な、い、よ(過度に優しく)
でもなんといっても「河童の三平」。

一作:全然知らないよ。

徳永:主人公が約束を破って、家の中の開かずの間に入ってしまったばかりに、罰として母親が黄泉の国に連れ去られて行くんですが、そのおかあさんを探すために地底奥深く潜って行って、いろんな怪物、妖怪に会って行くってストーリーです。聞くだけで怖いでしょ?

一作:……。(無反応)

ラジオアダン:ガハハハハ(爆笑)

徳永:だって自分のおかあさんが、

一作:(遮って)君たちは年代が略一緒でしょ?

ラジオアダン:そうみたいですね。

一作:おれ「河童の三平」ってまったく知らないもの(打ち切るようにきっぱり)

徳永:(まるで効き目なく)水木しげる作品。

ラジオアダン:(まるで効き目なく)怖い水木作品と言えば「悪魔くん」。

徳永:「悪魔くん」!!!
悪魔くんの主題歌は中山千夏、……、???、……、
あっ、違う、あれは永井豪先生の「ドロロンえん魔くん」だ。

ラジオアダン:作詞:中山千夏、作曲:小林亜星(笑)

一作:どうでもいい話だな〜(苦笑)

徳永:私はいつも20歳以上歳下の人達といることが多いので、こんな話が出来て嬉しいんですよ。

一作:そんな風に、演劇界に若い人材が多くなってきているということは、芝居の間口が広くなったんだろうね。
昔みたいなストイックで恐ろしい世界じゃなくなって(笑)

徳永:そうです、そうです。
明るい感じ。

◇◆◇◆◇

 さて、その明るくなった演劇への分岐といったら、一体どの時期からだったのだろうか?そしてそのトリガーとなった人物、時代的バックボーンとはどのようなものだったのか?

◇◆◇◆◇

ラジオアダン:演劇門外漢のぼくが劇場に行かずとも、「演劇界も随分変わってきたんだな〜」と実感させられたのは大人計画で、実は一時、黎明期の同じメディア(BSラジオ)で別々の番組をやっていたときがあって、「センス的にとてもかなわない」と完全に白旗でした。

徳永:松尾スズキさんとわたしは同い年なんです。
わたしは東京、横浜で育っているので、当初、松尾さんの抱える地方出身者のコンプレックスみたいなものがよく理解出来なかった。
松尾さんに惹かれるようになった理由として、松尾さんがまず演劇のアウトサイダーだったということがあります。もともとイラストレーターをされていて、宮沢章夫さんが放送作家をしていたところを経由して演劇に入って来られたので、そこで一つ断層があると思います。
同じ頃、ケラ(リーノ・サンドロヴィッチ)さんも演劇に入って来るんですけど、ケラさんは完全にお芝居と離れたインディーズのバンド、有頂天と、ナゴム・レーベルをやっていて、モンティ・パイソン、宮沢章夫さん経由での移行でした。松尾さん、ケラさん共に62年生まれなんです。
そこら辺から演劇に付き纏っていた、「社会主義、労働主義ばんざ〜い!」だったり(笑)アングラ+政治だったりの演劇とまったく違う風が吹いてくるんですね。

一作:そうだろうね。
アングラの最終世代とその辺とでは十年違うんだな。

徳永:特にケラさんが作られていたインディーズロックシーンの持つカオスは、今や演劇に止まらず、社会全体にシンクロしているし、していない訳がない。
松尾さんの乾いた笑いもそれまでの演劇にはなかったもので、ケラさんのシニカルな笑いも、勿論、以前にはなかったですね。

ラジオアダン:80年代後半、関西の劇団☆新感線等が東京でも人気を博しましたが、

徳永:新感線は完全にザッツ・エンターテイメントだったので、松尾さんのコンプレックスだとか、ケラさんの東京ローカリズムみたいなものとはちょっと別のものですね。

一作:そこは確実に違うよね。東京と地方という意味も含めて。
アングラでも唐は東京ローカルだよ。
寺山修司と唐十郎の違いは、究極的には青森か東京下町かの違いと云っても過言ではない。

徳永:東京ローカリズムと言ったときの定義は時代によって変わりますよね。
ザックリ言ってしまえば、地方を構成するものはあまり変わらない。でも、東京ローカリズムを構成するものは時代で凄く変わってゆくので、60年代のそれと80、90年代のそれとはまったく違う。

一作:東京は基本寄せ集めだしね。

徳永:だから青森に執ってずっと寺山修司はカルトのアイコンで、

一作:完璧な、東京〜青森の距離感で世界観を作っちゃった訳だね。

ラジオアダン:今の寺山に関する定説はすぅ〜っと落ちますが、以前から一作さんがよく言っていた、80年代の“東京ミュージックの権化”とマスコミが書き立てたミュート・ビートを、「彼等こそローカリティー溢れる音楽だ」とよく早い段階から識別出来ましたね。

徳永:凄い!看破したんだ。

一作:おれはさ、「この暗さは」、

徳永:青森?

一作:いやいや、こだまくんは福井県出身だから。
あの旋律と音は、冬の日本海を見て育った人間しか書けないでしょ。
あれは思いっきり言っちゃえばレゲエじゃないよね(笑)

徳永:どっちかと云えばブルースですよね。非常にブルージーです。
サウンドプロダクトはレゲエですけど、ソウルとしては完全にブルースだと思います。

ラジオアダン:ええ、そのような発言を過去ご本人もしています。

一作:だから、あの音は冬の日本海の夕日なんだよ(笑)

◇◆◇◆◇

 アングラとミュート・ビートの構造を看破したところで、一作が意外な方向へ話題を振った。
 “徳永京子=演劇”を完全に覆す、「徳永京子の考える映画オールタイムベスト3」。
 ?????
 さて、簡単のようでいて、候補作品があまりに多いがゆえに悩むこの問いに、果たして彼女はどんな応えを一作に返すのだろうか?

◇◆◇◆◇

一作:芝居に関しては嫌って程、日常的に訊かれるだろうから、こんな酒の場だし、敢えて映画作品での徳永さんのオールタイムベスト10なんてのを教えてよ。

徳永:「マイ・ベスト1は?」と言われれば実はすぐに答えられます。

一作:えっ、なになに?

徳永:ロバート・アルトマン監督の「M★A★S★H マッシュ」です。

一作:渋いね〜、古いね〜(笑)

徳永:じゃ〜、一作さんのベスト1はなんですか?

一作:一杯あるよな〜、勿論、「M★A★S★H マッシュ」も好きだし、今村昌平の一連、(ジム・)ジャームッシュも勿論好きだけど、……、これ一発と言えばやっぱり「ゴッドファーザー」。

徳永:ああぁ〜。
わたしの2位は「ブエノスアイレス」かな?

一作:ウォン・カーウァイのゲイの映画ね。
その辺もありならおれも言うよ(笑)

徳永:じゃ〜、一作さんの2位は?

一作:ダウン・バイ……うむぅ……、やっぱり「ブロークン・フラワーズ」だな(笑)
ビル・マーレイが昔の女に会いに行く話。あのなさけなさがいいんだよね。
あとあれもよかったな、やはりビル・マーレイが出ているコッポラの娘の、……、えっと、

徳永:「ロスト・イン・トランスレーション」(笑)

一作:その、「M★A★S★H マッシュ」の魅力を聞かせてよ。

徳永:「M★A★S★H マッシュ」は最初、テレ東でよくやっているようなリバイバル的な扱いとして見たんです。
モンティー・パイソンに通じるような、大の大人がふざけているのですが、実は真面目にやってる人達の方が悪いと云うか、……、自分が手術に失敗したのに若いアシスタントのせいにして、「お前が殺したんだ!」というトラウマを植え付ける人達が社会的上位に位置する。でも、一方の適当にやっている感じの人達の方が真実に対して忠実であるということを知らされた作品です。
朝鮮戦争の最前線の話なのに、エロくてばかばかしい騒動があって、その人達をまとめている中佐が一番ほわぁ〜とした人。なにがあっても動じず、右から左へ流して行く。そういう敢えて正面切って事象と向き合わない大人の所作を教えてもらったのかな〜?

一作:うん、成る程。
じゃ〜、「ブエノスアイレス」は?

徳永:「ブエノスアイレス」は、男性同士のカップルの、風邪をひいて熱がある方がパートナーにわがままを言われ、毛布を被りながら共同キッチンでチャーハンを作るシーンが凄く好きなんです。強いた方は本当にチャーハンが食べたい訳ではなく、「こんなわがままを言ったら嫌われるかもしれない……」という綱渡りをしているんですね。やがてチャーハンが出来上がり食すのですが、本当は食べたい訳ではないという心情がリアルに演じきれているんです。恋愛独特のこの種のパラドックスは、「同性愛でも異性愛でもまったく違いはないんだ」と皮膚感覚で教えてもらった作品です。
それに通じる、……、これがわたしのベスト3かもしれないのですが、小津安二郎監督の「お茶漬の味」。
ここでの重要な部分は、奥さんが言わなくちゃいけないところでは絶対に言わないで、言わなきゃいいのにというタイミングでは言わなきゃいいとこをずっと言っている。簡潔に言うと、主人公は社会的にしっかりした夫婦なんだけど、その実大人に成りきれていない女性として妻は描かれているんです。
その象徴的なシーンが、円が350円の時代に旦那さんが海外出張に行くことになります。当時の海外出張は命がけで行く頃ですから、当然、社を挙げて旗を振っての見送りです。そんな大事なときなのに、奥さんは家で当の旦那と喧嘩をして目も合わすことなく送り出すことになってしまう。本当に言わなきゃいけないことを言えない、そんな奥さんを見て、「いいな〜、小津おもしれ〜な」って(笑)
代表作の「東京物語」は、分かっている人が分かっていることをやっている感じがするんです。
両親も原節子も分かっている人達で、あとは分かっていない人達が次男夫婦だったりと明確な一線がそこにある。
「お茶漬の味」は大人なんだけど子供の部分が描かれている、そこに、後付けなんですが、近代の香りがするんです。

一作:徳永さん自身に、そういうところが日常的にあったりするの?

徳永:もう卒業しましたけど、ありましたよ(笑)
流石に今はないですけど、昔はそういう人だったので(笑)木暮実千代にめちゃ感情移入して、「この奥さんバカだぁ〜〜〜!」と思いながらも、うぉ〜うぉ〜泣いて見ていましたね(笑)

一作:ガハハハハ(爆笑)

◇◆◇◆◇

 楽しい時間はあっという間に過ぎて行く。
 多義の話題を縦横無尽に駆け抜けてきた今回の対談もそろそろ終焉の時間を向かえようとしている。
 残り少ない終宴までの時間を鑑みながら、一作が、今回の対談で初めて“バレた?”出自である“ドラマ少女”のままに、東京の街を優美に散策する徳永京子の今後の企てを訊き出したく躍起になる。
 今、演劇界は?そして徳永京子は?その自身が発する自由度高い磁場で何を企んでいるのだろうか?

◇◆◇◆◇

一作:そろそろ最後だし、最新の徳永さんの活動を教えてよ。

徳永:3月に「パルテノン多摩」という劇場で「演劇人の文化祭」というイベントをプロデュースしました。
『徳永京子プロデュース 演劇人の文化祭』
内容は、演劇の作演出家の人達が描いた絵やイラスト。撮った写真を展示するのと、プラス、バンドとしてライブをやってもらうのですが、その企画を立てた理由が、昔の演劇人って、「おれには演劇しかない!」という人が多かったというカウンターからきているんです。音楽とか、ファッションとか興味がない人が多かった。

一作:昔ってどのくらいの昔?

徳永:60〜70年でしょうか?

一作:でも、状況(劇場)とかには(四谷)シモンさんがいたりして、

徳永:ええ人形をやってらっしゃいましたよね。

一作:佐野くんだってバンドやってるし。

徳永:当時は、その方達の方が珍しいんです。
90年代くらいまでは、演劇をやる人って、なかなか上手に世渡り出来なくて、書く人がいないから脚本書いて、演出する人がいないから演出して、

一作:ちょっと待って。
やっぱり世渡りが下手な人が演劇に行くって傾向はあったの?

徳永:ええ、多かったですよ。
それが、2000年代くらいから、音楽も大好きで楽器の演奏もする、歌も上手に唄える。映画も大好き、漫画も大好きで自分で撮ったり描いたりもする。そんな人達が敢えて演劇を選んでいることが多くなってきたから、今回のイベントを発想出来たし、行える訳です。
私自身も、90年代までは演劇をやっている人達と、音楽の話をあまり出来なかった。チャートインするメジャーな曲しか知らない人が多かったから。
でも、2000年以降の人達は、例えば、ままごとという劇団の人達は□□□とのコラボで、□□□の三浦康嗣さんとワンフレーズずつをやりとりしながら戯曲を書いたりしています。演出家がアクトの場でライブとしてリズムマシーンを打ち込むとか、官能教育にも出て頂いたロロという劇団の三浦直之さんに至っては、ラップグループのEMC(エンジョイ・ミュージック・クラブ)にフューチャリングヴォーカルとして参加したりもしています。

一作:それってさ、“脱新宿土着”みたいな部分もあるんじゃないかな?

徳永:そうかもしれない。

一作:ゴールデン街で飲んで、口論の末に喧嘩になっちゃうみたいな世界からの決別。
おれ自身もあの世界は嫌いだったしね。

徳永:新世界でのわたしの活動は、パルテノン多摩への橋渡しになったと云うか、大谷能生さんにリーディングの初演出をしてもらったり、山本達久さんにもがっちり稽古場から入ってもらったり。重複してしまいますが、音楽とか他のジャンルをやっていて演劇をやっている人が増えてきて、そういう方々はフラットに小説家さんやミュージシャンと会話が出来るので、今後増々コラボの敷居が低くなっていくと思います。

一作:成る程。
では、演劇界の未来は明るいということで、次回は若手女性スタッフを交えてまた飲みましょう。

徳永:はい、彼女達も一作さんに会いたがっているので喜びますよ。

一作:オッケー、いつでも連絡ちょうだい、おれ合わせるから(笑)

◇◆◇◆◇

 徳永京子というマトリックスが、以前は世間から“乖離”と等しき関係にあった演劇界に居心地よい風通しを生む新たな距離感を作っている。
 それは彼女の持つ批評家としての“硬”が高いクオリティーを呼び込み、反たるパーソナル、過剰な可愛らしさ、柔らかさがハンドルの遊びとも似た“軟”を生み、過去、誰も思いもつかないコラボレーションを引き出す特別の磁場となっている。
 次回、一作との酔談は、チーム徳永とも云える「Produce lab 89」の美女達を従えての歴史的大仕事の打ち上げとなりそうだ。今から、美女達への下心満載の一作のえびす顔が目に浮かぶが、そんな先のことは誰にも分からない。
 なぜなら、人生の殆どの出来事なんて、酔っぱらいが酒場で夢想したことを、神様が空模様を頼りに暇つぶしにチョイスしているだけだから。

 とぅ・びー・こんてぃにゅーど

@泉岳寺「アダン」


テキスト、進行:エンドウソウメイ
  写真:片岡一史

●今回のゲスト

Photo Ⓒ平松理加子
徳永京子/プロフィール
演劇ジャーナリスト。朝日新聞の劇評、公演パンフレットや雑誌、web媒体などにインタビュー、寄稿文、作品解説などを執筆。「シアターガイド」(モーニングデスク)にて『1テーマ2ジェネレーション』、を連載中。ローソンチケットの演劇サイト『演劇最強論-ing』を企画・監修・執筆。著書に、さいたまゴールド・シアターのインタビュー集『我らに光を』(河出書房新社)、日本の近年の演劇を多角度から考察した『演劇最強論』(飛鳥新社。藤原ちから氏と共著)。東京芸術劇場運営委員および企画選考委員。パルテノン多摩企画アドバイザー。せんがわ劇場企画運営アドバイザー。


河内一作/
山口県生まれ
八十年代から霞町クーリーズクリーク、青山カイなど常に時代を象徴するバー、レストランの立ち上げに参加。九十年代、仕事を辞め世捨て人となる。
六年間の放浪生活の後社会復帰し、アダン、青山タヒチ、白金クーリーズクリーク、音楽実験室新世界、奥渋バー希望、南洋ギャラリー、など手がける。お楽しみはまだこれからだ。